夜の馬尿川
もしかしたら、こんな演歌のタイトルがあるかもしれない。
今回は新宿区に移動。馬尿川(ばにょうがわ)あるきです。※最初「馬屎川」と書いていましたが、「馬尿川」に改めました。
馬尿川は、結構人気が高そうで、リンクを貼らせていただいている方のなかでもすでに、
庵魚堂さん (本当に)失われた川
うさぎねこさん ここは新宿#1
味噌maxさん BUBKAとTシャツと私
谷戸ラブさん 馬尿川ちょこっと、と食事
が書かれています。けっこう、みどころがありそうな暗渠のよう。
・・・庵魚堂さんの記事によれば、「馬屎川(ばしがわ)」という名は間違いの可能性があるみたいですが、自分が見つけた、この川の名が書かれている文献は僅かに2つ。その2つともが「馬屎川」と記しているのでした。いろいろ比較して考えてみたいけれども、それはお預けとしましょう。
後日追記:その後、kokutetsu1987さんから「戸塚町誌」をお教えいただき、「馬尿川」「秣川」の記載を確認しました。「戸塚町誌」は、小字名としての秣川について”この辺り多く秣を刈取り置かれたるに起こる”と記しています。ところが、小字名として、同時に馬尿川も存在するのです。この2つの地域は同じ川に沿い、馬尿川のことは”秣川の名に因ぬるものであらう”とあります。正直、これだけではなんともわかりませんが、「馬尿川」がもっとも名前の雰囲気がいいのでw、「馬尿川」として書いていくことにします。
なお、以下に青文字で追記していくものは、すべてkokutetsu1987さんから頂いた情報です。たくさんの情報を、本当にありがとうございました。
地形図を見ているときも、早稲田~高田馬場間にちょっとした谷がいくつかあって、なかでも馬尿川は存在感があるので、「うぉぉ、行ってみてぇ!」となっていたのでした。
骨折が、完治はしていないけれど、松葉杖なしで歩けるようになったある日。
「ワタリガニのチゲがたべたい。」
そう思いました。ワタリガニのチゲが食べたいということは、大久保です。
大久保に行くということは、馬尿川です。
なので、セットで行くことにしました。
ゲチゲ。ハレルヤの店内、予約でびっしり埋まっていました。ハレルヤに行くのは何年ぶりかわかりませんが、変ってなくてすごい。でも、大久保の街並みはどんどんどんどん変ってる(なんかものすごく活気づいてる)。
ぐつぐつ。ひととおり具を食べたら、
辛ラーメンの麺みたいのを入れて、卵と海苔を入れて、〆の麺。
これ、うまいのに・・・あまりうまそうに見えないのはなんでだろう。
大久保通りを東に進みます。この近くにかつて友人の家があって、学生時代、新宿で終電を逃した時には何回もお世話になったもんです。なつかしいなあ。
それにしても、賑わっているなあ。
その大久保通りから北に曲る道を入ると、川跡です。
といっても、水源についてはわかりません。東京府豊多摩郡淀橋町・大久保村の地図ではこの道の付け根から水路表示となっていたり、相給六箇村絵図ではもう少し下ったところから田んぼと川が始まったりしています。
後日追記:「戸塚町誌」にはこの川の水源について、”諏訪の森弁天池”と書かれています。諏訪の森というのは、もっと北の、現在の高田馬場一丁目あたりをさすはずなので、この上流部の水源については依然謎のまま。
ぐんぐん下っているのがわかります。
湧水があったかもしれない。
川沿いに、夫婦木神社という神社が出現します。縁結びのほか、よろず生産の大神なのだそうで・・・。小ぢんまりとした境内と近代的?な社務所が印象的でした。
高所ドアも出現。
中には階段らしきものも見えて、これ、間違って開けちゃったりしないんですかね。。
ふと、右側に路地があります。向こう側には並行するもう一本の道。どうも、その真ん中が一番低い気がするんですが・・・。
並行する2つの流れを記している地図もあるから、今来た道だけが馬尿川じゃないかもしれない。でももう一本はよくわからない。
相給六箇村絵図では、その二本の馬尿川をつなぐ流路がところどころにあるから、この道も、もしかしたら水路だったのかもしれない・・・
路地を見つけるたびに入っては、こういったあやしい隙間をじろじろと見ます。
そのうちに、突然風景が変わって、
視界がパッとひらけ、W大のキャンパスと戸山公園が現れます。暗渠らしさはまったく消え失せ、この区画は平坦で新しい道を歩くことになります。
このあたりは、かつて陸軍射撃場だった場所。
昭和初年までは三角山という山をめがけて射撃の練習をしていたのが、山を越えて飛んで行った弾で住民が危険な目に遭ったりしたので、昭和3年にかまぼこ型のトンネル式の射撃場が7本できたということです。
こう聞くととても物騒な感じがしますが、近所の子どもたちはしょっちゅう遊びに来ては、落ちている弾を拾って遊んでいたそうです。そんなふうに出入り自由だったようで、ほかにも子どもたちが”佃煮にするほど蜻蛉、蝉、蝗、バッタを捕えてきた”ことも描写されています。
今は、やや無機質な大学の建物と、つくりものっぽい公園があるのみです。
前出の友人はW大理工だったので、まさにこのキャンパスに部室があって、新宿で呑んだ後、夜中に柵を乗り越えて敷地に入って、遊んでたりしました。いや、その時よりも建物がずっときれいになってる気がする。ちょうど、トイレに行きたくなったので、建物の一つでトイレを拝借すると・・・、
そこには学食が入っていました。うほー、このパスタプレートA、食べたーい!!
で、また進んでいくと団地のようなものがあって、その先グワッと下ります!!なんだこの急傾斜・・・。それと、この諏訪通りという新しい通り、こんなのあったっけ?
諏訪通りの先では、馬尿川はこんなステキな道になります。
良いうねり・・・
空中から生えている木。
ラピュタ・・・
暗渠にときどきみられる、妙に余っているスペース。
後日追記:わたしの記憶には残っていなかったのですが、この地点、水の流れる音が凄く、結構な落差で下水道幹線に左右から下水が合流しているところなのだそうです。
また、「戸塚町誌」には”諏訪の森下に釣魚場”があったことが記されていて、諏訪の森(諏訪神社の南あたり)下というと、ほぼこのあたりかもしれません(kokutetsu1987さんによると、この場所のやや東とのこと)。近場の人が気軽に釣りをたのしむような記述だったので、そんなに大きな釣り堀ではなかったかもしれません。
むかしからある風の米屋さん。・・・水車はあったのでしょうか?(ないかも;)
後日追記:この、米屋さんの前の崖のコンクリの隙間からは以前は水がしみ出していて、近所のひとは「湧き水」と呼んだりもしたのだそうです。
それから、米屋さんには駄菓子も売っていて、子どもは暗渠に座り込んで駄菓子を食べていたりしたそうです。そんなに遠くないむかしの話です。
もうちょっと下流には、以前釣具屋さんがあったらしい・・・前述の釣り堀にも関係するでしょうか。
その奥に、他の方の記事で見かける率の高い風景が見え始めます・・・!
これだ・・・。
なんだろう、この擁壁は・・・。
他に見たことのない形状です。厳かに並んでいます。
その上にある集合住宅は、どうやら人が入ってはいないようでした。近いうちに失われてしまう風景なのでしょうか。
その先、諏訪公園の横を、ちょっと角度をつけて、バシャバシャバシャ!っと下ります。
早稲田通りを横切り、続きの道に入ると、もっとすごい傾斜となり、曲がりくねって流れます。
そして、材木店の脇、戸田平橋のやや下流で神田川に合流するようでした。
といっても、古地図ではもう少し手前で左にくねってもう少し上流で合流するようなので、付け替えられたのでしょうか。
暗くてちゃんと写ってくれなかったけど、これが合流口。
大きいです。けっこう、立派な川だったのかもしれません。
さて、ゴールしたので、どこかで疲れを癒して帰るとしましょう。
馬場の駅前に、気になっていた串カツ屋さんがあるので、行ってみたのですが、肝心の串カツはちょっといまひとつで・・・。だけど、良いもんがありました。クエン酸サワー!!酸っぱくて、うまーい!! クエン酸サワーで疲れを流し、家路につきましたとさ。
馬尿川に、高田馬場、韓国料理に、クエン酸サワー。なんだか、元気が出そうな、復帰戦でありました。
<参考文献>
「新宿区地図集-地図で見る新宿区の移り変わり-」新宿区教育委員会
「新宿区立戸塚第3小学校周辺の歴史」
「わがまち大久保」
「戸塚町誌」
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コメント
ご紹介ありがとうございます。
何か牧歌的・原始的な感じがいいなと思って~・・馬尿川。(変換が面倒でもある)
いつも思うのですが、食べ物の写真上手ですね!
夜の景色も鮮明で素敵です。暗渠は昼でも暗く写ってしまうので・・・
クエン酸サワーは聞いただけで乳酸が流れていきそうで、巧い命名!
投稿: 谷戸ラブ | 2012年3月13日 (火) 09時58分
>谷戸ラブさん
こんにちは。たしかに変換が面倒ですね。屎にせよ尿にせよ、いちいち「しにょう」と打つのが、なんとも。
いやあの、写真はカメラのおかげです。操作がほんとによくわかってないので、ピントがへんてこなときもありますが、きれいに見えるのはすべてカメラのおかげですw
クエン酸サワーは、けっこうハマるかもです。また疲れたときに呑みたいなーと思ってしまいます。あちこちにあったらいいのにな。
投稿: nama | 2012年3月14日 (水) 16時46分
馬尿川に関する話を見直していました。
過去の自分の表現があまり良くなかったと思っておりますが、結果として壁から染み出ていた「水」については正体不明というのが今のところの結論です。
雨が降るとこの暗渠の道路に水が集まって川の様になることはありましたが、染み出ている水については水道管が割れていたものだとか、逆に排水管が割れていたものだとか、諸説推測できるのかなという状況です。どうやら今は息の根を止められているようです。
また、上流部の水源についてはやはり、はっきりしません。
下水道台帳上の水路敷は何やら入り組んでいるようではあります。
投稿: kokutetsu1987 | 2021年5月16日 (日) 17時03分
遅い返信で申し訳ありません。
実は私も、馬尿川については去年(一昨年かも?)新しい発見がありました。
ふーむ、水については諸説ありそうなのですね。私にとっては、近隣の人が「湧き水と呼んでいた」ということも大事でした。
上流部の水源についても、私も探り中です。
謎が多くて面白いですね、ここは。
投稿: nama | 2022年2月16日 (水) 11時16分