失われた桃園橋のこと

 Img_4647

桃園川に架かる桃園橋。この立派な橋が撤去された。

桃園川は杉並区と中野区を流れていた川だが、その遺構のありようは、2つの区で異なっている。
大きな特徴を挙げるなら、杉並区にはコンクリート蓋暗渠の支流が多く残り、中野区には立派な石橋が残る(両者、逆は少ない)ということ。中野区に残る立派な石橋は、かうしん橋、宮園橋、そしてこの桃園橋だ。この3橋はそれぞれに秀でた特徴があり、どれも良い。

その3橋のうちの一つ、桃園橋が撤去されることになった。
もともと、桃園橋付近は、周辺の店が建て替えられては後ろに引っ込んでゆくので、道路の拡張があるのだなと理解はしていた。桃園食堂であるとか、中野センターであるとか、実に味わい深い、古き良き建物がこの10年でどんどんなくなった。桃園川脇の食堂三好弥のみが、建て替わっても営業を続けてくれるので救われていた。


したがって、
「桃園橋もいつかなくなってしまうかもしれない。」
これは、何年もの間、頭の中に常にある心配事だった。

けれど一向にそんな気配もないし、桃園橋は御成橋でもある立派な橋(中野区の文献にもやたらと出てくる)なのだから、きっとこのままいけるのかもしれない。と、最近はちょっと安心もするようになっていた。

そんな中での、工事の情報。

Img_4664

令和3年4月1日から、令和5年8月9日まで、桃園川緑道を一部通行止めする、という立て札。そして、桃園橋撤去の報。

嗚呼、ついにきてしまった。
一旦(なぜか)安心してしまったわたしにとっては、ジェットコースターのように落胆する感覚があった。

 

桃園橋はなんだか立派すぎるので、そういえばこの橋をきちんと見つめたことはまだなかったかもしれない。
どのような橋だったのか、ということを、手持ちの資料から少しだけまとめてみる。

『新編武蔵風土記稿』の中野村桃園図に、桃園川が寄生虫のようにニョロニョロと描かれる。ここに載る橋が桃園橋だ。

Photo_20210814082501

吉宗が桃を植えさせ、行楽地とした中野の桃園は、現在のマルイの裏あたりの丘。中野五差路がその入り口であるという。
桃園は鷹狩りの場所でもあり、吉宗以降の将軍たちが訪れている。桃園橋は、将軍が桃園に鷹狩りに行く時の御成橋であった、というわけだ。
(中野五差路には、今でもなんとなく「境界」感がある。あの感じは江戸から続くものと考えると、少しおもしろい。)

将軍が通る際、桃園橋の橋板は「将軍のための橋板」に取り替えられる(赤絨毯のような感覚だろうか?)。その橋板を保管していた場所が橋場であり、「橋場橋」はもう少し下流にある(たしか、天神川との合流点近く)。
桃園川に架かる橋は数多あるが、桃園橋はとりわけ「重要」で、「有名」な橋だったのだ。

また桃園橋は、吉宗の頃には「石神井橋」と呼ばれていたと書くものもある。桃園川を石神井川だと勘違いした人による呼び方だと思うが、それゆえ「石神井橋」も間違いだろう。
前にも書いたことがあるが、桃園川はその呼ばれ方がある時期まで揺れている。公的な資料においても、だ。

中野町誌によれば、昭和7年頃の橋梁表には、桃園橋は”善福寺分流”に架かる”木橋”として載っている。幅は4.65m。
善福寺分流と呼ぶのは、天保時代に善福寺川から取水した天保新堀用水を桃園川につなげたことを考えると、間違いではない、とわたしは思う。

中野区誌に載る昭和12年12月の橋梁表には、桃園橋は、”桃園川”に架かる”鋼鉄桁橋”とある。令和まであったものと同一だ。

昭和18年の中野区誌には、桃園川は”中野川”として載っている。つまり、桃園川の名称がブレていた頃でも、桃園橋はすでに桃園橋であった。「桃園川に架かる橋」というよりは、「桃園に向かう橋」の意でつけられたということなのか。そもそも、いつ名付けられたのか。これまた、桃園川の名称同様、迷宮入りしそうなテーマである。

 

以下は、昭和8年の火災保険特殊地図に載る桃園橋。橋の様子はわからないが、もうこの頃には川の名前はさておき、「桃園橋」だ。そしてこの3年後、昭和11年に、桃園橋は立派なものに架け替えられる。

 

Photo_20210814082601

 

 

撤去が知らされた後、メンズノンノから撮影協力の依頼が舞い込んだ。
宮沢氷魚さんが暗渠好きなので、どこかの暗渠で撮影がしたい、という。当初の依頼内容からわたしは違う暗渠を発想していたのだが、暗渠マニアックス間で検討し、桃園川にして「中央線」と絡め、桃園橋の勇姿も写してもらおう、という計画とした。

 

Img_4659 

桃園橋で談笑する、氷魚さんと高山氏。撮影日は奇跡的に3月末(この日になったのは氷魚さんの都合だったので、わたしはこれ以来、氷魚さんを「持ってる人」だなと思うようになる)。氷魚さんも、撤去の寸前であることを知って驚いていた。


撮影中、「この橋、私と同じ歳なのよ」と言って通り過ぎる女性がいた。その女性は桃園橋を愛おしそうに見ていた。
ここに川が流れ、橋があったことにも気づかない人がいる一方で、愛で続ける人もいる。その女性を引き止めて話したくて仕方がなかったが、撮影中だったので、おとなしくしていた。

Img_4653

撮影のため、クルーは上流に遡っていく。これでこの姿は最後になるな、と思い、何度も写真に撮った。

Img_4671

これまで撮った写真と、特に変わらないかもしれない。けれど、何度も撮った。そしてこの位置でしばらく、橋を見つめていた。いつになく去り難かった。

 

 

出来上がったメンズノンノには、まさかの暗渠が。桃園川に桃園橋が。これはもう宝物だと思って、大事にしまってある。

紙面だけではなくて、webにも記事があり、また、動画も残っている。桃園川撤去寸前の、貴重な記録といえる。
宮沢氷魚のタイムレスに会いに行く 第6回

この回のおかげで、宮沢氷魚さんのファンのかたが暗渠に興味を持ってくださるなど、うれしいことも起きた。暗渠はやっぱり、人をつなぐ。

 

 

4月1日以降、計画通りこの区間の桃園川緑道は通行が止められ、橋は覆われた。
しばらくは桃園橋はそこに佇んでいたが、ついにスッパリと斬られ、消えてしまった。

Img_9269

 

撮影時に「同じ年だ」と言っていた女性の顔が頭をよぎる。あの女性は、どんな心持ちでこの道を通るのだろう。

 

一方で、この斬り方には、保存しようという意思も感じる(する気がなければ、砕いて終わりなのではないか)。この後、どこかで桃園橋を見ることができるだろうか? 中野区の資料館か、はたまたこの場所に剥製のように戻すのか。

(あえて、問い合わせていないので)その情報はないけれど、わたしはいつかその時がくるのを、待っている。

 

<参考文献>
『中野町誌』昭和8年
『中野区誌』昭和18年
『中野区誌 下巻二』昭和29年
中野区中央図書館「中野の橋あれこれ」H15
中野区立歴史民俗資料館 「地域教材情報 No.8」
中野区立歴史民俗資料館 「地域教材情報 No.39」


 

| | コメント (1)

『水路上観察入門』、書きました

4月27日、『水路上観察入門』(KADOKAWA)を上梓することとなりました。
そのお知らせと、どのような本なのかを、つづりたいと思います。

Tempimagedga6lb


水路上とは、暗渠、ただし地上部分を主に指すものと思っていただければと思います。


------------


原稿を書いている時期、概ね世の中はCovid-19の影響で、これまでとは異なる行動パターンを人々は余儀なくされていた。あるいはこの本が出た後もそうなのかもしれない。2020年春から夏にかけ、外を出歩くことはできるだけ控えたいと思いつつも、わたしは何度か暗渠を歩きに出掛けた。そこで毎回認識されたのは、「こういうとき、人は開渠沿いの道を歩く」か、「緑道を歩く」ということだった。見たことのないような人の群れが、主に開渠沿いを、歩いたり走ったりしていた。


開渠や緑道から分岐していく支流の暗渠はたくさんあるし、開渠が見えるような近さで並行してはしる、用水路の暗渠だって存在する。しかし、それらの支流や用水路の暗渠(そここそがわたしのホームグラウンドである)に足を踏み入れた途端、人はいなくなるのだった。健康のための散歩やランニング、かつ、ソーシャルディスタンスをとって。という状況に最も適合している路なのに、人がいない。つまりそこは、路であることを知られていない、「路であっても路でない」と場所なのだろう。


「水路上」とは、「路であって路でない」。だからこそ人は訪れず、快適に歩ける。しかし、「水路上」の魅力は、それだけではない。

(↑ここまでは、「はじめに」のボツになった部分。)


本書の前半では、わたしが考える「水路上」の魅力について、書いていく。
これまでの「暗渠」にかんする記述と少し変えているのは、水路上にある「アイテム」であるとか、「1つの場所」に限って深堀りをしている点だ。
深堀りして書く、というのはどうもわたしの性質であるらしく、気になると調べ始め、すると楽しくなってきて、気が済むまで調べてしまう。今回の本では、あまり知られていない資料や、いくつものインタビュー(個人からお店からお役所まで、とっってもお世話になりました!)が背景にあるので、役に立つかどうかはさておき、暗渠にまつわる他には無いような資料にもなっている、と思う。
役に立つかどうかは、さておき(2回言いました)。


そのようなわけで、前半は「水路上」を「観察」しながら気になったことへの読み解きを、1節につき1事例ずつ、紹介していく。以下、各節のキーワードとともに、全体(前半のみ)を概観する。


明らかな街角の違和感から入り、読み解く第一章。
<長細> 長すぎる公園への違和感とそこにある歴史。事例:西小山の立会川
<配列> 街角や地図上にある不思議な空間。事例:高島平
<遊具> 変わった遊具が隠し持つ秘密。事例:遊具2種


水路上のもつ特徴を事例から考える第二章。
<裏側> 裏路地よりもさらに裏、その魅力とは。事例:小沢川
<境界> 水路上にできた境界のもつ魅力とは。事例:谷田川・藍染川
<複雑> 解けない謎を抱えるのも良い、解けると本当に面白い。事例:竪川


一見そこまで変ではないけれど、気づいたらその場所全体から浮かび上がる、強い水の記憶を描いた第三章。
<謎池> ちょっとした違和感の先に知られざる歴史。事例:今川橋
<弁天> 郷土史上の不思議さの先にあった個人の営み。事例:代官山の弁財天


そしてバトンタッチのコラムを挟み、後半へ。
後半は共著者の高山氏が、「水」の視点から今ある風景を見た「路上観察」をいきいきと展開する。そちらの説明は、高山氏に譲りたい。


-------------


こんな本です。
(カドカワさんのページはこちら。)


できるだけ書店さんで買って欲しいという思いがありますが、感染状況が悪化しているため、なかなか、これまでのような書店さんと連携したイベントが組めません。購入者用のツアーも、対面のトークも難しい。企画しながらもあれこれ変化が生じてしまい、去年の暗渠パラダイス!の発売時を思い出すようです。


せめて近所の本屋さんで、あるいは知っている本屋さんの通販で、買っていただけたらと思い、販促用しおりなどを用意しました。その情報については、整い次第お知らせします。


『水路上観察入門』、どうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (2)

日本経済新聞の暗渠記事に取材協力しました

東京・渋谷川の暗渠をたどる」という記事。

Img_3015

渋谷付近に行く頻度がめっきり減ったせいか、なんだか行くたびに渋谷川周辺も変わっている印象があります。

「蛇」の証言は、渋谷川といえばの梶山公子さんと一緒に渋谷川を歩いているときに、参加されていた方のものでした。当時はまだその一角はちょっとさみしい感じの駐輪場で、渋谷川のちょっと汚れた護岸やら水面をわたしは想像することができ、そこに蛇を(脳内で)泳がせました。

東京人のロケハンにやってきたとき、その空間は既に駐輪場ではなく、まっさらで真っ白に整備された、立ち入り禁止の空間でした。

そして今回、約半年後に訪れた同じ空間は開放されていて、テラス席のついた飲食店へのアプローチとなり、若い人たちが(時期的にたくさん、ではないけれど)歩いていました。

 

脳内で蛇を泳がせるには、不釣り合いな雰囲気になってきたなぁ…とは思うものの、変わり続けることが渋谷らしいのかもしれない。渋谷川の風景の時層は、この数年でさえも、何層も何層も増えてゆく。

| | コメント (0)

ライフルホームズ、暗渠記事に協力しました

住まいと街のプロ、中川さんと烏山川を歩いて、暗渠のお話をあれこれとしてきました。
それを記事にしていただきました。

「暗渠」都市を流れる見えない川を知る、楽しむ、歩いてみる

暗渠初心者さんにも読みやすい記事だと思います。

 

Tempimagefaswlu

烏山川、若林支流中流部にある、ワクワクの空間。ここはやっぱり良いですね。

| | コメント (0)

東京人四谷特集号に寄稿しました

東京人12月号、「四谷」特集に寄稿してました。

123566951_2688009051464997_4096539044713

123166818_2688009221464980_2756233267644


暗渠をさんぽするだけの記事なのですが、今回はひたすら尾根道を歩くのです。ちょっとだけ脇の谷に降りたりするけど、すぐ尾根に戻るという、いつもと違う行動でした。それはなぜか、ぜひお読みいただけたら、と思います。


今回の原稿、実は、執筆時期は紫陽花の咲き始める頃で、どこの図書館にもまず入れない時期でした。国会図書館は「抽選」で、新宿の歴史館は開いていない。新宿区立図書館は、新宿区の人しか利用できず門前払い…
いったいどうすりゃいいんだ!となったわけですが、4月に土木学会誌に原稿を載せていただいたご縁で、なんと、玉川上水の研究者の方から、抜き刷りをいくつもいただいていて、そこにわたしの知りたいことがかなり書いてあったのでした。タイミングといい内容といい、奇跡。
気になっていた支流の水源について、仮説を聞いていただいたりもしてしまいました。

ご縁をくださった土木学会誌の編集委員のみなさまに、改めて感謝を噛み締めているところです。いやはや、たくさんのお力を借りて出来上がった原稿だなあと。

| | コメント (0)

「本と川と街」の、「堀の記憶を歩く」に出演します

イベントの秋ですね。

11月にはもう一つ、「堀の記憶を歩く」というイベントにも出演します。

舞台は、六間堀。お申し込みは、こちらからどうぞ。

123140194_4887907707900967_1832784909117 

六間堀&五間堀は、なんだか魅力的な暗渠さんなんですよね。

本と川と街」の概要は以下。
10月31日(土)〜11月29日(日)
会場:森下、清澄白河、木場公園、隅田川テラス
深川、本所を舞台に、「本」という記憶媒体を軸に改めて風土と向き合い、街を再定義する試み。新しい形の地域アートプロジェクトです。

| | コメント (0)

トロールの森2020まちなか企画「「ぴんくの砂袋 ~妃チャンネル~」に登壇します

トロールの森2020、参加します。
詩人の田中庸介さん、舞踏家のソらと晴れ女さん、と。
我らをつなぐものは、「暗渠」です。

Img_0387

「ぴんくの砂袋 ~妃チャンネル~」

田中さんの詩とソらさんの舞踏のコラボレーション。暗渠マニアックスとのトーク。打ち合わせをしましたが、早速エキサイティングでした。


以前平井でおこなった、ソらさんの舞踏を読み解く「暗渠を踊る」なるイベント。あのときは初めて知る舞踏の世界に身体ごと近づいていき、目から鱗の連続でした。


そのソらさんが、田中さん(松庵川ツアーに参加してくださったことが出会いでした。つまり暗渠がお好き)の詩を踊る。(田中さんの脳内、昨晩ひとかけら覗かせてもらいましたが、想像以上に凄かった…!)わたしは詩のことはやはり知りません。ただただ、暗渠のセンサーで、それらを感じようと思います。


さてさて何が起こるのか!?
11/22、西荻にて。現地のお席は感染対策のため少数ですが、オンライン視聴も可能です。もしも気になる方がいらしたら、こちらからご予約を!

| | コメント (0)

「すみだの”へり”を味わう」に登壇します

墨田区のイベントに登壇予定です。

Img_9170

おかげさまで会場参加は満席となりました。(感染症対策のため、お席が限られていました。)
引き続き、web配信の申込を受付中です。


「すみだの”へり”を味わう」
講師:吉村生・髙山英男(暗渠マニアックス)
11月7日(土)10:00-11:30
参加無料

墨田区の“へり”にある川(開渠・暗渠)にフォーカスして、この街の景観の成り立ちを探ります。

 

申し込み先は、こちらを参照ください。

ちょっと気になるという方、ぜひお気軽に。どうぞよろしくお願いします!

| | コメント (0)

「暗渠」で味わう街歩きの進化形 記事の先にある細かい話

暗渠マニアックスで中央区の川跡(京橋川、楓川、浜町川、龍閑川など)を中心にコースを作り、ご案内したものを記事にしていただきました。奥山編集長、たいへんお世話になりました!

名前に“橋”がつく交差点の謎…「暗渠」で味わう街歩きの進化形
川と関係ない「小川橋」・公衆トイレが「暗渠サイン」…スマホ片手に「AR時間旅行」

 

ゴール地点のその先のことを、ちょこっとだけ補足。


龍閑川さんぽは、龍閑橋の親柱とコンクリートトラスを見てゴール、とすることが美しい、と思う。ただ、その先も実はちょっと、地味だけれどおもしろい。

本記事のゴール地点の上空を、googleの航空写真で眺めてみよう。

120133086_2654855521447017_5188211612778

 

鎌倉児童遊園と書かれたところに、龍閑橋は保存されている。そこから日本橋川に向かってツツツと視線を動かすと、駐車場がカーブを描いていることがわかる。

カーブ、に、ザワ、ザワ。昔の地図を見てみよう。

 

120026472_2654855528113683_5943648116229


東京時層地図の関東地震直前。龍閑橋も現役のころ。龍閑川の付け根が見えるだろう。

このカーブと、駐車場のカーブは、一致する。

 

120012412_2654855581447011_4579195117797

東京時層地図の、高度成長前夜も見てみる。

龍閑川は埋められた。しかし、末端だけは埋め残されていた。航空写真をみると、日本橋川には、たくさんの舟が浮かんでいる。


このカーブの場所は、もっとも遅くまで、龍閑川が残っていた場所だった。

実際の、カーブの場所に近づいてみる。

 

120099295_2654855634780339_6833061906710

カーブの場所に近づこうとすると、入ることはできないが、そこに並ぶは、水道局の車たち!

最後まで残った川跡は、水道局の敷地だった。

 

120124914_2654855648113671_3531119370590

119979595_2654855571447012_7203594290992


ほか、伏越っぽいマンホールや、防災倉庫など、暗渠サインが並んでいる。
思わず下水道台帳にアクセスするわけだが、この位置の下水道台帳は秘匿エリアにつき、気軽に見られない。(下水道局に行けば、見られる。)

 

120080807_2654856354780267_3191124027691


この写真は日本橋川側から見たもの。随分前のクルーズ時の写真につき、画質が悪いんだけれど。

さきの航空写真をよく見ると、カーブの下に、何かある。ここには薄緑色の水門があり、下水道台帳では前述の通り詳細が見られないが、これもまた龍閑川の名残のものであるはずだ。


なお、下水道写真家の白汚さんが神田下水と龍閑川の接続地点に入ったことがあるらしい。その際のお話は、非常に興味深かった。

 

120018219_2654855704780332_2528714421733

 

マピオンで見てみると、区境以外は情報がない。まるで何もない場所であるかのようだ。
しかし、現地に行ってみれば、ささやかな、しかし暗渠好きとしては盛り上がる情報がてんこもり!なのである。


地味なことに変わりはないが、わたしはこういう場所に立ち、ひとりでニヤニヤしていることが、大好きだ。

| | コメント (0)

東京人10月号は暗渠特集号でした(1)

9月3日に発売された「東京人」は、暗渠特集でした。暗渠が好きな方は、概ねすでにお手に取られているでしょうか。


Img_8762

ついに出た。という感じです。暗渠を介したつながりをあちこちに感じるコンテンツ。吉村も何記事か書かせていただきました。ここまでご縁のあったみなさんや編集部のみなさんに、深い感謝を改めて。

特集は、小池昌代さんの文章に、白汚零さんの暗渠内部写真が合わさった、幻想的で贅沢すぎるコラボレーションにて開始。このおふたりとはそれぞれ別にご一緒したことがありますが、暗渠でここまで心を掴む表現(文字と、写真で)ができるかたはなかなかおらず、ため息が漏れます…

 Img_8760
自分の担当記事としては、局沢川・前谷津川・松庵川の紹介(セレクトにはとても迷いました。この3川はどれも、大事なご縁のあった暗渠たちです)、暗渠で出会うもの、漫画やアニメに出てくる暗渠、開渠時代の事件簿といったコラムを書きました。
それから、暗渠マニアックスとして原田郁子さん青葉市子さんとの暗渠さんぽに協力。このさんぽは、本当にたのしく、刺激的でした。原田さん、青葉さんの感性は想像以上、かつ、土地への意識の向け方がわたしの想像と違っていて、それがまた、すごく、おもしろかったのでした。

 

以下、端折った話、等々、メモ的に貼り付けます。

原田さん&青葉さんとの暗渠ツアーは、渋谷川から初台川まで歩くコース。以下は端折った場所。

Ehjhlequmaoqfu8 

渋谷駅からすぐの、かつて駐輪場だったところ。ここは古写真が何パターンもあるし、地元の古老のエピソードがある場所で、駐輪場だから暗渠サインの話もできる。解説ポイントにしよう、と、ロケハンに向かったところ、えらく変貌していた。渋谷の急激な変化を、分かっていたはずだが唖然とした瞬間。

Ehjnlnsumaev5t6

改修後の宇田川暗渠が左側を走るY字路。右の道路沿いにかつて銭湯があった。「大東京ビンボー生活マニュアル」では渋谷浴泉、1951年の火保図では月の湯。宇田川のすぐ隣ではないが、時代によってはYの真ん中を抜ける傍流が描かれるので、そこに隣接していただろうか、なんて思っている。

 

前谷津川で載せるかどうか迷った写真を少し。

Ehw4akfvoaaklpm

 

歩道橋から見下ろす前谷津川。写真点数に制限があったので、高島平の写真ばかりたくさんは載せられなかった(前谷津川にとっては六の橋で撮られる写真というのは、大事なのだ)。ここで桜を見るときは、川の、様々な過去のことを思う。

記事内で触れる「コンドールマン」は、Fさんから教えていただき視聴したもの。

該当ツイートはこちら

当時の前谷津川の白黒写真を高島平新聞社さんから見せていただいていたので、うおーカラーだ!動く!(動くのは人だが)と大興奮。Fさん、どうもありがとうございました。

記事を書き終えた後、知人が「前谷津川の動画作った」と教えてくれたのも、なんという偶然!とおもしろかった。

前谷津川を歩く   

板橋史談によれば昭和20年代半ばまでに改修が行われたそうだが、徳丸通りより上流はずっと土手であり、ツクシやヨモギが生え、モグラやカエルが顔を出すという風景があったそう。梅雨どきにはカタツムリが大量発生。たくさんのいきものを思い浮かべつつ。

Eivcgr4vkaayd4w

Eivcgr0voai0kbf

 

「開渠だった頃の事件簿」で扱うのは、烏山川、山谷堀、京橋川、桃園川、渋谷川、龍閑川、品川用水、緑川、藍染川、千川上水、神谷堀など。ローカル含む古新聞からの、少しだけ昔の物語を、少しずつ紹介しています。

Ehjq4bu8aapv84

 

これは候補だった写真の一つ、昭和46年6月6日発行の朝日新聞に載る山谷堀。

他にも、埋め立てている最中の神谷堀なども候補写真にしていたけれど、最終的に残った(編集者さんがチョイスした)のは烏山川の写真でした。

 

| | コメント (0)

«「東京さんぽ図鑑」と暗渠