1-4 さんぽ:松庵川

松庵川、およびその支流

西荻滋味さんぽとリオデジャスイロ!

またもお知らせでスミマセン。

西荻で開催される明日・明後日の情報です。
11月12日19時からは、
Qusumi
孤独のグルメや昼のセント酒の著者、久住さんとトークをします。
西荻のまちではいま、ドブエンナーレ関連の展示があったり、グッズが売られていたり、関連本が買えたり読めたり、そして道端にQRコード(ニシオギ水ノオト)が潜んでいてアクセスすると水のものがたりが読めたりするので、それらをたのしみながら会場に来ていただけたら、と思います。
あるいは日中他のまちで遊んで、このトークを聞いてから西荻で飲んだくれるのも素敵です。
正直、情報がどのくらい伝わっているのかわからず・・・、でも、あの久住さん&西荻というだけで、もうおススメイベントといっていいのでは。と、思います。
11月13日、18時からは、
Rio
ブラジル暗渠トークです。
おいしいブラジル料理も味わえるお店、コポドヂアさんで。
海外の暗渠レポートを楽しみたい方、それからブラジル行ったことないからなんか遠いなと思う方のため、わたしが西荻暗渠に無理やり寄せて話したりしてみたい(その場所は西荻でいうとここだ!的な)と思います。
こちらは申込制。奥深く、そしてどこまでも広がる暗渠の世界へ是非おいでください!

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荻窪暗渠展と西荻ドブエンナーレ

お知らせです。

9月からすでに始まっているのですが、、、11月27日まで、「荻窪暗渠展」開催中です。
場所は、杉並区立郷土博物館分館。天沼弁天池のあったところです。
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本日11月1日から、オリジナルコースター第三弾を、アンケート記入をしてくださった希望者に配布中です。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ。
もうひとつは明後日から開始の西荻ドブエンナーレ。
そのうち、上旬開催のイベントについてまずお知らせします。
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11月5日、13時からは、銭湯にて上演される暗渠演劇「一輪の書」。
Siro
おなじく11月5日、19時からはギャラリー数寄和さんで荻窪圭さん・駒見学芸員と中世&地形の「凸凸凹トーク」。
これらふたつは、申込が必要なのでぜひぜひお申し込みください。
Suisha
11月6日、13時からは、善福寺池のほとりで「水辺の茶話会」。水車アーティスト対談、水車とのコラボ演奏などがあり、雨天でも用意があります。
こちらは投げ銭制なので、ふらりと来ていただいて大丈夫です。
今週、暗渠まつりがはじまりますよ~。

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松庵川展のおしらせつづき

松庵川展、西荻案内所にて開催中です。

バーやクイズなどミニイベントをいくつか終え、きょうあすは、ゆったりと展示を見ていただく時間となります。これまでいらしてくださったみなさまには、本当に感謝です。

本日のイベントは、夜から。
18:30頃-暗渠花見酒マラソン松庵川編、です。

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展示物は西荻の地で得た、何にも載っていないオリジナルの情報も多々。

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杉並暗渠オリジナル顔ハメ、

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暗渠化工事、暗渠パズルなど、体験コーナーっぽいものも設けています。
暗渠サインパウンドケーキ紅茶とオレンジ味も、限定販売。
バーは終わりましたが、「どぶ」「どぶのうわずみ」「どぶクリームソーダ」はまだ販売しているので、一杯注文し、飲みながら展示を見るということも可能ですよ。

明日28日18時にてこの展示も終了。
西荻案内所は31日に閉所です。もし近くに来られることがあったら、ふらりとお寄りいただければ、たいへんうれしいです。どうぞよろしくお願いします!

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3月イベントのお知らせ

3月後半、いくつか暗渠のイベントをしますので、ぜひいらしてください!
1つめ。 3月20日(日) 昼
西荻ラバーズフェス の古本屋ステージにて、
11:15頃から、
「ロスト・リバー・ハンティング~暗渠道入門」(トーク&ツアー)
少しだけ暗渠の話をして、1時間半ほどのツアーを行います。
ツアーは、フェス会場から始まって2か所の用水路暗渠(六カ村分水)をたどり、その地のむかしに思いを馳せるもの。特別に潜入?する場所もあります。
10~15名ほど、参加費無料。
当日会場で希望者を募りますが、予約者優先、予約されたい方は西荻案内所まで。
2つめ。同じく3月20日(日)夜は、
「観光まちづくりシンポジウム すぎなみ「道草のススメ」 桃園川と飲み屋街散歩」
というトークをします。
午後5時 ~ 午後7時
開催場所:細田工務店リボン館2階(阿佐谷南3丁目35番21号)
内容:杉並区内に迷宮のように広がる桃園川(暗渠)と中央線沿線に今も広がる風情ある個性的な飲み屋街をテーマに、歴史的背景から生み出される個性的な「まち」の形成について各専門家による独自の視点からお話し頂きます。
申込:当日、直接会場へお越しください。
講師:吉村生(暗渠研究家)、髙山英男(暗渠研究家)、小川勝久(マイタウン阿佐谷協議会会長)、森口剛行(阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り実行委員長)、松原隆一郎(杉並まちなみ愛好家・東京大学教授)
定員:120名(先着順)費用無料
3つめ。3月21日(祝)は、船橋にて、
「暗渠マニアック!+千葉スリバチ学会 滝口さんと歩く城門川」
というまち歩き。
集合場所:飛ノ台史跡公園博物館(※)の入り口前に午前10時集合。
※東武アーバンパークライン(野田線)「新船橋駅」から徒歩約8分、東葉高速線「東海神駅」から徒歩約12分、京成線「海神駅」から徒歩約15分。
小雨決行(悪天候の場合の中止連絡は千葉スリバチ学会のページで行います)、途中参加、途中抜け可、参加費無料です。
午前の部 集合10:00 @飛ノ台史跡公園博物館
飛ノ台史跡公園博物館の山本さんに公園内、行田海軍無線塔跡地、日本建鐵跡地を説明していただきながら散歩をします。その後、昼食休憩。
午後の部 再集合13:00 @飛ノ台史跡公園博物館前
船橋地名研究会会長の滝口さんによる説明を聞きながら、城門川を水源から下ります。
申し込み不要。午前か午後どちらかだけの参加も可能です。
4つめは、3月22日~29日。
「松庵川展」を、西荻案内所で行います。
こちら、会期中にさまざまに形を変える、いきもののような展示になりそうです。
詳細は追って。
4月5月も予定あり、後日お知らせします!

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西荻暗渠探検報告

暗渠企画のお知らせ。

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西荻暗渠探検、街あるきの回は計2回募集し、どちらも締め切られました。
その続き、「報告会」という座学編が11月28日夜にあります。
探検に参加された方も、されなかった方も楽しめるように組み立てる予定で、 吉村による松庵川の全貌、西荻暗渠の全貌とその特徴、謎解き。その後、都内の暗渠全般に詳しい高山さんと、西荻の歴史全般にお詳しい野田さんから濃いいコメントをいただく、という構成にしています。わたしとは、異なる視点を持ったおふたり。

西荻の暗渠はとても個性的で、あたかも西荻の街そのもののよう。その魅力をじゅうぶんに伝えられるよう頑張ります。

それにしても、何故わたしはこんなにもこの企画に熱を入れているのか。それには、わけがあります。以下に、ちょっとだけその思いを綴ります。

                     ***

上京して最初に住んだ街は西荻窪だった。
そもそも東京というものと、ひとりで暮らすということに慣れていなかったわたしは、おっかなびっくり住み始めた。

ゴミの出し方に注意をしてくれた近所のおばさんが、その後もいろいろ気にかけてくれたこと。
そのおばさんが同じ山形の出身のひとだよと教えてくれた、近所の豆腐屋さんがお惣菜屋さんに代わって、そこの肉団子がとってもおいしかったこと。
ちょっと遠くの八百屋さんで、常連さんにオマケとしてあげていたレモンケーキを、「あなたにもね」と言って切ってくれた一切れがなんだか大きかったこと。
美味しすぎて思わずレシピを尋ねてしまった焼き菓子屋さん。唯一無二のパチンコ屋さん宝ホール。深夜番組のおっぱい特集に出ていた銭湯。

おもしろかった。やさしかった。個性あふれる、個人商店の街。それらの人情にたっぷりと支えられて、東京に住み続けられたわたしが居ます。だから、その後もずっと杉並区に住み続けていたい、と思ったのだと思います。

そんな西荻窪に、少しでも恩を返すことができたなら。そういう思いも込めての企画です。軽食付きなので、西荻話に暗渠話、ワイワイ、まったりとたのしめる会になると良いな、と思っています。

お申込は西荻案内所さんまで。ご興味おありの方、ぜひ!

http://nishiogi.in/20141128_ankyo/

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西荻暗渠探検

お知らせ、というにはもう遅いんですが。
既に定員に達してしまったので、締め切ってしまったものですが・・・こういうイベントをやる予定です。

Tanken

西荻案内所さん、さくらいさん(このチラシの背景画を描かれた方です)のお力により、松庵川ツアーを実現できることとなりました。改めてお礼申し上げます。
西荻窪ひみつ暗渠シリーズで、ちょこちょこ書いてきたように、松庵川をはじめとする西荻窪の暗渠たちはほんとうに個性的で魅力的。このツアーでは一部分を抽出し、さらに深められるようなことができたら良いな、と思っています。
告知を開始してから1日もたたないうちに、あっというまに満員御礼となってしまい、ビックリ&ウレシイ悲鳴のひとつとして、このかっこいいチラシが、刷られたのに日の目を見ないかもしれない、ということになってしまいました。ので、勿体ないので勝手に掲載した次第。高速で申し込んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

用意、がんばるぞー!
それから、西荻ではもうひとつイベントを企画中なので、気が向かれましたらそちらもチェックしてみてください。もう少ししたら、告知する予定です。

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西荻窪ひみつ暗渠 松庵川のはじまり

西荻窪の暗渠たちは、まだまだひみつだらけです。

そもそも資料の少ない幻の川松庵川についても、上流部の正確な流路を実は確定できていません。とくに水源の位置は、なんとなくそう思っているだけで・・・

・・・そのぼやけた感じは、西荻窪(とくに駅近辺)の地形のあいまいさのせいでもあれば、この雑な地図のせいでもあり。

Shoankubo1

                     「杉並の川と橋」より

松庵川をさがすとき、最初に得た資料がコレでした。もうちょっと、こう、、と唸らざるを得ない、いろいろとキビシイ図です。

左上に女窪と男窪の名が書かれています。これらはもともと窪地ではなく、甲武鉄道敷設の際に土を採取してできた、人工のもの。そこに水が湧き、排水のため水路が延びてゆく(そして恐らくもとからあった自然河川と繋ぐ)。・・・つまり、明治期にできた水源でした。おなじころ、高円寺や阿佐ヶ谷でも同様の池が複数存在しましたが、西荻窪においてはこのふたつ。そしてこのふたつを合わせて、松庵窪と言ったようです。

松庵窪(女)からの流れは、第二松庵川(仮)へと。
松庵窪(男)からの流れは、松庵川へと。
いずれも善福寺川に注ぐ。と、ある文献には書かれています。

現地に行ってみるとそれなりに、女窪、男窪(推定)のあたりは低いように感じます。
しかし、女窪は水源そのものよりも、そこから下のルートがわかりにくいので、そちらに気を取られていました。
男窪は松庵川の流路上にあると思っていて、よくよく考えてみるとこの”雑な地図”とは違う位置なのに、まあ地図がズレてるんだろう、くらいの気でいました。

Shoankubo2
             だいたいの地図。googleさんありがとうございます。

東京時層地図でも、西荻窪は残念なことにバッサリ切られて見られません。
それに、わたしは西荻窪に4年住んでいたのだから、このへんのことはだいたい「わかったつもり」になっていて。だから正直、男窪の位置についてはあまり考えないできていました。少なくとも、あえて検証、という気は起こさずに。

ところが、あるときボォーーッと時層地図を見ていたら、

Nisi

           古地図はカバーされていないけれど、陰影図は可能なんだ!

え、なんかここ(赤丸部分)すごく窪んでないか?

女窪と思っていた場所でも、男窪と思っていた場所でもないところに、わりと大きな段差を見つけたのでした。それは、西荻窪に住んでいた時代にも、見た覚えのない場所でした。心がざわざわする高低差です。

これは、行ってみたい。
そう思って、西荻に行ったならあれこれ食べたい、ってなるのを我慢して、何かの合間に、この窪を見るためだけに、途中下車してきました。わずか数十分の旅。

Otoko1

駅を出て南口から、吉祥寺方面に向かいます。すると、まっすぐの下り坂が突然尽きます。このヘタ地っぷりは、たしかに気になってはいましたが・・・。

Otoko2

左折したら最初の路地を奥に入ります。この時点で、ここの住民しか入ってはこない道です、たぶん。

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奥はT字路になっていてすぐに行き止まる。

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そこで立ち止まって、左を見ても、

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前を見ても、少し右に歩いてみても、たしかに崖があるのでした。

松庵川の水源地帯は、とにかく緩やかなので、西荻=平坦気味、という頭になってしまっていました。・・・こんなに立派な崖があったなんて!わたしの知らない、西荻さんの横顔を見た瞬間。

しかしこの位置、前掲の”雑な地図”からすると、ずいぶんと北西にあるように思います。

Kubo

もともと自分が思っていた位置からも、ずっと西です。
しかし、西荻に珍しいこの劇的な窪み方、それから、陰影図で見たときの突然の凹みが、どうも人工的な気がしています。(女窪もそうで、所謂谷頭のかたちになっていないような。)

松庵川は、男窪の湧水を流すほか、吉祥寺の悪水処理も兼ねていた、といいます。ですから、ちょうど吉祥寺からの通り道(の低地)であるここは、水路が脇を駆け抜ける場所であり、かつ、甲武鉄道用の土を掘った場所ではなかろうか・・・
ここが男窪であり、松庵川のはじまりであったのではないだろうか。住宅しかない路地でしたが、そんなふうに思わされました。

さて西荻めしといえば、

Ca

キャロット。
ステもりチキン、とかね。お腹がそんなにすいてないときは(そんなときにここに来るな)、ビーフシチューだとちょうどよいんですよね。

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それがなんと、閉店しちゃってました。。まさかの。。
ベーコン巻きステーキ、好きだったな・・・。コスパがほんとに最高の店だった・・・。

街は変わるもの。ロンドンもなくなった。長崎亭もなくなった。
いっぽうで、ここ数年でオサレな雑貨屋やカフェが西荻にもたくさんできた。大規模再開発がなくたって、こうやって少しずつ、かさぶたができてはゆっくりと剥ぐように、街は変化してゆく。

<後日追記>
キャロットはいつのまにか、復活していました。これは2014年6月に確認したときの写真。

Hukkatu

以前の店主の事情で閉店→替わって復活、という流れのようですが、色々とベツモノになたっという噂もネット上では見かけます。以前のように外にズラリとメニュー&値段は貼られておらず、サンプルも整理されてすっきり(しかも値段書いてない)。そのうちこの舌で、たしかめにいこうと思います。

                        ***

さてさて、今回の窪から松庵川(の、現在明確にわかる)暗渠まで、地形上不自然な点は否めません。
しかし、西荻窪はかつて大規模な区画整理を行っており、そのさいに水路はかたちを変えられ、また盛土された箇所もあったのではないか、と推測しています。この工事の詳細についても、いつか明らかにしたいと思いつつ、あまりの資料のなさに、なかなか掴むことができないまま。
さらに、松庵川の下流部分は自然河川のかたちをしている・・・つまり、明治期にできた松庵窪の他にも、松庵川の水源は存在する可能性があって。それはいったい、何処なのか?

まだまだ服を脱がない、エロスな街西荻窪。松庵窪もまた艶めかし。ひきつづき、エロい目で西荻のことを、眺めていこうと思います。

<文献>
杉並区郷土博物館研究紀要別冊「杉並の川と橋」

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西荻窪ひみつ暗渠 第二松庵川(仮)

西荻窪。松庵川のやや北に、もう一本暗渠があります。
ここもずいぶん、西荻らしくひみつめいてる暗渠。今回は、そこを歩いてみようと思います。

以前のデジカメと今のの混合写真なので、大きさが少々入り乱れますが、ご勘弁を・・・。

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ビターキャラメルソースのプリンで開始します。このカタチ、ナッツの置かれ方・・・かわいい!かわいすぎる!!
空音、というカフェでした。西荻であった某用事(これが、結構大変だったものだから)を済ませ、コーヒーを飲んでプリンを食べて。そうやって呼吸を整えて、暗渠へ向かったのでした。

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それは唐突に始まるんです。

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反対側はこう。とくに川の匂いはしません。
この暗渠は何者か、というと、記述がある文献は1つだけ。しかも、短い短い一文だけ。

女窪からの流れは、神明中学校の周りを流れて本村橋付近から善福寺川に落ちていた。(「杉並の川と橋」より)

所謂松庵川は、松庵窪の「男窪」からの流れであり、その流れについては当ブログ含めいろんな方が記事にされています。松庵窪とは、甲武鉄道の敷設用土採取跡地から水が湧いたものであり、西荻窪には線路を挟んで南北に2か所あったと言われます。北側にある「女窪」が、今回の水路の水源にあたります。

「女」窪が、現在の吉祥「女子」中学・高等学校の位置にあるということは、おもしろい縁と言えるでしょう。吉祥女子の中には潜入できないままですが、閲覧可能な情報からは内部に池というより噴水のような、人工的な池があることまではわかりました。が、これは、女窪の名残とは関係ないような気がしています。
そして、女窪から流れ出た水は、西荻窪の駅付近で線路を横断して、上記の写真の場所までくるようなのですが、その痕跡はいまではさっぱりわかりません。唯一手がかりとなる地図では、この写真の場所あたりまでの水路が点線で描かれているので、もしかすると最初から暗渠だったのかもしれません。

・・・不確定なことだらけ。

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わからないことばかりではありますが、しっかりと目の前に暗渠の道はあります。両側の地面が高いです。

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苔むしてもいます。

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どこまでもまっすぐ伸びます。

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カワイイ壁がありました。
クリーム、グレー、水色の色合いも、この扉のバランスも。

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まだまだまっすぐ続きます。

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護岸・・・ではないかな。
でもそしたら、この石たちは何から何を護っているんだろう。

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そして唐突に終わります。
ここから道路と混ざってしまい、そしていよいよわからなくなります。

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「現在位置」のあたりがちょうど、よくわからなくなってくる場所です。神明中のまわりを周る、と書いてありましたよね。・・・でも、正直に一番外側を大回りしてしまうと、本村橋には行かないんです。

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学校のプール(とその採水口)というと、暗渠沿いにあることが多いですが、それはココ。で、ココを通ると仮定しても、やはり本村橋には行かなくなっちゃうんです。地形的にもよくわからない、難所だと思います。

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神明中学校とブロックを分け合うのが、この天祖神社です。
神明中学校というより、この敷地の周囲を水路が走っていた方が、しっくりくる気がするんですが・・・。

この、神明中学校周辺(天祖神社の東側、神明中学校とその東並び一帯)には周囲に桜が植えられた馬場があり、ゆえに「桜の馬場」と呼ばれていたそうです。そして馬場の周囲には低い土手があり、土手の両側に深い溝があった、とのこと・・・。この溝は、この水路と関係あったでしょうか。なかったでしょうか・・・。

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よくわからないままとにかく下ってゆき、噂の本村橋のところにある合流口?まで来ました。

もやもやしっぱなしだったので、また別な日に再訪。

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遠目に見た本村橋です。橋名が示すように、この上荻2丁目のあたりは、「上荻窪村本村(ほんむら)」と呼ばれていました。村の中心であったことがうかがえます。
この本村橋付近、以前はいろいろなものがあったようです。

まず、この本村橋付近は通称「橋場」と呼ばれ、洗い場もあったそうです。この地で採れた出荷野菜を洗う場として重要だったそうで、記憶画を見ると、ずいぶんと広い洗い場で、大根を洗っている様子が見られます。

本村橋の上流は通称「榛の木原」で、冬には天然氷を製造していたといいます。
そしてこの写真の左手のどこかに、昭和初期まであった「穴稲荷」は、塚上に稲荷社があり、中腹に横穴(大昔からあったらしい)があり、その穴に榛の木原で作った氷を入れて保存したりもしていたという、実におもしろいところ。残念ながら、いまは跡形もありません。
善福寺川の川沿いの道が、本村橋の付近だけやたら広がっていて、ちょっと違和感があります。ここらへんに稲荷があったのでしょうか。

写真の本村橋の下に、2枚前の写真の合流口がわずかに見えますが、このあたり、合流口が他にもいくつもあるのです。前回あまりに謎が解けなかったので、どこかの年代に下流部が付け替えられて異なる流路になったと仮定して、辿ってみることにしました。

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本村橋から少しだけ下ったところにある合流口の上。奇しくも、ここは遊び場13番です。ただの道路みたいに見えますけどね・・・。
遊び場ということは、暗渠指数が高いはずです。

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おっ、こんなにメタルなマンホールは初めて見たよ?

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遊び場13番からまっすぐ行くと、ここに出ました。神明中学校の門ですが、ちょうど天祖神社の敷地との境目です。水路が天祖神社をぐるりと回ってくると仮定すると、色々とつながってくるんですがねぇ。
微地形専門ではないので足のレーダーが全然機能しませんが、地形的にもここがまあまあ低いような気がします(他の道よりは辛うじて)。

・・・数少ない手がかりさえも、無視するような仮説になってしまいましたが、消えた暗渠の行く末は、”天祖神社の周囲をぐるりとまわり、本村橋よりやや下流で合流する”と考えるのが今のところ自分にはしっくりきています。

ああ・・・もう何か食べよう、そうしようそうしよう。また、本村橋まで戻ります。

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隣の置田橋まで遡ります。この写真のあたりは、かつて田圃があったところ(かつ、上述の榛の木原=氷の製造場所も近い)。甲武鉄道は田圃に盛大に土盛りをして敷いたものなので、それ以前はもっと左側までも田圃だったことでしょう。ここは鍋屋田圃といい、昭和初年頃までそんなふうに呼ばれていたそうです。後述する本村庵蕎麦屋の屋号が「なべや」であったから、とのこと。・・・この田圃の向かいに、本むら庵があります。

・・・本むら庵で、蕎麦をたぐるとしましょう。
本むら庵は、創業大正13年。40年以上にわたり、石うすで挽いた蕎麦を手打ちにし、こだわった美味しいお蕎麦を提供しているお店です。

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入店する前に、うろうろしてみました。お店の裏手がこんな崖だったんですね。

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駐輪場になっている違和感スペースがあり、その先には謎の開かずの扉がありました。一応、このノブを回してみましたが、開きませんでした。

さぁさぁ、この地が本村と呼ばれていた頃のことを想いながら、蕎麦をいただきましょう。季節ものの、桜えび天おろしそば、にしてみました。

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桜えび天っ!!こうくるかー!
桜えびというから、てっきりかき揚げがくるものと信じて疑わなかった・・・。この形状だと、触感がとてもすてきで、一匹一匹の旨味とインパクトが凄いです。蕎麦をぜんぶ食べきるまで、天ぷらは冷めることなくサクサクでした。サックサク。おいしゅうございました!

今回の流路はこんな感じです。不明部分について、水色で薄く記しています。
善福寺川桜の馬場支流(仮)と名付けても良かったかもしれませんが、水源が女窪であることを考えると、「第二松庵川(仮)」と呼びたくなってしまいます。

Daini


これまで、西荻窪の暗渠について、いくつか書いてきました。松庵川城山下支流(仮)、そしてこの、第二松庵川(仮)。
いずれも善福寺川の支流にあたりますが、その他にも共通点があると感じます。それは、ひとつには、文献がとても少ないこと。そして、直線(と直角)ばかりで構成されることです。まだ扱っていませんが、松庵川の排水路的に作られたらしきもう一本も、直線で善福寺川に向かいます。

これらをプロットしたものを見てみると、

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(松庵川の中流部以降はサイズの都合で割愛)
みごとに、曲線部分がまるでありません。実は松庵川の下流部になると、曲線を描く部分が出てきますが。でも、今回省いている、善福寺川の上流部にある他の支流たちも真っ直ぐだし、最上流部にある千川分水から引っ張ってきている流れもカクカク気味なんですよねぇ・・・。いずれも、悪水路、用水路、といった目的をもって、人工的に作られた「らしい」のですが。そうならそうで、もっと情報があってほしいのですが・・・。

もやっとするような、それがたのしいような、謎解き西荻窪。
第二松庵川(仮)、上流も下流も、まったく痕跡をとどめず、ただただ真っ直ぐな一本の暗渠が残るのみの川。
ひみつの多い西荻の川の中でも、もっとも「ワカラナイ」の多い川でした。

<参考文献>
・「荻窪の古老矢嶋又次が遺した記憶画」 杉並区立郷土博物館分館
・「杉並の川と橋」 杉並区立郷土博物館
・「杉並の地名」 杉並区教育委員会
・「杉並の通称地名」 杉並区教育委員会

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西荻窪ひみつ暗渠 松庵川のおもいで

松庵川の情報は、とても少ないです。HONDAさんが「幻の川」と表現するように、とても少ないです。書いてあるものといえば、「杉並の川と橋」、それから杉並区郷土史会会報、それから少しの古地図。

ただし、現地には痕跡がある(しかもとてもおもしろい)ので、歩くことをたのしみながら、あれこれ想像を膨らませまくる、そんな風に見てきた川でした。

今回、ちょっと情報が増えたので、該当する場所にだけ行ってみることにしました。

西荻窪で降り、南方向へと歩きます。

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暗渠の前に・・・、長崎亭跡地。
長崎亭のちゃんぽん、香ばしい風味で美味しかったのにな。去年も、食べに来たのにな。閉店してしまったそうです。

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松庵川の、今回の目的地以外はパトロール気分で眺めます。

上流部、健在です。

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線路の方向からやってくる支流も健在ですね。

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お!家があったはずの場所が駐車場になっています。もちろん入ってゆき・・・
タナボタで見られた開渠がこれです。

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後ろを見ると、井戸の残骸もありました。
向こうに向かって、ゆっくり動き出す空母のような。

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西荻と言えば、M学苑。誰しも一度は、電車の中の広告を「なぜ、これ?」と思いながら見つめたことがあるでしょう、M学苑。その、M学苑の建物の脇を覘いた写真がこれ。
M学苑の真後ろを、松庵川は通ります。

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以前からある駐車場の、奥の開渠もパトロール。

あれ、赤い鉄板蓋がある。一部は暗渠だったのか~、ここも。
わはは、座椅子蓋もありますねw

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開渠はそよかぜ通りへと流れこみ、暗渠となります。

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天狗湯の横にあるコインランドリー前に、こんな蛇口がありました。
どうやら地下水を提供してくださるようなのですが、貰う量はほどほどにしないといけないのですね。・・・そんなに大量に持ってく人がいたのですねぇ、きっと。

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天然石・半身浴コーナー、ミルク風呂、W噴出立ちシャワー、歩行コーナー、アロマテラピースチームバス・・・天狗湯、よくみるとけっこうすごい。

そして、そのすぐ先に、高井戸第四小学校があります。今回の目的地は、ここ。
高井戸第四小学校は、松庵川ととても縁のある学校です。その昔、学校の敷地は低くなっていて、松庵川が雨天時にあふれると水が溜まっていたそうです。畑にも出来ず、ゴミ捨て場のようになっていたところ、盛土をして学校にしたそうです。

近所の方の話によると、むかしは松庵川にも鯉、鮒、ざりがになどがたくさんいて、子どもたちもよく遊んでいたそうです。菖蒲が咲いたり、ホタルが飛んでいる光景もここにあった、と。

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見たかったものは、これです。校庭にある丸い池。これ、松庵川暗渠に使用されているコンクリート管なのだそうです。
後述しますが、氾濫時の松庵川にはなかなかすさまじいものがあったようで、近隣の方々はだいぶお困りだったようです。昭和46年についに、3億円かけて暗渠化がなされたとき、高井戸第四小学校では余った下水管をもらって、この池にしたのだそうです。
・・・直径二メートル以上はあろうかという、なかなか大きい管。松庵川の歴史の一部は、こんなところに眠っているのでした。

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そこから流れ出した水が、短い川のようになっています。きれいだったころの松庵川のイメージなのでしょうか?
なんと流末は松庵川暗渠に注ぐのです。

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手前に井戸がありました。地下水を汲み上げ、これをさきほどの流れに回しているようです。

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松庵川、という名は、杉並郷土史会会報において田中士郎氏が書いたもの(「観音川と松庵川」)が初出と思われます。ほか、呼び方としては「大宮下水溝」「大宮前下水」などがみられます。
いっぽう、西荻南~南荻窪~宮前~松庵あたりに住むひとびとにとっては、ここは大正のころは「悪水堀」だったり、昭和では「宮前ドブ」だったり、たんなる「ドブ」だったりという呼ばれ方であったようです。

「雨といえば、高四名物”悪水ぼり”のはんらんー」なんていう記述もありました。たらいに乗って学校に来る子もいたそうです。善福寺川が増水して逆流すると、ナマズが押し上げられてここまできた話。正門前の橋が流され、近所が床上まで浸水する話。近所の金魚屋さん(もしかして、ここかな?)から金魚が流れ出し、ドブに住み着いた話・・・
氾濫がひどい時には、近所の人は高井戸第四小学校に避難しに来て、伊勢湾台風のときには130名近くの人々が2週間も避難していたそうです。かつてはその水が溜まっていた低い場所を、盛って学校にして、こんどは行き場を失った水で困って、学校に助けられるという流れが少し皮肉なように感じますが。。。今じゃもう水はあふれないし、小学校は避難所としての機能を残し、地元の人を守っています。

昭和51年に、暗渠の上にいまのような植え込みが作られ、高井戸第四小学校のみんなで名前を考え、「そよ風通り」となったといいます。・・・そよ風通り・・・。ドブに困らされたこの地域の方々の思いが、詰まっているような気がします。

今回、見たかったのはここまでだったので、西荻の駅に戻るとします。

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カエル設計、という気になっているバーを偶然見つけました。
カエルグッズがいっぱいで、たのしそう。

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で、雑貨屋巡りでもしようと、ふらふら歩いていて、ふと横を見ると、あれ?あんなところに谷がある。高井戸四小のやや西に、このような谷地形がうっすらとあって、支流の存在を思わせます。

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といっても、暗渠サインはまるでなく、よくわかりませんでした。谷は、ここをゆるゆる下って松庵川へ・・・。

謎の多い松庵川。こんなふうに、ちょっとずつちょっとずつ、秘密を解き明かしていく感じがまた、おもしろいと感じました。

さあ、お昼ごはんにしましょう。

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以前、美容師のSさんという方にお勧めしてもらった、女子大通りの彩虹です。その方曰く、「どれも丁寧に作ってあって、何を食べてもおいしい」とのことでした。

鶏の唐揚げ薬味ソース。ネギのほかにパセリの入ったソースで、さわやかにおいしい。もちろん唐揚げもおいしい。

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あと、ゴマ辛みそ麺セット(910円、焼売2個とミニ炒飯つき)の、炒飯が特に美味しかったです。上に乗っているのが、グリンピースではなく枝豆なんです!なんかうれしい!そしてチャーシューがいっぱい入っていて、ラードの風味がたっぷり。

丁寧につくって下さる分、待つ時間も長めなのですが、じゅうぶんその甲斐のあるお店!でした。

<参考文献>
杉並郷土史会会報第127号
杉並郷土史会会報第131号
荻窪小学校創立30周年記念誌「おぎくぼ」
高井戸第四小学校創立40周年記念誌「わたしたちの高4小」

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西荻窪駅から荻窪駅まで歩く③

さいきん、気づいたこと。それはとてもとてもあたりまえのことなんだけれど、さきの計画を立てようとして「年末年始は、あちこちのお店がオヤスミだなあ。」と思い、それから、「あ、でも、暗渠さんぽにはオヤスミとかないじゃん!」と思ったら、なんだかとっても嬉しくなったのでした。

Shoan40 年中無休、ありがとう暗渠さん。

さて松庵川の続きです。

前回の最後の路地から、南下しつづけると、だんだんと草が伸び放題になってきて、不穏な感じになってきます。

ここだって、奥の方に大物が待ち受けています・・・。ちょっとだけ、迂回しようかという考えもよぎりましたが、「いや、折角だから、進む!!」と、大き目の草をかきわけたり踏んだりしながら進んだのでした。

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ひとやま、越えました。振り返る。

ふぃー。

足にはオナモミ的なものがついていました。

でも、草さんたちもけっこう枯れ気味ですね。HONDAさんやリバーサイドさんが通ったときは、きっともっとワイルドだったんじゃないかなぁ。てことで、松庵川中流部探検のお勧め季節は、冬なのかも!

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そしてその先・・・勢いに乗ってきたところだというのに、行き止まりです。

しかも、ぶつ切りで、その先の見当がつきません。近所の犬に吼えられたりしながら、ここいらをぐるぐる回ってみましたが、暗渠らしき道どころか、川らしい地形を見つけることすらできませんでした。
ひとまず、その先の流路がはっきりしているところに行き、逆に辿ろうとしてみると・・・

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慈宏寺にある蓋暗渠の出口(推定)がここなので、ここの地下深めのところに松庵川があるのでしょうか?

それにしても、上の写真のぶつ切り地点から、左の写真に到達するまでは結構な上り坂なので、「うーん、こりゃ、ナイだろ・・・」とか、呟きながらおりました。
なんだかとっても解釈が難しい場所でした。

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その慈宏寺の境内にある蓋暗渠はこうです。これ、かなり感動しました。お寺の中に、コンクリ蓋暗渠だなんて・・・!なんて風流なんだ・・・!!

上述の謎地点でちょっとくたびれていたのもあってか、やたら嬉しく爽やかな気持ちで歩いたのでした。。

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慈宏寺を出ると、つぎに松庵川は姿を見せるのは、道路のお向かい。大宮前体育館と宮前中の間の、ここ。

ここは、さすがに入れませんw

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その流れを追って、裏側へ行くと、あの藪のようになっている暗渠はたしかにまっすぐ続くのですが、その先がまたわからなくなります。

大宮公園から見下ろすと、宮前中の敷地の端、崖との間に、草が生い茂り細く区切られた無意味スペースがあります。藪暗渠から直角に曲がるとするとこれでビンゴなんですが・・・よくわからずもやもやした、まんま。

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その先、しばらく川跡サインはありません。もやもやしたまんま、が続きます。

そういえばHONDAさんが苦心して発見された”民家の敷地内蓋暗渠”もまだ見られていないのです。通り過ぎちゃったかな、と若干さみしく思っていたところに、ありましたありました!なんか観光名所を見つけたかのような感覚・・・

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ふたたび、テンション向上~~!

ぴょんっ と跳ねて、上から撮った図。 

うーん、この光景もおもしろいな~。向こうもこっちも、おうちの壁で分断されています。だれかのうちの壁で守られちゃってることなんて露知らず、街中を通るような気分で松庵川さんは流れているわけで。

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そしてまた、神明通りに戻ってきました。松庵川といっしょに、環八を渡ります。

渡ると住所が高井戸になり、あらちょっと遠くまで来たな、という気持ちになったり、柳窪があってここらへんで洪水になったりしたんだったかな、と思ったり。
そしてトイレに行きたくなって、西友にかけこんだら、工事中で使えませんでした!以降ちょっとがまんしながらの旅ですw

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さ、さ、久しぶりに、暗渠らしさ漂う道がきましたよ・・・!うれしい!

柳窪のあたりで突然きましたw ふしぎと、トイレ欲がふっとびました。コレ、ホント。

鋭角に曲がり、しばし北上する道です。

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ルンルン歩いていると、車止めが、縦・・・

なんかとってもツボに入っちゃったんですけど・・・車止めが、縦! 横におけるスペースがあるのに、縦!!w あんまり意味無いじゃんww

ゆるアスファルトのことも思い出して、松庵川に蓋するときの業者さん、適当だったんかなあ、、若い人がやったんかなあ、、とか思うだけでも、ちょっと面白かったです。

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ふつうの道と、暗渠道のさかいめ。

ちょっ、ちょっと、急いでるんで、通りますよ~~~、っと、さ、さーっと通り過ぎる、松庵さん。

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今度は、なぜか”寄ってる”車止めwww

この、”寄ってる”と”縦”が、ちょいちょい出てきて、その度に笑ってしまいました。

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おおー、きたきた、Y字路! 合流点~~。

合流、ってこた、松庵川さんの支流がきてるってわけで、そっちも辿らないといけませんな。

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と、思って、支流を遡っていったら、けっこうありましたw

蓋暗渠の最後の地点はここです。地図で確認すると、環八の1ブロック手前でした。地形的にはけっこう高くなっちゃってるんで、ここらへんに何か始点になるようなものがあったか、、、要調査。

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本流に戻ります。

あとはもう、河口が近いです。このように、いくつか分岐点があります。トイレの件もありますから、今回は短縮作業で、ひとつだけ辿って終わることにします。残りの流路については、積み残し~。

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善福寺川と合流!

こけし屋でさんざ腹ごしらえをしたというのに、もうお昼で、ずいぶんお昼ご飯を食べたくなっていますw 

荻窪まで出て、ヴィレッジヴァンガード・ダイナーでハンバーガー&炭酸にしました。つぎの用事があったので、ビールは泣く泣く止めといたのです・・・すぐ顔が赤くなってしまうので。せめてビールの味を、と思ってノンアルコールビールを頼んだら、ヴィレヴァンには置いていないとのことでした。。

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