酋長である白牛翁(オールド・ホワイト・バッファローマン)は、テントの中で火の面倒を見ていた。そこに、彼に呼び出された子ども達が数人入ってきた。
「子らよ。座らっしゃい。」
ケタケタと笑い落ち着きのない子ども達に彼はそう言った。何人かは、その声を聞いて座ったが比較的歳の小さな子ども達ははしゃいでなかなかに座ることが無かった。白牛翁の妻である、土水晶媼(ソイル・クリスタル・ウーマン)が小さな子供らを何とか座らせた。
白牛翁は、子ども達が静まった所で、パイプからタバコを一口だけ吸うと、上に向かって白い煙を吐いた。
「お前達の中には、この土地に来たのは生まれて初めての者もいるだろう。この私達の天幕野営から少し歩いた先には川が流れている。大きな子らは、父や母を手伝い、そこの川から水を汲んできた者もいるだろう。その川の先、そこには天蛇の森(ドラゴン・プレイス)がある。獣と精霊が住まう神の森の一つだ。ここに来るごとにお前達に話すのは、天蛇の森に住む魔人の話だ。」
白牛翁はまた一口、煙を吸っては吐いた。
「この魔人の名は、猿太郎(モンキー・マン)。この私達の天幕野営で生まれた男だ。彼は幼くして父と母を失い、私と妻の土水晶媼が育てた。狩りを教え、木の実の食べ方を教えた。猿太郎は大きくなって元服すると、私達のもとを離れた。あの川を流れとは逆の方向に進んだ先にある、天蛇の森で精霊達と暮らすことに決めたのだ。猿太郎は森の奥深くで今も断食し、泣きわめき、思索を巡らしては精霊達と共にいる。彼の顔は長い毛で覆われており、体からは獣の匂いがするが、これは精霊や獣と一体化した証なのだ。もし、森で彼に会ったならば敬意を示さなければならない。この間、元服した水石頭(ウォーター・ストーン・トップ)も子どもの時に天蛇の森で迷ったのだ。水石頭は私が教えた猿太郎の名を一晩中叫んだ。すると、闇夜の中から彼は姿を現し、私達の天幕野営まで連れて帰って来てくれたのだ。お前達も明日、父と母と共に森の入り口に行き、自分達がこの土地に来た事を知らせなさい。そうすれば、森の中ではお前達を守ってくれるだろう。」
白牛翁が話し終えてからしばらくの間、子ども達は静かに彼を見つめていた。土水晶媼は猿太郎が自分達のもとを離れた元服の日を思い出し、その目からは涙がこぼれていた。
猿太郎は洞穴の中で眠っていた。白々と夜が明け始め、鳥が朝の井戸端会議を始めると、その声に目を覚ました。
その傍らには同居人のオオカミが数頭、まだ眠りこけていた。猿太郎は彼らと心を通わせることが出来た。数年前に怪我したオオカミを慈悲の心から助けたのがきっかけだった。そのオオカミは怪我故に群れからはぐれ、森の木の下でうずくまっていたのだ。それ以来、猿太郎の洞穴に共に住み続けるようになり、メスのオオカミと番いとなって数頭の子どもをもうけたのだった。
森を抜け、川下の方に白牛翁達が来たことは、彼らオオカミ達から知らされたのだった。その時、猿太郎はオオカミ達に白牛翁達の家畜である山羊を襲わぬように言いつけたのだった。
猿太郎は火を焚いて日干しにした魚を焼き始めると、オオカミ達は目ざとくもその匂いに続々と目を覚ました。
雪の父犬(スノー・ファザー・ウルフ)が猿太郎の横に座り、魚が焼き上がるのを待っていた。
雪の父犬は白牛翁達が来たことについて少々心配事があった。それは、里心が付いた猿太郎が彼らのもとへ帰ってしまうのではないか、という不安であった。もし、彼が自分達を置いてこの洞穴を去ってしまったならば、毎日このようにして食べることが出来た魚の干物が食べられなくなるからだ。
「猿太郎。俺は心配だよ。」と雪の父犬が猿太郎に心を通わせた。
「何が?」
「あいつらは、お前の元々の家族だろう?帰りたくはならないのか?」
「俺の家はこの森だよ。確かに白牛翁と土水晶媼は俺を育ててくれたさ。ちゃんと、感謝もしている。だから、この森で誰かが迷ったりしたら親切にしている。それに、俺の父と母は俺が生まれて間もなく死んでしまった。白牛翁が言っていたよ。森は獣と精霊の国でもあるが、死者の国でもあるとね。きっとこの森のどこかに死んだ父と母が住んでいるんだ。今に見つかるさ。」
「その死んだ父と母に会ったなら、お前はここから出て行くのか?」
「いや、父と母をここに住まわせ、お前達とも一緒に住む。」
「そうか。本当だな?嘘をついたりはしないな?」
「ああ、俺はここから出て行ったりしないさ。」
猿太郎は焼き上がった魚を串から外し、雪の父犬の前に置いた。そこに雪の父犬の妻である牙の母犬(タスク・マザー・ウルフ)がやってきた。
「いい匂いね。私にも頂戴よ。」
「今、焼いているところだ。ちょっと待っててくれ。」
猿太郎は魚の焼き加減を見た。そろそろ日干しの魚の数も少なくなってきていた。今日辺りからぼちぼち魚を獲って来ようかと、洞穴の中から外を見た。
立ち上がって、洞穴の入り口に行くと空を見上げた。空ではここの所、天蛇達が騒がしく飛んでいるのだ。大体、天蛇達が空で暴れるとその日のうちに大雨が降ってくる。
雨の中、魚を獲るのはちょっときついな、と猿太郎は思った。だが、雲一つ無い晴天もまた魚獲りにはうってつけの日とは言えない。魚は強い日光を避けて水の奥深くへと潜っていくからだ。曇りの日が一番いい。
この洞穴の前は背の高い木々に周囲の視界を遮られており、遠くの空まで見渡すことが出来ない。猿太郎は雲の位置をつかめずにいたが、魚の残り数の心細さがどうにも気になって仕方が無く、とりあえず川に行ってみることにした。
猿太郎が魚獲りの道具を持つと、雪の父犬も一緒に行くと言い出した。
どうにも、雪の父犬は猿太郎が信用できなかった。魚を獲りにいく振りをして、天幕野営に戻るつもりではないのだろうかと思っていた。
雪の父犬は、時として精霊達がヒトの心に魔を刺し込んで、隠された欲望を強めるいたずらをすることがある事を知っていたのだ。
もし、道すがらに怪しい精霊どもを見かけたら、自分の持つ覇気と怒鳴り声で猿太郎から追い払ってやろうと考えていた。
猿太郎は空で激しく動く脈動を感じ取っていた。いつになく、今日は天蛇たちが激しく飛び回っている。この天蛇の森を縄張りとする天蛇の頭数は多い。だが、それぞれがお互いの分をわきまえ、共にこの森に共存しているのだ。
空から感じる脈動は怒りを含んだ激しい波動だった。闖入者でもいたのだろうか?
猿太郎は森を抜けたところにある川下の流域に続く道を進んだ。大体、魚が必要な時はそこに行って漁をするのだ。
後ろから半ば猿太郎を見張っていた雪の父犬が「カワウソに先を越された。」と言った。
雪の父犬は、目指す流域の方向からカワウソのにおいを感じ取ったのだった。
カワウソは猿太郎達が食べる量ほどの数の魚を必要とはしないが、カワウソは水中の魚を追い回して漁場を荒らす。
魚はものによっては臆病なものもいて、一度騒ぎが起きようものなら、その日一日中岩場の隠れ家から出てこなくなるものもいる。ともすれば、安全を求めてさらに下流や上流の方へ逃げてしまうものさえいる。
猿太郎は反対にある上流の方へと魚を求めることにした。川下へと続く道から外れてしばらく歩いた。
数千年生き続けた大木を横切り、小高い滝のある水場へと差し掛かった。
ここが猿太郎の二つ目の漁場であった。地面の草に道具を置こうとしたその時、空で雷鳴のように轟く大きな音がした。
その音に猿太郎は空を見上げた。そこには白い縄のようなものがヒラヒラと落下していた。その白い何かは次第に大きくなり、それが縄ではなくて前足と後ろ足が生えた大蛇であることが分かってきた。
天蛇が落ちてきたのだ。その天蛇は徐々に形を変えながら、目の前の滝つぼに落ちた。
猿太郎は水の中に飛び込み、仄明るい水中を力一杯かき分けて、白い天蛇を掴んだ。
浅瀬までそれを引っ張りながら泳ぐと、彼は天蛇を抱き上げた。
水から上がると猿太郎の腕の中には肌も髪も雪のように白い、若い女の姿があった。空から降ってきた時に天蛇がこの女に形を変えたのだろう。
その若い女の体には沢山の傷があった。生きているのか死んでいるのかも分からなかった。
目を覚ましたアスランは、辺りを見回した。自分の周りは鬱蒼としたジャングルだったために、まだ自分は夢の中にいるのかと思った。
数回、辺りを見回すと強烈な疲労感が彼を襲い、背中と腹筋の力が一気に抜けて上半身を支えていられなくなった。
そのまま彼はまた地面に仰向けになった。一時的に覚醒した意識は再び朦朧とし始め、まぶたが開いているのか閉じているのかすら分からなくなった。
体の中身がゆっくり左右にぶれて、今ひとつ固定できないような感覚を覚えた。
今ひとつ焦点を合わせる事の出来ない目の前に、ブーツが歩いてきた。
アスランはそのブーツのつま先が今に自分の顔面を蹴り上げるのだろうと思った。この状態で蹴り上げられたら、体中の骨がバラバラに砕けるに違いない。あまり苦痛は感じたくはないが、人生には避けようにも避けられぬ事もあるものだ。
ブーツのつま先の一撃で、自分の生涯に幕を閉じる事となったならば、それを受け入れる以外にはない。
ブーツはアスランの目の前にしばらくたたずむと、再び歩き始めた。どうやら今回は、つま先の一撃で鼻を陥没させられずに済んだようだ。
アスランは再び目を覚ました。全快とまではいかないがブーツのつま先について心配していたあの時よりは、大分調子は良かった。
頭痛に吐き気、体に少々痛みがあった。ゆっくりと腕時計を目に近づけると、「調子はどうだい?」という声がした。
声の方に目を向けると、そこには東洋系の男が座っていた。
「あんたぁ…誰だ…。」アスランはか細い声で言った。
「ぼくは、白蛇マークの飛行機のパイロットさ。」と彼は笑って見せた。
クリスは、航行速度を最大にした。新手の敵機を相手にしていた間にボッシュ達に引き離されてしまっていた。ボッシュ達攻撃チームの3機の後ろには4つの敵の飛行機が追いかけている。
音速で飛ぶ戦闘機のスピードは、ただでさえ人間の扱える速さの限界を超えている。そしてそれらを攻撃する機関砲の弾やミサイルはそれ以上の高速なテンポで戦況を展開していく。
機関砲の曳光弾がジャブで、ミサイル攻撃がストレートだったならば、プロボクサーチャンピオンシップの決勝戦すら試合時間が数億年に感じられるだろう。
無線の通じないこの状況下では、仲間の生存の有無も確認が出来ないのだ。ともすれば、すでにボッシュ達は撃墜されている可能性も否定できなかった。
前方に敵機を1機見つけた。多分、さっきの新手のうちの1人なのだろう。彼の無線もまた不通の状態らしく、仲間が撃墜された事に気付いていないらしかった。もし、仲間の3機がアスランとクリスを撃墜したものと考えていたならば、随分なお人好しだと言うものだろう。
対空陣地がよほどに重要と見えて、その敵機は0.01秒でも早く前進することに夢中のようだった。電波の攪乱が今の彼にとって裏目に出ていたのだ。後部警戒レーダーが正常に作動していたならば、後ろにいるクリスとアスランに気付くことが出来ただろう。
クリスはこの好機を逃すことは無かった、照準を敵のエンジンに合わせ、トリガーを引いた。発射された弾は確実にエンジンに突き刺さり、その機体は爆発の後に墜落していった。
ようやく、複数の飛行機の群れを発見した。前方にいるのはボッシュ達で、後方は追っ手の飛行機だろう。
白ヘビの飛行機は左右に微妙な蛇行を繰り返しながら飛んでいた。このように飛ぶことで、可能な限り後方の様子を見ようとしているようだ。
クリスは白ヘビの後部に照準を合わせようとした。白ヘビはそれを察して急減速した。
フルスロットルで飛んでいたクリスは、急に迫ってくる前方の白ヘビの尻に衝突しそうになった。
寸での所で上昇し、何とか白ヘビを避けた。しかし、クリスは減速した白ヘビの前に躍り出てしまい、今度は後ろから追い回される側になってしまった。
クリスは血相を変えて白ヘビを振り切ろうとした。だが、白ヘビは一向に離れる気配がなかった。
アスランはクリスの後ろに食らいついた白ヘビの後ろを取った。白ヘビはクリスの後ろから離れる気はさらさらなかったようだが、かと言ってアスランにみすみす撃墜される気も無かったようだ。クリスの後ろ取りながらも、アスランの照準を避けながら飛んでいた。
後ろの敵を把握できる能力がかえって、白ヘビ自身の攻撃を妨げていたようだった。アスランは彼のこの才能を逆手に取ったのだった。
もし、白ヘビが後ろに付いた自分に気付くことがなければ、彼は間違いなくクリスを撃墜していただろう。勿論、その次の瞬間には白ヘビが撃墜される側となるのだが。後ろの様子が把握できる事により、その照準から逃れる事にも神経を使わなければならず、なかなか前方のクリスに集中できない。
白ヘビは急上昇を始め、そのまま反転しようとした。アスランも、彼の後部を追って反転をした。
白ヘビの呪縛から解き放たれたクリスは、安堵のため息をつく間もなくボッシュ達の追跡を再開した。敵航空機は白ヘビを抜かせば、あと2機だ。
消失点に向かって機体を急がせていると、前方の地上に炎と煙が見えてきた。対空陣地の破壊は成功したらしい。その上空を通り過ぎ、しばらくそのまま飛び続けたがボッシュ達が見当たらなかった。
撃墜されたのだろうか?不安が頭をよぎると、クリスの機の上方から火炎を上げながら1機の敵の飛行機が落ちてきた。
上を見上げるとボッシュ達が残った1機を追い回していた。ボッシュ達は対空陣地への攻撃を終え、反撃に転じていたようだった。
最後に残った1機は、ボッシュ達を振り切って逃げて行った。
ブリーフィング・ルームはタバコの煙が充満していた。
「悪魔の口ん中に飛び込むようなもんだぜ。」とクリスが言った。
「下にはハリセンボン、上からはハエ叩きか。こりゃ、陸軍の仕事じゃねえんですかい?いくら、何でも無茶苦茶すぎますよ。」キースはタバコの煙を吐きながら言った。
アスランは一呼吸置いて、「俺も始めはそう思った。だが、敵の盲点が2つあった。一つは高射砲の射程高度だ。高射砲の砲弾は炸裂するにはある程度の高度が必要だ。砲弾の炸裂する高度を調整できたとしても、あまりにも低い高さで炸裂すれば、敵だってただでは済まないだろう。」
「つまりは?」サイモンが不安そうに尋ねた。
「つまりは、高射砲の弾は打ち上げ花火みたいなもんだ。ある程度の高さに達したら、爆発するようになっている。その時に飛び散る破片と衝撃で飛行機を落とすわけだ。だが、これが爆発する高度が低すぎるとどうなる?撃った方も巻き添えを食うってことさ。しかも砲弾が強力だからな。かなりの痛手を双方食うさな。」とボッシュはサイモンに言った。
「そういことだ。俺達が可能な限りの超低空で侵入すれば機関砲は撃てても高射砲は撃てない。」とアスランと言いながらホワイトボードに線を書いた。
「しかし、低空で飛んでいる所に戦闘機が来たら、いいカモにされちまいますよ。」キースがホワイトボードを指さした。
「2つ目の盲点がそこだ。そこに戦闘機が来たら、ますます敵の対空部隊は攻撃しずらくなる。ミサイルのように敵味方の識別がつく武器ならともかく、高射砲や機関砲を無闇に撃てなくなる。味方の航空機をぶっ飛ばしたら元も子もないからな。敵だって旧式の対空兵器よりも、戦闘機のほうが金が掛かっていることぐらい承知だろう。それとだ。敵の戦闘機部隊の戦闘技術は今の所水準が高いとは言えない。そうなると、地上の対空兵器を主力として、戦闘機はそのバックアップに回るだろう。敵も対空ミサイルを使用するならば、相手が低空で侵入することぐらい考えているだろう。そのための高射砲と機関砲でもあるからな。だが、高射砲も役に立たない程の超低空で来た場合も考えられる。そこで戦闘機だ。奴らの航空部隊に空戦技術が無かったにしても、レーダーの有効高度まで押し上げるぐらいはするだろう。そこからはミサイル任せだ。」
「んで、具体的はどのような戦法で?」ボッシュはコーヒーをすすった。
「ボッシュ、キース、サイモンが爆撃に回って、俺とクリスが上空の警戒にあたる。3人には敵の対空陣地の破壊に専念してもらう。俺とクリスは上空の戦闘機に警戒、敵航空機が来たらこれを追い払う。それと状況によって対空ミサイルの囮となる場合もある。全機にミサイル避けのデコイを装備しろ。」アスランがそう言うと、ボッシュ達は席から立ち上がった。
飛行甲板から次々とゴースト・パック隊が飛び立った。全ての飛行機が空母から離れたことを確認すると、アスランは隊員達に言った。
「敵のレーダー圏内に近づいたら、二手に分かれるぞ。攻撃チームのリーダーはボッシュ、警戒チームは俺だ。」
「了解。」とそれに対して全員が返した。
太陽は傾き、鏡のような海面に明るい自分の引き延ばされた似姿を映し出していた。
「毎度のことですがね。こうも無茶な仕事ばかり押し付けられて、我ながらよく生きてると思いますよ。神様ってのは不思議なモンですね。俺らみたいな人殺しを生かしたままにするなんて。」クリスが無線越しに言った。
「クリス。神はとっくに俺らなんて見放してるさ。だから、こうして生き地獄を何度も味合わされている。俺らに取り憑いているのは死神か悪魔ぐらいなもんだ。何十人、何百人と地獄に送って、ついでに俺らも地獄に堕ちるのさ。」とアスランは応えた。
「隊長そろそろ、圏内に入りますよ。」とボッシュが言った。
「よし、じゃあ二手に分かれるぞ。」アスランがそう指示を出すと、編隊は攻撃チームと警戒チームに分かれた。
「この戦争が終わりましたらね、私は隊を辞めようと思っておりますよ。」とボッシュはアスランに言った。
「唐突だな。」アスランは静かに言った。
「すみませんね。私ももう寄る年波には勝てませんのでね。貯蓄も出来たし、そろそろ女房をどこか旅行にでも連れて行きたくなりましてね。」
「いかにもお前らしいな。分かった。じゃあ、この戦場でしっかり生き残りな。」
「了解。」とボッシュは言った。
「レーダー圏に入るぞ。高度に気を付けろ。上がりすぎれば高射砲に食われるが、下がりすぎれば地面に突き刺さるぞ。」とアスランは言い計器に目をやった。
その時、視界に入った自機のレーダーに異変が起きていることに気付いた。レーダーの捕捉不能の状態となっていたのだ。
「こちらアスラン。俺の機体のレーダーが不調だ。お前らのは大丈夫か?」
「た…ちょ……おれの…レ……ア…なん……れ…」アスランの無線に途切れ途切れの音声が流れてきた。
「こちらアスラン。聞こえるか?」
「さっきなんて……いまし……ちど……ます。」
「たい…う…こ……ぼ……が………ぱじゃ…い…すか?」
アスランは、この辺り一帯が敵の妨害電波によって攪乱されていることを悟った。他の電子機器を見ると全ての調子が狂わされており、相当に高い電子技術によるものだという事が見て分かった。
攻撃チームは空対地ミサイルの他にアナログな投下型の爆弾を装備しているため、最悪の場合でも敵の対空ミサイルは破壊できるだろう、しかし警戒チームである自分達は固定武装の機関砲の他にはロックオン式のミサイルしか装備していなかった。この調子では、妨害電波が晴れるまではミサイルは使い物にならないだろう、とアスランが考えていた矢先、前方の上空からこちらに向かって降下してくる数機の飛行機が見えた。
この妨害電波の中では敵も対空ミサイルを飛ばすことは出来ないだろう。それにこのままでは、上空から飛んでくるあの敵機のいい的になってしまう。そう考えたアスランは、使い物にならないのを承知の上で無線を入れた。
「正面上方に敵機。攻撃を開始する。」アスランは操縦桿を引き、機首を上へと上げた。
「りょ……い。こ…ら……きま…」クリスもアスランの後を追うように機首を上げた。
アスランの思った通り、ミサイルの照準は敵の飛行機を一向に捕捉できなかった。今この状況で使えるものは機関砲のみであった。
敵の飛行機はアスランとクリスの機体に気付いたらしく、進行方向をアスラン達の方向へと向けてきた。お互いが機関砲を乱射しながら、高速ですれ違った。
すれ違い様にアスランが見た飛行機はIgo-12ジェット・サーディンではなかった。その代わりにアスランが見たのは、Gag-27防空戦闘機コードネーム アイス・スラッガーだった。
このGag-27アイス・スラッガーはヴァルツの空軍と防空軍の共同で開発された防空迎撃用の戦闘機であった。比較的スピードも早く、旋回能力に長けた飛行機であったが、その武装のラインナップは固定武装の機関砲の他にはロケット弾などの旧式な武装が多く、ミサイル等のデジタル装備は極めて少ない機種であった。
ミサイル技術の飛躍的な進歩によって、空中戦闘の機会の少なくなったこの時代において、これ程までに近接格闘に重きを置いた戦闘機が開発された理由をアスランはこの時初めて、実感した。
今の状況のように妨害電波などによって、電子装備が役に立たない事態に陥った場合、電波の影響を受けない機関砲やロケット弾を使用した空中戦を戦う事となるだろう。武装のみならず、機体自体も比較的身軽ならさらに有利に戦うことが出来る。
昨今のように中距離ミサイル等による遠距離からのロックオン合戦に慣れたデジタル世代のパイロットが、もしこの戦術によって格闘戦に引きずり込まれたならば、いくら最新鋭の機体に乗っていたとしても、相当な痛手を覚悟しなくてはならないだろう。
現に今、敵の発した妨害電波の中にいてこの戦闘機と対峙している状態なのだ。この飛行機が防空軍と共同で開発されたのは、恐らく自国に敵の高性能な飛行機が侵入して来た場合を想定し、これを攪乱電波によって電子装備を不能にして、迎撃に出るGag-27との連携システムを構築するためだったのだろう。
どんな飛行機も否応無しにこの迎撃機と同じ土俵で戦わされるフィールドを造り出すのだ。すれ違った、双方の飛行機はそれぞれに反転し、再び向かい合わせとなった。
この空中格闘に優れた機体を任されている所を見るに、この敵パイロットは相応の腕を持ったパイロットである事は想像に難くなかった。アスランは反転しながら敵機が4機いることを確認した。こちらが機関砲を撃っているにも関わらず、それを大きく避けようとはせずにすれ違った事を考えると空中戦に慣れた熟練者であることも考えた。
アスランとクリスは機関砲発射しながら、4機の機体に向かって速度を上げた。すると、その4機は2機ずつの二手に分かれ、2機はアスラン達同様に機関砲を撃ちながらこちら側に向かって突進を続け、もう一方の2機はアスラン達を避けるように機首を下げて降下した。
「しまった!!」とアスランは叫んだ。降下した2機は攻撃チームのボッシュ達を狙っているのだろう。
こちらに向かって来た敵機を機体を回転させながらアスランが避けると、アスランの後続にいたクリスがその敵機の正面に機関砲弾を浴びせた。
アスランの戦闘機をやりすごした直後、急に自分に向かって来たクリスの弾はさすがに避け切れなかったらしく、そのまま自ら弾の先端に向かって突っ込んでいく形となってしまった。
その弾はコクピットから背部にかけて無数の穴を貫いた。キャノピーの正面を突き破って入った弾は、パイロットの頭蓋骨をヘルメットもろとも打ち砕き、座席を突き抜けて後方のエンジンを破壊した。その後に続いた弾丸はパイロットの身を切り刻み、一発目同様にエンジンに穴を開けた。
クリスは「冗談じゃねえや…」とつぶやいたが、妨害電波によって誰の耳にもその言葉は届かなかった。
アスランは撃墜された敵機からやや遅れてこちらに向かって来たもう一つの敵機とすれ違った。
そのすれ違った飛行機の翼には白い何かがペイントされていたように見えた。あまりにも高速だったため、それが具体的な形としては見えなかった。
できる限りの小回りに反転し、その敵機の後を追った。きっとその敵機もボッシュ達を狙うと思ったからだ。
アスランがその敵機の後ろを取ると、その敵機もまたそれを重々承知していたと見えて、回転も加えながら上へ下へとアスランの照準を避けながら、着実にボッシュ達の飛行機に向かって降下していた。
その飛行機の操り方には、不思議と別な何かをアスランに感じさせるものがあった。強いて言うなれば、高速で素早い動きでありながら乗っているパイロットの落ち着きと余裕のある心がこちらにも伝わってくるようだった。それは死の恐怖を超越した先にある心の平静さなのだろうか、自分の命よりも絶対的な目的の達成とそれに必要不可欠な飛行機を守ろうとする意思、だが冷徹と言うにはあまりにも血の通ったような心の安定感がその飛行機から滲み出ていた。
アスランはこの感覚を昔、どこかで感じたことがあった。だが、張り詰めている緊張感が妨害電波の雑音がそれを思い出すことを妨げていた。
その敵を追い続け、何とかその上方に躍り出た時、アスランはその飛行機の翼を見た。
その翼には白いヘビが描かれていたのだ。先の大戦の最中、リヴァース島の爆撃作戦で一戦交えたあの飛行機。そしてきっと、この飛行機にも同じパイロットが乗っているのだ。
アスランはようやっと合点がいった。過去にも感じたこの感覚はリヴァース島のあの天照軍機だった。
名も知らぬパイロットだったが、あれ程に印象深かった敵機はそうはいない。
アスランはその敵機の上から機関砲を浴びせようとするが、まるで後ろに目がついているかのように、巧みにその照準から自機を外した。
白ヘビの飛行機の先には、始めに降下した敵機が2機あり、その先にボッシュ達が飛んでいた。そろそろターゲットである対空陣地に差し掛かる、そうすれば爆撃コースに入りそう易々と方向転換は出来なくなる。しかも狙っているのはあの白ヘビパイロットだ。その仲間である他の2機のパイロットも彼に引けを取らぬ腕前を持っている可能性がある。
アスランが速度を上げると急に無線の雑音が消えた。
「後ろに敵の飛行機が4機」という声が聞こえた。その声は若い女の声の様だった。
アスランが後方を確認すると、その声の通り新手のGag-274機が、自分達の後ろを飛んでいた。
これは罠だったのだ。白ヘビ達は、後続の4機が自分達の後ろを取るための囮だったのだ。
地獄車(ワゴン・ホイール)にはまった事をアスランは悟った。無線が再び、妨害電波の雑音で満たされた。あの声は何だったのか今はそんな事を気にしている場合じゃない。
敵は空対空装備をした飛行機が7機、こちらは対地装備をした飛行機が3機と空対空装備をした飛行機が2機。攻撃チームが爆撃を終え、こちらの空中戦に合流したとしても、敵のほうが数では有利だ。しかも、こちらは新兵1機を抱えている。だが、このまま奴らの術中に落ちれば、全滅すらしかねない。
アスランは意を決して、旋回をした。クリスの機もこれに続いて旋回をした。
クリスはアスランの飛行機よりやや後方に位置を取った。恐らく、さっきと同様に、敵機がアスランの飛行機を避けた所を狙い撃ちするつもりなのだろう。
旋回したアスラン達を追って、新手の4機のうち3機がアスラン達の方向へと向かい、残りの1機は白ヘビ達と合流したようだった。
アスランとクリスに向かった3機の飛行機は1機と2機に左右に分かれ、機関砲を発砲しながら直進しようとした。
多勢に無勢のセオリーでいけば、1機の飛行機をこちらの2機で攻撃する方が有利ではあるが、この1機は恐らく囮だ。こちらがその1機に狙いを集中させた隙を突いて、反対側から来る2機がこちらに集中砲火を浴びせるだろう。
アスランはクリスと共に敵機2つを迎え撃ち、その直後にもう一方の1機を片付ける事に決めた。アスランの後ろを追うように飛んでいるクリスの事だ、無線が繋がらなくともそれを察するだろう。
アスランが敵機2機に向かって操縦桿のトリガーを引くと、後続のクリスは逆の方向から来る1機を撃墜した。
このクリスの行動はアスランと敵機双方の意表を突いた。アスランの放った弾丸は敵機の後部をズタズタに引き裂き、漏れた燃料がエンジンによって引火した。
残った1機は、アスランの側をすれ違った。その敵機はアスランに向き直ろうと反転をし始めたその瞬間、一足早く攻撃の体制に入っていたクリスによって撃墜された。
クリスはそのまま白ヘビ達の後を追い、アスランも反転してそれに加わった。
ブリーフィングルームのドアを開けると、スラップ司令官が立っていた。
「テンショーはどうだった?」スラップはタバコを吸いながらアスランに言った。飛行機から降り、地上での勤務が増えたことに比例して、彼の喫煙回数も増えたらしかった。
「戦争中はまるでスズメバチの巣みたいな国だと思ってましたがね。今じゃあ、静かなもんでしたよ。」アスランは適当な机の上にヘルメットを置いた。
「そうか…ま、本題に入ろう。」
「ええ。」
「知っての通り、北ゼルバム軍の南側への侵攻を受けて、我が国は北軍の南下を食い止め、南ゼルバム北側を解放するために軍の派遣を決定したわけだが、その本隊に先立って君らをこの空母へ呼んだのにはワケがある。」スラップはタバコの灰を灰皿に落とした。
「でしょうな…」とアスランは言った。
スラップはホワイトボードに貼ってある、南ゼルバムの地形図にマークを記しながら言った。
「北ゼルバムの正規兵及びゲリラ兵は、南ゼルバムの北側の密林地帯に多く潜伏していると考えられる。これらをあぶり出し、殲滅するには地上部隊が不可欠であるが、木々の密集度が非常に高いジャングルには戦車などの車両の乗り入れはほぼ不可能だ。よって、地上の歩兵部隊を支援するのは、ヘリなどの空中機動部隊や対地攻撃機となるのだが、この地域にはすでに敵の対空陣地が複数箇所存在していることが諜報部員と人工衛星からの情報で明らかになった。君らにはこれら北軍の対空陣地を破壊し制空権を得て貰いたい。それと並行して敵の電波の傍受も行って貰いたい。これにより敵の電波の周波数や特徴、伝達システムを掴み、敵へのジャミングや欺瞞作戦に使用する。」
「俺の戦闘機は電子戦機ではありませんよ。」と言いながらアスランは椅子に腰掛けた。
「その心配は無用だ。君達の飛行機の胴体下部に傍受ユニットを付けるだけだ。君はいつも通り飛行機を飛ばし、ユニットのスイッチさえ入れてくれれば、あとは全自動で傍受や解析を行う。」スラップは先が短くなったタバコを灰皿にこすって火を消すと、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、一本くわえると、火をつけた。
「ちょっと、待って下さい。俺の飛行機は偵察しに行くんじゃないんですよ。交戦しに行くんです。俺が撃墜されたら元も子もないでしょう?それにそういう仕事は無人偵察機を使用しては?」
「今回は無人機を使用しない理由が2つある。1つは対地攻撃と並行して傍受を行うということだ。なぜ、攻撃と傍受を並行する必要があるのかというとだ。敵が攻撃を受けた際の情報伝達システムと対空ミサイルの識別信号、それと敵戦闘機のレーダーシステムのデータが必要だからだ。もし、これを君らではなく偵察機の単独で行ったなら、敵は警戒して電波通信を控えるかもしれない。それでは大したデータは取ることが出来ない。そして2つ目の理由は、公表されていない事実なのだが、先の大戦で無人機が1機、無傷でガーマ軍の手に落ちた。とある砂漠地帯での出来事だった。ガーマ軍の戦車隊を一掃する作戦に、我が国が開発した無人攻撃機が試験的に投入された。その無人機は交戦空域に入った途端にコントロールが不能となった。ガーマ軍は無人機のコントロールを横取りする電子技術を持っていたらしい。その後、不可侵条約を破ったヴァルツ連邦がガーマに侵攻し、兵器やその開発技術を奪った。ヴァルツ連邦がガーマ軍の電子技術を流用して我々の無人機を横取りするための電子兵器を開発している可能性がある。そのヴァルツが北ゼルバムを支援しているとなると下手に無人機は使えない。」
「なるほど。しかし、どうです?俺が撃墜されて、その残骸から出てきた傍受ユニットが敵の手に渡ったら…同じことじゃないですか?」
「それについては大丈夫だ。君が撃墜されたら、ユニットはそれを認識する。その状態でユニットが地面に落下すると10分後に大爆発を起こすように出来ている。敵が迂闊に近づけば爆発に巻き込まれる。盗まれる心配は殆どないと考えている。」
「わかりました。敵の武装は?」
「このファイルの中にある。」スラップは、アスランに書類の詰まったファイルを手渡した。
アスランはファイルの中から書類を取り出した。最初の一枚目には南ゼルバム北部の地形図に、予想された敵の対空陣地が書き込まれていた。
その紙をめくると、その陣地に持ち込まれたと考えられるヴァルツ製の対空兵器のデータが載っていた。
R-107地対空ミサイル、コードネーム コールド・ウォーカー。お世辞にも最新鋭の兵器とは言えないが、先の大戦ではガーマの空軍機をことごとく叩き落とし、ガーマ軍のパイロット達の間で「空の落とし穴」と呼ばれた悪名高きミサイルだ。
対空機関砲と高射砲の資料となっていた次のページをめくると、旧式のヴァルツの戦闘機の写真とデータが載った紙が出てきた。
写真は見る限り型式の古いヴァルツの戦闘機、Igo-12 コードネーム ジェット・サーディンだった。型式が古くなったため、同タイプの戦闘機は同盟国への輸出用としてヴァルツで生産されていた。北ゼルバムにある機体もヴァルツから支援された兵器の一つだったのだろう。
一通り目を通したアスランは、胸ポケットからタバコを出して口にくわえた。そして、反対側のポケットからライターを出した。
静かにタバコの先に火をつけると、ため息と一緒に煙を吐き出した。
地対空ミサイルはレーダー網をかいくぐって低空侵入すれば避けられるが、敵兵に目視で発見されれば高射砲と対空機関砲の突き上げを喰らい、上空からは戦闘機に狙い撃ちにされる。
地上の対空砲を避けようと高空に陣取ればミサイルに喰われ、それでも生き残った者には戦闘機が襲いかかる。上がっても下がっても、大きな損害は免れないだろう。
「敵のパイロット達のレベルは?どの程度です?」アスランはスラップに尋ねた。
「北ゼルバム軍に飛行機隊が出来たのは、つい最近のことだ。フェンティとの戦争の後だ。まあ、ヴァルツ空軍の人間が指導したのだろう。戦術についてはヴァルツに入れ知恵されただろうが、実戦経験は殆どないだろう。」
「ですが、地上部隊の連中は、フェンティとの戦いで大砲の扱いは慣れたものでしょう?」
「ああ、恐らくそうだろう。」
航空戦闘技術がまだ未熟となれば、敵は扱い慣れた大砲と操作の似た地対空兵器を主戦力とするであろうとアスランは考えた。
地対空ミサイルをミサイル避けのデコイで攪乱することが出来たとしても、電子戦兵器の影響を殆ど受けないアナログな高射砲や機関砲をどのようにやり過ごすかが問題であった。
地上を精密爆撃するには、ある程度高度を下げる必要があるのだが、高度を下げると敵の対空砲の射程に入ってしまうのだ。かと言って、高高度を保つと精密爆撃はほぼ不可能となる。
アスランは2本目のタバコに火をつけ、考え込んだ。
偽装作戦の日から数週間後、事態はアスランが思っていたよりも早い展開を見せた。
ヴァルツ連邦や成王国という2つの国の後ろ盾を得た北ゼルバム軍は歩兵部隊を中心とした地上部隊を南下させ、次々と南ゼルバムに侵攻してきた。正規の北ゼルバム軍とは専ら、密林で対峙することとなったが、南側の都市部では北に懐柔されたゲリラ達が数を増やしながら、破壊活動を活発化させ、南ゼルバムの武力だけで対抗することが非常に困難となった。
そこにリヴァイデ合衆国や共産勢力に反対する国々が南ゼルバムを共産勢力から守るためとして、軍の本格的な派遣を決定した。
ゼルバム戦争が勃発したのである。
アスランがこのゼルバム開戦の正式な一報を聞いたのは、寄港した天照国の南側にあるリヴァイデ国の占領地域であった。駐屯地の食堂の大画面のテレビで、リヴァイデの大統領がゼルバムへ軍を派遣し、徴兵によって人員を確保することを発表していた。
キースは嫌味に満ちあふれた笑みをたたえながら、タバコを口の端にくわえて、声に出しこそしなかったものの「もう、やってる最中だよ」と口だけを動かしていた。
そこに遅ればせながら、ボッシュがやってきた。片手には愛用のブリキのマグカップを持っていた。黒いコーヒーの刺激に胃腸が多少疲れたらしく、今はその中には白いミルクが入っていた。
彼は車も住宅も衣料品にも特にこれといってこだわりを持たず、最低限の物さえ手に入っていれば問題を感じないタイプなのだが、このブリキのマグカップだけは随分と吟味して買っているようだった。
形状、材質のつや、カップの厚さ、堅さ、容量、そして全体がしっくりと馴染むかどうか時間をかけて目と感触で確かめてから購入するのだった。
ボッシュは特別何も無い普段の朝は、ベッドから起き上がると朝食を食べながら、妻にこのブリキのマグカップにコーヒーを入れてもらって飲む。
そして身支度を調えている間に、マグカップを洗ってもらい、それを持って出勤する。仕事場ではこれを自分のロッカーに入れておく、ランチタイムにロッカーから取り出して、コーヒー等を飲む。仕事が終わったら、これを持って帰宅するのだ。
そして今度のように戦場に赴く場合は、航空母艦や基地にこれを持ち込み、自分の部屋、それがないなら自分のベッドやロッカーに置いておく。
作戦中、飛行機内にこれに持ち込むことはない。もし、彼が撃墜されその遺体が発見されなかったり、回収できなかった場合でもこのマグカップだけは彼の妻のもとに帰ることが出来るからであった。
彼は自分と時間を共にしているこのマグカップこそ唯一の個人的財産だと、いつだったか仲間達に言っていたことがあった。
一週間もしないうちにアスラン達は天昇の駐屯地を飛び立った。頭上から降り注ぐ白い直射日光を浴びながら、眼下に広がる銀色の波の上を幾重にも飛び越えた所にリヴァイデ海軍の航空母艦ガレオンが浮かんでいた。
「隊長。城が見えてきましたぜ。」とクリスがアスランに言った。
「ああ、お濠はこのゼルバム海ってなとこだな。」アスランはため息を着いた。
「サイモン。着艦はまだ怖いか?」ボッシュが尋ねた。
「ええ。まだ、慣れません…」サイモンの声は緊張で震えていた。
「サイモン。空母の飛行甲板は地上の滑走路よりも短くて、幅もそこまで広くない。甲板の短さが気になって、スピードをつい過度に殺しがちになるが、あまり速度を落とし過ぎると風に煽られて軸線からずれる。下手すれば失速して墜落だ。管制塔から指示と速度計と高度計の数値を取りあえず信じて降りろ。ダメだと思ったらまたやり直せ。下手でもいい。無事降りればいいんだ。」とボッシュは言った。
「はい…」とサイモンは不安そうな声で言った。
「慣れれば女とヤルより簡単だぜ。ウォーターベッドに飛び込むようなもんよ。難しく考えるな。」とキースはサイモンの不安感を取り去ろうとした。
「さて、降りるぞ。クリス、キース、ボッシュ、俺、サイモンの順で降りるぞ。クリス、先に降りろ。」アスランは隊員達に指示した。
アスランはキャノピーを開くと開いたコクピットの横に掛けられた梯子を下りた。鼻で息を吸う度にむせかえるような潮の香りがした。
海の上に戻ったのは、天照国との戦争以来だった。ヘルメットを脇に抱え、カタパルトを眺め、そして海を眺めた。晴れ渡った空の光はフラットだったが、海の波に乱反射する光は、時折、アスランの目を刺した。
そこに一人の整備兵がアスランの肩を叩いた。
「スラップ司令官が呼んでます。ブリーフィングルームへ行ってください。」
「ああ。分かった。」アスランはしばらく海を見ると、ブリーフィングルームへと向かった。
着艦したアスラン達の戦闘爆撃機を整備兵達はしばらく呆然と眺めていた。5機の飛行機の装備には一貫性があまりにもなく、通常では考えられないような武装も施されていた。
隊長機とおぼしき機体の翼には、機体の後ろに向かって攻撃できるように2発のミサイルが後ろ向きに取り付けられていた。
垂直尾翼に大きく書かれた「2」の数字からして恐らく、2番機なのであろう機体の胴体にはタイガーストライプの模様が描かれ、機関砲の銃口も通常のものよりも口径が大きく、翼にもあまり馴染みのないミサイルが装備されていた。
そのとなり飛行機にはスペードのマークが描かれていた。黒いスペードの中に黄色で「3」の字が書かれていた。この飛行機の機関も2番機と同様に口径が大きいものだった。
数字が書かれていない機体もあった。その機体の胴体には成王語なのか天照語の文字なのかは分からなかったが「生来必殺」と書かれ、ミサイルが翼の他に胴体にも4つ装備されていた。
垂直尾翼と胴体にただ「5」と書かれた飛行機はこの中で一番まともな飛行機であった。
「気味の悪い奴らだぜ。」「飛行機に高射砲でも積んでのか?」「まともな装備じゃねえな。」と整備兵達は口々に言っていた。
とある大型商店の話し
まあ、この話し俺が20代前半の時の話し。
田舎とは言えね、やはり大企業のチェーン店というか、そういう所があるのよ。
大きい商店というか、商業施設というか
んで、まあ俺はそこのテナントの一つでバイトしていた時があったのよ。
まあわけあってそこを辞めたのだが、あとで給料を取りに来てくれ、ってな話しになって
約束の日に取りにいったのよ。
んで、店の店長の所にいくと、「すまん、給料持ってくる人少し、遅れるって。2時間くらいかな?」
まあ、そんな話しになった。俺は「分かりました。」ってな感じに返事して、その2時間後まで昼寝でもしてようと思ったわけだ。
俺はその商業施設の地下駐車場に車を止めていたもんだから、そこの車の中で寝たわけだ。
まあ、こんな夢を見た。 何というか、今自分が寝ている地下駐車場にいる夢を見たのだ。
しかし、夢の中の駐車場をガランとしていて、車が一台も止まっていなし、俺しかいないのだ。
まあ、辺りを見回してみると駐車場の出口が無いのだ。駐車場の先を見ると、暗闇がこちらに向かって広がってきている。
なんかやばいなって思ったもんだから、逃げた。
すると、暗闇の中から髪の長い女、しかし顔は見えないのが沢山出てきて、俺を追っかけてきた。
まあ、当然怖いから逃げる。出口が見つからない。延々と続く地下駐車場の中を髪の長い女の一団に追いかけ回される夢を見た。
まあ、携帯のアラームに起こされる。車から回りを見るといつも通り、買い物客で湧いてる地下駐車場。
そんで、店長の所に行って、給料を貰ってその日は終わった。
はてさて、それから数ヶ月後、知り合いに「ああ、そういえば…」なんて調子で、地下駐車場の話しをした。
そしたら、そいつがこんなことを言い始めた。「俺も、同じような夢を見たよ。」
聞くに、彼の話はこういう感じだ。彼は夢の中で、俺が働いていた例の大型商店で警備員として働いている夢をみたのだそうだ、その夢の中で、彼は他の警備員達と一緒に銃や武器を準備していたらしい。
どうやら、地下に髪の長い女達が増殖しているから、銃撃でもって駆除するための準備をしていた夢だったらしい。
まあ、内容としては共通の部分があったわけだ。
さてさて、数年後 ちょっとした機会があってまあ、その「共通の夢」を話したことがあった。
すると、またまた「私も見たことがある。」ってな感じで話してきた。
その人が見た夢は、買い物客として例の大型商店にいる夢だったらしい、その商店を歩いていると、あの髪の長い女が買い物客の間をフラフラと歩いていたらしい。その女は自分にしか見えず、他の買い物客は気付かなかったらしい。
まあ、その人はそれに付け加えて
「私の知っている子が、そこのテナントで働いているんだけれど、しょっちゅう髪の長い女の人が、店の裏側から覗いてるらしいよ…」
ま、そんな話しだった。 まあ結局、オチもなにもない話しなんだが