はてなキーワード: ペイペイとは
なんとも現金な(?)話であるが、風情も何もあったもんでもない、というのはあと10年もしたらただの老害の戯言になるのかもしれない。
すでに賽銭を払うための小銭を持っていない、と慌てる光景も初詣の場面では全然見かけないわけでもない現象である。
もうしばらくすれば実際の貨幣や紙幣というものは、何か宗教的儀礼であるとかにしか用いられなくなるものになるのかもしれない。
賽銭はPayで行うのが当たり前になる。
そうなれば、チャリーンという物理的な行動での賽銭行為の満足感を代替させるためのものが必要だ。
だってデジタルでペイペイ、って音が聞こえるだけでは物足りないもの。
そうとなれば神社仏閣の側も、賽銭箱の代わりにデジタルサイネージのような巨大なモニターを設置せざるを得ないだろう。
誰かがスマホで決済を済ませると、有難い映像が再生され、賽銭額に応じてSSRだのURだの、めったに見られない祝福ムービーが解放される、そんな未来も、まんざら冗談とは言い切れない。
あるいは賽銭のたびに「デジタル御利益アイテム」が配布されるとか。
そんな仕組みがいつか生まれたら、かえって参拝者は増えるのかもしれない。
そんなことを考えていくと、もともと「収穫物への感謝を、静かに神に捧げる」だけだったはずの素朴な祈りのかたちは、ますますその原型が想像しがたいものになっていく。
幼馴染の名前はSということにする。幼馴染っていっても、俺は保育園でSは幼稚園だったから、知り合ったのは小学校に上がってから。
小学校から高校まで同じで、高二の秋から高三の春まで半年くらいつきあっていた。
別れた理由は今となってはよく覚えていないんだけど、たしか俺が大学受験を言い訳にしてだんだん連絡しなくなって、向こうから「もういいや」ってなった感じだったと思う。今から考えると、我ながらなんでそうなるんだよって感じだ。
別れた後も実家が近いから年に一、二回は顔を合わせて、最初はちょっと気まずかったけど、二十代のうちにそれもなくなった。お互い東京で就職して、たまに地元に帰ると居酒屋で旧友たちと飲む、そういう関係になっていた。
俺はSのことを「よく知っている他人」として処理していたし、向こうもそうだったと思う。
それが去年の夏、地元の同窓会みたいな飲み会でたまたま二人で外に出て、わざわざ自販機でお茶買って酔い覚まししながらだらだら話してたら、なんか急に「久しぶりに二人で飲まない?」ってなった。特に下心があったわけでもなく、本当になんとなくだった。出席してた中で一番仲良いヤツに、「ごめん後で払うから」って言ってそのまま抜けた。
何を勘違いしたのか、「頑張れよ」って言われた。結果からすると勘違いじゃなかったんだけどな。あとからペイペイで払った。
それから月一くらいあちこちで飲むようになった。Sは毎回、「ここで飲もう」って店を提案してきた。おごろうとしても毎回きっちり割り勘だったけどな。
俺はまあ友達として会ってるつもりだったんだけど、ある夜Sに「ほんとうに鈍いよね」と言われた。なんの話かと思ったら、「また好きになってるんだけど気づいてた?」と言われた。
気づいてなかった。本当に気づいてなかった。
「あとさ、店が段々君の家に近づいてることも気づいてなかったでしょ?」
そっちは実は気づいてた。
それから、当然のように「うち来る?」ってなって、殆どそのままの流れで同棲を始めて、半年でプロポーズして、来月入籍する。なんか、あっという間だった。でも三十過ぎると変なためらいがなくなるというか、「これだな」と思ったらそれ以上考えなくなるというか。
親に報告したらなんか母親がわんわん泣いて、Sの母親も泣いたらしく、二人の母親がLINEでやり取りしているという謎の状況が発生していた。なんか俺たちより周りの人間のほうが感動してる。
こうして振り返ってみると結構劇的な展開に見えるけど、当事者としては全然ドラマチックな気分じゃない。うれしいし、正直ほっとしてる部分もある。でも「感動的な恋愛をした」という感じではなくて、「やっと当たり前のことに気づいた」という感じに近い。十年以上かけて回り道して、気づいたら最初の場所に戻ってきた、みたいな。
高三の春に俺がまともに向き合っていたらこうはなってなかったかもしれないし、なっていたかもしれない。そういうことを考えても仕方ないのはわかってる。
来月、ふたりで区役所に行く。それだけのことなんだけど、なんかちょっと笑えてくる。Sが「緊張するね」と言ったので「なんで?」と聞いたら「なんでって、そりゃするでしょ」と怒られた。
そうか。するのか。じゃあ俺もそろそろちゃんとしなきゃな。