3-4 特集:東京ラムネ

ラムネ工場と暗渠の関係

東京ラムネ工場、中野柴又編

まだまだ暑いですね。ブログをしばらくお休みしちゃいましたが、それでもまだまだ、やっぱり暑い。

暑いときたら、東京ラムネ工場2012。今回は2本ご紹介したいと思います。

1本目。
トーインさん(東京飲料)がすごいものを出してくれました。その名も・・・

Momocider

桃園サイダー!!

といっても、瓶の形が中野発ラムネ屋さんのサイダーに、そこはかとなく似ています。ラベル張り替えただけなんじゃないのぅ?なんて言いながら飲んでみたら、あ、ちゃんと違う。これは桃味!桃園だけに。うーん、うれしい。

味噌maxさんに教えてもらった情報でした。感謝です。

でもこれ、なぜか中野駅南口のファミマ限定発売なんです。そのファミマに行けば山積みされていましたが(最近は奥の飲料ゾーンのみ)、・・・なぜ他の”桃園”地区で買えないのか・・・??ちなみに東京飲料のウェブサイトにも載っていません(それにしても”中野発腐ラムネ”ってすごいなw)。

ついでにいうと、去年中野マルイの店頭でトーインのラムネを買いましたが、

Toin

現在はマルイ一階に、このようにかわいらし~く地サイダーたちが売られています。ちなみにマルイは前述のファミマの隣です。むしろ同じ敷地なんじゃないかと思うくらいの位置関係で、ここでトーインが集中的に出店しているのは何か理由があるんでしょうか。いや、他でも売ってほしいってだけなんですけどw

いずれにせよ、桃園川の近くで買えます。きっと桃園川さんぽのすてきなおともになることでしょう。

2本目。

ある日、これまた地ラムネを探しに柴又へ行ってきました。
新柴又の駅で降ります。近くにある江戸川区と葛飾区の区界がとても気になる形(水路っぽい)をしているので(yahooさんいつもありがとうございます)、

Kuzakai_2

まず最初に区界に向かいました。といっても、暑いので一部に限定し、赤丸のところだけ。

このへん、凹凸がないので探すのが難しいです・・・。

Siba1

たんなる家の隙間(狭い)から追いはじめ、うーんこりゃ違うかなあ、と思い始めたところで出会った区界の一部がこれ。

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入るのが躊躇われたので、コの字ウォークします。
暗渠のようなものは、こういうふうに出てきて、あとは道をカクカク曲ったりして、ふたたび狭い住宅の隙間になったりして、

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江戸川へ抜けていきました。

用水路だったのでしょうか。それとも水路は一部だけだったでしょうか・・・?

Kuzakai2

gooの航空写真で見ると、青丸地点から分岐し、うねうねと北上していく水路があるようでした(非常に見づらいけど)。それは区界とほぼ一致するようです。
これは前掲の地図では赤丸に囲まれた中の左下、”親水さくらかいどう”との接点を指しています。
佐倉街道の北側には立派なハシゴ式開渠があったのですね。

さて、いよいよ本命、ラムネ工場に近づきます。

Siba4

東京で地ラムネ工場を探すとき、会社がウェブサイトを作っていない場合も多く、情報が少なめなので現地に行くまで会社が現存するのかもわからずに、しばしドキドキします。

今回は北総線の高架下にラムネのケースがあるのを見つけ、ひとまず安堵しました。ちゃんと柴又ラムネ、って書いてあります。わーい、きっと工場は近くにあるぞ!

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該当するブロックにたどり着くと、カクカクとした水路敷様の路地。

でもそこは行き止まりで、ちょっとの間迷子になりましたが、

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あったーー!

ぶじ見つけることが出来ました。

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大越飲料商会

柴又ラムネをつくっているところです。素朴な入口。とりあえず今は作業はしておられないようです。

入口でうろうろしていたら、ちょうど職員の方が出て行こうとされました。ご挨拶し、さっき見た高架下は倉庫で、冬の間は洗った瓶をあそこで保管していることなどを聞きました。なんと、中も見せていただけました。渋くくすんだサイダー色の、思ったほど大きくはない機械(こういう機械はとても好みです)があり、残念ながら動いてはいませんでしたが、作業時の話も聞いたりしてイメージを膨らませながら見させていただきました。

「じゃあ、帝釈天でラムネ飲んできます!」と去ろうとしたら、「帝釈天ではもう売ってないかもしれない」とのこと。その方は、卸先は知らないのではっきりとはいえないけれど、条例で出店が禁止されるようになってしまったので、以前のようには売っていないだろうとのことでした。そして、「ここで飲ませてあげるよ」と!
チャリンチャリン、とお金を払って、すぐ脇の冷蔵庫から出したラムネをプシッ!と開けてもらって・・・

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ごくごく。シュワ~~。

しかも、工場の中で飲ませていただきました。
これ、最高に美味しかったなあ。つめたいつめたい、できたてラムネ。

色々とありがとうございました、大越飲料の方!!感謝です。

帰り際、「どこから来たの?」「杉並です」「なんだ、近いじゃない。そんなの(地図)持ってるから、もっと遠くから来たのかと思ったわよー」・・・それで不憫に思って飲ませてくださったのでしょうか?お気遣いありがとうございましたw

それから、ラムネ工場と水路との関係を、大石俊六さんが排水と法律などから考察されてますので、ご覧あれ。ドブ川雑記帳:水質汚濁防止法

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さて、帝釈天も見に行きます。ラムネ屋さんのあるブロックは両側を暗渠に挟まれています。みたところ真っ直ぐな用水路があったようです。

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地図でも遊歩道になっており、暗渠らしさが絶えずある道でした。

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太すぎる歩道になったり、

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くねっとした遊歩道になったり(地図ではただの真っ直ぐな道みたいに見えたんですが)。

ちなみに、この写真の右下にズームすると、

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おおう・・・、橋の遺構がこんなことになってます。

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ちなみに、南からこういう真っ直ぐな用水路的なものが2本やってきます。
清々しいな、なんか。

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・・・あ、またあった。

どうやらこの川の橋はこういう状態で保存されるのがデフォなんでしょうか。
出土橋は打ち捨てられてるのかと思った・・・

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さあ駅に近づいてきたので、周囲がちょっと賑やかになってきます。
あ、こんどは親柱がある!!

親柱にズームすると、

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いぬまばし跡って書いてあるよ・・・。「跡」って必要だったのかなあ・・・。

ちなみに、この水路の先を猫またぎさんが辿っていらっしゃいました(柴又周辺の暗渠をたどる①)。上流には細くて未整備な上物もあるみたいですね。名前はわからないながら、全部追ったら面白そうな水路です。

まあ、思ったよりも跡があったし、堪能したので帝釈天に寄って帰ろうとします。

が、

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こんなのが目に飛び込んでくるので、帝釈天は反対方向だけど行かざるを得ません。

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狭くてまっすぐ。

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商店街を2つほど通り抜けます。

しゃなりしゃなり。背筋の真っ直ぐ伸びた、細身の女性のような暗渠でした。

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さあて駅方面に戻ろうとすると、こんな良いテラス席があるので、これまた立ち寄らずにはおれません。

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オリジナルの焼きそば(ネギと豚がのってる)に、ネギだこに、ビール!当然外席!
くはー、うんめーw

ねぎだこハウス北島、というお店のようです。

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ちなみに、今の店と柴又駅前の焼きそばやさん(写真左端)との間で、そーーーーーとーーー迷いました。

ついでに、まだ開店してませんが、”酒場 春”には柴又ラムネがあるようです。柴又ハイボールもね。

Sibamap

今回の行程です。昭和38年の航空写真を見ると、ほかにも水路だらけ、ハシゴ式開渠だらけのエリアです。とても一日じゃ巡りきれない。

東京ラムネ工場シリーズ、現役ラムネ工場は残り少しになってきました。ひととおり行ってみてから、まとめたいと思います。

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ふとみれば花街、谷端川境井田支流(仮)

ラムネ工場が川のほとりによくあるので、追っていた時期がありました(いや、今も追っているんですが)
花街も、同様。
そして、池袋には、三業地(=花街)と清涼飲料の会社が近接して在る場所があることを知り、ある日いそいそと行ってきたのでした。

ブログが書けない時期もあり、しばらく時間がたち、さてそろそろ記事化しようかと、地図を片手に写真を整理しはじめた、そのとき。
三業地のすぐそばに、もう暗渠としか思えない細い道が通っている・・・!!マイ地図にはこの道が載っていないので、現地では完全に見落としていました。そして、地形図を見てみると、きれいな谷戸がそこにあるではありませんか。
・・・これは、再訪して記事を練り直さなければ。

念のためストリートビューで確認すると、その暗渠の目と鼻の先で道路新設中のようで、街は至るところ歯抜け状態。もしかして、あの暗渠ももうぜんぶ道路に吸収されちゃったかな?ああ、もっと早く気付けばよかったな。少しだけでも、残っているかな・・・?
そんな気持ちで、本日さんぽに行ってまいりました。

Sakamap

さて、その場所とは・・・、水色の丸に囲まれた川跡です。「山手線」と書かれた場所が池袋駅です。住所は、池袋3丁目あたり。(グーグルアースと東京地形図より。lotusさん感謝!)

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池袋を西口から出て、劇場通りを北上します。初訪時は、池袋三業通りから折れましたが、今回はその手前で曲がります。

池袋の街って、ひどく造成された感と、とにかく人が多い感があって、普段はあまり近寄りません。ところが、今回のさんぽで、あらたな側面を見ることができました。たとえば、

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こんな風景や、

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こんな風景や(上に乗っているのはどういう状態なんだろう?)、

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こんな風景(鉄製だけど物干し?壁をぶち抜くほど重要なものだったはずなのに、ほっとかれてる感満載なのは何故?)。
・・・愛らしい。

さて、暗渠に近寄っていくとしましょう。新しくできつつある道路は、これです。

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嗚呼・・・、こんなに工事が進んでいるなら、今日見たいものは、もう原形をとどめていないかもしれない・・・と、思いもしたのですが、

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すぐそばにこんなふうにベコっと低くなっている場所があって、

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そこには川跡が待っていました!!
地形としてはこの手前側にゆるやかな谷頭のようなものがあり、そこに池でもあったかのような風情がありました。・・・ただ、水源については文献がひとつも見当たりません。後述しますがこの川自体、川として地図に姿を見せるのはただ一度のみです。
冒頭の段彩図のようにきれいな谷があるにもかかわらず、直接的な文献がほとんどなく、とてもマボロシ度の高い暗渠だと思います。

さあ、探検スタート!

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ずいぶんと大きいマンホールがはめ込まれています。辛うじて蓋が開けられるくらいに路肩が削られています。

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しかし・・・、ここ、狭い!!狭くて、たのしい!!
思わずしゃがんで、猫目線。

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ゆるくカーブしたりします。
ちょろちょろと、さらさらと、名もなき川がここに流れていたはずです。

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こんどは、路肩を削らずにマンホールがぎりっぎり!ぎりっぎり開けられます。しかし、以降、「これ絶対開けられないじゃん」というマンホールが続出します(分量の都合で割愛)。

暗渠上流部の探索中ですが、ワンブロックきたので、三業通りへ話を変えたいと思います。(今回、暗渠←→三業通りと話を切り替えるので、どうかおつきあいくださいませ。)
今来た道の少しだけ東に三業通りが並走しています。その入り口に、大きな染物屋さんがあったので、初訪時はこの道に川があったのではないかと(谷地形ではないんだけれども。むしろ願望で。)思ったほどでした。
いえ、染物屋さん以上の暗渠サインとして、わたしをこの地にいざなった主役は、この方でした。

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紅矢食品工業株式会社。酒を割る系の飲料をつくっている会社のようです。それ以上、わからなかったのです・・・これまで、ラムネ工場を追うときは、清涼飲料の組合(多くが地ラムネ工場)からリンクをたどっていけばだいたいなんとかなったのですが、この会社はネット上に情報がほとんどありません。しかし、本記事ではラムネ工場とほぼ同じものとみなしたいと思います。

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そして、このラムネ工場さんが面しているのが、池袋三業通り。飲み屋さんがい~っぱい見えます。昼間なので、ほとんど開いていませんが。夜はどんな感じなんだろうな~?
ただ、三業通りというわりに、料亭などがあまり見当たりません。

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ブッww
朝から歌えて飲めることを強調する飲食店ww(ただし2回とも開いてませんでした。)
でも、こういう店が池袋の西口に降り立った時から、目につくのなんの。「24時間営業」「夜を待たずに飲める」といった文句がしばしば見られる街、池袋・・・魅力的です。ふらぁっと、そっちに寄りたくなってしまいますw

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あぶないあぶない、そろそろ暗渠に戻りましょう。
工事のため歯抜けになっている場所に、辛うじて残っている駐車場と、辛うじて少しだけ残っている、壁。その横をすぅ~っと掠めていく川跡。

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ああ、すごい。なんてすごいんだろう。工事に負けずに、暗渠がしっかりと残っている。
右岸には大谷石の護岸のようなものまで残っている。なんといとおしい・・・。

・・・数年後か、来年か、わからないけれど、そのうちここには新しい道路ができて、ぴかぴかのアスファルトになるのだろうけど、もしかしたら川のところだけでも残っているのかもしれないのかな・・・?

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あれ、ペットを入れる籠のようなものが。(ロープに焦点合っちゃってますね;)

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あれ、誰かんちの布団が・・・。誰だ、ここ私物化してるのww
あたらしい道路を待つこの一帯は、結構長いこと放置されているのか、歯抜けのフェンスの中で草がぼうぼうと伸び、そこで鳩が自由に餌を食べていたりして、少しばかりノンビリした感じがしました。

・・・再び三業通りの方に話を戻しましょう。
「豊島区史」によれば、大正から昭和初期にかけて、池袋駅の東側に数十軒できた待合兼小料理屋は、やがて大塚三業地に吸収されたそうです。けれど、残る大部分は地元の反対もあり、西側の、現在の三業通りへと移転し、二業地の許可を受け、やがて三業地になったそうです。

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見番があったといわれるブロック近くには、料亭らしき店が何軒もありました。
三業通りに面しているお店は気軽な飲み屋さんが多いのですが、一本西側の裏(つまり暗渠側)にまわると、とたんにしっとりとしたお店がぽつぽつとあるのでした。

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かつて、そうだったであろう場所。

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今も、そうであろう場所。(このお店は”優良店”と書いてありましたが店の名前がわかりませんでした。いったい、どんな人がどんな風に使うのだろう?)

「東京花街・粋な街」によれば、現在池袋三業地で営業を続けている店は2軒だけとのことですが、歩き回っていると、もっと多くの名残を見つけられます。

それにしても、この付近はあまり”昼間に飯を食らう店”がありません。あれこれ練り歩いて、一軒だけ開いていたので初訪問時に入ったのが”山源”。

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焼魚定食、750円でござい。
アジの塩焼き、ごはん、お味噌汁、漬物。小鉢が凄い・・・マグロとホタテの刺身、かぼちゃの煮物、冷奴。ええ、刺身が小鉢!うれしいなー、これ!
おいしいし、良かったのですが、このとき自分が座っていたのがカウンター。狭い店内の真後ろに、野球のユニフォーム着たおじさん数人と、その奥さんと子どもと、おじいちゃんおばあちゃんの数家族の団体(しかも常連)客がいて、なんというか、ここ居てイインデスカわたし・・・という気持ちで食べてました。いや、旨かったのよ?

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暗渠に戻りましょう。図書館の脇を過ぎると、またさらに狭くなっているように感じます。

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思わず、また猫目線です。
家のつっかえ棒(新)が気になります。

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家のつっかえ(旧)。・・・もしかしてかつては川がもっと幅広くて、家がせり出していたりしたんでしょうか?

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道路を挟むと、そこには積まれた木材と暗渠猫が。
てっきり材木屋さんだと思っていたら、これは栄湯というお風呂屋さんだったんですね。マイ地図に載っていない銭湯だったので、やや面くらいました。四角くて茶色いえんとつがにょっきり!

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栄湯のさき、右岸の高台(軽めの)には、御嶽神社がありました。その境内に入ってみると、遊具スペースがあって、キリンがこわい・・・その後ろに控えるロバ2匹も、のっし、のっしとこっちに無表情で近づいてきそうでこわいw

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御嶽北公園のゾウもこわすぎるwww

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三業通りの床屋さんでは鳩が飼われていて、これはかわいいです。

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さあて、暗渠はそろそろ河口が近いです。ラストの直線。
実はこの付近、左右に牧場にありました。この場所から1ブロックほど手前の左岸に鈴木牧場が、この場所のほぼ右手に和田牧場があったみたいです(「ミルク色の残像」より)。

豊島区はかなり牧場の多かった地区ですが、そのなかでもこの近辺ではこの2軒のみで、それが両方ともこの川沿いでした(井戸により水を賄う牧場もあったということなので、すべてが川沿いではないはずだけれど)。少なくともこの2軒は、この川の水を牧場の運営に使用していたことでしょう。

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ずっとアスファルトの地面だったのに、最後になって初めて、蓋がけの痕跡のようなものに出会いました。

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いよいよ谷端川に合流します。
最後・・・、ん?

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なんかちょっと橋っぽいものが?
そして、その手前にちょっとした穴が。この穴から中が見えないかと思ったけれど、見えませんでした;

Sak34

谷端川緑道にいた猫と遊んで、そして、駅へと戻ります。

あたらしく出来る道路には、下水道も新設するようでした。
ヒューム管やら、合流部の桝っぽいものやら。
すぐ横にも、あんなにすてきな下水道が通っているのにな、なんて思いながらも、下水道の部品にはちょっと見惚れます。

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帰りに豊島区立郷土資料館で買った、「歴史をたずねて 豊島区の文化財」の池袋村を拝借。書き込んだ水色の線が、今回の流路です。
河口部分がかつての地名を「境井田」、流路に対して左側が「大上」、右側が「下上」、そのあたりの字が「上」といいます。下上ってどうなんだ・・・。こうくると、ここは「境井田支流(仮)」としかつけようがない気がします。
流れ込む谷端川の少しだけ東に、クィッと曲った支流のようなものがあって気になりますが、おそらくはこれも境井田支流(仮)の下流部です。境井田支流(仮)が水路として描かれている唯一の地図、明治初期の古地図では、流末は二股となっていて、その片方がこのカギ状の流れに相当するようでした。

江戸時代の池袋村の絵図(「豊島郡の村絵図」より)を見ると、御嶽神社が描いてあり、境内の西にある道に橋が架けられています。位置的には境井田支流(仮)のための橋と考えてもいいかと思います。この小川が、どんな風に人々と関わっていたかはよくわかりませんでしたが、昔からある自然河川なのでしょう。牧場、銭湯、花街、ラムネ工場、染物屋と、暗渠沿いで自分が好きなものをほとんど含んでおり、そして非常に狭いという、私的にはすばらしい暗渠でした。
・・・今回は、上流から下流に話をもっていきつつ、東の三業通りの話を挟む形式にしましたが、実際にさんぽをする場合は、暗渠を下って、三業通りを通って戻ってくるとたのしいと思います。

帰ってきたからわかったことは、ここ、去年猫またぎさんが記事にされているということと、ふろっぐねすとさんにも載っていたらしいこと。猫またぎさんが撮っていた写真と、自分が使おうと思っていた写真が面白いくらいに被っていました。なので、被りが少ないように編集しなおしましたw
偶然にも同じ、境井田支流(仮)と名付けられていました。

さて。再訪時にももちろんご飯は食べています。池袋、西口と言えば中華街w
以前タモリ倶楽部で見た、知音中国食品の、スーパーマーケットの傍らにあるイートインコーナーで中華でもしゃれこむか、と思ったら閉店していました。
なので、わりと近くにあった知音食堂でランチ&酒。

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麻婆レンコン。うまい。

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担担麺、これがまた独特。
ゴマ要因を「ピーナツ」がひとりで担い、辛要因を山椒よりも唐辛子がほとんどを担い。けっこう辛いんです。麺は家系みたいな太めの麺。ニンニク、しょうが、ニラなどが効いてとても良い匂いとうま味があるので、辛いんだけど、食べちゃう。そんな麺でした。

最後に、中華食材店があったので、花巻や冷凍春巻を買って帰りました。
ラムネ工場を追って始まったこの旅は、たくさんのお土産をくれて、池袋が大好きになるすばらしい旅でありました。

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東京ラムネ工場 大森・浅草編

東京ラムネ・・・。三ノ輪ラムネは、飲むことができず、東京飲料(中野)のラムネは、サイダーだけ飲みました。ちょっとした負けムードがただよっているような・・・。
ただ、三ノ輪ラムネは音無川沿い、東京飲料は妙正寺川ちかく、ということはわかりました。

それから、先日鬼子母神へ行ったところ、雑司ケ谷の酒屋さんで、なんと東京飲料の”マーブルビー玉入りラムネ”を売っていたのです!「ああっ、これ!!」と、興奮し手に取ったものの、その日はおそろしく暑くって、「いま、ペットボトルより重いものを持ちたくない」と思って(どんだけ弱ってんだ)、買いはしなかったのでした。後悔しているわけですが。
つまり・・・、地ラムネは、その工場の周辺でしか売られていない(通販を除いて)、と思い込んでいましたが、実はそうでもないこともわかりました。

そしてつぎなる地ラムネ工場は・・・、

Ramune1_2

大田区です!
大森南にある、 コダマ飲料をめざします。

訳あって日が暮れちゃっていますが、、、ちょっと迷ってしまい、うろうろしていると、唐突に井戸がありました。地図で確かめると、ここは森ヶ崎水再生センターの前。処理水が防災用に待機しているようです。。

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目指すコダマ飲料は、もともと住所からプロットした地点は(新)呑川のちかくではあるけれど、数ブロック離れている印象でした。なので、呑川の支流でも探せるといいな、などと思っていましたが。。現地へ行くと、見事、倉庫は呑川のお隣!うずたかく積まれたケース、それと、向かいあうように呑川のフェンスがありました。

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社屋は、倉庫からやや陸寄りにありました。

コダマ飲料の製品はなんだか可愛らしいのが多くて、飲んでみたかったのですが、もうそこらのお店は閉まっていて(というかお店があるのかどうかもわからず)、コンビニやチェーン店にはまず地ラムネは 置いていないので、コダマ飲料のラムネはあきらめ、この日は蒲田の餃子を食べて帰途につきました。

Ramune4

また別なある日・・・。
別な用で、浅草方面に行きました。吾妻橋のたもとにも、ラムネ工場があります。

その名は興水舎。とってもクラシックでシンプルな、吾妻ラムネをつくっているところ。おー、今度は社屋があっさり見つかりました。隅田川の隣のブロックです。やはりケースが積まれており、そして中では瓶を洗浄しているようすがチラリと見えました。

Ramune5

吾妻ラムネは浅草で売られているというので・・・、探し始めると、

ほえー!そこにあったのは先日あきらめていたコダマ飲料のラムネではないですか!!

コダマシャトルラムネ。ちょっと現代的なラベルです。いやぁなんだか、やっぱカワイイですね、コダマのは。暑い日にグイグイ飲むラムネ、さいこーです!(嗚呼、この記事が公開される日も暑い日だったらよかったのに。。)

で、そのあと、浅草で吾妻ラムネをもとめてウロウロウロウロしましたが、見つかるのは三重産だったり、広島産だったり。案外、東京産は探してみると無いものです。お好み焼き屋さんにでも入れば、あるのかなあ・・・?
ふむむむ・・・しかし、中野のラムネに雑司ケ谷で出会い、大森のラムネに浅草で出会い・・・。この調子で行くと、ここで会えなかった浅草のラムネは、きっとつぎの目的地で会えるに違いない、という気がしてきます。なのでむしろ前向きな感じで、そこを去ることができました。

Ramune6

そしたらやっぱり!

向島百花園に、ありました!!なんかもう、ラムネは見かけるとラベルを見る癖がついてきています。
この吾妻ラムネは、と~~ってもシンプルで、ラベルがありません。このぺたっと貼ってある紙が飲み口についていて、それをはがして提供されるため、あやうく何ラムネかわからないことになります。通常はそれでいいんだけど、今はラベルが欲しい、ってんで、お店の方に頼んでこの紙をいただきました。
ゴクゴク。あ~~~~、おいしい~~~!!そしてこの瓶、なつかしい!これぞラムネ。なんかひときわおいしい気がします。
ちなみに、この後立ち寄る、吉備子屋でも興水舎のラムネを売っていました。

さてさて、ここまででわかったことは。
・地ラムネ工場は、川の隣、もしくはごく近くにある。しかも、現時点で4軒ちゅう、暗渠1(音無川)、開渠3(妙正寺川、呑川、隅田川)であり、いずれも比較的立派な川(規模は一定ではないが、支流というよりは本流)である。
 ・・・HONDAさんlotus62さんによる水窪川の岸野ラムネの情報もこれに矛盾しません。

そしてその理由としては、
・ラムネ製造のための、豊富な地下水を得ることができる。
・ラムネ瓶を洗浄するための水を得ることができる(コッチはある程度川の水に頼ることができたりして・・・?)
などが考えられます。

あと数軒、都内にはラムネ工場があり、それらもそのうち巡りたいと思っています。・・・しかし、そのむかし、東京には100軒以上ものラムネ工場があったといいます。わたしがより気になるのは、それらの、うしなわれたラムネ工場。これらの情報に、どこまで迫ることができるのか。どれだけ川や暗渠とかかわっているのか。・・・ラムネ工場特集は、きっとしばらく続きます。

それから、今回訪れた地で、もっとさんぽをしてきているので、その記事たちも、近いうちに書きたいと思います。

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東京ラムネ工場 中野編

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三ノ輪ラムネで辛酸をなめたわたくし、都内のラムネ工場を調べてみたらば、もっとも近くのものは中野区にありました。今回はそこへ行ってぜひともラムネを飲んでやりたいと思います。

じつはその工場は少し前に、新井付近を探検に行ったときに見つけていました。その探検、あまりに収穫が少なかったのでお蔵入りしていたのですが、あわせて記事にしちゃいたいと思います。新井薬師近辺をうろついて、以前気になったエトナでランチをしよう、と移動すると、こんな暗渠ちっくな道がありました。妙正寺川支流でもあったのでしょうか?

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で、ゴハン。前回はエトナが営業時間外、今回は貸し切りにつき入れず。なんて縁のない店なんだろう!おいしそうなんだけどなあ。

かわりにもう少し北上したところにある、ロイスダールでランチ。これが、大あたりでした! ワンプレートに、トマトのパスタ、オムレツ、ポテトサラダ、グラタン、ローストビーフサラダ、が、ちょびっとずつ乗って、スープがついて、850円くらいなんです!!コーヒーもついたっけ?ちょっと昔のことなんで忘れました;;ともかく女子ウケ最高の一皿ですね。「あさりのパスタとハンバーグ」という、もっとどっしり系もありました。めちゃくちゃ迷いました。

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良いランチに満足して、妙正寺川にむかいます。よく、トンネルなどで落書きを見かけはしますが・・・、この落書き、いったいどうやってしたんだろう??すっごいアクロバティックな体勢で、プルプルしながら書いたんでしょうか。

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”ちょっとまえのあらい”という、新井地区の昭和初期~30年代のことが書かれた冊子によると、新井薬師の北側(この写真のところ)は崖で、その崖下~妙正寺川のあたりに、湧水池、プール、釣堀、などが点在していました。

それらから妙正寺川につながる暗渠が無いものか?

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湧水池というのはこれ、北野神社脇のひょうたん池のことです。これは以前ものっけてますね。滝があって、滝の下あたりからこんこんと水が湧いていたとのこと。

いまは湧水ではないですが、お魚が釣れるようで、いつも釣りの人がのんびりしています。昭和初期は木が多く、気味の悪いところだったそうです。”泥深くて、はまったら上がってこれない”という記述もあったので、きっと近寄る人がいないような時代もあったのですね。

残念ながらこの池から暗渠らしいものは伸びてはいず・・・、

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つぎに、ひょうたん池の裏手に回ります。どうやらここらへんに、昔は「薬師公園プール」があったらしいのですが、家、家、家。プールの名残もなく、暗渠もみつけられず・・・

ちなみに、地下水を汲み上げたプールで、水がとても冷たかったのだそうです。

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かつてのプールの名残はありませんでしたが、いま新井小学校のプールはあります(透明な壁のむこう)・・・ここもまた、妙正寺川には近いです。小学校自体が、川のお隣。

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そしてここは新井小学校のプールの道を、妙正寺川方向にきたところ。ここらへんに釣堀があったようなんですが・・・もはやただの街並み。暗渠感のない写真ばかりでなんのブログなんだかわかんなくなってきちゃいますね。。

中野区ってたま~に暗渠アンキョしたすばらしい道はありますが、コンクリ蓋の遭遇率はかなり低い気がします・・・・

Arai11

と、このように、崖から、かつての湧水点や水関係の施設あり、のエリアを川方向に歩いてきたのですが、それらの水が流れてきた跡はぜんっぜんわかりません!
妙正寺川には穴がありましたが、ここからも遡れるような暗渠はありませんでした。

Arai12

名残惜しくてもうちょっと、ウロウロ。あ、銭湯がありました。・・・いや、銭湯だった場所、ですね。

かなしいことに、廃業された銭湯さんが、いままさに解体されようとしているのです。

Arai13

栄湯、と読めます。ここのワンブロック向こうは妙正寺川です。

ぐるぐるまきの包帯のような・・・、いたいたしい感じがします。

Saida2   

で、ここまでがお蔵入りしていた写真たちでしたが、再訪すると銭湯のあった場所がこんなことになってました・・・。うーん・・・。

Saida1_2

さ。気を取り直して。今回の主目的である、中野のラムネ工場の製品は、その銭湯跡地の向かいにある食料品店さんであっさり見つかりました。

じゃーん。待望の地飲料。ラムネ屋さんのサイダー!これ、とっても飲みやすくっておいしいです!!

Saida3

このサイダーの製造元、東京飲料合資会社さんの前にて。”東京中野発”ってさりげなく書いてあるのがうれしいですねぇ~~。

あれれ・・・、webみて知りましたが、ここ、マーブルビー玉入りラムネとか、すごくすてきなものを作ってらっしゃいますね!それも飲んでみたい~。

Saida4

そして東京飲料さんの前に立つと、むこうに妙正寺川が見えるのでした。ここは川の真隣ではありませんが、川近く、といってよいと思います。

・・・あれれ、そういえば、わたしは「ラムネを飲んでやる」と言っていたのに、これはサイダーでは?あれれ。

 

Saida5_3

ま、いっか・・・。
”バッケガ原”を通って帰ります。バッケガ原は上高田5丁目の妙正寺川付近、という記載だけなので、写真の位置が確実かどうかはわかりませんが、とにかくここはすごい景色です。

バッケガ原には堰があって、10mほどの滝があったのだそうです。由来について唯一見つけた記述は”お化けでも出そうなところ”というような書き方(しかも曖昧)でした。しかしバッケガ原・・・、どうしても崖と関連付けたくなるのです。ここはこの付近でももっともすばらしい崖地帯なので、私的バッケガ原、と、思うことにしちゃいます。

暗渠にはほとんど触れることができませんでしたが、地ラムネ工場の地サイダーを飲んだ!工場は川の近くにあった!ってことで、とりあえず。つぎなる地ラムネを追いかけに行こうと思います。

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都電荒川線のりほうだいのたび 後編

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気が早いようですが、いったんぎゅーんと三ノ輪まで向かってしまいます。荒川線三ノ輪橋駅は、初めて降ります。この、ふるい商店街は何かの雑誌で見て、かなり気になってたのでした。
甘味に焼鳥・・・、見ためも中身も、みごとにレトロ。かなり買いたくなりますが、、ここは、がまん。がまんにするのには理由があります。それは、三ノ輪に早めに来た目的=三ノ輪ラムネを飲むために!(ラムネ工場のとなり、”まつのや”で飲めるようなんですが、4時に閉まっちゃうので。)

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ちょっと歩きます。丁度よいことに、三ノ輪ラムネまでは、音無川を辿って行けるのでした。

あ、これ。暗渠にあるやつ。。ここも、たしか、音無川流路だったような?(うわ、アウェイなのでちゃんと覚えていません;;) ・・・しかし何故ここのは、目張りがしてあるのでしょうね?

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さてさてラムネ工場へと向かいます。予想通り、音無川の流路は、ふつうの道路であまり暗渠感がありません。

が、ここらへんでわたしの暗渠センサーが何かを感知!
団地っぽいものがあって、それからこの歩道なんかちょっと変!・・・降りて行きます。ラムネはちょっと、後回しw

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降りきったところには、第二東日暮里保育園があって、

そしてこれですよ!”駐車禁止”の車止めの奥の細い道!! でたー、名もなき暗渠!!

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大興奮につき、ラムネは後回しですw

辿ります。入口がちょうど音無川だったので、そこに注いでいく支流のようですね。ちょっと人工的にカクカクしてます。
この道の奥の建物から、洗剤と乾燥機の良い匂いがしました。コインランドリーか、なにかあるのでしょうか。元銭湯とか??

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曲がった先も、やたらまっすぐ。左側はちょっとした崖です。

この奥がつきあたりで、真新しいオリンピックの建物が建っており、この流れの行く末はわからなくなってしまいました。

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保育園と公園をぐるっと囲むような暗渠です。公園には、いまのところ世田谷に多い気がしている、ハイカラ井戸(裁断系)がありました。

まあ、あんまり追って遠くへ行ってもラムネが飲めないし、と、踵を返します。かなり暗渠感があって、意外な収穫に大満足です!

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と、音無川本流に戻った矢先、な、なんと、もういっこ、まるで鏡のように暗渠がアルジャナイデスカ・・・

うわーん、ラムネがぁ・・・。とか思いながらも、暗渠の引力に負けてしまいます。

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おおう、こっちのはすぐ終わってました。出口の先はまっすぐな歩道があるだけでした。

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では、音無川本流に戻って、いよいよラムネ工場を探します。本流はこんなふうにクネったりしていました。

と、なんと音無川沿いに、ラムネ工場はありました!以前、HONDAさんlotus62さんが、水窪川と隣接するラムネ工場のことを書かれており、わたしはラムネが大好きなので、とても興奮する情報で・・・わたしもひとつ、妙正寺川ちかくに見つけました(今度書きます)。あれは隣接とまでは言えないけど、ラムネ工場って川沿い率が高いのでは・・・?

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ここが、三ノ輪ラムネ。
まつのやは、お隣にあるお蕎麦屋さんでした。が、閉まってます。こ、このために飲まず食わず(数十分だけど)で来たのに~・・・!手持ちの情報と違うのが悔しくて、ラムネ工場の方に尋ねてみました。すると、今日はまつのやは定休日、ラムネの小売りはしないとのこと・・・ガクーーッ。

どうしても飲みたかったので、周辺をうろうろ探してみましたが、三ノ輪ラムネを売ってるお店は見つけられませんでした(ここで他社のラムネを飲んだら負けです)。すごすごと三ノ輪橋へ帰り、ソフトクリームを舐めましたとさ・・・

ここで、わたしの”東京のラムネ工場”欲に、火がついてしまいました。三ノ輪ラムネはおろか、東京中の全ラムネを飲んでやりたいと思います。暗渠サインになるかどうかも、検証します。・・・また、特集モノが増えちゃいますねw

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ラムネの話はそのくらいにして。
つぎは、尾久に戻って花街さんぽです。ぜん~ぜん知りませんでしたが、尾久はその昔、なかなかの花街で、阿部定事件の舞台でもあったのですね。
小台~宮ノ前~熊野前あたりは、そういう視点でうろうろします。小台近くには、こういう近代的な割烹がなぜかあります。かつて”熱海温泉”(ほかにも草津とか有馬とか)という温泉旅館があったそうなので、元はそれなのかな?尾久の花街の名残はほとんどないので、貴重な生き残りです。

Arak30 熊野前の近く、荒川パレスボウルという荒川区唯一のボウリング場は、小泉園という立派な温泉旅館があったところだというのですが、現在、それらしき建物は見当たりません。調べてみると、荒川パレスボウルは2005年に無くなっています。手書きのスコアだったというので、それだけでもレトロで素敵だっただろうな~と思うのですが、、、いま、その跡地すらわかりません。駅前の妙に新しい薬屋さんがあるところは、跡地なのかなあ?

ちょっと小腹が減ってきたので、いったん尾久銀座へむかいます。尾久銀座しか知りませんでしたが、熊野前の近辺は商店街がいっぱいありました!熊の渡し商店街を背にしながら熊野前商店街をあるき、川の手もとまち商店街を通って東尾久3丁目に向かいました。軽くコロッケなどを食べましたが、そのコロッケ屋さんの頭上にはぶどうが育っていて、「これ、実ったら好きに食べていいんだよ」なんて、店主が言っていました。すっごいほのぼの!w

東尾久3丁目までくると、隣駅である町屋2丁目との間にある、”江川堀”の暗渠を探したくなります。荒川区にはかつて、江川堀・地蔵堀・八幡掘、といった灌漑用水路があったというのです。

Arak31_2 江川堀、下流の方は遺構があるようなんですが、荒川線より上流となると、ろくに手掛かりがありません。かつて村境だったという記述をヒントに、とりあえず現在の町境をあるいてみました。うぅぅん・・・、クネってはいるけれど、どうなんだ?少し西に、もう一本怪しい道があるし。。こっちの道の暗渠サインは、銭湯”栄湯”くらいです(えんとつが見えます)。ま、よくわからなかったので、どろどろの汗を流すべく、とりあえず栄湯でひとっ風呂!いーーやーー、なかなかイイ風呂屋、イイ湯でした!

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そして、今度は宮ノ前まで戻ります。のりほうだい切符を駆使しすぎて、なんだか自分は顔パスみたいな気分になってきましたw ・・・そのため、切符を見せずに乗り込んじゃって、車掌さんから「お、お客さーん!」と止められてしまったり。

ここは宮ノ前にある、碩運寺。これは尾久花街のもととなる、尾久温泉の発祥の地です!大正3年に、住職が井戸を掘ったところ温泉が湧いたため、”寺の湯”ができ、その後盛況になって”不老閣”として独立。その後さきほどの小泉園や、熱海、草津温泉などができ、花街の原型になったということです(「荒川区史跡散歩」より)。
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つまり、ここらへんもだいぶ賑わっていたはずなのですが・・・、温泉はとうに枯渇し、現在はしぃ~んとしています。10年前までは、多少料亭が残っていたらしいのですが、今回歩いた範囲では名残は見つけられませんでした。

碩運寺の前に地図があったので、見てみます。すると、あ!まさにここの足元に、八幡堀があったんだ!!青い点線で八幡堀が”すいろみち”として描かれているではないですか。えらいぞ、荒川区。

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八幡堀の流路は、こういった地味~な道路でした。このまま進むと、暗渠サインであるクリーニング屋さんがあったり、花街サインぽい(?)寿司屋さんがあったり。

大塚三業通りのような派手さやわかりやすさはないものの、ここもまた、暗渠×花街の地。

ただし、今回歩かなかったもっと北側、西尾久3丁目の隅田川近辺には、”清水滝”という川魚料理の店&人工滝の名残が若干あるらしいし、尾久八幡公園はかつてすべて堀だったという豪快な歴史をもつし、この一帯、再訪せねばなあ、と思っています。

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ふぅ・・・、日が暮れてきました。

そろそろ、帰り支度です。まずは、荒川車庫前で下車し、引込線をじろじろ見ます。都電のひろばみたいなところは既に施錠されていましたし、引込線から出てくる電車(←が、砂を撒くのが見たかった)もないので、もう、ほんと、ただ引込線を見に降りただけww

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もう日が暮れちゃいました。いちおう、王子駅前で降り、来るときに気になった石神井川フェイク部分をながめます。

暗くってだめだめな写真ですが、右からフェイク川がやってきて、音無橋のあたりから暗渠でやってきた流れと合流するようです。暗渠の吐口が2口あって、理由が知りたかったですが。。そして、フェイク川の最後は、スパーンと切れていて、このように断面が見えるのです。地面の下に、穴があるように見えます・・・暗すぎてよくわからないけれど、この場所がものすごいサイボーグ地点だってことはわかりました。

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よーし、今回は、これでお終い!

早稲田で降りて、せっかくここらへんに来たのだからと、鶴巻町の油そば屋さんへいくことにしました。暗渠感の無い、蟹川の流路を歩いて・・・、どの駅からも遠い、東京麺珍亭本舗。ここは自分的油そばナンバー1の店。大盛りで食べるのがちょうどよいです。

う~~ん、やっぱり、おいしい!ゴチソウサマ!!

と、満足して帰途についたのでした。

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