車歴
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「高松琴平電気鉄道1070形電車」の記事における「車歴」の解説
琴電での車番京急での車番製造年製造メーカー琴電への入線琴電での廃車変更前変更後1071 デハ703 デハ605 1957年 東急車輛 1984年 1072 デハ754 デハ608 1073 デハ709 デハ613 1958年 1986年 1074 デハ758 デハ616 1075 デハ705 デハ609 1957年 1987年 2011年 1076 デハ756 デハ612 表 話 編 歴 高松琴平電気鉄道の車両 現有車両 営業用車両600形・700形 - 1070形 - 1080形 - 1100形 - 1200形 - 1300形 動態保存車両20形III - 1000形・3000形・5000形 事業用車デカ1形 - 13000形 過去の車両 01形・変1形 - 10形 - 20形I - 20形II - 30形I - 30形II - 30形III - 50形I - 50形II - 60形 - 70形I - 70形II - 80形I - 80形II - 90形 - 740形 - 750形 - 780形 - 820形 - 850形 - 860形 - 880形 - 890形 - 920形 - 950形 - 1010形 - 1013形 - 1020形 - 1050形・1053形・1060形 - 1063形 - 2000形 - 6000形 - 7000形 - 8000形 - 9000形 - 10000形 - 11000形 - 12000形 .mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.75em;right:1em;display:none} この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 23:51 UTC 版)
車番竣功年月旧番廃車年月備考モニ1形クモニ1形モニ1 (I) 1960年10月 国鉄クモニ3412 1963年12月 モニ2 (I) 国鉄クモニ3411 1962年12月 運用実績なし。現車は終始上石神井検車区に留置。 クモニ1 (II) 1963年8月 モハ162 (II) 1976年8月 クモニ2 (II) 1965年4月 クモハ252 (III) 1978年1月 クモニ3 1967年5月 クモハ335 1978年1月 クモニ4 1967年2月 クモハ338 1978年1月
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車歴
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「ユニオン・パシフィック鉄道844号蒸気機関車」の記事における「車歴」の解説
844号機はユニオン・パシフィック鉄道が発注したFEF-3機関車10両のうちの1両で、1944年12月にアメリカン・ロコモティブで製造された。FEF-3は先代のFEF-2と同様に旅客用機関車として設計されており、オーバーランド・リミテッド、ロサンゼルス特急、ポートランド・ローズ、チャレンジャーの各旅客列車を牽引した。FEFの形式名はホワイト式車輪配置による4-8-4 (Four-Eight-Four) の略称に由来する。 1957年には旅客列車の牽引機がディーゼル機関車に置き換わり、その後は1959年まで貨物列車の牽引に使用された。844号機は1960年に廃車解体予定であったが、解体を免れ観光列車用に復元されることとなった。 1962年、844号機は観光列車の牽引機としての運用を開始した。毎年7月にワイオミング州シャイアンで開催されるイベント「シャイアン・フロンティア・デイズ」に合わせて、シャイアンとコロラド州デンバーの間を往復する運用が中心である。また、一時期844号機は、ディーゼル機関車にNo.844が既にいたため、番号重複を回避するため、1962年の運行開始と同時に、末尾に4を付け足し、「No.8444」として活躍していた。そして、ディーゼル機関車No.844が引退後の1989年に、元の「No.844」に戻された。2019年、米大陸横断鉄道が150周年を迎えた。それと同時に静態保存で保存されていたビッグボーイが数年の整備を経て復活を遂げた。そのため蒸気機関車全盛期時代の重連がNo.844とNo.4014で行われた。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 03:47 UTC 版)
形式 竣功時車番 改番 大改番 機器換装に伴う改番 電動車化 更新 更新年月 備考 デハ10形クハ10形 デハ101 デハ1101 モハ5440 モハ3153 1971年8月 デハ102 デハ1102 モハ5441 モハ3156 1971年9月 デハ103 デハ1103 モハ5460 モハ3558 1972年8月 戦災復旧車 クハ101 クハ1101 クハ400(初代) クハ350(2代) サハ5205 1975年5月 元特急車 クハ102 クハ1102 クハ401(初代) クハ351(2代) クハ5605 1974年5月 元特急車 クハ103 クハ1103 クハ402(初代) クハ352 クハ5405 1975年1月 元特急車 デハ11形クハ11形 デハ1104 モハ5442 モハ5310 モハ5304 1975年4月 元特急車 デハ1105 モハ5443 モハ5311 モハ5505 1974年5月 元特急車 デハ1106 モハ5444 モハ5312 モハ5104 1974年12月 元特急車 クハ1104 クハ403 クハ353 クハ5404 1974年12月 元特急車。1970.11中間車化(サハ353) クハ1105 クハ404 クハ400(2代) クハ3663 1973年12月 クハ1106 クハ350(初代) クハ332(2代) クハ401(2代) モハ5315 モハ5101 1974年6月 戦災復旧車。1960.9車体新製 デハ12形クハ12形 デハ1107 モハ5445 モハ5313 モハ5105 1975年1月 元特急車。1970.11中間車化 デハ1108 モハ5446 モハ5314 モハ5305 1975年5月 元特急車。1970.6中間車化 クハ1107 クハ351(初代) クハ333(2代) クハ402(2代) モハ5316 モハ5504 1974年4月 戦災復旧車。1960.5車体新製 クハ1108 クハ405 クハ354 サハ5204 1975年4月 元特急車。1970.6中間車化(サハ354) デハ1201形 デハ1201 モハ5450 モハ3563 1973年12月 デハ1202 モハ5451 モハ3562 1973年11月 更新後旧車体をサヤ8000形として再用 デハ1203 モハ5461 モハ3357 1973年4月 戦災復旧車 デハ1204 モハ5452 モハ3557 1972年7月 デハ1205 モハ5453 モハ3157 1971年7月 デハ1206 モハ5454 モハ3561 1973年7月 デハ1207 モハ5455 モハ3159 1971年11月 デハ1208 モハ5456 モハ3358 1973年5月 クハ1201形 クハ1201 クハ410 モハ5410 モハ3155 1971年6月 クハ1202 クハ411(初代) モハ5411 モハ3552 1972年2月 クハ1203 クハ412(初代) モハ5412 モハ3551 1972年1月 クハ1204 クハ413 モハ5413 モハ3158 1971年10月 クハ1205 クハ414 モハ5414 モハ3553 1972年3月 更新後5000番台(5000系・初代)を称した車両は、1979年(昭和53年)4月1日付で3070番台(3070系)へ一斉改番。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:57 UTC 版)
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車歴
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「広島瓦斯電軌H形電車」の記事における「車歴」の解説
車番竣功改番(1939年)改番(1951年)廃車備考H形(1030形)16 1930年12月 1030 1034 II 1978年9月5日 17 1031 – 1978年9月5日 18 1032 – 1979年12月31日 19 1033 – 1985年4月15日 20 1034 I 1035 1980年12月31日 千田町車庫火災被災車。張り上げ屋根仕様
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車歴
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「富山地方鉄道16010形電車」の記事における「車歴」の解説
車体基準の車歴表を以下に示す。 編成呼称 西武時代 地鉄譲渡(3両固定編成) 2両編成対応化(太字部分が変更) 備考 号車 車番 製造年月 製造所 号車 型式 車番 譲渡年月 改造後型式 改造後車番 竣功年月 第1編成 6 クハ5502 1969.9 日立製作所 1 クハ110形 クハ111 (I) 1995.7 モハ16012形 モハ16012 (II) 2006.3 5 モハ5052 1974.3 西武所沢 2 モハ16012形 モハ16012 (I) クハ110形 クハ111 (II) 2016.2廃車 1 クハ5501 1969.9 日立製作所 3 モハ16011形 モハ16011 モハ16011形 モハ16011 第2編成 6 クハ5508 1970.3 西武所沢 1 クハ110形 クハ112 (I) 1996.4 モハ16012形 モハ16014 (II) 2005.4 2011.12観光列車化 5 モハ5058 1974.5 2 モハ16012形 モハ16014 (I) クハ110形 クハ112 (II) 1 クハ5507 1970.3 3 モハ16011形 モハ16013 モハ16011形 モハ16013 表内では便宜上、クハ111 (II)は第一編成の車両、クハ112 (II)は第二編成の車両としているが、実際の運用では第一編成にクハ112 (II)を組み込むような例もみられた。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 06:18 UTC 版)
1907年(明治40年) : 東京石川島造船所で製造。海軍徳山練炭製造所内での荷役に使用。 1934年(昭和9年) : 下松工業学校に原動機実習教材用として払い下げられる。 1951年(昭和26年) : 同校正門脇に展示される。 1979年(昭和54年)1月 : 同校職員及び生徒による復元作業を開始。 1981年(昭和56年)10月9日・10日 : 同校60周年記念式典にて校庭で公開運転を実施。その後日本国内各地で公開走行・展示が行われる。 1988年(昭和63年)3月12日 : 下津井電鉄に貸与され、客車2両を牽引して下津井駅構内で運転される。 1991年(平成3年)4月1日 : 所有権が下松工業高校から下松工業会(同窓会)へ移管される。 9月 : 1月1日に下津井電鉄が廃止されたため、下松に返却される。 10月15日 : 下松工業高校創立70周年記念として校庭で運転される。 1992年(平成4年)3月16日 : 柳井卸売団地(柳井卸センター)の敷設線路で、下津井時代と同じ客車を牽引した運転を開始。4 - 10月の第2日曜日を運転日としていた。 1996年(平成8年) : 卸売団地の敷地に道路計画があることなどを理由に、運転を終了。10月に日立製作所笠戸工場で走った後、下松市に寄贈され、下松市役所前の展示格納庫に搬入された。 1997年(平成9年) : ボイラーの故障により運行不可能となる。 2004年(平成16年) : 3年間の期限で三岐鉄道北勢線阿下喜駅前に移設。 2006年(平成18年)3月 : 前年から取り組まれてきた動態復元が完了し、復活運転。 2007年(平成19年)4月 : 下松市に戻る。 7月10日 - 9月9日 : 「大鉄道博覧会」(江戸東京博物館)で展示。 2008年(平成20年)1月18日:老朽化や具体的な運転計画がないことを理由に、下松市がこの日で期限切れとなる労働安全衛生法に基づくボイラー及び圧力容器安全規則に定められたボイラーの更新検査を見送ったため、法的に走行不能となり、「当面」の間静態保存へ移行。 2014年(平成26年)1月現在、下松市役所グリーンプラザ展示格納庫 に展示 されている。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:11 UTC 版)
「西武クハ1221形電車」の記事における「車歴」の解説
形式称号車番旧番(国鉄当時)竣功年月改番鋼体化車番実施年月車番実施年月車番竣功年月クハ1221形 (I)クハ1271形 クハ1221 (I) サハ25132 1951年9月 - クハ1425 1953年9月 クハ1221 (II) モハ1027 1954年5月 - サハ1508 1955年4月 クハ1222 (I) サハ25133 1951年9月 クハ1230 (II) 1953年9月 - クハ1413 (II) 1955年9月 クハ1222 (II) モハ1041 1954年5月 - モハ506 (I) 1955年2月 クハ1223 サハ25139 1953年6月 - クハ1417 1955年9月 クハ1224 サハ25141 1951年9月 - サハ1510 1955年5月 クハ1225 サハ25141 1953年8月 - クハ1419 1955年9月 クハ1226 サハ25154 不詳 クハ1272 (I) 不詳 - クハ1317 (II) 1953年5月 クハ1227 サハ25040 不詳 クハ1228 (I) 不詳 クハ1274 不詳 クハ1316 (II) 1953年11月 クハ1229 サハ25157 1953年4月 - クハ1327 (II) 1953年4月 クハ1230 (I) サハ25161 1953年4月 クハ1278 1953年4月 - クハ1311 (III) 1953年4月 クハ1271 サハ25145 1953年6月 - クハ1425 1954年6月 クハ1272 (II) サハ25143 1953年6月 クハ1228 (II) 1954年6月 - クハ1411 (III) 1955年9月 クハ1277 サハ25156 1953年4月 クハ1275 1953年4月 - クハ1322 (III) 1953年4月 サハ2001形 サハ2001 サハ25006 1953年6月 - サハ1501 1954年7月 サハ2002 サハ25003 1953年6月 - サハ1502 1954年7月 サハ2003 (I) サハ25035 1953年4月 - クハ1323 (III) 1953年4月 サハ2003 (II) サハ25026 1954年5月 - クハ1403 1954年9月 サハ2004 サハ25039 1953年6月 - クハ1406 1954年5月 サハ2005 (I) サハ25004 1953年4月 - クハ1325 (III) 1953年4月 サハ2005 (II) サハ25023 1953年8月 - クハ1407 1954年5月 サハ2005 (III) サハ25034 1954年 - クハ1405 1954年9月 サハ2006 (I) サハ25055 1953年4月 - クハ1324 (II) 1953年4月 サハ2006 (II) サハ25020 1953年8月 - クハ1408 1954年5月 サハ2007 サハ25055 1953年6月 - クハ1409 1954年5月 サハ2008 (I) サハ25056 1953年 - クハ1321 1953年4月 サハ2008 (II) サハ25025 1953年6月 - クハ1410 1954年5月 なお、クハ1271形の在籍数およびこれら3形式の車番の変遷については不明な点が多く、その全容は今なお明らかではない。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 06:24 UTC 版)
1989年10月 - 第28回東京モーターショーにて参考出品。参考出品当時は550ccのエンジンを搭載。 1991年11月 - 極小コンパクトボディにFR後輪駆動を採用する、フルオープン2シーターとして発売 前期型EA11R。 1993年6月 - ディープブルーパールを採用した、200台限定モデル特別仕様車「リミテッド」をラインアップ。 1994年3月 - ディープブルーパールを採用した、特別仕様車「リミテッド」第2弾をラインアップ。 9月 - サターンブラックメタリックを採用した、1500台限定モデル特別仕様車「リミテッド」第3弾をラインアップ。 1995年5月 - マイナーチェンジ。後期型EA21R。AT仕様を追加。 1998年8月 - 生産終了。総生産台数:26,583台(うちAT車の販売台数は1,184台)
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 19:33 UTC 版)
北米マーケットにおける各イヤーモデルは、前年の9月頃(前後する場合もある)に発売が開始されることに注意。 1971年モデルのH1Aまではウィンカーはオプション扱いとなっていた。 欧州向けH1はノイズ障害を考慮して CDI に替えてポイント式点火機構を採用。 H1(1969年モデル):初期型 H1A(1971年モデル):タンク意匠変更(リブ廃止) H1B(1972年モデル):レインボーライン、フロントディスク、CDI 点火廃止⇒バッテリーポイント点火に変更 H1D(1973年モデル):テールカウル装着、フレーム変更、グラフィックは日本人のデザイナーによるものに変更、最高出力ダウン(60ps→59ps)H2と共通のフラマグCDI採用 H1E(1974年モデル):キャンディレッド追加、エンジンのラバーマウント化、H2とは異なる一対のピックアップを用いたフラマグCDI採用 H1F(1975年モデル):グラフィック変更、サイドカバーのMACH IIIの文字を廃止 KH500 (A8) (1976年/1977年モデル):最高出力ダウン(59ps→52ps)、シフトパターン変更(ボトムニュートラル → 1ダウン 4アップ)
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:47 UTC 版)
「多摩湖鉄道の鉄道車両」の記事における「車歴」の解説
多摩湖鉄道ジハ101形ジハ101号→武州鉄道キハ15→宮崎鉄道(宮崎交通)ジハ3→ハ13 多摩湖鉄道ジハ101形ジハ102号→金名鉄道キハ2→北陸鉄道キハ1101(1949年車庫火災により焼失)。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 04:55 UTC 版)
「国鉄DD42形ディーゼル機関車」の記事における「車歴」の解説
1955年(昭和30年)9月 - 日本車輌製造にて新製。製造番号 1766。名鉄名古屋本線で試運転実施。 1957年(昭和32年)6月3日 - 国鉄が借入し、DD42 形 DD42 1 号となる。名古屋機関区に配置。主に笹島駅の構内入換に使用。 1958年(昭和33年)3月31日 - 国鉄を除籍、日本車輌に返却される。 1958年(昭和33年)7月 - 常総筑波鉄道が購入し、DD90 形 DD901 号となる。常総線の水海道機関区に配置。 1965年(昭和40年)6月1日 - 常総筑波鉄道は合併で関東鉄道となる。 1972年(昭和47年)3月 - 水海道機関区でエンジンと液体変速機を換装。 1974年(昭和49年)11月26日 - 鉾田線の石岡機関区に転属。 1979年(昭和54年)4月1日 - 鉾田線は鹿島鉄道として関東鉄道から分社化。 1988年(昭和63年)3月13日 - 最終営業走行。 1988年(昭和63年)3月31日 - 廃車。石岡機関区、のち常陸小川駅の側線にて静態保存。 2007年(平成19年)2月27日 - 常陸小川駅にて解体。1両のみであったため現存しない。
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「広島電鉄5000形電車」の記事における「車歴」の解説
市内線・宮島線直通用として、乗降の利便性を図るため当車が投入された。 第1編成は製造時期と補助金の申請期限の関係でドイツ・ハーン空港から、ヴォルガ・ドニエプル航空の大型輸送機An-124に載せられ、1999年3月13日に広島空港へ空輸された。その後、車両は広島空港から広島市中区江波にある江波車庫に搬入され組み立てられた。なお、第2編成以降はドイツから船で送られている。 同年4月から試運転を行い、6月9日、広電宮島駅(現在の広電宮島口駅)発の記念列車から運行を開始した。以降2002年までに12編成が投入され、市内線系統でも使用されるようになった。全車にスリップ防止のための砂撒き装置が設置されている。 しかし、広島の気候と合わない部分があること・車両価格や部品調達コストが高額なこと・部品調達に時間がかかり過ぎることなどが問題となって2002年で増備が打ち切られ、以降の新造は国内メーカーとの共同開発による5100形へ移行した。更に、2009年に5007号が部品取りとなって以降は休車ないしは廃車が相次いでおり、2021年現在はおよそ半分ほどの編成しか稼働していない状態である。 2004年3月12日にメーカー側がコンビーノシリーズのリコールを発表した。内容は、屋上の連結装置取付部の強度不足が原因で周辺の構体に細かい亀裂が入り、放置すれば衝突事故などで屋根部が落下する危険があるとされるもので、5000形も全車が対象となり、2007年以降オーストリアのシーメンス関連工場に送り込まれた。
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車歴
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デハ2700形 車号 製造年月 改造1 改造年月 改造2 改造年月 廃車年月 デハ2701 1953年3月 1977年12月 デハ2702 1977年12月 デハ2703 M化 1970年3月 1979年11月 デハ2704 M化 1970年3月 1979年11月 デハ2705 1979年11月 デハ2706 M化 1970年3月 1981年2月 デハ2707 1953年10月 1979年11月 デハ2708 M化 1970年3月 1981年2月 デハ2709 1979年11月 デハ2710 M化 1970年3月 1981年12月 デハ2711 デワ221 1982年1月 1986年3月 デハ2712 M化 1970年3月 1981年12月 デハ2713 サハ2514 1966年10月 1981年2月 デハ2714 サハ2564 1966年10月 1981年2月 デハ2715 サハ2569 1964年2月 1981年2月 デハ2716 サハ2519 1964年2月 1981年2月 デハ2717 クハ2788 1964年2月 サハ2516 1966年6月 1981年2月 デハ2718 サハ2565 1966年6月 1981年2月 デハ2719 サハ2566 1966年6月 1981年2月 デハ2720 クハ2785 1964年2月 サハ2515 1966年6月 1981年2月 デハ2721 1956年9月 クハ2790 1964年2月 サハ2563 1969年1月 1984年3月 デハ2722 サハ2568 1965年9月 1981年2月 デハ2723 クハ2786 1964年2月 サハ2561 1969年1月 1981年12月 デハ2724 クハ2787 1964年2月 サハ2511 1969年1月 1981年12月 サハ2750形 車号 製造年月 改造 改造年月 廃車年月 サハ2751 1953年3月 サハ2567 1965年9月 1981年2月 サハ2752 サハ2517 1965年9月 1981年2月 サハ2753 サハ2518 1965年9月 1981年2月 サハ2754 1962年1月 サハ2570 1964年2月 1984年3月 サハ2755 サハ2520 1964年2月 1984年3月 クハ2770形 車号 製造年月 改造 改造年月 廃車年月 クハ2771 1953年10月 サハ2512 1969年1月 1981年12月 クハ2772 1977年12月 クハ2773 1979年11月 クハ2774 1979年11月 クハ2775 1979年11月 クハ2776 1981年2月 クハ2777 1979年11月 クハ2778 1956年9月 1981年2月 クハ2779 1979年11月 クハ2780 1981年12月 クハ2781 1981年2月 クハ2782 1981年12月 クハ2783 サハ2513 1969年1月 1984年3月 クハ2784 サハ2562 1969年1月 1981年12月 1965年から1969年の間、デハ2700形よりクハ2770形の両数が多くなっているが、これらはデハ2600形と2両編成を組んでいる。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 17:42 UTC 版)
「東武モハ5320形電車」の記事における「車歴」の解説
形式 車番 竣功年月 落成時車番 落成年月 製造メーカー 更新 更新年月 備考 モハ5310形モハ5320形モハ5800形 モハ5317 1964年7月 クハ510 1950年5月 日車東京 モハ5301 1974年10月 モハ5318 1965年3月 クハ511 1950年5月 日車東京 モハ5302 1974年11月 モハ5319 1965年9月 クハ512 1950年5月 日車東京 モハ5103 1974年8月 モハ5320 1952年1月 クハ554(初代) 1951年12月 宇都宮 モハ5501 1974年1月 モハ5321 1952年1月 クハ555(初代) 1951年12月 宇都宮 モハ5502 1974年2月 モハ5322 1952年1月 クハ552(初代) 1951年12月 汽車製造 モハ5503 1974年3月 モハ5323 1952年1月 クハ553(初代) 1951年12月 汽車製造 モハ5102 1974年7月 モハ5324(2代) 1966年3月 クハ514 1950年5月 日車東京 モハ5303 1974年9月 モハ5800 1952年11月 クハ550(初代) 1951年12月 日車東京 モハ5106 1975年2月 電動車化当初の車番はモハ5324(初代) モハ5801 1952年12月 クハ551(初代) 1951年12月 日車東京 モハ5306 1975年3月 電動車化当初の車番はモハ5325 クハ340形クハ350形 クハ340 1952年1月 クハ522 1951年3月 汽車製造 クハ5602 1974年2月 クハ341 1952年1月 クハ523 1951年3月 汽車製造 クハ5601 1974年1月 クハ342 1952年1月 クハ520 1950年7月 日車東京 クハ5603 1974年3月 クハ343 1952年1月 クハ521 1950年7月 日車東京 クハ5402 1974年7月 クハ344 1952年11月 クハ518 1950年7月 日車東京 サハ5206 1975年3月 クハ345 1952年12月 クハ519 1950年7月 日車東京 クハ5406 1975年2月 クハ346 1961年8月 クハ506 1950年7月 汽車製造 クハ5401 1974年6月 クハ347 1962年3月 クハ507 1950年7月 宇都宮 クハ5604 1974年4月 クハ348 1964年7月 クハ505 1950年7月 汽車製造 サハ5202 1974年11月 クハ349 1965年3月 クハ513 1950年5月 日車東京 サハ5201 1974年10月 クハ355 1965年9月 クハ508 1950年7月 宇都宮 サハ5203 1974年9月 クハ356 1966年3月 クハ509 1950年7月 宇都宮 クハ5403 1974年8月 更新後5000番台(5000系・初代)を称した車両は、1979年(昭和53年)4月1日付で3070番台(3070系)へ一斉改番。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 00:51 UTC 版)
「高松琴平電気鉄道10形電車」の記事における「車歴」の解説
もともとは、京浜電気鉄道デ41号形で、1921年(大正10年)藤永田造船所製である。両運転台の電動車で、窓配置はC5-D7D7D。 前面は半円形で、中央に運転台があった。木造ながら、車体の一部に鉄骨を用いトラス棒を省略したのが特徴である。また屋根はシングルルーフであるが、前面中央の方向幕を避ける為に、雨樋がその部分だけ上に曲がっている。 1941年(昭和16年)に京浜電気鉄道が東京横浜電鉄に合併し東京急行電鉄となった際に、デハ5120形となり、その後、一部が電装解除されてクハ5120形に改称された。戦後、京浜急行電鉄が独立した際にデハ120形・クハ120形となった。京急に最も遅くまで残った木造車だが、1958年(昭和33年)に名義上600形(初代)に改造されて消滅した。 このうち6両の車体を、1959年(昭和34年)に琴電が譲り受け、窓配置、屋根はそのままで鋼体化を実施。うち2両を電装して11・12、4両を91 - 94とした。 新しい車体は窓上下の補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)を廃した平滑なもので、戸袋窓は全車Hゴム支持となった。しかし、客用窓は91が木枠の上段固定・下段上昇式、92は木枠の一段下降式、その他がアルミサッシと分かれた。また、前面は3枚窓になり、中央に貫通扉を設けた。これにともない、運転台は中央から左隅に変更されたが、側面窓配置の変更はおこなわず扉幅を890mmから700mmに狭めるに留めたため、奥行きの狭い、大変窮屈なものとなった。なお、雨樋は木造時のものを流用したため、特徴あるその形態が残った。 架線電圧が600Vの長尾線・志度線で使用された。1967年(昭和42年)の志度線昇圧後は1500V化の上で同線で使用。さらに1974年(昭和49年)に、11・12が長尾線に転属している。 1976年(昭和51年)の長尾線昇圧後は、再び全車が両線で使用されたが、程なく30形(3代)の転入が始まり、90形は1980年(昭和55年)に、10形も1983年までに廃車になった。
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車歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 21:29 UTC 版)
ホンダ・初代シビックCVCC いすゞ・ジェミニZZ/Tセダン ヤマハ・SR400(オートバイ) フォード・マスタング・マッハI (共同所有) プジョー・504D シトロエン・CXシリーズ1 マツダ・3代目カペラ プジョー505GTI TVR・グリフィス500 トヨタ・カルディナ ポルシェ・ボクスター ポルシェ・現行型718ボクスター 職業上あらゆるクルマに乗る機会の多い金子だが、自ら乗るモデルに対しては、「10年10万キロを続けているし、そもそも気に入ったクルマには長く乗りたい。服や靴のように肌に馴染んでいく感覚が好き」としている。車歴が示すようにいわゆる王道というより、ひとひねりを効かせたクルマ選びを好むことが見て取れる。その点は作風にも現れていて、「速いとか遅いとか、ハンドリングや乗り心地とか、スペックや装備の羅列などの“説明”ではなく、そのクルマの存在意義やモデルチェンジの意味などを“解釈”して書くことを心がけている」という。
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