一通りの診察が終わり、医務室を出たアスランは部下達の待つブリーフィング・ルームへと入った。ドアを開けるとまるで阿片窟を彷彿とさせるようなタバコの煙が、その口を開けた入り口からゆっくりと通路に向かって流れて行った。
その煙は何らかの意思を持つ霊魂にも見えた。きっと作戦室という名の、悪魔の所業ばかり悪巧みされる地獄穴に耐えかねた亡者達が、突然に開かれた門に殺到したのだろう。
どんな所でもここよりはマシなはずと、捨て火鉢になってその門をくぐろうとするが、その心の片隅には、その先は楽園だろうという根拠のない期待感を抱いていることぐらい見え透いている。
この地獄穴を抜け、殺風景な船内の通路を天井伝いに外を目指したところで、広い空にやっとの思いで出たにしてもそこには楽園も天国もないのだ。
地獄をその身に内包し、狂ったようにさらなる苦界に突進しようとする鉄の鯨の群れと見紛う艦隊を下に見た時、音速でやってくるジュラルミンで出来た死喰鳥に引き裂かれるだけだ。
その上、死喰鳥共ときたら、どこもかしこも燃やし尽くすしか能のない鳥で、飛ぶものに火の矢を放ってはこれを燃やし、地を這うものにはヘル・ファイア(業火)を降らせてこれも燃やす。
部屋には机と椅子が何個を置いてあり、そこに腰を掛けているアスランの部下の面々は、どれもこれもが救いようのない面構えと生き方の連中ばかりだった。新兵のサイモンこそまだ、曇りのない目をしてはいるものの、時間とともにその純度は損なわれていく。
生き残るための躊躇のなさと悪知恵を身につけ始めると、人好きしない人間性になっていく。
愛国兵士は国のために純粋に命を捧げようするならば、その望みは神に聞き届けられると見えて、真っ先にお国のために死んでいく。
アスランの部下達は愛国兵士とはお世辞にも言えなかった。戦場という職場でしか生きることの出来ない人間達だった。一般的な社会に彼らが放り込まれたならば、半年と持たない不適合者達でしかない。
国家によって許された相手、この場合は敵兵を一人でも多く地獄に叩き落とし、地獄の中を縦横無尽に飛び回り、あまりにも地獄を愛しすぎて、呼ばれもしないのに自ら地獄へ飛び込んでいくだろう。
だが、その瞬間まではどんな悪辣な手段を用いてでも、彼らは生き残るのだ。地獄を生き延びるならば、悪魔を教師とするしかないのだから。
部下達のタバコの煙の先にスラップが立っていた。以前からどことなく、アスランと彼の間には、お互いに今ひとつ踏み込めない壁があった。その壁はアスランが造ったとも言えるし、スラップが造ったとも言える。
双方の会話のやり取りにはそこまで露骨ではないのだが、どこか駆け引きをしているような感があった。
スラップはアスラン達と対峙する時、潜在的に自身を猛獣使いのように感じていた。アスラン達もまた、自身を国の飼う猛獣のか何かのように扱われていると感じていた。
猛獣使いは芸を仕込んで客のポケットから、金貨を引き出す知恵を絞ると同時に、うっかり背中を向けて、後ろから食い殺されないように注意を払わなければならず、時には分をわきまえさせるために脅して痛めつける必要もある。
猛獣も猛獣で割に合わない重労働生活から脱却することを渇望し、そのためにはまず猛獣使いを屠らなくて振り出しにも立てない。正攻法はすでに読み取られており、彼が振り回す鞭の間合いを計りつつ、振り下ろされる鞭の合間を縫うように接近して、頭蓋骨をかみ砕くトリッキーな奇襲攻撃を考えねばならないが、丁度良いタイミングというのがなかなかに見つからない。場合によっては、飼われた状態が自身の都合にとって、とても良いこともある。
今の彼らのように、互いの利益が一致している場合は、なおのことである。
「体はもういいのか?」とスラップがアスランに聞いてきた。怪我や病気から復帰した人間に対する社交辞令として、よく使われるお定まりの台詞であるのは想像には難くないないが、彼が言う言葉の裏には、早くに復帰してまた無理難題な仕事を押しつけたい焦燥感にかられていることが、アスランには分かっていた。
そうでなければ、軍部や国家の空暗い事情を知り尽くし、実際にそれを手掛けてきた自分達なぞ、葬って存在しなかったことにしたいはずなのだから。
「まあ、打撲を少々ってところですね。そのうちに治るでしょう。」
「そうか…。昨日、君からは話しは聞かせてもらったわけだが、これを上層部に報告したところ、今日、情報局のエージェントが話しを聞きに来るようだ。ここに来て貰ったのは他でもないのだがね。また、同じ話をすることになるとは思うが、協力してくれ。」
「了解です。」
スラップは腕時計を見ると「そろそろ来る頃だろう。」と言った。
アスランは席に着くと、ボッシュが「痛みはどうです?」とアスランを気遣った。
「痛み止めを飲んでるから大丈夫だ。効き過ぎる薬ってのは怖いものがあるがな。」と言った。
すると、ブリーフィング・ルームのドアが二人の男が入ってきた。
見たところ、一人の男は自分達と同じ、ある種の業界人の空気が滲み出ていた所から、スラップの言った情報局の人間であることが分かった。
同業者にすぐに悟られてしまう独特の雰囲気を醸し出している様子を見るに、第一線の現場からは退いて、内々の雑務や事務仕事をこなしているのだろう。
言ってしまえば、レストランのウェイターと裏方のコックの違いとでも言うのだろうか。彼はどちらかと言うと、酷使され続けた若い時代を経て、経験と実績、そして過酷な調理場で多忙な毎日を過ごすコック長のタイプだ。
彼がコック帽を被り、フライパンを片手に若いコックを怒鳴りつけ、番頭頭の熟練ウェイターとの軋轢の日々がまるで目に写るような感じだった。
一転してその後ろからついてきた男は、アスランよりはいくらか若い感じがあった。
歳の頃は恐らく、クリスやキースと同じあたりだろう。だが、きな臭いこの世界にいたにしては、どこか危なっかしい雰囲気があった。
ビジネスマンとしては、非の打ち所のない年相応の貫禄を感じさせるのかも知れないが、情報部員としては新人素人顔負けの不器用さがあるように思えてならない。
彼は顔の向く方向をせわしなく変えては、艦内の壁、天井、ドア、そして室内のホワイト・ボードに視線を落ち着き無く移動させている。
下手な探偵だって、顔を動かさずに目だけを動かして物を観察するのだろうが、彼にはそういう細かい芸当など考えもつかないようだった。
しかしながら考えようによっては、彼は相手の裏をかくには最適な人材なのかもしれない。諜報部員がそれと悟られては、元も子もない。
こんなに不器用で鈍そうな奴が、諜報部員なわけがないと思い込ませたほうが仕事もやりやすいはずだ。
コック長の方の男は、スラップと握手を交わすと、少しも遠慮する素振りも見せずに椅子に座った。それに習って、不器用そうな男も席に着いた。
「国家情報局 軍事戦略情報部のカーターだ。んで、彼はプログレッシブ・ワークス社のドーソンだ。彼は今回の軍事作戦に協力している。」
ボッシュは「今回も…、でしょう?」と言った。
その言葉に一瞬、カーターは無言になったが、「事情は大体聞いている。だが、直接君らの口から聞かせて貰いたいこともあって、ここに来た。」と言った。
「アスラン隊長から話してくれ。」とカーターは言った。
アスランは「何からお話しますかね。スラップ司令官からの作戦についての内容はお聞きで?」
「それは資料で読んだ。グーク(黄色い小鬼)どもの対空兵器の破壊だろ?コールド・ウォーカーを見つけたのはウチの局の若い奴らだ。」
「ええ、ごもっともですな。そして、その作戦の遂行のために敵陣上空まで、超低空侵入をしました。対空ミサイルのレーダー網を避けるためではありましたが、通常の高度では高射砲の心配もありましてね、ほとんどジャングルの樹に張り付くように飛びましたよ。無論、対空機関砲の有効射程にはなりますからね、敵の砲手に捕捉されないスピードを保つ必要もあったんで、計器と目視をフル活用しての高速飛行でした。」
「まるで、フライング・サーカスだな。んで、敵の飛行機は?」
「その前に無線の電波に乱れがありました。部下からの返信が聞こえたり、聞こえなくなったり。それで、電子計器やレーダーを見たら、全てが不調になってましてね。この時、電波が阻害されていることに気付きました。」
「電子計器までとなると、妨害電波だけではなさそうだな。」
「電子攪乱装置でもあったのでしょう。ま、そこに敵のアイス・スラッガーが4機ほどこちらに向かってきました。電子装備が不能になってんで、ドッグ・ファイト(空中戦)なりました。勿論、相手もミサイルは撃てないようでした。作戦当初は、未熟な北ゼルバムのパイロットが来ると考えていましたがね。その読みは外れてました。かなり熟練パイロット達のようでしてね。考えなし減速なんてしようもんなら、すぐにケツに付かれてしまいますんで、スピードをさらに上げての高速戦闘でしたよ。」
「敵に搭載されていた装備はどうでしたか?」プログレッシブ・ワークスのドーソンがアスランに聞いた。
「あ?ああ、相手も俺らを射撃軸線に乗せようとしていたらしいから、まず機関砲を確実に積んでいただろう。ま、現に機関砲弾を撃ってきたからな。口径までは分からんが単純に考えて、標準のものと考えて差しつかえないと思いますよ。それと、そこまで細かくは見えなかったが、翼のパイロンに何か積んでいた。形としては予備燃料タンクのようには見えなかったが、あの電子攪乱の中をそうそうミサイルのために搭載重量とスペースは避けないだろう。多分、あれはロケット弾じゃないかな。」
「なるほど。」ドーソンはそう言うと沈黙した。
アスランは「んで、結局俺は撃墜されましてね。」というと、「それも聞いた。」とカーターが言った。
「スラップ司令官からその事は聞いた。その外国人部隊の話があって、出兵している航空部隊の連中はよほどにピリピリし始めたようでな。おかげで毎日毎日、軍の参謀本部からウチの局が尻を叩かれまくってる始末だよ。」
スラップは多少怪訝そうな顔で、カーターの顔を見た。カーターは、日頃の鬱憤の少しは晴らしたようで、嫌味なしたり顔を彼に向けた。
「どうやら、私はその敵の部隊員に、助けられたらしいんですがね。」とアスランは続けた。
「ああ、実はそれで部内で、敵との内通者がいるのではないかとか、敵の勢力を内部崩壊させるためにウチにも知らせずに、送り込まれた工作員がいるのではないかとか声が出てな。方々調べたが結局それらしいものは見つからなかった。結局、そのテップ(天照人に対する蔑称)の気まぐれだろうと今のところはそう思っている。」
「天照の国防軍が送り込んだ可能性は?」
「あの腰抜け国家にそこまでの度胸はないだろう。実際には今回、ゼルバムに入った陸軍の中には、天照の歩兵が50人程度いるが、こいつらは国防陸軍戦技教育隊の連中だ。戦場の行儀見習いに来ているようなものだし、それにスラップ司令官から聞いた話を元に調査した所、そのシラサワ・リューイチという男なのだが…」
「そいつが?」
「まあ、今の段階で分かっていることなのだが、その男は君の聞いた通り元々は天照軍のパイロットだったらしい。因みに正式には旧天照海軍南海方面軍リバース支隊第21航空隊第1小隊隊長だ。リバース島で撃墜され、天照軍の書類上では行方不明。だが、本人はその後近隣の島へと移り潜伏。そして終戦。終戦後は島の農民として数年間生きていたようだが、間もなくして現地の風土病に掛かって死亡したことになっている。だが生きていた。奴はFATGに入団していたようだ。」
「何です?そのFATGってのは?」
「フロム・アポカリプス・ティル・ジェネシス(黙示録から創世記まで)というテロ組織だ。人員構成は多国籍で、先の大戦で活躍した兵士も少なからずいる。全くいつの時代にも自分の不都合を世間のせいにして、絵空事に逃避しようとする輩はいるもんだがな。組織のリーダーは、ドミニク・ガスケ。元亡命フェンティ陸軍中佐。大戦後の世界に失望したらしく、世界を奴の言う理想郷に作り直すために最終戦争を画策しているらしい。その戦争のために世界中のあちらこちらで兵士のなり手をスカウトしているらしい。まあ、もっとも、類は友を呼ぶのか集まるのは狂信的な奴らか、金目当ての傭兵もどきが殆どのようだが。だが困ったことに君の会ったテップのような手練れも入団している始末でな。まさかとは思ったが、このゼルバムにも入ってきたか。」
「奴は目的と金のために来た、と言ってました。」アスランはタバコを出した。
横にいたドーソンが「となると、資金を稼ぐために世界中の紛争に参加する可能性が出てきましたね。」と言った。カーターはそれに対して「いや、すでにそうなっているだろう。ゼルバム以外にもな。」と言った。
「奴は生き残った仲間を探しにいくと言って、ジャングルの中に入っていきました。その後については、俺は分かりません。」
「なるほど。では。まだ生きている可能性があるということだな。だが、なぜ撃たなかった?」
「奴もそこまでお人好しではなかったのでしょうな。俺の拳銃から弾丸は全て抜き取られていました。逆に言えば、俺が殺されてなかった方が奇跡です。それと、脱出の衝撃ですかね,体中激痛が走っていましてね。思うように動けなかったんでね。」
「なるほど。そうか。では今度は君の部下に聞くとしよう。」カーターはボッシュの顔を見た。
多分、カーターは自分を多少疑っていると、アスランは思った。敵兵に命を助けられ、捕虜にもならない場合は、それはそれで、めでたしとはならないものだ。それに相手がこの手の多国籍テロ集団ともなるとなおのことだろう。入団のお誘いがあったとも、内通者なのではないかとも、あらぬ疑いを掛けられる。ギブ・アンド・テイクが基本となる諸悪説の世界では、美徳故の善行という論理など成立しないのだから。
数時間をかけて、局員達の質問に全員が答えると、「みんな、ご苦労だった。」とスラップが言った。カーター達とスラップはまだ話しがあるらしく、ブリーフィング・ルームに残るようだった。
アスラン達は部屋を出ると、艦内の通路を食堂に向かって歩き出した。コーヒー以外の飲み物を飲むためだった。
タバコの煙に口の中の潤いを奪われ、ブリーフィング・ルームの片隅に置かれたサイフォンのコーヒーを飲んではいたが、そのカフェインを煎じた水は何度も飲んでいると口を余計に渇かし始めた。
「知っていたんですか?」とサイモンはボッシュに聞いた。
「何をだ?」ボッシュは聞いた。片手には愛用のマグカップが持っていた。
「プログレッシブ社のことです。」
「プログレッシブ・ワークスか。軍事作戦立案の一部を担っている民間企業の一つだ。無論、その仕事を受注している以上は、情報局の徹底的な管理下に置かれているが。」
「軍事作戦が民間企業に?」
「そう。今や戦争は公共事業として外注される時代だ。このゼルバムに入る地上戦力のいくつかは正規軍の他に民間軍事会社の人間もいる。場合によっては、正規軍の訓練教育の一部を民間会社が引き受けている場合もある。驚く事はない。まあ、民間軍事会社の場合は軍の退役した軍人なんかが多いようだが。」
「では、プログレッシブにも退役軍人が?」
「いや、プログレッシブの場合は違う。元々は、職にあぶれた工科大学を卒業した奴が、同じような境遇の仲間達を集めて始めたゲーム会社だった。話しによると、非常に緻密なシミュレーション・ゲームを制作して多大な利益を上げたらしい。それで、そのうちにそのシミュレーションの技術を発展させ、経営コンサルティングや旅行代理店、気象情報と事業を拡大し、今はこんな感じに軍事作戦の立案までやっている。予算と戦力、期間に合わせてな。とはいっても、これをやっているのは何もプログレッシブだけじゃない。俺の知っている限りではあと3社はある。戦争が起こる度にこれらの民間会社に作戦を発注する。すると、より適した作戦をそれぞれの会社が立案。プレゼン。そして、より有用性のある提案をしてきた会社の作戦を採用するのさ。ま、一種の入札だな。」
「じゃあ、俺らはゲーム屋の考えた作戦で…」
「まあ、そういうことだ。直接ここに来たのは、文章には残らない俺達の話を聞くためだろう。何せな、俺らは飛行機にフライト・レコーダーすら積んでいないからな。機密文章にすら載らないんだから。」
サイモンはショックを受けていたようだった。
「そう、難しく考えることはない。世の中は適材適所で動いているのさ。敵兵を探し出すのに下手な装置を使うよりも軍用犬を使ったほうが早い事だってあるだろ?それと同じことさ」
ボッシュは前を歩くアスランに続いて食堂へと入って行った。
その煙は何らかの意思を持つ霊魂にも見えた。きっと作戦室という名の、悪魔の所業ばかり悪巧みされる地獄穴に耐えかねた亡者達が、突然に開かれた門に殺到したのだろう。
どんな所でもここよりはマシなはずと、捨て火鉢になってその門をくぐろうとするが、その心の片隅には、その先は楽園だろうという根拠のない期待感を抱いていることぐらい見え透いている。
この地獄穴を抜け、殺風景な船内の通路を天井伝いに外を目指したところで、広い空にやっとの思いで出たにしてもそこには楽園も天国もないのだ。
地獄をその身に内包し、狂ったようにさらなる苦界に突進しようとする鉄の鯨の群れと見紛う艦隊を下に見た時、音速でやってくるジュラルミンで出来た死喰鳥に引き裂かれるだけだ。
その上、死喰鳥共ときたら、どこもかしこも燃やし尽くすしか能のない鳥で、飛ぶものに火の矢を放ってはこれを燃やし、地を這うものにはヘル・ファイア(業火)を降らせてこれも燃やす。
部屋には机と椅子が何個を置いてあり、そこに腰を掛けているアスランの部下の面々は、どれもこれもが救いようのない面構えと生き方の連中ばかりだった。新兵のサイモンこそまだ、曇りのない目をしてはいるものの、時間とともにその純度は損なわれていく。
生き残るための躊躇のなさと悪知恵を身につけ始めると、人好きしない人間性になっていく。
愛国兵士は国のために純粋に命を捧げようするならば、その望みは神に聞き届けられると見えて、真っ先にお国のために死んでいく。
アスランの部下達は愛国兵士とはお世辞にも言えなかった。戦場という職場でしか生きることの出来ない人間達だった。一般的な社会に彼らが放り込まれたならば、半年と持たない不適合者達でしかない。
国家によって許された相手、この場合は敵兵を一人でも多く地獄に叩き落とし、地獄の中を縦横無尽に飛び回り、あまりにも地獄を愛しすぎて、呼ばれもしないのに自ら地獄へ飛び込んでいくだろう。
だが、その瞬間まではどんな悪辣な手段を用いてでも、彼らは生き残るのだ。地獄を生き延びるならば、悪魔を教師とするしかないのだから。
部下達のタバコの煙の先にスラップが立っていた。以前からどことなく、アスランと彼の間には、お互いに今ひとつ踏み込めない壁があった。その壁はアスランが造ったとも言えるし、スラップが造ったとも言える。
双方の会話のやり取りにはそこまで露骨ではないのだが、どこか駆け引きをしているような感があった。
スラップはアスラン達と対峙する時、潜在的に自身を猛獣使いのように感じていた。アスラン達もまた、自身を国の飼う猛獣のか何かのように扱われていると感じていた。
猛獣使いは芸を仕込んで客のポケットから、金貨を引き出す知恵を絞ると同時に、うっかり背中を向けて、後ろから食い殺されないように注意を払わなければならず、時には分をわきまえさせるために脅して痛めつける必要もある。
猛獣も猛獣で割に合わない重労働生活から脱却することを渇望し、そのためにはまず猛獣使いを屠らなくて振り出しにも立てない。正攻法はすでに読み取られており、彼が振り回す鞭の間合いを計りつつ、振り下ろされる鞭の合間を縫うように接近して、頭蓋骨をかみ砕くトリッキーな奇襲攻撃を考えねばならないが、丁度良いタイミングというのがなかなかに見つからない。場合によっては、飼われた状態が自身の都合にとって、とても良いこともある。
今の彼らのように、互いの利益が一致している場合は、なおのことである。
「体はもういいのか?」とスラップがアスランに聞いてきた。怪我や病気から復帰した人間に対する社交辞令として、よく使われるお定まりの台詞であるのは想像には難くないないが、彼が言う言葉の裏には、早くに復帰してまた無理難題な仕事を押しつけたい焦燥感にかられていることが、アスランには分かっていた。
そうでなければ、軍部や国家の空暗い事情を知り尽くし、実際にそれを手掛けてきた自分達なぞ、葬って存在しなかったことにしたいはずなのだから。
「まあ、打撲を少々ってところですね。そのうちに治るでしょう。」
「そうか…。昨日、君からは話しは聞かせてもらったわけだが、これを上層部に報告したところ、今日、情報局のエージェントが話しを聞きに来るようだ。ここに来て貰ったのは他でもないのだがね。また、同じ話をすることになるとは思うが、協力してくれ。」
「了解です。」
スラップは腕時計を見ると「そろそろ来る頃だろう。」と言った。
アスランは席に着くと、ボッシュが「痛みはどうです?」とアスランを気遣った。
「痛み止めを飲んでるから大丈夫だ。効き過ぎる薬ってのは怖いものがあるがな。」と言った。
すると、ブリーフィング・ルームのドアが二人の男が入ってきた。
見たところ、一人の男は自分達と同じ、ある種の業界人の空気が滲み出ていた所から、スラップの言った情報局の人間であることが分かった。
同業者にすぐに悟られてしまう独特の雰囲気を醸し出している様子を見るに、第一線の現場からは退いて、内々の雑務や事務仕事をこなしているのだろう。
言ってしまえば、レストランのウェイターと裏方のコックの違いとでも言うのだろうか。彼はどちらかと言うと、酷使され続けた若い時代を経て、経験と実績、そして過酷な調理場で多忙な毎日を過ごすコック長のタイプだ。
彼がコック帽を被り、フライパンを片手に若いコックを怒鳴りつけ、番頭頭の熟練ウェイターとの軋轢の日々がまるで目に写るような感じだった。
一転してその後ろからついてきた男は、アスランよりはいくらか若い感じがあった。
歳の頃は恐らく、クリスやキースと同じあたりだろう。だが、きな臭いこの世界にいたにしては、どこか危なっかしい雰囲気があった。
ビジネスマンとしては、非の打ち所のない年相応の貫禄を感じさせるのかも知れないが、情報部員としては新人素人顔負けの不器用さがあるように思えてならない。
彼は顔の向く方向をせわしなく変えては、艦内の壁、天井、ドア、そして室内のホワイト・ボードに視線を落ち着き無く移動させている。
下手な探偵だって、顔を動かさずに目だけを動かして物を観察するのだろうが、彼にはそういう細かい芸当など考えもつかないようだった。
しかしながら考えようによっては、彼は相手の裏をかくには最適な人材なのかもしれない。諜報部員がそれと悟られては、元も子もない。
こんなに不器用で鈍そうな奴が、諜報部員なわけがないと思い込ませたほうが仕事もやりやすいはずだ。
コック長の方の男は、スラップと握手を交わすと、少しも遠慮する素振りも見せずに椅子に座った。それに習って、不器用そうな男も席に着いた。
「国家情報局 軍事戦略情報部のカーターだ。んで、彼はプログレッシブ・ワークス社のドーソンだ。彼は今回の軍事作戦に協力している。」
ボッシュは「今回も…、でしょう?」と言った。
その言葉に一瞬、カーターは無言になったが、「事情は大体聞いている。だが、直接君らの口から聞かせて貰いたいこともあって、ここに来た。」と言った。
「アスラン隊長から話してくれ。」とカーターは言った。
アスランは「何からお話しますかね。スラップ司令官からの作戦についての内容はお聞きで?」
「それは資料で読んだ。グーク(黄色い小鬼)どもの対空兵器の破壊だろ?コールド・ウォーカーを見つけたのはウチの局の若い奴らだ。」
「ええ、ごもっともですな。そして、その作戦の遂行のために敵陣上空まで、超低空侵入をしました。対空ミサイルのレーダー網を避けるためではありましたが、通常の高度では高射砲の心配もありましてね、ほとんどジャングルの樹に張り付くように飛びましたよ。無論、対空機関砲の有効射程にはなりますからね、敵の砲手に捕捉されないスピードを保つ必要もあったんで、計器と目視をフル活用しての高速飛行でした。」
「まるで、フライング・サーカスだな。んで、敵の飛行機は?」
「その前に無線の電波に乱れがありました。部下からの返信が聞こえたり、聞こえなくなったり。それで、電子計器やレーダーを見たら、全てが不調になってましてね。この時、電波が阻害されていることに気付きました。」
「電子計器までとなると、妨害電波だけではなさそうだな。」
「電子攪乱装置でもあったのでしょう。ま、そこに敵のアイス・スラッガーが4機ほどこちらに向かってきました。電子装備が不能になってんで、ドッグ・ファイト(空中戦)なりました。勿論、相手もミサイルは撃てないようでした。作戦当初は、未熟な北ゼルバムのパイロットが来ると考えていましたがね。その読みは外れてました。かなり熟練パイロット達のようでしてね。考えなし減速なんてしようもんなら、すぐにケツに付かれてしまいますんで、スピードをさらに上げての高速戦闘でしたよ。」
「敵に搭載されていた装備はどうでしたか?」プログレッシブ・ワークスのドーソンがアスランに聞いた。
「あ?ああ、相手も俺らを射撃軸線に乗せようとしていたらしいから、まず機関砲を確実に積んでいただろう。ま、現に機関砲弾を撃ってきたからな。口径までは分からんが単純に考えて、標準のものと考えて差しつかえないと思いますよ。それと、そこまで細かくは見えなかったが、翼のパイロンに何か積んでいた。形としては予備燃料タンクのようには見えなかったが、あの電子攪乱の中をそうそうミサイルのために搭載重量とスペースは避けないだろう。多分、あれはロケット弾じゃないかな。」
「なるほど。」ドーソンはそう言うと沈黙した。
アスランは「んで、結局俺は撃墜されましてね。」というと、「それも聞いた。」とカーターが言った。
「スラップ司令官からその事は聞いた。その外国人部隊の話があって、出兵している航空部隊の連中はよほどにピリピリし始めたようでな。おかげで毎日毎日、軍の参謀本部からウチの局が尻を叩かれまくってる始末だよ。」
スラップは多少怪訝そうな顔で、カーターの顔を見た。カーターは、日頃の鬱憤の少しは晴らしたようで、嫌味なしたり顔を彼に向けた。
「どうやら、私はその敵の部隊員に、助けられたらしいんですがね。」とアスランは続けた。
「ああ、実はそれで部内で、敵との内通者がいるのではないかとか、敵の勢力を内部崩壊させるためにウチにも知らせずに、送り込まれた工作員がいるのではないかとか声が出てな。方々調べたが結局それらしいものは見つからなかった。結局、そのテップ(天照人に対する蔑称)の気まぐれだろうと今のところはそう思っている。」
「天照の国防軍が送り込んだ可能性は?」
「あの腰抜け国家にそこまでの度胸はないだろう。実際には今回、ゼルバムに入った陸軍の中には、天照の歩兵が50人程度いるが、こいつらは国防陸軍戦技教育隊の連中だ。戦場の行儀見習いに来ているようなものだし、それにスラップ司令官から聞いた話を元に調査した所、そのシラサワ・リューイチという男なのだが…」
「そいつが?」
「まあ、今の段階で分かっていることなのだが、その男は君の聞いた通り元々は天照軍のパイロットだったらしい。因みに正式には旧天照海軍南海方面軍リバース支隊第21航空隊第1小隊隊長だ。リバース島で撃墜され、天照軍の書類上では行方不明。だが、本人はその後近隣の島へと移り潜伏。そして終戦。終戦後は島の農民として数年間生きていたようだが、間もなくして現地の風土病に掛かって死亡したことになっている。だが生きていた。奴はFATGに入団していたようだ。」
「何です?そのFATGってのは?」
「フロム・アポカリプス・ティル・ジェネシス(黙示録から創世記まで)というテロ組織だ。人員構成は多国籍で、先の大戦で活躍した兵士も少なからずいる。全くいつの時代にも自分の不都合を世間のせいにして、絵空事に逃避しようとする輩はいるもんだがな。組織のリーダーは、ドミニク・ガスケ。元亡命フェンティ陸軍中佐。大戦後の世界に失望したらしく、世界を奴の言う理想郷に作り直すために最終戦争を画策しているらしい。その戦争のために世界中のあちらこちらで兵士のなり手をスカウトしているらしい。まあ、もっとも、類は友を呼ぶのか集まるのは狂信的な奴らか、金目当ての傭兵もどきが殆どのようだが。だが困ったことに君の会ったテップのような手練れも入団している始末でな。まさかとは思ったが、このゼルバムにも入ってきたか。」
「奴は目的と金のために来た、と言ってました。」アスランはタバコを出した。
横にいたドーソンが「となると、資金を稼ぐために世界中の紛争に参加する可能性が出てきましたね。」と言った。カーターはそれに対して「いや、すでにそうなっているだろう。ゼルバム以外にもな。」と言った。
「奴は生き残った仲間を探しにいくと言って、ジャングルの中に入っていきました。その後については、俺は分かりません。」
「なるほど。では。まだ生きている可能性があるということだな。だが、なぜ撃たなかった?」
「奴もそこまでお人好しではなかったのでしょうな。俺の拳銃から弾丸は全て抜き取られていました。逆に言えば、俺が殺されてなかった方が奇跡です。それと、脱出の衝撃ですかね,体中激痛が走っていましてね。思うように動けなかったんでね。」
「なるほど。そうか。では今度は君の部下に聞くとしよう。」カーターはボッシュの顔を見た。
多分、カーターは自分を多少疑っていると、アスランは思った。敵兵に命を助けられ、捕虜にもならない場合は、それはそれで、めでたしとはならないものだ。それに相手がこの手の多国籍テロ集団ともなるとなおのことだろう。入団のお誘いがあったとも、内通者なのではないかとも、あらぬ疑いを掛けられる。ギブ・アンド・テイクが基本となる諸悪説の世界では、美徳故の善行という論理など成立しないのだから。
数時間をかけて、局員達の質問に全員が答えると、「みんな、ご苦労だった。」とスラップが言った。カーター達とスラップはまだ話しがあるらしく、ブリーフィング・ルームに残るようだった。
アスラン達は部屋を出ると、艦内の通路を食堂に向かって歩き出した。コーヒー以外の飲み物を飲むためだった。
タバコの煙に口の中の潤いを奪われ、ブリーフィング・ルームの片隅に置かれたサイフォンのコーヒーを飲んではいたが、そのカフェインを煎じた水は何度も飲んでいると口を余計に渇かし始めた。
「知っていたんですか?」とサイモンはボッシュに聞いた。
「何をだ?」ボッシュは聞いた。片手には愛用のマグカップが持っていた。
「プログレッシブ社のことです。」
「プログレッシブ・ワークスか。軍事作戦立案の一部を担っている民間企業の一つだ。無論、その仕事を受注している以上は、情報局の徹底的な管理下に置かれているが。」
「軍事作戦が民間企業に?」
「そう。今や戦争は公共事業として外注される時代だ。このゼルバムに入る地上戦力のいくつかは正規軍の他に民間軍事会社の人間もいる。場合によっては、正規軍の訓練教育の一部を民間会社が引き受けている場合もある。驚く事はない。まあ、民間軍事会社の場合は軍の退役した軍人なんかが多いようだが。」
「では、プログレッシブにも退役軍人が?」
「いや、プログレッシブの場合は違う。元々は、職にあぶれた工科大学を卒業した奴が、同じような境遇の仲間達を集めて始めたゲーム会社だった。話しによると、非常に緻密なシミュレーション・ゲームを制作して多大な利益を上げたらしい。それで、そのうちにそのシミュレーションの技術を発展させ、経営コンサルティングや旅行代理店、気象情報と事業を拡大し、今はこんな感じに軍事作戦の立案までやっている。予算と戦力、期間に合わせてな。とはいっても、これをやっているのは何もプログレッシブだけじゃない。俺の知っている限りではあと3社はある。戦争が起こる度にこれらの民間会社に作戦を発注する。すると、より適した作戦をそれぞれの会社が立案。プレゼン。そして、より有用性のある提案をしてきた会社の作戦を採用するのさ。ま、一種の入札だな。」
「じゃあ、俺らはゲーム屋の考えた作戦で…」
「まあ、そういうことだ。直接ここに来たのは、文章には残らない俺達の話を聞くためだろう。何せな、俺らは飛行機にフライト・レコーダーすら積んでいないからな。機密文章にすら載らないんだから。」
サイモンはショックを受けていたようだった。
「そう、難しく考えることはない。世の中は適材適所で動いているのさ。敵兵を探し出すのに下手な装置を使うよりも軍用犬を使ったほうが早い事だってあるだろ?それと同じことさ」
ボッシュは前を歩くアスランに続いて食堂へと入って行った。