ヒルマン・ミンクス アメリカデザインの影響
ニュージーランドの話ヒルマンは、イギリスのルーツグループの擁するブランドで、大衆車をメインにしていました。
写真は、50年代末のヒルマン・ミンクスですが、前後ガラスが大きくサイドに回り込んでいる形状、そしてテールフィンを思わせるリア周りの処理に、同時代のアメリカ車の影響を見て取ることが出来ます。
特にテールフィンは、通常の直立したタイプで無く、58年シボレーが採用した、横方向のテールフィンを採用しているのが目に付きます。
イギリスでは、トップギアのジェレミー・クラークソンの例を見ても分かる様に、とにかくアメリカ的なデザインは嫌われる傾向にある様です。最近の車は、日本人にも受け付けないものがあるので、まあ分かるのですが、日本人が「豊かなアメリカ」を感じる70年代のデザインでも、ボロクソに言われる辺りからして、やはりイギリス人の一般的な感覚から、アメリカのソレは受け付けない何かがあるのでしょう。
ところが50年代には、こうやって少なからずアメリカ車の影響を受けていたことを考えると、やはり当時のアメリカのデザインは、デザイナーの遊び、変化の為の変化、大量生産の安物と揶揄されながらも、充分に見るべきところが有ったということなのでしょう。
大衆車ばかりでなく、ロールス・ロイスにまで、その影響が見て取れるのですから・・・・。
因みにヒルマン・ミンクスに関して、もう一つ特筆するべき事といえば、かつていすゞがノックダウン生産を行っており、日本でも大変に馴染みのある車であったことでしょう。
そして、その頃の日本車のデザインというと、何処かアメ車を縮小した様な雰囲気が有りましたが、私は寧ろ、アメ車を直接真似たというよりは、アメ車の影響を受けたヒルマン・ミンクスの影響が大きかった・・・・と見ています。
因みに、この手のデザイナーは、スチュードベーカーに深く関わっていたレイモンド・ロウィーなので、アメリカ的なのは当然なのです。
後にルーツグループは、クライスラーによる強引な買収により、クライスラー・ヨーロッパとなりますが、後に経営が破綻し、プジョーに売却された後は、プジョーの右ハンドル車の生産を受け持つことになりました。