カメラ担いでちょっと茨城~栃木へ
昨年は富士山麓に桜の写真を撮りに行った。ちょっと開花が遅れていた。
今年はどこに行こうかと写真雑誌を見ていると・・・
懐かしいスポットが紹介されていた。
桜川の桜

平安時代には「西の吉野、東の桜川」と呼ばれるくらい桜(山桜)の名所だったとか。
桜川の源流(鏡ヶ池)は桜川市内(旧岩瀬町)にある。
源流から少し下ったところに桜川公園がある。近くにはとっても歴史のある磯部稲村神社も。

この岩瀬町は、俺が10年近く住んだところ。釣りに一番狂っていたころだ。
懐かしいな・・・
4月4日、カメラを持って出かけた。
ついでに昔住んでいたところや働いていた会社を回ってみることに。
常磐高速の谷和原インターで降りて294号線を北上すると
たいそう立派な城が見えてきた。
こんな城は昔はなかった。

平成4年に建てられたらしい。
豊田城というけど、正確には「石下町地域交流センター」という施設。
実際の豊田城は小貝川の近くにあり、今では石碑しか残ってない。戦国時代の小領主の城だったらしい。小領主がこんな大きな城を建てられるわけがない。まったくのインチキ城なのである(笑)
下妻にある天然記念物のケヤキ。

俺は1987年ごろ、ここから200メートルくらいのところに住んでいた。
町の景色はかなり変わってしまったけど、このケヤキは昔のまま。
手を触れて「長生きしなよ」
樹齢500年以上

室町時代から生きているんだな。
俺のほうが先に死ぬのに「長生きしなよ」とは余計なお世話(笑)
近くに俺が初めて一眼レフを買った写真屋があったけど、無くなってた。
俺の初代一眼レフはキヤノンEOS650だった。これは今でも持っている。
さらに294を北上して下館市内へ。現在は筑西市。
石下町→常総市
下館市→筑西市
岩瀬町→桜川市
二宮町→真岡市
15年も経つと浦島太郎だな。
下館から旧二宮町に入った。小貝川のすぐ隣に俺が働いていたダンプ屋がある。
山隆工業
顔を出すと事務員が「茂木さん?」
まだ覚えていてくれた。20キロ太りましたけど。
しばらくすると社長が散歩から戻ってきた。
69歳になっていた。

15年ぶりの再会

ここでのエピソードはいっぱいある。
毎月のように休んでは奄美や沖縄に釣りに行く俺。
社長「さんぺいちゃんが休んでいる間も俺はダンプのローンを払っているんだからね」
当時、俺のニックネームはさんぺいだった(笑)
ある日
砂利を積んで生コン屋へ朝の5時前に到着。すでにダンプは門の前に5台くらい並んでいた。そのあとに並んで仮眠していると。
後から来たダンプが俺の前に割り込んだ。
菊のご紋がデカデカを描かれているダンプ。
頭にきて、強引にその前に割り込む。
ご紋の運転手「痛い目に遭いたいのか!」
俺、とことこと降りて行って
俺「痛い目って何だ?」
相手は無線で仲間を呼んで5人くらいになった。
俺は一人
一人一人に顔を突出し「おい、痛い目って何なんだよ」
相手は沈黙
ダンプに戻って乗車すると
5人の中のリーダー格がダンプの前に来て、ナンバーを控えている。
俺「情けねえ奴」
会社に帰ると社長から呼び出し。どうやら通報があったらしい。
社長「さんぺいちゃん、またやってくれたね」
社長「長いもんに巻かれることは人生で必要なことだよ」
俺「社長、長いもんに巻かれなきゃやれない仕事なら辞めるわ」
社長「わかった、わかったよ」
良い社長だった。
働いて2年後
釣りのプロとして自立することにした。
社長に告げる
俺「ちょっと勝負してくるけど、ダメだったら戻って来るから」
社長「大丈夫だよ。さんぺいちゃんなら絶対成功するよ」
顔に滲み出ていた「戻ってこないで」と(笑)
また乗ってみたいな。

社長「茂木君は自立すると言う目標があった」「今はそんな人はいないよ」「だから働きもしない」
そのあと
俺の車が遠くに見えなくなるまで会社の窓から社長はずっと見ていた。
茨城に戻り、旧岩瀬町へ
昔(20年ぐらい前)顔を出していた写真屋さん

俺のこと、しっかり覚えていてくれた。
俺のカメラを見てビックリしてた。
桜の情報を聞くと、昨日強風が吹いてかなり散ってしまったそうだ。
70歳過ぎても元気に働いていた。

そして俺が一番お世話になった岩瀬光学へ
会社の駐車場に車を停めた。
すぐに社長の奥さんに見つかる
奥さん「こっちに来て!」
自宅へ招かれた。
すぐに社長も来て、話が弾む。
奥さん「この人を釣りに連れてってよ」
社長「あんたと行ったコスタリカが一番楽しかった」
1990年に社長とコスタリカへ行った。旅費はすべて社長が払ってくれた。
社長「でも、会社つぶすだろうからそれからは我慢したよ」
この会社では毎日6時間、1か月に150時間くらい残業をやった。
仕事中に倒れかけて奥さんが病院に運んでくれたことも。その時は血圧が上が90で下は50以下だった。
奥さん「あんたほんとに死んじゃうよ」
しばらくすると社長の具合がおかしくなった。ふらふらするらしい。社員が駆けつけて病院に連れていった。
そのあと入院したらしい。
数日後、奥さんに電話を入れる。
俺「社長大丈夫ですか?」
奥さん「あのあと入院したのよ」「でも今日退院したから、これから美味し物食べに行くの」
奥さん「うちの人を釣りに連れてってよ」
俺「では茨城でマダイが釣れ出したら行きますよ」
奥さん「そうじゃないの。カナダのマグロに連れてって!」
俺「え~~~~!!!」(大汗)
相変わらず凄い奥さんです。

この会社で8年働いた。1988年から1995年ころである。いっぱい休暇をいただきました。
その会社で働くクラブ最古参の日向君。入会したときは20代でした。

そして
いよいよ磯部桜川公園へ

例年なら一番見頃の時期だけど・・・
今年は全国的に開花時期が1週間以上早かった。
花が散ってない桜を探しながら撮る

ソメイヨシノ

名物、山桜

桜川の桜
http://www.sakuragawanosakura.jp/history.html
1974年に天然記念物に指定されている
http://www.sakuragawanosakura.jp/tennenkkinenbutsu11shu.html
そして再び県境を超えて栃木の益子町へ
陶芸で有名な町です。
そこにある1軒の釣具屋

岩瀬に住んでいるときは何度も足を運んだ。
鮎、ヘラ、そしてトラウト関係の釣具屋。
俺がこの店で買ったのは主に管理釣り場のタックル。
でも、海の大物の写真をここでおかみさんによく見せて自慢してた(^O^)
おかみさん俺が来て大喜び!
すいとんを出してくれた。

女一人で30年以上釣具屋をやってる。もう70歳。

俺も頑張らなくちゃ!
益子古城

約1000年前の平安時代に建てられた古城跡
ヘヘ(^O^)

茂木と書いてモテギと読みます。
ツインリンクもてぎ

レースカー撮影初挑戦

速くて失敗ばかり(-_-;)
そして三度茨城へ
水戸にあるWILD-1

ここに集まる釣り客が中心になってグルーパーボーイズは急成長しました。
お礼に靴2足とズボン購入♪
WILD-1は良い物が多くて、ついつい買い過ぎちゃいます。
水戸にも桜川があります。

この川は那珂川と合流します。
岩瀬の桜川は霞ケ浦に繋がってます。
茨城には1987年から1998年の間、住みました。
今年はどこに行こうかと写真雑誌を見ていると・・・
懐かしいスポットが紹介されていた。
桜川の桜

平安時代には「西の吉野、東の桜川」と呼ばれるくらい桜(山桜)の名所だったとか。
桜川の源流(鏡ヶ池)は桜川市内(旧岩瀬町)にある。
源流から少し下ったところに桜川公園がある。近くにはとっても歴史のある磯部稲村神社も。

この岩瀬町は、俺が10年近く住んだところ。釣りに一番狂っていたころだ。
懐かしいな・・・
4月4日、カメラを持って出かけた。
ついでに昔住んでいたところや働いていた会社を回ってみることに。
常磐高速の谷和原インターで降りて294号線を北上すると
たいそう立派な城が見えてきた。
こんな城は昔はなかった。

平成4年に建てられたらしい。
豊田城というけど、正確には「石下町地域交流センター」という施設。
実際の豊田城は小貝川の近くにあり、今では石碑しか残ってない。戦国時代の小領主の城だったらしい。小領主がこんな大きな城を建てられるわけがない。まったくのインチキ城なのである(笑)
下妻にある天然記念物のケヤキ。

俺は1987年ごろ、ここから200メートルくらいのところに住んでいた。
町の景色はかなり変わってしまったけど、このケヤキは昔のまま。
手を触れて「長生きしなよ」
樹齢500年以上

室町時代から生きているんだな。
俺のほうが先に死ぬのに「長生きしなよ」とは余計なお世話(笑)
近くに俺が初めて一眼レフを買った写真屋があったけど、無くなってた。
俺の初代一眼レフはキヤノンEOS650だった。これは今でも持っている。
さらに294を北上して下館市内へ。現在は筑西市。
石下町→常総市
下館市→筑西市
岩瀬町→桜川市
二宮町→真岡市
15年も経つと浦島太郎だな。
下館から旧二宮町に入った。小貝川のすぐ隣に俺が働いていたダンプ屋がある。
山隆工業
顔を出すと事務員が「茂木さん?」
まだ覚えていてくれた。20キロ太りましたけど。
しばらくすると社長が散歩から戻ってきた。
69歳になっていた。

15年ぶりの再会

ここでのエピソードはいっぱいある。
毎月のように休んでは奄美や沖縄に釣りに行く俺。
社長「さんぺいちゃんが休んでいる間も俺はダンプのローンを払っているんだからね」
当時、俺のニックネームはさんぺいだった(笑)
ある日
砂利を積んで生コン屋へ朝の5時前に到着。すでにダンプは門の前に5台くらい並んでいた。そのあとに並んで仮眠していると。
後から来たダンプが俺の前に割り込んだ。
菊のご紋がデカデカを描かれているダンプ。
頭にきて、強引にその前に割り込む。
ご紋の運転手「痛い目に遭いたいのか!」
俺、とことこと降りて行って
俺「痛い目って何だ?」
相手は無線で仲間を呼んで5人くらいになった。
俺は一人
一人一人に顔を突出し「おい、痛い目って何なんだよ」
相手は沈黙
ダンプに戻って乗車すると
5人の中のリーダー格がダンプの前に来て、ナンバーを控えている。
俺「情けねえ奴」
会社に帰ると社長から呼び出し。どうやら通報があったらしい。
社長「さんぺいちゃん、またやってくれたね」
社長「長いもんに巻かれることは人生で必要なことだよ」
俺「社長、長いもんに巻かれなきゃやれない仕事なら辞めるわ」
社長「わかった、わかったよ」
良い社長だった。
働いて2年後
釣りのプロとして自立することにした。
社長に告げる
俺「ちょっと勝負してくるけど、ダメだったら戻って来るから」
社長「大丈夫だよ。さんぺいちゃんなら絶対成功するよ」
顔に滲み出ていた「戻ってこないで」と(笑)
また乗ってみたいな。

社長「茂木君は自立すると言う目標があった」「今はそんな人はいないよ」「だから働きもしない」
そのあと
俺の車が遠くに見えなくなるまで会社の窓から社長はずっと見ていた。
茨城に戻り、旧岩瀬町へ
昔(20年ぐらい前)顔を出していた写真屋さん

俺のこと、しっかり覚えていてくれた。
俺のカメラを見てビックリしてた。
桜の情報を聞くと、昨日強風が吹いてかなり散ってしまったそうだ。
70歳過ぎても元気に働いていた。

そして俺が一番お世話になった岩瀬光学へ
会社の駐車場に車を停めた。
すぐに社長の奥さんに見つかる
奥さん「こっちに来て!」
自宅へ招かれた。
すぐに社長も来て、話が弾む。
奥さん「この人を釣りに連れてってよ」
社長「あんたと行ったコスタリカが一番楽しかった」
1990年に社長とコスタリカへ行った。旅費はすべて社長が払ってくれた。
社長「でも、会社つぶすだろうからそれからは我慢したよ」
この会社では毎日6時間、1か月に150時間くらい残業をやった。
仕事中に倒れかけて奥さんが病院に運んでくれたことも。その時は血圧が上が90で下は50以下だった。
奥さん「あんたほんとに死んじゃうよ」
しばらくすると社長の具合がおかしくなった。ふらふらするらしい。社員が駆けつけて病院に連れていった。
そのあと入院したらしい。
数日後、奥さんに電話を入れる。
俺「社長大丈夫ですか?」
奥さん「あのあと入院したのよ」「でも今日退院したから、これから美味し物食べに行くの」
奥さん「うちの人を釣りに連れてってよ」
俺「では茨城でマダイが釣れ出したら行きますよ」
奥さん「そうじゃないの。カナダのマグロに連れてって!」
俺「え~~~~!!!」(大汗)
相変わらず凄い奥さんです。

この会社で8年働いた。1988年から1995年ころである。いっぱい休暇をいただきました。
その会社で働くクラブ最古参の日向君。入会したときは20代でした。

そして
いよいよ磯部桜川公園へ

例年なら一番見頃の時期だけど・・・
今年は全国的に開花時期が1週間以上早かった。
花が散ってない桜を探しながら撮る

ソメイヨシノ

名物、山桜

桜川の桜
http://www.sakuragawanosakura.jp/history.html
1974年に天然記念物に指定されている
http://www.sakuragawanosakura.jp/tennenkkinenbutsu11shu.html
そして再び県境を超えて栃木の益子町へ
陶芸で有名な町です。
そこにある1軒の釣具屋

岩瀬に住んでいるときは何度も足を運んだ。
鮎、ヘラ、そしてトラウト関係の釣具屋。
俺がこの店で買ったのは主に管理釣り場のタックル。
でも、海の大物の写真をここでおかみさんによく見せて自慢してた(^O^)
おかみさん俺が来て大喜び!
すいとんを出してくれた。

女一人で30年以上釣具屋をやってる。もう70歳。

俺も頑張らなくちゃ!
益子古城

約1000年前の平安時代に建てられた古城跡
ヘヘ(^O^)

茂木と書いてモテギと読みます。
ツインリンクもてぎ

レースカー撮影初挑戦

速くて失敗ばかり(-_-;)
そして三度茨城へ
水戸にあるWILD-1

ここに集まる釣り客が中心になってグルーパーボーイズは急成長しました。
お礼に靴2足とズボン購入♪
WILD-1は良い物が多くて、ついつい買い過ぎちゃいます。
水戸にも桜川があります。

この川は那珂川と合流します。
岩瀬の桜川は霞ケ浦に繋がってます。
茨城には1987年から1998年の間、住みました。