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アグリサイエンスと「土」=堀井泰孝

生家の前に建つ長塚節の銅像=茨城県常総市国生で2024年11月27日、堀井泰孝撮影
生家の前に建つ長塚節の銅像=茨城県常総市国生で2024年11月27日、堀井泰孝撮影

 「勘次はいよいよ雇われて行くとなった時収穫を急いだ」。茨城県国生村(現常総市)出身の作家、長塚節(1879~1915年)は長編小説「土」で、明治期の鬼怒川沿いの貧しい農村を描いた。「冬至が近づく頃には田はいうまでもなく畑の芋でも大根でもそれぞれ始末しなくてはならぬ」。物語の序盤に、主人公が洪水対策工事の出稼ぎに向かう前の慌ただしい師走の情景も記されている。

 その時代から1世紀余。2015年の関東・東北豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、常総市は甚大な被害を受けた。市は復興の象徴として大規模農業団地「アグリサイエンスバレー常総」の開発を急ぐ。変わりゆく古里。長塚が生きていれば、何を思うだろうか。

 長塚は、約20ヘクタールの田畑で小作人を使う豪農の長男として生まれた。正岡子規に師事し、小説にも挑戦した。夏目漱石の推薦で、1910年6月から約5カ月、東京朝日新聞(現朝日新聞)に「土」を連載した。漱石は「ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長したあわれな百姓の生活である」などと紹介し、「娘が年頃になったら、余はぜひ読ましたいと思っている」と絶賛した。

 小作人の勘次一家の貧しい生活や自然、四季、人、風俗などを写実的に描く、農民文学の先駆け的な作品だった。長塚はその中でつづる。「貧乏な小作人の常として彼らはいつでも恐怖心に襲われている」「彼らは到底その土に苦しみ通さねばならぬ運命を持っているのである」

 常総市は県南西部に位置し、中央を鬼怒川、東側を小貝川が北から南に流れる。水に恵まれ、肥沃(ひよく)な土壌を生かした水田が広がる穀倉地帯だ。

 連載が始まって間もない8月、鬼怒川と小貝川が氾濫した。「いはらき」(現茨城新聞)は「濁浪(だくろう)天を衝(つ)き、毒波(どくは)地を覆ひ」との書き始めで、風雨がやまなければ「茨城一帯の山河哀れ糜爛(びらん)滅裂して、二十万町歩の耕田遂(つい)に一粟(いちぞく)無きに了(おわ)らん」などと報じた。

 「土」にも洪水の場面がある。…

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