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特に俺には関係ないがアフィリエイトっての?

まあ、アフィリエイト広告とかってのがあるな
俺もユーチューブの動画とか見るのだが

俺自身は今のところ動画配信もアフィリエイト広告も
やってないから、直接的には関係ないのだが

まあ、動画の広告かね

ちょいと、気づいたのだがこれらの広告には
見たくなるような面白い広告やそうでもない
広告がある。

面白い広告に関しては最後まで見てしまう。
そうでもないものは途中で消してしまうのだが、

こういう動画の広告のシステムってのは
最後まで見てもらってはじめて広告料が発生して
動画を作った主の収益になるのかね?

スポンサーとしては、人気の高い動画を選定して
広告主となるというのが、普通だろうけれど

動画を作った主としては、その広告に自分の作成した
動画を呼び水として、まあ広告スペースとして
貸しているわけだ。

通常、広告スペースというのは実際に貸しているだけで
料金が発生しているのだが、

もし

広告スペースを貸している上で、
最後まで広告を見てもらった時点で広告料を
払うとしたならば、

動画をアップしている主達としては、
最後まで見てもらえるような広告作りを要求してもいいんじゃないかね?
と思う。

こっちの収益に結び付く、面白く広告内容と乖離しすぎていない
良質な広告を作れよ!!ってね。

動画も広告も併せて見ているこちら側としてはさ、
広告も面白くなきゃ見ねえんだよ。

って俺個人的にはそう思っている。

ちょっと、思ったのよ。

この動画は人気がないから広告しても意味がないってスポンサー側がそう考えるのは当然かもしれないけれど、

動画を作った主としては、広告スペースと時間を貸しているわけでしょ?貸しているだけで収益につながっているのならば、別に当の広告が面白かろうがつまらないものだろうが、構わないかもしれないが、
最後まで広告を見てもらわないと収益につながらないのであれば、つまらない広告流されている時間って金銭的にもったいなくない?時間ってのは限られてんだよね。

最後まで見てもらえる良質な広告を10回と見てもらえない広告10回じゃ、かなりの差があるんじゃないかな?

製品やサービス、広告も「良品は自らを宣伝する」って、あると思う。

良質な広告ならば、最後まで見てもらえる確率が上がると思うし、双方をハッピーじゃないかね?

見てもらえない広告ってのは、それが載っている動画が悪いのではなくて、
広告そのものがつまらない。

少なくとも俺はそうだ。

そもそも、興味の沸かない動画を検索したり、見ようとしたりはしないわけだが、
動画の広告ってのは「所構わず」なわけだ。
じゃあ、見てもらえる広告かどうかは、広告を作っているスポンサーの責任なわけだ。

しかし、その観点から考えると、
「CMが終わったら動画が再生されます」っていう強制的に広告を見せられるアレなのだが、
まあ、最後まで見てもらえるのだからそれは良いかもしれないが、
途中で消すことができないよう強制的に見せなくてはいけないほど
よほど、自分たちの作る広告に自信がないのだろうか?っと思ってしまうよ。

とりあえず、ふと思ったこと

砂の惑星

ま、聞いてみてくれ。これは、まあ初音ミクだな。

これを聞いた時、なんかキリストをふと思い出した。
なんか、こうこの世に転生したキリストの弟子が、かつてキリストだった奴を探して乱世の砂漠の世界をさまよっているような。
そんな歌だな。

ついでだから、

みんなみくみくにしてあげる♪
ついでのついで
MicMicと言ってくれ

今日な特に何もテーマなんてないのよ。
今年の年行行事もクリスマスを残すだけとなったので、それ関連のうたでも

I don't know how to love him

Nobody Knows

CHRIST SUPERSTAR

こんなとこか

今年の身の回り

去年の後半あたりからだろうか、
なんだか目について仕方がないことがある。

それを語るには、まず俺の過去から話していくことになるのだが、

俺はどうも、悪目立ちする質のようで、随分と周囲から「誠実さ」「忠実さ」「モラル」「精密さ」「丁寧さ」「速さ」「完璧さ」
を求められた。

20代初期の俺はといえば、そんな毎日だったもんだから「自分はこの世界では重篤なほどの役立たずで、人間として外れているらしい。」と考えていた。
それは逆に言うと、「そのような指摘をしてくるあなた方は、当然それが出来ているのだろう」という考えかたでもあった。

とはいえ、自他共に「正しさ」や「間違い」ってのは、非常に曖昧に感じるものだ。

「自分が悪かったのかなぁ」「あいつが概ね悪いと思うのだが、もしかしたらそれは自分の思い違いかもしれない」

そんな感じで白黒明確に付けるのは、非常に困難なはずだった。

ところが…

去年のあたりからだろうか…

こう言ってはなんだが、

最近、振れ幅が大きくなったのか

これは、どう見ても「おかしいでしょ?」というような事が起こってる。
あるいは、「なに?そんな事もできてないの!?」
ってな事が起きていたり、
過去俺に鬼の首を取ったかのように、指摘してきた奴が、あっさりと俺に投げかけた言葉と同じことをしていたり。

あれ、世の中ってこんなに分かりやすいほどいい加減だったかな?
って思うことがやけに目につくようになった。

こう、何というか、世の中のいい加減さって、
もう少し、奥にあって、見えそうで見えなくて、こんなにあからさまではなくて、少しは慎み深さが
あったような
そんなもんだったと思う。

それとも、俺が周囲から過度に言われすぎているうちに俺の世の見方のほうが、成長しすぎてしまったのかもしれないが、
まあ、それは可能性としてはそう高くはないな。

なんか、こう言ってはなんだが、身近なところを見ると

世の中が逆さになった?

って聞きたくなるような、そんな感じのことが
今年は多かった。

俺個人のレベルでのことを言えば、

過去、俺に厳しく指摘や、物事を追求してきた連中が
驚くほどに上手くいかなくなっているようで、反面の俺は最近は大変なこともあるが、今まで図らずも積み重ねてきたことが、実を結び始めたり、意外と自分は出来ると気づかされたり、まあ、毎日とは言わずとも、
毎週、幸福ですな。面白いことばかりで人生で暇してらんない。そんな感じだ。

だが、しつこい様だが、
俺に随分な指摘をしてきた連中はこの期に及んで、上手くいってない。不思議だなと感じている。
まあ、普通に考えれば

恐らく、彼らにはブレーキがなかったのだろう。ブレーキがないもんだから、そのままカーブに突っ込んだだけの話なのだろう。

そんで、俺は周囲からの手厳しい指摘を受け続けた結果、矛盾点を見出す力や慎重さ、判断力が少しは鍛えられただけであろう。

とはいえ、一人二人が偶発的に上手くいってない状況ならば、単なる偶然と一蹴もできるが、同時多発的だ。
これが、なんだか不思議でしょうがない。

まあ、何言いてえか分からなくなってきたけれど、

若い方々に一言、お節介なようだが、
世の中ってのは、一辺倒でいい加減な部分が多いんですよ。
そんで、あなた方が思っているほど、合理的でも理性的でも冷静でもないんですよ。
だから、そう気負わず、気に病まず、懐を深くして毎日を生きなさい。
どんな事言われても、どんな結果になっても、どんな状況に叩き込まれても、
心の底から笑ってる奴っていられる奴ってのが、無敵なんですよ。

本当、最近頭のネジが吹っ飛んでるのか、支離滅裂ですまんね。

因みになのだが、「世の中逆さになった?」とか感じているのは、どうも俺だけではないらしいことが、最近分かった。
俺の上司も「世の中ってこんなだったけ?」と首をかしげていた。

SCMRの別ブログ

「電気羊にうってつけの日」とは趣向の違うブログを先月あたりから始めた。
どちらかというと、クリエイティビティあふれるそんな系統のブログにしようと
思っている。よろしく

フォクシーコンソール

SCMRのシャツデザイン



アレルギーを持つ小さな子のT-シャツを作ってみた。小さな子供は恐らく自分のアレルギー源や、ともすればアレルギーの事を説明できないだろうと考え、それをどうやって周囲に知らせるかを考えた結果、シャツにプリントしようと考えた。

名前や生年月日、血液型やアレルギー源も記入しようかと思ったが、それはかえって危険な側面もあるなと感じたので、とりあえずこんなデザインになった。例えばの話、下手にアレルギー源を書いておくと、それを使っアレルギーを持つ子供にいたずらしようとする不届きな奴も世の中にいろからなあ。



shat02.jpg

用途としては、これを着てお祭りだとかの出店に行ったとき、子供本人が自分の食物アレルギーについて説明し忘れていても、このシャツを見た店の人間に気づいてもらえる可能性を少しでも高くするためのものだな。
もっと、効果的な方法や図案はまだまだ色々ありそうだな。とりあえず、このシャツを作った。




プロフィール

moz84

Author:moz84
Screamerと牛頭鬼八です。岩手県に生まれ、とりあえず生きてます。

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