ミズベリング記事(暗渠と下水道)掲載のお知らせ
書きたいことは、ほんとうに、やまほど。
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工事現場の見学など
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6月。それは下水道系見学の季節です。
が、今年はいろいろと時間がなくって2箇所しか行けませんでした。しかも、その2つが実は至近距離でして。
6月。なんていう切り出し方をした割に、もう7月も後半戦なわけでして。今回はそれらをいっぺんに記事にしちゃおうと思います。
どこに、行ってきたかといいますと。
八丁堀です。
桜川という別称も持つ江戸の掘割のひとつ。
八丁堀(桜川)の埋め跡にできた、桜川公園にあった案内板によれば、
・江戸時代初期に京橋川の下流から隅田川へと開削された水路
・通船が目的
・明治16年に桜川と改称
・昭和35年~41年には中ノ橋(真ん中)~稲荷橋(河口)以外の上流部が埋め立てられ、昭和44年に完全に埋め立てられた
というのが概要のようです。さてどちらの名で呼ぶか・・・今回は、桜という言葉を冠したものが多いので、「桜川」と呼んでいくことにしましょう。
桜川跡の隣に、桜正宗の文字があるということ・・・。何かの縁なのでしょうか?
ちなみに桜正宗の向い側にはカレー屋さんがあります。アイマン。
・・・ん?わたしが食べに行ったときは「アイマン」じゃありませんでしたが。
ここ、カレー味のチャーハンの上にカレーがかけられた、カレーチャーハン(詳しくはリンク先参照w)が食べられるお店なのです。店の名前が変わっても、カレーチャーハンは健在のようです。
さあ、2つの下水道系見学のうち、最初にご紹介するものは。アイマン脇を東側へ向かいます。
桜川公園を抜けて、
桜川屋上公園も抜けます。
こんなところに、屋上公園があるなんて。
下を通って行ってもいいわけですが、あえて屋上に上がっていきます。地下も好きだけれど、屋上も大好きなのです。
ここが屋上公園です。
緑が結構あって、フェイク池やフェイク川まであるのですが・・・残念なことに周辺の建物がもっと高いので、屋上感ゼロというかなしさ。
かなしいな~っと思いながら屋上公園を抜けると、そこには亀島川が見えました。川面が見えただけで、かなしさ解消です。
前述の桜川の話でいくと、稲荷橋のあたりですかね、ここは。
亀島川を見ながら階段を下りていくと・・・、ああ、そうか、荒川自然公園みたいに、施設の上にある公園だったのか、ここは。いまいたところの下が、目的地である桜橋第二ポンプ所なのでした。
桜橋は、桜川に架かっていた橋のひとつです。しかし、この位置からはやや離れており、”桜橋ポンプ所”のほうの近くに、桜橋はありました。
さ、桜橋第二ポンプ所の見学へ。
ポンプ所の見学記事って、何個も書いているとバリエーションがなくなるっていうか・・・停電時のためのガスタービン(航空機仕様)と、ポンプを見せてくださるのが定番のようです。
これは、ガスタービン。
で、雨水ポンプ。
そういえばいままで見学したものはほとんどが雨水のみだった気がしますが、ここ桜橋第二ポンプ所は、汚水も扱っているのが特徴です。
京橋系の雨水と汚水、それから茅場町系の雨水と汚水、とあって、京橋系は小さいポンプ、茅場町系は大きいポンプなのだそうです。雨水は大雨時のみ稼働しますが、汚水は常時稼働しています。ちなみに、汚水は芝浦水再生センターへもってゆかれます。
奥が大きい方の雨水ポンプ。茅場町系。
桜橋第二ポンプ所は、桜川の埋め跡にドスーンと建っているのでした。さっき見たポンプ所からの亀島川の眺めには、河口の名残が残っているのだなあ・・・。と、あとから地図を見て気づきます。
桜川のかたちに、亀島川が広がっていますね。
見学後は粗品をいただきます。
今回は、エコバック、スポンジ、カッティングボード、レシピブックのほか、大成建設さんのメモ帳、ふせん、クリアファイルも貰いました。下水道局さん、大成建設さん、ありがとうございました!
***
間髪入れず、2箇所目へ。
八丁堀、ふたたび。
こんどは、桜橋ポンプ所の向かいにある工事現場が目的地です。
桜橋ポンプ所とさきほどの桜橋第二ポンプ所の位置関係は、こうです。
どちらも桜川跡。
でも、今回は桜橋ポンプ所にきたのではなく、現在建設中の、下水道管をつくる模様を見に来たのです。諸々の条件から、ポンプ所の向かいに工事のスタート地点となる立坑がつくられたのでした。
今度の工事現場には、なんと明治期の現在位置とか、
昭和38年の航空写真での現在位置とか、
goo地図でも見れない、昭和38年のこの場所の写真まで掲示してありました。
これはすごいかも!
いままで、この類の見学ではこのような資料が示されたことはないばかりか、川跡の話をしてもほぼスルーだっただけに・・・。早くも興奮してまいります。
中に入れば、セグメントが山積みで、これまた興奮です。
この横で、工事の説明を聞きました。
アサイチで行ったので、ご近所の意識高そうな方々が、結構たくさんいらっしゃいました。場所のせいなのか、土曜だったからなのかよくわからないけれど、とにかくこれまでの見学で最多でした。偶々相方と一緒に行けたわけですが、他にも趣味が近いのではないかと思われる方もいたりして・・・(なので今回は心強いw)
ここでつくられている下水道管は雨水用の貯留管であり、「築地幹線」という名前です。
雨が降りすぎた時に周辺の雨水を入れて、隅田川へ流すもの。桜橋ポンプ所が起点で、ゆるやかに汐留方向に向かいます。
なぜ、この工事が必要なのかというと、環状2号線ができることにより汐留ポンプ所が廃止(環2の下になるから)されるため、その機能を分散させる必要があるからだそうです。そのため、周辺には第二溜池幹線やら、勝どき幹線やら、分散機能をほかにもいろいろ作っているようでした。
では、築地幹線を見にしゅっぱーつ!
エレベーター(結構りっぱな方)で、地下40~50mのところまで下りてゆきます。
ガクゥン、ゴゴゴ・・・
地下に到着。
上を見上げても、ようやっと光がちょこっと見えるくらい。
あめふりだったので、雨粒も滴ります。地下水の湿り気もあります。
では、シールドマシンが作ってくれた、穴の中に入ります。
国会議事堂前の駅に行くと、いつもこの光景を思い出しますが・・・。もれなくこの場でも国会議事堂前駅のことを思い出しましたw
いまは横穴を掘り、セグメントを貼り貼りしています。
これが済んだら、点検の人が歩けるようなコンクリの足場を両脇に作り、その後めでたく貯留管デビューするというわけ。
工事が完了したら、さきほど入ってきた立坑はこういう階段室となり、上にマンホールが2つつけられるのだそうです。
ただし、そのマンホールには特殊な表記はせず、他のマンホール同様の、ノーマル「東京下水道」マンホールになるのだそうです。
そんなこと聞いちゃうと、我々が普段目にしているノーマルマンホールの中にも、下が特殊なことになっているやつがあるのかもしれない・・・とかワクワクしてしまいます。
今回の粗品。
下水道局のエコバック、緑色や黄色もデビューしたようですね(これまではオール水色)。ほか、使用済軍手、ボールペン、油とり紙、洗い物用ハケ、ウエットティッシュ、ごみ袋、オリンピック招致シール。なぜかミニ懐中電灯(これ、すごくうれしいw)。それから、鹿島建設さんのタオル。下水道局さん、鹿島建設さん、ありがとうございました!
見学にいくと植物がもらえることもあって。。。今回はゴーヤが貰えるかもしれないと思って家でゴーヤを育てるのをストップしてたんですが、植物はもらえませんでした。
***
・・・で。
これからできる築地幹線を見ていたとき、そういえばこの上を歩くってのも、よいんじゃないかな?ってフト思ったのです。
築地幹線は、こんなふうに通る予定です。この場所の地下深くを。何よりも深く。
ここを、歩いてみたい。
そんなわけで、みたび、中央区へ。こんどは汐留から遡るかたちで、築地幹線(予定)さんぽを始めます。汐留ポンプ所~桜橋ポンプ所、というルートです。
ある夜。
新橋から汐留ポンプ所に向かって行ったら、環状2号線の工事現場を通りました。これがあの、マッカーサー道路のつづきなんだなあ。
高速がパッツリと切られていました。
・・・到着。
もうすぐなくなってしまう、汐留ポンプ所です。まだ、ぽつぽつと灯がついています。
よし、築地幹線(予定)さんぽ、スタート!
ポンプ所から、銀座郵便局の横の道をぐにーっと歩きます。
さんぽに付き合ってくれている相方が、フト「あ、そういえばここはデリカが近いね。」とぽつり。
「!!!!?」
デリカ・・・帝里加!!あこがれのデリカ!!
突然の沸点越え。ずっと行きたかった場所ですもの・・・。開始早々、これはえらい場所に寄ることになってしまいました。
さて、デリカとは。
道端に現れる中華屋さんの看板。これがデリカの入口です。
近寄ってみます。
どーん。
レバニラ、って、ラップに書いてあります。
これは・・・。このお盆を出す意味があるのか?・・・首をかしげながら入口へと回ると、
地下駐車場に降りていく階段にしか見えません。
(というか、地下駐車場への階段なのです。)
地下駐車場に入る扉にしか見えません。
(というか、地下駐車場に入る扉なのです。)
で、どう見ても地下駐車場なんですが、
その中に、あるんです。
駐車場の中にぽつねんと在るんです。
中に入ってみると、近所のサラリーマンで大盛り上がり!壁のかたちはいびつながら、想像よりもずっとちゃんとした内装(というか普通の中華屋さん)で、着席するとここが地下駐車場であることなんて忘れてしまいそうです。
まず、帝里加ルールとして、お酒を置いていないので酒を飲みたいなら各自持ち込むことになります。かつてここに入ろうとし、酒が無いために断念したという相方が教えてくれたので、缶ビールをちゃあんと携えて入店。
席に着くと、店員さんがごく自然な動作で、我々の前に空のビールグラスを置いていきます。みなさん、自前の酒をこのグラスに注いでいます。
ようし。プシッと開けて、トトトト・・・
んで、メニューを見れば安価で美味しそうな本格中華がずらり。迷い迷い、3品ほどたのみました。
最初は写真を撮っていたのですが、壁に貼られた紙にちいさく、「写真撮らないで」と書いてあったのを見てしまったため、ブログに帝里加の写真を載せるのは止めることにします。
はい、ぼかしてみました。
この、ホタテの豆鼓炒めが絶品でした。ホタテはプリプリしてるし。築地が近いから・・・?味付けも良し。ほかにも美味しそうなのがあったし、鍋も安かったし、もっと色々食べにきたいな~。
閉店時間寸前だったので、そそくさと食べます。
帝里加。ディープな中華屋として有名だとは思いますが、なんとここ、築地幹線の上にあるのです。今回のさんぽのルート、まったく外さずに寄れるお店なんですよ!すばらしすぎ。
地上に出てみるとこんな感じ。
銀座局の前の道です。
さて、ちょっとだけ酔って、良い気分で・・・
すぐに、北東に曲がります。
現役の料亭の脇を通っていきます。
日によっては、この場所に黒塗りの車がダァッとならぶこともあるそうで。
大江戸線の上を通過すると(築地幹線は大江戸線の「下」を通るのですが)、また両側にぽつぽつと料亭が。
料亭と新聞社、広告会社などが入り乱れるふしぎなエリア。
築地幹線は、歌舞伎座の脇も通ります。
ちょうどここで、日比谷線の下も潜るというわけ。
なにやら橋が見えてきました。
築地川の跡です。いまはすっかり道路になってしまったけれど。
ここも、築地幹線は潜っていきます。
昭和38年の、このあたりの写真(gooさんありがとうございます)。
銀座には川が一杯あったのです・・・。この写真上の水路は少なくともすべて埋められ、そして、その川底よりもずっとずっと深いところに、新たな水路が埋設されようとしている。
あ。
マンホールの工事に出くわしました。おつかれさまです!
ちょうどマンホール蓋をしめるところで、金属の棒のカンカンカンカン・・・!という音がしました。築地幹線より、もっと浅い位置にある下水管でしょうね。
この下をも潜って、
消防地蔵の角でカクカクっと2度曲がり、
桜橋ポンプ所向かいの立坑に到着です。
ここが今日のさんぽのゴール地点。下水管的にはスタート地点。
工事現場に表示されていた案内を見てみると、いまシールドマシンが居るのはここらへんなのだそうです。
って、あれ、銀座局のところ・・・
ああ、そういえばこういうのを見た!
関連する工事かしら、と思って、一応写真を撮ったのだった。
ということは・・・この位置はほぼ帝里加の位置ということ。
つまり、我々がこのようなホタテをもぐもぐしているとき、まさにその下でシールドマシンが蠢いていた、というわけですね・・・!
ふぉぉぉぉ・・・。
(と、わたしよりも相方の方がコレについては感動しているようでしたw)
そして、工事現場の掲示物にうっとりと見入っている我々に、現場のおじちゃんがとっくに電源を切っていたモニタをつけてくださるという嬉しいことが。不眠不休でがんばるマシンのことを思いながら、缶チューハイをぐびぐびしました。おじちゃん、ありがとうございました!
掘削自体は、どうやらもうそろそろ終わるか、終わったかという時期のようです。その後も、築地幹線デビューまでには残る行程があるようですが。
築地幹線自体は、ほとんどが直線で構成された、あるていど幅広の道の下を通っています。そんなに、面白い道ではないかもしれない。
だけれど、中央区の、かつてたくさんの水路があった場所、その地下深く深くに”これからできる”暗渠のことを想像しながら歩く夜道は、なかなかたのしかったです。
これが、”未来の暗渠”さんぽ。です。
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先日の豪雨のさい調節池が活躍したニュースに、なんだか頼もしいような誇らしいような気持ちになったひとも多いはず。
豪雨からわたしたちを守ってくれる、分水路に調節池。あの日は、首都圏外郭放水路(見学したときの記事)も働いていたのではないでしょうか。
ニュースでも触れられていた神田川。神田川水系には、調節池が9つ(完成済)あります。そのうち、最大といえる環七の地下調節池に見学に行ったばかりであり、タイミングもよいので記事にすることにします。
***
ツアーは、神田川クルーズをしてから方南町まで移動して見学という面白い行程でした。わたしは一応パンクチュアル(1分前とか)だったのに、既に全員が集合しており初っ端からなんだかダメな遅刻野郎みたいな目で見られる(注:気のせい)という、不思議な見学会でありました。
カワセミに乗って、
分水路を見たりするわけです。
分水路については、過去記事(暗渠のウルトラマンをゆく)にて水道橋分水路内に入ったレポートをしているので、今回は省略。
ちなみにこのとき、ガイドさんが「ネットを見ていると、分水路に入ったことを自慢げに書いている人がいるが、ガスなどが溜まっているかもしれないので危険な行為です。でも、自慢している人がいるんですよ。」と批判的に仰ってました・・・うう、勝手に入ったわけじゃないんですけど・・・
で、調節池の部へ。
調節池、は、開渠を歩いていると時折目にします。実は調節池には種類があり、自然流下を利用する「掘込み式」(善福寺川の和田堀にある3つなど)と、排水ポンプの付いた「地下式」(妙正寺川の落合や上高田にあるものなど)、そして今回見に行く「地下トンネル式」があります。
「神田川・環状七号線地下調節池善福寺川取水施設」。環七地下調節池は、取水施設、調節池トンネル、管理棟から構成されるもので、つまりこの取水施設も調節池の一部にあたります。ここが今回の会場。
いま居るのは善福寺川の取水施設ですが、同様のものが神田川、妙正寺川の脇にもあります。
調節池の説明は、模型を使ってなされました。模型っていつ見てもうきうき。
オレンジ丸は取水施設が善福寺川に接している箇所の護岸部分であり、このように穴があり、そこから水を取り入れます。
そこには越流堰があり、上下に動くゲートがついています。洪水のおそれが出てきたとき、このゲートはまず閉まり、水が入らないようにします。なぜかというと、ピーク時に合わせて水を流入させるため(ダラダラ入れてしまうとピーク時の水が十分に取水できなくなる恐れがある)です。
その裏側、取り込んだ水が流れていく先はこうなっています。
ドロップシャフト(流入孔)で立坑の下のほう(減勢池)へ落とされます。ドロップシャフト、というのは回転させながら水を落とすもので、騒音や振動を防ぐ仕組みになっています。このドロップシャフトを水が落ちていく映像を外郭放水路で見ましたが、なめらかでうつくしく(まるで円筒分水のように)、ご飯何杯でもいけるほど好きな感じでした。
もう少し引いてみると、こう。
立坑に落ちた水は矢印のように連絡管渠内を流れてゆき、
環七の地下に行きます。
この、黒っぽい管こそが神田川・環状七号線地下調節池の調節池トンネルです。
ここに水が貯留され、後ほど排水ポンプで放流渠から放流されます。
管理棟には神田川の数か所を観察できるモニターがありました。ここで、注意深く水位の上昇を見るのでしょう。
モニターの横には、中央監視操作盤がありました。きっと先日も、ここに職員さんが駆けつけ、詰めていたことでしょう・・・
さて、いよいよ地下に降りていきます。
立坑内の階段を降ります。
これがめちゃめちゃ深い。特に上りがむちゃくちゃつらい、今までの地下見学系で最高の部類です。見学者は50人くらいだったでしょうか、明らかに最若手だったので、ポーカーフェイスで上り下りしましたが・・・。
降りきって、まず見えるのはドロップシャフトの出口。
ついで、連結管渠の中を歩いていきます。
壁には「マルヒ」とか「マルウ」とか書いてあって気になります。
「ヒ」はヒビワレのヒで、点検の跡なのだそうです。
ここが連結管渠と調節池トンネルの接続箇所。いよいよ環七の下です。
いま通った連結管渠も大きいと感じましたが、こちらは半端ない広さ・・・
果てしなく広がる闇・・・
向こうの端には妙正寺川、後ろの端には神田川。計4500mの長さです。
内径は12.5m、そしてこの上(土被)は34~43m。なにもかもが大きい。
下に溜まっているのは雨水ではなく、消防用の水なのだそうです(冬場のみ溜めている)。
この調節池ができたことによって、浸水被害は激減することとなりました。年に2回ほどの稼働のようですが、これまでの記録(見学時点)によれば、平成21年の台風18号のときが最も流入量が多く、調節池の94%まできたそうです。
先日はどのくらいであったのか・・・まではわかりませんが、
調節池を管理する東京都第三建設事務所、工事第二課の尾上靖課長は「モニターを見ながら川の水を適切に排出することができた。ピークに達してから順調に川の水位が低下し、効果があったと思う」と話しています。
ニュースを読むと調節池とあの管理棟が頑張っていたことが想像されるのです。
ちなみに、この調節池トンネルは年に1度掃除をされ(魚が救出されることもあるそう)、その直後のキレイなときに見学会(2月)をしてくれます。
***
さて、ゴハン。
方南町に来ているわけですから、食事はやっぱりアノ蕎麦屋さんでしょう。ちかてつそば。方南町の駅を出てすぐのところ。
それは、衝撃の「ぬるい」があるお店。
えいはちさんが行かれた時には「ぬるい」がもっと変な感じで独立してたんですけどね。
単に「ぬるい」蕎麦があることが珍しい、だけではありません。わたくし極度の猫舌でありまして、何でも冷まさないと食べられません。世の中の食べ物がすべて「ぬるい」になってくれたら、どんなにありがたいことか。そんな風に思って生きてきたので、この蕎麦屋さんの「ぬる」はわたしにとって待望の「ぬる」なのです。
コロッケとちくわ天をのっけました。ぬるそば、ズルズル~。
・・・ストレスフリー!ぬる最高!
しばらく食べ進めると、目の前に「むきエビ天、4つで50円」がどーんと盛ってあることに気が付きました。えーなにそのあまり聞いたことのない天ぷら!むきエビ天にすればよかった―!としばし後悔していたのですが、ケビンさんによると、むきえび天は人気第3位みたいですね。でも、また食べにいこっと。
のんびり流れる善福寺川を横目に、帰途につきました。
***
実は話はもっと大きくて、地下河川構想、という壮大な構想とこの調節池は関わっていました。
環七の地下を白子川から東京湾までを結び、10河川(含下水道幹線)の洪水を流入させ東京湾に導く約30kmの地下河川、「環七地下河川」という構想があるのだそうです。
その構想のうち一部を先行的に整備したものが、この地下調節池なのでした。大部分が杉並区で、中野区が少々。ただし、この位置の調節池が機能した時点で水害がほとんど減ったため、計画は一応ここでストップしているとのことでした。
環七を走っていて意識することなんてほとんどなかったけれど、通るたびに地下に感謝したくなるようなお話です。
ふだんは、地下深くに眠っている人口の空洞。ふだんは、しずかなしずかな空間。ひとびとを水害から守るために、それはある。これもまたひとつの、暗渠のすがたです。
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かねてより行きたいと思っていた、春日部の首都圏外郭放水路特別見学会に行ってまいりました(Uちゃん、情報ありがとうございました!)。
特別見学会。ありがたい響きです。
首都圏外郭放水路とは(ここをご覧になる方たちはみなさんご存じだと思いつつも)・・・当ブログのおすすめ本にも載っている「ニッポン地下観光ガイド」の説明を要約すると、
春日部周辺には小さな川が多く、しばしば氾濫していたため、それを防ぐために地下につくられた人工の川(立坑およびトンネル)と水槽。水槽=調圧水槽といい、地底湖のようなイメージで、地下25mほどの深さに、長さ177m、幅78mの、サッカー場がすっぽり入るほどの空間である。
といったもの。タイトルにもあるように、首都圏外郭放水路見学、というのは現在、この調圧水槽見学、と同じことだと思います(トンネルの見学はできないので)。
これは現地にあった地図ですが、たしかに数本の川が平地に並んでいます。断面にすると、中川~綾瀬川の部分は”皿のような地形”であり、水が溜まりやすいのだそう。皿の部分を蛇行している川の名は、綾瀬川、元荒川、大落古利根川、倉松川、中川(幸松川、第18号水路、などもみられる・・・気になる名前がいくつかありますが、置いといて)。その更に外側、見沼代用水と江戸川のあたりまでくると、灰皿の上みたいなかたちになっています。
外郭放水路は写真の赤い部分にあります。”皿部分”の水路沿いに5つの立坑をもち、それぞれの水路で水位が上昇し越流堤を超えた場合、その水は各立坑に流入。地下を結ぶトンネルを通り、調圧水槽でストップします。そして調圧水槽で水勢を弱め、スムーズに江戸川に吐き出すのです。(こんな風に文章でグダグダいくより、ここの動画を見たほうがカッコいい!第三立坑のドロップシャフトがとくにカッコいい!)
すべて、地下での出来事。もともと地下ものが好きな自分としては、暗渠趣味より前から行きたかった場所でもあるのですが、平日に行けないわけでもないのだけれど、事前に予約するのが面倒くさい。そして遠い、遠すぎる・・・。この2つがネックとなり、行けていませんでした。
なので、この特別見学会が、しかも暗渠さんぽに行きたくならないような微妙な天気の日に行われて、とてもありがたかったのでした。
久しぶりに東武線に乗り、南桜井駅で降り、バスで向かいます。バスで向かう道の隣、とても引込線跡っぽかったけど、よくわからず。社会科見学好きそうな20~30代の人たちや、お祭り目当ての家族連れなどを乗せ、満員バスがゆくよ、ゆくよ。
バスを降りると、目の前にもう庄和排水機場がありました。左を見れば、放流口もありました。すべてが、どでかい・・・。
この下に、調圧水槽で溜まった水をゆるやかに排出するための機械があるようです。どうやら、ガスタービンを使ってポンプでくみ上げる、つまりポンプ所と同じ構造になっているようでした。
そしてシールドマシン時計(の、奥に見えるのが放流口の水門です、たぶん)。
首都圏外郭放水路トンネル工事で使用したシールドマシンの面板だということで・・・いやぁ考えたもんですねぇ。高原にある花時計みたいに輝いていますねぇ!
これまで、トンネル工事見学で使用中のシールドマシンは見たことがありますが、こんなふうに加工されたものは初めて見ました。日比谷共同溝工事では、任務を終えたシールドマシンの面板はバーナーで焼き切られ鉄くずになった、ということなので、このように保存されているのは、なんとも素晴らしき事哉。・・・みうらじゅん&山田五郎の男同志という番組のキーワードに「シールド工法」を投稿したことがあるくらいには(そして不採用)、好きです、これ。
ざくざく歩いていると、お祭りの会場に出ます。特別見学会の日は、地元のお祭りと一緒なのです。混まないように開始間もない時間にやってきたので、このお祭りのにぎわいはまあまあ、という感じでしょうか。
案内板がありました。
1つ前の写真は、この案内板のほぼ「現在地」で撮っています。つまり、お祭り会場の真下が調圧水槽というわけです。
うほほ・・・お祭りで何か食べる前に、調圧水槽の見学に行くとしましょう。いざ、この地下へ!
ここが、地下への入り口。
ぐるんぐるん、かくんかくんと降りていきます。
地底にたどり着きました。思ったほど潜る感じではなかったです。
さあ、「地下神殿」ともいわれる空間が、すぐそこに・・・!
AP+0.173。
ほんとうは水しか入れない場所に、人がこんな風に居る不思議。
柱に残る模様。
生ビールを上手に飲んだとき、ビアジョッキに残る泡跡のよう。
・・・きっと、そんな風に規則的に水を排出している、おりこうさんの跡。
ここらへんまではよく水が来るのかな。
床にも跡。これは清掃の跡(わからない)?
水の跡。
最近溜まった雨水なのかもしれないけど、横から浸み出している地下水に見えなくも、ない。
あそこを人が歩くことはあるのかな。
立坑が出現。
前述のように立坑は5つあるのですが、そのうち「第一立坑」だけは、この調圧水槽に横付けされており、見学時に見ることができます。
雨で溢れ、向こうの立坑に溜まった水が、ここから入ってくるわけですね・・・。
この階段の存在感といったら。
ここを人が下りることは、あるのかな。
一段上のところ。土が規則正しく溜まっていました。この土がなんなのかは、謎です。
中の雰囲気は・・・たしかに非日常的で、よかったのです。が。
正直、これまでステキすぎる写真を見て、ステキな妄想を繰り広げすぎてしまったのかもしれません。前掲書では”ある人はギリシャのパルテノン神殿を連想するかもしれない”とまで書いてありましたが・・・期待しすぎてしまったのでしょうか、パルテノン神殿は実物を見ましたが・・・ごにょごにょ。自分としては、地下もので比較すると、大谷石採掘場のほうが神秘ポイントは高いかなと思います。材質や暗さの違いなので、人によると思いますけどね。。
ともあれ、配られた資料によれば、ここは今までに73回の稼働実績があり(大体年に5~10回)、水害の減少に貢献しています。もっとも多かった時の排水量が、”日本全国にある小学校のプールの水を集めた量とほぼ同じになるよ!”などと書いてあり・・・いやはや、規模がデカすぎてよくわかんないけど、それってすごいんじゃないだろうか!
で、また階段を上って外に出て、
調圧水槽の上で、よさこいソーランをききながら、野菜たっぷりヘルシー鍋と、コロッケとおにぎりを食べました。
でもね、手打ちそば、焼きそば、焼き鳥に揚げ物・・・いろいろとおいしそうなものはあるのに、アレが無いんです・・・アレが。お祭りなのに、アレが。なので、アレを求めてこの後、武蔵野線で延々ある場所に向かうことにしました。
内容的には全然関係ないけれど、次記事に つ づ く。
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誰もが認める猛暑のある日。
日本堤に行ってきました。
前に来た時のようには、もう迷いませんぜ。
以前もちらりと書いた、音無川(の下流というか山谷堀の付け根というか)と千束堀川の接続地点にあるこのポンプ所がこの日の目的地です。その水路跡に、まず佇みます。でも、どうやらこっちの入口は裏口だった模様。ぐるっとまわって・・・
入口でジュースなどをもらい、ヒィフゥ言いながら2階に上って、施設内を見学させてもらいます。これまでの見学会同様、下水道局の方がリレーで説明してくださいました。
ここは、台東区の一部に降った雨水を集め、排水するためのポンプ所なのだそうです。なんでか、今まで来たポンプ所はすべて雨水専用なんです。
ガスタービンと、ポンプの上端が見えます。
次は、ここから階下に行きます。
雨水が通る、大きな大きな管。
これがポンプです。両国のものに比べたら小さいけれど、そのぶん近くで見ることができます。
2種類のポンプが6台ありました。以前は、2台だったのだそうです。
このスクリューが回転して水を吸い上げます。
しかし・・・なんだか、これまで見学してきた施設と違って、屋内に居ても妙~に暑いんです。ほかと違って地下深くではないので、ひんやりしてないというのもあるだろうけど、空調は??・・・ここ、普段は無人なのだそうです(だから空調設備が機能しないのかどうかわからないけど;;)。もとは有人でしたが、今は蔵前ポンプ所からの遠隔操作をしています。
ポンプを間近で見たら、あとはすぐ横の出口からヒョイッと出て見学はおしまいw
そしてお土産をもらい、帰りは正面らしき側から出ました。それにしても大きな建物で、無人だなんてびっくりします。
頂いた資料によれば、ここはもともとは”浅草ポンプ所”という名でした(住所が浅草田町だったため)。大正11年に誕生した、煉瓦造りのレトロな建物で、地元のひとたちからは”赤レンガ”と呼ばれていたのだそうです。その後”田町ポンプ所”に、そして昭和36年に”日本堤ポンプ所”に改称しています。
完成直後の写真を見ると、放流口がポンプ所の真ん前に見えます。大きなアーチ形の吐口が5つも。その位置は吉原側であり、つまり山谷堀ではなく千束堀川のほうに向かっているように見えます・・・千束堀川が、まだ開渠だったのでしょうか?
昭和23年の航空写真を見ると(gooさんありがとうございます)、こんなふうになっていました。赤レンガ時代のポンプ所です。千束堀川のうち、ここだけが残され、山谷堀がL字型に延びているように見えます。山谷堀本流にはずいぶん船が泊まっています。
先述の5つの吐口が、この写真でも見えていますね。
昭和38年の写真(gooさんありがとうございます)では、こう。L字の先端は埋め立てられ、そして建物が建て替えられています。現在の建物は昭和37年につくられたということなので、この写真は、まあ(なんか前後するけど写真が前のなのかな;)、だいたいその時期ということになります。
千束堀川のうち、このポンプ所脇の部分だけ埋められた年代が違うということでしょうか。そして、
その名残は、今も地面のちょっとした違和感として残っています(yahooさんありがとうございます)。
・・・では、ここに集められた雨水は、どのような経路で放流されるのでしょうか。
実はこの話を通し、今回初めて、下水道局の方と暗渠の話を積極的にすることが出来ました!!放流先は、山谷堀暗渠(=雨水排水専用管渠)なのだそうです。
つまり、今の山谷堀の真下には、下水がさらさら流れているのではなく、大雨が降ったときにだけ雨水が押し流される・・・すなわち普段はカラカラのときが多い、ということになりそうです。
いっぽうで、隅田川の潮位によっては、海水がポンプ所まで遡ってくることもある、というお話も伺いました。ここの地下で、海水の塩分が検出されることがある、と。
ここで素朴に思うのが、「では、満潮時に大雨が降ったらどうなる?」ということ。尋ねてみると、下水道局の方曰く、「ポンプの強い圧力で押し流す!!」とのことでした。それだけ聞くと怖いけれど、その前に、上流にある堀切の水門で調節し隅田川の水位を下げるのだそうです。そんなふうに人々の知恵でシステマティックに支えられつつ・・・満潮×大雨時の山谷堀の地下では、そのような雨水と海水のせめぎあいが生じるようです。
考えてみれば隅田川の潮位により海水が云々というのは、開渠だった頃の山谷堀と同じ現象かもしれません・・・しかし現代の山谷堀暗渠では、大雨のときにはちょっと不自然なことが起きて、そうじゃないときにはカラカラのことが多いのかもしれなくて、でも、付近の方々の暮らしを守る、大切な場所であることは間違いありません。
過去の山谷堀について、マナイタブログに秀逸な考察があります(”源頼朝と山谷堀”)。太古の山谷堀・・・そして今の、この姿を、交互に想ってみるのもまた一興かと思います。
さて、この日のお昼は、と・・・
土手の伊勢屋。ポンプ所から至近距離です。
この建物に一度入ってみたかったのです。
そして、もちろん・・・
天丼、どーーーん!
いちばん安い(イ)天丼ですがこのすんばらしいボリューム!!イカやわらかーーーいー。エビでかーーーい!
モウモウに暑い日だったわけですが、熱っつい緑茶に、熱っつい味噌汁。そして熱っつい揚げたての天ぷらとご飯をかき込んで。ん~、江戸っ子だね!おいしいので、最後の一粒まで食欲が落ちません。
ふぅ。団扇でひと仰ぎ、ひと休み。閉店間際だったので、そそくさと。
おとなりも名店、桜鍋の中江。ここも未訪で、いつか、と思っているお店です。
吉原行く前に馬肉で精力つけて、ってね。・・・中江だけじゃなく、もう少し三ノ輪寄りには”吉原土手 馬肉の千葉屋”もありました。
開店前?のようでしたが、タテガミなどの表示が見えます。馬油もたくさん売ってます。
どうやら酒場放浪記でも立ち寄った模様。馬肉ハンバーグなんてあったんですね。
土手の薬屋もありました・・・”土手の”って、きっと江戸の頃からの呼び名なのでしょうね。
続いて、吉原へ。
いやはや、ポンプ所でも伊勢屋でも、熱い中やせがまんをし続けていたら、だいぶ体がマイってきました。当初は吉原に残る妓楼を探索して帰ろうと思っていたのですが、見られたのはたまたま通り道にあったこの建物だけ。・・・でもコレ、すごい迫力。
おはぐろどぶリベンジは、またの機会といたしましょう。
千束堀川を下って帰り、あとは、夜のビールを少しでもおいしくしようと、テクテク歩いて浅草へ・・・行こうとしたら、軽い熱中症になってえらいめに遭う、というオマケつきでした。
夏のさんぽは、気を付けなきゃいけませんね・・・。とほほ。
今回いただいたお土産はコレです。
エコバック、ウェットティッシュ、洗い物用ハケ、油拭きとり用紙、レシピ集など。あと、お花。
下水道局さま、今回もどうもありがとうございました!
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下水道系見学記事を連投します。なお、これ系の記事が溜まってきたので、”下水道系見学”カテゴリを新設しました。どうぞよろしくです。
つづきましては、小松川のほうに行ってまいりました。
東大島駅、初めて降りましたがここはイイ駅ですね。
地下のはずの都営新宿線が、川を何本か越えるため(でいいのかな?)、地上に顔を出す部分があります。で、東大島駅はなんと、旧中川の上に建っています・・・天晴な川上駅ぶりでした。
今回目指す場所は、ここから南下し、小松川第二ポンプ所。地図にすると以下の場所、小松川1-1にあるはずのものです(yahooさんありがとうございます)。
・・・無いんです。
どんな地図を見ても、小松川第二ポンプ所は載っていません。しかし、下水道局のお知らせ欄には上記のような住所がしっかりと書いてあるのです。
現地についてみてやっとわかったことには、小松川第二ポンプ所は、現在建築中なのでした。
しかし、ただでさえ方向音痴なわたしが、地図にも載っていない、看板も出ていない場所に向かうというのは、えらく心臓に悪いものでした。極めつけに、見学(受付)終了の時間まで残り20分を切っていたのです・・・;おーい、着けるのか??焦る焦る。
横から小名木川がやってきます。
こんな景色も、眺める余裕があまりありません。
あ!それらしき場所がありました。
あー・・・、良かった・・・たぶん間に合った。「見学の方?」と、スムーズに入れてもらえました。
入るとすぐに、このガントリークレーンのようなものが目を引きます。
これは、ケーソン工事なるものと伺いました。これから建つ、小松川第二ポンプ所の建物をつくる場所です。地上付近で建物をつくり、下に徐々に沈めていく工法だそうで、初めて目にしました。たしかに、ひとつ前の記事(両国)のように、ポンプ所は地下深くまである施設。こうやってつくってるんですねぇ。
いくつか区画があるようで、今見えているのは第3号ケーソン(施工中)で、1号、2号は施工完了しています。
これは、”汚染土壌(六価クロム)還元処理プラント”。
この土地から六価クロムが出てしまったので、処理するための設備です。汚染土と還元材をそれぞれこのベルトコンベアーで搬送し、向こうの四角の中にあるミキサーで撹拌、三価クロムにして処理後はミキサーの下から排出するのだそうです。処理後の土は、小松川第二ポンプ所の敷地の中にしまう場所を設けるようなことを仰っていました。
こんなふうに、見たことのないいろんなものに気を取られながら歩いていると、小学生の団体さんとすれ違います。ふふ・・・今日もニアミスで済んだぜ。
新たに来る人はおらず、時間的にもどうやらわたしが最後の見学者のようでした。現場見学を先にしていた一行と一緒に、プレハブ内で工事概要の説明を受けました。
そういえばこのとき初めて、同じ匂いのする人と出会いました。1人できてる人×2、カップル×1が居て、熱心にデジイチで写真を撮っています。質問したりもしています。でも、「工事現場好き」なのか「下水道好き」なのか、よくわかりませんでしたが・・・。
説明は、下水道局の方と、担当の鹿島建設の方が交互にしてくださいました。
今回の工事(正式名称は東大島幹線および南大島幹線その2工事)は、江東区および江戸川区の一部の雨水を収容する下水道を新設するためのものです。
ポイントがいくつかありましたが、特殊高圧噴射装置搭載のシールドマシンを使用することもそのひとつでした。これは、勝島の時とたぶん同じ機能ですね。穴を掘りつつも、障害物の切断除去や地盤改良をしたりするときに使う機能です。
今回の工事では、中川大橋の水道橋防護と大島幹線防護と、都営地下鉄の下にある杭への切断改良がなされる(上の写真参照)とのことでした。
・・・さて、説明が終わり、現場に向かいます。
この下に現場があります。
なんと、わたしひとりに対し、3人の方がついてくださいました。というか、地上にいるときはもっとたくさん・・・またも贅沢見学じゃ~。
現場は、42mも地下にあります。
最初は階段で8mほど降り、
工事用エレベーターで一番下まで行きます。
この、スカスカで、ガタガタするエレベータで下ってゆくのは、なかなか・・・どきどきしました・・・。
一番低いところに、つきました!シールドマシンの裏側が見えます。嗚呼、絶景なり・・・。いまいる穴は、将来下水道管になるわけです。
この工事の特徴の一つに、”親子シールドマシン”を使用している、というものもあります。その名の通り、親マシンに子マシンが内蔵されているのです。径の異なるトンネルをつくるため、という理由だそうです。
親子だなんて、おもしろいなぁ。親の発進は今年の5月で、分離すなわち子の発進は来年になるのだそうです。つまり、いま見えているマシンは分離前、親子一緒ですね。
ちなみに、こんなデカくて複雑なものをどうやって持ってくるのかというと、52分割(!)してクレーンで立坑の下に運ぶそうです。
それから、この写真を見ると、既にできている壁を構成するセグメントは、コンクリートと鉄の2種あることがわかると思います。
これは鉄のセグメント。幅は30㎝だそうですが、ずいぶん大きく見えます。
これでも細いのだそうで、セグメントの1つ1つが微妙に異なる形をしており、それをつなぎ合わせて曲線部分をつくるのだそうです。
一方、コンクリートのセグメントはもっと幅のあるもので、使い分けることで直線部分の施工が早く済むようになっています。
立坑を下から見上げます。
しかし、深い・・・。深さ42mというのは、これまで見学した現場の中でも最深ではないでしょうか。上から見下ろしたら、だいぶ恐ろしかったです。
さて、またエレベータでガタ!ガタ!と地上に向かいます。
そうそう、てっきりポンプ所の何かかと思っていた後方に見える煉瓦の建物は、荒川ロックゲートでした。お隣さんだったんですねぇ。
見学は以上でおしまい。みなさんにお礼を言って、工事現場を後にします。
帰りは、すこしゆとりをもって歩くことが出来ました。大島小松川公園の中を通ります。
旧小松川閘門がにょっきりと顔を出していました。これは、この場所がかつて、荒川と旧中川の合流地点であったことをしるす、古い閘門です。もうひとつの扉は今はなく、残されたこれも、三分の二ほどが土の中に埋まっているという状態。それでも、すごい存在感がありました。・・・期せずして、新旧閘門を味わったわけです。
今回いただいた、お土産をお披露目。
エコバック、油拭き用のペーパー、メモ帳、えんぴつ、消しゴム、ボールペン、カッティングボード。お茶も。
毎回お土産が違うのが、また面白いです。
・・・この日はその後用事があったので、東大島駅では長居しませんでした。が、ここはどうも団地の駅という感じなので、もしお店を探すなら、おとなりの船堀のほうが面白い気がします。
お食事するなら、船堀の駅近くにこんなお店があります。
韓流ダイニングのほほん。オープンカフェで、この無国籍ぶりがとてももやっとする外観。入ると、お皿や内装はイタリアンに見えなくもない・・・のだけど、メニューは韓国が基本、日本と中国がちょびっと。
すごいのが、ここ、朝から呑めるんです・・・。という情報を、「朝呑み散歩」なる雑誌で得、ある日の朝呑みがこれw
洋風の陶器に入ったキムチラーメンと、グラスに入ったマッコリ・・・。水餃子もハイクオリティで、朝から上機嫌です。あ、一応、モーニングメニューもありました、鮭定とかトーストとか。すぐそこでキムチや韓国のりが売られています。ペット連れもOKなようで、足もとに犬の椅子みたいなのがあります。混沌、しかし落ち着くんだよなぁ・・・。
てなわけで、最後は若干逸れましたが、未来の下水道管見学でした。現場ごとに味が違うので、なかなかやめられない、とまらない・・・。
下水道局さま、鹿島建設さま、どうもありがとうございました!
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久しぶりの下水道系見学記事です。
暗渠と下水道ってかなりの部分が重なっているので、下水道局施設の見学にもたまらないものがあります。
阿佐ヶ谷駅前の貯留管、市ヶ谷の下水管新設、勝島ポンプ所の下水管新設、と、見学系記事もたまり始めているので、そろそろ特集の新カテゴリをつくろうかな。
今回は、両国。
江戸東京博物館に向かうとき、誰もがその前を通っているはずの建物です。・・・わたしも、何度もここを通過しているはずなのですが、正直気づいていませんでした。
両国ポンプ所。江戸東京博物館の隣にあります。というより、周辺の景観との調和を図るために、江戸東京博物館との合築構造なのだそうです・・・!
そうそうそう、そういえば、江戸東京博物館の切符売り場の階、無駄に広すぎると思ってはいました。このスペースの下に、ポンプ所があったんですねぇ。
敷地内に入ると、体験系のブースがいくつかあって、結構、人がいました。
小学生や地元の自治会系集団がやっぱりいらしたのですが、たまたま、わたしが中に入ったときは同時の人がいなかったので、ひとりで案内してもらえることになりました。しかも、わたしひとりに対して、職員さん二人がつくという超ぜいたく見学。
てなわけで、見学スタートです!わくわく。
まずは施設の概要を。両国ポンプ所は、付近の雨水を排水し、浸水被害を防止するための施設です。その排水面積は墨田区の約30%にあたる、422万㎡です。雨水のみが対象であり、汚水は砂町へ行きます。
かつて、近辺の都市化に伴って浸水被害が多発した時期があり、それをうけて平成14年にここは完成しました。このポンプ所が出来てからは、浸水は起きていないそうです(設置当時は予想されていなかったであろう、ゲリラ豪雨にも耐えぬいています)。
地下5階までありますが、見学は地下3階から始まります。ここは、電動機(モーター)室。
この電動機が、階下のポンプを動かします。
比較のために人の模型が置いてあります。
次は地下2階の発電機室。ここには、ガスタービン発電機があります。停電時にもポンプが機能できるようにと、立派なガスタービンが1基備えてあり、これでポンプ3台を動かせるとのこと。
ガスタービンはこの青緑色の箱の中に収められていて、入り口はこんな感じです。
これがガスタービンです。引きで撮れないので、見づらくてスミマセン。
かなり大きくて、ぴかぴかで、迫力あるものでした。なんと、このガスタービンは、ジャンボジェット機のエンジンとほぼ同じなのだそうです!
以前は軍用機用のエンジンを使用していた、とも教えていただきました。軍用機のエンジンは、もっと細長い形状なのだそうです。そして、現在でもファントムのエンジンを使っている水再生センターがあるのだそうです・・・うーん、いつかそっちも見学に行ってみたいものだなぁ。
あれこれ質問したり、デジイチでがしがし写真を撮っていたら、熱心なひとだと思われたのでしょうか、この後は1階に上がるのが通常の行程らしいのですが、
なんと、特別に地下5階も見せてもらえました・・・!!
地下5階は、沈砂池から汲み上げるポンプがある場所です。
まずは沈砂池からやってくる水を通す管。これがまた恐ろしく太い。
奥に見えるのがポンプです。とても大きいです。このエリアで最大のポンプみたいです。
ドーナツみたいな形をしていますが、上部に巨大な扇風機の羽様のものがついており、それを回して吸い上げるのだそうです。
このポンプを使い、沈砂池の水を汲み上げます(※自然流下で集められるため、沈砂池は低い位置にあるので、汲み上げないと河川に排水できない)。従来のものは水が来てからしか動かなかったため、急な大雨に対応しにくかったらしいのですが、これは先に空回しができる”全速先行待機型”なので、速やかに排水できるのだそうです。
ここには、このポンプが計6台(二種類の大きさがある)設置されています。すべて稼働させると、25mプールを5秒で排水できるのだと(!)。
機械ばかり載せてきましたが、模型を使って示すと、こういうプロセスです。
右にあるのが雨水が集まってくる沈砂池(途中で砂や芥が取り除かれる)で、その左側にある管の上にあるのがポンプ、ポンプで吸い上げた水が国技館通りの下を通って、左端の隅田川に流されます。
また、模型の”国技館通りの下”に着目するとわかると思いますが、実は、汲み上げた後の放流口までの流れは、このように段々に上向きになっています。
ということは流れきらない水が停滞するのではと思い、そのことを質問してみたところ、残った水はまた回収するということでした。水が停滞し汚れることは極力防ぐようです(ちなみに貯留設備の有無はポンプ所によりけりで、ここには無いそう)。
その、回収用の管も地下5階にありました。
次に向かうは、1階の監視室。業平橋ポンプ所の遠隔操作システムもありました。
このように見学していることが物珍しかったのか、お二人から「どうやってここを知ったの?」「わざわざこのために来たの?」などと訊かれ、答えていたら「・・・もしかして工場見学とか好きなタイプ?」と言われたので、「というより、わたし下水道が好きなんです!」と、はにかみながら言ってみました。いやそれはもう本心なんですが、お二人の反応は非常にうすかったです・・・。以前の市ヶ谷の見学のときも同様だったのですが、下水道局の方に「昔川があったところに下水道幹線がありますよね」などと話を広げようとしてみても、ほとんどスルーされてしまうのでした。
帰り道、それについてツイートしたら、本気にされていない/相手のライバル心に火をつけた/下水道という括りがでかすぎる/相手の専門によるかも/相手は「仕事」なので・・・、等々、色々な仮説をいただいて興味深かったですw
最後に、お土産をもらいました。
エコバック、ボールペン、ウエットティッシュ、メモ帳、洗い物用ハケ、油ふき取り用紙、ゴーヤの苗。
イヒヒ。うれしいんだよな~、こういう下水道局オリジナルグッズ。下水道局さま、どうもありがとうございました!
さて、ポンプ所を後にして、久しぶりの地上を見てみましょう。
この道路の下を放流渠が通っています。
地図にすると、以下のような感じ。
両国ポンプ所に集まった雨水は、水色実線践部分(=放流渠)を通り、隅田川に注ぎます。(yahooさんありがとうございます。)注ぎ口は放流口といい、おそらく行けば見られたはずですが、今回は時間がなかったので省略。
ところで、このあたりには新しめの大きな建物がぼんぼん建っていますが、むかしはどんな土地だったのでしょう・・・と、明治期の地図を見てみると、両国駅のあたりには「両国橋停車場」があり、そのすぐ北には”F”の字のように隅田川からの入堀があり、さらに入堀から伸びる水路がぐるりと囲む中に、陸軍経理学校と陸軍被服廠がありました。
昭和22年になると、このように一つの入堀が残され、貨物駅と連携していました(gooさんありがとうございます)。前出の地図と比較してみると、ほぼこの入堀の上に、国技館とポンプ所と江戸東京博物館が建っているようです。
ポンプ所と水路は、やはりとてもご縁があるようです。
さあてと。ご飯も食べてから去りましょう。
両国、横綱横丁にある洋食?喫茶?ニューストンにリベンジしにいきます。
以前、ここに来たときに「スペシャルスナック」という、なんだかすごいカテゴリを見つけました。
・・・これ。左下がスクランブルエッグスペシャル、右下がチキンスペシャルです。
ビールのお供に一皿頼もうとしたところ、「今日はパンが切れちゃったから、スペシャルはできません」とバッサリだったのです。だから、リベンジ。メニュー名を言いたいだけ、ともいいますが・・・
ところが、この日はランチ時に行ったので、ランチメニューしか頼めないという負け戦でした。ランチメニューにはスペシャルは入っていないのです(涙)。
・・・てなわけで、スペシャル五目炒飯をたのみました。
野菜多めのヘルシー炒飯を、下に敷かれたキャベツの千切りと一緒に食べます。ちょっと面白いし、パラパラで美味しい炒飯でした。
と、なかなか充実の両国でした。
見学系記事、もういっちょ続けたいと思います。
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長いタイトルになってしまいました。
紅葉川舟下り9番目の記事は、過去と現在と未来の合わせ技です。
前回の位置、本塩町から、カーブしながら左に進んでいくと、左手に谷の始まりを確認することが出来ます。市ヶ谷駅の真ん前、市谷田町。その昔水田があったことによる地名だそうで、川の匂いがします。
(本当はもう少し上流で合わさる支流がもうひとつありますが、これは次の記事に回します。)
市谷田町、市谷砂土原町、市谷長延寺町、と、坂道を上がっていくと、すぐにりっぱな崖が出現します。
見渡せば、両側が崖であることがわかります。つまり今歩いている道路は谷底、川があった可能性が高いです。
手持ちの古地図ではここに川をみることはできません。
しかし、たとえば「牛込改代町とその周辺」(伏見弘著)では、中世にはここ、”長延寺谷からの流れ”が紅葉川に注いでいたことが書かれています。
牛込城のことを書いた文献にも、ここにニョロニョロっと川が描かれています。
今は、広くて新しい坂道・・・。
道を上れば上るほど、崖がすごいことになってきます。崖萌えの人にはたまらんでしょうね~。
すると、ここでうれしいおまけに出会えます。
ごみざかほどうきょう。
ブラタモリで江戸時代のゴミ捨て場の話のときに、出ていましたねぇ。今回は割愛しますが、この歩道橋、上って、渡った先の階段の雰囲気がまたすてき。さきほどの切り立った崖の上へとつながっていて、上るけど下りない、というのもまたいい。
歩道橋に上って見ると、そこに広がるのは大日本印刷の敷地。でーん!!
社屋が谷の形に沿って、カーブしつつ、ず~っと連なっています。谷を所有っていいなあ。
大日本印刷谷って呼びたくなっちゃいます・・・。
まあ入れないので、とりあえずもとの坂道を上りつづけます。
振り返ってパシャリ。坂道はいつのまにか谷底から崖上へ切り替わっていて、 写真左側に谷がまだ続いているようです。
そっちには行けないけど・・・、でも、今回はこれでは終わりません。坂道の頂上までいくと、
そこにはこんな建物が!
ふふふ・・・またも(勝島に続き)、下水道の工事現場です。今回はタイムリーなことに、紅葉川と関係しそうな下水道だったので、非常にわくわくしております。
前回の経験により、アポ無しで行ってみました。
新宿区加賀町1~2丁目の汚水と雨水を集める下水道管をつくることが、この工事の目的です。
立坑を掘り、シールドマシンで横に掘るというあれです。
・・・さあ、この日の工事見学も、自分以外は集団のお客さんでした。それも、今度は全員小学生のな!
正直、勝島よりも厳しい展開です。下水道局の方々は「引率の先生ですか?」なんて聞いてくれるけど、ハイとも言えないし・・・子どもたちには「なにこの人」的な目で見られ・・・。
でも、中には入りたい!・・・と、ヘルメットかぶって軍手はめて準備します。
これは立孔。中はすごい広かったです。直径9m、深さ18m。
今まで見た立孔とはスケールが違います。
たのしい、とか、かっこいい、とか思っているのですが、孔の深さと、降りる階段の弱弱しさに、思わず手が震えてしまい・・・写真がぶれてしまいました。
小学生も怖がってたような気が、するけど、そこまで気が回らない。
下まで来ると、やっと安心です。
自分の軌跡を、見上げる。
こんな深さをずっと上り下りするなんて、現場の方はすごいなあ。
降りると、説明の係りの方が待っていて、あれこれ説明してくださいました。
今見えているのは、完成している側です。シールドマシンで掘った後、コンクリートのブロックを中に搬入し、機械で組み立てて下水道管の形にしていくのだそうです。
勝島のときと比較すると、内側の材質は現場により違いそうですね。
この現場は長延寺谷の上の方でしたが、ここから市ヶ谷駅前の外堀通りまで、地下3~17mの深さを499m掘り進めるのだそうです。外堀通りには下水幹線があるので、そこに流すのだそうです。
・・・外堀通りの下水幹線、とやらは、紅葉川の暗渠だったりするのでしょうか・・・?(紅葉川は外濠に合わさると書く人もいるので、ここはもう少し調べます。)
説明の方だけではなく、この空間には7名くらい下水道局の方がいらして、代わりに写真を撮って下さったりもします。
この写真はわたしのことを引率の先生だと思った方が、「子どもたちも一緒に撮りましょうか?」と言ってくださったのを、全力でお断りしたときの写真です。
立孔は頑丈そうな鉄で覆われていましたが、そこからはとめどなく水が滴っていました。
現場の方曰く、地下水の浸み出しということでした。
説明も面白いけれど、ときどきこの湧水に見惚れたりしていました・・・
ちなみに、地上に戻ると、わたしにマンツーで説明してくださる下水道局の方がついてくださいました。これ、大感謝!長延寺谷に川がなかったか聞いてみたけれど、それはスルーされ。ただ、ここの流域について教えてくださいました(後述)。
それから、ふと、工事が終わったらここはどうなるんだろう?、ここもまさかの大径マンホール?と思って聞いてみたら、やはり、この空間は残し、
こうするみたいでした!(ブルーは地面、黒いのはマンホール蓋で、灰色が立孔と下水管です。)
とたんに興奮してきました・・・。ここは直径9m、ほんとにほんとにおっきな大径マンホです。工事が終わったら、ここにこんなのが出来る・・・?
普通の人孔は深さ2mほどだけれど、大径マンホールは直径が長いほど、底が深い可能性がある、ということでした。正直、ここでマンホールの話が聞けるとは思ってなかったんでうれしい!
もう十分お土産をもらった気分でしたが、またもおまけをいただきました。
同じ、下水道の工事現場でも、品物が違うということがわかってきましたw
自分がはめた軍手、タオル、ボールペン、ウエットティッシュ、エコバッグ等をいただきました。ありがとうございます!!
興奮のあまり気付いていませんでしたが、移動してひといきついたら、足がガクガクでした。こんな靴で行くなっちゅう話ですね・・・
ワンピ、トレンカ、ぺかぺかのサンダルといういでたちで行く場所ではなかったようです。
(後の用事に合わせてしまったわけです。今度から気をつけよう。)
今回の工事は、加賀町1~2丁目の下水を集める管を作る、ということでしたが、スタッフの方に浸水などがあったのか訊くと、加賀町よりもさらに北の、甲良町で浸水があったそうです。甲良町は大久保通り沿い、つまり牛込川に近いため、ちょっと驚いて、「その位置だったら大久保通りのほうに流すのではないのか」と聞くと、そこは流域外なので流さない、とのおこたえ。
この流域はわたしが予想したよりもずっと広く、下の地図ではうすい青の部分を占めるのだそうです。この地に降った水をあつめ、紅葉川に注ぐ・・・その流れは中世と変わらないということですね。
今回の支流は、この立派な谷、大日本印刷谷長延寺谷にあやかって、紅葉川長延寺谷支流(仮)と呼ぶことにします。
ちなみに、鈴木理生氏は「神楽坂まちの手帖第10号」にて、紅葉川のことを長延寺川と記しています。本流と重なるような支流名をつけるのもまぎらわしいですが、そう呼ばなければわたしはもう大日本印刷支流、しか思いつかないので・・・w
牛込城の検証をする文献では、この長延寺谷支流(仮)を大日本印刷の敷地よりずっと下側からニョロニョロ描いていたりしますが、実際にはもっと上まで谷はあります。そして、水源についてはまたも、わかりません・・・。宿題。
この、人通りも少なくて目立たない場所にて、
かつて流れていたであろう、長延寺谷支流(仮)。
現在のひとびとが働く、大日本印刷谷。
そして、現在のひとびとのくらしを守るための下水管が新設されて、その工事現場は、未来の大径マンホールとなる。
そんな、いろいろなものが味わえた、短いさんぽでありました。
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勝島ポンプ所に行ってきました。
ちょうど、下水道月間で”勝島幹線工事”のようすが見学できるということなので。(”勝島”という言葉も初めて聞いたほどアウェーな場所ですが、見学日が一日しかないため、近所の下水道はほぼ見られなかったのでした。)
こういう見学系は、当日行こうとして涙をのんだこともあるため、前日に電話で予約の必要を確かめました。すると、「予約は要らないけど、午前中に小学生の見学が多いから、昼過ぎに来たらゆっくり見られますよ。」とのありがたい情報をいただきました。
なので、お昼をちょっとまわったくらいに行くことに。初めて鮫洲という駅で降り、レトロな写真屋さんなんかをながめながら、てくてく。
若干道に迷って、明らかに遠回りをし、汗だくになりながら到着。
・・・そこには、下水道局の方々と、結構な数の先客がいました。
ゆっくり見られるかと思いきや・・・。小学生はいなかったけれど、かわりに地元の「○○町内会」のご一行がバーン、といらっしゃいました。
そしてその町内会の方々(平均年齢7~80歳といったところ)と一緒に見学ツアーに参加することになりました。和気あいあいの団体さまの中に、自分、ひとり。なんたるアウェー感!
まあ、いいんです。以前、水の科学館の見学で自分以外小学生、という状態だったときのやりづらさよりはマシです。筆記具と白紙を手に挑みます。
まず最初はDVD鑑賞。アニメを使って下水道のしくみを解説するものですが(割愛)・・・、神田下水の使用時の映像が見られて、しかも動画だったのでちょっと感動しました。
さて、この勝島幹線工事の概要について簡単に書いておこうと思います。
工事の目的は、立会川・勝島運河等の水質改善のため(合流式下水道システムによる汚水流入を減らすため)、勝島ポンプ所の汚水を森ヶ崎幹線に送水するためのトンネルをつくるといったもの、つまりは合流改善(lotus62さんが書かれた記事へリンク)の一環です。
上の写真で、ピンクの線が引っ張ってあるところが、今回の工事ルート。勝島ポンプ所が発進基地で、森ヶ崎幹線に到着地点があります。このように、2点を結んで直角に掘り進めるようなのですが、赤丸をつけた部分にこの工事の特徴があります。
この部分で”勝島運河潮通し水路(潮通しボックスカルバート)”の基礎杭(RC杭)という障害物に遭遇してしまうので、ここを通過する際に地盤改良および切断・除去を行う・・・これが大きな特徴の一つであるとのこと。
この図のような状態になるってことらしいです。
そしてその地点をもう少し見やすくヤフー地図で見てみると、
この赤丸のところです。しながわ区民公園の下。
つまり、しながわ区民公園は、勝島運河とボートレース平和島をつなぐ、もと運河のように見えるけれど、その下には海水の流れる暗渠がある、ということ??・・・うーん、これちょっと興奮します。
ふだんの川跡に対する興奮とはちょっと違う気もするけど、これはこれで面白い。
見学場所には、色々と説明的な紙も貼られていました。
現在行っている工事は二次覆工であり、一次覆工では銅製セグメントを、二次では内側に強化プラスチック複合管を設置、という風に2重にするようです。で、その間には隙間が出来てしまうので、エアーモルタルで埋めるっていうことみたいです。(全く詳しくないので、間違えていたらご指摘お願いします。とくにエアーモルタルの使い道の記憶が微妙。)
強化プラスチック複合管も展示されていました。
こんな感じです。これが一番内側で、下水が通って行く道というわけですね。
そしてそして!
これが今回の特徴的な工法、”特殊泥土圧式シールド工法”を可能にする、ジェット噴射付きシールドマシン!!
この超高圧ジェット水を障害物(今回はRC杭)に噴射し、反射音から位置・材質等を確認します。
ついで、超高圧地盤改良材を噴射し、周辺地盤の安定や既設構造物の防護を行います。
そして、切断材を超高圧で噴射し、障害物を切断・破砕しマシン内に回収します。
この3つのシステムにより、潮通しボックスカルバートの支え部分を、壊すどころかもっと頑丈にして掘り進められるというわけです。なんだかすごい!超高圧まみれ!
あー、なんかもう、実物を見る前からだいぶ興奮してしまいました。但し周囲には町内会の皆さんがいるので、黙って静かに興奮していました。
さ、見学はいよいよメインディッシュ。ヘルメットをかぶり軍手をはめて、地下に下りて行きます。
阿佐ヶ谷駅前の貯留管工事見学のときには 降りられなかったので、2倍わくわくしています。
さあ、降りたー。
これが下水道のつくりかけだー!
ここに見えるは、まだ一次覆工の状態ですね。銅製セグメントがむき出しで、ところどころ湿っていました。スタッフの方いわく、結露だということでした。
ここは地下8mですが、とてもひんやりしています。
この、バッテリー機関車で、荷物を内部に運んで行くようです。
・・・町内会には、ひとり仕切り役のおじさまがいらして、その方が「自分が常に最後尾から行きますから!」とわたしの後ろに居り、そしてその位置からあれこれ皆に話しかけます。つまり、自分も町内会の一員みたいな感じで見学が進みます。うん、まあ、いいの、もうそんな感じで。。
うれしいことに、中に入れます。
先導するスタッフが、「ここらへんは○○の下あたりですね~」と地上の場所について解説し、町内会の皆さんが「おぉ~!」と感動しているのに、まったくついていけなかったのがさみしかった。。建物も交差点名もわからないもの・・・
工事の途中なので、中にはさまざまな線や、穴などがあります。
これはクラウトホールといって、裏側の隙間に裏込め材を注入するための穴(今は閉じてます)。
結露があるくらいで、地下水が流れ込んだりはしていませんでした。
さ、ここが折り返し地点。ここから先は、二次覆工まで出来ている、つまり出来あがった下水管です。地上で見たサンプルと一緒ですね。
見ているときは真っ暗でしたが、フラッシュをたいたら、こんな風に奥の方が曲がっていることがわかりました。
なぜ曲がっているのか?・・・それは、首都高があるからだそうです。
この写真ではいま見てきた下水管が赤い点線で示されており、上の写真を撮った位置が赤丸のところです。
このすぐ先に首都高速1号羽田線が走っており、この橋脚はさすがに迂回しないといけないため、わずかに曲がるのだそうです。
さあ、もう一度最初の写真をのっけます。
いま、見ることが出来たのは、勝島ポンプ所のところから、わずかに1cmくらい(写真上で)の区間。で、残りの区間は二次覆工が終わっているそうです。つまり、あとちょっとなんですねえ。
このように2つの立孔をあけてのシールド工事でした。
この図は、阿佐ヶ谷駅前の貯留管工事のときに見たものと似ているので、少し理解しやすくなった気がします。
・・・帰りがけに勝島運河をのぞいてみたら、なんだか白く、くもっている。うーん、やっぱり勝島運河は汚れているのかな?
けれどもっとよく見てみると、ボラのような小魚が群れをなしていました。
この下水管が完成して、もっときれいになったなら、もっと色々な魚がみられるでしょうか?
そうそう、今回の見学では、思いがけずお土産をもらえました。
下水道局のエコバック。油断快適って書いてあるトイレットペーパー。油などの拭き取り用ふきん、汚泥で出来たマグネット、カッターシート。など。
見学できるだけでうれしいというのに、ありがたいことです。
・・・この下水管は、来年2月には使用し始めるとのことなので、中に入るのはこれがラストチャンスでした。この場合川跡ではなく、新しくできる下水管としての暗渠でしたが、これはこれで好きかも。やはり、普段は見ることのできない、地下に埋められたものを見られる、というだけで、なにかグッとくるものがあるようです。
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あるとき阿佐ヶ谷駅前にできた、おっきなおっきな薄緑いろの、四角い箱。
なんだろな~?と、さんぽしながら、電車の中から、駅のホームから、ついつい見ていました。その四角い箱には、もともと説明の文章が書いてはあるのですが、わたしは気にはなりながらもそれ以上掘り下げず、むかし阿佐ヶ谷駅前の位置には池があったという話もあることだし、いつか相澤堀の続きを記事にするときに、適当に関連付けて書こう~くらいの、適当なノリでおりました。
そこへ、ちょうどその箱の中を見学できますよ~という、ものすごくうれしいお誘いが!!いただいた時間のうち、おしりの方には用事が入っていたので、途中抜けをしてしまいましたが、すこし早く行って、阿佐ヶ谷の桃園川支流を見たりしていました。
まずは、北側支流(仮)の上流部分。わたしは、なぜか病み上がりに半分だけ辿る、というすごく中途半端なことを過去にしていますw
ほんじつは、残りを攻めましょうということで。リバーサイドさんも記事にしておられますが、ここが辿れる北側支流(仮)の始点です。
これは天沼川の蓋暗渠終点。桃園川探検隊さまの地図だと、この流れが弧を描いてさきほどの北側支流(仮)始点に合流しています。
目で追っていくと、ちょうど、その弧を描くはずの位置に建っている家の壁もカーブしています。
北側支流(仮)に戻りましょう。雨上がりということもあって、ずいぶん湿った空気ですが、もともとここの地面は苔が多く、湿っていそうでした。
ぼうっとあるいていると、視界の片隅に井戸が見えました。
・・・わたしはとても目が悪いのですが、コンタクトは痛くてつけられない・眼鏡は似合わないのであまりかけない→その結果いつも視力が低いまま、さんぽをしています。ところが、井戸のたぐいはレーダー機能搭載なのかわりと見つけられて、この日も我ながらびっくり。
そして北側支流(仮)の、以前ちょこっと見て「憩い暗渠」と思ったところへ達します。
ここにだけ、木を挟んで椅子が二個ありました。ガーデニング充実の、すてきな椅子です。しかし、座るには少し勇気が要ります。
あとは、すでに紹介済みのところばかりあるきましたが、この時期だからこそ見られる、すてきなものもありました。
ここは桃園川本流のやや北にある、卯の木遊歩道と書かれたところ。蓋暗渠をたのしんでいると、向こうにふと、オレンジ色の敷き物みたいなものが見えます。
それは、なんと金木犀のじゅうたんでした!!
わたしはもとから金木犀が大好きなんですが、こんなじゅうたんは見たことがありません。しかも、桜吹雪のごとく、上から舞い散ってくるのです。
すごく良いにおいのする、うつくしいじゅうたん!!
それから、もうひとつ。これもまた阿佐ヶ谷に在る、河北総合病院の前に出てくるコワイ蓋暗渠なのですが、終点部分が空き地になっていたので、こうやって途切れた暗渠を見ることができました。
リバーサイドさんの記事では、ふるい家が建っていたと思われる位置です。
こうやって、断面までしげしげと見つめることができます。
いつ、何が建つかわからないわけなので、これもいまだからこそ見られる光景かもしれません。
・・・でもこの途切れ方、って、何・・・?ここってつながってるんじゃなかったの?と、疑問が増すものを見てしまいましたw
で、そろそろ集合場所へ行こうかな~と、あるいていると、また井戸(隠された井戸w!)が。
やっぱり何度でもあるいてみるものですねえ。
で。きょうのメインイベントは、こちらでございます。
(阿佐ヶ谷ジャズストリートもお忘れなく~~w)
この箱の中に、入れるのです~~(要予約!)。中には工事現場の方がいらして、丁寧に説明をしてくださいました。
まずは工事の概要を(写真撮影の許可を頂いてます)。阿佐ヶ谷駅前一帯は地盤が低く、ここ50年で数回浸水しているそうです。そこで、もともとある下水管が集中豪雨などに耐えられないときのために、雨水を溜める下水道管(貯留管)をつくる工事をするのです。その貯留管は、このイラストのように中杉通り地下に埋設され、雨水を取り込む立あなが南と北に1つずつ設けられます。つなぐ先は桃園川幹線なので、それだけでも興奮!
工事の際の騒音を防ぐなどの目的で、この緑のでかい箱(=防音建屋)はあるのだそうです。
さて、地下にある工事現場へ・・・は、入れませんでした(涙)。工事中で、危険みたいです。
でもこうやって、眺めてるだけで、「タモリ倶楽部みたいでたのしい!!」と、興奮します。地下モノだし!
これが地下トンネルの入り口です。
シールド工法で掘り進め、立あな2つと、横のトンネルを1つつくるのです。
横のトンネルは徐々に傾斜させ、桃園川幹線方向へと水が流れるしくみです。
流れた水は、晴れた日に桃園川幹線に取水され排水されます。
掘ったら当然、土が出てきます。その土はこのクレーンでもって移動させ、
この土砂ピットに溜められます。
みてみると粘土っぽい土が溜まっていました。この土は、トラックで千葉の土処分場まで運ばれるのだそうです。・・・また遠いんだねぇ。
その土砂ピットのとなりには、雑排水槽というものがあり、くろい水がけっこう溜まっていました。こちらは、掘削時に使われた水(シールド工法ってたしか水流しながらやりますよね)を捨てる場所。
こちらの水は排水しても良いような状態まで処理してから捨てるのだそうです。
掘るのは、”武蔵野砂礫層”と、”ローム質粘土”の間。地層をチェックしてから掘るので、地下水はあまり出ない、と仰ってました(掘削時に地下水が吹き出ないかという質問が何度かありました。やっぱり気になりますよね。)
工事がひととおり終わるのは、来年春の予定。終わったら、この箱は撤去され、公園になるのだそうです。
・・・とまあ、いろいろな説明をいただいて、感心したり興奮したり。とても興味深かったです。しかし直前のさんぽ時から蚊に刺されまくっていて、ずっと足を掻き掻きしていました(帰ったら一箇所は掻きすぎてあざになっていました;)。この時期の蚊さんはあなどれず・・・刺すも刺したり、15箇所!
いやいや、蚊は置いといて、これは本当にとても良い機会でした!!手配してくださったケロキ師、ご招待くださった桃園川関係のみなさま、それから工事現場の方々、どうもありがとうございました。
(今回の行程地図、あとから載せたいと思います)
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