今日は我が個展の最終日となる。
んで、今日午前中、ビルの窓拭きの仕事の面接にいってきた。まあ、やりたくない仕事だな。やっぱり。
やりたくねえから、他の仕事と選んだのがトラックのルート配送の仕事。
急いで電話してみたら、今日の午後3時に面接があるから来いといわれた。急遽、また一部、履歴書を用意する。
さて、3時また面接だ。
こいつに決まればいいな。配送ドライバーなら、ビルの窓拭きをするよりもかなりいいし、その窓拭き屋の事務所がねえ…、どうも馴染めなさそうな雰囲気だった。事務所に足を踏み入れたとたんに、こいつは俺の来る場所ではなさそうだと思ったよ。
そういえば、動物の死から思い出したことがあった。
中学生の時、なぜか剥製を作る技術にあこがれたことがあった。
まあ、おれのじいさんは猟友会の人間だったこと、つまり狩猟が趣味だったわけだ。
そんなこんなで、家にはけっこう剥製や動物の頭蓋骨が飾ってあったもんだ。
まあ、動物の死体を使った調度品を作ることに関心があった。
じいさんの知り合いに剥製屋がいたもんだから、俺は弟子入りしようと思っていた。んで、その前に動物の死体を触ることに慣れようと思って、率先してじいさんが殺生してきたカモだとかの内臓を取ったり、羽を切ったり、毛をむしることをやった。
本当は殺した本人が最後まで面倒をみなけりゃ道理じゃないんだけれどね…
時には、壁掛けの飾りにするクマの頭蓋骨を大鍋で煮ることもやっていた。大概、骨は一度煮るもんなんだよ。
骨の表面についた脂を落としたりするためにね。まあ、これすげえ臭いがすんのよ。
結局、飽きて剥製屋はやめた。
んで、高校を卒業した時のこと、一応通信制の大学には通ってはいたが、仕事もしなくちゃならなくて、まあ不景気のおり、資格もなければ経験もないガキなんぞには、就職先がない時期だった。こと、この盛岡では特にね。
まあ、付け加えて言うなら、リストラが流行って、一種の社会問題になってしばらくしてからだったし、就職先で優先的に採用されるのは、30代以上だったのが記憶に残っている。どの求人票もそんな感じだった。
そんな時に思ったのが、「皆が嫌がる仕事は競争率が少ない」ということだった。んで、最初こそ掃除の仕事なんかも探したが、これは大体女性向きの仕事だった。女子トイレに入る都合もあってのことだろうね。
んで、俺が選んだのは「屠殺」だった。
俺の親父はむかし、トラックでブロイラーを運んでいたことがあって、屠殺場は知っていた。求人は見てはいなかったが、あたってみようと思った。
んで、一応行ってみたら、おっちゃんがいて、何か用かと聞いてきた。
まあ、就職したい旨を話してみたら、
「いるんだよなあ、こういうバカ」っていいたそうな苦笑いをした。
「ここで雇ってくれませんか?」と聞いた。
「うちは特別、専任で屠殺をしているわけじゃないよ。」という感じのことを言ってきた。まあ、他の所ではどうかはわからないがね。たまたま、そこはそういう事情なのか?
んで、「農業高校でもでたのか?」と聞かれた。
「いえ、普通の高校です。」
「家で酪農でもやってるの?」と質問ぜめ
「いえ、親父は生コン運んで、お袋はスーパーでパートをしています。」
「まあ、一応話すとね。ここの屠殺は持ち回りでやっているんだよ。農協を通じてね。酪農経験がないと、ちょっとできないかな…。牛とか豚を運ばなくちゃいけないしね。大型トラックの免許持ってれば、まあ少しは考えるかもしれないが、持ってる?」
「普通車なら持ってます。」
「まあ、それは必須だよ。ところで、ご両親は何て言ってた?」
「親父達には相談してません。」
「そうか…。何?君は屠殺に関心があるの?」
「まあ…」金が欲しいからです。とはいえなかったな…
「そうか」といって少し考え込んだ様子だった。
「まあ、仕事としてはね、牛の頭に空気銃みたいなのでバンっと撃つ。豚は電気で殺すよ。暴れるよ。死にたくないから…」
「はあ…」
「まだ、若いし先もあるんだから、もっと稼げる仕事もあるでしょう?君のご両親も苦労してるんだろうし…」
まあ、言葉少なに「お前の来るところじゃない」っていいたいのだけは、バカな俺でも分かった。食い下がろうとはせずに、素直に引き下がった。
まあ、それで屠殺もやめた。
まあ、よかったどうか、俺には分からない。
ただ、これを思い出すと、つくづく人間ってやつは、その対価を払っているとはいえ、肉食動物が命をかけて肉を捕食しているというのに、「肉を得るリスク」を背負ってないよなあ、と思うのだ。
まあ、こういう屠殺業をしている人たちがそれを請け負っている。
ただ、どうだろうなと思う。肉を食べる量は少なくすれば、それだけ助かる家畜もいるのかもしれないが、でも逆に売れなくなって手に余ったすえにエサを与えずに餓死させるような現実にだってなりかねないし、すでに死んでしまって精肉されたものだって、売れ残れば廃棄される。これこそ無駄死にってやつだしなあ。
どうしたものかねえ。
また、ウチに魔のものが昨日仲間入りした。
まあ、その前にちょいと、別な話をしよう。
どういう、巡り会わせか俺の警備の相方は、白蛇に守られている若い男の子なのだ。
彼は金縛りに遭うと、身体から白蛇が出てきて、シャーっと吠えるのだそうだ。すると縛が解けるのだそうだ。
守られてるね~。
ちなみに、キツネを俺がひき殺してしまった時に、助手席にのっていたのも彼で、一緒にお稲荷さんに行ったのも彼なのよ。
んで、もってきて俺…
ん~、まあ、そういった類いのものには縁がないなあ。
ちなみに「お稲荷さん」はとりわけ女の人を守る神様で、女の人に冨やご利益を与えるらしい。まあ、心底女の人を大事にする男も守ったりするらしいが、大半は女に と考えたほうがいいだろう。
まあ、男でもお参りしてもバチはあたらないだろうが。
そんでだ。
あのキツネをひき殺してしまった日より、山の道での警備が多くなった。
しかも である。
動物の死体とよく出くわすようになった。まあ、季節的なものや偶然と考えるほうが冷静だろうけれどね。
でも、今日も山道の草刈現場での警備で、狸の死体を発見した。
おそらく、あれはまだ子供か若い狸だろうね。身体がそれほど大きくなかった。
だが、今日見たのは轢死体ではなかった。つまりは、車に轢かれたような痕跡はなかった。
眼球はなかったが、外傷のようなものは一切ないし、出血もない。眼球があったらしい目の穴はまだきれいな赤だったので、まだ死んでからそう時間はたっていないだろう。しかもこの暑さだ。
それでもまだ腐乱していないところをみると、死んだのは昨晩だったかもしれない。
外傷もみあたらないから、まあ、ひっくり返して裏側をチェックする気にもならなかったが、おそらく病気か何かだったのだろう。
キツネ、モグラ、野鼠、ヘビ、狸 今週は死体を見なかったのは昨日ぐらいしかない。それもそのはず、昨日は街中だったしね。
死 かあ…。
さてさて、ウチに仲間入りした例の奴を話そうか。
まず、こいつの姿 獣臭がして黒くて長い毛で覆われて、目が真っ赤な奴らしい。
らしい、というのは俺には見えないからだ。
まず、昨日 女房が買い物から帰ってきたとき、玄関が獣の臭いで大変だったらしい。
んで、猫たちが警戒モードで玄関を見ていたそうだ。
んで、女房はソイツを玄関に置いてある椅子の下で見つけたというわけだ。
首のあたりに二つの刀傷があったらしい。まあ、人間に殺されたのは間違いないようだ。
昔、どっかの公家さんに飼われていた獣らしい。小熊だったのか犬だったのか、中間とって狸だったのかはまだ分かっていない。
んで、魔物とはいうものの、半分はまだ動物。まあ、半魔物ってところだな。魔物なら人語を話すらしい。だが、半分魔物なだけだから唸る程度。大体の言うことぐらいしか分からなかったようだ。
だが、忠誠心に厚い奴だったようで、元犬の半魔物ということで考えを進めている。
んで、ソイツは主人が欲しかったらしく、どこから来たのかはまだ釈然とはしないが、ウチに来たようだ。
んで、その結果 その新しい主人は俺になってしまった。女房がソイツにそういったらしい。
まあ、俺が主人になったのなら名づけをしなくてはならないなってなことで、まあ、仕事の暇な時間に考えていたが、いかんせん、俺の考える名前は横文字が多いもんだからいけない。
もっと、日本的な名前にしないとな。
とりあえず、俺には姿が見えないもんだからソイツに昨日「まあ、夢の中にでも出てきてくれ。そこで話そうじゃないか」って心の中で思ったのだが、出てこなかった。まあ、まだその時期じゃないってことなんだろうな。
代わりに、仕事仲間たちとゾンビに囲まれる夢を見た。焦った…
昨日は日曜日だったのだけれど、山道の警備だった。
夜8時までの業務だった。
帰り道、またまた 今度は野鼠が俺の車に向かって、走ってきた。
また、グシャ!!!!!!
勘弁してくれよ。
なんだか最近、無益な殺生ばかり働いているな…俺…
そんで、今日
今日はトンネル付近の道路管理、つまり道路を邪魔している雑草の草刈の作業現場で警備をしたわけだ。
トラックが走り出したとき、ポチュンと音がした。
いや…まさか…
トラックがヘビをひき殺してしまった。
そんで、午後
草刈機の回転する刃から、なにか黒いものが飛んだ。
モグラだった。
きれいに真っ二つになったモグラを見た…
この間から随分と動物の死に出くわしている…
死というか…殺される場面かな…
そんで、業務が終わり、俺は相方と一緒に再び、お稲荷さんに行った。
今日は油揚げは買えなかったので、ワンカップと生酒を買っていった。
神社の境内にその酒をおいて拝んだ。
そのあと、その社の横にある石段の鳥居の前に立つと
大きなカワズがいた。
まあ、カエルのことな
相方が「これは、来いってことだな」といって石段を上がった。
その先には石神さまがいたようで、まあその祠も拝んだ。
その帰りだ。
お稲荷さんの神社からでると、結構大きめなヘビが道路にいた。
相方は「青大将だ」といったが、模様からして恐らく、マムシだろうな…
相方は躊躇なく近づいていった。おい、よせ!!
ヘビはそっぽを向いて草むらに一歩進んでは、休み また 一歩進んでは休みしていた。
俺らが一瞬目を離したスキに、ヘビはいなくなっていた。
相方が「神様だろうね」といった。普段の言動に似合わずロマンチックなことだな…
車に乗ると、相方がまた「鳥居の所が光ってる」と言った。
青い火のようなものだったらしい。キツネ火といったところか
俺はあいにくと見えなかった。
相方を家に送った時、車内 ギロギロという鳴き声がした。バチバチともなっている。
明かりをつけてみたら、俺の膝にセミがいた。
これには心底驚いたよ。
車からおりて、逃がした。俺はセミが得意ではないのだ…
今日はなんだか、そんな日だった。
なんと、わけあってまた転職をせざるおえなくなった。
早速求人票を見てみると、条件のいい仕事は
ビルの窓拭きの仕事だった。
ああ、また危険職だ…
実は今度こそ、苦手意識を持っている営業なんぞにやらざるおえないような気がしていたのだが、やはり、MOZは
売る立場の人間ではなくて、作るか 自分をその商品とするほうらしい…
できれば、空調の配管工とかになればいいのだが…
不安だあああああ。
夜勤が終わった。
早朝5時までの予定が、早くひけて午前3時ごろに終了した。
早く終わったってんで、相方とドライブがてら事務所に帰ることにした。
さて、相方が知っている山道があるというので、その道を通ることにした。
午前3時 まあ、少し明るくなってきていた。
その山道の途中、競馬場があった。その競馬場にさしかかった時、一匹のキツネが飛び出してきた。
おっとっと、ブレーキを踏む。そのあとキツネは道路を横切らずに、真っすぐ走っていった。
まあ、キツネなんてそんなもの、アイツらはなかなか曲がらない、そう思って車を発進させた。
すると、キツネはUターンして、俺の車に取って返したらしい。
グシャ!!!!!!
やっちまった…。
俺はキツネをひき殺してしまった。
車を転回して、キツネのほうに返ってみた。
暴れてる…。
頭はつぶれていなかったが、上半身をやったらしい…
後ろ足でバタバタ跳ねてる。
窓を開けた。
俺を見つめながら、バタバタ暴れる。
どうしようか、考えた。
動物病院に連れて行くべきか…、いや、まだ開いていないし、電話番号も知らない。
連れて行った所で、助からないのは目に見えている…。多分、到着する前に事切れるのは火を見るよりも明らかだった。
この間、女房と「お稲荷さん」をお参りにいった、このタイミングで…
「ごめん、すまない、本当にごめん、ごめんよ、本当にゴメン、すまないことをした、本当にすまん」
動かなくなるまでキツネの目を見ながらそれを繰り返した…
動かなくなった。一度、その場を去った。山の展望台を目指した。
その途中、何か動かない存在感を山の景色に、車中から発見した…。
目が光っている。カモシカだ。俺を真っすぐ見ている…
今度は、カモシカが突っ込んでくるのかよ!?
そう思って、ゆっくりと前を過ぎ去った。
展望台に着く。さっきのキツネとカモシカを思い出した。
昔に聞いた話にこんな話があった。
自分を守る守護の動物の神 まあ、「白蛇」とかの類いは、祖先が退治したヘビだったり、何かしらの動物なのだと。退治というと、かえって報復を受けそうな気がするが、この場合は自分の配下にする、とういうような意味合いらしい。
ま、だからといって、このキツネが俺の配下って話では、ないのだろうけれどね。
なぜ、俺の車に向かってきたのか…
ひいたのは俺なのだが…
しかし、あのカモシカも妙な感じがした。
なんか、顔がムーミンみたいな感じだった。そういう種類もいるのかもしれないが、カモシカっていうと、なんか牛と鹿を足して2で割ったような顔に、アゴヒゲっていうイメージが強いのだが…
なんだか、そんな早朝だった。
相方が「手を合せに行こう」
と俺に言ってきた。もっともだ。
さっきのキツネのところに戻って、車を降りた。そして手を合わせた。
朝日が昇って、周りはだいぶ明るくなっていた。
キツネの姿が良く見えるようになった。
道路には血が散乱している。
首のあたりの出血が激しい。
耳からは、本当に真っ赤で綺麗な血があふれ出していた。
目はまだくもっていない。俺を見る。
手を合わせた。
「お前に血…本当に綺麗だな…。」
俺はそう言った。
そして、事務所へと戻り、その後帰宅。
一度寝てから、独りでお稲荷さんに行って来た。
昨日も夜勤だった。
今日も夜勤だ。
昨日は何かと、ちょっとした出来事が連続した。
まず、俺のポジションよりも比較的暗い所を守っている相方が、
白いモヤが道路にウラウラしている。と言ってきた。
午前2時ごろが一番活発だったらしい。
それから、逆走してくる車両もいた。
俺はといえば、明け方に流星を見た。
3時ごろになって、少し明るくなった所、自分の足元に鳥の死体があった。気づかずに驚いた。
日が出るころには、「黒い龍」のような小鳥の大群が空を舞っていた。
今日はいったい なにがあることやら。
世の中には、
中学校卒業程度認定試験
とうものがあるらしい。
関心があったら調べてみてくれ。
今日から夜勤が続く。
まあ、ブログもおざなりになる可能性もあるが、すまん。
だが、昨日
ちょいと、面白い話を聞いた。
とある、お姫さまが野原で遊んでいると、
野心を抱えた若い男たちが、声をかけてきた。
彼らはかねてからの、姫の顔なじみなのだが、腹の中には一つどころではない多くを含んでいる。
林の影から、姫は誰かに呼び止められ、
姫はそちらを向くと
そこには、ヒゲ面の大男で、体中が埃と乾いた泥にまみれていた
「ちょいと、お嬢さん。こっちにおいでな」
姫は彼についっていった。
野原では男たちが誰が姫の婿に相応しいか、決闘が始まっていた。
しばらく、歩くと大男は姫に向き直って
「よく、ついてきた。これであんたは大丈夫だ。あのままいたら、巻き添えに殺されていたかもしれない」
しばらく、大男は考え込むと「ときに、俺をよく人さらいと思わなかったなあ。」
それに姫は「人さらいなら、もっと綺麗な格好で来るわ」といった。
べつに、これといって意味はないのだが…
今日は開店前に絵を大きめな絵を3点と小さいのを4点を急遽、搬入してきた。
まあ、もう少ししたら 偵察にいく予定だ。
いやあ、明日は夜勤だ。4日ぐらい続くようだ。
個展、よろしくお願い致します。
今日は、個展の絵の搬入をしてきた。
まあ結局新作6点のみを持っていった。
だが、なんか喫茶店の壁が明け透けな感じになって、絵なんか飾らないほうがよっぽどいいような寂しさだった。
そんで、急遽、新作を増やすか、そうでなければ旧作を何点か出すことに決めた。
旧作にしても、家に押し込めておくよりは、世間様の目に触れさせたほうがいいだろう。
月曜日の開店前に再び搬入だ。
来週、7月16日 月曜日 より 個展開始でございます。
どうぞ、よろしくお願い致します。
今日も例のいじめについての動きをネットで見てきた。
本当はテレビのニュースも見たいのだが、浮世の仕事があるのでなかなかチェックできないのだ。
いやあ、本当に今日は暑かった。相方と二人で半ば熱中症状態の中での警備だった。まあ、税金も上がるみたいだし、不景気の折だ。多少の苦労はあるにせよ、日々の仕事があるだけましだな。
さてと、
まあ単当直入にいこうか。
昨日の夜見かけたのだが、
デヴィ夫人のブログにも例のいじめの件が載っていた。関心があれば見てみるといい。
主犯格の加害者はニュージーランドに「留学」するらしい、若しくはしたらしい。
ことによると、「逃げる」と受けてめられても仕方ないな。
県警が調査を行うらしい。
これには、多くの人達が注目することだろう。
被害者の同級生達は学校やPTAによって口封じをされているらしい。
テレビのリポーターに答えた生徒が所属する部活動は部活停止処分を受けているようだ。
だが、もっと酷いのはその生徒たちは「学校やPTA」側を尋常ではないくらい怖がっているようだ。
真実は話すことを固く禁じられているようだ。
そんな生徒の一人が現状をカキコミした記事が、ネットには上がっている。
主旨としては、「真実を話すと、学校側や両親に酷く怒られる。学校長が言っていることはみんな嘘だと分かっているのに、とてもじゃないが、それを誰かにはなせるような状況ではない。」
学校やPTA、そして自分達の親までもが、生徒の口を封じている状況のようだ。これじゃあ、萎縮しちまって真実は話せないし、将来この子達の心に大きな傷を作る事になる。当然、信じていた両親への絶望も感じるだろう。
死んでしまった被害者のように、「真実を話したくても話せない生徒達」もまた味方不在なのだ。
両親すら、味方ではないのだ。
何だか、これは昔俺が読んだ物語にそっくりだ。
子供達は悪質なエイリアンが地球にやってきたことを知り、周囲の大人達は両親も含めてみんなエイリアンにとり憑枯れてしまっている状況の中で、エイリアンに毒されていない頼れる大人達にその事実を知らせる方法を模索するが、エイリアンに憑依された大人達がその子供達を狙う。
正直、読んだときは三文SFのような気がしたが、この状況をみるとこれらを作品として書いた作家は、人間の一面をよく理解していたのではないか?と、関心してしまう。
だが、この場合はエイリアンの大人の外側を、エイリアンではない大人が囲んでいるのだが、残念ながら今の所は、エイリアンの大人に囲まれている子供達を効果的に救う手立ては無い状態だ。
エイリアンの大人を説得するか? いや、それは無理だろう…。どうしたらよいのやら…
一方で主犯格の加害者とされる少年は、ニュージランドへと「留学」するのだそうだ。治外法権へと旅立つのである。そして、ほとぼりが冷めたころに帰国したとしたなら、「外国で留学してきた稀有な人間として」事件を忘れ去った人間達に再び迎え入れられるのだろうか…。それとも、そのまま帰国はせずに日本とは空気の違った海外で「精力的に海外で活動するサクセス邦人」にでもなるのだろうか…。
ああ、世の中ってこんなものなのだろうか…。
ガス抜きだけで終わってしまうのだろうか…。
話は変わるが、いじめる人間といじめられる人間の能力の差というのに、最近こんなことを思った。
まず、「いじめ衝動」という感情がある。これが故に「いじめ」が始まるのだが、普通、こんな感情が出てきても理性で「抑える」とか「我慢する」のが、人間だと思っている。
いじめられる方は「我慢する能力」に長けているのだと思う。こういう耐える能力というのは、過去に思い通りにならない世の常である状況を経験しないと身に付かないもんだと思っている。
だが、いじめる方はそれを「抑えたり」「我慢する」能力に非常に欠けていると思っている。きっと、思い通りにならない経験があまりにも足りなかったのだと思う。
そして言葉でも腕力でも暴力を使うのは、それをされた時の痛みや不快感が理解できていないのだと思う。
逆に「いじめない者」「いじめを受ける者」はその暴力の威力や痛み、不快感を過去の経験より理解しているのだと思う。
双方を考えると、「いじめる側」は非常に「甘やかされて」育ったし、自分を相当に「甘やかした」のだと思う。
「いじめられる側」、または「いじめをしない側」は、それなりに厳しく育てられたろうし、自分に対してもある程度の厳しさを課した、または課すことの出来る人間だと思う。
さて、この記事の最後に
真実を言う事を大人達に押さえ込まれている君達に一言。これを見ているかもしれないし、見ていないかもしれないが、正直に言うと今君らの現状は決して明るいものとはお世辞にも言えない。これは、悲しいことだが事実だ。
俺は大人の一人として自分の非力さにふがいなさを感じている。「色々いちがいにはできぬ」状況ってのも原因の一つだが、心の奥底ではそんな自分を恥じているのは正直なところだ。
きっと、君らの現状を知っている外側の大人達の中にも同じような気持ちの人間はいると思う。
本当は外側の心ある大人達は、君らの声を聞くために、君らを囲んで押さえつけている大人達に突撃して、君らの持つその大きな力を借りて、この世の正義を正したいと思っていると思う。
だが、俺がいくらこんな事言ったって、状況は変わらない。至らないが俺も大人だからそれは分かっている。
君らがほしいのは、大人の慰めではなくて、大人の行動だってことは分かっているつもりだ。
だが、君たちと同じように俺も含めた大人達も困惑の中を模索しているし、君らを押さえつけている大人達を蹴散らして、「君らの力を貸してほしい」って、真実を聞きたいと思っている。隔たれてはいるが、どちらも同じ目的のために悩んでいる。
だけれどね、辛い現実ってのは世の中に珍しくなくて、残酷なのだけれど、どんなに高尚で崇高な目的でも志を果たせないことってのは実際にはある。
今、多くの人達がそうならないように祈っているし、行動しようとしている人達だっている。
だが、結果が非常に残念なことになった時、それでも今子供って言われている自分の無念を晴らしたかったら、今の自分を押さえつける大人の中に、愛しているハズの君たちの両親がいたら。
今は自分達の未来の為に沈黙するしか無いかも知れないが、君たちが大人になって、身体も大きく丈夫に育ちあがった時、君たちを押さえつけた大人達の身体は老いさらばえ、身体も弱くなっている。
そして、その大人達や両親が、必ず迎える死の床に伏せた時、
手を握って。
しっかりと目を見つめて。
「あの時、黙ってろって言ったよね。」ってひとことだけ言ってあの世への旅立ちを見送ってやんな。
もし、本当に真実を話したい我が子を押さえつけている両親がいたら、その子が真実を語らなかったら、その先どんなに後悔に苛まれるのか、考えてあげて下さい。
彼らは力はないかもしれませんが、だからといって悪辣な世の現実に屈服もしたくないのだと思います。
あなたのお子さん達は、このような状況下でも何とか人間の高尚さを守ろうと必死になって、今の現実なかで苦しみながらも戦っています。
とても悲しく、とても恐ろしい大きな事件が起きてしまいました。
ですが、こんな事は我が子慈しみ、深く愛することのできる貴方達だって望んでいなかったはずです。
諸事情があって不安があることでしょう。きっと、外部の人間にはわからない理由もあることでしょう。
でもこの子達は、不安を通り越して苦しんでいます。自分自身が引き裂かれている思いの事でしょう。
子供の未来を選択するのは、お子さん自身でありますが、希望を指し示すのは大人達だと思っております。
さらにそれを深い愛情の中で教えることが出来るのはご両親において他はありません。
あなたは、その子が可愛くないのですか? 苦しみを取り除いてあげたいと思わないのですか?
その子の未来がより安泰で、希望にみちていればそれで充分ではないのですか?
人間はたしかに一人では生きてはいけません。ですが、自分の心において間違っていると感じるものに屈服する必要はないと思います。
それは自分の最愛の子を、傷だらけにしてまで守るべきものなのですか?
自分達のお子さんへの深い愛からへの理解をお願いします。
ああ、
実は「いじめ社会」の1と2から「まとめ」でもやろうとしていたが、ちょっとそういう場合ではなさそうだ。
まず 早急に「いじめ対策」の著書をお知らせしておく。
いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」
小寺 やす子
野口 よしみ
情報センター出版局
親御さんやお子さん まず、身を守れ。
これは、MOZ84も持っていた本だ。
さっきニュースで知ったが、埼玉のいじめ自殺裁判は、遺族が敗訴したようだ。
まあ、裁判所なりの色々な理由はあるのだろうが、「納得いかない国民」の中には国からのメッセージとして受け止めている人もいるようだ。
俺もちょっとネットの中を巡って、その被害者の「遺書」といわれている文章も見た。
そして、その被害者が加害者から受け取ったらしい手紙(まあ、手紙というにはお粗末すぎるが)の写真も見た。
大きな文字で「死ね」「はやく死ね」といった内容が書きなぐられていた。まあ、それは新聞に掲載された写真なのだが。
遺書の内容も 「悲しい」の他には俺には思いつかない内容だった。
そして、「死ね」「早く死ね」の文面の紙は、「呆れ」「醜さ」のみ。
恐らく、その書きなぐられた文面は、加害者の「心の形」そのものなのだろう。
だが、判決は「遺族側の敗訴」となった。まあ、賠償などの請求先が国であり、加害者ではなかった部分もあるのかもしれないが、「いじめは懲悪されがたい。」という印象を受けた。
正直、こういったことにより「大津市のいじめ」の件の先行きを暗くしてしまうような、そんな不安感さえ漂ってきた。
「いじめは懲悪」されないのだろうか…
今、ネットの中だけなのかも知れないが、「大津市」に関していえば、加害者の顔写真や本名、加害者が転校した学校、加害者の家といわれている住所、加害者の親族の勤務先、加害者の親の交友関係、などがネットに暴露されているようだ。
噂にきけば、一部の加害者の親の交友関係のなかに「国会議員」もいるようだし、加害者の親戚には元警察官なんかもいるようだ。そういったことまで、挙げられている。
なるほど、お上がやらないのなら、民がその手でもって「制裁」する。そんな感じに見える。まあ、概ねそう見て差し支えなさそうだ。
まあ、司法ってのはどんな時にも、冷静に天秤を平行に保つってのが仕事の一つなのだろうが、根本的に「悪い」ものを「懲罰」するという姿勢がお世辞にも見えない気もする。
そう考えると、やはり「この世の中、神も仏もあったのもではなく、力の強弱のルールなのだな…」とこの世をはかなまずにはいられない。
この世界は平等には出来ていない。そして様々な人間がいるが、大半は「そこまで強い人」ではない。
その事情もまた、様々で「展望をもって一生懸命生きる人」「そうでもないが、今日を一生懸命よき一日にしようと生きる人」「今はこんなもんだが、いずれチャンスがあれば、それに乗ろうとしている人」「現状はよくないが、何かに価値や希望を見出して生きる人「これ以上、悪くならないように必死に生きる人」あげだしたら、キリがないが、共通しているのは、「確かなものではないが、先への希望を目指して一生懸命」に生きていることだ。
だが、「悪をなす者」それを「懲罰できないのか、しないお上」とかそれを「ごまかす有力者」達に随分と足を引っ張られたり、頭から押しつぶされ、埋没させられたりしている。
だが、下にいる「力を持たぬ者」がその是正に立ち上がろうとする、または立ち上がると、またまた「その力」を乱暴に振るって、それを叩き潰そうとする。
昔に聞いたこんな歌があった。「強盗はピストルを持っている。警察もピストルを持っている。二つのピストルの間で板ばさみの俺達」ってのがあった。
本当、こんな感じだ。
神も仏も不在なら、閻魔様にでもすがるしかないのかねえ…
よく、「人でなし、鬼」とかいうが
俺は「人でなし」のことは「亡者」ぐらいにしか思っていない。いや、そうあってほしいと思っている。
鬼ってのはあくまでも地獄の獄卒だとか、鬼神と思ってる。
本当の鬼というのは、「理で以って由し、道を外さぬ」からこそ真に恐ろしいのだ。
だからって、皆の心に「鬼」が住んじまって、どこもかしこも「鬼」しかいないような世の中になっても、生きていて俺は辛い。
皆の心が「鬼」になってしまう前に、「いじめ」もそうだけれど、理不尽なことを一掃できないにしても、その少しでも減らそうっていう努力をしないと、本当に痛々しい傷だらけの世の中になってしまうよ。
この「いじめ」の件では、そんな「鬼」になってしまった人達も実際多いし、これが続くようなら、俺自身だって、いつかは「鬼」になってしまう。
それが叶わないようならね。それでも、「強いもの」に「弱いもの」が理不尽に扱われ続けるのならね、
大人でもそうなんだが、特に子供の場合、この残酷な「いじめ」がのさばっている現実の中を生きざるおえないならね、
今あるものの中で、最も現実的な手段は非常に躊躇してしまうかもしれないが「勇気を出して、逃げる」ことだ。
いいかい、そんな学校やグループにいる必要なんてない。いい大学出たって、結局いい将来を歩んでる人ばかりではないし、どんな輝かしい経歴をもっても、完全に約束された豊かな未来なんてものは殆どない。その瞬間を悔いが残らないように、精一杯生きることしか、人間には出来ないんだから。
今回のこの件は、最終的な部分まで注視しておく必要があるとMOZは感じる。
これは、何かの瀬戸際のような気がしてならない。大袈裟かもしれないが…
人間の脳には、「刑罰与える快感」を感じる性質があるようだ。
というのには、こういった実験がある。
男性が女性に殴られる映像を被験者に見せる。すると、被験者の脳は「不快」を感じる反応を見せた。
だが、次に「実はこの男性は、過去にこの女性に手酷いことをしたのだ」という話を聞かせた上で見せると
「快感」を感じる反応を見せたらしい。
「いじめ」の加害者ってのは「いじめ」て楽しい。「見ていて」楽しい。と感じているのだと思う。
「快感」ほど、人間は貪欲に飽食したがる。
だが、「刑罰」ってのは「制定された秩序」ってのがあっての話なのだが、これは加害者の生活環境や過去の経験、その劣等感コンプレックスによるもだったりするのであろう。
被害者に対して「自己投影」して、それゆえの同族嫌悪だったりすることも考えられる。
まあ、はたから見たら「加害者の手前身勝手な秩序」でしかないのが殆どだろう。
まあ、「自分なりの秩序」の中で、それを犯したらしい被害者を「暴力で刑罰する快感」といったところか。
こういった「快感」に耽溺しているのが「いじめの加害者」ってことなのだろう。
これに関して、言い方を変えれば「変態性嗜好」に溺れるような感じと似ているかも知れない。
実はこの「快感」を得る方法には、人間の営みの中には結構多いのだ。多岐に渡るが、「スポーツで得た勝利の快感」とか「食事した快感」、「感謝された快感」、場合によっては「酒などのアルコールに寄った快感」、「セックスの快感」と挙げ出したら切りはない。
だが、「いじめ」とかこういった陰湿な事でしか「快感」を見出せない人間ってのは、上記したようなものでは満たされないか、生活が充実していないと感じている場合が多いようなイメージがある。
それこそ、コンプレックス故かもしれないし。または、何かしらの事情から上記の事柄で「快感」が得られない場合だって考えられる。例えれば「スポーツや勝負事に弱くて、勝てない」とかね。
人生には往々にして、ままならない事が多いのだが、人間の「強み」というか「長所」の一つとして「価値観」の違い、または「価値観」を変える。べつな物事に「価値観」を見出す。という能力がある。
だが、彼らは残念なことに「自分の内側にある秩序」を乱した者を「処刑する快感」に価値観を見出してしまった。
他の可能性を省みたり試みたりする自由はあったはずなのに、それをせずにその「陰湿な快感」を偏執的に得ようとする。
例えれば、OLの「いじめ」なんかもその類いが多くないかな?
そこに変なエネルギーを費やすなら、真面目に仕事すればいいのに、会社に何しに来ているの?
っていうような感じが多い気がする。
結局、その場合も同じで他に「快感」を見出すことに関して「心を閉ざした」のだと思う。
そういった観点から考えると
「いじめ」の加害者ってのは自らの経験、生活環境、コンプレックスなどから非常に「独善的」な「秩序」を勝手に作り上げ、本来、人間は「同族、同種への理由なき暴行」を「嫌悪」する性質にあるのだが、その「刑罰の妥当性」も考えぬうちに、もの凄い勢いで「それを処刑すべき事例」という潜在的にして、激しい思い込みの中でそれを行動に移し、その「快感」にのめりこんだ結果、エスカレートしていく。
それの初動となりうるのは、「他のことでは快感を得られる自信のない自分の境遇」という構図になるのだろうか。
「いじめ」は「刑罰の快感」の証拠として、加害者達は自分達のしている「いじめ」行為に対して悪びれることもなく、どうかすれば被害者が受ける暴力は当然とすら考えている節もある。
自分が「執行人」のつもりなのだろう。
まあ、「いじめ」の加害者ってのは、こう見ると重篤な精神異常者には間違いがなさそうだ。
それと「他の手段では快感を得る自信のない」弱者の面もあり、そして常習的にその「快感」を貪ろうとする偏執的な面もある。
「劣等感コンプレックスを伴った変質者」なのだろう。
ここもう随分長らくと、「いじめ」ってもんが後を絶たない…。
グロテスクなまでにエスカレートしまくっている…
「いじめは社会の問題」なんてよく聞く。俺もある意味そうだと思っているが、俺の場合はちょっと考え方が違うかもしれない。
俺が思っているのは「大きな社会で起こっていることは、それに内包されている小さな社会にも同様な影響を及ぼす」
という考え方だ。
ちょっと、「いじめ」からはかけ離れるが、
例えれば「育児放棄」なんかもそうだと思っている。「育児放棄」が流行るまえに、何が起こったかというと、不景気の折だったせいか「新卒者」の深刻な就職難だった。
つまり企業は「即戦力しか採用しません」ってなもんだった。それが随分と長らく続いた。求人票を見てもそのほとんどが「経験者求む」の一点張りで、「社会」そのものが「人間を育てる」ことをしなくなった。
以前、知り合いの中小企業の経営者にこんなグチを聞いたことがある。
「即戦力が求められた時代に入社したやつは、先輩に育ててもらってないから、管理職になっても部下の育て方が分からないようだ。何も教えずに、結果ばかり求めようとする。」
そんなことを言っていた。
いうなれば、「社会は育てることをしないかわりに、手をかけずに利を得たい」まあ、そんな風潮が流れたわけだが、では、その「社会」の中にいる「人間の母親」達だけは例外なのだろうか?
MOZはそうは思わない。「社会」の最小単位は「個人」である。その「個人」はその「社会」の影響を多く受けるものなのだ。「育てなくても、自分で育つ」そんな「子供」を潜在的に求めても仕方がないのではないかな?
「家庭」や個々の「職場」は「社会の縮図」なのであるからね。
そんな、なかでも「若手や新人の育成に尽力」した人達もいたことだろうし、現に「子育て」をちゃんとやっている母親もいる。忘れてはならない事実の一つだ。
まあ、ピンとこない人は
「国家が財政難で税率を挙げる。」「庶民は税率を上げられて、家計が火の車」みたいな感じで、「社会」と「個人」の間にある影響の関係性について考えてもらえればね…ちょっと、違う部分もあるが。
まあ、「国家や企業」=「社会」っていうのは一概には違う部分もあるが。
まあ、その「社会は最小単位の個人に同様な影響を及ぼす」という観点から、「いじめ」もまた同様なのだと思う。
まず、この「いじめ」ってのは、理性ある人間の崇高な部分から考えれば、「無くすべき」ことなのだけれども、
「物質的論理」というか…、まあ、MOZが「この世間」を見るときの基盤となっている「諸悪説」から言えば、
その原因や理由がどうであれ、「いじめられること」そのものを悪いというふうに考える。
あくまでも断っておくが、これはMOZ自身が「いじめられる方が悪い」ということを言いたいのではなく、「この世の根っこにあるもの」はある種の「悪」であるからして、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の原理から、その妥当性や正当性の有無に関わらず「弱いもの」はすべて「悪」にされてしまう「現実」を語りたいのだ。
さて、戻ろうか。
この浮世は「弱肉強食」の世界である。「民は皆平等」のはずの「社会主義」の国にだって「弱者は強者に虐げられている現実」がある。
これは自然の法則なのだ。
そして困ったことにこの「弱肉強食」の法則から著しく外れると、得することは極めて少なくなり、不利益を被ることにすらなりかねないのだ。
この法則なくして、まずこの社会は難しいと考えてさしつかえないだろう。
そして、今この瞬間も、多くの「弱き者」たちは「虐げられ」場合によっては「死んでいる」。
この日本でも、多少の差異はあれ、都心でも田舎でも同様な現象は起きている。「強い企業」は「弱い企業」を潰す。「会社にとって利益を生まない弱者」は「リストラ」され、「利益に通ずる能力を持たぬもの」は「無能」扱いされて「失業」したり「就職難」にあえぐ。司法など「裁判」にいたってもそうだ、「勝訴」「敗訴」なんて言葉をならべて、「それなりに力を持たない」と「妥当性が認められない。」「被害が認められない。」場合によっては、「罪に問われない。」最悪だと「冤罪をこうむる。」「冤罪と分かっても誰も謝罪しない。」
こんな感じなのだ。
これらの事って、「いじめ」に結構つながっていると思っている。
まず、「大人の社会」にある「弱肉強食」の原理は、子供に「弱きものは虐げられ、生きてはいけない」こと物語ると同時に、「強きものが、弱きものを手前身勝手に扱っても仕方がない現実」を教える。
いいかい、もう一度言うぜ「大きな社会に起こることは、最小単位の個人にも同様の影響を及ぼす」
「育てぬ社会」が「育児放棄」を生んだように、「弱肉強食の社会」が「いじめ」を生んだ。
正直、この「いじめ」ってのはこの現代に急に始まった話ではない。
「特定の人種を迫害する」「特定の人種をジェノサイドする」「意にそぐわない他国を武力でねじ伏せる」「およそ助けても利益とならない国や人種を見殺す」「独裁体制に反対する国民を粛清する」
これらのことは歴史に多く見られるし、昨今、世間を騒がせている「いじめ」のような規模のものだって、昔からあったと思う。「村八分」なんて言葉もあるくらいだしな。
そして共通しているものは、「弱肉強食」の原理だ。
それでいても「罪に問われることがなかった」のはそれが「強い」からであり、「苦しむ結果」となったのは「弱い」からだと思っている。
「強い企業」が国民や消費者が許さぬような不祥事を働いて、「悪い」と認められたのは、俺は「正義の有無」がそこにあったとは思ってはいない。
「不祥事がばれた」瞬間にその「強い企業」は「世間的な立場上、弱くなった」だけだと思っている。
なにせ「正義」の観点から考えてみて、「およそその企業が悪い」場合でもお咎めなしに生きている連中もおおいでしょ? あれは端的に言えば「それらは、その瞬間においても強かった」からだと考えている。
簡単に言えば「力こそ正義」で、「強い」から「正義」であり、「弱い」から「悪」という社会構造なのだと思う。
それでいて、「社会の最小単位」でとりわけもっと細かな存在の「子供」が同様なことをし始めない道理はない。
まあ、あくまでも俺の「諸悪説的世界観」なのだがね。
にしても、こういう「好ましくない現実」の中で「弱肉強食ゲーム」に興じ続ける大人達を何とかしないで、「子供のいじめ」を無くすってのは効率的でもないし、非常に困難を極めるところだろう。
まず、「いじめ」そのものが持つ性質として、「やめさせがたい」っていう部分があるのだからね。
「諸悪説」観点から言わせて貰えば、この「弱肉強食の社会」を続行のまま、「いじめ」を無くしたいのなら、「いじめ」の加害者に「厳罰」を与えることだと思う。
こういう、「力の原理」の中で何かをコントロールする際は、「恐怖と苦痛」がもっとも効率的な手段だと思っている。
だが、「力がもの言う」構造のなかでは、そういった「ルール」もいとも簡単になし崩しになってしまう現状があるがね。
「その力で以って、その刑罰を逃れる」のだから。現にあるでしょ?そういうことも。
「諸悪説」の観点から言えば、「力に傾倒する社会構造のなかではいじめは起きて当然だし、懲悪することも困難。」ってなトコだな。
さて、今度は別なほうから見てみようか。まあ、その前にコーヒー・ブレイクだ。
どんな時も心のゆとりを忘れてはならない。
しつこくてすまんな。
だが、ちょっと思ったことがある。
大津市の中学2年生が自殺した事件についてね。
まあ、その少年は加害者にいじめられたわけだが、それを学校は相手にしなかったようだし、警察も被害届を受理しなかった、教育委員会もこの体たらくぶり、
これは、あれだな、加害者のみならず、大津市の行政や司法も一緒になって、まだ大人でもない中学2年生のその少年をいじめたのと同等だよな。
ああ、司法や行政までも子供をいじめ殺す、そんな時代になったか…。いや、明るみにでなかっただけで、元からこういうなのかもな…
一応ね、聞いた話を伝えておく。まず、誰かに暴行を受けたら、病院で医師の診察を受けること。「殴られた、ここが痛む」とか「暴行を受けて、怪我をした。」という旨をはなしてね。そして、医師の診断書を貰ってくること。そして、その診断書をもって、警察に被害届を出しにいくこと。
でないと、警察は動きません。いわゆる、第三者であるところの医師が書類として残している、という事実もあるのか、警察はこれで動かざるをおえないようだ。
諸君、絶対に忘れんなよ!!
んで、続き↓
熱狂と情熱が雨を呼ぶのだ…
いやあ、長々と長文を書いたもんだな。
それ読破した諸君、大変ご苦労であった。まあ、今日はさら~と、俺の心に残った言葉でも載せるとしよう。
「人生(LIFE)には、もし(IF)がある。」
映画 地獄の黙示録 マーロン・ブランド演じる カーツ大佐
「私はヒゲソリ用の石鹸とシャワー用の石鹸を使い分けない。人生が複雑になるからだ。」
アルバート・アインシュタイン
「神はサイコロをふらない。」
アルバート・アインシュタイン 確か…
「いい事を思えば、いい事がきます。悪を求めれば悪がやってきます。」
著作 マーフィーの法則 マーフィー博士
「向こう岸まで橋をかけようとするなら、手順を細分割してクリアしていくことだ。」
ナポレオン・ヒル
「私がハーレーが好きな理由は、工員がハーレーの刺青を腕に入れ、親子二代に渡って働いているのを見た。
その親子が会社に絶対的な信頼を置いている証だからだ。」
釣りバカ日誌 すーさん
「もし、世界の平和を願うのなら、今すぐに家にいって家のことをしなさい。」
マザー・テレサ
「君よ、俺で変われ」
筋肉少女帯 大槻ケンヂ
「一流品の条件は、安価、単純明快、即効性だ。」
ゲッペルス 確か…
「戦場で、誰が死んで、誰が生き残るか…誰にも決められない。」
ブラック・ホーク・ダウン
「常識を軽んじるやつには、大したものを創れない。」
志村けん
「賞賛を受けるより好んで忠告を受けよ」
ポワロー
「今日はバナナ・フィッシュにはうってつけの日さ」
小説 バナナ・フィッシュにうってつけの日 サリンジャー
「皆さんは、大概は蟹なのですよ。」
小説 猿蟹合戦 芥川龍之介 話の前後が必要だな。
「リンゴの味は食べてみないと分からない。」
著作 マーフィーの法則 マーフィー博士
「自ら酒場のドアを開くものは大成しえない」
カーネギー
「あまりにも科学に傾倒すると、性交渉の低年齢化を招く」
アドルフ・ヒトラー
「学校において、教師に自分の存在を悟られてはならない」
著作 マーフィーの法則
「自転車で上り坂を上がる時、必ず向かい風が吹く」
著作 マーフィーの法則
「カーペットにバターをこぼす確率は、そのカーペットを買った値段に比例する。」
著作 マーフィーの法則
「もう寝ちまえ、寝て起きれば別の日だ。」
漫画 百日紅 杉浦日向子
「いくら座禅をしても、GDPに貢献はしない。」
どっかのお坊さん
「男は最初の男であることを望み、女は最後の女であることを望む」
オスカー・ワイルド
「生きるべきか、死ぬべきか…決めかねてるから、ダラダラ生きている」
どっかの誰か
「人類にとっては大きな一歩だが、俺にとっては小さな一歩だ。」
月に二番目に行った宇宙飛行士の誰か
「祈っても無駄だ、結局そういうもんさ」
プライマル・スクリーム ボビー・ギレスピー
「敵を保全したまま、こちらが敗れるのは愚かである。敵を壊滅しこちらも犠牲をはらいながら勝つのも愚かである。敵を壊滅し、こちらは保全したまま勝つのも愚かである。敵を保全し、こちらも保全したまま勝つのが最善である。」
兵法 孫子
「上善は水の如し」
老子 確か
「罪なき者が石を投げろ」
聖書 確か
個展の絵 6枚目にして、MOZ84のインスピレーションは限界を迎えた…
今回の個展の絵は6枚目でとりあえずのオフィシャル・エンドとあいなった…
Xanadu展(MOZ84の個展)
場所 喫茶店 クラムボン
住所 岩手県盛岡市紺屋町5-33
期間 7月16日 月曜日 ~ 7月28日 土曜日
時間 Open 10:00 ~ Close 19:00
日曜日は定休日です
よろしくお願いいたします。
しかし、まあ。
こうねえ、「いじめ」ってのは凄まじいもんだよねえ。
それが発覚してもなお、周囲の大人はこの調子の体たらくぶりだしね。
いじめられてる張本人としては、「いじめっこ」だけではなく、親身に対応しない「大人たち」にすらいじめられてる気分にもなるだろうね。それが、延いては「この世間」にいじめられてる気分にもなってしまってねえ。
んで、「世間は正しい」って論点から、「自分が大きく間違ってる」とか思うようになってしまって
そんで、「孤立」しちゃって、「孤独」になって。
周囲の「大人たち」は「保身」のために、「事実はない」とか隠したり、ごまかしたり、酷い場合だと、「いじめられている子」に「口外するな」とか「転校しろ」と迫る。
ほんと、もう神も仏もあったもんじゃないよ。
正義の司法も動かないときたら、その子は本当に「自殺」しか逃げる道は選べんよなあ…
誰も味方は不在なんだもの。「家族」がいるっていってもその「家族」だって小市民なら、出来ることは本当に限られている…。
ああ、遠山の金さん や 桃太郎侍 はいないのだなあ…
じゃあね、せめて俺がその子供達に言えることってのはね。
「学校にいかない人生だってあるんだ。」ってことだな。
だけどもね、本当この言葉には現実感はないし、絵空事な理想論でしかない気もしている。
学校に行くことが「全う」で、そうでない場合は「落伍者」ってなイメージがある。
でも、こういう「いじめ」とかハラスメントがはびこっている場所に、行き続けるってのは「健全」なのだろうか?
所詮、学校に限らず どんな組織でもね。「上の人間に好ましく、例え黒でも上が白と言ったら、はい白です。って返事する奴のことを健全な精神の若者」っていう場合が殆どなのさ。
残念ながら「世間知らず集団」と揶揄されてしまう教育機関もそういう場合が殆どでね。
だって、考えてもみなよ。「高校」出て「大学」出て「教師」になって「学校」に戻ってくる。つまりは、学校から一歩も出たことのない人達が多いこと 多いこと…
それによって、見当違いなことを平気でやったりしてねえ。見ているこっちは呆れすぎて、出る言葉も失うよ。
でねえ、こういう「非常識がまかり通る場所」に行き続けることが「健全」ってのは、酷く矛盾した話だと思うのよ。
逆に「これはおかしい」って思った教師は、煙たがられて、非常に仕事のしずらい状況に追い込まれたりね。
はっきりいってそんな所に通うのが「健全」なんて笑止千万だよ。
けれどね、「学校にいかない事」を選択できないのは、この世にその実例が極めて少なくて
あまりにも突飛な発想のように思えるからに他ならないからだと思うのよ。
本当であれば、「えらい人」って呼ばれる人達が彼らのような子供達を救うための受け皿を作るべきなのだけれど、今ひとつ効果的なものは見えてこないし、その姿勢に熱意も感じられない。ただ、ただ、パフォーマンスをしているようにしか見えない。
じゃあ、誰がやるべきなのかってえと、「市井において酸いも甘いも知り尽くした、人の痛みのいくつかが分かる人間」ってことになる。俺達、一般人だな。
「教育機関」にも「えらい人達」にもそれが望めない以上、自衛隊ではないけれども、「一般人が最後の砦」なのではないかな?
「人の痛みの分かる多くの人間」たちがその受け皿になるしかないのかな。
それぞれの分野から、それぞれのやり方ってもんでな。
正直、自分の生活もあるし、そんなものにかまけてもいられる時間がないのも分かっているがね。
でも、現実として「本当にやらなきゃならない立場の人間」がその「責任」をほっぽりだしているこの現実のなかでね、「救わなくてはならない子供の人生」って切実な問題が差し迫っている以上は、その「負担」は誰かが背負うハメになるのは仕方ないことなのかも知れないね。
「その子の家庭があるだろ」って意見もあるだろうが、「家庭」だけでは行き届かないから「学校」ってもんに行かせるのだろう?
「その子が家族にも相談できなかった」場合はどうだろうか?
まあ、そういった子供に一日ついて、勉強を教えたり、何かを教えることは時間的に非常に難しいの事実だろう。
だけれどね、もし周りにそんな子供がいたら、周囲の大人達、地域の大人達、1日の中の10分の1いや半日の10分の1でもいいから、彼らに力を貸してやってほしい。それがダメならせめて、「彼らのよき人生」を祈ってほしいと思う。
最近になって、そういったNPOが出来始めているみたいだし、スクール・カウンセラーなんていう、俺にはちょっと聞き慣れない職業も出てきたようだ。
もし、これを読んでいる君が「いじめ」や何かの理由で「学校にいきたくない」のなら、相談してみるといい。
こういった活動をしている大人達もこういった子供がいたら、最大限に力を振るってほしいと 俺からもお願いするよ。そういう「子供」が「自分にも味方がいる」って安心させてほしい。
単なる絵描きの端くれで、人にはあまり言えないような下世話な職業もやってきた、生まれもそれほど良くないし、心理学者でも教師でもカウンセラーでも何でもない俺も、「不登校」の奴や「両親との折り合いの会わない」奴や、「将来に悩んでいる」奴と「これぞ、答え」っていうようなアドバイスは出来なくても、一緒になって頭を悩ますくらいはした。恐らく、これからも多少はあるかも知れない。
「子供はこの国の宝」って言っておきながら、その「子供の自殺」を見過ごしてきたのがこの国のトップなのだから、もう、こんな奴らには何も期待はできねえぜ。ま、してないだろうけれどね。
「学校」に味方はなく、「家族」にも相談できず、そして「大きな権力」たる「機関」にもはね付けられて、泣く泣く、自身の首にロープを巻く子供達。
こういう世の中なら、変な組織に入っちゃって、街中で毒ガスばら撒くような人間を創り上げても仕方ないぜ。
まあ、昔よく読んでいた「軍隊の教則本」みたいなやつに暑さ対策が載っていたので、思いだせる限りの方法と、それに付随して工事現場で学んだことを書いておこうか。まあ、その都度の場合に合わせて参考にしてくれ給え。
水編
念頭に置くべきは、飲み水を節約するのではなく、出る汗を節約すること
具体的に言えば「家に帰るまでは汗をあまり拭かないほうがいい」のだ。
理由は、皮膚の表面が濡れていれば、汗はあまり出てこないらしい。それを拭いてしまうと、不用意に体内の水分を外に放出する結果となり、脱水症状の原因となる。MOZ84は仕事前は、制服の下に着ているシャツを水で濡らしている。
水は余るくらいでも可能な限り持つこと
水を飲む時は、一気に大量に飲まず、味わうように飲むこと
これは、熱くなった所に急に水を飲むと、胃ケイレンの原因にもなる。
欲を言えば、冷水も避けたほうがいいようだ。飲むなら多少、ぬるい水のほうがいいらしい。と、いうのは身体が水分を吸収する場合、一度その胃の中に入った水を吸収しやすい温度に上げてからでないと、できないらしく、水が冷たければ冷たいほど、体力を消費するらしい。
塩や塩アメ、いわゆる塩の錠剤を携帯すること。塩分をとること
汗をかくことによって、体内の塩化ナトリウムも不足し、本当かどうかは分からないが、大量に水ばかり飲んでいると血液が薄まって、具合が悪くなる。
日光編
まず、目だ。
サングラスをかけること
外での仕事が多いMOZ84はサングラスをかけたいと思っているのだが、そこはやはり日本。仕事中のサングラスの着用は禁止されています。夏場くらいかけさせてくれよ!!
一応、サングラスをかけなかった俺の症状。
しばらく、目が焼けて痛む
目が暗みがち
ちょっとした煙がしみすぎて、涙が止まらず
まあ、視力が悪くなりそうだな…。目は守れ!!
日陰を探して、そこを重点的に歩く、もしくは立つこと
なるべく、日光に身をさらすな。おれ自身思うのだが、「夏」ってのは「冬」と同じくらい四季のなかで極端に「危険をはらんだ季節」だと思っている。「雪」のように行動を阻害する目に見える障害がないせいか、あまりそういう所にピンと来ないかも知れないが、過度に強い日光という天敵がいることをお忘れなさるな。
いいかい? 日光も放射線なんだぜ。太陽ってのは「核反応」を起こして燃えてるのだ。侮ってはいけない。
強い日光を見るな
この時期、太陽や強い日光を目の保護なしに拝もうなんざ言語道断。もう一度いうぞ、目は守れ!!
それと、反射してくる日光だ。これを読んでいるそこのダンナ、あんたが「ああ、光が反射してるな」って思った瞬間、既にあんたは「反射光」に直撃されてんのよ!!
駐車場に長く居座るな
なぜって、これは経験から言うが、駐車場は「反射してくる日光」の宝庫といっても差し支えかなろう。駐車されている車のフロントガラスやら車体やらが降り注ぐ日光を四方八方に反射しやがる。「日焼けマニア」は水を携行の上、自己責任でどうぞ。高い金はらって「日焼けサロン」いくよりも安上がりではなかろうか?地面が舗装されたコンクリート作りなら、下からも反射して申し分なしかね?
舗装された所は極力避けろ
この文明社会、コンクリートの近くを通るなと言う、俺に無理があるのは承知だが、一応言っとく。
このコンクリート舗装、結構ギラギラと反射してくるぜ。一応、頭の片隅にね…。
まあ、単純にまぶしいと感じたら、かなりの日光を浴びているという考えのもとに行動を。
まあ、補足しておくが熱い日にアスファルトやコンクリートの上に立つと、その舗装面からかなりの日光や反射熱を浴びることになる。上から下からの猛攻撃である。しかもである、こういった舗装面に立っていると靴の中が熱くなってくる。極端に言えば、熱した鉄板の上に立っているようなもんだ。もし、実感がわかない場合は、手で舗装面を触ってみるといい、場合によっては火傷するぐらい熱いから注意してね。
肌をあまり日光にさらすな
これは、湿度の多い日本みたいな地域にはなかなかに馴染まない話かもしれないが、強い日光が降り注ぐ場所ほど、肌はさらさないほうがいい。薄手の長袖を着用し、日光が弱まった所で脱ぐのだ。
なんにせよ、「過度の日焼け」は身体のダメージになっちまう。「厳しい夏」は如何に体力を温存するかの修羅場なのだ。湿度が高い場合も、長袖着用とそうでない場合の体感温度は大して変わりが無い気がする。まあ、限度ってもんはあるだろうがね。その場合、長袖の下に保冷材でも忍ばせておけばいい。
後頭部を守れ
後頭部を布か何かで覆って守れ。脳みそが沸騰するぞ!!
裸体に水をかぶるな
まあ、海水浴はそれありきだから、しょうがないし日常ではないから由とするが、日常でそんなマネをするとエライことになる。裸体に水をかぶって、直射日光を浴びたら、すさまじく日焼けするぞ。あっという間に丸コゲだ!!
熱編
まず、日光そのものに「温度を上げる」エネルギーがあると考えてくれ。日光から避難だ。
湿度に低いカラッとした日は、日陰に入ったりして日光を避ければいいだろうが、湿度が高いとそうはいかない。
湿気はかなり曲者で、暑さをひとしお高く感じさせるし、なにぶん保温効果も抜群というこの時期にはありがたくない側面を持っている。それにつけ加えて、日光とは違い入る隙間があれば、所構わず侵入してくる厄介者だ。
湿気からは逃れられないのだ。
氷や保冷材でもって冷やす
冷やすといってもエアコンが効いた部屋のように全身「ヒヤー」とはいかないもんだ。あくまでも、身体を流れる血液やらリンパやらを冷やすという発想に近いかな?
「冷やすポイント」が肝心だ。まず、「首」「両脇」「股間あたりの足の付けね」まあ、リンパの辺りという話だが、分かりずらい場合は、「太くて重要な血管がある場所」と記憶すればいいんじゃないか?
まあ、「首」「脇」「股関節」なんかは刀で斬られたら、まず助からない場所だな。
通気性を良くする
こいつは、日光編の話とは矛盾する点があるが、天気がすこぶる悪く、湿度が高い日なら半そでなんかでも構わないだろう。長袖の意義とは「日光」からのガードなのだ。
天気が良く、湿度の高い日は、長袖と保冷材の作戦でいきましょ。他にいい思案が出るまでね。
水をまく
正直、科学的根拠については、俺には分からないが、家の前や窓の外の下に水をまくのだ。それによって多少の温度差が発生するらしい。温度差が発生するということは? 多少の風が起きるという寸法だ。
MOZ84はこの魔法でもって、風を創るのだ。
喫煙は控えろ
これはMOZだけかもしれないが、熱い中、タバコを吸うとその炎と煙が持つ熱で、さらに熱くなる気がする。
そして、しばらく、体温が上がったような感じがして、ことさら熱く感じるのだ。まあ、喫煙によって血管が縮み、体温が下がって、外気をさらに熱く感じているのかな?と思っているが、原因については分からない。
まあ、結果論として、「さらに熱さが増すからよしとけ」ってなとこだ。喫煙は涼しいところでどうじょ。
それでいかんともし難かったら、宇宙服で勝負だ
気にしないでくれ。
それと、まあ「冬」もそうなんだが、「夏」も体力の温存が勝負だ。出来る限り温存し、できる限り回復に努めるのだ。
正直、熱い時間帯は日陰に入って涼を取りながら昼寝でもしているほうがいい。行動は日没後だな。
基本的に軍隊の砂漠戦でもそんな感じらしい。まあ、例外もあろうが。
砂漠や灼熱地域に生きる動物なんかもそんな感じらしいぜ。基本は、熱い昼間はあまり動かずに、夜に行動するものが多いようだ。
イスラム教なんかでは、午後2時は「休息の時間」という戒律?かな? そういうものがあって、午後2時から1時間ほど昼寝したり、休んだりするらしい。やはり砂漠や荒野で派生したらしい宗教だな。
こういう異文化の知恵や、自然の知恵、歴史の知恵を応用してこそ、人間の文明文化。「冬」なら厚着とか暖を取るなどの対応策もあろうが、「夏」はもう最後の最後には脱ぎようはないし、「熱いから昼間は動かない」という動物の知恵はまかり通らないのが現状だ。でも、「小休止をこまめに取る」とか多少の工夫は許されるはずだ。
そこを無理を通して、「熱中症」なんかにかかって「不調者」を続出させたり、手当てが遅れて「死人」の何人かを出そうものなら、かえって大損ではありませんか? サングラスに市民権を!!
いや~。諸々の税金が上がるネエ。
なんだか「復興税」ってのも始まるみたいだねえ。
まあ、とりあえず被災した県にの県民でありながら、俺はちょっと懐疑的なのよ。まあ、税金自体上がるのも、随分と懐の痛むことなのだが…
まあ、「復興税」に関していえばね。まあ、俺はニュースを最近見ていないモンだから、不足した情報ってのもあるのかもしれないが、
この「復興税」を取るに差しあたって、なにを以ってして「復興完結」とするのだろうか?
これが定まっているのだろうか?
例えれば、実際に「復興完結」といっても差し支えないようなぐらいに、元通りになったとしても、税金を取る側が「まだ不十分です。」なんて言い出したら、ズルズルと税金を取られかねないよなあ。
そんなことになったら、被災した県民でありながら、俺は「なんだか、日本国民に迷惑かけているよなあ。被災して本当にスマン。落ちぶれてスマン。」って気分にもなるな…。
正直、ただでさえこの「復興税」に関しては、「ご負担おかけして、すみません。」っておれ自身は思ってるしな。
でもね、これって本当、「完結後」もズルズルと取らねかねない部分があると思うよ。
可能性としては「完結後」はこの「復興税」は「災害対策費用にあてる税金」という名目に変えるかもしれないしね。
んでもって、この「復興税」が本当に「被災地域」のためにどの位使われるのかな?ってのがある。
なにせこの国のお上には「年金」っていう前科がある。
たまった金でまた、わけがわからなくて、その上、さして利用もされない建造物おったてたり、闇にどのくらいの金が消え去っていくのか分かったもんじゃない…。
それでいて、「予想以上に復興は遅れています」とか何とか言ったりして、そりゃあ、そうだろ…
それとアレだネエ、「東京電力」さんへの「賠償を支援するお金」にもなるのではないかな?
「国民みんなで生活を犠牲にして、東京電力につとめる職員さん達の生活を守るために、東京電力さんも救済しよう!!キャンペーン」ってもんにもなりかねんよなあ。
まあ、「東京電力の賠償」の費用にもあてられるのは往々にして考えられる。
もっと穿った考え方をすれば「大震災」が「長い機関税金を取る」口実になりはしないだろうか、と心配も出てくる。
それに付け加えて、また消費税だとか諸々の税金も上がるようだな。
この間、テレビでちょっと見たが、政治屋さんの「埋蔵金」のありかってのは、「国民」だって話らしいぜ。
つまりは、「金が必要な時」は「税金」を上げるなりなんなりすれば、「国民」は文句をいいながらも最終的には愚直なまでにも「支払う」からだそうだ。
確かにな、それは言えてるかもしれない。
それを思うと、「政治屋」の意識改革よりも「国民」の意志改革をしたほうがいいんじゃね? って俺は感じた。
まあ、ある意味「政治屋」は「意識改革した国民」は非常に困りものだと思うがね…
まあ、そんなこと言うと、俺がまるで「啓蒙主義者」に聞こえるかもしれないけれどね。
しかしねえ、この「悪いお上に対しても愚直な意識」ってのは、これはさすがに「政治屋」の責任ではないと思うのよ。
俺達自身の責任だと思ってる。だからね、「次の世代の行く末のため」に「政治屋」にその多くを任せるってのは、今やナンセンスなんじゃないかな?
やっぱり、その次世代へのファンデーションたる存在ってのは、俺達国民だと思うのよ。
きっと、みんな 分かってるハズさ。
「政治屋」の存在ってのは、これもやはり必要なの、「その道のスペシャリスト」として「現状」と「展望」と「予想」の上に「是非」を決定するの。
国民主体とはいえね、様々な人間がいてね必ずしもその「意向」が「現状」と照らし合わせた時に「いいタイミング」ばかりではないしね。
それをバランスよく「調整」するのが政治屋の仕事だと思ってる。「国民をコントロール」するのではなくてね。
だが、今の現状そうではない、ご覧のとおりの体たらくぶりだ。
政治屋は「国民の現状を想像できない」し、「あまりにも国民を軽んじて無礼に扱い」すぎた。
国民も国民でね、「政治屋を躾け不足」が過ぎたし、「言う事をあまりにも聞き」過ぎた。
なぜ、だろね?
まあ、俺は「この国民」の体質ってのは、最近に始まった話ではないと思うのよ。
まあ、随分昔からじゃないかな? 江戸時代あたりかな?
江戸の庶民が「お上」に対して言う事と、その態度姿勢ってのは、随分と時間の経った現代においてもそう変わってないと思うのよ。俺はね…。
いうなれば「文句は言うくせに、従順に従う扱いやすい国民」になってしまったのは、今に始まったことじゃあないのよ。
「国家に頭から押さえつけられて、圧政に苦しんでいるらしい、中国や北朝鮮の国民」を俺達がどうこう言える義理なんかないと俺は思ってる。精々が「程度の差」だけなモンで所詮「50歩100歩」の「ドングリの背比べ」みたいなもんじゃないかな?
まあ、日本の場合はね「国民が何か」を勝ち取った歴史ってのは、非常に少ないと思ってる。
国の体制が変わった時、それは「国民の手」によるもではないことが殆どじゃないかね?
まあ、全く無いわけでもないだろうがね。
でも、聞く所によると 現在に通じている戦後の国家体制を創ったのは誰だ? 天皇さん? 日本の政治屋さん?
国民? 違うようだ。アメリカの統合参謀本部 いわゆるGHQらしいな。
俺の記憶に間違いがなければ、イギリス、フランスは国民が人権を勝ち取ったとか…。
アメリカは入植者が独立を勝ち取ったらしい…。
よく人はいう。「外国は外国だ。ここは日本だ。」なるほど、では長いものに巻かれまくり、お上の為に下のものが犠牲になり続ける歴史をこの先も続けて行くことを希望 または、覚悟しているのだね?
と思う。なにせこの国は「君に忠」が美徳の国だ。殿のためなら、自分はおろか、その息子も殺しかねない人間が誉だった過去があるのだ。
いつまでたっても「神風アタック」な国でいたいのかな?
さて、「国民の団結」ってのが国を変える要となるのだが、この手の言葉に人は非常にアレルギーを起こす。
まあ、これは一重に 「赤軍派」とか「学生運動」が昨今の原因ではないかな? と俺は思うのだが、もしそういうイメージを持ち続けるなら、そのイメージを捨て去ったほうがいい。まあ、「赤軍派」だとかには、多くの責任はあるがね。
「必要に応じて団結し、それが終わったら元の生活に戻る」のスタンスを守ればいいだけで、「活動」自体を「目的」としなければいいだけだ。
「何も言う事を聞かない国民」も考えものだが、「扱いやすい国民」のままでいるのは自分達だけじゃなくてね、次の世代も犠牲にするよ。
お宅の可愛い 息子さん や 娘さん に 自分も味わったからといって、同じような 悪ければもっとひどい苦しみを味あわせたいですか?
俺は密かに そして ささやかかもしれないが、「労働者」として「芸術家の端くれ」として、何をすべきか考えている。いや、俺も考えなきゃならんなあ。
まあ、今日は絵を二つ同時進行で描いていた。まあ、バックの背景を塗っただけなのだが、主題に関してはそうだなあ、明日にするかな。
それと今日あった事といえば、仕事中のこと
坂道にエンジンを付けっぱなしのままの運転手不在の2トンダンプが急に坂道を下り始め、あわててMOZ84がダンプのドアを開けてブレーキを踏むというハプニングがあった程度だな。
個展の絵をそうだな できれば後、6枚ぐらい頑張ってみるかな。
そろそろ天使の絵も描かなきゃならんなあ。
モデルをどうしたもんか、考え中…
♪ポロロ~ン♪