桃園川銭湯巡礼 その7 千代の湯と風月堂
お知らせ。
西荻丼、ってご存知ですか?
坂本屋のカツ丼のことじゃござんせんよ、西荻で配布されているタウンペーパーです。
この最新号(1月24日配布開始)では、松庵川のことが特集されています!
昨年11月に行った西荻暗渠探検がベースとなったものです。2回目のツアーに、記者さんたちが同行してくださったのでした。その関係でわたしが監修ってことになってますが、記事は熱心にガイドを聞き取ってくださった記者さんが、流路とイラストは暗渠画伯さくらいさんが、雰囲気たっぷりに仕上げていらっしゃるのでした。
松庵川の流路だけではなく、地元で収集した細かな情報も自慢です。この情報収集は、自分の力というよりも、西荻案内所さんの顔つなぎや、友人知人による輪の広がり、暗渠脇で偶然に起きた出会いによるところも多く、みなさんに感謝しなければなりません。
西荻丼のスタッフのみなさん、暗渠を取り上げていただいて、改めて、本当にありがとうございました。より多くのかたがたが、西荻丼を手に取ってくださるといいなあ、と思います。
*********お知らせおわり*********
さてさて久しぶりの更新は、これまたちょっとお久しぶりの、桃園川沿いの銭湯でひとっぷろ&一杯の”桃園川銭湯巡礼シリーズ”。気づけば一年に一度の更新になっちゃってるシリーズです。
入浴するのは今回は千代の湯、桃園川本流ではもっとも下流に位置する銭湯でござんす。
お風呂に入る前にまず、いつものように、なくなっちゃった銭湯跡をいくつか見てゆきましょう。
水源から桃園川を下ってきて、既に中野区に入っているわけですが、杉並区内と中野区内では参照している史料が異なります。杉並区は銭湯組合の発行したもの。中野区は、昭和初期の地図を参考にしていました。
そのせいもあって、今回の一軒目は、お初の”名前は不明”の廃銭湯です。
場所は、ここ。三味線橋のちかく。
信号の左手にある建物のあたりに、お目当ての銭湯はあったようでした。その、中野区の古い地図には「湯」とだけ、書いてあるのでした。
さらに、手前側の建物は現在は食品会社さんですが、ここは昭和8年の地図では「カフェー」となっています。元カフェーだったのか。そして、カフェーのすぐ隣には桃園川が流れていました。
桃園川をちょっと下って、もう一軒、銭湯跡を見にゆきます。
大久保通り沿いの、このあたり。
今度は名前がわかります。ここには、金剛湯、という銭湯がありました。すぐ後ろには、桃園川の支流も流れていました。
「湯」も金剛湯も、どちらも、今はかっちりとした建物になっていて、そしてコインランドリー等の名残もないので、わかりやすくはありません。中野の風景を巻き戻し、想像しようとしてみます。・・・う~ん、ちょっと、むつかしい。
さてと。次がいよいよ現役さん、千代の湯です。
金剛湯から、また、桃園川を遡っていきます。
うーん、いい顔。
千代の湯さん、ザ銭湯って感じですね。中もとっても昭和な感じでした。
ザブーンとおおきなお風呂に入って、イヤ~、いいきもち。
向かいには、こういう建物がありました。現役時はジュースやお菓子を売っていそうな雰囲気。ひとっぷろ浴びたあと、飲み物を飲む場所だったのでしょうか?(近くに住んでいた方によれば、菓子パンや少しのお菓子を売っていたのだそうです。)
では、わたしも、飲み物を飲みにゆこう。黄金色のシュワシュワしたやつをね!
このときちょっと凝っていたことが、”喫茶店飲み”でした。レトロ喫茶店に出逢っては入店していると、意外と多くのところにアルコールが置いてあることがわかってきて、うれしくなっていたのでした。明るいうちから飲めるしね。じゃあ、銭湯巡礼でも喫茶店飲みを組み合わせてみよう、ってもんで。
中野で喫茶店といえば、ココがあります。
風月堂。
壊れたマロングラッセが好きなので、それがあるかな、と覗くくらいでした。これまでは。
けれど喫茶ブースは気にしたことがなくって。
初めて、気にしてみると、
ある!
しかも、ビールやワインに合わせてつまめそうな食べものも、ある!
乾ききっていない髪の毛で、喫茶のほうにはいってゆきます。
ワクワクしながらメニューを広げると、残念なことにミックスサンドをはじめとするパンメニューはすべて「売り切れ」でした。でも大丈夫、まだオカズ系はある。
夕方の風月堂には、飲み物とお菓子で、談笑する女性客ばかりでした。
グラタンとビールください!
ぐびぐびー。
プハー。
ちまちまとつまみながら、目の前の家族連れがここで夕食を採る姿を見ていました。お父さんだけ、後から合流。へ~、ここで夕食、ということもあるのだなあ。
紙おしぼりのフォントが良かったです。名前も。王子からヨウコソ。
ゆったりと飲み、そして、次に飲む店はどこにしようかな・・・などと、考えながら、銭湯と喫茶店の短い旅を終えました。
今回の行程です。yahooさんありがとうございます。桃園川だけではなく、支流たちも集まってくる場所でした。
おまけ。
金剛湯跡の話に戻ります。
今は痕跡もなくわかりにくい銭湯跡ですが、
地図上ではいまでもその姿を見ることができます。
東京時層地図(昭和23-35年)には、モクモクと煙を吐く金剛湯が載っているのでした。
それだけではありません。中野に住んでおられた方が、なんと、金剛湯の写真を見せてくださったのです。
(谷戸っ子さん提供、昭和51年春の写真)
昭和51年の金剛湯の煙突だそうです。
モクモク、煙が出ていますね。すすけた煙突からは、お風呂の繁盛ぶりがうかがえます。
写真中央のマンション右下に大久保通りがあるのだそうです。ということは、大久保通りから少し入ったところに金剛湯はあった、ということかな・・・?
いやはや、何度見てもすてきな写真です。この頃、すでに桃園川は暗渠化が済んでいますから、桃園川の水面はここにもありません。だけど、金剛湯はちゃんと写っています!
谷戸っ子さん、本当にどうもありがとうございました。
桃園川銭湯巡礼、本流沿いはこれで最後です。
これからは支流編につづきます。支流も混ぜると、この後何軒のお風呂に出会えるでしょうか。どうかひとつでも、多くの銭湯が残っていてくれますように。
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