1-5 さんぽ:玉川上水

玉川上水暗渠部分

東京人四谷特集号に寄稿しました

東京人12月号、「四谷」特集に寄稿してました。

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暗渠をさんぽするだけの記事なのですが、今回はひたすら尾根道を歩くのです。ちょっとだけ脇の谷に降りたりするけど、すぐ尾根に戻るという、いつもと違う行動でした。それはなぜか、ぜひお読みいただけたら、と思います。


今回の原稿、実は、執筆時期は紫陽花の咲き始める頃で、どこの図書館にもまず入れない時期でした。国会図書館は「抽選」で、新宿の歴史館は開いていない。新宿区立図書館は、新宿区の人しか利用できず門前払い…
いったいどうすりゃいいんだ!となったわけですが、4月に土木学会誌に原稿を載せていただいたご縁で、なんと、玉川上水の研究者の方から、抜き刷りをいくつもいただいていて、そこにわたしの知りたいことがかなり書いてあったのでした。タイミングといい内容といい、奇跡。
気になっていた支流の水源について、仮説を聞いていただいたりもしてしまいました。

ご縁をくださった土木学会誌の編集委員のみなさまに、改めて感謝を噛み締めているところです。いやはや、たくさんのお力を借りて出来上がった原稿だなあと。

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したたかに勝ちを増やす玉川上水(新宿駅上流側編)

今年はもっと「書く」ことをしたい、と前の記事で書いてから数ヶ月経過してますが・・・。
寄稿をさせていただいたので、謝意を込めて宣伝記事を書きたいと思います。

現在発売中の東京人7月号に、暗渠VS開発というテーマで寄稿しています。

Ukiyoe

取り上げたのは「玉川上水」と「三原橋」の2事例。
細かすぎて記事化できなかった情報をいくつか、補足してゆきます。

 

まずは、玉川上水の新宿駅より上流側についてのお話。

東京時層地図(高度成長前夜)をお借りするとこの辺の、

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葵橋付近について。
葵橋は、かつて駅名になっていた時代もあるそうで、知っている人は知っている橋名。

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新宿駅の中を玉川上水は通っているわけだが、その上流側には「葵橋」の碑がある。
この碑はなんというか唐突感があり、なぜ・・・?と思ってしまうのだが、

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昔はこの、南新宿ビルディングの入口あたりに立派な欄干が残っていた。
欄干の東側だけが残り続けていたのだそうだ。
その写真を2枚ほど見かけた。水道歴史館にあった写真が綺麗だったが、コピーのできない図書室で・・・

ともかく葵橋は立派なもので、おそらく地元の人に愛されていたことだろう。
こうやって親柱のモニュメントと、そして南新宿ビルディングの1階に記念の碑が残されている。
このビルディングはもともと玉川上水の流路であり、暗渠化後は更地で、水道用地となっていた。そこにどういう経緯か、東京都水道局が昭和60年に南新宿ビルディングの建設を計画、竣工。その際、ここに堂々在った葵橋欄干は撤去されるに至った。昭和62年のことだ。

 

Chika

この南新宿ビルディング、階の表示上は地下がない。それで、地下1階に玉川上水が通るのだろうと推測するブログ記事もある。
しかしこのビルディングの不動産情報を見てみると、「地上8階地下1階」・・・地下1階は存在するようだ。
玉川上水はこの位置でも暗渠状の水路を確保してあるはずだから、どういう構造になっているのか?ハテ??となる。
このビルの持ち主にアクセスすることができず、詳細はわからないまま。
だが、

Minamisinjuku

わたしは、ここの真下に玉川上水があるのではないかと思っている。
南新宿ビルディング1階は、この廊下みたいなところと、横に店が数軒、突き当たりに店が一軒、となっている。
付近の玉川上水は土被り1mほどの本当にすぐ下に存在するので、ここでもおそらくそうであろう。
なので、すぐ下の玉川上水に影響のないよう、重量がかからないようにこの廊下は施工されていて、地下階があるのは右側の店舗の下のみではないだろうか(まさか、地下階を玉川上水を挟んで施工したりはしないだろう)。

なお、奥にある店は「ネイルパートナー」という、ネイリストさんのための店だ。
入店してみた。
そりゃ、玉川上水上は隈なく歩きたいわけで。

会員制でネイリストさんしか入店できないらしく、「会員ですか?」と聞かれNOと言ったら2秒で追い出された。
その2秒で観察したところ、玉川上水(とわたしが思っている箇所)上は商品が陳列されず、床のみであった。ネイルに関連した商品は大した重量ではないけれど、やっぱり、玉川上水に優しく作られているのでは・・・などと思う。

ちなみにこのあたりに「鉄道用地の境界石と水道用地の境界石が並んでいる」と書かれた文献をみたが、まだ見つけられていない。

さらに上流側、葵橋親柱モニュメントから向こう、葵通りあたり。
ここの地下にある玉川上水の図面が見てみたい、と思った。
この辺の玉川上水は現在排水路、という頭でいたので、何も考えずに下水道台帳を開いた。

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おお、最も見たい部分が、秘匿になっている。まるで千代田区。

下水道局に行かないと見られないので、下水道局に行ってきた。
職員さんに何故ここが秘匿エリアなのか聞いてみたが、不明とのこと(都庁が近いからかしらん?)。
肝心の下水管だが、葵通りは歩道下に下水管があるのみだった。ああそうか、たとえ排水路だとしても、玉川上水の管理は水道局だったんだった、と我に帰る。
おそらくは車道の下、そして京王線の上、やはり土被りの浅いところに玉川上水のカルバートが在るはずだ。しかし、関連資料を水道局から見せてもらうことはできなかった。

下水道局にて。「この下水管が何年に設置されたか」これは時折参考になるので訊いてみる。職員さんが「管渠竣工図集」を持ってきてくれ、初期工事は昭和57年、京王線新宿駅改良工事に伴ってなされた、ということがわかった。道路拡張と同時だったのでは、と職員さんが言う。
うーん、、年度がピタリとは一致しない。
文献によれば、このあたりの玉川上水の暗渠化は昭和37年のようなのだ。
一方、京王線の新宿ー笹塚間の線増工事は昭和50年前後、都営地下鉄新宿線の全線開通は昭和55年、すなわち京王線地下化工事(新宿ー幡ヶ谷間約3kmは日本で最初の地下線による複々線なのだそうだ)も昭和55年。
つまり、葵通りの玉川上水が暗渠化されてから、現在のような道路になるまで、20年近くタイムラグがある。
その間、玉川上水暗渠は、もしかすると結構素朴な出で立ちで、この新宿に放っておかれていたのかもしれない・・・京王線の工事で初めて、お化粧してもらって。
素朴時代の様子を知ることは、今後の積み残しとしたいと思う。

 

さて、ゴハン。

Hyutte

ここは是非とも葵通りで食べたい。クライネヒュッテ。
地下にあるというのがさらに良い。自分の斜め上くらいに玉川上水を感じることができるのだから。

 

Beer

ビールの入れ物がすごい。

Katu

ビーフカツレツとか、

Imo

芋のグラタン風とか。
どこか懐かしさを感じる雰囲気に身をおき、食べものとビールを味わっていたら、だんだんと良い心持ちになってきて、斜め上にある玉川上水のことは忘れてしまった・・・。
帰り道、階段を上る時にふと思い出し、サヨナラを言う。

 

最後に、この付近の昔の写真が載っている(加えて葵橋の説明等も)、商店街のwebを貼っておく。
南新宿商店会さん
暗渠になる前の玉川上水と地下化する前の京王線が並ぶ、貴重な写真が掲載されている。
京王線は地上のときも地下でも、玉川上水水路敷と仲が良い。明治の頃、内藤新宿から羽村にかけ馬車鉄道建設を計画した人たちは、玉川上水築堤を線路用地にと嘆願したが、許可はされなかった。時代により、ものごとはうつりかわるもの・・・

<文献等>
革洋同さんにはネタおよび資料を提供いただきました。深く感謝します。
東京都下水道局さま、水道局さま、新宿区役所さまにも感謝申し上げます。
・「京王線線増工事の現況 新新宿駅付近」小平隆雄
・「新宿駅100年のあゆみ」日本国有鉄道新宿駅
・「玉川上水の歴史と現況」東京都環境保全局
・「玉川上水文化財調査報告書ーその歴史と現況ー」東京都教育委員会
・「「直下工法」による京王線地下化工事 地下線への切替を間近にして」高木進

 

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玉川上水暗渠部分を歩く その1西武立川付近

今回は杉並区どころか、けっこう離れます・・・お得意(?)の西側へと。玉川上水の暗渠部分をあるこう、と、以前から心に決めていたわけですが、その暗渠部分はだいぶ上流にも少しだけありました。玉川上水、実は私の暗渠さんぽにとって大事な存在なのですが、その話はまたおいおい・・・。

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めざすは、西武立川です。JR立川以降、電車の待ち時間が妙に長くなり、、やっと西武立川につく頃にはちょっと意識がぼやんとしてきます。そして駅前に降り立つと、だいぶぎょっとします。

よく駅前にある、近辺の案内図のようなものが、こんな感じになってます。

だ、大胆・・・。

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ちなみに、駅のなかから見た風景もすごいです。

これが駅前かー!

鉄塔を避けるように、くねった道。えんえんと続く原っぱ。 真ん中の草のあたり、湿地帯のようにも見えてしまいます・・・違うのだろうけど。

Tama2 目的地まで、この原っぱの間の、じつに素朴な道を、てくてく歩きます。

こんな空間、ひさびさにきましたよ~~~。半端ないのどかさです。暗渠関係じゃないとしても、ここに来たらとっても癒される気がします。草が自由に生い茂り、ちいさな花や実が見られ・・・。

(ああ、なんだか逆光)

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横にはこんな道も。

ここは、いったい何に使われていた土地なんだろう・・・?

とうぜん沸く疑問です。けれど、ちょこっと調べただけでは、よくわかりませんでした。

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さて、玉川上水に到着。通路を挟んで、防火水槽が仕込んである公園が。なにか関係あるのかなあ・・・。

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お、基準点~。

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さて、目的の暗渠の、前後も拝もうと、上流から攻めます。

そうしたら、思ったよりも(私が知っていた玉川上水よりも)、ずっと豊かな水量で、ごうごうと流れているではないですか!感動すら覚えます。

ここは丁度、暗渠にくぐらせる直前の地点で、出てくる時の勢いをつけるため、段差をつけ流れを急にしているようです。

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若干こわくなるくらいの勢いがあります。玉川上水の、漢らしい一面を見た感じ・・・。

写真で見るときれいなものですが、ペットボトル等のごみが混じっていて、ちょっとだけ残念な気になりました。

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そしてここから、 暗渠になります。

暗渠口はいつだってワクワクしますが、このときはなんだか、ワクワク度がとても高かったような気がします。「遠かったけど、きてよかった!!」じつにシンプルに、そう思わせるだけの魅力あふれる入り口です。

あまり写っていませんが、暗渠の上のデザインも、アーチ状の窓がついていたりで、凝っています。

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暗渠の上になります。両脇は、さきほどの原っぱと、それからこのゴルフ場。

この暗渠部分が作られた理由について。

戦前~戦時中にかけて、軍需工場(軍用飛行機の為の)がこのゴルフ場の位置にあり、その滑走路の一部にするために、暗渠をこしらえた”という話だ”ということです。結局滑走路にはならなかったようですが。(羽村市教育委員会発行の「玉川上水散策」より)

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じつはそのような記述を、web上で見ていて、そして私の中で「軍事萌え」と「暗渠萌え」が激しく結合し、この地に対して強い憧れを持つようになったのでした。

いやぁ、来れてよかった!

暗渠を歩きます。

じつにのどかですが、そんなに整備された感じではないです・・ややムダ毛感あり(←lotusさんから拝借)。

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さして歩かないうちに、そして軍事ものの痕跡をなにひとつ見つけられないうちに、開渠を迎えます。

さきほどと同じデザインの壁が迫ってきます。

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おお・・・。

さっきよりもずいぶん穏やかになって出てきました。

ゆ~ったり、しています。

しかし水量多いなあ。きれいだし。これまでは小金井三鷹近辺の玉川上水を見る機会が多かったのですが、風情が違いますねぇ、ここは。

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そしてあとは開渠がえんえん続きます。

天気も良いし、さんぽがとっても気持ち良さそうな道でした。

左手にラーメン屋さんがあり、なんかこの店、ちょっと前にテレビで見た気がするなあ、と思いながら通りすがり・・・すごい行列なので立ち寄ることは断念しました。さっきの駅前を思い出してから、この行列を見るとすごい違和感がありますw

うつくしい暗渠口、軍需工場への想い、駅前のかぎりないのどかさ・・・。ちょっと遠いけど、ここはお勧めの地になりました。

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