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2020年5月

滝の川 湧き出る水を感じる旅 暗渠カフェで暗渠ソング(2)

Sammy’sさん、スーマーさんとの出会いを、前の記事に書いた。

1回目のライブ前座後。お客さんが、あのお店のご主人だったら川の話知ってるかもよ!と、商店街のお店の人と縁をつないでくれた。Sammy’sはお客さんとの距離が近いので、こういう、奇跡みたいなことも起きたりする。

後日そのお店にゆき、インタビューをした。なんと店主は、店の裏側に通ずるドア(「路地ドア」と名付けている人もいるアレ)を通してくださった。その奥に続く、極めて狭い路地を抜けると、そこに、Sammy’sに入っていく直前の滝の川支流の蓋があった。誰も立ち入ることのない空間だ。

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Img_7749 大事に踏みしめ、コンクリートの隙間を眺める


六角橋の滝の川が、だんだん自分と近くなる。辿るだけでもじゅうぶんおもしろい暗渠なのだが、地元のひとの情報が入ることで、グッと魂が宿って見えてくる。

さて。今回は、2回目のライブ前座トークでおこなった、滝の川の湧き水のお話を文章にしてみたい。

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滝の川は場所により、暗渠化前はドブのようだったかもしれないけれど、そんな時だって水は淡々と湧いていた。いまも湧いているものもあるし、枯れてしまったものもある。
湧いた水たちは、小さな流れをなし、滝の川に合わさる。
湧水を探すことは、そんな小さな“滝の川の子どもたち”に、思いを馳せることでもある。

東白楽ー白楽。いくつかの湧水を、探しに出かけた。

ひとつめ。
東白楽にたくさんの人びとを救った湧き水がある、という。それは「とうよこ沿線」というwebサイトに載っている(ここは資料として大変にすばらしいサイトだ)。
塀から水が湧き出ている、というもので、関東大震災や横浜大空襲のさいに、避難する人の飲み水として活躍したそうだ。湧水自体は「とうよこ」の取材時にはまだあり、しかしそこからの流れは(洗車をする人が現れたり、大腸菌が出たりしたので)塞いだ、とある。


現在は、どうなっているだろう?
東白楽駅で降り、すぐ東に迫る斜面に向かって歩く。

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湧水の名残をもとめ、崖下を丹念に見ていく。すると、側溝を透明な水が流れていた。

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ああ!川だ!いまでも湧いているんじゃないか。滝の川のミニミニ支流だ。
サッ、と、同行していた暗渠ハンター氏が水質を測りだす。結果は、忘れた(わたしはもっぱら、水質測定中の某氏を冷やかして遊ぶだけなのだ)。

すぐそばにあるビルの店舗の方が、近づいて来られた。怪しいと思われたのか(そりゃ思われるよな…)。行動のわけを説明する。この付近の湧水を見にきたこと、暗渠が好きなこと。そうしたらその方は、なんと本を出すほどの街道マニアのご家族で、(なんの親和性か?)アッという間に話が通じ、目指す湧水の場所や詳細も教えてくれた。
白楽近辺、ふたたびの奇跡のような巡り合わせである。

見たい湧水の出口は、下手をすると気づけないくらいに、埋められ、塞がれていた。めり込んだぬりかべを思わせるその風体。水抜きのパイプは、井戸が埋められた残骸と似ている。

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かつては湧水のつたうパイプがここまで引かれ、塀はくり抜かれて、水の出口になっていた。昭和62年の写真では、そんな姿が残っている。

水は意外と奥まったところから湧いていた。先ほどのお店の方から教えていただいた水源のあるお宅は、水の出口の塀よりも、4軒ばかり裏にあった。崖下、樹々のたっぷりあるところで、今も湧いているに違いない、と思った。そしてそこから、旧道沿いまでパイプで水を届けていた、ということに、施工主の慈愛の精神を強く感じる。
災害時に人びとを救った話は偶然ではないのだ、たぶん。なるべくしてそうなったのだ。

この慈愛に満ちた湧水の痕は、滝の川と目と鼻の先のところにある。

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近いけれど、流路上ではないから、単に滝の川を歩くだけでは見逃してしまうだろう

 

ふたつめ。
次もまた、「とうよこ沿線」から得た情報である。今度は「御膳水 」という立派な名称つき。

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昭和18年の地図ではため池ばかり見てしまうが、よく見ると御膳水、という文字がある。

ため池は、横浜時層地図を見ると、年代により大きさが変化するだけでなく、ちょいと場所が変わったりと、揺れ動いていてどうも気になる。
そして斉藤分町のこの、細くて良い表情(かお)の谷が堪らない。「良い表情(かお)」と、食物や建物に対していう人がいるが、谷に使ったっていいと思う。この谷は、そんな谷だ。

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すごく、いい

 

谷に入り、御膳水の位置を探る。実はこの湧水、所有者の名前はわかるのだが、正確な場所がいまひとつわからない。所有者はここらの地主のようで、何軒かその名字の家がある。そして明確な湧き水スポットのようなものは、ない。
推定した場所はここ。民家なので、入ることはできなかった。

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気を取り直して、この良い表情の谷、斉藤分町の水の流れを追おう。

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良すぎる…

しかし残念、入れない。反対側に回る。

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うーん、これまた最高だ

支流もあった。

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かつては製氷会社もあったようだ。御膳水の水面を見ることはできなかったが、こんなふうに、流れの痕跡はくっきりとあった。

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滝の川本流に対する位置関係は、こんな感じだ

 

みっつめ。
吉祥寺にも湧水があるらしい。寺の敷地を外から見ると、すでにじわりと湧いていた。

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これでも十分うれしいのだが

門が開いていたので入る。

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たまたまお掃除の人が来ていただけで、普段は閉めているのだそうだ。湧水の話をしたところ、そのお掃除の方が、なんと、水源に案内してくださった。

白楽近辺でみたびの奇跡が起きたのだ。

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写し方のせいでよくわからないと思うが、1、2枚目は湧水口に設置された井戸。
3枚目は、井戸からすぐのところに導水された池。透き通った水の中を、金魚が泳いでいた。

この密やかな湧水池といきものは、人目に触れることなくここにずっと存在している。

その湧水の出口と、わたしたちは門前の道を白楽駅方面に歩いたここで、出会うことができる。

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ここは道端なのでいつでも見ることができる。水源の井戸、池を通過してきたパイプからは、常時水が流れ出している。
実は他にもパイプはあって、雨天時しか水が出てこないものもあり、どこにつながっているのか、そのお掃除の人もよくわからないとのことだった。

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ここもまた、滝の川本流から少し距離があるが、この界隈で最も見応えある湧水ではないだろうか

 

他、近辺にはこんな風に、ジワリと湧いている場所もある。

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•保育園の方にも湧き水はあった
•かつてはあちこちで湧いていたのでは?
ということも、教えていただいた。

白楽ー東白楽は、あちこちに湧き水のある街だったのだ。

いま、どこにも川はない。けれどこういった水の流れを想像しながら、滝の川を歩くのもいい。それから、「我々が今いるところと、あそこやあそこが、水でつながっている 」と、場所どうしのつながりを感じながら、暗渠カフェで「おいしい水」を呑むのもいい。わたしたちの体だって、ほとんど水のようなものなのだし。

 

2回目の「泥水 カラオケバージョン」に使ったスライドはこちら。コンセプトは「地方の暗渠」で、北海道から南下するという流れで配置。

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こちらのページから、スーマーさんの歌声をぜひ聴いてください。投げ銭もできます。

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Sammy’sさん、5/29から再開されるそうです。嗚呼…よかった!

 

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「ご近所さんぽ」、幻の暗渠ページ

散歩の達人6月号をお買い上げくださったみなさま、これから読む予定のみなさまへ。


暗渠ページ、実は「緑道」編も用意してあったのですが、最終的には採用されなかったので、自分たちでレイアウトを真似っこして作ってしまいました笑。
既にお読みのかたは、1ページ増えたと思って、ぜひ、併せてお読みくださいませ。

 

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事例としてとりあげた場所は、高島平。以前執筆した板橋マニアもこっそり登場させました。

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暗渠パラダイス!のみどころ その3

序章〜各章の扉写真は、ピックアップされた暗渠蓋です。
地方の暗渠も含む、あちこちの暗渠蓋。
ベテラン暗渠ハンターさんはぜひ、どこの暗渠か、当ててみてください。

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今回、みどころを紹介するのは1章後半、「街道を流れていた水路たちのものがたり」。
この章全体は、北品川・新馬場にあるKAIDO BOOKS & Coffeeさんでのトークイベントが元になっている。ある種新境地でもあったため、終了後に「楽しかったねえ!」と言った回数が最多記録だったイベントだ(現在も保持)。

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2016年6月、開始前

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場所としては、八王子、荻窪、品川が登場。八王子は、数年前に参入した研究会の拠点のひとつだったため、定期的に行くようになったことがきっかけ。大事な場所になりつつある八王子のことが知りたいなと思い、調べ始めたところ、結構、沼だったという…。

この章の「みどころ」のひとつは、五街道の延絵図かと思う。これまで見ていたそれは、図録に載っているミニサイズのものに過ぎなかった(それでも楽しめたけれど)。著者得というか、今回、拡大して見る機会を得た。しかし残念なことに、わたしはその時骨折したばかりで、「書籍用に撮影する」機会に同行できなかった。今でも、非常に、非常に悔やまれる。

それから、他の章にも共通することだが、「失われた暗渠」の写真を入れている。
この章では、ある桃園川探求者が撮った写真を、高円寺の商店街振興組合からお借りした。その商店街が発行している冊子に桃園川探究のページがあって、そのページを見るたび、「同志よ」と思っていた(注:先輩です)。そこには、わたしの知らない暗渠の姿があった。
写真の許諾を得る際、その方はもうご存命ではないと知った。もしお会いすることが出来たら、どれだけ桃園川支流の話で盛り上がれていたかわからず… 一度もお目にかかれなかったことは、純粋に残念なこと。けれど、似たような関心の持ち方をし、似たような行動をとった先輩が、近くにいらしたことは、励みにはなる。勝手に受け取ったような気になったバトンを落とさずに持って、これからも歩んでゆきたい。…小さな一枚の白黒の写真には、そんな思いも上乗せされていたりする。

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「ご近所さんぽ」と暗渠

散歩の達人2020年6月号に寄稿しました。

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コロナ禍、それはこれまでのようには取材等に行かれないという特殊な状況下。どこかの街の特集を続けてきた「散歩の達人」が生み出したアイディアのひとつは、「ご近所」でした。
そう来ましたか。そしてそれは、「なじみの街が違って見えてくる」と伝え続けてきた、「暗渠」とも親和性抜群なんです。さて、何書こう?これまで集めてきたものを使って、まずはブレストを。

近所のお店にたまに買い物に行くくらい、という日々を過ごしている人も多かろう、と思うと、「お店に行く道のり」か、はたまた「商店街にある」暗渠か、、、と、考えてゆきました。

最終的には、商店街よりも住宅地に寄せ、まずは住宅街にある暗渠サインを図鑑のように提示。ついで、住宅街にひそむ暗渠の事例編として3箇所をとりあげ、暗渠サインの解説(高山)と、妄想の素材として古写真等とそこにあったものがたりを載せました(吉村)。
3箇所とは、新柴又、綾瀬、西荻窪、です。

全体のラインナップも充実、早速いくつか試してみたくなっています。初めて知る無言板やご近所闇の世界には、ずいぶんと引き込まれました。
電線の石山蓮華さんの「上を見る」の直後に我々暗渠の「下を見る」な流れも、やるな!と思ったり笑。

「ご近所」、それはすべての街にあるもの。早速、地方に住む友人が「ポチったよ」と知らせてくれて、とても嬉しく、ありがたく。編集部の書かれた、「いま”散歩”にできること」も、じんわりきます。わたしたちの記事も、ちょっとした気晴らしに、思い出していただけるときがあったら、うれしいなと思っています。

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滝の川 足元を流れていた川のこと  暗渠カフェで暗渠ソング(1)

「泥水は揺れる」という歌がある。

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スーマーさんの歌だ。スーマーさんの歌を、ライブで聴くことがしばらくできなくなってしまった。
スーマーさんは、ご自身の歌を配信するページを作ってくれた。

その中に、暗渠カフェSammy'sさんでのコラボ・シリーズの一つも載せてくださった。
とてもとても、素敵な歌声です。「泥水は揺れる」、この暗渠的な歌詞もぜひ味わってほしいのです(歌詞を暗渠写真とともに視覚化するスライドをつけています)。
投げ銭もできます。

さて、その、六角橋でのライブで、何度か前座暗渠トークをさせていただいていた。
そのためだけにネタを仕込んだ回もある。郷土資料のみならず時には周辺のインタビューも。なんだか面白くなっちゃって、決して近くはないのに通ったなあ、白楽。
それらを、文章にしてみようと思います。

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前座暗渠トーク1回目は、白楽周辺の滝の川についての話だった。

滝の川の名の由来は、下流にあたる神奈川宿付近、権現山のところに滝があったという説が有力だ。現在は滝はない。

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が、滝の川は、どこに滝があってもおかしくないような、横浜らしい地形を縫って流れゆく。最下流部は開渠になっている。

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多くの川が暗渠化された歴史と同じような流れを、滝の川も、少しだけ後からたどっている。汚れがひどくなり、氾濫するようになったことがきっかけだった。たとえば流域の神大寺では、昭和40年代に車も動けないほどの洪水や、家にも浸水したとか、校庭が池のようになったなどという記録が残っている。そして昭和50年代、滝の川は暗渠化された。

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滝の川の本流支流について、主要な流路をスーパー地形にプロットした。このうち、赤点線あたりが、今回の話のエリアである。

このように、滝の川には立派な支流がいくつもある。そのひとつが、六角橋商店街を突っ切っていることは、意外と知られていない。

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六角橋商店街の地図をお借りして、そこに滝の川支流暗渠を水色で書き込んだ。暗渠、バッチリ、横切っている。

商店街でお茶を買い、この近くに川がありませんでしたかと尋ねた。
「そこに川があったよ。」少し先を指差して店主は言った。川幅はここでは3mくらい、先では5mくらいというから、想像より細い。「汚かった。ゴミが捨てられ、自転車まで捨てられてた。洪水になったこともある。昭和30年代に暗渠化、土管を通したんだよ。(30年代だったらこの辺じゃ早い方だ。商店街に橋はあった?)なかった、もともと下を通してた。鳥肉屋さんの隣が川だった。」店主は、じつに鮮明な記憶をもっていた。

六角橋商店街の脇に、薄汚れた自転車のただようドブが現れた。少なくとも、そういうふうに、わたしには感じられた。

「鶏肉屋さんの隣」、それが、Sammy’sのことである。(厳密にいうと、滝の川支流暗渠はSammy'sと鶏肉屋さんの間にまたがっている。)

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指差された先を見に行く。初めて、Sammy’sを見た瞬間である。営業時間帯とメニューを確認。ハワイアンカフェであり、昼からビールを供されていることがわかった。ぜひともここで一杯飲みたい、と、強く思った。

それで、付近の暗渠探索の帰りに寄って、一杯だけ、ハートランドを飲んだ。カウンターに座ったこの初訪問のぎこちない客に、店員さんが気遣って話しかけてくださったことを覚えている。それよりもわたしは、この足下の暗渠のことばかり考えていた。無愛想な客だ、と思われたことだろう。
流路の反対側は店が建たず、また、隣は鮮魚店だった。なるほどな、と思った。

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水辺のたましいとは、こんなふうに遺るものだ。

その後、「はま太郎」という横浜の酒場を探求した出版物の製作者と縁をつなげてもらい、彼らのイベントで「泥水は揺れる」という暗渠ソングの歌い手スーマーさんと出会うこととなる。

スーマーさんと初めて話したとき、「ライブが白楽である」と言われ、その店名を聞いてのけぞった。Sammy’sだった。まさか、そんなことが。興奮の度合いがえらいことだった。関内の、地下にあるイベントスペースだったが、心はすぐに六角橋に飛んでいった。

…。

話を滝の川に戻そう。滝の川のことを調べると、六角橋周辺の昔の風景がより明細に見えてくる。暗渠の持つ力は、じつに偉大だ。

郷土資料を眺める。市電の停車場が、六角橋の交差点近くにあった。

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滝の川本流の上に境橋がかかり、交番、対岸に市電の切符売り場があった 。古い写真をみると、切符売り場の脇は「平和樓遊技場」である。そう、今もパチンコ店だ。

牧場もあった。

S22bokujo昭和22年の地形図より

ここにあった牧場は、そのままの経営者でレストランに変貌した。現在の末広園である。

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新しいビルの横に旧い建物があり、その後ろに慰霊塔がある。
末広園には海鮮丼もあるが、わたしは土地の記憶に倣って牛丼を食べたい、と思っている。食べようとしたとき、残念ながら改装休業中だった。はやく、改めて行きたいものである。

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小川牧場、という記載も見られた。小川牧場は、残念ながら川沿いではなく、標高の高い位置にある。

なぜ牧場に執着するかというと、牧場が川沿い、暗渠沿いにある事例は少なくないためだ。都市化とともに、牧場は次第に郊外に追いやられる。そのとき、川沿いに移転する割合は低くはない。

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旧六角橋郵便局の向かいにはかつて「押尾牛乳店」があったという。その横に牧場があったようなイラストがあるが、実際はどうか、明確にはわからない。仮にあったとすると、その横には滝の川支流が流れていた。ビンゴ。Sammy'sまでやってくる流れだ。

この流れを遡ると、どこに行くものだろうか。

水源のうち、ひとつは篠原西町にある。

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谷頭に行ってみると、今も水が湧き、側溝の下から小川のせせらぐ音がした。
そのうえを、苔むしたコンクリート蓋暗渠が、狭く真っすぐに突き抜ける。ここの暗渠は本当に絶景。
なぜかスコップが置いてあるが、それもいい。

流路沿いで話を聞いたところ、この川は篠原池の方に行くという人もいた。六角橋とは逆方向。そう、この付近は分水嶺になっていて、どちらにも行くように見えるのだ。古地図を見ると、少なくとも六角橋方向にここから田んぼが連なっている時期がある。

六角橋方向へ、流れを追おう。

Hutatuike東京時層地図(昭和戦前期)より

まもなく出現するのが、二ツ池という大きなため池の跡。
天保8年、六角橋村には上池・下池という二つのため池があった。用途は、神奈川宿の用水である。
ため池はしばらく残り、このように戦前期の地図にも載る。戦後の航空写真をみると、まだ池っぽい区画が残っている。

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現在は概ね道路になっている。池をブルーで描いてみると…、こんな感じにため池はあった。

池のことを知るひとは少ない。しかし、痕跡は少しずつある。

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写真奥にあるわずかな段差は、池のヘリだ。

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ジョナサン脇の細い細い謎の道は、池の名残だ。
ジョナサン脇のこの細道のことを会場で知っている人がいなかったが、こんなにもソソる道が六角橋にはある。
古地図と照合すると、この道は池のヘリと重なる。奥に進むと左右に細道が別れるが、片方は池のヘリ、片方はため池に注ぐ細流と一致する。

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さきの池(想像)を重ねた写真、実は六角橋公園の市民プールを含んでいる。市民プールなぞ、もはや池の記憶をそのまま継承するといっていいだろう。わたしの妄想ではあるが。

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そしてなにより、幹線道路にかけられた歩道橋。
実はこの歩道橋の位置は、ため池時代の築堤の位置と一致するのだった。
こういった符合は、本当におもしろい。江戸時代から、ひとびとは、この谷底を横断するとき、この場所を渡っていたのだろうと思う。現代も、その土地の記憶は受け継がれているかもしれないのだ。たとえば大きな木を目印にして、あの場所に行けば渡れる、ということにしていたかもしれない。江戸以降、深くきざみこまれた土地の記憶。交通量の多い幹線道路を渡る、「あの場所」として、昭和に歩道橋が設えられる。

そんな流れでこの歩道橋が作られているといいな、などと思う。わたしは階段を上るのが苦手なので、基本的に歩道橋は避けているのだが、この歩道橋はなんだか不思議と、渡りたくなる。

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そして市民プールの脇から支流暗渠の緑道が始まる。区境も兼ねる、盛りだくさんの空間だ。

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川の形に沿う家。

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暗渠に舟があった。

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流路を撮っていたら、話しかけられたので逆質問をした。(ここ、川でしたよね。)「ここは63年くらいまで開渠だった。魚もいたし、水もきれいだった。」(川で遊びましたか?)「遊ばないよ(笑)、蛇がいっぱいいたし。」…このすぐ下流の、商店街と交差する地点の暗渠化は早かったのに、すぐ上流は30年ほども開渠のままだった、ということになる。
※滝の川暗渠のことは、「はま太郎15号」にも書いています。「はま太郎」に書いた、市場の方に流れて行くんだろ?も、この辺りの人に話を聞いていた時に複数回聞いたこと。

そして暗渠は六角橋商店街へと流れこむ。

その先、滝の川本流と合流し、海にいたるのだ。

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本流が開渠になる直前の橋も境橋。境橋、ふたつめ!

今回の記事で出てきた流路を、スーパー地形にプロットしたものがこちら。

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第一回目のコラボ泥水のときに、歌詞をつけた暗渠スライドの一部はこちら。

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回ごとに、テーマを変えています。この時のスライドは、滝の川の選りすぐり暗渠写真にしました。

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この記事を、スーマーさんと、Sammy'sさんに捧げます。良い場所、大事な場所、あの場を介してつながる、なんだかおもしろい人たち!早くまたあの空間が、歌声とビールジョッキで満ちますように。

「泥水は揺れる」、ぜひ一度、聞いてみてください。

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井草川、下流部のこと

井草川手ぬぐいプロジェクトの存在により、(行けないけど)しょっちゅう、井草川のことを考えてます。
今回は、下流部のことを少し。

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昭和377月の杉並区広報に、妙正寺公園整備の記事が載る。
このとき、既に第1期工事は終了。第2期工事では井草川両岸に遊具を設置する、という。
広報の図では井草川下流部が開渠で描かれ、妙正寺池から公園敷地部分の妙正寺川は暗渠で描かれている。

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この杉並区広報の図は、ゴハン何杯でもいける色々とおもしろい。

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ほぼ同時期の、国土地理院空中写真を見てみると、当たり前だが同じ形をしている。そして、これから整備されるのだなあ、という雰囲気も伝わってくる。

つぎに、(行かれないので)現在のgoogleストビュー写真を見てみる。開渠の井草川が存在していた部分は、少なくとも公園の北側入口から少しの区間は現在、不自然に盛り上がっている。

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橋跡には何もないようだが、図はあくまでも完成予想図なので。橋のまあまあ近くにウッドデッキみたいなものがあった気がするのだが、それは次に訪れたときのたのしみにとっておこうと思う。

今度は昭和49-53年の国土地理院空中写真。井草川を目で追う。

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白いものが井草川の上に被さっているようだ。つまり、妙正寺公園内の井草川は、ちょうど暗渠化工事中なのではないか。
とすると、妙正寺公園内の井草川は10年以上、開渠でいたことになる。

その後、昭和54-58年の国土地理院空中写真においても、井草川の跡は目で追うことができる。

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暗渠化後、井草川跡に沿って樹木が植えられた時期があるようだ。現在は樹木が取り払われ、子どもが駆け回れるようなスペースになっている。

(このことを呟いていたら、色々とおもしろい証言もいただいた。いずれ追記することとする。)

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昭和37年杉並区広報のこの号が熱いのは、単に井草川が開渠で載るからだけではない。


これから造成される公園部分は、「井草川の西岸には少年向き、東岸には幼年向き」に、整備を進める予定だという。つまり、川を挟んで対象年齢を変える計画だったのだ。
そして計画はちゃんと実行された。

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その「井草川の東岸の幼年向きゾーン」に遊具の設置がなされ、整備完了したのは昭和39年のこと(写真は杉並新聞より)。
子どもの遊び場が不足していた当時、元から釣り場として人気の妙正寺公園は、更に人気の場所となっただろう。

そしておどろくべきことに、舟の遊具は今も立派に現役なのだ。

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最近見た方の情報だと、帆の部分は現在は失われてしまっているそうだ。
それでも、昭和39年からずっと子どもたちと遊び続けてきた、ベテラン遊具であることは間違いない。

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さきの広報と新聞の位置情報を併せてみれば、赤い矢印の先にあるのは開渠の井草川、ということになる。


現在見ることのできる井草川の写真は土の護岸のものばかりなので、都市河川的な姿を写すものとしては、貴重な写真といえる。

そして、この舟が見つめる先には、井草川がある。

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この舟は、開渠の井草川も知っている。暗渠の井草川も受け容れている。

井草川に、漕ぎ出したいと思ったことは、あったろうか…。初めて、この舟にわたしも乗ってみたい、と思った。

 

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そんなわけで、井草川手ぬぐいプロジェクト、少しずつ進んでます。

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いつか、完成した日には、持って井草川を歩きたいなあ、と思います。

 

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阿佐ヶ谷暗渠マップ作成に協力しました

地図ラーの会さんにお声掛けいただき、阿佐ヶ谷暗渠マップに情報提供をしました。

もともとは、4月の最終週に阿佐ヶ谷でイベントがあったはずで、そのときに、このマップ付きの暗渠ツアーをおこなう予定でした。

阿佐ヶ谷の桃園川支流本流をめぐり、川の記憶や、微妙な地形や地割を少人数で味わうようなツアー。残念ながら中止というか、開催日未定の延期状態です。でも、折角つくったので、マップは出来上がり次第販売する方向となりました。5月5日、発売開始です(もう買えます、たぶん)。

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こんな表紙。発売中の他のマップに比べ、中央線色が前面に出ているような気が。
何故ロボットやハトがいるのか、わたしにもさっぱりわかりません。中央線はカオスだからか?そして高山氏の「うさんくささ」が見事に表現されているのには、感動してしまいました。(もしかして西荻にある某学習塾のポスターもヒントにしているのか・・・?!)
あ、大丈夫です、わたしたち全員、大真面目につくりました。

コンパクトサイズに折りたためて、A3表裏。うんちく面と、マップ面の裏表です。桃園川の本流と支流に、情報を集中させています(笑)。

橋を端折りがちな自分にしては珍しく、橋梁情報をそれなりに入れました。杉並区の昭和37年の橋梁マップを参考に。
桃園川の流路については、特に、阿佐ヶ谷の駅周辺の支流に関しては、いつも最後まで迷うんです。僅かな年代の違いによって描かれ方が変わるので、どこまで含めるのか、、と、今回もやっぱり迷いました。最終的には「昭和」であれこれ揃えました。

桃園川がイキイキするように、地元の方から聞いた話もあれこれと盛り込みました。今はもうなくなってしまったお店でインタビューさせてもらった内容、飲み屋さんで聞いた貴重な体験談、阿佐ヶ谷のもつ豊な人情味が紙面から伝わりますように。一方で、戦後ゴタゴタ系のお話は割愛しました。端折ったエピソードは、ツアーガイドのときにでも、さらりとできると良いなと思っています。
…これらの情報を、あの紙面内に見やすく可愛くおさめるスキルも驚異的!

さて、そんなわけで、ひっそりと発売を開始した阿佐ヶ谷暗渠マップ。こちらから入手できます。地図ラーさんたちの販売物一覧はこちら
阿佐ヶ谷近くにお住まいのかたは、何かのついでに歩いて楽しんでいただけますように。阿佐ヶ谷から遠いかたは、残念ながらまだしばらくはいらっしゃれないと思うんですが、この地図を眺めて妄想暗渠さんぽをしていただけたら、そしていつか来ていただけたら、と思います。

それにしても、チャチャっとこういうマップや冊子を作れてしまう、地図ラーの会長&副会長のコンビって最強だと思います。わたしには、何年かかってもまず作れない。こういう形で、桃園川暗渠のマップを作っていただけたこと、心から感謝します。

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暗渠パラダイス!のみどころ その2

「その1」を書いてから1ヶ月以上経っていて、我ながらビックリ。
コロナで「暗渠パラダイス!」関連のイベントがどんどんどんどんなくなっていって、それはとてもかなしいことだったのですが、あれ、もしかして少し時間ができるかも?とも思ったのが3月下旬。ところが本業関連で次々いろいろなことが投げかけられてきて、瞬く間に息つぎができなくなり、気づいたら今でした。
というわけで、息つぎ。
ふぅ。
気づいたので、再開します。

 

暗渠パラダイス!のみどころ その2 は、ブックデザインのこと。

編集さんから、頼もうと思っているデザイナーさんは、「東京ヤミ市酒場」や「春画を旅する」のブックデザインを担当した人(MO' BETTER DESIGN)ですよ、と聞いたとき、その2冊のイメージが眼前にぱあぁっと浮かんだ。どちらも印象的だったからだ。かわいくやさしい色使いが、ヤミ市や春画というモチーフと不思議に融合するデザイン。あの2冊のデザインは同じ人だったのだ!合点がいった。そして暗渠の本も手がけてもらえることについて、安心感と期待感をもった。

暗渠のイメージや思いを共有してもらったり、デザイナーさん(=中村さん)の考えをきかせてもらったり。帯にはいろいろな暗渠写真を使いましょう、ということになって、たっくさんの暗渠写真をお届けしたり。そんな日々を経て、

 

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できあがった表紙。

中村さんこだわりの蛍光ピンク(オレンジ?)色は、写真に撮るとうまく出てくれなくて、手にとっていただいた方だけが知っている、微妙かつ絶妙な色合い。

印象深い「暗渠」の文字。(車止めをイメージした?と訊かれるけれど、車止めに見えるのは偶然だそうです。)

帯の表側に選ばれた暗渠は、板橋区のあの暗渠。あの暗渠の中でも、この場所が大好きなんです。

帯をめくると、

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こんな景色が出てきます。細い暗渠みち。思わず引き寄せられてしまうような。

そして裏側は、

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うつくしきクネクネ蛇行みち。

実は著者ふたりとも、この表紙・裏表紙に元ネタがあることに気づいていませんでした。
発売後に中村さんと話して初めて、大量にお送りした暗渠写真のうちの2枚をモデルにしたことがわかり、それだけでも興奮したものですが、表紙が高山氏にとって思い出深いある暗渠で、裏表紙は吉村が去年・一昨年と非常にお世話になった(だいぶ通った)墨田区の水路跡でした。
どちらも自分たちにとって縁のあるもの、しかも、取り上げられ方のバランスがすばらしすぎて、偶然とは思えないほど。あまり縁はないけれど、明らかに見た目が立派な暗渠写真も送っていたので、中村さんのセンスのみならず嗅覚みたいなものに、脱帽でした。…なんだろう、われわれ素人が記録として撮っただけなのに、対象物への情緒や熱意まで、相手に伝わることってあるんだろうか??いまでも、不思議です。

そしてこれらの表紙を一枚めくると、青と黒の、ダークな暗渠のすがたが出てきます。「一枚めくっただけで、全く違うものがあらわれる」という、暗渠の性質をこんなふうに表していただいたのでした。

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そして今度はページをめくろうとすると、暗渠への入り口、マンホール蓋が出現。

目次に到達する前に、たくさんの暗渠成分が読む人を暗渠に誘おうとしている。この重なりあう地層もまた、暗渠のようで。…中村さん、見事に表現してくださって本当にありがとうございました!

 

もしも「暗渠パラダイス!」を読まれる機会があるならば、あるいは、読んだけれどデザインをあまり見ていなかったという場合には、ぜひ表紙から、じっくりと見ていただければ、と思います。

 

 

 

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