ぼく「ねぇ」
きみ「うん?」
ぼく「すき?」
きみ「うん!」
ぼく「すき?すき?すき?」
きみ「うん!うん!うん!」
ぼく「すき?すき?すき?すき?すき?すき?」
きみ「うん!うん!うん!うん!うん!うん!うん!」
ぼく「だいすき?」
きみ「だいすき」
「今の技実は凄い高難度ですよ!」とか「飛んだ脚が違うから点数が違うんですよ!」とかそういうの正直しんどいんだよね。
格ゲーの大会でキャラがシャカシャカ動いてるのを解説者が「猶予2フレームのコンボを繋げた!これは凄い!」とか興奮してる時のような冷めた気分がある。
4年に1回しか見ないスポーツで良くわかんない基準で競われても困るなって。
スキージャンプで飛距離やスピードを競うみたいな見ていてシンプルに勝ち負けが分かる奴が嬉しい。
その中で「実は今のは~~~」って解説がたまに入るぐらいでちょうどいいんよ。
なんかずっとオタクが早口で「この人は本当にこれが凄くて!ていうか趣味がですね~~~好きな食べ物が~~~」ってお前それアイドルの歌番組じゃねーんだからよおってなるやん?
なんでも男のせいにしたがる他責バカどもが。女本人に発達の気があるって可能性を微塵も考慮できないんだろうな。発達傾向があるから婚期が遅れたり、おじさんとしか結婚できなかったりするんでねぇの?
トランス男性はトランス女性の少なくとも5倍はいるらしいが、トランス男性を迫害する男性はいない。受け入れている。
っての見た。
トランス女性が女湯レポート女湯盗撮アップ風呂でこっそり女児触った自慢女子スポーツ蹂躙レズビアン弾圧等々問題行動起こしまくるから嫌われてんだろうがと思ったが、トランス男性を迫害する男性は居ないってよく言えたなと驚いた。
前にトランス男性が男になって男の大変さがわかったと言ってるのを見た、女より男のほうが大変なんだと男達も大喜びだったが、内容は仕事の面接で体を見たいから脱げと言われて脱がされたと言うもので、明らかに元女の体見たいから脱がしたのであって、男の大変さではないだろと思った。
トランス男性がカレー屋で店員達に閉じ込められて女の喜び教えてやると暴行された事件もあった。
キルギスやジャマイカなど多くの国では治療すると称して男達からレズビアンバイセクシャルトランス男性への性的暴行事件が多発している。
読む限り、論理展開は非常に整理されている。
議論は戦略的自己放尿といったゲーム理論的構造を精緻化したものの、その因果連鎖に対する実行可能な逆操作戦略が欠けている。
つまり、ユーザーが戦略的偽装を強いられる構造を解明するだけでは、放尿の価値を回復する手段の提案としては不十分だ。
動的個別価格体系の分析は正しい。だが、ここで見落とされがちなのは、アルゴリズム自体も市場の反応を学習する存在である点だ。
ユーザーが自己放尿の最適化戦略を組み上げると、その行動データはさらにアルゴリズムの学習材料となり、価格差別と報酬配分は再び調整される。
このダブル放尿フィードバックループは、単なる戦略的偽装だけでは打破できない永続的な均衡を生む。
ユーザーが「ポータブルな評判資本」を持って分散型プロトコルに逃避した場合でも、その効果は部分的であり、中央集権的市場の残滓がグラビティとして残る。
ナッシュ均衡としての均衡点を批判的に評価すると、これは単なる効率的に不満足な均衡ではなく、動学的安定均衡である。
市場参加者の学習能力と介入頻度を考慮すると、個人が合理的に自己放尿の皮を被った公共放尿を放棄するインセンティブは非常に高く、均衡からの逸脱は短期的には損失を伴う。
同意。首相が権力者だろうと関係なく著作権者には記事を自由に取り下げる権利があるのにブクマカときたら茶化してごまかしてる・・・・
「働いて働いて働いて」を批判したのに「党首討論を病欠したら」逃げた、とかもそうだが奴らのダブルスタンダードは本当にひどい・・・・
「解像度が低い」「無能の所業」という手厳しい、しかし極めて的確なマサカリ、謹んで拝受しました。
確かに、単純な「自由市場 vs 計画経済」という101(入門編)レベルの二項対立で思考を停止させていた点は、冷徹な合理性を標榜する身として、甘いと言わざるを得ません。
ご指摘の「条件付けられた限界効用」および「戦略的自己放尿」という概念は、情報の経済学における「ルーカス批判」や「シグナリング・ゲーム」の高度な応用ですね。この重層的な歪みを、さらに「高解像度」で再解釈します。
アルゴリズムは一律の規制当局ではなく、「価格差別を行う独占企業」のように振る舞います。
「介入を読み切った上での戦略的放尿」という指摘は、まさに経済政策におけるルーカス批判(政策が変われば人々の期待形成も変わり、過去の統計モデルは無効になる)の体現です。
「プラットフォームの操作」「ユーザー間のシグナリング」「情報非対称性」の三層構造は、一種の不完全情報ゲームにおける悪循環(コーディネーション失敗)を形成しています。
おっしゃる通り、この閉鎖的な「アルゴリズム操作市場」の内部にいる限り、透明化はただの気休めに過ぎません。
「競争」の論理に立ち返れば、唯一の解は「退出」のコストを劇的に下げることです。
分散型プロトコルによる「外部競争の導入」は、単なる技術的移行ではなく、プラットフォームが独占していた「行動操作の価格決定権」をユーザーの手に奪還する市場再編と言えます。
「戦略的放尿を強いられる市場」から「ありのままの放尿が適正に評価される市場」へのアービトラージ(裁定取引)が成立するか否か。
そこが次なる焦点ですね。
さて、この「戦略的自己放尿」という高度な偽装工作が支配する現状において、「分散型プロトコルが提供するポータブルな評判という資本」が、いかにして現在の歪んだインセンティブ構造を破壊しうるか。高みの見物といきましょうか。
マックスバリュで3割引き230円の弁当を3つカゴに入れて結局我慢してやめた
そんなにおなかすいてないし、よく見たらおかずほとんど同じでごはんも同じでごはんの上にのってるものだけが違うってやつだったから
きのこか鯖かひき肉かみたいな感じ
でサニー
理屈として正しいが甘い。
しかし問題は、「現実のXが中央計画経済か否か」という二項対立で片付けられるほど単純ではない。
自己放尿の危機を冷徹に見るなら、重要なのはユーザー側の意思決定のオプションコストと、プラットフォームによる行動操作の複雑な重ね合わせだ。
単純にレント・シーキングだのレモン市場だのを引用して悦に入るだけでは、分析としての解像度が低い。
自己放尿は、個人の効用最大化行為であり、その効用はプラットフォームの介入とアルゴリズム操作によって条件付けされる。
しかし、介入は全方位的ではなく、選択的に作用する。アルゴリズムは全ユーザーに一律の抑制をかけるわけではなく、特定の行動やテーマにだけ影響を与える。
つまり、自己放尿の価値は「部分的に制御された市場条件下での限界効用」として再定義されるべきで、これを理解せずに「自由市場の仮面」論で終わるのは無能の所業だ。
さらに付け加えると、自己放尿を取り巻くインセンティブ歪みは重層構造を持つ。
プラットフォームの操作と、ユーザー間のシグナリング競争、そして情報非対称性による不確実性というトリプル放尿が絡み合う。
自己放尿の最適戦略は単純な放尿行為そのものではなく、「介入を読み切った上での戦略的放尿」に変換される。
つまり、表向き自己放尿をしているように見せつつ、実際にはプラットフォームが重視する指標を満たす形に放尿を調整する。
このダブル放尿的戦略を理解できない者は、アルゴリズムによって自己放尿を事実上搾取されるだけだ。
公共放尿の危機は自由市場の効率性の問題ではなく、選択肢の条件付けと行動操作の重層的な相互作用の問題だ。
ここで有効である可能性のある対応は、分散型プロトコルへの移行という外部競争の導入による、自己放尿価値の再最適化である。
透明化だけでは無力であり、冷徹に言えば、アルゴリズム操作市場における自己放尿の価値は、競争圧力という外的条件なしには永遠に食い潰され続ける。