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2020年9月

「暗渠」で味わう街歩きの進化形 記事の先にある細かい話

暗渠マニアックスで中央区の川跡(京橋川、楓川、浜町川、龍閑川など)を中心にコースを作り、ご案内したものを記事にしていただきました。奥山編集長、たいへんお世話になりました!

名前に“橋”がつく交差点の謎…「暗渠」で味わう街歩きの進化形
川と関係ない「小川橋」・公衆トイレが「暗渠サイン」…スマホ片手に「AR時間旅行」

 

ゴール地点のその先のことを、ちょこっとだけ補足。


龍閑川さんぽは、龍閑橋の親柱とコンクリートトラスを見てゴール、とすることが美しい、と思う。ただ、その先も実はちょっと、地味だけれどおもしろい。

本記事のゴール地点の上空を、googleの航空写真で眺めてみよう。

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鎌倉児童遊園と書かれたところに、龍閑橋は保存されている。そこから日本橋川に向かってツツツと視線を動かすと、駐車場がカーブを描いていることがわかる。

カーブ、に、ザワ、ザワ。昔の地図を見てみよう。

 

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東京時層地図の関東地震直前。龍閑橋も現役のころ。龍閑川の付け根が見えるだろう。

このカーブと、駐車場のカーブは、一致する。

 

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東京時層地図の、高度成長前夜も見てみる。

龍閑川は埋められた。しかし、末端だけは埋め残されていた。航空写真をみると、日本橋川には、たくさんの舟が浮かんでいる。


このカーブの場所は、もっとも遅くまで、龍閑川が残っていた場所だった。

実際の、カーブの場所に近づいてみる。

 

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カーブの場所に近づこうとすると、入ることはできないが、そこに並ぶは、水道局の車たち!

最後まで残った川跡は、水道局の敷地だった。

 

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ほか、伏越っぽいマンホールや、防災倉庫など、暗渠サインが並んでいる。
思わず下水道台帳にアクセスするわけだが、この位置の下水道台帳は秘匿エリアにつき、気軽に見られない。(下水道局に行けば、見られる。)

 

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この写真は日本橋川側から見たもの。随分前のクルーズ時の写真につき、画質が悪いんだけれど。

さきの航空写真をよく見ると、カーブの下に、何かある。ここには薄緑色の水門があり、下水道台帳では前述の通り詳細が見られないが、これもまた龍閑川の名残のものであるはずだ。


なお、下水道写真家の白汚さんが神田下水と龍閑川の接続地点に入ったことがあるらしい。その際のお話は、非常に興味深かった。

 

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マピオンで見てみると、区境以外は情報がない。まるで何もない場所であるかのようだ。
しかし、現地に行ってみれば、ささやかな、しかし暗渠好きとしては盛り上がる情報がてんこもり!なのである。


地味なことに変わりはないが、わたしはこういう場所に立ち、ひとりでニヤニヤしていることが、大好きだ。

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東京人10月号は暗渠特集号でした(1)

9月3日に発売された「東京人」は、暗渠特集でした。暗渠が好きな方は、概ねすでにお手に取られているでしょうか。


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ついに出た。という感じです。暗渠を介したつながりをあちこちに感じるコンテンツ。吉村も何記事か書かせていただきました。ここまでご縁のあったみなさんや編集部のみなさんに、深い感謝を改めて。

特集は、小池昌代さんの文章に、白汚零さんの暗渠内部写真が合わさった、幻想的で贅沢すぎるコラボレーションにて開始。このおふたりとはそれぞれ別にご一緒したことがありますが、暗渠でここまで心を掴む表現(文字と、写真で)ができるかたはなかなかおらず、ため息が漏れます…

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自分の担当記事としては、局沢川・前谷津川・松庵川の紹介(セレクトにはとても迷いました。この3川はどれも、大事なご縁のあった暗渠たちです)、暗渠で出会うもの、漫画やアニメに出てくる暗渠、開渠時代の事件簿といったコラムを書きました。
それから、暗渠マニアックスとして原田郁子さん青葉市子さんとの暗渠さんぽに協力。このさんぽは、本当にたのしく、刺激的でした。原田さん、青葉さんの感性は想像以上、かつ、土地への意識の向け方がわたしの想像と違っていて、それがまた、すごく、おもしろかったのでした。

 

以下、端折った話、等々、メモ的に貼り付けます。

原田さん&青葉さんとの暗渠ツアーは、渋谷川から初台川まで歩くコース。以下は端折った場所。

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渋谷駅からすぐの、かつて駐輪場だったところ。ここは古写真が何パターンもあるし、地元の古老のエピソードがある場所で、駐輪場だから暗渠サインの話もできる。解説ポイントにしよう、と、ロケハンに向かったところ、えらく変貌していた。渋谷の急激な変化を、分かっていたはずだが唖然とした瞬間。

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改修後の宇田川暗渠が左側を走るY字路。右の道路沿いにかつて銭湯があった。「大東京ビンボー生活マニュアル」では渋谷浴泉、1951年の火保図では月の湯。宇田川のすぐ隣ではないが、時代によってはYの真ん中を抜ける傍流が描かれるので、そこに隣接していただろうか、なんて思っている。

 

前谷津川で載せるかどうか迷った写真を少し。

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歩道橋から見下ろす前谷津川。写真点数に制限があったので、高島平の写真ばかりたくさんは載せられなかった(前谷津川にとっては六の橋で撮られる写真というのは、大事なのだ)。ここで桜を見るときは、川の、様々な過去のことを思う。

記事内で触れる「コンドールマン」は、Fさんから教えていただき視聴したもの。

該当ツイートはこちら

当時の前谷津川の白黒写真を高島平新聞社さんから見せていただいていたので、うおーカラーだ!動く!(動くのは人だが)と大興奮。Fさん、どうもありがとうございました。

記事を書き終えた後、知人が「前谷津川の動画作った」と教えてくれたのも、なんという偶然!とおもしろかった。

前谷津川を歩く   

板橋史談によれば昭和20年代半ばまでに改修が行われたそうだが、徳丸通りより上流はずっと土手であり、ツクシやヨモギが生え、モグラやカエルが顔を出すという風景があったそう。梅雨どきにはカタツムリが大量発生。たくさんのいきものを思い浮かべつつ。

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「開渠だった頃の事件簿」で扱うのは、烏山川、山谷堀、京橋川、桃園川、渋谷川、龍閑川、品川用水、緑川、藍染川、千川上水、神谷堀など。ローカル含む古新聞からの、少しだけ昔の物語を、少しずつ紹介しています。

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これは候補だった写真の一つ、昭和46年6月6日発行の朝日新聞に載る山谷堀。

他にも、埋め立てている最中の神谷堀なども候補写真にしていたけれど、最終的に残った(編集者さんがチョイスした)のは烏山川の写真でした。

 

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