中教審大学分科会の論点整理(2016年2月)には、次のような問題があると感じていた。間もなく出る予定の将来構想部会の中間まとめにも、同様の問題があると思う。
(1) 大学・大学院の分野ごとの収容定員について考え方を示していない。
(2) 国・公・私立の役割分担について考え方を整理していない。
(3) 高等教育機会の地域のバランスに関して考え方を示していない。
(4) 財政負担の在り方に関して考え方を示していない。
(5) わが国の大学・大学院の質保証について考え方を示していない。
本質的な問題から逃げていても、産業界等から突き付けられている大学改革への的確な答えにはたどり着けない。また、文部科学省自身が主導権を握ることもできない状況に陥っている。官邸の威光を利用して介入されるのを、長いものには巻かれるしかないと半ばあきらめつつ、あわよくば骨抜きにしようと受け身の姿勢を貫いているだけである。いつになったら主体的に行動するのだろうか?
大学改革について、私が常々感じてきている構造的な問題を列挙すれば、次のとおりである。グランドデザインでは、これらの課題への解決策を一巻のシナリオとして提示しなければならない。それだけに、皆がハッピーになる答えにはならない。
(1) 世界の大学ランキングで、わが国の大学の評価が下降している。研究力の低下が最大の原因であるが、言語も外国人の参入障壁となっている。
(2) 人口減の地域では、充足率が低下して経営困難に陥る私学が増えている。人材の首都圏等への流出が止まらない。
(3) 大学の名に値しない教育内容に陥っているものが排除されていない。質保証システムが真に機能していない。
(4) 外国人留学生制度が、外国人雇用の抜け穴として利用されている。本来、大学・大学院は、外国人の専門人材を育成して、わが国に定着させる役割を担うべきである。
(5) 財政支援に関しては、機関対象、個人対象とも国立に偏しており、家計負担が重くなりすぎているために、対象者を広くとる所得連動返済型のローンの導入が検討されている。また、貧困層には給付型で進学を支援する方針である。しかし、こうした検討において、国立偏重の財政支援への変革はあまり意識されていない。
(6) わが国では大学院の社会的な価値が高まらない。かたや海外に出た際には、博士・修士の学位を有していない者は、一人前と認められない。
(7) 国立大学の学部・学科の構成・規模は、今日の人材需要に必ずしも適合していない。大学任せでは既得権が打破できないため、根本的な変革ができない。
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