友達全員にB専と言われるし実際その傾向がある。
元彼が2人いたらしい。
3つ下でかなり顔は可愛いと思う。
あどけなくて清楚な雰囲気で、身長が140cm台ということもあり、子供っぽい印象すらある。
自分に自信がなかったためずっとルックスがイマイチな子を選んで恋愛をしていたが、見た目が許容できなくて前の彼女とは破局してしまった。
そんなこともあり、今回は見た目も可愛いような子を選んで付き合った。
タイトルの通りだが、俺は処女厨なのかもしれないと思い至ってしまった。
彼女と付き合って初めて泊まりに行った夜、行為に至ったのだが、行為に至るまでのプロセスがかなりスムーズだったことがかなりショックだった。
かなり清楚で子供っぽい見た目をしていることもあって、なんとなく彼女の中に処女性を見出していたこともあると思う。ベッド横になりながらキスをして、しばらくしたら流れるように手を滑らせ優しくさすり始めた。
その瞬間、彼女が今までしてきた経験が脳裏を掠めてしまい、気分が悪くなった。
24歳まで生きてきて処女である方がおかしいということを頭では理解しているつもりなんだが、こんなにも可愛らしい彼女が、どこか他の男に犯されまくってきたという事実に心がやられてしまった。
緩急をつけて徐々に手を核心に迫らせてくるところも、「脱がしてもい?」と舌足らずに目を見て聞いてくるところも、過去の男との数えきれない経験の中で学んできたんだなと思うと本当に気が滅入ってしまった。
今更過去は変えられないことはわかっているし、彼女が好きでいてくれているのは今の俺であって、もう終わった話なのもわかっているつもりなのに、でも心が受け付けない。
散々犯されて良いように調教されてから捨てられた中古品だと思うと、愛する気持ちも芽生えてこない。
俺はこんなジャンク品を、それでも心から愛さないといけないのかと思うと絶望した。
それからというもの、聞いている話からなんとなく元カレと付き合っていた時期もわかってしまうから、Instagramの過去の投稿も「元カレと行ったんだろうな」と邪推してしまうし、ストーリーのアーカイブで投稿日が誕生日やクリスマスの投稿なんかが直視できなくなってしまった。
クリスマスのディナーの写真だけを上げて「美味しかった!」とだけコメントしているストーリーをアーカイブに残していたけれど、ああきっとこの後犯されたんだなとか、その時は死ぬほど幸せだったんだろうなとか、そう考えると涙が出てくる。
こんなにも非処女と付き合うのがしんどいとおもっていなかった。
まだ付き合って日が浅いけど、本当に別れるか迷っている。
好きな気持ちは嘘ではないが、だからこそ、過去の男にしゃぶらされて激しく突かれてイカされて、口に、顔に、中に出されて来たんだろうなという事実に脳が破壊される。
俺はキモい処女厨の1人だったんだなという絶望と、それでも自分の気持ちに折り合いをつけられない弱さが俺をひたすらに苦しめてくる。
眼の見えない偏屈な琴の先生の話で、検校ってのは盲人の最上級の官名のことらしいので、主人公はわりとえらいおっさんなんだと思う
この柳のおっさんは全盲で、柳の一人称視点で進むから、この作品では視覚情報は描写されないんだよ
この風、草の香りすんなとか、この女生徒しとやかに戸を閉めたな(推測)とかそんな感じ
柳のおっさんは昔は目が見えていたらしく、子供の頃見た夏の風景を思い出しながら、今もそんな花が咲いてる季節なんかなみたいなこと柳は語るけど、実際に花咲いてるかどうかは読み手にもわかんないわけ
御付きの人に手引きされながらも自分の家と教え場の行き来をするから、「渡り廊下」とか「庭」とか「校門」とかの言葉は柳の語りには出てくるけど、そこがどんなところかという視覚情報は描写されない
もちろん先に述べたように聴覚、触覚、嗅覚などを介しての描写はあるけど、具体的にどんなところなのかはよくわからないんだよ
でも小説としてすらすらと読めてしまって、読者である自分にとって「渡り廊下」ってただの言葉でしかないんだよと自分で証明してしまったようで気落ちした
何も描写が無くても問題がないってことは、いつも小説の中の世界を想像せずに、場所や風景を読み飛ばしているということだろう
もっとこう『指輪物語』とか『はてしない物語』とか『死のロングウォーク』を読んでいた中学生の頃は一つ一つの情報に目を凝らして小説の中の世界や登場人物の顔を想像してどきどきしながらページをめくってなかったけか
NHKの20minという20分の短いドキュメンタリー番組の『見えない人の見る世界』の回で、とある全盲の女性が自分は脳内に偏見スタジオがあると言っていたことを思い出した
今いる場所が商店街と聞いて、周りの音や活気を感じて、自分の脳内の偏見スタジオにパーツを組み上げてどんな場所かを作り上げていくとのこと
両側の白線は掠れていて、敷かれているタイルはモスグリーンでみたいな想像風景を、同伴者の話や新たに出てきた情報で間違っている部分を修正し、偏見スタジオで組みなおしていくみたいに世界を見てるんだってさ
目の見える自分とは違うなとか、面白い話だなってドキュメンタリーを見た直後は思ってた
でも、『柳検校の小閑』を読んでから、小説を読むときだけは小さな情報から世界を予測して組み上げて修正してのスタジオが自分の脳内にもかつてあったよなと思った
でもそういう感覚って海外ドラマや俳優事情を日本と同じぐらい把握していないと分からないのでは…もしそこまでは堪能でないというのであれば、それこそ上澄みしか見ていないって事になる
ナレーターがするとかさ
もしくはサブタイトルだけ出て何も喋らないとか
そっちの方がなんかしっくりくるんだよな
次回予告だけメタ表現使ってるみたいになって、キャラが「こちら」を認識してるみたいになるから、冷めてしまう
自分が好きなのは、例えばワンピースのナレーション(一応スモーカーも兼任してるけど)
まあ、次回予告をキャラがやった方が好きっていう人の方が多いと思うし、それは否定するつもりはない
鬼滅の刃とか、次回予告でホッとできるいうのもあるし
まあ作品によるのかな
微塵も深くないなー
将来的にはパンクする
登録してないのに被るの?
上原多香子さんのフライデー見て思い出したんだけど、挙動が同期の女(奇しくも同い年ぐらいだろう)とほぼ一緒でびっくりした。
挙動っていうのは結婚前から交際相手を取っ替え引っ替えして、でも何故だか結婚して、そしてさらに何故だか子供までいるのに大っぴらに不倫するっていうようなこと。
で、思ったのはこの人たちってモテの果てにどこを目指しているのか不思議だなと。
取っ替え引っ替えして遊び人のまま→これはまだわかる
取っ替え引っ替えした結果最善ぽい人と結婚→これもまだわかる
(以下略)結婚後不倫(場合により複数回)→これは何を目指してるの?
仮説②、さらに好みのオスを見つけてトキメキに任せて乗り換えた
仮説③、人生で常にイベント起こしてないと退屈でたまらず乗り換えた
仮説④、ごく一部のAB型の人は日によって好きなタイプが変わるって言ってた
仮説⑤、それ以外
過去は理解できない奴としか思わなかったけど、まじで興味本位で、不倫の良し悪しは法律違反ではないのでさておき社会的デメリットがかなり大きいのにその行動に至る動機が知りたい。いったい何に突き動かされてそうなったんだろう……?