完成
落成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:23 UTC 版)
新しい建物の完成の費用は1874年の間で750万フラン以上となった。総額は過去13年間に使われた金額を大幅に超過していた。第3共和政の資金難の政府は最後の手段として490万ゴールドフランをフランソワ・ブランとモンテカルロカジノで遊ぶ裕福な金融家から6%の金利で借りることになった。のちに1876年から1879年、ガルニエはモンテカルロカジノのコンサートホールのデザインと建設を監督している。「ガルニエの間(Salle Garnier)」はのちに「モンテカルロ歌劇場」の本拠地となった。 1874年の間、ガルニエは、彼の建設チームを新しいオペラ座の完成のために一心不乱に働かせている。10月17日までに、オーケストラは新しい観客席から試験演奏ができるようになった。続く12月2日までには関係者、賓客、報道陣を招いて試験演奏をもう一度おこなった。12月2日にパリ・オペラ座バレエは最初のダンスをした。6日後にはのちに有名になるシャデリアが初めて取り付けられた。 1875年1月5日、劇場は正式に落成した。マクマオン大統領、ロンドン市長、スペイン国王のアルフォンソ12世らが臨席した豪華なガラパフォーマンスがこけら落としとなった。上演プログラムにはフランソワ・オーベールの序曲『ポルティチの唖娘(w:La muette de Portici)』、ジョアキーノ・ロッシーニの『ウィリアム・テル』、ジャック・アレヴィの1835年のオペラ『ユダヤの女(w:La Juive)』の第1幕第2場(ガブリエル・クラウス(w:Gabrielle Krauss)がタイトルロール)、『剣の聖別』によるジャコモ・マイアベーアの1836年のオペラ『ユグノー教徒(w:Les Huguenots) 』、レオ・ドリーブ とレオン・ミンクス作曲の1866年のバレエ 『泉(La source)』などであった。 ソプラノがシャルル・グノーの『ファウスト』の第1幕で病気で倒れたので、アンブロワーズ・トマの『ハムレット』は省略された。休憩の間、ガルニエは観客の称賛の拍手を受けるために大階段の踊り場に立った。
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