桃園川支流を歩く その13馬橋稲荷支流(仮)と、いくつかの発見
阿佐ヶ谷をふらふらしていました。
今日のおともは、スタバのさくらスチーマー。わたしは甘い飲み物がやや苦手で、いつもブラックコーヒーだから、これはけっこう珍しいことです。(スタバ=カフェアメリカーノをショートで。という決まり。)
立ち止まってはさくらスチーマーを飲み、何処へ行こうかとふらふらしていたら、けやき公園へ出ました。
ははぁ、けやき公園って奥のほうに親水ゾーンがあったんですね~・・・(しらなかった)。・・・と、奥のほうを見ていたら、あるではないですか、アレが!
アレですよ~。
ははぁ~、知らなかったです。ここにも水路があったのですね。けやき公園の東側に、ひっそりと注ぐ水路が。
遡りつつ横に目をやると、あやしげな細道の向こうに公園が見えました。
そして、ここらへんで、なんと猫が寄ってきてくれました!!これはすごい、すごいこと!私は猫が大好きなのですが、(飼ったことがないから?)興味津々なのがいけないのか、ノラくんたちには殆ど逃げられてしまいます。
ですが、このさんぽのときには、なんと計2匹も寄ってきて、ちょっと先を歩いてはみゃーみゃー、立ち止まるとすり寄ってきて・・・と、驚愕の展開でした・・・モテ期到来!?もう、ついて来られすぎて、終いには「は、早くヤツを撒かなければ・・・!」という心境に。
はい、確実にさくらスチーマーの威力かと思われます。よほどホットミルクの匂いがしたんでしょうね。これはちょっと嬉しい発見でした。
で、けやき公園へ行く水路は、こんな形で途切れます。以降は住宅に埋もれます。
さて、もう少しふらふらします。目的なく、ってのも良いもんですね。
桃園川緑道を少し外れたところに、明らかにいびつな五叉路がありました。はじめは道とも認識できなかったのですが、この、人んちに入っていくかのようなクネクネ路地。非常に好みなので、入っていくことにします。
すると。
なんとコンクリ蓋暗渠が待っていました!
きゅうに視界が開けてびっくりし、さいしょは足元に気付きませんでしたが、こんなの嬉しすぎます。しかも、けっこう立派なコンクリ蓋です。
暗渠は、馬橋稲荷神社のすぐ脇を通っていました。
新しめのスロープが伸びます。以前のたたずまいも見たかったなあ・・・
そういえば、神社のすぐ脇に水路、って組み合わせもなかなか多いような気がします。
水路は、馬橋稲荷神社の境内からくるらしき、ちょっとした流れも集めて、流れていくようです。
雪が降った直後だったためか、ほどよく水が滴っていました。
その先もまだ暗渠は続きます。
くりっとカーブし、
またくりっと曲がる、2回め。
その先は、最近舗装されたかのようなアスファルトになっていました。
これの先もコンクリ蓋なので、きっと以前は、コンクリ蓋が続いていたのではないでしょうかねぇ。うーん、惜しい。
そして舗装によって階段がこんなにも埋もれていました。
これだけしっかり固定されれば、ぜったいグラグラしませんねw
ほどなくアスファルト暗渠も終わります。
民家の合間につづく暗渠は、このように塞がれてしまうのでした。
でも、負けないぞぅ~~、っと、壁の上にデジカメを伸ばしてパシャリ(これやってるときって、結構恥ずかしいです・・・うら若き女性3人組をやり過ごしてから撮りました)。
すると、つつましくも支流はまだまだ続いているではありませんか。
さきほどよりもずっと細くなり、表面は土で覆われているようですが、その下にはコンクリ蓋があるのかもしれません。
嬉しいような、なんだかキュンとするような思いがし・・・、ようし、とにかく続きを探すぞ!
隣の道を、この暗渠を気にしながら歩きます。
何軒かやり過ごし・・・
ありましたー!!
続きに出会うことができました。
けど、出会えたと思ったら、蓋の終点でした。
ヒキでみるとこんな感じ。
その先の水路がどうなっているのかは、謎でした。あとは上流方向には明確に暗渠らしきものは見当たらず、さらに進むと公園がありました。
<後日追記>その公園、阿佐ヶ谷東公園にかつて水源があったそうです。つまり最上流部について、もっと辿る必要がありますね。
コンクリ蓋の終点の隣には廃屋がありました。
すでに朽ち始めている玄関の、足元にはこんなすてきな石が敷かれていました。
なんだか、こんなゴーフレットがあったような気がします。
あれー写真がぼやけちゃっている・・・
ちょっと戻って、今回の支流の、ハイライト部分を。馬橋稲荷と一緒に、はいチーズ!
なんだか厳かで、雪で湿ったコンクリ蓋が、かえって似合います。
また勝手に名付けてみると、やはりここは、馬橋稲荷支流(仮)となるのではないでしょうか。
偶然の、嬉しい発見!と思っていましたが、あとから調べてみるとこの暗渠はすでに同じ名前をつけている方がいらしたり・・・
今回歩いたルートを示します。
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コメント
桃園川の支流、奥が深いですねえ。探検隊さんの地図を見ると、まだまだありそうです。
神社と水路の関係、水神という言葉があるように(弁財天がいい例)、水を祀っているからだと思います。昔は神頼みで洪水の恐怖から逃れようとしていたのかもしれませんね。
川沿いを歩くと、小さな祠が結構あります。
投稿: リバーサイド | 2010年2月21日 (日) 01時18分
>リバーサイドさん
おはようございます。ほんと、桃園川支流は奥深すぎます。
そういえばそうですね~、お水を祀っているところ、わりとあった気がします。神社の池から支流が出てたりもしますね~。
しかし天祖神社など、すごく昔からありそうで、お水の神様でもなさそうなところの周囲にもぐるぐる水路があったりすると、これはどっちが先?と、わからなくなったりします。。
投稿: nama | 2010年2月22日 (月) 09時48分
埋もれ階段画像が衝撃的ですねー!マチュピチュの次はポンペイか?とw。
神社やお寺と水の関係は、弁天様に限らず深かったそうですね。昔は湧水をはじめとした「水」は大きな「利権(ある意味統治の道具)」でしたので、「ムラ」の中心となる神社やお寺が握っていた(または民が望んで握ってもらった?)、というお話を、どなたかの資料で読んだことがありました。
投稿: lotus62 | 2010年2月22日 (月) 10時21分
>lotus62さん
こんにちは。埋もれ階段、最近埋もれたんでしょうね、きっと。。
おお~、”統治の道具”!・・・”神頼み”にせよ、なんだか、今後神社等の脇(の暗渠)を通る時の感じ方がまたちょっと深まりそうです。
投稿: nama | 2010年2月22日 (月) 12時38分
はじめまして。この辺りは子供の頃の遊び場でした。
大人になりコンクリの蓋は暗渠ということ、散策対象になるものということを知り驚いています。
今は県外に嫁ぎ、コロナ禍で帰省が難しいですが、暗渠を新鮮な目で散策するする日を楽しみにしています。
最後、コンクリ蓋の終点の右、ピンクベージュの外壁のお宅は、30年ほど前まで銭湯でした。
暗渠の側に銭湯が多い、というのを他の記事で見たので合点がいきました。
また、神社のスロープは昔は無く、数段の石段でした。
たぶん写真奥のコンクリ壁の色が違うところ、そこにあったのでは?とおもいます。
補足として参考になれば幸いです。
投稿: ゆみ | 2021年3月20日 (土) 22時18分
>ゆみさん
子どもの頃の遊び場だったのですね!そして銭湯の情報、ありがとうございます。
長寿湯、という名前でしたっけ。(パールセンターの長生湯とは違います。)
私もここに銭湯があった情報は見つけたのですが、地元の人の口からその存在が語られるのは初めてです。30年ほど前までありましたか!どんな銭湯だったかも、できれば知りたく思います。いやー、ここの銭湯を知る方にコメントいただけてとっても嬉しいです。どうもありがとうございました。
投稿: nama | 2021年4月21日 (水) 19時14分
嬉しいと言って頂けて私も嬉しいです(^^)
銭湯の名前ですが、母に確認したところやはり長寿湯でした。
幼少期に一度行った記憶はあるのですが、横に並んだ蛇口の上を平均台のように歩いて怒られた記憶しかなく(笑)
そういえば、mamaさんが手を伸ばして写真を撮った辺りで、梅雨時になるとよくヒキガエルが発生して毎日のように車に轢かれていました。
少し離れた実家の人工池にも毎年卵を産みにきていました。
人工池は十数年前に埋めてしまい、その頃から道路の蛙も見ていない気がします。
梅雨だから蛙、当たり前のように思っていましたが他の道では見なかったし、もしかしたら暗渠から来たのかな?と思いました。
投稿: ゆみ | 2021年5月 5日 (水) 22時36分
こちらも大変遅い返信で申し訳ありません。。
暗渠の蛙だったかもしれないですね!
そして長寿湯!!入られてるんですね。感無量です。蛇口を平均台のように歩くという子どもならではの豪胆さ、思わず微笑んでしまいました。
投稿: nama | 2022年2月16日 (水) 11時12分