遊び場○番特集 その4(50、90、46、73)
なんて久しぶりなんだろう、遊び場特集。
特集カテゴリについてはそれぞれ継続していく気満々なんですが、遊び場なんて最初に設けたカテゴリなのに、まだ「その4」なんですねぇ・・・。モタモタしてる間に、遊び場の写真自体は集まってきてるんですが。
杉並区の遊び場の定義については、「その1」参照。わたしは、この杉並区の「遊び場」が暗渠(ときには開渠)沿いや暗渠そのものにある割合を算出している途中です。
今回は、杉並区の中でも南側を中心にいきたいと思います。神田川の周辺、和泉付近。そして、ここらは南部公園事務所の管轄で、現存する遊び場が最も多いエリアです。
目的地に行く前に・・・玉川上水が井の頭線の上を渡る場所を通ります。
この中を玉川上水が通っているのか~・・・などと思うより先に、なんともいえない不気味さのようなものに圧倒されます。同時に格好良くもあって、目が離せない。此処は何処なんだろう?という気になってきます。
今はこのような管渠ですが、昭和22年の航空写真を見ると、当時はハシゴ式開渠だったようです。
明大前駅の、第二山手線の夢の跡。
詳しいことは鉄関係のサイトに譲るとして・・・この、水たまりのようなもの、通るたびに気になっています。この崖から湧いているように見えるので。
崖上にあるのは明大の和泉キャンパス。もと陸軍火薬庫。
生田キャンパスはもと登戸研究所。そして陸軍中野学校跡地に、中野キャンパス建設中・・・。
先ほどの、水たまりのあったところから、井の頭線の線路の両脇に延びる蓋暗渠があります。
両方とも、途中でこのように少しだけ覗き見ることができ・・・、水が流れています。
そして、地図で確認すると、西側の暗渠だけ、水路としてばっちり描かれているのでした。その先、神田川のやや手前で、神田川のあげ堀と合流するかのように地図上では途切れます。
・・・と、遊び場に全然関係ないことを書いてきてますが、実はこの暗渠のすぐ脇に、最初に目指す遊び場があるのです。
じゃーん。遊び場50番。
プロフィールは、昭和48年8月4日生まれ、307.40㎡です。比較的遊具が充実し、車通りも少なめなので、遊びやすいところなのじゃないでしょうか。
パッと見、広いように思えますが、ビッグサイズの遊び場がしのぎを削るこの杉並南部地区においては、中間の広さとなっています。
井の頭線がよく見えます。
春になったらいい感じに桜も咲きそうな場所でした。
つぎは、遊び場90番に移動します。
ここは、先にも触れた神田川あげ堀を下ったときに、通過した場所です。・・・神田川あげ堀の暗渠が遊び場の中を通っているし、それから写真の右側に見える土手のようなものは水道道路です。つまり、暗渠の交差地点ともいえる場所です。
遊び場90番さんのプロフィールは、昭和57年3月18日生まれ。3,216.60㎡の広さを誇ります。
この広さ、10年前の資料では杉並区の遊び場ナンバーワンになるのですが、どうも、近年できた100番台の新人さんたちに抜かれている気がします。要検証。
1位じゃないにしても、ここはほんと広いです、縦長に。
雪が積もったらソリすべりとかもできそうだな~。
つぎは、遊び場46番へ。
これも和泉にありますが、今度は少し北東にいき、神田川沿いです。プロフィールは、昭和48年11月1日生まれ、462.30㎡。
このとおり、遊び場ぽい感じで今もぽっかり残っています・・・が、
・・・あれ?改名しちゃったみたいです。今は杉並区立和泉緑地さんなんですね。
遊具は何もありませんが、椅子がわずかにあって、神田川を眺めながらボォッとできたりはしそうです。
つぎは、73番。
昭和52年1月11日生まれ、235.77㎡です。
うーん、子どもが遊べるようなスペースがなくもないけど、建物が建ってます。
30年前の住宅地図を見たら、ここは学童関係の施設が建っていましたが、
今もがくどうクラブでした。遊び場という表記はナシですね。
いったいいつまで、遊び場73番だったのかが謎です。
そして、ここはもう少ししたらご紹介する予定の、釜寺支流(仮)(←リバーサイドさん記事にリンク)沿いにありました。
つまり、今回ご紹介した4つの遊び場は、すべて暗渠・開渠沿い(あるいは上)ということになるのです!
今回の4つを含めて、これまでの計は、
訪問した遊び場(跡)の計は15こ。
うち、現存7、消失5、生まれ変わり3。
川(暗渠)との関係は、「あり」が12、「あるかもしれない」が1、「なさそう」が2(うち1は要検討)、と、なりました。
杉並区の遊び場が準暗渠サインになりえる感じがしてきましたねぇ。今後も、探索を続けていきたいと思います。
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