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小説というほどでもないが2

以前もこのブログで同じような試みを行った。
ほんとうは、これをモチーフにしたキャラクターでも描こうかと思っていたのだが、
それは明日以降から着手しようかね。

そんで、今回はこの歌からAtomic

町に空襲警報がけたたましく鳴り響いた。町の人間たちは今回は本当に来たかと思った。かねてからここ数日間、核戦争への突入が懸念されてはいたが、町はいたって平常運転といったところであった。可能性はあるかもしれないが、世界はそこまで理性を失ってなどいないし、この懸念はかなりのとりこし苦労に終わり、平穏な毎日続くはずだ。この国の人たちの多くがそのように考えていた。
核の炎に人類全てが焼かれるとするならば、逆に万に一つ、それが起こらず何も変わらぬ毎日が続くことへの備えと考えれば、それはある意味で正しかったかもしれない。
だが、今回ばかりはそうはいかないようであった。この国の人たちが思うほど、世界というのは理性的ではなかったし、慎重ではなかった。いや、本当は理性的だったかもしれない。事を始めようとしている上層部は、この事態において冷静なのかもしれない。ともすれば、今回のこのことは冷静に決断されたことかもしれない。彼らの中では通用する彼らの論理によって。
自分達の社会の上層では一体どんなやり取りがなされているのか、知る由もない町の人間たちとって、この切迫した状況を右往左往するするしかないの状況が、目の前の現実であった。
パニックに陥った町の中を十数人の幼い子供たちを引き連れて走り回る女がいた。子供たちはこの町の小学校の生徒たちであった。核戦争の危険が差し迫っていながら、学校は例によって休校することがなかったのだ。
学校側は生徒たちの親に連絡を取り、迎えに来させるように教師たちに指示したのだが、教師の指示に従わずに十数人の生徒が学校を飛び出したのだった。親が迎えに来る頃には、すでに爆風が吹き荒れ、キノコ型の雲も上がってることだろうに。
女はこの学校の新任の教師であった。彼らを追って、学校の敷地内を出たところで核ミサイルの発射予想時間が町内に放送された。
学校に戻り、生徒たちの親たちを待っていられる時間などあるわけがなかった。
彼女のはこのままこの十数人の生徒たちを連れて、核シェルターに避難することに決めた。このままでは恐らく一人も助からない。
迎撃ミサイルか何かは彼女には分からなかったが、ミサイルの着弾もなく無事に済めば、それはそれだ。
とにかく、この目の前の十数人を何とか助けなければ、そのように考えた。
十数人の生徒の連れて町を走っていると、野太い男の怒鳴りが呼び止めた。
彼女はその方を向くと、男がシェルターの入り口で急げととばかりに手招きしている。
彼女は生徒たちとそのシェルターへと駆け込んでいった。男は彼女と生徒が入ったのを確認すると、シェルターの扉をぴったりと閉めて内側からロックをした。
彼女は男にまだ町には人がいることを話した。男はそんなことは分かっていると答えた。
彼女はミサイルが発射されるまでの僅かな時間でも、より多くの人間をこのシェルターの中に入れるべきだと食ってかかった。男はそれは現実的ではないと一蹴した。付け加えて、もし彼女が沢山の子供を連れず一人で走り回っていたのなら、そもそもシェルターに招きいれなかった。入ろうとしたら、一撃で刺し殺していたと刃物を見せつけた。
彼女は何がどう現実的でないのか、男に問いただした。
男は彼女にミサイルの着弾後、シェルターの外が通常の環境に戻るまで、どのくらいかかるか知っているかを尋ね返した。彼女にはわからなかった。男にも分からなかった。だからこそ、男はこの広いシェルターにこの人数だけを入れて閉鎖したのだといった。人数が増えれば備蓄された食料や医薬品の数も不安であったし、人数が多くなれば消費の割合も増えるからだ。
そして、いつになったら外に出られるのか不確定であったからだ。
男はこの状況でかなり冷静で冷徹であった。顔つきもどこか人好きしないそんな感じであった。
ミサイルの発射がラジオから知らされた。
一分足らずで、この国のそこかしこに核弾頭が着弾したようだった。中央都市の放送局からこのラジオに届いていた臨時ニュースもノイズ音とともに途切れた。中央都市に着弾したらしかった。
男はシェルター内のテレビを付けた。直撃を免れた地方の放送局のチャンネルは臨時ニュースを流していたようだった。
女は男に半ば憎しみの目を向けながら沈黙していた。生徒たちは家族や他の生徒たちがどうなったのか口々に騒ぎ始め、中には泣き出すものさえいた。
男は別な部屋に移ると、地面に置かれたリュックサックから中身を出した。このリュックサックは彼のものではなかった。これはこのシェルターを開放し、発電機を稼働させた行政の人間のものだった。
男はふき取り忘れていた血が手についていることに気づいた。リュックサックの中にあったタオルでその血を入念にふき取っていた。この状況下では生徒はおろか彼女も、このシェルターを開けたのが一体誰だったのか気づく由もないだろう。
ここを開けて避難生活の準備をした職員の頭数よりも、子供の数のほうが多かった。男はつり銭はあまる程だと考えた。
数日間、子供たちは不安や悲しさ、寂しさ、過度なストレスを抱える日々を過ごすこととなったが、女が何とか子供たちを落ち着かせた。男はシェルター内の機械を使い方を調べたり、食料や医薬品などの種類と数を数えていた。
たまに男は生徒たちを呼びつけ、倉庫の物資の把握を手伝わせた。いずれ、これらの仕事をお前らが率先してやることになるのだと言い聞かせながら。
女は子供たちに勉強を教えたり、母親のような役目を務めていたが、彼女もストレスのせいかある晩、吐血した。男はシェルターの医療対応マニュアルを読みながら、治療にあたろうと努力したが医学知識も薬学もない彼には、彼女を助けることが出来なかった。
生徒たちは義理の母親を亡くした悲しみに暮れていたが、シェルター内の火葬装置で彼女の遺体を焼いたあとで男は彼女の仕事を引き継ぎ、子供たちの教育に勤しんだ。彼女の死から彼は焦っていた。急いで子供達に病の前兆と予防を教え込まなくてはならないと。そして、男は子供達の体の状態には常に気を配っていた。
それから、数年。子供達は10代の半ば頃まで成長していた。途中数名の生徒が病によってこの世を去ったが、シェルター内で見つけた農業セットでやり始めた食料の生産が順調に進み、詳しいメカニズムまでは分からないが医療的な対応の知識や技術も身についていた。
男は彼らに教えるべきことがもはやないと安堵を感じると、力を失ったように床に倒れこんだ。男はベッドにふせた。子供達は治療をするように男を説得するが、男は有限な医薬品は自分たちのために使えの一点張りで、彼自身への治療を許さなかった。
彼は若い彼らの見守る中、息を引き取った。
シェルターの中には、彼らだけとなった。旧時代を知る世代は男の死をもって終わりとなり、新たな世代の者たちが生き残った。
さて、彼らはどんな未来を創り出していくのだろう。

小説というほどでもないが

ちょいと、今日は音楽に合わせてストーリーを練ってみようかな
Happy House
この歌で何となく思い浮かぶストーリー

とある片田舎の廃校に昼過ぎとも夕方ともつかぬ時間帯になると、幼い少年がこっそりとその廃校に入りこんで黒板に誰かの顔写真を貼る。
その後、一時間もしないうちにちらほらとまばらに若い男女が数人集まりだす。特に集合時間が決まっているといわけではない。一人ずつ集まる日もあれば、数人のグループが一度に集まる日もある。
その若者たちは、生気に失せたような顔や、世を儚んだような顔をしている。廃校に入ると、必ず黒板の顔写真を見る。顔写真に写っているのはその若者たちのいずれかの人物だ。顔写真を見ると、廃校のおのおのの思う場所へと歩いていく。
顔写真の本人がやってきて、黒板の写真を見ると少し驚いたような表情で周囲を気にしながら教室を抜けていく。
彼は廃校の門に目をやるが、他のメンバーが門の前に立っている。彼は音を立てぬように窓から離れる。用心深く静かに廊下を歩き、裏門へと向かう。裏門への出口の窓を遠巻きに覗く。やはりもう誰かが立っている。
廊下の向こうから話声が聞こえてきた。複数のメンバーが話をしながら、彼を探していた。彼は、近くの教室に滑り込むように入った。しゃがんで身を縮め、彼らが通り過ぎていくのをじっと隠れて待った。声と乱雑な歩き方の足音が通り過ぎると、教室の窓を見た。窓から出て廃校の金網を超えようと、窓に近づく。建付けの悪い窓を開く音に怯えながら、ゆっくりと後ろを気にしながら開いていく。窓から体を半分だし、足が地面に届きそうなあたりで黒板に写真を貼った少年に見つかってしまった。
少年は笛を鳴らした。見つかった彼は転げ落ちるように窓から外に出て、がっくりと肩を落とす。
笛の音に気付いた他の仲間たちが彼を囲む。彼はうなだれたまま、周囲の人間に肩を持ち上げられた。両肩を二人の男に掴まえられたまま、廃校の中を最上階に向けて半ばひきずられていった。少年は廃校を笛を鳴らしながら他の若者たちに彼が捕まったこと知らせて駆け回る。最上階の教室につくと、日は傾き始めているのが分かった。
その教室の机には沢山の顔写真がフォトフレームに入れられて飾られてあった。フォトフレームには白い造花がくっつけられていた。教室の四隅には綺麗な白い花の鉢植えが置かれている。この花はあの少年が水をやって日々、世話をしているのだ。
廃校の所々に散っていた若者たちを少年が連れてくると、彼はとうとう観念したように俯いた。
若者たちが彼を囲むと、彼は床に力なく座り込んだ。
彼を取り囲む若者の中から一人の若い女性が静かに笑いながら、錠剤と水を差しだした。
彼は思い悩むような表情でそれを受け取ると、その女性は彼を背中から抱いた。
彼女はくすくすわらいながら、彼の耳元でつぶやく。彼は耳元の彼女の言葉の半分も聞いていられるような心の余裕もないといった感じであった。目の前の錠剤と水をしばらく凝視すると、意を決して錠剤を口に入れ、水で流し込んだ。
しばらく、彼は俯いていた。彼女のしばらく背中を抱いたままだった。
彼の肩のこわばりが解け、表情も柔らかくなると更に錠剤と水を渡し、様子をみながらそれが数回繰り返された。
彼が後ろにばったりと倒れこみ昏睡状態に陥ると、周囲の若者たちは彼の手足を持った。
教室の真ん中に置いた大きなテーブルに白いクロスをかけて、彼を寝かせた。
少年は白い花が沢山はいった籠を片手に、若者たちにその白い花を配ってまわった。
彼の呼吸が止まり心臓も止まると、少年が彼の顔の脇に白い花を置いた。
それに続いて、周囲の若者たちも彼に花を手向け、耳元に別れの言葉をつぶやいた。彼との別れを終えた者は次々と廃校から出ていく。一番最後の者と少年が教室から去っていった。
毎日この廃校に少年は最上階の教室の掃除や花の世話にやってくる。そして、いつとなくまたメンバーのうちの誰かの顔写真を黒板に貼る。


ま、こんなフィクションが思い浮かんだのさ。

タコ型火星人はタコ羊の夢を見るか ソ連編2

飢えに苦しまされ、研究は一時的にストップのやむなきに至った。

貧しいソ連の国民のほうがある意味での、コンスタントな栄養補給にありついている反面で、

国家機密の研究要員という特権的なポストにいる我々は、地元民でも探し当てることが困難な秘密施設の中で、まさかの栄養失調すれすれの瀬戸際に追い込まれていたのだ。

とにかく、エネルギーの無駄遣いは命取りになる。確固たる栄養補給の可能性が見えてくるまでは、不要なデメリットを最小限に抑えなくてはならない。

我々はとにかく、ベッドに身を横たえて

まるで、潜水艦の酸素を節約するかのように、体のエネルギーの消耗を抑えた。

その間は「勇気を食べ、忍耐を飲む」つまりは断食状態を否応なしに決行することとなった。
でも、不幸中の幸いか水だけはなんとか飲むことができた。

一度は全員でこの施設から出る計画が立案されたが、致命的なことに土地カンがゼロなのだ。
とりあえず、地下施設が作られた所をみると、永久凍土ではなさそうだが、天候の気の変わりようが激しく、地理に詳しくない我々がブリザードの中、一人づつ氷男になっていくのは、火を見るよりも明らかだった。

しかし、神は慈悲と残虐性の二つの顔を持ち合わせ、慈愛の微笑みを見せながら 虐げと蔑みの嘲笑を見せる器用さを持っているようだ。

ウクライナのエミルが冷凍庫からひき肉を見つけ出したのだ。

一同はこの餓鬼道より脱する光明を見出したかに見えたが、その光はイカズチと変わったのだ。

そして、そのひき肉はバベルの塔と化した。

なんと、男やもめのこの研究チームには、生まれが良かったせいか、誰ひとりとして炊事の経験が無かったのだ。

そのひき肉を携えて、我らが研究チームは一度ミーティングルームへ

ひき肉の周りに座して、ヨハンセンを議長とし

このひき肉を何にするのか? どのようにするのか? いかなるものか? それを話合うこととあいなった。

ソビエトは「議会」を意味する言葉らしいが、この国では「ひき肉料理」すらも「議会」によって決定しなくてはならないのだろうか?

まず先に話し合われたのが「目的」つまりこの場合は「ひき肉をどのような料理」とするかなのだが、東側に人生の基盤を膨大に築いた彼らには、あまり馴染みのないものだったらしい。

そこで、西側諸国の生活に肩までつかったこの私が「ハンバーガーにすればいい」と言った。

さしものヨハンセンも「ハンバーガー」はまともに見たことがなかったらしく、黒板に私が図と解説を所々に入れて説明することとなった。

調理師のレジネフがいないことを確認し、調理場でそのハンバーガーの調理に取り掛かったのだが、なんとバンズの代用品になるようなパンすら見当たらない。

仕方がないので、このひき肉だけを塩とコショーだけで焼いて、それを皆でつまむことにしたのだ。

飢えはこれにて少しは癒されたが、ハンバーガーに出来なかったことが悔やまれてならない。

若いエミルは何としても西側の新感覚な食文化に、是非とも触れてみたくて仕方がない様子であったし、ヨハンセンもどこか不満な感があった。

その夜、ヨハンセンは然るべき部署に秘密裏に連絡を取った。「ひき肉とパンが不足している。調理人は二人とも仕事に来ない。それに付け加えて、食料品の全てを調理責任者は闇市に横流ししている。」

すぐさま、レジネフは更迭。重い処分を受けることとなった。

翌日の昼間頃、早急に陸軍の補給トラックが施設に大量のひき肉とパンを置きにやってきてくれた。

さて、部材が満足に手に入った所で、研究チームの研讃の日々が始まった。

大きな問題となったのはやはり焼き加減であった。物理学者のヤナチュクとスミノフがああでもない、こおでもないと、熱伝導や調理室の空間温度など、あらゆる計算式をずらずらと書いては、机上シュミレーションを行ったり、検証を重ねたりしていた。そこに航空力学のケレンスキーと軍用機開発者のヨハンセンが熱したフライパンから出る上昇気流などとにかく専門家達のブレインを総結集しての一大プロジェクトが発動した。

若き金属の天才 エミルもまたフライパンの金属素材の研究に勤しんでいた。

プロジェクトが始まって一週間が過ぎようとしていた時、最高指導者から直々に電話が来たのだ。

「例の研究は順調だろうか?」
それに対して責任者のヨハンセンは「研究段階はほぼ終盤です。それをもとに来週には開発に着手しようかと」
と答えた。
最高指導者は満足そうに「そうか、そうか。もし必要なら最新鋭の戦闘機も用意する準備がある。」と言ってきた。
ひき肉を焼くだけのことに、戦闘機のジェットエンジンを使えとでも言うのだろうか?

だが、せっかくの最高指導者からの申し出だ。無碍に断ることは失礼というものだ。
「あれば、助かります。」
「そうかそうか、明日にでもよこそう。」

翌日、空気も裂かんばかりの大爆音をたてて、ミグ戦闘機が施設へと着陸してきたのだ。

ジェットエンジンの高熱でひき肉を焼くことになろうとは、これで研究は振り出しに戻ってしまった。

ものは試しに、ミグ戦闘機からエンジンを取り出し、固定してそのジェットの炎にフライパンをかざしてみる実験が行われた。と、いっても高圧力 高温のジェット噴射である。

フライパンを持ってエミルに立たせるわけにはいかない。

エンジンの噴射口にフライパンを固定しての実験となった。

始める前に我々は気付くべきだったのだ。エンジンの燃料調整機が故障していたのである。

燃料の過剰噴射のせいか、なかなか始動しなかったのだが、5回目の始動でようやっとエンジンがかかった。

かかったのはいいのだが、フライパンが一瞬にして吹きとび、コンクリートの壁にめり込んだのだ。

大慌てで、エンジンを停止、エミルが駆け付けると、なんと

フライパンの真ん中には大きな穴が 高温で熱くなったところに高圧力を叩きつけた結果

フライパンはフライパンの面影を無くし、今やリングに棒の生えたわけのわからない代物へと変貌してしまったのだ。

おまけに鉄の焼ける 嫌な臭いすらはなっている。


だが、最高責任者の心遣いを無駄にしてはならない。なんとしても、このジェットエンジンを使ってガスレンジを作らなくてはならない。そのために我々は呼ばれたのだ!!!!!!

タコ型火星人はタコ羊の夢を見るか ソ連編

1989年 ソビエト社会主義共和国連邦 秘密地域

クリントンと栗きんとんは一字違い。気をつけて。

某日、私は時のソ連の最高指導者 ゴルバチョフ書記長に秘密裏にソ連に招かれることとなった。

というのは、ソ連はかねてより サイコキネシスや霊媒の軍事的運用方やいわゆるUFOレベルの航空機、あるいはそのレベルに達する各種兵器についての開発や研究を国を挙げて、そして機密に行っていたのである。

私はエイリアンの、まあ言ってみれば宇宙人の専門家としてその開発チームに参加することとなった。

私の他に連邦国から集められた卓越した頭脳と研究実績が豊富な学者、博士達がいた。私もその一員なのである。(ここ重要。)わっはっはっ。

チェコスロバキア出身の物理学者 ヤナチュク博士

ウクライナ出身の物理学者 スミノフ博士

ウクライナ出身の若き天才 金属の専門家 エミル

ラトビア出身の航空力学学者 ケレンスキー博士

カザフスタン出身の軍用機開発者 ヨハンセン博士

の私を含めた以下、六名である。私達はUFOに匹敵する戦闘機の開発のため、一度モスクワに集められ、その後秘密地域へと移動した。ソ連空軍の下士官に連れられ、この一大プロジェクトのリーダーであるカザフのヨハンセン博士を筆頭に我々は、軍用列車から降りた。

モスクワより離れた某地域の地下に用意された研究所、もちろん地上の施設ともつながっているのだが、そこに案内されていく。

ひととおり施設についての説明をソ連空軍の下士官から受けると、最後に調理師達を紹介された。

調理責任者のレジネフと若い助手のミハイルの二人であった。

責任者のレジネフ強面に似合わずニコニコと愛想がよかった。だが、ミハイルの表情は血気盛んな若者のそれとはかなり違っていた。眉間には深いしわが刻まれて、立っているのすら辛そうな印象を受けた。

空軍の下士官が全て説明を終えて、研究所を出て行くと、あの調理責任者の態度が打って変わった。

急に横柄になり「俺の出すメシにケチをつけやがったら、お前らを食中毒にしてみんな殺してやるからな。態度と口と、俺の機嫌には注意しな。」と凄んできた。

その場にいた六人の開発者全員が、その言葉とそのあからさまな態度の豹変ぶりには驚かされた。

しかし、我々はすぐに気を取り直して早速、研究を開始した。だが、この研究は三週間足らずで重篤な停滞の様相を呈してきたのである。

その原因は、やはり調理責任者のレジネフであった。

彼は始めの三日間は毎日出勤してきてはいたのだが、その後は二日置きに来るようになった。

昼頃に来て、と言っても何時に来るのかは極めてルーズなのだが、大鍋に大量のボルシチを作っては帰宅し、翌日は出勤してこないのである。

これが次第に二日にいっぺんの出勤から、三日にいっぺん、最終的には週に一回の出勤になったのである。

ボルシチも日を追うごとに、どんどんと悪化していった。

始めのあたりは、大鍋に作り置きしていたとはいえ、ちゃんと材料をいれて作っていたのではあるが、ある日を境にして、ボルシチの味がどんどんと薄くなりはじめたのである。

作るのが面倒になってきたレジネフは、まだ多少ボルシチが残っている大鍋に水を注ぎ込み、それをただ温めるだけになった。

それでは、あんまりだったのでヨハンセンは、レジネフが帰宅したあと、残された調理助手のミハイルにちゃんとしたものを作らせていた。

だが、それでもしばらくすると、再びボルシチの味が薄くなり始め、今度はボルシチ色に濁った、ただのお湯になっていったのである。

ヨハンセンはミハイルに聞くと、どうやらレジネフが食材が届くたびにそれを自分の持ってきたトラックに積み替えて、返品しにいっているのだそうだ。

彼がいうには「頼んだ食材と違うから」だそうだ。

ろくに出勤もしてこない彼がそんなマメなことを、しかも自前のトラックを用意してまでするのだろうか?

不信な点は多い。

そして結局、疑惑は的中した。彼は政府から支給されたこの食材を、自前のトラックに積み替えては、闇市で売りさばいていたのである。彼はこのためだけに出勤してくるようになった。

一方ミハイルもミハイルで難アリな青年であった。

常に辛そうなその表情はアルコール中毒によるものだった。ミハイルはかねてからレジネフより、毎日陰湿かつ陰険なイジメにあっていた。

そのせいで、アルコールが手放せなくなってしまった。そんな彼も、二ヶ月ほどで出勤してこなくなった。

彼の場合はレジネフのようなサボりではなく、もっと深刻な重度のアルコール中毒による入院であった。

入院といってもこの国では満足いく適切な治療など夢のまた夢の話であろうが。

食事を管理する調理師が不在となり、食料も横流しされまくった私達だけがこの地図にすら載っていない僻地に取り残される形となってしまった。

当然、栄養補給がろくにできない私達は飢えに苦しまされる一方で、研究どころの話じゃない。

タコ型火星人はタコ羊の夢を見るか 東ドイツ編

1989年 東ドイツ 東ベルリン

 第二次世界大戦末期、アメリカを始めとする連合軍は「史上最大の作戦」ノルマンディー上陸作戦を経て、
ドイツ占領下のフランス解放を皮切りに、ドイツへと進軍していった。アメリカ、イギリス、そして独ソ不可侵条約を破ったソ連が、ベルリンに入城するやナチス・ドイツを統べる独裁者 アドルフ・ヒトラーは若い愛人と共に自決、その後二人の亡骸は側近達の手によって焼却されたと言われているが、今もなおその正否については不明である所が多い。

指導者不在となったドイツは連合軍によって割譲統治されることとなった。アメリカ、イギリス、フランスが西側を、ソ連が東側を。そして、アメリカとソ連は勝利の美酒を味わうことなく次なる大戦へと臨んだのである。東西冷戦時代の幕開けである。

かつてのドイツの首都 ベルリンは東ドイツ内に位置しながら、ベルリンの西側は西ドイツの管理下にあった。

つまり、西ベルリンは東ドイツ内にある西ドイツの飛び地という何ともややこしく、そして非常に厄介な地域となってしまった。

声高に自由主義、資本主義を謳う隣国の西ドイツでさえ頭の痛い存在であるのにもかかわらず、その西側の回し者のような西ベルリンは東ドイツにとって、まさに獅子身中の虫であった。

これを放っておくわけにはいかなかったソ連側は、西ベルリンをレンガやコンクリートで一周を包囲し、東ベルリン及び、東ドイツより西ベルリンに近づく者は容赦なく射殺した。これが「ベルリンの壁」である。

そんなベルリンに私はタコ型火星人の足跡をたどるべく足を踏み入れた。この年のベルリンでの出来事は非常に印象深かった。私はこの歴史的大事の瞬間にベルリンにいたことを一生涯忘れることはないであろう。

ベルリンに着いた私は、といってもまだ自由主義万歳のアメリカと社会主義革命万歳のソビエト連邦が互いに睨み合う冷戦末期である。

西ドイツから私のような一介の一般人が出入りなどほぼ出来ない時代である。いくらロシア系の血統である私であっても、国籍がアメリカの飼い犬になり下がった日本である。

気難しい番犬よりも交渉の余地のないモスクワが入国許可などそう簡単に出そうはずもない。

私は一度カザフスタンのツテを借りて、一度ソ連へ。そしてまたソ連のツテに賄賂を渡してという何とも一筋縄ではいかない面倒をいくつも踏んでソ連から東ドイツへと渡った。

ソ連から東ドイツ間は人員補充の一兵卒達と一緒に軍用列車の、中でも一際最悪な車両での移動となった。あの赤軍兵隊達の悪臭、不潔さといったら…。

澄み切った空の下、悪臭の赤軍兵達から解放された私は東ドイツは東ベルリンへと入った。しかし、数々の苦難の割りに残念ながらタコ型火星人研究の成果は何も得られず、私は即座に帰国を決意した。

帰国まで数日間時間を潰すため、一度ベルリンの壁を見物しておこうと東ベルリン市内をあちらこちらと訪ねて回ったが一向にそれらしきものは見えてこない。

歩きつかれたので、随分と背の高いコンクリート塀のまん前で一休みしていると、ソ連兵に声をかけられた。

それに対して私はロシア語で返事をすると、白熊とブルドックを足して2で割って平方根を割り出し、積分して反比例させ、第23項を求めたような顔をしたソ連兵はほがらかに笑顔になり、

「俺の警備室で休むといい」といってくれた。

彼はニコライという腰痛もちの古参兵だった。彼の仕事はこの壁の見張りで、このコンクリートの壁に人が近づかないよう監視する任務に就いていた。

「この壁は老朽化している。壊れてしまえばここぞとばかりに市民が押し寄せ、暴動が起きて大変なことになるだろうが、モスクワは壁の修繕のための予算は組まないだろう。もう、何十回と検討をお願いしているのだが…」とため息まじりに言っていた。

すると、急に警備室の電話が鳴り出した。どうやら、身重な娘さんが産気づいたらしかった。

一人娘なので心配だが、どうしたものかとニコライは悩んだが、結局ニコライが不在の間は私が代わりに警備をしているということで、ニコライは一旦帰宅した。

どうせ、ベルリンの壁も見つけられないことだし、時間をもてあましている私である。その時間を困った人間に少しでも分けられるのならそれで良し、そう思ったからである。

ニコライが警備室を飛び出して数時間後、巡回の時間となったので私は銃を携えて、壁沿いに歩いた。

その途中、故障したトラックと格闘している男数名と出会った。

話をすると、どうやらエンジンが完全に駄目になってしまっていたようだった。

トラックの荷台にはブルドーザーが乗っていた。私はブルドーザーを見るとあることを思いついた。

壁の修繕である。壁を修繕するには一度、解体するのが常識である。

私は彼らに、別のトラックがブルドーザーを引き取りに来るまでの間、この壁の解体を手伝ってくれないかと持ちかけた。

男達は呆気にとられた顔をしていたが、急にいぶかしんだ表情になりドイツ語でヒソヒソ言い始めた。

なかなか重い腰を上げようとしない連中のようだ。こうゆう時こそ実力が物を言う。

私は銃口を彼らに向けた。

口を動かすばかりで、行動をしようとしなかった彼らも、銃の前には文字通りのお手上げと見えて、血相を変えて作業を始めた。ブルドーザーのけたたましい音と共に老朽化した壁はいともたやすく崩壊した。

これを見て満足した私は、彼らに礼を言った。彼らはブルドーザーもトラックも置いて、一目散に逃げ出したようだった。まあいい、あとは建設業者を呼ぶだけである。意気揚々として警備室に戻った私は電話帳を探した。そんな気のきいたものなど警備室になんかあるわけもなかったのだが。

電話帳の類は一切見つからなかったので、何とか探し当てたモスクワの政府機関への電話番号にかけることにした。

きっとモスクワ政府が好意にしている業者なんかもあるだろう。

何回かの呼び鈴の末、相手が電話に出た。

壁を修繕したいので業者を要請したが

「何度も言っているが、その壁の安全性は規定通りであるからして、修繕の必要はない。」の一点張りである。

私はそれを聞くと素直に引き下がった。何と感じの悪い奴に電話をかけてしまったものだなあ、と空を見上げていると電話が鳴り出した。

「こちら、モスクワだ!!警備兵だな!?」電話の主はさっきの感じの悪い奴とは別だった。

「はい、そうです。」

「ベルリンの分断線が崩されたそうだが、何も報告がないぞ!!」

「はあ、こちらは異常なしですが」

「何だと!!突然ブルドーザーが壁を崩したと第5地点の警備兵が通報してきたぞ!!」

「ブルドーザーで老朽化した壁を解体しただけです。異常はありません。後で建設業者を呼んでくれとそちらにお願いしたんですが、何だか感じの悪い奴にその必要はないと言われまして…」

「お前がやったのか!?」

「私はお願いしただけです。私は崩してませんよ。」

「この野郎!!今すぐ首を引っこ抜いて赤の広場にさらしてやる!!いや、さらすなんてもんじゃない粉々に粉砕してくれる!!いいか!?ベルリンの市民が西と東から大挙して分断線に向かってる!!一人も絶対に近づけるな!!いいか!?一歩でも近づこうとしたら撃ち殺せ!!わかったな!?じゃなきゃ俺がいますぐそっちに行ってお前を撃ち殺してやるからな!!いいか!?誰一人近づけるな わかったか!!!」

「はあ。まあ。やってみます。」

「お前の処分についてはその後だ!!このノータリンの売国奴が!!  ガチャン」
 
とって電話が切れた。感じの悪い奴の次はいきなり激怒の男であった。

分断線だの撃ち殺せだのと意味不明なことを随分と耳元でがなり立てられた私はタバコを吸いに警備室から出た。

日暮れと共にコンクリートの壁に市民が、いくぶん躊躇気味ではあったがちらぽらと集まり始めた。

最初に来たのは野次馬、野次馬といってもどこか怯えたような不安そうな目つきの野次馬という言葉が似つかわしくない連中が、こそこそと遠巻きに壁の様子を伺いに来た感じであったが、日が山の陰に入ろう時間ともなると
一気に勢い逞しい群集が詰め掛けた。

中には手にハンマーや何かの鈍器を携えた者も少なくない。

きっと、壁の修繕を手伝ってくれる気なのであろう。

やはり、ソ連の圧政下の市民にしてみても暴動なんてまっぴら御免こうむりたいものであろう。壁の修繕さえ済めば、彼らも安心して圧政下に耐え忍ぶことに専念出来るわけだ。

「おおい、ここだぞ。みんな、よく来てくれた!!」私は彼らに手を振った。

すると、群集の中から石がまるで流星群のように降ってきた。寸での所でその投石を避けた私は、ワケも分からずにただその場から逃げ去った。

今にして思えば、別に逃げるまでのことをする必要があったのかは謎であるが、ついその場から走り去ってしまった。まあ、過去をあれやこれや考えてみても仕方ないか。

結局、その警備室をから逃げた私はあの古参の警備兵ニコライに渡された銃を道端に捨て、ホテルに戻った。

翌日、私は東ドイツを後にした。

ここまでたどり着くのにかかった資金、労力全てが無駄になってしまったのだった。

元来、私は要領よく利益や成果を得るような類のことがひどく苦手なタイプなのである。

ともすれば、元を取ることすらままならない。そんな私を研究所時代の仲間達は、「奉仕の徒」だとか「足が出すぎて、もはや半ズボン」などと揶揄するが、こういう生き方もなかなか気苦労の絶えないものだということを彼らは理解していない。

いや、成果が挙がらないんなら何の定評も得られようはずなぞないのが、この現し世の法則なのだから仕方ないか。そうだから仕方ない。あれだから仕方ない。こういうものだから仕方ない。

仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。そう、全ては仕方ないのだ。

帰国の最中、私はベルリンの壁の崩壊を空港近くのレストランで知ることとなった。

どうやら私の探し求めていたベルリンの壁は、なんともはや、私が留守番を頼まれていた警備室の付近にあったのである。

もう少しで手の届きそうな所にあって、それを逃してしまうのも私の性質の一つである。

もう少し粘って探せば、きっと壁を見ることが出来たであろうに。

しかも、である。その今に至っては歴史の一幕といっても過言ではなかった大事件をこの目で見ることが出来たのはずである。なんと、惜しいことをしてしまった。

がっくりと肩をおとしながら、私はレストランのテレビを眺めていると、一部始終を目撃していた市民がインタビューをされていた。

「ああ、魂消たぜ。俺っちの住んでるアパート。すぐそこの。見えるだろ。あそこの三階なんだけどよ。たまたまよう、窓からあの壁眺めてたんだよう。壁のすぐそばでトラックがエン故しちゃってたみたいでさあ。なんか運ちゃん達がごちゃごちゃエンジンいじってたらよう。あの、クソ忌々しいソ連の警備兵が来やっがてさあ。また、なんかイチャモンつけて逮捕でもすんのかなあって、見てたらよう。警備兵が運ちゃんに鉄砲向けたわけさ。ああ、気の毒にあいつら射殺されんだなあって、思ってたらよう。いきなり積んであったバックフォー動かしてよう。壁、壊しちゃったんだよう。警備兵なんて、あれよ。あれ。オーライ、オーライってブルドーザー誘導しちゃってんの。ありゃあ、魂消たねえ。ほんと。」

なんと、壁を崩壊させたのは一介の警備兵のようであった。

私はため息まじりにスープをすすると、その警備兵とやらが燦然と輝いて見えるように思えた。

きっと彼は歴史に「圧政の救世主」「正義の反逆者」と呼ばれ、未来永劫その名を刻むこととなるであろう。それに比べてこの私。歴史を動かすどころか、その瞬間に居合わせることすら出来なかったのである。

東ドイツの旅は落胆のうちに終わってしまった。
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Screamerと牛頭鬼八です。岩手県に生まれ、とりあえず生きてます。

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