MOZ84のいじめ社会3
ああ、
実は「いじめ社会」の1と2から「まとめ」でもやろうとしていたが、ちょっとそういう場合ではなさそうだ。
まず 早急に「いじめ対策」の著書をお知らせしておく。
いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」
小寺 やす子
野口 よしみ
情報センター出版局
親御さんやお子さん まず、身を守れ。
これは、MOZ84も持っていた本だ。
さっきニュースで知ったが、埼玉のいじめ自殺裁判は、遺族が敗訴したようだ。
まあ、裁判所なりの色々な理由はあるのだろうが、「納得いかない国民」の中には国からのメッセージとして受け止めている人もいるようだ。
俺もちょっとネットの中を巡って、その被害者の「遺書」といわれている文章も見た。
そして、その被害者が加害者から受け取ったらしい手紙(まあ、手紙というにはお粗末すぎるが)の写真も見た。
大きな文字で「死ね」「はやく死ね」といった内容が書きなぐられていた。まあ、それは新聞に掲載された写真なのだが。
遺書の内容も 「悲しい」の他には俺には思いつかない内容だった。
そして、「死ね」「早く死ね」の文面の紙は、「呆れ」「醜さ」のみ。
恐らく、その書きなぐられた文面は、加害者の「心の形」そのものなのだろう。
だが、判決は「遺族側の敗訴」となった。まあ、賠償などの請求先が国であり、加害者ではなかった部分もあるのかもしれないが、「いじめは懲悪されがたい。」という印象を受けた。
正直、こういったことにより「大津市のいじめ」の件の先行きを暗くしてしまうような、そんな不安感さえ漂ってきた。
「いじめは懲悪」されないのだろうか…
今、ネットの中だけなのかも知れないが、「大津市」に関していえば、加害者の顔写真や本名、加害者が転校した学校、加害者の家といわれている住所、加害者の親族の勤務先、加害者の親の交友関係、などがネットに暴露されているようだ。
噂にきけば、一部の加害者の親の交友関係のなかに「国会議員」もいるようだし、加害者の親戚には元警察官なんかもいるようだ。そういったことまで、挙げられている。
なるほど、お上がやらないのなら、民がその手でもって「制裁」する。そんな感じに見える。まあ、概ねそう見て差し支えなさそうだ。
まあ、司法ってのはどんな時にも、冷静に天秤を平行に保つってのが仕事の一つなのだろうが、根本的に「悪い」ものを「懲罰」するという姿勢がお世辞にも見えない気もする。
そう考えると、やはり「この世の中、神も仏もあったのもではなく、力の強弱のルールなのだな…」とこの世をはかなまずにはいられない。
この世界は平等には出来ていない。そして様々な人間がいるが、大半は「そこまで強い人」ではない。
その事情もまた、様々で「展望をもって一生懸命生きる人」「そうでもないが、今日を一生懸命よき一日にしようと生きる人」「今はこんなもんだが、いずれチャンスがあれば、それに乗ろうとしている人」「現状はよくないが、何かに価値や希望を見出して生きる人「これ以上、悪くならないように必死に生きる人」あげだしたら、キリがないが、共通しているのは、「確かなものではないが、先への希望を目指して一生懸命」に生きていることだ。
だが、「悪をなす者」それを「懲罰できないのか、しないお上」とかそれを「ごまかす有力者」達に随分と足を引っ張られたり、頭から押しつぶされ、埋没させられたりしている。
だが、下にいる「力を持たぬ者」がその是正に立ち上がろうとする、または立ち上がると、またまた「その力」を乱暴に振るって、それを叩き潰そうとする。
昔に聞いたこんな歌があった。「強盗はピストルを持っている。警察もピストルを持っている。二つのピストルの間で板ばさみの俺達」ってのがあった。
本当、こんな感じだ。
神も仏も不在なら、閻魔様にでもすがるしかないのかねえ…
よく、「人でなし、鬼」とかいうが
俺は「人でなし」のことは「亡者」ぐらいにしか思っていない。いや、そうあってほしいと思っている。
鬼ってのはあくまでも地獄の獄卒だとか、鬼神と思ってる。
本当の鬼というのは、「理で以って由し、道を外さぬ」からこそ真に恐ろしいのだ。
だからって、皆の心に「鬼」が住んじまって、どこもかしこも「鬼」しかいないような世の中になっても、生きていて俺は辛い。
皆の心が「鬼」になってしまう前に、「いじめ」もそうだけれど、理不尽なことを一掃できないにしても、その少しでも減らそうっていう努力をしないと、本当に痛々しい傷だらけの世の中になってしまうよ。
この「いじめ」の件では、そんな「鬼」になってしまった人達も実際多いし、これが続くようなら、俺自身だって、いつかは「鬼」になってしまう。
それが叶わないようならね。それでも、「強いもの」に「弱いもの」が理不尽に扱われ続けるのならね、
大人でもそうなんだが、特に子供の場合、この残酷な「いじめ」がのさばっている現実の中を生きざるおえないならね、
今あるものの中で、最も現実的な手段は非常に躊躇してしまうかもしれないが「勇気を出して、逃げる」ことだ。
いいかい、そんな学校やグループにいる必要なんてない。いい大学出たって、結局いい将来を歩んでる人ばかりではないし、どんな輝かしい経歴をもっても、完全に約束された豊かな未来なんてものは殆どない。その瞬間を悔いが残らないように、精一杯生きることしか、人間には出来ないんだから。
今回のこの件は、最終的な部分まで注視しておく必要があるとMOZは感じる。
これは、何かの瀬戸際のような気がしてならない。大袈裟かもしれないが…
実は「いじめ社会」の1と2から「まとめ」でもやろうとしていたが、ちょっとそういう場合ではなさそうだ。
まず 早急に「いじめ対策」の著書をお知らせしておく。
いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」
小寺 やす子
野口 よしみ
情報センター出版局
親御さんやお子さん まず、身を守れ。
これは、MOZ84も持っていた本だ。
さっきニュースで知ったが、埼玉のいじめ自殺裁判は、遺族が敗訴したようだ。
まあ、裁判所なりの色々な理由はあるのだろうが、「納得いかない国民」の中には国からのメッセージとして受け止めている人もいるようだ。
俺もちょっとネットの中を巡って、その被害者の「遺書」といわれている文章も見た。
そして、その被害者が加害者から受け取ったらしい手紙(まあ、手紙というにはお粗末すぎるが)の写真も見た。
大きな文字で「死ね」「はやく死ね」といった内容が書きなぐられていた。まあ、それは新聞に掲載された写真なのだが。
遺書の内容も 「悲しい」の他には俺には思いつかない内容だった。
そして、「死ね」「早く死ね」の文面の紙は、「呆れ」「醜さ」のみ。
恐らく、その書きなぐられた文面は、加害者の「心の形」そのものなのだろう。
だが、判決は「遺族側の敗訴」となった。まあ、賠償などの請求先が国であり、加害者ではなかった部分もあるのかもしれないが、「いじめは懲悪されがたい。」という印象を受けた。
正直、こういったことにより「大津市のいじめ」の件の先行きを暗くしてしまうような、そんな不安感さえ漂ってきた。
「いじめは懲悪」されないのだろうか…
今、ネットの中だけなのかも知れないが、「大津市」に関していえば、加害者の顔写真や本名、加害者が転校した学校、加害者の家といわれている住所、加害者の親族の勤務先、加害者の親の交友関係、などがネットに暴露されているようだ。
噂にきけば、一部の加害者の親の交友関係のなかに「国会議員」もいるようだし、加害者の親戚には元警察官なんかもいるようだ。そういったことまで、挙げられている。
なるほど、お上がやらないのなら、民がその手でもって「制裁」する。そんな感じに見える。まあ、概ねそう見て差し支えなさそうだ。
まあ、司法ってのはどんな時にも、冷静に天秤を平行に保つってのが仕事の一つなのだろうが、根本的に「悪い」ものを「懲罰」するという姿勢がお世辞にも見えない気もする。
そう考えると、やはり「この世の中、神も仏もあったのもではなく、力の強弱のルールなのだな…」とこの世をはかなまずにはいられない。
この世界は平等には出来ていない。そして様々な人間がいるが、大半は「そこまで強い人」ではない。
その事情もまた、様々で「展望をもって一生懸命生きる人」「そうでもないが、今日を一生懸命よき一日にしようと生きる人」「今はこんなもんだが、いずれチャンスがあれば、それに乗ろうとしている人」「現状はよくないが、何かに価値や希望を見出して生きる人「これ以上、悪くならないように必死に生きる人」あげだしたら、キリがないが、共通しているのは、「確かなものではないが、先への希望を目指して一生懸命」に生きていることだ。
だが、「悪をなす者」それを「懲罰できないのか、しないお上」とかそれを「ごまかす有力者」達に随分と足を引っ張られたり、頭から押しつぶされ、埋没させられたりしている。
だが、下にいる「力を持たぬ者」がその是正に立ち上がろうとする、または立ち上がると、またまた「その力」を乱暴に振るって、それを叩き潰そうとする。
昔に聞いたこんな歌があった。「強盗はピストルを持っている。警察もピストルを持っている。二つのピストルの間で板ばさみの俺達」ってのがあった。
本当、こんな感じだ。
神も仏も不在なら、閻魔様にでもすがるしかないのかねえ…
よく、「人でなし、鬼」とかいうが
俺は「人でなし」のことは「亡者」ぐらいにしか思っていない。いや、そうあってほしいと思っている。
鬼ってのはあくまでも地獄の獄卒だとか、鬼神と思ってる。
本当の鬼というのは、「理で以って由し、道を外さぬ」からこそ真に恐ろしいのだ。
だからって、皆の心に「鬼」が住んじまって、どこもかしこも「鬼」しかいないような世の中になっても、生きていて俺は辛い。
皆の心が「鬼」になってしまう前に、「いじめ」もそうだけれど、理不尽なことを一掃できないにしても、その少しでも減らそうっていう努力をしないと、本当に痛々しい傷だらけの世の中になってしまうよ。
この「いじめ」の件では、そんな「鬼」になってしまった人達も実際多いし、これが続くようなら、俺自身だって、いつかは「鬼」になってしまう。
それが叶わないようならね。それでも、「強いもの」に「弱いもの」が理不尽に扱われ続けるのならね、
大人でもそうなんだが、特に子供の場合、この残酷な「いじめ」がのさばっている現実の中を生きざるおえないならね、
今あるものの中で、最も現実的な手段は非常に躊躇してしまうかもしれないが「勇気を出して、逃げる」ことだ。
いいかい、そんな学校やグループにいる必要なんてない。いい大学出たって、結局いい将来を歩んでる人ばかりではないし、どんな輝かしい経歴をもっても、完全に約束された豊かな未来なんてものは殆どない。その瞬間を悔いが残らないように、精一杯生きることしか、人間には出来ないんだから。
今回のこの件は、最終的な部分まで注視しておく必要があるとMOZは感じる。
これは、何かの瀬戸際のような気がしてならない。大袈裟かもしれないが…