アジアTrend タイの政治混乱、中国の未来映す 富の偏在根深く
編集委員 村山宏
タイの政治混乱が収まらない。タイは東南アジアの経済優等生として成長を続けてきた。成長で中間層が生まれれば社会に余裕ができ、政治も安定するはずだった。だが、タイではタクシン元首相支持派と反タクシン支持派の民衆の争いが逆に激しくなった。民主主義という制度が対立をあおっているという見方さえ聞かれる。ここでは「ジニ係数」という経済学のツールを使って新興国に共通する民衆対立の根を探ってみたい。
タクシン元首相の妹のインラック首相は選挙で混乱を決着させようとしているが、反タクシン派のデモ隊は選挙そのものに反対しており、混乱収束のめどは立っていない。2006年に当時のタクシン首相が軍部クーデターで失脚して以来、タイはタクシン派、反タクシン派に分かれ、民衆が過激なデモを繰り返してきた。1人当たり国内総生産(GDP)は5千ドルを超え、新興国としては豊かな部類に入る。そのタイでなぜ対立が続くのか。
タイは1990年代初めまで軍部出身の首相が交代で上からの開発を進めた。成長率は10%を超え、東アジアの奇跡とまでいわれた。しかし、民主的な改革が進んだ90年代に政治や経済が不安定化し、混乱が間欠泉のように噴き出すようになった。アジア以外でも、エジプトとチュニジアが独裁的な政権の下で高成長を続けていたが、アラブの春と呼ばれる民主化運動で政権が倒れると民衆の対立が激しくなり、経済は低成長に沈んでいった。
表面の事象だけみれば「民主主義悪玉論」が説得力を持ち、「開発独裁万歳論」が優勢となりそうだ。だが、ジニ係数を使って分析すると異なる風景が見えてくる。ジニ係数は所得分配の状況を計るツールとして使われ、この数字が「0」であれば全員が同じ所得であることを示す。逆に「1」であれば1人(1家計)がすべての所得を独占している状況を表す。つまり、数字が1に近づくほど格差が大きい社会であることを意味する。
0.5ならば25%の人々が全所得の75%を得ている状況が生まれている。先進国のジニ係数は0.3前後が多く、日本も0.379(厚生労働省調べ、2011年)だ。一般に0.4を超えると社会騒乱が頻発するといわれている。ジニ係数は調査機関によって数字が異なるが、東南アジアの数字は世界銀行の調査結果を使用したい。タイのジニ係数をみると高成長が続いた90年代初頭にジニ係数は0.5に迫っていた。開発独裁は高成長を実現したものの、その陰で所得格差が広がっていたのだ。
開発独裁は与野党の対立がなく、政策が一貫しやすく、成長には適している。だが、成長の果実である富が政権関係者ら既得権集団に集中する傾向を生む。弱者の声は政治には反映されにくく、不平等を広げていく。タクシン元首相はこの格差社会を利用して権力を固めていったのだ。タイ人口の半分近くを占める貧しい農民に補助金をばらまき、支持を勝ち取った。妹のインラック首相もコメを高価格で買い取る政策で農民の歓心を買ってきた。逆に既得権勢力は富の増殖を抑えられ、タクシン元首相へのうらみを募らせていった。
タクシン元首相の強引な政策は反タクシン派を糾合させ、妥協を許さない亀裂を社会につくってしまった。タイの政治混乱は民主主義の未成熟さもあるが、混乱の種は開発独裁時代の高成長にまかれたものだ。成長だけに目を奪われ、公平という経済のもう一つの達成目標を忘れてしまっていたからだ。ジニ係数をもう一度、見ていただきたい。タイの係数が下がりぎみなのに注目したい。タクシン派、反タクシン派とも支持を競うために、貧困層への所得再配分政策を強めた結果だ。タイの政治混乱は富の偏在を正すための民主主義的なプロセスといえるかもしれない。
さて、アジアの開発独裁といえば、今では中国が典型例だろう。野党のいない共産党政権による政策運営は迅速であり、かつてのタイを上回る高成長を実現している。ジニ係数はどうだろうか。中国政府が発表した12年のジニ係数は0.474だった。農民や労働者の抗議活動が連日のように報告されているが、背景にある所得格差や富の偏在がこの数字から裏付けられた形だ。
中国では今、構造改革のスローガンが魔法の呪文のように唱えられている。少子高齢化で成長率が低下する恐れが強まり、経済運営に市場原理をもっと取り入れ、成長鈍化を食い止めるのが目的だという。だが、市場原理で実現できるのは経済の効率性にすぎない。格差是正は市場原理だけでは解決の難しい問題だ。市場での競争に敗れた弱者をどう救うのか。民主的な仕組みのないなかで弱者の声は政権内部には届きにくいのが実情だ。
中国は経済の効率性と公平性という二兎(にと)を追わねばならない状況にある。この極めて難しい問題を解決できなければ、それこそタイを上回る激しい政治混乱が待っている。