名前を隠して楽しく日記。
これはひどいエアプ
漫画の大きさって出版社とレーベルで違うから本棚に並べたときの見栄え考えたらその順しか無いんだわ
こんな考えも至らないやつに合わせてなにかメリットあるんですか? 勘弁してほしい
なんか気になって仕方ないから増田のために登録。(上手くできてるかしら)
オ○ニーに励んだ後に、すぐ自己啓発本が読みたくなる/自己啓発本が一番感動するのはオ○ニー後だ
という人いますか? いたら教えてください。
よいしょよいしょ(擦る)→絶頂→ふう……→勢いよくベッドから降りKindleを開く→『習慣が云々』みたいな本を流し読む→よっしゃ、頑張るぞ!
こんな感じです。
「オ○ニー 自己啓発本」とかで調べても「自己啓発本を読むのは自慰行為と同じだ!」という批判しかヒットしません。
(ちなみにこの意見に同意ではあります。シコって体を満たした後、自己啓発本読んで心まで満たしにいこうという欲求でしょうか?)
(それともやっぱりオ○ニーへの罪悪感を紛らわせるためでしょうか?)
ただ気になっただけなので、同じ人いたら気軽に教えてね!
核が飛び交い、それ以前の戦争以上に冷徹で残酷な兵器が世界を侵す日が近いな?
軍を捨てた上に、アメリカの犬になってた日本は、そのアメリカに手を切られて孤立無援、待ち受けるのはアメリカ最新の殺戮兵器による蹂躙だ!
アメリカだけじゃない、いろんな国が「しめた」と日本を侵略して食べるぞ?
黄色の猿に人権は適用されない、いろんな国になにされるかわかんないね?
念仏を唱えて「その日」を怯えながら待とうな?救いはないよ?
アヒャヒャヒャヒャ
天皇なんて平安時代からずっとお飾りの存在でしかなかったってのに
幕末になると急に天皇万歳とか言い出すのが本当に謎だったんだよな。
尊王だ勤王だと叫んでる武士たちにいったい天皇が何をしてくれたって言うんだろう。
おいおい、おまえは親藩ちゃうんかい、御三家やろがいって思うが、
まあ水戸藩的には「天皇から権力を預かったってことで幕府の支配を正当化しよう」という意図だったんだろう。
しかしそれがいきすぎて「幕府より天皇のほうが偉い!幕府は天皇に権力を返すべき!」になってしまった。
幼い頃から尊王教育を受けてきた慶喜が、鳥羽伏見の戦いで逆賊になったことにビビって逃げ出したという。
北条義時が聞いたら鼻で笑うだろう。
というか戦力的には勝ってただろう。
水戸藩の勤王思想の源流を辿っていくと出てくるのが水戸黄門すなわち水戸光圀で、
徳川の統治が盤石になるようにって設置した御三家が、二百年もかけて反逆者を育てたんだから、家康も草葉の陰で泣いてただろう。
その間抜けさを考えるとなんだかやるせないんだよな。
ただ、耳触りの良い理想論を掲げるダブスタ野郎が次々と湧いて出ても、やっぱり5%以上の支持を得られないことには少しほっとする。
重大な問題ではないので気にしなくて大丈夫ですよみたいに書かれてるけど
あいつ等の言う「大丈夫」は「命にはかかわらない(死因に繋がらない)」って意味だからな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~脳がカスになるのが一番嫌だ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さっさとシンギュラリティ来ねえかな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人生にはさまざまな選択肢がありますが、大きく分けてハード・モードとイージー・モードという二つの道があります。
私たちはしばしば、刻苦勉励しながら努力に努力を重ねる「ハード・モード」に魅了されがちです。それは確かに一つの価値ある生き方であり、目標達成のための努力は素晴らしいものです。しかし、その一方で、ハード・モードだけでは仕事と人生のバランスがとれず、心身ともに疲弊してしまうことも少なくありません。
最近では、人生を楽しみながら「イージー・モード」で成功している人々が増えています。彼らはストレスをうまく管理し、効率的に働くことで、仕事とプライベートの充実を両立させています。では、イージー・モードとは具体的にどのような生き方なのでしょうか?
イージー・モードの基本原則は、無理をせずに自然体で生きることです。大切なのは、自分のペースで物事に取り組むこと。例えば、仕事においても、無理なスケジュールや過剰なストレスを避け、適度な休息をとりながら効率的に働くことが求められます。また、家族や友人との時間を大切にし、趣味やリラクゼーションの時間を持つことで、心身のバランスを保つことが重要です。
さらに、イージー・モードでは、自分の強みを活かすことが大切です。自分が得意なことや好きなことにフォーカスし、それを活かして成功を収めることで、自然とモチベーションが高まり、ストレスも軽減されます。逆に、自分にとって苦手なことや嫌いなことに過度に力を注ぐことは避け、自分のエネルギーを有効に活用することが求められます。
もちろん、人生において困難や課題が全く無いわけではありません。しかし、イージー・モードを選ぶことで、それらの困難をより柔軟に、そして前向きに乗り越える力が身につくのです。イージー・モードは、単なる怠けや手抜きではなく、より賢く、効率的に生きるための選択肢です。
これからの時代、私たちはハード・モード一辺倒の生き方ではなく、イージー・モードを取り入れることで、仕事と人生のバランスを保ちながら、より豊かで充実した人生を送ることができるのではないでしょうか。人生のモードを切り替え、自分自身を大切にしながら生きることこそが、本当の意味での成功への鍵となるのです。
気がついたらひとりぼっちになってるよ
スタッドレス付けたところで、首都高は急カーブ、急坂多すぎて事故続出なんだが。
首都高羽田線や環状線をオリンピックにあわせて突貫工事で作った頃ならともかく、そんなレイアウトでC2中央環状線を作るなよ、さらに渋滞絶対起こるJCT作るなよと言う話はある。
そんなクソレイアウトのせいで、まともに除雪しても雪捨てる場所も無いから溶けるの末だけだし。
結局、スタッドレス履いたところで走れない。
実際女の悪口って美人相手のものばっかやで加護ちゃんとか。ブスはわざわざ悪口言わなくても底辺だし。あと女って「どんな人にも優しくできる私」って願望を満たせて安全な人間が好きだ
「成功とは血のにじむような努力の末にのみ手に入るものだ」という価値観が根強く、寝る間も惜しんで働くことが美徳とされる社会にいる。しかし、今やこの考え方は過去の遺物となりつつある。
もちろん、ハード・モード(Hard Mode)での生き方も尊重されるべきだ。苦労を重ねてスキルを磨き、試練を乗り越えていくことには確かな価値がある。しかし、それだけが人生の唯一の道ではない。むしろ、人生を楽しみながら成功を手にする「イージー・モード(Easy Mode)」の生き方が、これからの時代にはふさわしいのではないだろうか。
イージー・モードで生きるとは、「手を抜く」という意味ではない。それは、自分にとって最も効率的で、ストレスが少なく、楽しく持続可能な方法を見つけるということだ。たとえば、好きなことを仕事にすれば努力を努力と感じなくなるし、適材適所でスキルを活かせば無駄な苦労をせずに済む。テクノロジーを駆使して労力を減らし、ワークライフバランスを保つことも重要だ。
実際、成功している人の多くは、自分が快適にパフォーマンスを発揮できる環境を巧みに作り上げている。彼らは、無理に苦しい道を選ぶのではなく、最短距離で結果を出せる方法を選び取っているのだ。これからの時代、努力を否定するのではなく、「賢く努力する」ことが鍵になる。闇雲に頑張るのではなく、いかに楽しみながら成果を上げるかを考える。人生はハード・モードでなくても、十分に素晴らしいものになり得るのだ。