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ヒルマン・ミンクス アメリカデザインの影響

ニュージーランドの話
12 /27 2011
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ヒルマンは、イギリスのルーツグループの擁するブランドで、大衆車をメインにしていました。
写真は、50年代末のヒルマン・ミンクスですが、前後ガラスが大きくサイドに回り込んでいる形状、そしてテールフィンを思わせるリア周りの処理に、同時代のアメリカ車の影響を見て取ることが出来ます。

特にテールフィンは、通常の直立したタイプで無く、58年シボレーが採用した、横方向のテールフィンを採用しているのが目に付きます。

イギリスでは、トップギアのジェレミー・クラークソンの例を見ても分かる様に、とにかくアメリカ的なデザインは嫌われる傾向にある様です。最近の車は、日本人にも受け付けないものがあるので、まあ分かるのですが、日本人が「豊かなアメリカ」を感じる70年代のデザインでも、ボロクソに言われる辺りからして、やはりイギリス人の一般的な感覚から、アメリカのソレは受け付けない何かがあるのでしょう。

ところが50年代には、こうやって少なからずアメリカ車の影響を受けていたことを考えると、やはり当時のアメリカのデザインは、デザイナーの遊び、変化の為の変化、大量生産の安物と揶揄されながらも、充分に見るべきところが有ったということなのでしょう。

大衆車ばかりでなく、ロールス・ロイスにまで、その影響が見て取れるのですから・・・・。

因みにヒルマン・ミンクスに関して、もう一つ特筆するべき事といえば、かつていすゞがノックダウン生産を行っており、日本でも大変に馴染みのある車であったことでしょう。

そして、その頃の日本車のデザインというと、何処かアメ車を縮小した様な雰囲気が有りましたが、私は寧ろ、アメ車を直接真似たというよりは、アメ車の影響を受けたヒルマン・ミンクスの影響が大きかった・・・・と見ています。

因みに、この手のデザイナーは、スチュードベーカーに深く関わっていたレイモンド・ロウィーなので、アメリカ的なのは当然なのです。

後にルーツグループは、クライスラーによる強引な買収により、クライスラー・ヨーロッパとなりますが、後に経営が破綻し、プジョーに売却された後は、プジョーの右ハンドル車の生産を受け持つことになりました。

理想の工具 ギヤレンチ編

工具
12 /17 2011
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昨今の狭いエンジンルームの中では、従来のラチェットハンドルでは場所を取り過ぎて使い難いことが多くなりました。そんな時に重宝するのが、ギアレンチで、しかもフレックスタイプの奴を、随分前から愛用しています。

ところが、このタイプで何時も思うのが、何故片側がオープンエンドなのか?です。
大抵、この手を理解して購入する人といえば、通常のオープンエンドスパナも所有している事でしょう。

特にギアレンチ側を使う時、オープンエンド側を握る・・・・・というのは、経験の有る人は分かりますが、力を入れると、結構手が痛いものなのです。

だったら、オープンエンドなんか止めてプラスチックのグリップを付けてくれたら・・・・と思うのですが、不思議な位、この手の製品は有りません。

柄を切ってグリップを付けるという手もありますが、そうすると、保証が効かなくなってしまいます。特にフレックスタイプで保証が無いというのは苦しい所ですし、グリップを付けるにしても、例えばスナップオンのドライバー用を使うとなると、かなり大き目になってしまうのです。

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コチラは、フォトショップで加工したものですが、こんなのが有れば、有り難いところです。

特に最近は、ギヤレンチと併用するビットホルダー等、色々なアクセサリーが出ているので、余計にこんなのが有ると便利だと思います。

衝突テスト! 2002キャデラック VS 1962キャデラック

キャデラック
12 /15 2011

以前の記事で、1959年シボレーと2009年シボレーの衝突テストを紹介しましたが、今回は、1962年キャデラックと2002年キャデラックです。
衝突時の速度は、50mph(80km/h)ということです。

先ず気が付くのは、62年キャデラックの方は、ガラスが飛び散り、しかも運転席のダミーがガラスに頭を突っ込んでいることです。

この当時は、ラミネートガラスが使われていなかったこと、そして、シートベルトの性能が充分でなかったことが大きく関係しています。

そして車本体のダメージ・・・・つまり変形に関しては、2002年モデルの方が大きいことが分かりますが、コレは、現在の衝撃吸収ボディーは、敢えてフロント部分を潰すことで、衝撃を吸収し、反面、客室部を可能な限り変形させないという発想故のものです。

62年モデルのダミーは首が折れているので、コレは死亡事故に相当します。

ただ、このテストで一つ疑問なのは、何故2002年モデルの方に、ダミーが乗せられていないのか?・・・です。
確かにインテリアの変形は少ないものの、だから人体に与える影響が殆ど無い・・・・とも言えないと思うのです。

当然現行モデルの方がいい結果が出るのは分かっていても、片方にダミーを入れるなら、もう片方にも・・・・というのが、よりフェアなやり方だと思います。

イラク戦争終結「素晴らしい成果」米大統領

ニュース
12 /15 2011
【フォート・ブラッグ(米ノースカロライナ州)=黒瀬悦成】オバマ米大統領は14日、ノースカロライナ州のフォート・ブラッグ陸軍基地で演説し、「イラク戦争の終結」を宣言した。
 大統領によると、イラク駐留米軍が15日、バグダッドで部隊の解散式を行い、任務は正式完了する。これで、約8年9か月に及んだイラク戦争は幕を閉じる。

 オバマ大統領は、「この数日間で最後の米軍部隊がイラクから出る。イラクでの米国の戦争は終結する」と表明した。その上で、「我々は、国民によって選ばれた政府を持つ、独立し、安定し、自立した国家をイラクに残した。これは多大なる成果だ」と語る一方、「4500人近い米国人が犠牲となった」と指摘、米兵と家族の「労苦と献身」をねぎらい、哀悼の意を示した。

(2011年12月15日11時21分  読売新聞)



正に突っ込み所満載の記事です

>>国民によって選ばれた政府を持つ、独立し、安定し、自立した国家をイラクに残した・・・・・・

どのツラ下げて、こんな事が言えるのやら・・・・

今でもイラクは世界で最も危険な国の一つです。

サダム・フセインは、イラクでは少数派になるスンニ派であり、その事が多数はのシーア派を抑える事で、絶妙なバランスが取られていたのです。

スン二派とシーア派の対立の歴史は古く、その絶妙なバランスが崩れた現在、何時内戦になってもおかしくないのです。

オマケにシーア派多数の国イラク・・・・・という事は、同じくシーア派多数の隣国イランと手を組む可能性も充分に出てきます。

アメリカが何かとイランをけん制しようとしている理由は、この辺にもありそうです。

何れにしても、安定とは程遠い上に、国民に選ばれた政権・・・・実際はアメリカの傀儡政権そのものです。

4500人の米兵はともかく、何万人のイラク人が亡くなったのでしょうか?

アメリカはこの戦争で負けた以上、今後、「謝罪と賠償」の必要があります。

日本の従軍慰安婦とやらにゴタゴタ言うからには、当然ですよね?

キャデラック・アランテ

キャデラック
12 /14 2011
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既に取り上げた車ですが、一日に2台も連続で、このキャデラック・アランテを見てしまったので、改めて取り上げました。

80年代には、既にかつての栄光も地に落ちた・・・こんな状況にあったキャデラックが必要としていたのは、急激に販売を伸ばしていたメルセデスのSL系に対抗出来る様な車でした。

話題づくりにコンバーチブル・・・・・コレじゃ、まるでクライスラー・ル・バロン・コンバーチブルと同じじゃないか・・・と突っ込みたくなるのですが・・・・。そこはキャデラック、ボディーをイタリアのピニンファリーナで作り、それを北米まで専用のボーイング747で空輸するという、「世界一長い組み立てライン」が大いに話題になりました。

この車の価格は、5万ドルを越えており、実に当時のキャデラックの倍の価格でした。

その内訳は・・・・・ピニンファリーナに支払われる金額、専用ジャンボジェットによる空輸といった価格を上乗せした上に、目標販売台数で割った・・・・・という、まるで小学生の算数の時間の様な理論から生まれています。

要するに、通常のキャデラックの「倍」の部分は、素晴らしい性能や品質に費やされたのでは無く、ピニンファリーナ製ボディーと空輸の為に浪費されていたのです。

大体ピニンファリーナのボディーなど、間違っても品質が良いと言えるものでは無く、それならミシガン州のフィッシャーボディー(GM系)で作った方が、遥かに安く、しかも品質も良かったことでしょう。

今日改めて見ると、ナルホド・・・・キャデラックはヨーロッパ的な洗練されたデザインが欲しかったんだ・・・・という事が分かります。確かにデザイン的には、悪くないものの、その為に通常のキャデラックの倍の価格というのは、やはりやり過ぎでした。

オマケにエンジンや駆動系は、他のキャデラックと何ら変わる事は無く、しかも、この価格のコンバーチブルとしては、手動というのは、お粗末でした。
写真のモデルは、89年以降に設定されたハードトップが装備されています。コレだと、屋根としての性能は良くても、コンバーチブルとしての価値は半減します。重いハードトップを二人がかりで苦労して取り外して・・・・。

やはり、何時しかキャデラックは、高級の意味を忘れてしまったのでしょう。

80年代のロジャー・スミス体性下のGMは、常に他力本願で、行き当たりばったりでした。

1.トヨタよりも多くのロボットを導入した結果、更に生産性を落したGM10計画

2.只でさえ薄利の小型車を作る為に、子会社を設立、専用の工場を建て、日本車の足元にも及ばない車を作ったサターン計画

アランテも、上記の2件に並んで取り扱われるのが一般的です。

当時のGMの経営体制を評して、こんな事が言われていました。

「普通、裏庭でヘビを見かけたら、捕まえるなり殺すなりするが、GMの場合、外部からヘビの専門家を雇い、ヘビの対策チームを立ち上げ、ああでもない、こうでもない・・・・と延々と対策を考えているウチに、ヘビは何処かへ行ってしまう」

要するにアランテの場合、必要だったのは「外部のヘビ専門家=ピニンファリーナ」ではなく、「内部で即座にヘビを殺せる者=内部でデザインを見極めることが出来る者」だったのです。

懐かしの自転車 リトラクタブルライト付き

無題
12 /10 2011
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1977年頃から始まった、空前のスーパーカーブーム・・・・・流麗なスタイルミッドシップレイアウト、にリトラクタブルライト・・・・・国産車には無い、そんなエキゾチックなスタイルに国中が憧れたものでした。

そんなデザインを、当時の自転車メーカーは、少年向けサイクリング車にも取り入れていったのです。

最初は横方向に開くものでした。スーパーカーのソレとは違いましたが、「開閉式」というのが非常に新鮮で、カッコ良く見えたものでした。

当初のソレは、左右それぞれのライトに開閉スイッチが有り、それを押すと、パコーンとスプリングの勢いで開くものでした。

ただ、その人気が一巡すると、やはりスーパーカーの様に「上に開く」ライトを求める声が高まるのは、当然の結果でいした。


そして開閉方法も、左右同時にハンドルから開閉できるリモコン式、或いは電動式へと進化していきました。

自転車のライトを開閉式にする事の意味自体は当然なのですが、それを電動式にするというのも、今から考えると、全く馬鹿げた話しです。

更には、上下に開く4灯式リトラクタブルライトまで登場しました。下2灯のフォグランプは電池を使うものでした。
フォグランプの意味も知らずに、単純にカッコイイと思ったものでしたが・・・・。

自動車のイメージを取り入れたのは、何もライトばかりで無く、シフトレバー周りもそうでした。シフトレバーと連動して、ギアの段数をデジタル表紙した「デジメモ」、そして、シフトレバーを車の様なH型シフトパターンにしたものまで登場しました。そのカラクリは、シフトレバーは単なる電気スイッチで、モーターがシフターを動かす・・・・というものでした。

更にはパッシング機能付きの4灯ライト、メーター、トリップコンピューター付きの所謂「デジコン」付きと、更に豪華さを増して行きました。

フラッシャーから始まり、スーパーカーのモチーフを取り入れたり、異常な少年自転車ブームは、一層華やかになっていった半面、やはり行き過ぎは誰の目にも明らかで、80年前後を境に、後に急速に廃れる運命を辿るのです。

しかし、こんなのが流行るのは、アノ時代の、日本だからだったんでしょうね・・・・・。

フラッシャー付き自転車 ミヤタ・サリー・ジャンボテクニカ

無題
12 /09 2011
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70年代初頭の日本には、「大きいことは良い事だ」というCMソングを地で行く様な風潮がありました。
ホンダCB750が爆発的なヒットを飛ばし、車では、「隣の車が小さく見える」というカローラが大ヒットしました。

人々が月収を遥かに超える高価なカラーテレビを購入し、電子技術に未来の夢を重ねていたのです。

それは、子供用自転車の世界でも同じ事でした。
特に70年代前半に絶大な人気を誇ったのは、フラッシャー付き自転車でした。要するに、単なるウィンカーなのですが、車のテールランプの様な後姿、流れる様なランプの点滅に、大いに憧れたものでした。

ウィンカーとは言っても、車やバイクの様な、単純なリレーを使ったものでは無く、モーターがギヤボックスを介してスイッチ接点を回転させる事で、所謂「流れるフラッシャー」を実現していたのです。

全てがトランジスター回路で、バルブも通常の電球、しかもモーター制御とあり、その装置は大変に巨大で重いもので、更に電池も単一を6本程使っていました。

今から見ると、実に馬鹿げたシステムなのですが、その巨大さと豪華さこそが、当時の憧れの理由であったのでしょう。価格的にも、70年代初頭に、子供用自転車に5万円という価格は、当然誰にでも手の届く物では無く、金持ちの息子、若しくは祖父母に買って貰った・・・・という感じであったと思います。

サイクリング車というのは、即ちサイクリング=長距離走行を目的にしたものです。当然安全性を求める・・・・という発想は分かるのですが、巨大な電装をぶら提げて、運動性能を落す事が、安全性に繋がるのか?なんて、今なら思うのですが、やはり当時を知る者としては、無条件にカッコイイと思ったものでした。

ただ、当時の実際のオーナーは皆、重い、すぐ壊れると言い、次は要らないと口を揃えて言っていました。
そんな理由から、実際購入しても、途中で外してしまう人も少なくなかったと思います。そして、子供用自転車の宿命として、現存している機体は、非常に少ないことでしょう。

昔の子供は、こんな所にも夢を持ち、そして、ソレがバイクへ、車への憧れへと繋がっていったのではないでしょうか?現在のシンプルな自転車を見ると、それは確かに合理的で高性能なのですが、何処か夢が無い様にもみえてしまいます。

かと言って、コレはチョッと・・・・・。

因みにスーパーカーブーム後は、この手のフラッシャー付き自転車は衰退し、替わりにリトラクタブルライトが装備される様になりました。

キャデラック・アメリカ大統領専用車

リムジン、特殊車両
12 /05 2011
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キャデラック大統領専用車・・・・・一見DTSベースの様に見えますが・・・・・


現在、アメリカのオバマ大統領の使用している大統領専用車は、市販車ベースでは無い、オリジナルの車だということをご存知ですか?

見た目は、キャデラックDTSをベースにしている様に見えますが、アチラはFFのモノコックボディー、コチラはGMCトップキックというトラックの別体式シャシーを延長したもので、その上に専用の防弾ボディーが載せられています。

5インチの厚さのチタン、セラミック等の装甲板に覆われ、防弾ガラスも厚さ5インチと、大変に頑丈なものになっており、爆撃にも耐えられるということで、確かに、そう聞いて見てみると、DTSよりも大変に骨太で頑丈に見えます。

先代のブッシュ大統領の頃は、DTSベースの物を使用していました。

オバマ大統領に関しては、就任当初より、暗殺の噂が囁かれていたこともあり、従来とは比べ物にならない位頑丈な車になったのでしょう。

現在、一般向けリムジン市場でも、既にリンカーン・タウンカーが生産中止になった関係で、SUVをベースにしたものが一般的になっていますが、大統領専用の、しかも一見市販のキャデラックDTSがベースに見えるこの車が、実は全くのカスタムカーであった・・・・というのは、ある意味新鮮な驚きです。

そして、裏を返せば、そらだけアメリカという国に対する不信感の表れとも言えるのかも知れません。

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因みに、コチラがジョージWブッシュ時代の、キャデラックDTSベースの車両です。極太のAピラーが目に付きます。

中国道でフェラーリ8台など14台絡む事故

ニュース
12 /04 2011

中国道でフェラーリ8台など14台絡む事故

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20111204-757125-1-N.jpg
事故で大破したスポーツカー(4日午前11時56分、中国道小月ICー下関JCT間)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20111204-757307-1-N.jpg
スポーツカーなどが多重追突をした事故現場(4日午後0時5分、山口県下関市の中国自動車道で、読売ヘリから)=久保敏郎撮影
 4日午前10時15分頃、山口県下関市の中国自動車道上り線・下関ジャンクション(JCT)付近で、車14台が絡む事故があった。
 県警高速隊などによると、10人が病院に運ばれたが、いずれも打撲などの軽傷。

 14台のうち、8台がフェラーリ、3台がベンツ、1台がランボルギーニで、うちベンツ1台は対向車線を走行していた。現場は上り坂の左カーブで、対向車線を走行していた佐賀県神埼市の自営業男性(36)は「ものすごい音をたてて車が走っていった」と話していた。同隊で事故の原因などを調べている。

 同10時45分から小月インター(IC)―下関JCT間の上り線が通行止めになっている。
(2011年12月4日15時51分  読売新聞)


それにしても、凄まじい事故です。一回の事故に対する損害という意味で、非常に大きなものになっています。
フェラーリ8台が一度に・・・・恐らく、昔、サーキットの狼に憧れた「スーパーカー世代」の愛好家クラブが暴走~事故といった感じだったのでしょうか?

こんな車の事故というと・・・・不謹慎ながら、怪我よりも、車の方が気になってしまいます・・・・。

ニュージーランドの英国車事情 結婚式編

ニュージーランドの話
12 /04 2011
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結婚式用の車・・・というと、ココ、カナダでは、アメリカ製のリムジンが、定番と言えます。

私が以前住んでいたニュージーランドでは、その業界で圧倒的に人気の有ったのが、古いロールス・ロイス等のイギリス車だったのです。

この辺りは、北米から遠く離れていること、そして、かつては圧倒的にイギリス車が多かったという背景から生まれた文化だと言えます。

PCを掃除している時、見つけた画像を紹介します。ある日、オークランドの自動車関係のサプライヤーが林立するエリアを走っていると、こんな珍しい光景を目にしたのです。

きれいに磨きこまれたクラシックなイギリス車たち・・・・・それが、こんあ薄汚い(失礼)工業地帯にある倉庫の様な場所に保管されていたとは・・・・。ある意味、新鮮な驚きでした。

気品に溢れる高級車達には、些か場違いに見えました・・・・。



americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。