ひがし幼稚園閉園式典
ネックウォーマを付けて立哨に向かいました。イヤ―良いですね!あったかいんだからー?(今はやりの言葉で!)それと最近騒がれている花粉症対策。これなら大丈夫では?
その昔、横須賀にいた頃、帰省の度に車の中は花粉症の鼻紙で一杯。それも遠い昔の話で現在は花粉症の花の字もありません!粘液が相を功したのですかね?(※でも少し鼻がぐじゅぐじゅしますが!)
また、早朝のランにおいても花粉症対策を講じていないのにも関わらず花粉症の症状はありません。余程、花粉症には不向きなのかな?変な事ですが!上越市は森の都と言われ杉の木も多く存在していますからね!花粉症情報も出ているのかな?トニカク花粉症の症状のある方はマスクなどして予防して下さい。一時の期間だと思われますので!
今日はこれから「ひがし幼稚園閉園式典」に出席してまいります。この幼稚園は老朽化(耐震化対策もしていない)していると言う事と、生徒数が減少しており存続が叶わずこの様に閉園になったのでありました。卒園生としては寂しい感もあろうかと思いますが、時代の流れで、しょうが無いかなと言う思いも交差いたしております。
昭和39年に設立開園された当幼稚園は51年に渡る長い歴史に終止符を打つわけでありますが、これまで幼稚園に携わった関係各位に感謝申し上げ閉園させて頂きますと。「ありがとう事業実行委員会」の案内文にこの様に記載されておりました。
午前10時20分閉園式の始まりであります。
卒園式後の閉園式であります。壇上には、ひがしようちえん ありがとうとの横断色紙が!
主催者挨拶で、村山市長が登壇。9名の皆さんが卒園し、2名の在園生が高田幼稚園に編入なさいます。これからは小学校入学、高田幼稚園に行っても頑張って下さい。これまで約1800名もの卒園生を送っております。長い歴史を守って頂きありがとうございました。子供達も仲良く過ごした思い出の幼稚園であります。思い出を無駄にすることなく次へのステップにして下さいと。
卒園生・在校生、父兄の皆さん来賓の皆さんで会場は一杯。皆、閉園を寂しがっておりました。
佐藤議長も議会を代表して一言のご挨拶を!
「ありがとう事業実行委員会」委員長、吉田勉氏も園を懐かしく思いご挨拶を!人生で最大で最後の挨拶でありますと述べ、この間、1822名もの卒園生を輩出致しております。本当に歴史を守って頂き感謝申し上げます。耐震化等で継続できなく残念でありますが、この地にひがし幼稚園があったと言う事を心の中に止めていて下さい。本当にありがとうございました。
後藤園長先生も一抹の寂しさをつづりながら閉園の思いをご挨拶の中で述べてくれました。ありがとう、ひがし幼稚園ですね!
思い出のアルバムをプロジェクターで回顧しております。昭和39年設立からの歴史ですから懐かしいですね!
園児によるセレモニーであります。歌と、思い出の春・夏・秋・冬を発表してくれました。
園児作成の花を皆さんにプレゼントしてくれました。ありがとうね!上手に出来ていますよ!(*^_^*)
卒園生・在校生からお母さんにも花のプレゼント。涙ぐんでいたお母さんもいましたね。閉園とは本当に寂しい限りであります。
園旗返還、後藤園長先生より中野教育長へ、ひがし幼稚園の園旗が渡されました。これで閉園となりました。
式典も11時を少し過ぎ終了。急いで知人の葬儀へと向かったのでありました。
葬儀は、11時半から約1時間。亡くなられた故人は以前町内会長を務められお世話になった方でありました。2月には地区の新年会で乾杯の発声をしてくれたばかりなのですが、残念ですね。芳年71歳マダマダ若いのに!ご冥福をお祈り申し上げます。安らかにお休み下さい。
少し遅い昼食を、毎度おなじみの木田食堂で!
今日はいつもと同じようなアジフライ定食かな!アジフライ・ホウレンソウの油下姶もの・冷ややっこ・きゅうりとわかめの酢の物・そしてご飯と(大盛り)味噌汁。イヤ―お腹一杯になりました。満足満足ですね!(*^_^*)
その昔、横須賀にいた頃、帰省の度に車の中は花粉症の鼻紙で一杯。それも遠い昔の話で現在は花粉症の花の字もありません!粘液が相を功したのですかね?(※でも少し鼻がぐじゅぐじゅしますが!)
また、早朝のランにおいても花粉症対策を講じていないのにも関わらず花粉症の症状はありません。余程、花粉症には不向きなのかな?変な事ですが!上越市は森の都と言われ杉の木も多く存在していますからね!花粉症情報も出ているのかな?トニカク花粉症の症状のある方はマスクなどして予防して下さい。一時の期間だと思われますので!
今日はこれから「ひがし幼稚園閉園式典」に出席してまいります。この幼稚園は老朽化(耐震化対策もしていない)していると言う事と、生徒数が減少しており存続が叶わずこの様に閉園になったのでありました。卒園生としては寂しい感もあろうかと思いますが、時代の流れで、しょうが無いかなと言う思いも交差いたしております。
昭和39年に設立開園された当幼稚園は51年に渡る長い歴史に終止符を打つわけでありますが、これまで幼稚園に携わった関係各位に感謝申し上げ閉園させて頂きますと。「ありがとう事業実行委員会」の案内文にこの様に記載されておりました。
午前10時20分閉園式の始まりであります。
卒園式後の閉園式であります。壇上には、ひがしようちえん ありがとうとの横断色紙が!
主催者挨拶で、村山市長が登壇。9名の皆さんが卒園し、2名の在園生が高田幼稚園に編入なさいます。これからは小学校入学、高田幼稚園に行っても頑張って下さい。これまで約1800名もの卒園生を送っております。長い歴史を守って頂きありがとうございました。子供達も仲良く過ごした思い出の幼稚園であります。思い出を無駄にすることなく次へのステップにして下さいと。
卒園生・在校生、父兄の皆さん来賓の皆さんで会場は一杯。皆、閉園を寂しがっておりました。
佐藤議長も議会を代表して一言のご挨拶を!
「ありがとう事業実行委員会」委員長、吉田勉氏も園を懐かしく思いご挨拶を!人生で最大で最後の挨拶でありますと述べ、この間、1822名もの卒園生を輩出致しております。本当に歴史を守って頂き感謝申し上げます。耐震化等で継続できなく残念でありますが、この地にひがし幼稚園があったと言う事を心の中に止めていて下さい。本当にありがとうございました。
後藤園長先生も一抹の寂しさをつづりながら閉園の思いをご挨拶の中で述べてくれました。ありがとう、ひがし幼稚園ですね!
思い出のアルバムをプロジェクターで回顧しております。昭和39年設立からの歴史ですから懐かしいですね!
園児によるセレモニーであります。歌と、思い出の春・夏・秋・冬を発表してくれました。
園児作成の花を皆さんにプレゼントしてくれました。ありがとうね!上手に出来ていますよ!(*^_^*)
卒園生・在校生からお母さんにも花のプレゼント。涙ぐんでいたお母さんもいましたね。閉園とは本当に寂しい限りであります。
園旗返還、後藤園長先生より中野教育長へ、ひがし幼稚園の園旗が渡されました。これで閉園となりました。
式典も11時を少し過ぎ終了。急いで知人の葬儀へと向かったのでありました。
葬儀は、11時半から約1時間。亡くなられた故人は以前町内会長を務められお世話になった方でありました。2月には地区の新年会で乾杯の発声をしてくれたばかりなのですが、残念ですね。芳年71歳マダマダ若いのに!ご冥福をお祈り申し上げます。安らかにお休み下さい。
少し遅い昼食を、毎度おなじみの木田食堂で!
今日はいつもと同じようなアジフライ定食かな!アジフライ・ホウレンソウの油下姶もの・冷ややっこ・きゅうりとわかめの酢の物・そしてご飯と(大盛り)味噌汁。イヤ―お腹一杯になりました。満足満足ですね!(*^_^*)