2017-10-09 (Mon)✎
こんにちは。
ご本尊千手十一面聖観世音菩薩は健康長寿、無病息災を授けて下さる有り難い観音様。
本堂三重塔など重文の建つ境内から琵琶湖が一望でき、西国巡礼を始め多くの参拝客でに賑わっています。
十二代景行天皇の代、武内宿彌がこの山に上り、『寿命長遠諸元成就』の文字を柳の大木に彫り、
長寿を祈願した結果、三百歳の長寿を保ったと伝えられております。
その後、聖徳太子がこの地を訪れ山に上り、武内宿彌が彫った柳の木を見て、感嘆していると、
そこに白髪の老人が現れ、『この木で仏像を刻み、寺を建立するように』と告げ立ち去ったと言います。
太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、
推古天皇27年(619年)に本尊として祀り、武内宿彌長寿霊験の因縁で長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされているます。
第31番 「姨綺耶山 長命寺」
ご本尊 千手十一面聖観世音菩薩三尊一体
ご詠歌 八千年や 柳に長き 命寺運ぶ歩みの かざしなるらん
長命寺は、滋賀県近江八幡市にあり、琵琶湖湖畔にございます。
ここも・・・・階段が808段あるとの事!!
ただし、途中には駐車場があるとの事でして、タクシーにて・・・・
それでも、自力で100段ぐらいは登らないと・・・・・・
本来は、こちらから・・・・ひたすら石段を登らないといけません。
石柱です。
この石段を、808段も・・・
でーーーこの石柱からタクシで、細い山道を・・・・ひとっ走りでございます。
到着したのが、こちらの石柱でございます。
怖い亀さんの上に・・・・
「健康長寿の観音さん」の石碑もございます。
この石段を108段、山門がある所まで、自力で登らないといけません。
この石段は・・・1段から700段までのものです。
この石段を登ってきたら・・・帰りもこの石段を下りなければなりませんよ~~
では、頑張って108段登りましょう。
このような石碑もございます。
山門が見えてきましたので、あと少しです。
息切れ、ハンパじゃございませんが・・・写真だけは撮っております。
長命寺の山門です。
山門までの石段、808段、これで終わったと思いましたが・・・・なぜか・・・・まだ石段が続いてるよ~~
途中に、手水舎がございます。
清めたら・・・・まだ石段がございました。
石段を登り切った所には、「三重塔」がございます。
重要文化財で、桃山様式の建築で、現存のものは慶長2年(1597年)に建てられたものとされています。
本堂と三重塔の間には、 「閼伽井堂 (念仏井戸)」だそうです。
天智天皇が、境内にあった柳の枝を取って、本堂の横のこのお堂の所に差すと・・・
「ジャックと豆の木」のように大木に成長したとか・・・
本堂です。
横からですが・・・でも、ご本尊様はこちら向きに安置されておりましたが・・・こっちが正面???
長命寺の石柱です。
一体、何本あるのか・・・
境内には、このような物が・・・琵琶湖周航の歌碑です。
でも、コレは????
本堂正面(?)へとやってきました。
鬼瓦を・・・
本堂前には、御詠歌の歌碑がございました。
では、お参りを致しましょう。
まずは、説明を・・・
内陣を・・・
本尊の千手十一面聖観世音菩薩三尊一体は、聖徳太子が刻んだものらしいです。
乳薬師です。
本堂からの眺めを・・
本堂の北側には、「六処権現影向石」がございます。
落ちそうで落ちない巨石、「天地四方を照らす岩」とされています。
日本最初の大臣・武内宿禰が、この巨石に長寿を祈り、「寿命長遠諸願成就」の文字を柳の巨木に記し、
300歳以上の長寿を全うされたとか・・・・
鳥取県の因幡一ノ宮宇部神社の伝えでは360歳であったともいわれていますので、相当なご長寿です。
境内にはこの他にも巨石がゴロゴロしており、かつての巨石信仰の名残ではないかという説もあります。
鐘楼です。
「三仏堂」です。
佐々木義秀の菩提を弔うため元暦元年(1184年)に造立したものと伝えられており、
釈迦、弥陀、薬師の三尊を祀っています。
ちょっと望遠で三仏堂の奥を・・・・護法権現社だそうです。
護法権現社を横から・・・・
では、また石段を下りましょう。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
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ご本尊千手十一面聖観世音菩薩は健康長寿、無病息災を授けて下さる有り難い観音様。
本堂三重塔など重文の建つ境内から琵琶湖が一望でき、西国巡礼を始め多くの参拝客でに賑わっています。
十二代景行天皇の代、武内宿彌がこの山に上り、『寿命長遠諸元成就』の文字を柳の大木に彫り、
長寿を祈願した結果、三百歳の長寿を保ったと伝えられております。
その後、聖徳太子がこの地を訪れ山に上り、武内宿彌が彫った柳の木を見て、感嘆していると、
そこに白髪の老人が現れ、『この木で仏像を刻み、寺を建立するように』と告げ立ち去ったと言います。
太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、
推古天皇27年(619年)に本尊として祀り、武内宿彌長寿霊験の因縁で長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされているます。
第31番 「姨綺耶山 長命寺」
ご本尊 千手十一面聖観世音菩薩三尊一体
ご詠歌 八千年や 柳に長き 命寺運ぶ歩みの かざしなるらん
長命寺は、滋賀県近江八幡市にあり、琵琶湖湖畔にございます。
ここも・・・・階段が808段あるとの事!!
ただし、途中には駐車場があるとの事でして、タクシーにて・・・・
それでも、自力で100段ぐらいは登らないと・・・・・・
本来は、こちらから・・・・ひたすら石段を登らないといけません。
石柱です。
この石段を、808段も・・・
でーーーこの石柱からタクシで、細い山道を・・・・ひとっ走りでございます。
到着したのが、こちらの石柱でございます。
怖い亀さんの上に・・・・
「健康長寿の観音さん」の石碑もございます。
この石段を108段、山門がある所まで、自力で登らないといけません。
この石段は・・・1段から700段までのものです。
この石段を登ってきたら・・・帰りもこの石段を下りなければなりませんよ~~
では、頑張って108段登りましょう。
このような石碑もございます。
山門が見えてきましたので、あと少しです。
息切れ、ハンパじゃございませんが・・・写真だけは撮っております。
長命寺の山門です。
山門までの石段、808段、これで終わったと思いましたが・・・・なぜか・・・・まだ石段が続いてるよ~~
途中に、手水舎がございます。
清めたら・・・・まだ石段がございました。
石段を登り切った所には、「三重塔」がございます。
重要文化財で、桃山様式の建築で、現存のものは慶長2年(1597年)に建てられたものとされています。
本堂と三重塔の間には、 「閼伽井堂 (念仏井戸)」だそうです。
天智天皇が、境内にあった柳の枝を取って、本堂の横のこのお堂の所に差すと・・・
「ジャックと豆の木」のように大木に成長したとか・・・
本堂です。
横からですが・・・でも、ご本尊様はこちら向きに安置されておりましたが・・・こっちが正面???
長命寺の石柱です。
一体、何本あるのか・・・
境内には、このような物が・・・琵琶湖周航の歌碑です。
でも、コレは????
本堂正面(?)へとやってきました。
鬼瓦を・・・
本堂前には、御詠歌の歌碑がございました。
では、お参りを致しましょう。
まずは、説明を・・・
内陣を・・・
本尊の千手十一面聖観世音菩薩三尊一体は、聖徳太子が刻んだものらしいです。
乳薬師です。
本堂からの眺めを・・
本堂の北側には、「六処権現影向石」がございます。
落ちそうで落ちない巨石、「天地四方を照らす岩」とされています。
日本最初の大臣・武内宿禰が、この巨石に長寿を祈り、「寿命長遠諸願成就」の文字を柳の巨木に記し、
300歳以上の長寿を全うされたとか・・・・
鳥取県の因幡一ノ宮宇部神社の伝えでは360歳であったともいわれていますので、相当なご長寿です。
境内にはこの他にも巨石がゴロゴロしており、かつての巨石信仰の名残ではないかという説もあります。
鐘楼です。
「三仏堂」です。
佐々木義秀の菩提を弔うため元暦元年(1184年)に造立したものと伝えられており、
釈迦、弥陀、薬師の三尊を祀っています。
ちょっと望遠で三仏堂の奥を・・・・護法権現社だそうです。
護法権現社を横から・・・・
では、また石段を下りましょう。
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