今年はもっと「書く」ことをしたい、と前の記事で書いてから数ヶ月経過してますが・・・。
寄稿をさせていただいたので、謝意を込めて宣伝記事を書きたいと思います。
現在発売中の東京人7月号に、暗渠VS開発というテーマで寄稿しています。
取り上げたのは「玉川上水」と「三原橋」の2事例。
細かすぎて記事化できなかった情報をいくつか、補足してゆきます。
まずは、玉川上水の新宿駅より上流側についてのお話。
東京時層地図(高度成長前夜)をお借りするとこの辺の、
葵橋付近について。
葵橋は、かつて駅名になっていた時代もあるそうで、知っている人は知っている橋名。
新宿駅の中を玉川上水は通っているわけだが、その上流側には「葵橋」の碑がある。
この碑はなんというか唐突感があり、なぜ・・・?と思ってしまうのだが、
昔はこの、南新宿ビルディングの入口あたりに立派な欄干が残っていた。
欄干の東側だけが残り続けていたのだそうだ。
その写真を2枚ほど見かけた。水道歴史館にあった写真が綺麗だったが、コピーのできない図書室で・・・
ともかく葵橋は立派なもので、おそらく地元の人に愛されていたことだろう。
こうやって親柱のモニュメントと、そして南新宿ビルディングの1階に記念の碑が残されている。
このビルディングはもともと玉川上水の流路であり、暗渠化後は更地で、水道用地となっていた。そこにどういう経緯か、東京都水道局が昭和60年に南新宿ビルディングの建設を計画、竣工。その際、ここに堂々在った葵橋欄干は撤去されるに至った。昭和62年のことだ。
この南新宿ビルディング、階の表示上は地下がない。それで、地下1階に玉川上水が通るのだろうと推測するブログ記事もある。
しかしこのビルディングの不動産情報を見てみると、「地上8階地下1階」・・・地下1階は存在するようだ。
玉川上水はこの位置でも暗渠状の水路を確保してあるはずだから、どういう構造になっているのか?ハテ??となる。
このビルの持ち主にアクセスすることができず、詳細はわからないまま。
だが、
わたしは、ここの真下に玉川上水があるのではないかと思っている。
南新宿ビルディング1階は、この廊下みたいなところと、横に店が数軒、突き当たりに店が一軒、となっている。
付近の玉川上水は土被り1mほどの本当にすぐ下に存在するので、ここでもおそらくそうであろう。
なので、すぐ下の玉川上水に影響のないよう、重量がかからないようにこの廊下は施工されていて、地下階があるのは右側の店舗の下のみではないだろうか(まさか、地下階を玉川上水を挟んで施工したりはしないだろう)。
なお、奥にある店は「ネイルパートナー」という、ネイリストさんのための店だ。
入店してみた。
そりゃ、玉川上水上は隈なく歩きたいわけで。
会員制でネイリストさんしか入店できないらしく、「会員ですか?」と聞かれNOと言ったら2秒で追い出された。
その2秒で観察したところ、玉川上水(とわたしが思っている箇所)上は商品が陳列されず、床のみであった。ネイルに関連した商品は大した重量ではないけれど、やっぱり、玉川上水に優しく作られているのでは・・・などと思う。
ちなみにこのあたりに「鉄道用地の境界石と水道用地の境界石が並んでいる」と書かれた文献をみたが、まだ見つけられていない。
さらに上流側、葵橋親柱モニュメントから向こう、葵通りあたり。
ここの地下にある玉川上水の図面が見てみたい、と思った。
この辺の玉川上水は現在排水路、という頭でいたので、何も考えずに下水道台帳を開いた。
おお、最も見たい部分が、秘匿になっている。まるで千代田区。
下水道局に行かないと見られないので、下水道局に行ってきた。
職員さんに何故ここが秘匿エリアなのか聞いてみたが、不明とのこと(都庁が近いからかしらん?)。
肝心の下水管だが、葵通りは歩道下に下水管があるのみだった。ああそうか、たとえ排水路だとしても、玉川上水の管理は水道局だったんだった、と我に帰る。
おそらくは車道の下、そして京王線の上、やはり土被りの浅いところに玉川上水のカルバートが在るはずだ。しかし、関連資料を水道局から見せてもらうことはできなかった。
下水道局にて。「この下水管が何年に設置されたか」これは時折参考になるので訊いてみる。職員さんが「管渠竣工図集」を持ってきてくれ、初期工事は昭和57年、京王線新宿駅改良工事に伴ってなされた、ということがわかった。道路拡張と同時だったのでは、と職員さんが言う。
うーん、、年度がピタリとは一致しない。
文献によれば、このあたりの玉川上水の暗渠化は昭和37年のようなのだ。
一方、京王線の新宿ー笹塚間の線増工事は昭和50年前後、都営地下鉄新宿線の全線開通は昭和55年、すなわち京王線地下化工事(新宿ー幡ヶ谷間約3kmは日本で最初の地下線による複々線なのだそうだ)も昭和55年。
つまり、葵通りの玉川上水が暗渠化されてから、現在のような道路になるまで、20年近くタイムラグがある。
その間、玉川上水暗渠は、もしかすると結構素朴な出で立ちで、この新宿に放っておかれていたのかもしれない・・・京王線の工事で初めて、お化粧してもらって。
素朴時代の様子を知ることは、今後の積み残しとしたいと思う。
さて、ゴハン。
ここは是非とも葵通りで食べたい。クライネヒュッテ。
地下にあるというのがさらに良い。自分の斜め上くらいに玉川上水を感じることができるのだから。
ビールの入れ物がすごい。
ビーフカツレツとか、
芋のグラタン風とか。
どこか懐かしさを感じる雰囲気に身をおき、食べものとビールを味わっていたら、だんだんと良い心持ちになってきて、斜め上にある玉川上水のことは忘れてしまった・・・。
帰り道、階段を上る時にふと思い出し、サヨナラを言う。
最後に、この付近の昔の写真が載っている(加えて葵橋の説明等も)、商店街のwebを貼っておく。
南新宿商店会さん。
暗渠になる前の玉川上水と地下化する前の京王線が並ぶ、貴重な写真が掲載されている。
京王線は地上のときも地下でも、玉川上水水路敷と仲が良い。明治の頃、内藤新宿から羽村にかけ馬車鉄道建設を計画した人たちは、玉川上水築堤を線路用地にと嘆願したが、許可はされなかった。時代により、ものごとはうつりかわるもの・・・
<文献等>
革洋同さんにはネタおよび資料を提供いただきました。深く感謝します。
東京都下水道局さま、水道局さま、新宿区役所さまにも感謝申し上げます。
・「京王線線増工事の現況 新新宿駅付近」小平隆雄
・「新宿駅100年のあゆみ」日本国有鉄道新宿駅
・「玉川上水の歴史と現況」東京都環境保全局
・「玉川上水文化財調査報告書ーその歴史と現況ー」東京都教育委員会
・「「直下工法」による京王線地下化工事 地下線への切替を間近にして」高木進
最近のコメント