いまなおのこる、あのドブ 【花色街:長野の暗渠編】
出張が入ると、まず地図を見る。
これから赴く地の水路や暗渠の位置を、確かめるためだ。
長野市への出張が入ったので、やっぱり地図を見た。
目的地の近くには、縦横無尽に水路と暗渠(推定)が走っていた。
これはどちらが上流だろう?地形はどうなっているのだろう?
謎めいた土地だと思った。
しかしその後時間が取れなくなって、なにも調べられぬまま、あっというまに出張の日が来てしまった。
到着は夜。ホテルの近くで少しだけ歩き回ってみる。
・・・さっそくそれらしき空間がある。写真を撮るも、暗すぎて写ってくれない。
翌日撮り直したそこは、こういう空間だった。
暗闇で感じ取ったこれは、なんとも・・・護岸といい狭さといい、格好いい暗渠にちがいない、という雰囲気を放っていた。
しかしまずは仕事をせねば。その後時間が取れたら、ここにも来よう。
目的地と、そこからの帰り道を詳細に検討する。上物の(地図上であるが)暗渠がありそうな空間を何か所か織り交ぜながら。下調べが出来なかったぶん、いつもの出張よりも今回は情報がすくないし、行きあたりばったり感が強い。ちゃんと、いい出会いはあるのだろうか。
善光寺近くの店「喜世栄」で朝食に野沢菜ときのこのおやきをいただき、仕事を済ませる。
歩いていると、「湯福川」という、開渠に出会った。
信濃川水系・・・遠くに来たなあ、という気がする。
土石流が発生しやすい渓流であるという看板も。・・・渓流といえば郷里に近いような気がして、なんとなく親しみもおぼえる。
あまり観光名所に興味はないが、中学生の時に父が連れてきてくれたな・・・と思いながら、善光寺にも寄る。
善光寺そのものというよりも、善光寺を囲い流れる水路を見たかった。中学生のときの記憶からは、もっと平らな土地だと思っていた。否、なかなか傾斜がある。あのころの自分は、地形も水路も見ていなかった、ということか。
水路は、善光寺の敷地内ではなく外にあるようであった。そして、さきほどの湯福川の続きであるようだった。
しかし・・・暑い。境内の休憩所で、涼むことにした。そこでふと、これだけ立派なお寺があるのなら、きっと遊郭もさぞかし・・・と、思い至る。いそいで遊郭の情報を探す。
あった。ただし、現在それらしき建物はほとんど残っていないそうだけれど。
その名は、鶴賀新地というらしい。善光寺参詣客の精進落とし。やはり、街地の少しはずれに作られている。
地図を見てみよう。
mapionより拝借。
お見事な形だった。
地図上では、まだここは遊郭であるかのようだ。
水路を示す表記はないが、ここには足を運んでみたい、と思った。
上掲の地図にもあるように、大門のあった通りが幅広で、じっさい、突然大門からが広くなる。言われなければわからない、住宅地の中なのだが。
鶴賀新地の説明板のたつここは、東鶴賀町公民館。この建物が以前は見番であった、という。明治11年にこの地に遊郭が設置され、四十余軒の妓楼と多くの店が軒を連ねた、とある。ここの見番は、平成6年に建て替えられたそうだ。
嗚呼、もうちょっとむかしに見に来てみたかったものだ。
web情報をみていると、名残の建物はほとんどないという。この建物だけ、それらしき香りを漂わせていた。そして、やはりそうだと、後から知った。(ちなみに建物が残っていた頃はこんな感じ。)
カフェー建築などはなく、大きくてシンプルなラブホがどーん。端っこのビルにスナックがぽつぽつ。そんな感じだった。
しかし、地図上の輪郭はくっきりと遊郭らしさを残していた。
ではその境界を歩きに行こう。わたしには、これこそがメインともいえる。吉原にも、洲崎にも、そして中村など地方の遊郭にも、ぐるりと囲むドブはあったのだ。果たして鶴賀にもあったろうか?その、名残はあるだろうか?
近いところから、輪郭に沿い歩き始めた。ただの道路、そして細めの道路。地元の資料を手に入れる暇はないのが、もどかしい。
あっ・・・
これは暗渠だ。なんと、これまで見た遊郭の囲いの中で、ここまで暗渠らしいものはあったか・・・?なかったのではないか。
青印の位置である。
細い道からさらにつづく抜け道のような。そこは暗渠だった。そして、
今も水が流れていた・・・
なんともいえない、胸の高まりをおぼえた。
鉄漿のような汚くよどむ水ではない。さらさらと流れる細い水路。
でも、鶴賀のオハグロドブさん、おまえはいまも生きているんだね。
さらに歩き進む。
ここで、わたしは「アッ・・・」 思わず声をあげてしまっていた。
開渠があったのだ。
生きている。長野のオハグロドブは、いまもしっかりと生きている!
しかし、これだけ水が滞留しないので、低湿地のよどんだドブであった吉原のそれなどとはちがい、昔から綺麗な水路だったのかもしれない。「オハグロドブ」は失礼だったかもな。
今回見たいくつかのweb情報では、遊郭の遺構らしきものは強いて言うならラブホと飲食街、ということだった。けれど、実際に歩いてみると、遊郭を囲う水路は、他のどの遊郭よりも、健在だった。
興奮、さめやらず。
しかしいよいよ時間は無い。駅に向かい進んでいく。
だんだんと、地形と水路の向きがわかってくる。そこかしこに暗渠があることも。
たとえば長野市役所の前は、
右手の駐輪場がそうだった。
こんなふうに綺麗に蛇行する暗渠であり、中にはなみなみと水が流れている。
橋跡、とおもいきや、
跡ではなくて現役の橋なのである。
こんなふうに、地図上では左上から右下へと、取水された水がおそらくは農業用水路として、張り巡らされているようだった。
長野市の西側に裾花川が流れており、南側で犀川に合流、さらに千曲川に合流して千曲川が東側を北上していく。裾花川で取水された水たちが田畑をうるおし(以前はもっと多目的だったろうが)、余水は千曲川流域の方向にはけていく、という感じなのだろうか。
細いものもある。おそらくこれは、水路自体は塞がれているのあろうと思うが、
空間としてはいかにも暗渠らしく、
途中からは雨水をあつめる場所として機能するようだ。
往時は、細くとも流量のある立派な水路だったように思える。
それが、この御方。
そう、前日の夜に、最初に見かけた暗渠さんなのだった。
太い道路をはさみ、向こう側の白いフェンスのあたりに落ちていく。市役所の方向に向かって。
この、「千歳レジデンス」のすぐ北を走る細い道がいまの暗渠である。
道の機能を果たしていない場所も、細い道として描かれていた。
そして、東側にむかって流れてゆき、おそらくは市役所前の水路とどこかで合流するような位置にある。
こうやって少しずつ、長野市の形状がわかってきたようなところで、そろそろおいとましなければならない時間が来た。
さて、ごはん。
暑すぎたので、しゅわしゅわしたものを飲みたくなり、喫茶店に立ち寄った。
「メロンスカッシュ」という文字を見つけたので、生メロンが添えられた薄緑色の飲み物を想像しながら頼んだら、これがきた。
なるほどねぇ。
そして信州味噌ラーメン。
「吟屋食堂」の極味噌ラーメン、全部のせ。
長野=蕎麦、と思っていたが、信州味噌ラーメンも売り出しにかかっているようだ。
蕎麦とラーメン、いずれも郷里山形とかぶっている。山形も蕎麦の名所であるが、地元の人は異様にラーメンが好きなのだ。わたしももれなく大好きなので、このチョイスとなった。
長野の人は、ラーメンがどのくらい好きなのだろうか。・・・などと、濃厚なラーメンをすすりながら、ふたたびふたつの街のことを考えていた。
***
簡単ではありますが、長野の暗渠旅はこのくらいにしておきたいと思います。
伝統ある、長閑なしずかな、緑に囲まれたこの街は、キレ味のある暗渠を隠し持った街でもありました。さて、次の出張の準備をしなければ、ね。
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