「老後資金1億円」の確保は不可能? 頑張ればできる?
金融関係者を驚かせた「老後資金2000万円」騒動
「老後資金1億円なんて、とても無理」。たいていの人がこうおっしゃいます。しかし最初に結論を言ってしまえば、これは別に不可能な話ではありません。ただこれは「リタイア時に金融資産として1億円を用意する」という意味ではないので、誤解のないよう順を追って説明します。
まず2019年に世間を騒がせ、いまだによく使われる「老後資金2000万円不足問題」ですが、あれは数字のマジックで、大した話ではありません。「65歳以上の夫婦のみの無職世帯」の実収入が17年の数字では20万9198円、実支出が26万3717円で毎月5万4519円の赤字が出るので、それを30年間(360カ月)に引き伸ばすと約1963万円の赤字になる、というだけの話です。
こんな話が騒がれること自体、我々金融関係者には驚きでした。なぜなら、日経マネーでは毎年「老後資金は1億円かかる。現役時代に3000万円は作っておこう」という特集を世に出してきましたし、「とてもそんなには貯められない」と言う割に、本当は下のグラフのように60代でも平均で2588万円、中央値でも1200万円の金融資産を持っているからです(金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査]令和5年調査結果」)。
直近の数字では高齢世帯の実収入は24万4580円、消費支出は25万959円です(総務省「家計調査報告」2023年)。これなら30年分でも赤字は約230万円で、話はいきなり老後資金230万円不足問題に縮小するわけですね(笑)。
最近また「物価高のせいで今度は老後資金4000万円問題になった」とテレビで騒いでいますが、そんなものに踊らされる必要はありません。老後資金がいくら必要だとしても「来月必要なのは25万〜26万円だけ」なのです。
「老後1億円」。怖がる前に年金の確認を
さて真面目に言うと、今の話と同じで老後資金は計算上は1億円程度かかります。前述の消費支出の月25万959円が30年分で9035万円。これが恐らく生きていく上での最低ラインで、医療費や介護費に少し余裕を持たせれば1億円という数字は大げさではありません。
また生命保険文化センターのアンケートで「ゆとりある老後生活費」を聞いたところ、回答は平均で月37万9000円になりました。これが30年分なら1億3644万円になる計算です。
一方、ここが大事なのですが、収入も積み上げれば驚くほど大きくなります。まずは生涯受け取れる公的年金が、厚生年金のモデル世帯(夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額)の例で月23万483円ですので、30年間では約8297万円にもなります。会社によっては退職金や企業年金もあるでしょう。
退職金は学校を卒業後に入社して1つの会社で定年まで勤め上げた場合(満勤勤続)、大企業の大卒で平均2139万6000円、高卒で同2019万9000円となっています(厚生労働省中央労働委員会「令和5年賃金事情等総合調査」)。中小企業はそれよりは少ないですが、卒業後すぐ入社した人が普通の能力と成績で勤務した場合のモデル退職金は、大卒で1091万8000円、高卒で994万円となっています(東京都産業労働局「中小企業の賃金・退職金事情(令和4年版)」)。
1億円必要な老後資金のうち約8000万円が年金で賄われ、人によって1000万〜2000万円の退職金もあるのなら、やはり現役時代に2000万〜3000万円を用意できれば老後破綻なんて起こらないことになります。ただし、今の話は会社員や公務員など厚生年金の例なので、国民年金のみの世帯、退職金のない世帯では現役時代にもっと大きな資産を作っておくことが必要です。iDeCo(個人型の確定拠出年金)や国民年金基金など、税制メリットのある制度を使って早めに備えましょう。65歳になってから「そんな話は教わっていない」と言ったところで、誰も助けてはくれませんので。
「不可能ではない」3つの理由
老後資金1億円が不可能ではないと言う理由はあと3つあります。勤め人の生涯賃金は2億〜3億円になります。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を基にした独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「ユースフル労働統計 2023」という資料を見てみましょう。
1000人以上の大企業で定年まで勤めた正社員の生涯賃金は、高卒男性が2億4140万円、女性が1億7150万円。大卒男性が2億8750万円、女性が2億3090万円で、大学院卒男性が3億2100万円、女性が2億7330万円です。会社の規模によってある程度の差は出ますが、これは「退職金を含めない額」なので実際はもう少し大きくなります(下のグラフの数字)。
生涯で2億〜3億円稼ぐのなら夫婦では5億円。無駄遣いせずに2人でその15%を貯めていけば、元金だけで7500万円になります。これが株や投信を使った長期の運用で1億円に膨らむのは特に不思議な話ではなく、この場合は「真水で1億円」の資産になります。
2つ目は、今はNISA(少額投資非課税制度)やiDeCoなど、非課税で運用できる制度が拡充されていることです。特に新NISAでは生涯投資枠が1800万円まで拡大され、運用期間も恒久化されましたので、これだけで「老後資金2000万円」なんて軽くクリアできてしまいます。
仮に25歳で資産形成の大事さに気付き、そこから60歳までの35年間、毎月3万円ずつ積み立てたとします。運用利回りを保守的に3%と見積もっても元利は2225万円に。ちょっと強気の5%なら3408万円、長期にわたる株式の期待利回りとされる7%なら5403万円です。前作の『日経マネーと正直FPが考え抜いた! 迷わない新NISA投資術』にも書いた通り、この制度で日本人の資産形成は相当楽になっています。使わない手はありません。
3つ目が、我々は60歳を過ぎてからもまだ働けて、年金以外の収入も得られることです。人手不足で労働市場は売り手市場ですから、仕事を選ばなければ60歳からでも夫婦で月20万円稼ぐのは不可能ではないでしょう。年間なら240万円で、70歳まで10年続けたらそれだけで2400万円です。
そもそも家計は一般論ではなく「我が家ではどうか」だけが問題です。今朝はYouTubeで「若い夫婦2人が月5万円で生活している」という動画を見ました。ちょっと極端な倹約一家の例だと思いますが、これなら30年間の老後資金は1800万円で済みます。「老後資金1億円」は不可能ではないと解説してきましたが、最後に「節約」でそこに近づける手もあるわけです。
まとめると、「老後資金1億円」は長期の積み上げ算で数字が大きくなりますが、その確保は決して不可能ではない、ということです。
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菱田雅生・大口克人著、日経BP、1870円(税込み)
日本経済新聞 金融・市場ユニット、日経BP日経マネー編集委員。1991年、日経ホーム出版社(現・日経BP)に入社。日経マネー編集部に配属以来、日経マネー編集長、日本経済新聞マネー報道部長、日経マネー発行人などを経て現職。33年以上を個人の資産形成の研究に費やす。
[日経BOOKプラス2024年8月27日付記事を再構成]
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