4 資料

暗渠関連文献

「東京さんぽ図鑑」と暗渠

ただいま発売中の散歩の達人7月号、「東京さんぽ図鑑」。

Rsdqtm3ery6crgnbjxvgcw

ちこっとですが、暗渠で寄稿しています。


6月号が、どんな街にも応用できるご近所さんぽ15の方法。
この7月号は、東京らしさを詰め込んだ、88のキーワードによる図鑑風。
どちらも保存版といえます。

 

Ddyn9nkzq3ggjksbpcshw
7月号は東京の魅力的スポットがずらり。
といっても散歩の達人らしい押さえ方で、東京タワーや町中華のような王道らしきものから、ピンポイントご利益神社や奪衣婆というニッチなところまで。ローカル酒の各説明の丁寧さ。まさかのタヌキ。荒川放水路が単体で!などなど。写真もすてきで、宇宙船みたいなミニシアターに、実物より格好良いかもしれない千駄ヶ谷の富士塚。これまでエリアを区切って取材を続けてきた散歩の達人の保有する情報が詰まっています、ギュウギュウに。


最後に編集部が「東京らしさ」座談会を設けていて、ここが解説の役割も果たしています。読み進めていったら、
「暗渠サインならぬ商店街サインですね」
なんて、編集さんがポーンと言ってて、暗渠の浸透ぶりにニヤニヤ。
さらに読み進めると、能町みね子さんが暗渠をめっちゃ楽しそうにさんぽしてるー!
我々の暗渠ページは少しだけど、ずっと好きだった雑誌だけに、こんな時にご協力できたこと、心底うれしく、光栄に思います。
今回も取材ができず、過去に撮ったものの再構成だったわけですが、編集さんとカメラさんと歩いたあの道、登った階段、聞いた思い出話、食べ損ねた大福…思い出してはジィンとしています。


ぜひ、手に取って見てみてください。

| | コメント (0)

「ご近所さんぽ」、幻の暗渠ページ

散歩の達人6月号をお買い上げくださったみなさま、これから読む予定のみなさまへ。


暗渠ページ、実は「緑道」編も用意してあったのですが、最終的には採用されなかったので、自分たちでレイアウトを真似っこして作ってしまいました笑。
既にお読みのかたは、1ページ増えたと思って、ぜひ、併せてお読みくださいませ。

 

60525


事例としてとりあげた場所は、高島平。以前執筆した板橋マニアもこっそり登場させました。

| | コメント (0)

暗渠パラダイス!のみどころ その3

序章〜各章の扉写真は、ピックアップされた暗渠蓋です。
地方の暗渠も含む、あちこちの暗渠蓋。
ベテラン暗渠ハンターさんはぜひ、どこの暗渠か、当ててみてください。

ーーーーーーーーーーー

今回、みどころを紹介するのは1章後半、「街道を流れていた水路たちのものがたり」。
この章全体は、北品川・新馬場にあるKAIDO BOOKS & Coffeeさんでのトークイベントが元になっている。ある種新境地でもあったため、終了後に「楽しかったねえ!」と言った回数が最多記録だったイベントだ(現在も保持)。

Img_5343

2016年6月、開始前

Img_5344

 

場所としては、八王子、荻窪、品川が登場。八王子は、数年前に参入した研究会の拠点のひとつだったため、定期的に行くようになったことがきっかけ。大事な場所になりつつある八王子のことが知りたいなと思い、調べ始めたところ、結構、沼だったという…。

この章の「みどころ」のひとつは、五街道の延絵図かと思う。これまで見ていたそれは、図録に載っているミニサイズのものに過ぎなかった(それでも楽しめたけれど)。著者得というか、今回、拡大して見る機会を得た。しかし残念なことに、わたしはその時骨折したばかりで、「書籍用に撮影する」機会に同行できなかった。今でも、非常に、非常に悔やまれる。

それから、他の章にも共通することだが、「失われた暗渠」の写真を入れている。
この章では、ある桃園川探求者が撮った写真を、高円寺の商店街振興組合からお借りした。その商店街が発行している冊子に桃園川探究のページがあって、そのページを見るたび、「同志よ」と思っていた(注:先輩です)。そこには、わたしの知らない暗渠の姿があった。
写真の許諾を得る際、その方はもうご存命ではないと知った。もしお会いすることが出来たら、どれだけ桃園川支流の話で盛り上がれていたかわからず… 一度もお目にかかれなかったことは、純粋に残念なこと。けれど、似たような関心の持ち方をし、似たような行動をとった先輩が、近くにいらしたことは、励みにはなる。勝手に受け取ったような気になったバトンを落とさずに持って、これからも歩んでゆきたい。…小さな一枚の白黒の写真には、そんな思いも上乗せされていたりする。

| | コメント (0)

「ご近所さんぽ」と暗渠

散歩の達人2020年6月号に寄稿しました。

Lqedpu3urgmqhsm5kabma

コロナ禍、それはこれまでのようには取材等に行かれないという特殊な状況下。どこかの街の特集を続けてきた「散歩の達人」が生み出したアイディアのひとつは、「ご近所」でした。
そう来ましたか。そしてそれは、「なじみの街が違って見えてくる」と伝え続けてきた、「暗渠」とも親和性抜群なんです。さて、何書こう?これまで集めてきたものを使って、まずはブレストを。

近所のお店にたまに買い物に行くくらい、という日々を過ごしている人も多かろう、と思うと、「お店に行く道のり」か、はたまた「商店街にある」暗渠か、、、と、考えてゆきました。

最終的には、商店街よりも住宅地に寄せ、まずは住宅街にある暗渠サインを図鑑のように提示。ついで、住宅街にひそむ暗渠の事例編として3箇所をとりあげ、暗渠サインの解説(高山)と、妄想の素材として古写真等とそこにあったものがたりを載せました(吉村)。
3箇所とは、新柴又、綾瀬、西荻窪、です。

全体のラインナップも充実、早速いくつか試してみたくなっています。初めて知る無言板やご近所闇の世界には、ずいぶんと引き込まれました。
電線の石山蓮華さんの「上を見る」の直後に我々暗渠の「下を見る」な流れも、やるな!と思ったり笑。

「ご近所」、それはすべての街にあるもの。早速、地方に住む友人が「ポチったよ」と知らせてくれて、とても嬉しく、ありがたく。編集部の書かれた、「いま”散歩”にできること」も、じんわりきます。わたしたちの記事も、ちょっとした気晴らしに、思い出していただけるときがあったら、うれしいなと思っています。

| | コメント (0)

阿佐ヶ谷暗渠マップ作成に協力しました

地図ラーの会さんにお声掛けいただき、阿佐ヶ谷暗渠マップに情報提供をしました。

もともとは、4月の最終週に阿佐ヶ谷でイベントがあったはずで、そのときに、このマップ付きの暗渠ツアーをおこなう予定でした。

阿佐ヶ谷の桃園川支流本流をめぐり、川の記憶や、微妙な地形や地割を少人数で味わうようなツアー。残念ながら中止というか、開催日未定の延期状態です。でも、折角つくったので、マップは出来上がり次第販売する方向となりました。5月5日、発売開始です(もう買えます、たぶん)。

C5aefc91916e1dc7ec9995c94138774f

 

こんな表紙。発売中の他のマップに比べ、中央線色が前面に出ているような気が。
何故ロボットやハトがいるのか、わたしにもさっぱりわかりません。中央線はカオスだからか?そして高山氏の「うさんくささ」が見事に表現されているのには、感動してしまいました。(もしかして西荻にある某学習塾のポスターもヒントにしているのか・・・?!)
あ、大丈夫です、わたしたち全員、大真面目につくりました。

コンパクトサイズに折りたためて、A3表裏。うんちく面と、マップ面の裏表です。桃園川の本流と支流に、情報を集中させています(笑)。

橋を端折りがちな自分にしては珍しく、橋梁情報をそれなりに入れました。杉並区の昭和37年の橋梁マップを参考に。
桃園川の流路については、特に、阿佐ヶ谷の駅周辺の支流に関しては、いつも最後まで迷うんです。僅かな年代の違いによって描かれ方が変わるので、どこまで含めるのか、、と、今回もやっぱり迷いました。最終的には「昭和」であれこれ揃えました。

桃園川がイキイキするように、地元の方から聞いた話もあれこれと盛り込みました。今はもうなくなってしまったお店でインタビューさせてもらった内容、飲み屋さんで聞いた貴重な体験談、阿佐ヶ谷のもつ豊な人情味が紙面から伝わりますように。一方で、戦後ゴタゴタ系のお話は割愛しました。端折ったエピソードは、ツアーガイドのときにでも、さらりとできると良いなと思っています。
…これらの情報を、あの紙面内に見やすく可愛くおさめるスキルも驚異的!

さて、そんなわけで、ひっそりと発売を開始した阿佐ヶ谷暗渠マップ。こちらから入手できます。地図ラーさんたちの販売物一覧はこちら
阿佐ヶ谷近くにお住まいのかたは、何かのついでに歩いて楽しんでいただけますように。阿佐ヶ谷から遠いかたは、残念ながらまだしばらくはいらっしゃれないと思うんですが、この地図を眺めて妄想暗渠さんぽをしていただけたら、そしていつか来ていただけたら、と思います。

それにしても、チャチャっとこういうマップや冊子を作れてしまう、地図ラーの会長&副会長のコンビって最強だと思います。わたしには、何年かかってもまず作れない。こういう形で、桃園川暗渠のマップを作っていただけたこと、心から感謝します。

| | コメント (0)

土木学会誌に暗渠の記事を寄稿しました

寄稿した土木学会誌が、発行されました。
92170411_2514758295456741_66719090435078 
2020年4月号、特集”水辺の国土史ー豊かな暮らしを創るエンジニアリングー”です。
依頼がきたとき、飛び上がるほど嬉しかった、あの感触をよく覚えています。
本文にも書いたとおり、わたしはただの「暗渠が好きな人」なわけです。書籍等書かせていただけるのは幸せなことでしたが、たとえば「暗渠マニアック!」を書いたあと気になっていたのは、暗渠に関連する分野の研究者からの反応、とりわけ、暗渠の本場である工学系のかたの反応でした。
(おそらく、一般書なので土木の研究者に読まれる機会はなかったのだろう、とのちに気づく。)
2016年、どぼくカフェに呼んでいただいたとき、面白がってもらえて安堵したこと!そして、土木を仕事にしている人たちとお話しすることの、愉しいこと!!暗渠をつくったり、管理する人との出会いは夢のようで、興奮の度合いが凄まじかったです…。
暗渠カケダシのとき、四ツ谷にある土木学会の図書館を訪れたことがあります。ニッチすぎる専門誌を読むのが面白くてたまらず、当時の本務先でも読めたのだけれど、どうしてもあそこの棚を見てみたかった。入口で料金を払うさい、用途のほか所属を書かねばならず、当時は「暗渠研究家 吉村生」なんて、書いたら怪しすぎてつまみ出されるんじゃないかと恐ろしく、書けませんでした。今後は、そこまで怯えなくても入館できるかもしれない、と思います笑。
92248516_2514758438790060_19748113383371
そのような経緯もあって、嬉しかった原稿。
いつものとおり高山氏と分担、わたしのパートは最も情熱と情報量を込められるもの、すなわち、事例編として桃園川を書きました。今回は「土木」に寄せているつもりです。
西荻ドブエンナーレ、善福寺川(=開渠)の人として参加した中村晋一郎さんも今回寄稿していて、西荻であのとき起きていた開渠と暗渠の共演が、学会誌にまでつながっていくような感覚もまた面白く。
91802088_2514759378789966_49469598499770
それにしても、表紙裏表紙のイラストがとっ…ても素敵。今回のキーワードである「豊かさ」もよく表現されていると思います。土木の要素が詰まっているのみならず、こんなにもカラフルで、おしゃれで、親しみやすい学会誌が存在しているなんて。
お世話になった編集委員のみなさま、お読みいただいた土木学会員のみなさまに、感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。

| | コメント (0)

どぶがわ

という単語が書いてある背表紙を、見つけてしまったのです。

最近はめっきり徘徊する頻度が落ちた、マンガ棚にて。
11月に出ていたらしい・・・気が付かなかったなあ。

これは、買わざるを得ない。たとえどんなクオリティだろうと、買わざるを得ない。
だって どぶがわ だもの。

そんな、使命感みたいなものを胸に、わたしは「どぶがわ」を手に取ってレジへと向かいました。

【送料無料】どぶがわ [ 池辺葵 ]

【送料無料】どぶがわ [ 池辺葵 ]
価格:650円(税込、送料込)

「谷底の 臭気漂う この川沿いに     私の楽園はある」

・・・とても複雑な読後感。

切なさ、哀しみ。憧憬。ささやかなつながり。
ひとを大切にするということ。
孤独とつきあうということ。
生と死。

わたしが暗渠に感じてきたさまざまなものたちが、やわやわと押し寄せてくるようでした。

これは(開渠でありながら)暗渠のものがたりだ、と、わたしは思います。
作者は、暗渠のことを、とてもよくわかっている(登場する工場名なんかも!)ひとなのではないか、と思います。

感動して涙をだくだく流す、というのとはまた違う。けれど、数時間後に、ひと粒だけ涙が流れました。・・・あれは、なんの涙だったのだろう?

そういえば、石積みや橋の架け方が、山形五堰にも似ているなあ。
読むたびごとに、異なる感覚が心に残る。良き出会いを、ありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ごみ水路水族館」と、桃園川水族館

すてきな絵本と出会いました。

【送料無料】ごみ水路水族館 [ 武田晋一 ]

【送料無料】ごみ水路水族館 [ 武田晋一 ]
価格:1,680円(税込、送料別)

ごみ水路水族館。
絵本でもあるけど、写真集でもあるかもしれない。

水路や川跡のことを探していて、たまたま引っかかったのでした。題名からしてそそられていましたが、ページをめくってみたら・・・

まず出てくるのが水路!しかも、あんまりきれいじゃない水路(むしろゴミだらけの汚い水路)。しかしそこに、実にいろいろの生物がいることにびっくりします。それは、まさにゴミ水路の水族館なのでした。

でも、話は「こ~んなに生き物がいるんですよ」だけでは終わらない。

著者は、この水路を物理的にも歴史的にも遡ってゆきます。舞台は九州なのだけど、東京周辺で起きてきたことと、似たようなことが起きていました。このゴミ水路は蓋をされなかったというだけで、これはまさに、東京の暗渠の歴史。・・・そして、水路に棲む外来生物について説明しながら、今のこと、これからのことにも、著者は思いを巡らせます。

最初に著者が出会った水路は、多くの人が「ドブ川」と呼ぶものではないかと思います。
その「ドブ川」を見ると思わず辿りたくなる人が、わたしの周囲にも何人もいるわけですが(湧水の小川もいいけれど、放置されたドブ川にも胸キュン)、この著者はなにかちょっと近いものがある方なのかもしれません。文章も、好きな感じだし。

それにしても、こういうアプローチでドブ川を取り上げ、みている人が、いるのだなあ。

                       ***

ドブ川、といえば。
たまたま、”「どぶ」考”という論考にも最近出会いました。

なぜ、わたしたちはああいった水路を「どぶ」と呼ぶようになったのか。それを、使用例や地名から探っているものです。

どぶは、「濁った(※1)」、「すべて(※2)」、「下水溝(※3)」といった意味で用いられてきた、ということ。地名では「土腐」「土浮」「道場」などがあり、かつて低湿地であった場所が多い、ということ。

※1 ただし大阪の「丼池(どぶいけ)」の由来はどぶろくのように濁っていたから、とも、池がドンブリ型であったから、ともいわれる。
※2 アンコウのどぶ汁は、アンコウのすべてを入れるから、という説のほか、汁が濁りどぶろくのように見えるから、という説もある。
※3 下水溝を指す方言は、ドブが変化したと考えられるドボス、ドブス、ドスボ、ドブチ、ドブソ、ドボソ、などがある。いっぽう、セセナギ、セシナゲ、ショショナギ、ショショナゲといった言葉もあり、これらは「せせなぎ(不浄水)」からきていると思われる。以上、石川県の方言より。

ということが、まとめられていました(というか、明快にまとまってはいないのでもやもや)。河川の呼び名然り、由来を探るのって難しい・・・。
なんとなく共通認識で「ああいうものは、ドブ、と言う」ということが、我々に根付いてきたのは、いったいどういう経緯だったのか・・・もう少し知りたい気もしますが、今回は迷宮入りとします。

さらなる「ドブ」考を推し進めたいひとは、俊六さんのドブ川雑記帳(いろんな角度で「ドブ」を見ておられます)をぜひご覧ください。

                      

                         ***

さて、「ごみ水路水族館」には、たくさんの種類の生物がいました。そのなかには、東京でも地元の方のお話に出てくるけど、「そんなに大きなの、本当にいたんかな?」と思っていたような魚もいて。

蓋をされる前の桃園川のことを、やっぱり思い浮かべるのです。
桃園川には、どのくらい生物がいたんだったっけ?手持ちの資料から、探ってみました。・・・残念ながら、写真には撮れないんだけれど。

メダカ、タナゴは比較的よく出てきます。
それから、フナ、キンギョ、コイ、ハヤ、カエル、タニシ。
クチボソ、ドジョウ、ウナギ、なんてのも。
それから、ホタル。

桃園川緑道を歩いていると、これらの生き物と出会えます。これらの生き物が泳いでいたすがたを、そしてそれをつかまえて遊ぶ子どもたち、愛でて和む大人たちを、想像して歩くこともあります。

                         ***

「ごみ水路水族館」の著者は、ほかにも水と地球の研究ノートというテーマで、

「町の中の泉」

「とける岩の洞くつ」

「木が生える沼」

「消えない水たまり」

などを書かれています。
「町の中の泉」、思わずポチりました。それから、「消えない水たまり」も、次に狙っています・・・。

別著者となりますが、去年いただいた、「たまがわ」も、すてきな絵本でした。

【送料無料】たまがわ [ 村松昭 ]

【送料無料】たまがわ [ 村松昭 ]
価格:1,470円(税込、送料別)

川や水路を出発点に、いろいろなことを考える絵本。

自分のために、子どものために、あるいは甥や姪のために、もしかしたらこれから生まれてくる子どものためにも、持っていてもいい絵本ではないかな、と思います。

<参考文献>
「天沼杉五物がたり」
「思い出 桃交会」
武田晋一「ごみ水路水族館」
福田寛允 「どぶ」考-その語源と由来を探る- 月刊下水道35(12), 56-61.
桃井二小「おぎくぼいまむかし」
「桃三」
「桃三 五十年の歩み」
森泰樹「杉並風土記 中巻」
矢嶋又次「荻窪の今昔と商店街之変遷」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

目で見る杉並区の100年~牧場数珠つなぎ

<おしらせ>
・「おすすめ本」に、いまさらではありますが、渋谷川の本とスリバチ本を追加しました。
・過去記事「三四郎池支流(仮)の流れる先は」でお世話になった、原さん発行のニュースペーパー「向ヶ丘弥生町」内で、当ブログを紹介していただきましたので、この場を借りて御礼申し上げます。後日、記事内に原さんからいただいた新たな情報を追記します。

おしらせおわり。

-------------------

この頃は文献については文末に紹介する形式にしていますが(&右サイドバー)、久しぶりに一冊の本を紹介したいと思います。

「目で見る杉並区の100年」(郷土出版社)という本が先日発売されました。区制80年を記念するこの年に、明治まで遡って100年ぶんの写真を魅せてくれるというもの。
わたしは(珍しくだいぶ前から)予約をし、待ちに待っておりました。

100

ついに届いたその本の中には、知ってる場所も知らない場所も、杉並の昔の写真がいっぱい。といっても、文献で既に見ていたものもちらほら(有名な写真なんでしょうかね?)。
いっぽうで、歓喜の声を漏らしてしまうような情報もちらほら。水路関係で挙げると、桃園川改修工事、桃園川分流、阿佐ヶ谷弁天池近くの”洋食喫茶弁天軒”や、善福寺川沿いのゲルンジー牧場らしき写真などなど・・・。

水路と関係のない話から、ひとつ取り上げたいと思います。

以前、紅葉川の初期のほうで、富久町の交差点で「ここに牧場があった」とか言いながら牧場ハンバーグを食べた記事を書きました(こちらでも)。文献により若干名称がブレるものの、ここにあった牧場を四谷軒牧場といい、近デジの下巻、豊多摩群内藤新宿町大字北裏町(369番)でも、その名を確認することができます。
四谷軒牧場については、ググると赤堤のもの(1985年まであったらしい!)に関する記述が多く出てきますが、その名から察するに四ツ谷から移転してきたものでしょう。

その、四谷軒牧場の名残が、高円寺に現在も”四谷軒乳業(有)”として残っていると、「杉並区の100年」には書いてあったのでした。大正13年、新宿区三栄町(注:微妙に上記の位置とずれるので、要検証)にあった牛乳販売店”四谷軒”が、高円寺と荻窪に出張所を展開していたというのです。

写真を見ると、なかなか立派な2階建てのビル(昭和7年当時)の前に、配達用の”大八車に積まれた牛乳ボックス”がずらり10台以上。大八車・・・
さて、いまの景色はどうでしょうか。

Yotuyaken

このビルの5階に、わりと最近まで四谷軒乳業(有)があったようです。が、現在はもうなくなっているようでした(少なくとも表札はナシ)。
思いっきり高円寺の駅前で、目の前では大将3号店がもうもうと焼鳥を焼いています。。
もともとが牛乳販売の出張所だったわけなので、ここに乳牛がいたりはしなかったでしょうね、きっと。・・・それでも、語られなかった歴史に触れることができ、そして、かつてのさんぽと、今の高円寺駅前がつながりを持った瞬間でした。

四谷軒牧場の歴史とは、四ツ谷から始まり、杉並に出張所を展開し、その少し後に赤堤に移転し、・・・赤堤の牧場は約30年ほど前になくなり、高円寺の名残もつい最近うしなわれた。ということになります。
もうひとつの出張所である荻窪店は、どうやら下井草にあったようで、こちらは牛乳屋さんが現存している可能性が高そうです。しかも、妙正寺川沿い(乳牛もいた模様?)。赤堤の牧場は、北沢川のすぐ近くで、今も名残が多少あるようです。・・・もう少し調べたのち、牧場数珠つなぎ的に、訪れてみたいと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

中野区白地図探しのたび

以前、中野区の歴史民俗資料館で商店街の展示を見たときに、そこで用いられている白地図に暗渠が描かれていることを発見しました。
杉並区の史跡散歩地図然り、区で発行している史跡地図系には、ひそかに暗渠がうねうねと描かれていることが多いです。ところが、中野区にはそれがなかったので、少し物足りなく思っていた矢先でした。

資料館の職員さんに買えまいか尋ねたところ、その白地図は区役所から提供されたもので、資料館には余分が無い、とのこと。おお、そうか、じゃあ区役所でもらってこよう!・・・ここから、思いもよらぬ白地図探しの長旅が始まりました。

Haku1

まずは中野区役所に、レッツゴー!

「こんにちは、なみすけだよ。おとなり、中野区役所にやってきたよ。」

杉並区にばかり居る、なみすけも一緒に連れて行ってみました。ま、このあと無事わたしの胃におさまるんですがね・・・なみすけ。

Haku2

ちょうどお昼を微妙に過ぎた頃に来たので、地図のまえに腹ごしらえです。区役所内の食堂は、中野満点食堂といいました。

こういう、いかにも社食・学食みたいなところって、ワクワクします!カレーか、ラーメンが食べたいなー。定食も気になりましたが、お昼まっただなかに売り切れてしまったようです。

Haku3

で、コロッケカレーにしました。たしか、450円くらいだったような(結構前なのでちゃんと覚えていない・・・)。
10月だったと思うのですが、時期限定で、”みかんがサービス”されていました。かわいい・・・うれしいw

もう、食堂のカレー!B級グルメ!で、満足しました。

お腹を満たし、受付に戻ります。受付の方に経緯を説明して、白地図を扱っている部署はどこか尋ねると、区役所内では扱っていないということ。なんとなくあっさり門前払いみたいに感じたので、防災や史跡でいいからと地図を扱う部署をたずねました。すると、ぶよお堂という日本橋の地図屋さんに行ってくれ、とのことでした。
うーん・・・資料館で聞いたのと違う・・・。なんだか腑に落ちないものを感じつつ、日を改めてぶよお堂へ行くことにします。

Buyoo

別な日。ぶよお堂に行ってきました。
地図だらけの、実にたのしいお店でした!!いろんな地図があるし、古地図もあるし、関係本もあるし・・・。居るだけでたのしい。
けど主たる目的は中野区の白地図なわけで、それを店員さんに尋ねてみました(とても親切に対応していただきました)。すると、、、お店にあったのは、資料館のものとは違う地図でした。白地図には違いないのだけど。でも暗渠が載ってないのです。

Buyoo2

これで、手がかりが失われたような状態です。

まあ折角八重洲近辺まできたので、まさに紅葉川さんぽの途中でもあったわたしは、”もうひとつの紅葉川”跡にあたる、八重洲地下街でゴハンでも食べるか、ということにしました。

・・・ふーむ。あの白地図は幻ではなく、たしかにあった。なのにこんなに難航するなんて。
後日、もう一度中野区役所にアプローチすることにしました。といっても、受付からは同じ対応をされる気がしたので、今度は電話で尋ねます。
すると、今度は広報に回され、そこで広報の方がとても丁寧に対応してくださいました。広報のKさんが調べてくださったことによれば、該当する白地図は”区の業務で使うなら”と作らせたもので、残念ながら区役所にも資料館にも残部は無い。ただし、図書館(資料庫)にはあるようだ、とのことでした。3段階の大きさがあるので、そのどれかではないか、とのこと。ヤッタ!

White

さらに日を改めて、中野区中央図書館へと向かいます。

電話口ではたしかに 東京地図社 と仰っていたので、検索にかけて確認しようとすると、そもそも東京地図社が引っかからない。ちょっと嫌な予感がしながらも、司書さんに直接尋ねます。・・・すると、司書さんは開架にある白地図しか心当たりが無いよう。
この件に関して、連続してうまくいってないので、もうすぐ心が折れそうです。しかし、がんばって広報の方が仰っていたことを伝え、交渉します。・・・すると、「あ、あれかなあ?」と、奥から持ってきてくださったのが、それっぽい白地図2種。

わー、暗渠がニョロニョロ載ってる!!ヤッター!東京地図社じゃなくって、どっちも昭文社だけど。3種じゃなくて2種だけど。でも、いいや、これが探していたものに一番ちかい!”半分”を丁寧に選んで、コピーさせていただきました。

てなわけで、紆余曲折ありましたが、やっとこ入手した、昭文社の白地図。特に中野区役所広報の方には、とっても感謝しています。以前、中野駅前支流について調べたときも、別な部署の方々がほんとに親切でした。中野区役所の職員さん、ありがとうございます!わたし、杉並区民でごめんなさい!
肝心の白地図の暗渠についてですが、概ね知っているものばかりでした。しかし、小淀川島田軒牧場支流(仮)などが確認できたり、支流のちょっとした支流を見つけられたりと、私的には興奮する内容です。確認してみたい方は、中野区中央図書館へGO!

| | コメント (2) | トラックバック (0)