磯崎新
TOTO出版、2001年2月1日、272ページ
ISBN=4887061951
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴するテクストであり、またその後に与えた影響もきわめて大きい。『空間へ』がご自身のお考えを述べているのに対して、このテクストはむしろ当時磯崎さんが見ていた視線の先...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしました。一方にモダニズムの計画的な手法ではフォローしきれない生々しい現実があり、しかしモダニズムの均質空間の限界を感じつつそれを超える論理が見当たらない状況でもあ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[インタヴュー]
「様式の併立」をめぐって 日埜直彦──これまで伺ってきたお話を振り返ってみると、大きくは桂離宮を巡り端的に現われた日本の近代建築と伝統建築の問題ということになるかと思います。そしてそのことをもうすこし視野を広げて見れば、近代建築が日本において成立し、それ相応の具体化を遂げる過程で建築家がいかに考えてきたかということにな...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだったと思いますが、しかしそれにほころびが見え始めるのもまたこの時期でしょう。結局のところモダニズムに対する距離感が醸成されてその果てにポストモダニズムというコンセプ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年代ぐらいまでの時期を先駆けた本で、大きくはそうした問題への関心の高まりにおいて位置づけられる本だろうと思います。しかしながら、のちの宮脇檀を中心としたデザイン・...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[レヴュー]
...築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊からなる充実した... ...つか、勝負はまだこれからである。 1──『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)2──《孵化過程》3──「新...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...にさらにその続編として「流言都市」(『UNBUILT/反建築史』TOTO出版、二〇〇一)を書きました。最近こ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワ...クス──民衆論の廃墟の上に」(磯崎新『UNBUILT/反建築史』、TOTO出版、二〇〇一年に所収)。 ★三─...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[インタヴュー]
切断という決定論 日埜直彦──これまで数回にわたり都市を中心とした磯崎さんの六〇年代の関心についてお伺いしてきましたが、今回はその都市への関心が建築へ折り返されて行く過程についてお聞きしたいと思っております。 例えば『空間へ』に収められた論文を見ると、「現代都市における建築の概念」においてシンボリックなものと不定形なも...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えますが、僕はそれをアメリカ現代建築と一緒に取り出すとその特徴がより明瞭になると思うのです。その手がかりとして、ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエがそれ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[特別掲載]
福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職能に強い関心を抱いておられた時期ということになるかと思います。当時都市に関係して書かれた論文の多くが基本的に日本の状況を背景としていたわけですが、『みづゑ』に連...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[インタヴュー]
Electa社版『KATSURA』の成立と構成 日埜直彦──前回は岸田日出刀を中心として日本におけるモダニズム受容の最初期の状況について話していただいたのですが、当時と今では日本の意味合いはずいぶん違います。 今回はその点も踏まえ、とりわけ《桂》、そして《桂》と切っても切れない関係にあるブルーノ・タウトについてお話しい...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[論考]
私は年齢的には一九六〇年世代だけど、建築家としての思考の仕方は一九六八年に属している、とこれまでに折りにふれて語ってきた。そして、一九六八年から一九八九年の二〇年間、つまり文化革命からベルリンの壁の崩壊した間を歴史の宙吊りと呼ぼうとした。核の崇高の下に二極対立したまま、世界が動かず、そのなかで世界金融資本だけが異様に膨...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[インタヴュー]
一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多少書かれていますが、それを読んでいてもなかなか見えてこないのが岸田日出刀の特異な存在です。彼は戦中戦後の近代建築をリードし、その後の展開に大きな影響を与えたわけ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[批評]
〈資本〉が越境し、その過剰流動が、各国の固有経済システムに強い影響を与えはじめている。文化としてのディズニーも同様の越境を開始したとはいえないか。既に東京とパリにマジック・キングダムのシミュラークルを完成した。その模像は、ときにアナハイムの実像(それもまた虚像の集合体だ)をはるかにうわまわる吸引力を発揮する。これは明ら...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.132-137
[インタヴュー]
「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出発点としては、磯崎さんが伊藤ていじさんたちと『建築文化』一九六三年一二月号で特集した「日本の都市空間」の問題設定を挙げたいと思います。あの特集企画は、六〇年代が...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[インタヴュー]
コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案をされていました。そこでまずお伺いしたいのですが、なぜコンピュータに興味をもたれたのでしょうか。 磯崎新──まず六〇年代に僕が一番関心をもっていたのは、生物学か...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離感がこのところ曖昧にされ、場合によってはネガティヴな評価を前提とした、ある種の踏み絵になっているような感じさえある。そしてそうした意識において想定されている八〇...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を続け、一九六〇年代の重要な証言者になっていますね。国際博としては、つくば科学博(一九八五)そのものには参加されていませんが、直前にポストモダンを象徴するつくばセ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[シンポジウム]
アーキグラムとカウンターカルチャー 五十嵐──「アーキグラムの実験建築一九六一─一九七四」展は、展示の構成を巡回しながら少しずつ変えていくもので、アーキグラムの手法や雰囲気がすごくよく出ていると思います。これは、このシンポジウムに先だって行なわれたアーキグラムのメンバーによるレクチャーと似ているという気がしました。つま...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[論考]
...y /4203_final2/gal_kekwon/index.html註 ★一──磯崎新『反建築史』(TOTO出版、二〇〇一)一〇二頁。 ★二──...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104