2015-04-29 (Wed)✎
こんにちは。
今回出発した日に、日本遺産 「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~
が決定されました。
現地では、新聞のトップで報じられておりました。 世界遺産ブームの・・・・・かしら?
今回は第1回目でして、18ヵ所も認定されたようです。
弘法大師空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は、阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する全長1400kにも及ぶ
我が国を代表する壮大な回遊型巡礼路であり、札所への巡礼が1200年を超えて継承され、
今なお人々により継続的に行われています。四国の険しい山道や長い石段,のどかな田園地帯、波静かな海辺や
最果ての岬を「お遍路さん」が行き交う風景は,四国路の風物詩となっています。
国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、地域住民の温かい「お接待」を受けながら、
供養や修行のため、救いや癒しなどを求めて弘法大師の足跡を辿る四国遍路は、自分と向き合う「心の旅」です。
高知県は「修行の道場」と言われております。
今回は、24番から36番の札所、その内4ヵ寺は2度目の巡拝となります。
行程の都合上から、30番台から巡拝致します。
「四国八十八ヶ所霊場めぐり 34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺」
世の中にまける五穀のたねまでら
深き如来の大悲なりけり
土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられています。
敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書が届きました。
彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、その帰途の航海中、土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、
種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港したとの事。
海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされているます。
その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地に辿り着き、
その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、
種間寺と名付けたといわれています。
最初に鐘楼が見えます。
三門はなく、石柱門となっております。
修行大師様もいらっしゃいます。
庫裏です。
納経所です。
手水舎です。 水道の蛇口が・・・・
でも、この手水鉢は、町内最古で町の指定文化財で、 延宝5年(1677)に造られたものだそうです。
境内の景色です。
たくさんの石仏様が並んでおります。
入母屋造り、銅板葺き屋根の本堂です。
ご本尊様は、肉付きのよいどっしりとした体で 威厳のある表情の薬師如来様です。
本堂の中には、大黒様もいらっしゃいます。
ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像で、触って、なでて・・・・・光っております。
大師堂です。
立派な木彫りです。
子安観音堂です。
観音様です。
底抜け柄杓がいっぱい奉納されています。
妊婦が柄杓をもって詣ると、 寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえします。
それを妊婦は床の間に飾り、 無事に安産すれば柄杓を寺に納めるそうです。
このようなお堂もあります。
水子地蔵堂です。
中には・・・・
お参りも終えて、石柱門をくぐり・・・・
高知県の名物「アイスクリン」です。
ゆずとしょうがの2段重ねなんですが・・・・
では、次は、35番札所へ・・・・続きま~~~~す♪
最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。
南無大師遍照金剛
今回出発した日に、日本遺産 「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~
が決定されました。
現地では、新聞のトップで報じられておりました。 世界遺産ブームの・・・・・かしら?
今回は第1回目でして、18ヵ所も認定されたようです。
弘法大師空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は、阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する全長1400kにも及ぶ
我が国を代表する壮大な回遊型巡礼路であり、札所への巡礼が1200年を超えて継承され、
今なお人々により継続的に行われています。四国の険しい山道や長い石段,のどかな田園地帯、波静かな海辺や
最果ての岬を「お遍路さん」が行き交う風景は,四国路の風物詩となっています。
国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、地域住民の温かい「お接待」を受けながら、
供養や修行のため、救いや癒しなどを求めて弘法大師の足跡を辿る四国遍路は、自分と向き合う「心の旅」です。
高知県は「修行の道場」と言われております。
今回は、24番から36番の札所、その内4ヵ寺は2度目の巡拝となります。
行程の都合上から、30番台から巡拝致します。
「四国八十八ヶ所霊場めぐり 34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺」
世の中にまける五穀のたねまでら
深き如来の大悲なりけり
土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられています。
敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書が届きました。
彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、その帰途の航海中、土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、
種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港したとの事。
海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされているます。
その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地に辿り着き、
その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、
種間寺と名付けたといわれています。
最初に鐘楼が見えます。
三門はなく、石柱門となっております。
修行大師様もいらっしゃいます。
庫裏です。
納経所です。
手水舎です。 水道の蛇口が・・・・
でも、この手水鉢は、町内最古で町の指定文化財で、 延宝5年(1677)に造られたものだそうです。
境内の景色です。
たくさんの石仏様が並んでおります。
入母屋造り、銅板葺き屋根の本堂です。
ご本尊様は、肉付きのよいどっしりとした体で 威厳のある表情の薬師如来様です。
本堂の中には、大黒様もいらっしゃいます。
ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像で、触って、なでて・・・・・光っております。
大師堂です。
立派な木彫りです。
子安観音堂です。
観音様です。
底抜け柄杓がいっぱい奉納されています。
妊婦が柄杓をもって詣ると、 寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえします。
それを妊婦は床の間に飾り、 無事に安産すれば柄杓を寺に納めるそうです。
このようなお堂もあります。
水子地蔵堂です。
中には・・・・
お参りも終えて、石柱門をくぐり・・・・
高知県の名物「アイスクリン」です。
ゆずとしょうがの2段重ねなんですが・・・・
では、次は、35番札所へ・・・・続きま~~~~す♪
最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。
南無大師遍照金剛
Re: タイトルなし * by ヒツジのとっとちゃん
こんにちは。
コメントありがとうございます。
そうですね。
GWはお遍路さんが多いかもですね。
天気もよさそうですし・・・
暑いぐらいかもね。
海岸沿いの・・・絵になりますよね。
私だって、歩き遍路さんを見かけると、写真撮ってしまいます。
コメントありがとうございます。
そうですね。
GWはお遍路さんが多いかもですね。
天気もよさそうですし・・・
暑いぐらいかもね。
海岸沿いの・・・絵になりますよね。
私だって、歩き遍路さんを見かけると、写真撮ってしまいます。
帰ったら西寺さんに行ってこようかな。
GWは天気も良さそうなんで歩き遍路さんが多そうです。
お天気のいい海岸沿いを白装束のお遍路さんが歩いてるのはとっても絵になります。