まあ、俺にとっては随分と古い言葉になってしまった気がするが、
まあ、アセンションだ。
アセンションってのをあらましを話すと
ま、スピ系の人は「次元上昇」とか言うな。
辞典で調べたら「昇天」って意味なのだそうだが、
最近はニュアンスだけで言葉使わず、とりあえず現実に存在する辞典から言葉の意味を調べている。
じゃなきゃ言葉だけが変に独り歩きしちまうからな。
ちなみに今なかなか正式な意味に行き着けない言葉がある
「Primarch」だ。「始祖」とかそういう意味もあるようだが「霊長」という意味あるようで、
本当のところどうなのか確認したいよ。
ちなみに「霊長類」の「霊長」ってのは、霊妙な力を持ち、他のかしらであること
らしい
そのまんまじゃねえか!!!!!!
ま、またまた脱線したな
まあ
このアセンションってやつは
現象かね
エネルギーレベルが上がって、物質的な肉体が霊的な体へと変換して、次元上昇して
なんて話なのだが
結局俺からいわせれば、それって死ぬことじゃね?
って感じなんだが
これにすごく似ているなあってのが、
キリスト今日のラプチュアーなんだな
ラプチュアーってえと「歓喜」という意味なのだが
確かこれは
最後の審判の時、正しい人間にはこのラプチュアーが起きて
体が浮き上がり、神の王国へと導かれる。
その時の意識ってのは恍惚と歓喜そのものらしい
つーか、これ
多分、アセンションってのはこのラプチュアーをモデルに作られた話なんじゃないか?って思ったのよ。
そもそもだ
今のスピリチュアルの系統を踏襲しているのは、ニューウェーブといわれるものだろうし、そうすると少なからず
ヒッピー文化も入っているのだろう。もちろん、世代的なことを考えると、今のスピ系の第一人者や先駆者的な存在は
若かりし日の時代背景を考えると、ヒッピーの時代と重なっている。
ヒッピーの中には原初回帰的なキリスト教グループがいたりしたらしいし、北欧にだって参考にすべき神様はいるのにあまり触れられることがなく、どちらかというとヒンドゥーとかのサイケデリック文化や美術に組み込まれた宗教から取り入れられたりしたような感じだ。
まあ、周囲がキリスト教徒しかいない彼らにとってヒンドゥーの文化は斬新で新感覚な刺激的な文化だったかもしれないが、
そんで、まあそんな彼らが慣れ親しんだラプチュアーをアセンションとしたのではないか?
そのように考えている。
ちなみにさっきアセンションの意味は「昇天」といったが、端的に物が空中にあがるというのではなく「キリストの昇天」などの意味で使われているようだ。
ま、ラプチュアーの言葉をアセンションに変えただけか
という感じだ。
ま、このラプチュアーの言葉を知ったのは、とある理由でアメリカの「キリスト福音派」について調べていた時のことだった。
この人たち結構強烈よ。
一部の人間だけなのかな?
この福音派ってのは、まあ政治に影響与えるほどの人数で、かいつまんでいうと「科学や知識は悪魔の道具、学校教育は聖書を基本とし、聖書に書かれている記述は全てが真実であり、預言は言葉の通りに実現される」と信じている人達らしい。
ラプチュアーもその話の一部のようだ。
彼らの支持率を得るための戦争って図式で考えると、以前の中東での戦争の理由の一部も理解できそうだな。
俺らからすれば、まるで精神だけを中世ヨーロッパに置き忘れてきたのか?なんて思ってしまうかもしれないが、これがきっかけとなって、白人達の中にある「先進的文化」の定義を洞察することとなった。
例えば、道徳律の規範としての宗教という考え方を持ち、科学的な事実も受け入れるのが「先進的文化」と一方が考えていたとしても、また一方では科学とは原始人が石器を作り出したことの延長線に過ぎず、神という存在を見えないものという理由だけで信じようとしないイマジネーションに欠け、また神と共にあること心に抱けぬ精神レベルの劣った連中こそ「野蛮で未開的だ」と考えているかも分からないのだ。
また、命あるものは一様に同じなのだから、手前身勝手な理由で無益な殺生を働いてはいけない、と一方が思っていても、
また一方が、だったら神は我々には殺すことが出来ない生き物になぜ創造しなかったのか?我々の手で殺せるということは、我々の好きにして良いからだ。と考えているかも知れない。
その位の差異があるじゃないかって、まあ思ったのよ。
まあ、ちなみにこの「福音派」ってのを英語にすると「エヴァンゲリオン」になるようだ。調べてみるといい。
でもね、神って存在は便利な一面もあるんだよ。
「全ての子供たちは愛情と良質な教育受けることができる。これは神から与えられた権利である」
と現アメリカ大統領が言っていたのをニュースで見たのよ。
「神から与えられた権利である」なんていわれた、それを信じている人は損得勘定なしに有無言わさず従うということを考えると、あながち、神って存在も使いようだなって思うよ。
結果的にそれで誰かが助かるなら、あまりにも極端すぎなければプロセスなんて問題じゃない部分も世の中にはあるからな。
しかして、前にも触れたかな?
変成意識とやらの、まあスピリチュアル系のアメリカの偉いらしい先生が書いた著書なのだけれど、俺はそれを読んで物凄く違和感を感じた。
というのは、変成意識というのは自分の奥深くから発する潜在意識がどうのって、まあ簡単にいうと変成意識の状態で見えるものは自分の心の中を投影したものだみたいな言い方をして、
過去の実験記録、何だか幻覚剤を使用しての変成意識実験みたいなことが書いてあって、その時に見えたのが目が三つの恐ろしい巨大な顔なんてのを、スケッチ付きで紹介されていたのだが、この本を書いた人は幻覚剤で自分の本質を引き出せると思っているのだろうか?薬物の効果については詳しくは知らないが、むしろ脳が異常状態になるんだろうから逆じゃねえか?
きっとそれって、変成意識で視覚化した自分の本質ではなくて、単なる幻覚じゃねえの?って思ったよ。
そんなこんなで、俺は「神」とかそういものへの理解を試みる時、「スピリチュアル」の方向からではなく、「科学」とか「物理学」「心理学」の方面からアプローチしていこうと思うに至った。現代科学の技術だけで観測できるものだけが、この世界だとも思ってはいないが。ttehainaiga
だが、薬物の影響で見た幻覚を、自分の本質とか言ってありがたがってるイカレ学者の本からは、何も得られるものがなさそうだった。
まあ、スピリチュアルに絡んだ、最近の話といえば
ちかくの図書館に行ったときに昔の本「超常世界に挑戦」のシリーズの分厚い総集編があった、怪しい本に目がない俺としては、この本譲ってほしいとさえ思ったもんだが、
ま、意気揚々とページをめくっていると、宇宙人のページにさしかかる。
宇宙人は多くの人間が遭遇しているらしいものだが、その著者は偏りのない視点で記事を書いているのもあって、宇宙人のスケッチと目撃者のステータスに言及していた。
宇宙人のスケッチの多くの共通点が、ヒト型であること
キリスト教徒信者が遭遇する宇宙人の多くが、金髪であること、白人タイプであること、時に翼が背中に生えていること、だった。
他の宗教を信じているものが遭遇した宇宙人ってのは上記のものではないことが多いらしい。
こんな話があるだろう?天使はエイリアンだった、とかね。
著者はユングの言うところのアーキタイプのせいだろうと結論付けていた。俺も概ねそれには賛成だ。
恐らく彼らは、自分の中にある意識の何かしらを何かの拍子に引き出されたのだろう。それで自分の心のうちにあるイメージが投影された結果なのでないかな?つまりは幻覚。
じゃあ、なぜそんな幻覚がその時、その場所で起こったのかについては検証が必要になるだろうがね。
ただ、これ金髪であり、白人タイプであり、ってところから引き出されるの「プレアデス人」のイメージと繋がっているような気がする。旧来の天使信仰がエイリアンに形を変えたのだろうか?
まあ、現代人にとっては「天使」なんて存在よりも、エイリアンのほうがいくらか現実味があるしな。
もしかして、スピリチュアル文化って、一概には言えない部分もあろうが、形を変えたキリスト教?って思った。
現にキリスト教ってのはあれでいて、多くの宗教文化を取り入れて多くの人間に親近感に訴えて信者を獲得してきた過去があるようだし。ま、元がさ、妙じゃないか
キリスト教信者を弾圧、迫害していたはずのローマだぜ?
ローマ法王っていうでしょ。
うーんこれってもしかして、宗教に形を変えたローマ帝国の再興が目的だった?
ま、キリスト教の話はここまでにして
読み進めているとなんか、見覚えのある顔写真があった。
相変わらずの目が行っちゃってる表情だった。
Doだった。
といっても彼が「Do」を名乗る前の「ヘブンズ・ゲート」の前進のグループの時の写真だった。UFO系宗教家として載っていた。
多分、スピリチュアル系の人は、知りたがらない人じゃないかな?
彼の言葉を思い出した。目はいっちゃってるけれど、優しい感じのじいさん。
彼を動画で見た時の肉声
This is Do's final session.とか
How do you thinking?とか
本当の最後だったらしいビデオレターの動画の
Smile.Smile again.とか
あまり深い意味合いのある言葉ではなかったが、「セッション」って言葉はこの人も使ってたんだなと思った。
ヘールボップ彗星の後ろを飛んでいるらしいUFOに、彼は乗れたのだろうか?
まあ、ジョーンズ・タウンよりはましか
なんてことを考えながらみていたら、確かページをめくっていると
載ってたよ
ジョーンズ・タウンが
ああ、これも載ってたのか…
つーか、この本が書かれたあたりって、ジョーンズ・タウンはまだまだ遠き日の出来事ではなかったはず
なんて考えながら見ていた。
さて、またまたスピリチュアルの人が嫌がるような話をもう一つ
世界最悪の男だったか今世紀最悪の男だったか アレイスター・クロウリーなのだが、
訳あって調べたことがあった。
まあ、知らない人のために書いておくが
黄金の夜明け だとか バラ十字団 黒十字軍じゃねえぞ
の魔術師集団のリーダーで、なんで最悪と言われたかというと
黒魔術師だとか言われていたかららしい。
彼は儀式的魔術を重んじた魔術師だったようだ。まあ、伝統的魔術師といったところかな
儀式を行うことに重きを置いていたらしい。俺はその時は旧態依然とした古き時代のタイプの魔術師だなと感じていた。
ウィキペディアなんかを見ると、まだ若い時の写真が載っていた
彼は魔術師の他に、登山家や野外活動専門家、考古学の専門家としての側面もあったらしい。
ま、魔術師で登山や野外活動ってのは得に意外なことはないな。
仙術ってそういうところでやるでしょ?
でも、ウィキペディアの写真では恐らく、登山をした先の森林で見つけたらしい水場に全裸でつかっている彼の写真だった。
ふと思ったのだ。
この人は現代スピリチュアルの先達なのではないか?と
気になって彼の著書を買って読んでみた。世界的な最悪な男が残した魔術指南書である、読むごとに神経が焼き切れ、心臓の肉が削られでもするのかと思いきや、あれ?これなんか知ってるぞってな内容がほとんどだった。魔術をする際の呼吸法の指南では「これは変成意識にするための呼吸法じゃないか!!」とか
ただ、難解なものがあった。彼がこだわった儀式の準備品やら計算式みたいなものが図表にしてあったが、これは一体何をどうするためのものなのか分からなかった。それと儀式にこだわる姿勢がこの時に俺には賛成できないものだった。
ま、「爺が古臭いこといってら」な感じだ。深い意味はない。
その魔術指南書は半ば自叙伝的な部分もあり、彼は日本にも魔術研究のために来ていたらしい。そこで、仏道を学んだり、神道も学んでいたらしい。
多くの信仰や秘術に関心を持ち、宗教思想の違いを超えて探求する姿勢は、最悪の男に似つかわしいものではなかった。
魔術指南書の一部が自叙伝と化していた理由も分かった。彼は後世のために自分の習得した魔術奥義を分かりやすく、体系化するために心を砕いていたようだ。たしか記述のなかに「分かりやすく体系化する努力はしているが、至らない点についてはすまなく思っている」といような記述もあった。
自分の体験エピソードをそのままの載せて、的確な解釈を読み手側に求めるより他なかったようだ。
しかしてまあ、読み進めるごとに「最悪の男」と二つ名を付けられた理由も何となく分かった。
彼が魔術を志したのは子供時のようだった。自分の住まう村が狂信的なキリスト教であったため、何かが変だ。俺が村人を救わないとッていう思いからその手段を魔術に求めたのがきっかけのようだった。
つまりはこういこと、誰にとって最悪な男だったのか?
当時の道徳律や社会規範の覇権といえば、キリスト教である。
キリスト教は中世の時代は、薬を作る技術者も魔法使いとして火あぶりにしてきた歴史がある。
これは、神に祈っても治らなかった病気が、薬を飲んで治ったら、教会の権威は失墜するからである。
つーことは、キリスト教の道を外れたものは、どんな理由があっても地獄行きの悪者となるわけだ。
彼の生きた時代はまだそんな封建的な時代であった。彼は今でいうところのヨガ・マスターでもありヨガってはキリスト教からすれば異教であり悪なわけだ。ま、キリスト教にとっての(都合が)最悪の男だっただけだ。
まあ、彼は幸いにも中世の時代ではなく、時代的にはもうカメラがある時代の人だったんで、たしか日本に来たのは大正時代だったかな?火あぶりまぬがれたようだ。嫌がらせはあったみたいだけれどね。
ま、その魔術指南書は現代のスピリチュアルの基礎となるような内容だった。
そんなとこだ。
彼の残した言葉にもそれがみられる
「世界は鏡のようなもの、変えることを望むなら、あなたを変えるしかない」
「人生の喜びはすべての新しい経験を楽しむことにある」
「愛は人生を寛容にさせる唯一つの原則である」
「魔術とは精神に変容をもたらすアートである」
なんか、今のスピリチュアル系の本によく書いてありそうな言葉だよね。
さて、アレイスター・クロウリーが古臭い魔術儀式を執り行うことに重点をおいていた理由は意外な方向から分かった。
それは心理学だった。
とはいえ、もはや現代にいたっては儀式というのは形式だけの形骸化したものという意識が
根付いてしまっているため、魔術儀式の効力があるのは精々が学校にいっている時期の間だけであろう。
成人式など、そういう観点から見ればあまり意味がない。
というのは、
みんなもそうかもしれないが、特に大人になってからというもの節目を迎えての劇的変化ってのを感じないことが多くないかい?
俺は世界が変わったように感じたのは、高校の卒業式が一番だったかな。
もちろんそれは儀式だけの効力ではない、がらりと生活や環境が変わるからだ。そしてその間に介在する卒業式や入学式という儀式には「これからあなたの世界は変わります。そしてあなたも変わります。」という新たな自分への変容のための通過点なのではいかと思う。大人になってからというもの通過儀式とうものがなかった。そのせいか、卒業式を迎えた後の延長線上に今があるような気分が今まで続いている。あれから俺変わったのだろうか?とか考えてしまうわけだ。
もちろん、儀式そのものに魔術的効果なんてのはない。儀式はそれを通過する本人のいわゆる魔力を引き出す手助けをしているに過ぎない。だから普段から儀式の意義について教育していく必要もある。
古来の儀式には人の意識を変容させる力がそういう意味ではあったのだ。
儀式というのは心理的な変化を促すためのものだった。だから、儀式を受ける以前から儀式の意義や有用性を心に刻みこんでおく必要がある。悪く言えば洗脳に近いかもしれないが
ただ、儀式による心の変容を促すには、それを補助する要素が必要だ、それは環境の変化である。
小学校を卒業し、中学校への入学すると儀式の後に否応なしに環境の変化が起こることがほとんどだ、新しい場所、新しい教師、新しい規則など、それらを肌で感じ短期間で小学生は中学生に意識変容する。新しい場所の新しい自分へと心的変化を遂げるのだ。そして目の前の環境から自身の変化を自覚するのではないだろうか?
新しい恋人や新しい友人、新しい人間関係ってのも自分の意識変化の要因になるかもしれない。
意識の改革や変化には儀式がそれを手助けするのでは?と考えた。その結果、アレイスター・クロウリーが魔術的儀式の実践にこだわった理由が理解できた。単なる「年よりの世迷い事」ではなかったのだ。
儀式のための儀式でも、魔術のための儀式でもなく、本人の精神的変化を引き出すための手段としての儀式だったのだろう。
その観点から成人式というものを考えると、新成人たちを「こども」のままにするのは、本人達だけの責任ではないと感じる。いくら成人式をやったからといって、周囲の年長者が大人として敬意をはらわず、未熟者とばかりにぞんざいに扱っていたら、そりゃ本人達もいつまでたっても大人になった気なんてしないし実感もできないよな。実感という強烈な納得があってこその精神変容なのだからね。
ま、儀式を主催する側もその奥深くにある意義と有用性については考えていないだろうし。
儀式が形骸化しているのではなく、儀式を形骸化しているという部分から今一度考えねえとな。
儀式の形骸化と共に、妖怪やお化けがいなくなったと感じるのは俺だけだろうか?
まあ、暗示の一種といえば、それまでだがね。
まあ、ちょいと自分自身の成長や変化の要因や原因を外側に求めたりするな、という意見が
スピリチュアル系の世界にも意外と多いし、耳にもするが
人間ってものを立ち止まって考えなおしてみる姿勢があまり感じられない。まあ、俺だけかもしれんがね。
人間は良くも悪くも互いに影響しあっている。確かに心の出来事はその本人の内側の世界で起こっていることなのだけれど、それって裏をかえすと「私は誰の世話になることもなく、ここまで成長できた」って言うのと大差ないような気がするよ。
まあ、アセンションだ。
アセンションってのをあらましを話すと
ま、スピ系の人は「次元上昇」とか言うな。
辞典で調べたら「昇天」って意味なのだそうだが、
最近はニュアンスだけで言葉使わず、とりあえず現実に存在する辞典から言葉の意味を調べている。
じゃなきゃ言葉だけが変に独り歩きしちまうからな。
ちなみに今なかなか正式な意味に行き着けない言葉がある
「Primarch」だ。「始祖」とかそういう意味もあるようだが「霊長」という意味あるようで、
本当のところどうなのか確認したいよ。
ちなみに「霊長類」の「霊長」ってのは、霊妙な力を持ち、他のかしらであること
らしい
そのまんまじゃねえか!!!!!!
ま、またまた脱線したな
まあ
このアセンションってやつは
現象かね
エネルギーレベルが上がって、物質的な肉体が霊的な体へと変換して、次元上昇して
なんて話なのだが
結局俺からいわせれば、それって死ぬことじゃね?
って感じなんだが
これにすごく似ているなあってのが、
キリスト今日のラプチュアーなんだな
ラプチュアーってえと「歓喜」という意味なのだが
確かこれは
最後の審判の時、正しい人間にはこのラプチュアーが起きて
体が浮き上がり、神の王国へと導かれる。
その時の意識ってのは恍惚と歓喜そのものらしい
つーか、これ
多分、アセンションってのはこのラプチュアーをモデルに作られた話なんじゃないか?って思ったのよ。
そもそもだ
今のスピリチュアルの系統を踏襲しているのは、ニューウェーブといわれるものだろうし、そうすると少なからず
ヒッピー文化も入っているのだろう。もちろん、世代的なことを考えると、今のスピ系の第一人者や先駆者的な存在は
若かりし日の時代背景を考えると、ヒッピーの時代と重なっている。
ヒッピーの中には原初回帰的なキリスト教グループがいたりしたらしいし、北欧にだって参考にすべき神様はいるのにあまり触れられることがなく、どちらかというとヒンドゥーとかのサイケデリック文化や美術に組み込まれた宗教から取り入れられたりしたような感じだ。
まあ、周囲がキリスト教徒しかいない彼らにとってヒンドゥーの文化は斬新で新感覚な刺激的な文化だったかもしれないが、
そんで、まあそんな彼らが慣れ親しんだラプチュアーをアセンションとしたのではないか?
そのように考えている。
ちなみにさっきアセンションの意味は「昇天」といったが、端的に物が空中にあがるというのではなく「キリストの昇天」などの意味で使われているようだ。
ま、ラプチュアーの言葉をアセンションに変えただけか
という感じだ。
ま、このラプチュアーの言葉を知ったのは、とある理由でアメリカの「キリスト福音派」について調べていた時のことだった。
この人たち結構強烈よ。
一部の人間だけなのかな?
この福音派ってのは、まあ政治に影響与えるほどの人数で、かいつまんでいうと「科学や知識は悪魔の道具、学校教育は聖書を基本とし、聖書に書かれている記述は全てが真実であり、預言は言葉の通りに実現される」と信じている人達らしい。
ラプチュアーもその話の一部のようだ。
彼らの支持率を得るための戦争って図式で考えると、以前の中東での戦争の理由の一部も理解できそうだな。
俺らからすれば、まるで精神だけを中世ヨーロッパに置き忘れてきたのか?なんて思ってしまうかもしれないが、これがきっかけとなって、白人達の中にある「先進的文化」の定義を洞察することとなった。
例えば、道徳律の規範としての宗教という考え方を持ち、科学的な事実も受け入れるのが「先進的文化」と一方が考えていたとしても、また一方では科学とは原始人が石器を作り出したことの延長線に過ぎず、神という存在を見えないものという理由だけで信じようとしないイマジネーションに欠け、また神と共にあること心に抱けぬ精神レベルの劣った連中こそ「野蛮で未開的だ」と考えているかも分からないのだ。
また、命あるものは一様に同じなのだから、手前身勝手な理由で無益な殺生を働いてはいけない、と一方が思っていても、
また一方が、だったら神は我々には殺すことが出来ない生き物になぜ創造しなかったのか?我々の手で殺せるということは、我々の好きにして良いからだ。と考えているかも知れない。
その位の差異があるじゃないかって、まあ思ったのよ。
まあ、ちなみにこの「福音派」ってのを英語にすると「エヴァンゲリオン」になるようだ。調べてみるといい。
でもね、神って存在は便利な一面もあるんだよ。
「全ての子供たちは愛情と良質な教育受けることができる。これは神から与えられた権利である」
と現アメリカ大統領が言っていたのをニュースで見たのよ。
「神から与えられた権利である」なんていわれた、それを信じている人は損得勘定なしに有無言わさず従うということを考えると、あながち、神って存在も使いようだなって思うよ。
結果的にそれで誰かが助かるなら、あまりにも極端すぎなければプロセスなんて問題じゃない部分も世の中にはあるからな。
しかして、前にも触れたかな?
変成意識とやらの、まあスピリチュアル系のアメリカの偉いらしい先生が書いた著書なのだけれど、俺はそれを読んで物凄く違和感を感じた。
というのは、変成意識というのは自分の奥深くから発する潜在意識がどうのって、まあ簡単にいうと変成意識の状態で見えるものは自分の心の中を投影したものだみたいな言い方をして、
過去の実験記録、何だか幻覚剤を使用しての変成意識実験みたいなことが書いてあって、その時に見えたのが目が三つの恐ろしい巨大な顔なんてのを、スケッチ付きで紹介されていたのだが、この本を書いた人は幻覚剤で自分の本質を引き出せると思っているのだろうか?薬物の効果については詳しくは知らないが、むしろ脳が異常状態になるんだろうから逆じゃねえか?
きっとそれって、変成意識で視覚化した自分の本質ではなくて、単なる幻覚じゃねえの?って思ったよ。
そんなこんなで、俺は「神」とかそういものへの理解を試みる時、「スピリチュアル」の方向からではなく、「科学」とか「物理学」「心理学」の方面からアプローチしていこうと思うに至った。現代科学の技術だけで観測できるものだけが、この世界だとも思ってはいないが。ttehainaiga
だが、薬物の影響で見た幻覚を、自分の本質とか言ってありがたがってるイカレ学者の本からは、何も得られるものがなさそうだった。
まあ、スピリチュアルに絡んだ、最近の話といえば
ちかくの図書館に行ったときに昔の本「超常世界に挑戦」のシリーズの分厚い総集編があった、怪しい本に目がない俺としては、この本譲ってほしいとさえ思ったもんだが、
ま、意気揚々とページをめくっていると、宇宙人のページにさしかかる。
宇宙人は多くの人間が遭遇しているらしいものだが、その著者は偏りのない視点で記事を書いているのもあって、宇宙人のスケッチと目撃者のステータスに言及していた。
宇宙人のスケッチの多くの共通点が、ヒト型であること
キリスト教徒信者が遭遇する宇宙人の多くが、金髪であること、白人タイプであること、時に翼が背中に生えていること、だった。
他の宗教を信じているものが遭遇した宇宙人ってのは上記のものではないことが多いらしい。
こんな話があるだろう?天使はエイリアンだった、とかね。
著者はユングの言うところのアーキタイプのせいだろうと結論付けていた。俺も概ねそれには賛成だ。
恐らく彼らは、自分の中にある意識の何かしらを何かの拍子に引き出されたのだろう。それで自分の心のうちにあるイメージが投影された結果なのでないかな?つまりは幻覚。
じゃあ、なぜそんな幻覚がその時、その場所で起こったのかについては検証が必要になるだろうがね。
ただ、これ金髪であり、白人タイプであり、ってところから引き出されるの「プレアデス人」のイメージと繋がっているような気がする。旧来の天使信仰がエイリアンに形を変えたのだろうか?
まあ、現代人にとっては「天使」なんて存在よりも、エイリアンのほうがいくらか現実味があるしな。
もしかして、スピリチュアル文化って、一概には言えない部分もあろうが、形を変えたキリスト教?って思った。
現にキリスト教ってのはあれでいて、多くの宗教文化を取り入れて多くの人間に親近感に訴えて信者を獲得してきた過去があるようだし。ま、元がさ、妙じゃないか
キリスト教信者を弾圧、迫害していたはずのローマだぜ?
ローマ法王っていうでしょ。
うーんこれってもしかして、宗教に形を変えたローマ帝国の再興が目的だった?
ま、キリスト教の話はここまでにして
読み進めているとなんか、見覚えのある顔写真があった。
相変わらずの目が行っちゃってる表情だった。
Doだった。
といっても彼が「Do」を名乗る前の「ヘブンズ・ゲート」の前進のグループの時の写真だった。UFO系宗教家として載っていた。
多分、スピリチュアル系の人は、知りたがらない人じゃないかな?
彼の言葉を思い出した。目はいっちゃってるけれど、優しい感じのじいさん。
彼を動画で見た時の肉声
This is Do's final session.とか
How do you thinking?とか
本当の最後だったらしいビデオレターの動画の
Smile.Smile again.とか
あまり深い意味合いのある言葉ではなかったが、「セッション」って言葉はこの人も使ってたんだなと思った。
ヘールボップ彗星の後ろを飛んでいるらしいUFOに、彼は乗れたのだろうか?
まあ、ジョーンズ・タウンよりはましか
なんてことを考えながらみていたら、確かページをめくっていると
載ってたよ
ジョーンズ・タウンが
ああ、これも載ってたのか…
つーか、この本が書かれたあたりって、ジョーンズ・タウンはまだまだ遠き日の出来事ではなかったはず
なんて考えながら見ていた。
さて、またまたスピリチュアルの人が嫌がるような話をもう一つ
世界最悪の男だったか今世紀最悪の男だったか アレイスター・クロウリーなのだが、
訳あって調べたことがあった。
まあ、知らない人のために書いておくが
黄金の夜明け だとか バラ十字団 黒十字軍じゃねえぞ
の魔術師集団のリーダーで、なんで最悪と言われたかというと
黒魔術師だとか言われていたかららしい。
彼は儀式的魔術を重んじた魔術師だったようだ。まあ、伝統的魔術師といったところかな
儀式を行うことに重きを置いていたらしい。俺はその時は旧態依然とした古き時代のタイプの魔術師だなと感じていた。
ウィキペディアなんかを見ると、まだ若い時の写真が載っていた
彼は魔術師の他に、登山家や野外活動専門家、考古学の専門家としての側面もあったらしい。
ま、魔術師で登山や野外活動ってのは得に意外なことはないな。
仙術ってそういうところでやるでしょ?
でも、ウィキペディアの写真では恐らく、登山をした先の森林で見つけたらしい水場に全裸でつかっている彼の写真だった。
ふと思ったのだ。
この人は現代スピリチュアルの先達なのではないか?と
気になって彼の著書を買って読んでみた。世界的な最悪な男が残した魔術指南書である、読むごとに神経が焼き切れ、心臓の肉が削られでもするのかと思いきや、あれ?これなんか知ってるぞってな内容がほとんどだった。魔術をする際の呼吸法の指南では「これは変成意識にするための呼吸法じゃないか!!」とか
ただ、難解なものがあった。彼がこだわった儀式の準備品やら計算式みたいなものが図表にしてあったが、これは一体何をどうするためのものなのか分からなかった。それと儀式にこだわる姿勢がこの時に俺には賛成できないものだった。
ま、「爺が古臭いこといってら」な感じだ。深い意味はない。
その魔術指南書は半ば自叙伝的な部分もあり、彼は日本にも魔術研究のために来ていたらしい。そこで、仏道を学んだり、神道も学んでいたらしい。
多くの信仰や秘術に関心を持ち、宗教思想の違いを超えて探求する姿勢は、最悪の男に似つかわしいものではなかった。
魔術指南書の一部が自叙伝と化していた理由も分かった。彼は後世のために自分の習得した魔術奥義を分かりやすく、体系化するために心を砕いていたようだ。たしか記述のなかに「分かりやすく体系化する努力はしているが、至らない点についてはすまなく思っている」といような記述もあった。
自分の体験エピソードをそのままの載せて、的確な解釈を読み手側に求めるより他なかったようだ。
しかしてまあ、読み進めるごとに「最悪の男」と二つ名を付けられた理由も何となく分かった。
彼が魔術を志したのは子供時のようだった。自分の住まう村が狂信的なキリスト教であったため、何かが変だ。俺が村人を救わないとッていう思いからその手段を魔術に求めたのがきっかけのようだった。
つまりはこういこと、誰にとって最悪な男だったのか?
当時の道徳律や社会規範の覇権といえば、キリスト教である。
キリスト教は中世の時代は、薬を作る技術者も魔法使いとして火あぶりにしてきた歴史がある。
これは、神に祈っても治らなかった病気が、薬を飲んで治ったら、教会の権威は失墜するからである。
つーことは、キリスト教の道を外れたものは、どんな理由があっても地獄行きの悪者となるわけだ。
彼の生きた時代はまだそんな封建的な時代であった。彼は今でいうところのヨガ・マスターでもありヨガってはキリスト教からすれば異教であり悪なわけだ。ま、キリスト教にとっての(都合が)最悪の男だっただけだ。
まあ、彼は幸いにも中世の時代ではなく、時代的にはもうカメラがある時代の人だったんで、たしか日本に来たのは大正時代だったかな?火あぶりまぬがれたようだ。嫌がらせはあったみたいだけれどね。
ま、その魔術指南書は現代のスピリチュアルの基礎となるような内容だった。
そんなとこだ。
彼の残した言葉にもそれがみられる
「世界は鏡のようなもの、変えることを望むなら、あなたを変えるしかない」
「人生の喜びはすべての新しい経験を楽しむことにある」
「愛は人生を寛容にさせる唯一つの原則である」
「魔術とは精神に変容をもたらすアートである」
なんか、今のスピリチュアル系の本によく書いてありそうな言葉だよね。
さて、アレイスター・クロウリーが古臭い魔術儀式を執り行うことに重点をおいていた理由は意外な方向から分かった。
それは心理学だった。
とはいえ、もはや現代にいたっては儀式というのは形式だけの形骸化したものという意識が
根付いてしまっているため、魔術儀式の効力があるのは精々が学校にいっている時期の間だけであろう。
成人式など、そういう観点から見ればあまり意味がない。
というのは、
みんなもそうかもしれないが、特に大人になってからというもの節目を迎えての劇的変化ってのを感じないことが多くないかい?
俺は世界が変わったように感じたのは、高校の卒業式が一番だったかな。
もちろんそれは儀式だけの効力ではない、がらりと生活や環境が変わるからだ。そしてその間に介在する卒業式や入学式という儀式には「これからあなたの世界は変わります。そしてあなたも変わります。」という新たな自分への変容のための通過点なのではいかと思う。大人になってからというもの通過儀式とうものがなかった。そのせいか、卒業式を迎えた後の延長線上に今があるような気分が今まで続いている。あれから俺変わったのだろうか?とか考えてしまうわけだ。
もちろん、儀式そのものに魔術的効果なんてのはない。儀式はそれを通過する本人のいわゆる魔力を引き出す手助けをしているに過ぎない。だから普段から儀式の意義について教育していく必要もある。
古来の儀式には人の意識を変容させる力がそういう意味ではあったのだ。
儀式というのは心理的な変化を促すためのものだった。だから、儀式を受ける以前から儀式の意義や有用性を心に刻みこんでおく必要がある。悪く言えば洗脳に近いかもしれないが
ただ、儀式による心の変容を促すには、それを補助する要素が必要だ、それは環境の変化である。
小学校を卒業し、中学校への入学すると儀式の後に否応なしに環境の変化が起こることがほとんどだ、新しい場所、新しい教師、新しい規則など、それらを肌で感じ短期間で小学生は中学生に意識変容する。新しい場所の新しい自分へと心的変化を遂げるのだ。そして目の前の環境から自身の変化を自覚するのではないだろうか?
新しい恋人や新しい友人、新しい人間関係ってのも自分の意識変化の要因になるかもしれない。
意識の改革や変化には儀式がそれを手助けするのでは?と考えた。その結果、アレイスター・クロウリーが魔術的儀式の実践にこだわった理由が理解できた。単なる「年よりの世迷い事」ではなかったのだ。
儀式のための儀式でも、魔術のための儀式でもなく、本人の精神的変化を引き出すための手段としての儀式だったのだろう。
その観点から成人式というものを考えると、新成人たちを「こども」のままにするのは、本人達だけの責任ではないと感じる。いくら成人式をやったからといって、周囲の年長者が大人として敬意をはらわず、未熟者とばかりにぞんざいに扱っていたら、そりゃ本人達もいつまでたっても大人になった気なんてしないし実感もできないよな。実感という強烈な納得があってこその精神変容なのだからね。
ま、儀式を主催する側もその奥深くにある意義と有用性については考えていないだろうし。
儀式が形骸化しているのではなく、儀式を形骸化しているという部分から今一度考えねえとな。
儀式の形骸化と共に、妖怪やお化けがいなくなったと感じるのは俺だけだろうか?
まあ、暗示の一種といえば、それまでだがね。
まあ、ちょいと自分自身の成長や変化の要因や原因を外側に求めたりするな、という意見が
スピリチュアル系の世界にも意外と多いし、耳にもするが
人間ってものを立ち止まって考えなおしてみる姿勢があまり感じられない。まあ、俺だけかもしれんがね。
人間は良くも悪くも互いに影響しあっている。確かに心の出来事はその本人の内側の世界で起こっていることなのだけれど、それって裏をかえすと「私は誰の世話になることもなく、ここまで成長できた」って言うのと大差ないような気がするよ。