レスポール関係ないし、他
・熱帯地方、大阪。真夏の日中の室温は38度がデフォルト。
・幾らクリプトンを批判しようと、これは「みんなやってるのになんで俺(コレ)だけ」という理屈にしかなり得ない。要はその理屈を肯定するか否かの問題。公平性を問えば墓穴を掘る結果になるだろう(他のものに対する規約の扱いがより厳格化するだけ)。>ニコニコ動画における動画削除について
・まあ「ソフトウェアの使用許諾契約なんて糞食え」みたいなアナーキーな主張をする人にはもう「頑張って革命を成し遂げてください」くらいしか言うことが無いけど。
・クリプトンが自身の損害を覚悟してまで一つの貶め動画の存在を守らなければならない理由が見つからない。
・するとなんだ、初音ミクは楽器じゃないわけだ<「王シュレット」だって問題視された。つまりこれは必ずしもミク固有の問題とは言い切れないはずだ(――対象に落ち度があるからこれは「王シュレット」とは違うと思う人もいるかもしれないが、幾ら対象に落ち度があろうと、それを理由に不必要な暴力(嫌がらせ)を振るうことは許されない。何故なら、罪は相殺されずただ双方に積み重なっていくだけだからだ。まあ罪という概念を認めるならばの話だが)。
・そもそも、ミクを「言葉を扱う言論装置としては不完全」と言っておきながらレスポールを引き合いに出すところに姑息さを感じる。ギターそのものは「言論装置」じゃないだろう。何故それを同列に扱おうとするのか。それはウォシュレットを作った人が「自分の作った便器がどう使われようと文句は言わなかった」というのと同じ。というか、実際には作った人はともかく社会的には問題視され、それ(「王シュレット」)を放送したテレビ局は謝罪を余儀なくされたけどね。
・レスポール氏は本当にこういった貶め系動画に対して(或いは契約違反について)それを問題視しないタイプの思想の持ち主だったのか?その確認も取らずに勝手に彼を後ろ盾にしようとするのはどうなのか。大体、無理やり関連付けて偉人を引っ張り出し、その威光に頼ることで自説の正しさを印象補填しようとするその手法自体がいやらしい。
・別に「やるな」とは言わんが、それが削除されたら「やっぱり削除されちゃったね」で済ますべき話なんじゃないか、これは。表現したければ他に幾らでもその手段があるわけだし。ミクを介在させる以外に表現手段が存在しない世界ならばまた話も変わってくるが。
・「表現の自由」を理由に貶めを良しとするなら、例えば『アッコにおまかせ』の例のVTRみたいなものに対する批判の根拠を失ってしまうわけだが、それでもいいのだろうか。まあどのみち「表現の自由」は契約違反の言い訳にはならないけど。別に無茶な内容の契約でもないし。
※↑この話題については後で続きを書いた
・今年の世界陸上に於ける織田雄二がずいぶん大人し目なのは、きっと山本高広のアレが関係しているに違いない。山本高広は当人から煙たがられながらもモノマネという表現の自由を実行中。まあ彼もそれがウケなくなればそのうち芸能界から消されるかもしれないけどね。
・モノマネと言えば、稲川淳二のモノマネをしているBBゴローという人のソレが面白い。
・モノマネといっても、この人は話の内容ではなく形式だけを真似する。実際に話をしている内容はといえば、ただ店に入って親子丼を食べたとか、単によくある日常の一コマでしかない。しかしその普通の出来事を稲川淳二の作り上げた形式に当てはめて語ることで俄然それっぽくなり、それを「稲川淳二」として認識しそうになる。
・つまり彼のモノマネは、稲川淳二のあの芸が如何に形式ばっているか、そして実は内容以上にあの形式こそが彼の芸の根幹であったということを明らかにしてしまう。もし彼の話の内容をそっくりコピーしたところで、形式を真似なければ誰もそこに「稲川淳二」を見ないだろう。また、稲川淳二があの形式を完成させていなければ、彼は今ほど人を惹きつけることはなかっただろう。
・形式が話の内容を上回る求心力を持つ。ある種の本末転倒。しかし現に多くの人々がその本末転倒に惹きつけられてきたという現実がある。あのモノマネは、人間の持つそういった滑稽さを炙り出してしまう、そういう面白さを持っている。
・この手の話は都市伝説とか陰謀論というより、「民話」と言った方がしっくりくるような気がするな。>nikaidou.com: 本当に悪い奴がいる
・幾らクリプトンを批判しようと、これは「みんなやってるのになんで俺(コレ)だけ」という理屈にしかなり得ない。要はその理屈を肯定するか否かの問題。公平性を問えば墓穴を掘る結果になるだろう(他のものに対する規約の扱いがより厳格化するだけ)。>ニコニコ動画における動画削除について
・まあ「ソフトウェアの使用許諾契約なんて糞食え」みたいなアナーキーな主張をする人にはもう「頑張って革命を成し遂げてください」くらいしか言うことが無いけど。
・クリプトンが自身の損害を覚悟してまで一つの貶め動画の存在を守らなければならない理由が見つからない。
・するとなんだ、初音ミクは楽器じゃないわけだ<「王シュレット」だって問題視された。つまりこれは必ずしもミク固有の問題とは言い切れないはずだ(――対象に落ち度があるからこれは「王シュレット」とは違うと思う人もいるかもしれないが、幾ら対象に落ち度があろうと、それを理由に不必要な暴力(嫌がらせ)を振るうことは許されない。何故なら、罪は相殺されずただ双方に積み重なっていくだけだからだ。まあ罪という概念を認めるならばの話だが)。
・そもそも、ミクを「言葉を扱う言論装置としては不完全」と言っておきながらレスポールを引き合いに出すところに姑息さを感じる。ギターそのものは「言論装置」じゃないだろう。何故それを同列に扱おうとするのか。それはウォシュレットを作った人が「自分の作った便器がどう使われようと文句は言わなかった」というのと同じ。というか、実際には作った人はともかく社会的には問題視され、それ(「王シュレット」)を放送したテレビ局は謝罪を余儀なくされたけどね。
・レスポール氏は本当にこういった貶め系動画に対して(或いは契約違反について)それを問題視しないタイプの思想の持ち主だったのか?その確認も取らずに勝手に彼を後ろ盾にしようとするのはどうなのか。大体、無理やり関連付けて偉人を引っ張り出し、その威光に頼ることで自説の正しさを印象補填しようとするその手法自体がいやらしい。
・別に「やるな」とは言わんが、それが削除されたら「やっぱり削除されちゃったね」で済ますべき話なんじゃないか、これは。表現したければ他に幾らでもその手段があるわけだし。ミクを介在させる以外に表現手段が存在しない世界ならばまた話も変わってくるが。
・「表現の自由」を理由に貶めを良しとするなら、例えば『アッコにおまかせ』の例のVTRみたいなものに対する批判の根拠を失ってしまうわけだが、それでもいいのだろうか。まあどのみち「表現の自由」は契約違反の言い訳にはならないけど。別に無茶な内容の契約でもないし。
※↑この話題については後で続きを書いた
・今年の世界陸上に於ける織田雄二がずいぶん大人し目なのは、きっと山本高広のアレが関係しているに違いない。山本高広は当人から煙たがられながらもモノマネという表現の自由を実行中。まあ彼もそれがウケなくなればそのうち芸能界から消されるかもしれないけどね。
・モノマネと言えば、稲川淳二のモノマネをしているBBゴローという人のソレが面白い。
・モノマネといっても、この人は話の内容ではなく形式だけを真似する。実際に話をしている内容はといえば、ただ店に入って親子丼を食べたとか、単によくある日常の一コマでしかない。しかしその普通の出来事を稲川淳二の作り上げた形式に当てはめて語ることで俄然それっぽくなり、それを「稲川淳二」として認識しそうになる。
・つまり彼のモノマネは、稲川淳二のあの芸が如何に形式ばっているか、そして実は内容以上にあの形式こそが彼の芸の根幹であったということを明らかにしてしまう。もし彼の話の内容をそっくりコピーしたところで、形式を真似なければ誰もそこに「稲川淳二」を見ないだろう。また、稲川淳二があの形式を完成させていなければ、彼は今ほど人を惹きつけることはなかっただろう。
・形式が話の内容を上回る求心力を持つ。ある種の本末転倒。しかし現に多くの人々がその本末転倒に惹きつけられてきたという現実がある。あのモノマネは、人間の持つそういった滑稽さを炙り出してしまう、そういう面白さを持っている。
・この手の話は都市伝説とか陰謀論というより、「民話」と言った方がしっくりくるような気がするな。>nikaidou.com: 本当に悪い奴がいる
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