1969年生まれ。日本近代文化史。広東外語外貿大講師。
(最終更新:2010年3月1日)
[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 3]
1 パリにギュスターヴ・モローの生前の住居を改造した小さな美術館がある。日本の基準で考えてもとりたてて広いとは思えないアパルトマンの部屋部屋がそのまま展示室となっているのだが、その室内に踏み込んだときの、一種むせかえるような印象は今でもよく覚えている。鮮やかに彩色された壁面をうめつくす大小さまざまなモローの作品群。その...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.28-30
[10+1 PASSAGE蒐集(コレクション)の曖昧な対象 4]
1 第一回で私たちが関心を向けたのは、コレクションがコレクションであるためには、主観がそこに何らかの規則性を見出さなければならないということだった。もしも規則性が発見できなければ、コレクションはその全体性を失ってしまう。つまりコレクションを構成する個々の要素は、お互いに疎遠で無関係な個物となり、コレクションは雑然とした...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.28-31
[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 2]
私たちの身体はすでに切り刻まれている。無数に分断され、くりかえし模造され、私たち個人の手を離れて匿名の流通経路のなかに散布されてしまっている。なにも精神分析的な話をしようというわけではない。ただ、この瞬間も急速に進展しつつあるメディア環境における私たちの身体の状況を語っているのだ。 本稿を準備中に、長崎で起きた幼児殺人...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.23-25
[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 1]
1 最近テレビのなかに「片づけられない人」たちというのが登場することがある。住居内のエントロピーの増大に対して、適切に介入することのできない人たち、とでもいうべきだろうか。彼ら、あるいは彼女たちの室内は膨大な量のゴミで溢れかえっている。数年前に購入した食料品、脱ぎ散らかしたままの汚れた衣服、中身が残って腐った弁当、積み...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.14-16
[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 5]
1 X-CUBE(クロスキューブ)という名のコインロッカーをご存じだろうか。筆者は、先日原宿駅の構内で遭遇して、はじめてその存在を知った。昨年の九月に登場し、現在全国三〇カ所に設置されているというから、とりたてて意識はしなくとも、すでに目にされている方は多いかもしれない。 X-CUBEが従来のコインロッカーと違うのは、...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.26-28
[論考]
一番悪いことは、突然の、おぞましい白日の苛酷さだった。わたしは見ることも見ないこともできなかった。見ることは恐怖であり見るのをやめることは額から喉までわたしをひき裂いた。 モーリス・ブランショ 1 ここに一枚の写真がある[図1]。右手に握り飯をつかんだ少年が、まっすぐにカメラを見つめている。頬や額を汚しているのは、傷...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.252-259