2023-02-25 (Sat)✎
こんにちは。
今回の見学はコチラです。
大覚寺
嵯峨野は古くから京都でも風光明媚な地域であり、
寺社仏閣の中でも嵯峨天皇の離宮からスタートしたことで知られるのが大覚寺です。
歴史は平安時代初期の833年から始まり、弘法大師空海が不動明王など五大明王を祀るお堂を建立しました。
鎌倉時代後期、皇位継承をめぐって2つの血統が対立していました。
後宇多法皇が属す側は、彼が大覚寺で院政を行ったことから「大覚寺統」と呼ばれ、
一方大覚寺統と対立していた側は「持明院統」と呼ばれ、両者の対立はやがて南北朝の動乱の原因にもなりました。
ちなみに後宇多法皇の息子が、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇です。
少し、歴史のお勉強でした~~
では五大堂です。
現在の本堂ですね。
不動明王を中心とする五大明王を祀っています。
大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸(いたからど)、両脇各2間は蔀戸となっています。
考えますと、本堂がこちらですので、最初にお参りせねばいけないのでしょうが・・・
本尊・五大明王像は、仏師の松久朋琳と松久宗琳の親子の作となっております。
説明書きです。
腰をしゃがむのが辛くて・・・こんな見難い写真になってしまいました。
五大堂の観月台から大沢池を観た所です。
大沢池の説明書きです。
こちらが、池舞台です。
この風景は珍しいのですよ。
年に一度、水抜き行われます。
本来なら、鏡のように・・・
時期が少しだけ遅れてしまったようでして・・・
嵯峨菊です。
こちらは、許可を得て、ポスターの写真を・・・
嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、
一つの型に仕立て上げられた風情と、格調をかねそなえた菊が大覚寺「門外不出」の嵯峨菊です。
毎年11月に嵯峨菊展がございます。
では、ここから大沢池の見学に参りましょう。
水が無くとも、見所はいっぱいございますよ。
五社明神の鳥居です。
松尾大明神と書かれていますが・・・
正一位稲荷大明神とな。
ここには、氣比大明神社と多賀大明神社・・・
多分、周囲に散在する祠は、近代以前の神仏習合の名残でしょうか。
五社明神の・・・
五社明神の本殿です。
心経宝塔です。
嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されたものです。
宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀られていまうs。
閼伽堂(あかどう)です。
約1200年前、大覚寺の前身「離宮嵯峨院」時代、
嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸です。
説明書きですね。
大日堂です。
洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもので、正面を入母屋造とし、内陣は六角堂となっています。
石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀ってまうs。
向きを変えて・・・
大日堂の宝塔を・・・
聖天堂です。
望雲亭西側に建っていたが、昭和37年頃に現在地に移築されました。
宝形造であり、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀っています。
蓮華堂です。
確か、ココにトイレがありますよ。
続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
今回の見学はコチラです。
大覚寺
嵯峨野は古くから京都でも風光明媚な地域であり、
寺社仏閣の中でも嵯峨天皇の離宮からスタートしたことで知られるのが大覚寺です。
歴史は平安時代初期の833年から始まり、弘法大師空海が不動明王など五大明王を祀るお堂を建立しました。
鎌倉時代後期、皇位継承をめぐって2つの血統が対立していました。
後宇多法皇が属す側は、彼が大覚寺で院政を行ったことから「大覚寺統」と呼ばれ、
一方大覚寺統と対立していた側は「持明院統」と呼ばれ、両者の対立はやがて南北朝の動乱の原因にもなりました。
ちなみに後宇多法皇の息子が、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇です。
少し、歴史のお勉強でした~~
では五大堂です。
現在の本堂ですね。
不動明王を中心とする五大明王を祀っています。
大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸(いたからど)、両脇各2間は蔀戸となっています。
考えますと、本堂がこちらですので、最初にお参りせねばいけないのでしょうが・・・
本尊・五大明王像は、仏師の松久朋琳と松久宗琳の親子の作となっております。
説明書きです。
腰をしゃがむのが辛くて・・・こんな見難い写真になってしまいました。
五大堂の観月台から大沢池を観た所です。
大沢池の説明書きです。
こちらが、池舞台です。
この風景は珍しいのですよ。
年に一度、水抜き行われます。
本来なら、鏡のように・・・
時期が少しだけ遅れてしまったようでして・・・
嵯峨菊です。
こちらは、許可を得て、ポスターの写真を・・・
嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、
一つの型に仕立て上げられた風情と、格調をかねそなえた菊が大覚寺「門外不出」の嵯峨菊です。
毎年11月に嵯峨菊展がございます。
では、ここから大沢池の見学に参りましょう。
水が無くとも、見所はいっぱいございますよ。
五社明神の鳥居です。
松尾大明神と書かれていますが・・・
正一位稲荷大明神とな。
ここには、氣比大明神社と多賀大明神社・・・
多分、周囲に散在する祠は、近代以前の神仏習合の名残でしょうか。
五社明神の・・・
五社明神の本殿です。
心経宝塔です。
嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されたものです。
宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀られていまうs。
閼伽堂(あかどう)です。
約1200年前、大覚寺の前身「離宮嵯峨院」時代、
嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸です。
説明書きですね。
大日堂です。
洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもので、正面を入母屋造とし、内陣は六角堂となっています。
石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀ってまうs。
向きを変えて・・・
大日堂の宝塔を・・・
聖天堂です。
望雲亭西側に建っていたが、昭和37年頃に現在地に移築されました。
宝形造であり、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀っています。
蓮華堂です。
確か、ココにトイレがありますよ。
続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
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Re: No Subject * by ヒツジのとっとちゃん
鍵コメUさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
いつもご配慮ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
いつもご配慮ありがとうございます。
Re: No Subject * by ヒツジのとっとちゃん
鍵コメPさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
大覚寺に修学旅行でしたか!
珍しいですね。
私も小学校は京都奈良でしたが、行ったのはわずかしか覚えていません、
池の水抜きではありましたが、
紅葉を観る事が出来ましたた。
案内板は、多分、池を障害物なしで観るためなのでしょうね。
お寺さんの配慮なのでしょうが、腰をかがめないと・・・
コメントありがとうございます。
大覚寺に修学旅行でしたか!
珍しいですね。
私も小学校は京都奈良でしたが、行ったのはわずかしか覚えていません、
池の水抜きではありましたが、
紅葉を観る事が出来ましたた。
案内板は、多分、池を障害物なしで観るためなのでしょうね。
お寺さんの配慮なのでしょうが、腰をかがめないと・・・
No Subject * by はる
おはようございます(^^♪
なんと水がない!
広沢の池の「水抜きは」ニュースで見たことがあるけど。
嵯峨菊、なんて繊細な花の様子なんでしょ、
頂上に3輪、中央に5輪、下に7輪に拵えるのが決まりで
生け花のもとになった‥陶芸の花器を作る講座で教わったなあ。
ここの閼伽井は弘法大師が自ら掘られた井戸、すごい。
ずっと和菓子の名だと‥信玄餅のような‥食べたことがあるの。
不心得者ですね。
なんと水がない!
広沢の池の「水抜きは」ニュースで見たことがあるけど。
嵯峨菊、なんて繊細な花の様子なんでしょ、
頂上に3輪、中央に5輪、下に7輪に拵えるのが決まりで
生け花のもとになった‥陶芸の花器を作る講座で教わったなあ。
ここの閼伽井は弘法大師が自ら掘られた井戸、すごい。
ずっと和菓子の名だと‥信玄餅のような‥食べたことがあるの。
不心得者ですね。
Re: No Subject * by ヒツジのとっとちゃん
はるさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
この時、まだ水抜きの最中でした。
だから、少しは水も残っていて、面白い風景ですね。
嵯峨菊、見たかったわあ~~
気が付くのが遅かったわ。
な~~んか753の数字って、人間に関わりがあるような気がしますね。
閼伽井、お菓子の名前ありますね。
叶 匠寿庵のきなこ餅でしょう。
食べた事あります。
コメントありがとうございます。
この時、まだ水抜きの最中でした。
だから、少しは水も残っていて、面白い風景ですね。
嵯峨菊、見たかったわあ~~
気が付くのが遅かったわ。
な~~んか753の数字って、人間に関わりがあるような気がしますね。
閼伽井、お菓子の名前ありますね。
叶 匠寿庵のきなこ餅でしょう。
食べた事あります。
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Re: こんにちわ~。 * by ヒツジのとっとちゃん
鍵コメHさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
はいはい、どうぞお使い下さいませ。
写真でも何でも、了承しますよ。
コメントありがとうございます。
はいはい、どうぞお使い下さいませ。
写真でも何でも、了承しますよ。