はてなキーワード: 火事とは
なぜ金利を動かすほどインフレが安定しないのか ―― ある村の寓話
※この記事はMMT(現代貨幣理論)の一部を理解するための寓話(比喩的創作)です。
ある村に、大きな「かまど」がありました。
このかまどは村全体を温め、料理を作り、人々の暮らしを支えていました。
火が弱すぎれば寒くなり、
村には「火の安定を守る役人」がいて、
彼はこう信じていました。
火の勢いは、蛇口の硬さで調整できる
この蛇口とは、
見た目だけは立派なネジでした。
坂道を少し急にしろ!
薪を運ぶのが大変になれば、火は弱まるはずだ
それでも
火は止まりません。
なぜなら、火が強くなった理由は、
だったからです。
火を直接見た方がいいんじゃないですか?
どこが燃えているのか、誰が困っているのかを
それは危険だ。
我々の仕事は蛇口を回すことだ
からでした。
その結果
村人は疲れ、
火は安定せず、
なぜ火を直接見ない?
なぜ必要な場所に水や土を使わない?
その蛇口は、ただの儀式ではないか?
村人たちは、ついに決めました。
蛇口を回す役人はいらない。
それより、火を見る係を作ろう
必要な分だけ水と土を運び、
人手が足りなければ皆で補いました。
その結果、火は暴れなくなりました。
蛇口です。
誰かが「制御している気分」になるための、
記念碑として
めでたし、めでたし
火を見ずに蛇口を回し続けることに近い。
USBケーブルなんて消耗品だって自覚、みんななさすぎじゃないだろうか。
抜き差しのたびに端子の金属が少しずつ削れてメッキが剥がれ、そのせいで電気抵抗が跳ね上がって異常に発熱するなんて、普通に生活してたら意識しない。
さらに抜き差しの負荷が根元にかかり続けると、中の細い銅線が何本かちぎれる「半断線」の状態になって、生き残った数本の線に電流が集中して一気に加熱される。
そのまま使い続けると、熱で溶けた被覆の隙間から露出した線同士が接触してショートし、最悪の場合は火花が飛んでそのまま火事になる。
端子の噛み合わせがガタガタになれば、そこにホコリや湿気が溜まってスパークするリスクも高まるし、もうそうなったら充電器じゃなくてただの点火装置でしかない。
もし充電中に端子が妙に熱かったり、ケーブルの角度を変えないと認識しなくなったりしたら、それは「まだ使える」んじゃなくて「いつ燃えてもおかしくない」サイン。
命と家を天秤にかけてまで数百円のケーブルをケチる理由なんてないんだから、怪しいと思ったら即座にハサミで切って窓から投げ捨てるべきだと思う。
子供に「緊急電話(110・119)」を教える方法を、分かりやすくまとめます。
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① 緊急電話とは何かを伝える
使っていい時
• 火事・煙が出ている
• 大人が倒れて起きない
使ってはいけない時
• いたずら
• ちょっと困っただけの時
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② 覚える番号は2つだけ
• 110:警察(あぶない・こわい)
語呂合わせも効果的
• 110「いちいちゼロ → けいさつ」
• 119「いいきゅう → きゅうきゅうしゃ」
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最低限
• 「たすけてください」
• 「〇〇(名前)です」
慣れてきたら
• 「〇〇が痛いです」
• 「血が出ています」
• 「火が出ています」
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※本番ではかけません
2. 110 or 119を押す
親が相手役になり、
と聞いてあげると◎
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必ず伝えてください👇
• 泣いてもいい
• 途中で止まっても切らなくていい
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⑥ 年齢別の目標
幼児(3〜5歳)
• 110・119を押せる
• 「たすけて」が言える
小学生低学年
• どっちにかけるか判断できる
小学生高学年
• 落ち着いて指示を聞ける
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⑦ 家の中に貼ると効果的
• 住所
• 親の名前
• 電話番号
続き。たぶん1枚めの写真。
なお、内容物については全部を記載していない。目立つチップとか特徴的なコンポーネントを表記している。これは今後も同じ。
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まだ続く、かも知れないけれど明日以降になるかもしれない。
消防士のドキュメンタリーで、火事、出動、救出、というドラマを描く。
これは事実に基づけばノンフィクションだし、フィクションとしても、実際に現場ではよくある経験を描くに過ぎない。
一方で、ここに消防士や被害者の前日譚をつけて、事件と絡めた意味を持たせたらどうなるだろう。
これは作為がなければ成立しない。ノンフィクションではあり得ない。完全な創作のバックストーリーだ。
これらはわけて考えるべきで、創作上必要となる「物語らしさ」、バックストーリーと、現実のヒーローのかっこよさを描くための、実際によくあるセッティングでしかない事件・事故のストーリーを、ひとつのものと考えると、創作論は歪むのではないだろうか。
「シナリオ教室」みたいなのが、ドラマとクライマックスを云々と、フィクションにしかない要素とノンフィクションでもあり得る要素を、すべてフィクションの固有の事情にように語るのは、こういう点で腑に落ちないものがある。