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2010.02.28

狂気こそ宝

アメリカの偉大な精神科医ミルトン・エリクソンは、17歳の時に、ポリオというポリオウイルスによる感染症にかかりました。
これは恐ろしい病気で、彼は全身が麻痺して動かなくなり、出来ることは、目玉を動かすことだけでした。
彼はなんとか回復しましたが、脚などに障害が残りました。また、彼は色盲で、さらに、失音楽症という、音楽が理解できない障害がありました。
しかし、彼は苦学しながら医学校を卒業し、精神科医になりました。心理療法家として、エリクソンは驚くべき能力を発揮し、魔法を使って治しているのではないかと言われるほどでした。彼が亡くなって30年ほどが経ちますが、彼の功績は全く色褪せず、その治療技術は今でも重要なものとして学び続けられています。

ヘレン・ケラーは、ご存知と思いますが、幼い時の熱病で、視覚、聴覚を失いました。
しかし、彼女が大学生であった23歳の時に書いた著書である「楽天主義」を読むと、彼女がその時、既に賢者であったと感じます。
彼女は言います。感覚は幻想だと。そして、観念のみが真理であると。

神経科医のラマチャンドランの本で読んだのだと思いますが、7歳の天才的なデッサン能力を持つ少女がいました。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、馬の骨格や筋肉の仕組みを研究し理解して初めて描けるようになった馬の絵に全くひけをとらない馬のデッサンを、絵の訓練を受けたこともない幼い女の子が描くのでした。
その頃、彼女は、脳に障害があり、話すことができませんでした。しかし、成長と共に障害が治ると、そのデッサン能力も消えました。
そういえば、アインシュタインも5歳頃まで言葉を話さなかったと聞きます。

人間は、何かの障害を持つと、それを補うための能力を発達させるもののようです。
アメリカのテレビドラマ「大草原の小さな家」で、今で言う小学生だったローラの学校に、オルガという名の両脚の長さの違う障害のある少女がいました。そのせいで友達と外で遊ぶことができないことを可哀想に思ったローラが、父親のチャールズにそのことを話すと、チャールズは「何かで欠けている人は、別の点で優れたものがあるのだ」と言います。
「荘子」の「人間世」に、誇張されていましたが、大きな障害を持つ男が登場します。しかし、彼は普通の人間より楽しく生きていました。荘子は、肉体に欠点があるだけで安らかな生涯が送れるなら、才徳において無用な人間が天寿を全うできないはずがないと述べています。
いろいろに解釈される言葉ですが、新約聖書のイエスの言葉「心の貧しい者は幸せである」という言葉を思い出します。

私の重度の引きこもり気質は、私の味方であると言えると思います。
ルイス・キャロルは、明らかなロリコンでしたが、精神を正しく導くことで、その性質が彼を賢者にしたと思います。
芸術家に典型的な例が多いのですが、偉大な人物で、心に狂気や大きな欠陥のない者は皆無であるはずです。
なぜみんなが、絵に描いたような健全で爽やかな人間でなくてはならないのでしょうか?
心に欠陥があるなら、大いに喜ぼうではありませんか?
ただ、池田満寿夫がこう言ったことも重要です。
「芸術と猥褻の差は、ソフィスティケイト(洗練)されているかどうかだ」
洗練なんて難しく考える必要もないと思います。ただ、それを宝と見なすことと思います。
性欲も食欲も、宝に相応しく扱わないといけません。
ルイス・キャロルは少女好きの性質を、そのように扱っていたと思います。
横尾忠則さんは、芸術には狂気が必要と言いますが、狂気こそ宝なのでしょう。

引用した書籍

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2010.02.27

寓話の叡智

「グリム童話」を読むと、そこに秘められた叡智に圧倒されます。
これは、「グリム童話」に限らず、イソップ、ペロー、あるいは、日本の昔話やケルト神話など、世界各地にある神話、伝説、寓話でも同じことと思います。
これらのお話の価値について分かっているような気でいる人も多いかもしれませんが、本当の意味が分かっている人はほとんどいません。
イソップの「アリとキリギリス」や「うさぎとかめ」は単に勤勉の美徳を説いたものではありませんし、「北風と太陽」はありきたりな合理的方法論を説いたものではありません。
世間で言われる、そういった解釈は捨てた方が良いと思います。

「グリム童話」も、理屈で読むと、あまりに他愛ないお話です。
ところが、子供はなぜか夢中になります。
昔の母親は、子供の表情を見て、そこに単に面白いだけでない偉大で神秘的なものを感じていたものです。

寓話は、無意識(潜在意識)に語りかけます。そういった寓話でなければ、自然に長く伝えられません。
また、アンデルセンの童話は、彼の創作であり、伝承ではありませんが、彼の無意識は神話の知恵を伝えることができました。
童話作家に限らず、荘子やトルストイ、あるいは、タゴールもそうですが、彼らの作品でも、究極のものは、童話のように単純になったり、あるいは、童話そのものになっています。

無意識は、学んだこと、経験したことの全てを蓄積しています。もしかしたら、その奥深いところで宇宙意識とつながっているかもしれません。
無意識を信頼し、意識が志を持って行動すれば恐れるものは何もないでしょう。


初版グリム童話集―ベスト・セレクション
全4巻の「初版グリム童話集」から、代表的な36話を選んで収録してあります。伝承そのままに近い初版のグリム童話は特に素晴らしいものです。

目で見るグリム童話
一枚絵とは、絵入り新聞のような形で描かれた物語です。この本に収められた一枚絵のグリム童話は、まさに庶民のための芸術です。
安価な版画ですが、見事な絵が多く、見る者の想像力を掻き立てて楽しませると共に、その叡智はより深く無意識に届くでしょう。

ペローの昔ばなし
なんと、天才画家ギュスターヴ・ドレの奇跡的な挿絵が多数ある、実に贅沢なペロー童話です。感無量としか言えません。

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2010.02.26

女子フィギュアスケート

オリンピックの女子フィギュアスケートの報道が加熱している。
浅田真央とキム・ヨナのどちらが金メダルを取るかの話題でもちきりといった感じだ。
あの2人が、まだ幼い雰囲気だった頃から見ている人も多いと思う。そして、今でもまだ子供だ。
私は、どちらにも金メダルを取って欲しくないと思っている。
世の中には、頑張っただけで済まない問題も確かにあるかもしれない。
彼女達がそのような運命を生きなければならないのも、必然だろうか。
だが私は、予期せぬ結果でさえあればそれが最善と思う。

良き時代と言えるかどうかは分からないが、1972年の札幌オリンピックの時は、フィギュアスケートには、ショートプログラムではなく、コンパルソリー(コンパルソリーフィギュア、規定)という、図形を正確に描きながら滑るというものがあった。それが、全得点の6割を占めた。
当時18歳だったアメリカ代表のジャネット・リンは、このコンパルソリーが苦手だった。それで、フリーでは最高得点をあげるも銅メダルに終わった。コンパルソリー廃止とショートプログラム導入は、この時の影響があると言われている。
ジャネット・リンは、フリー演技中のシットスピンで転倒したが、最後まで笑顔を絶やさずに滑り続け、世界中の賞賛を得た。その笑顔は表彰台でも絶えなかっただけでなく、いっそう輝いていたと言われる。
彼女が、選手村の部屋の壁に落書きした“Peace & Love”の文字は、そこが分譲アパートになった後も残されているようだ。


札幌オリンピック(DVD)
札幌オリンピックの公式記録映画のDVDです。「銀盤の妖精」と呼ばれたジャネット・リンの演技も収録されています。

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2010.02.25

超能力

超能力や霊能力といった超常現象を信じるかと尋ねられたら、ちょっと困ります。
いったい、何をもって超能力や霊能力と言うかが問題なのです。
よって、超能力や霊能力をどう定義するかによって、信じるか信じないかの私の答は変わります。

今でもあるのかどうか知りませんが、九州に超能力者のマスター(店主)がいることで知られる喫茶店があります。
普通に客としてそこに行けば、マスターが驚愕ものの超能力パフォーマンスを見せてくれます。
そのことを、私は船井幸雄氏の本で知りました。船井氏は、そのパフォーマンスは本物の超能力であり、マスターが超能力者であると断言していました。
私の友人は連れ立ってその喫茶店に出かけ(ちょっとした旅行が必要でした)、すっかり心酔して帰り、私の別の友人に聞いたところでは、「是非あなたも行って見てきて下さい。人間の力の素晴らしさが分かります」と力説していたようです。
どのようなパフォーマンスかと言いますと、お札にコインを自在に通り抜けさせたり(お札やコインは丸見え状態だそうです)、客のアナログ時計の長針を手を触れずにぐるぐると回転させたり、初めて会う客の家族等の名前や誕生日を当てたりとかだと思います。

私も興味を憶えたので、どんなカラクリか知りたいと思いました。
ただ、私も、ユリ・ゲラーがMr.マリックについて言っていたように、「あれが超能力なら素晴らし過ぎる(つまり、マジックである)」と思っていました。
私は、情報引き寄せを行いました。インターネットの情報検索が今のように発達していない時代でしたが、今でもネットで大した情報は得られないと思います。
情報引き寄せは無意識(潜在意識)に依頼しましたので、私自身は何もしませんでしたが、やがて、その喫茶店のマスターの間接的な知人に自然に会えました。そして、そのマスターが大学時代、東京のある私立大学のマジック同好会の会員であり、有名になってしまってから、同好会の元同僚がマスターに自粛を薦めていることも聞きました。このことが知られているのかどうかは私は全く知りません。
尚、こういった情報引き寄せは超能力ではなく、自然なことであり、もし超能力のように感じるなら、無意識に関する自然法則を理解していないだけのことです。

さて、そのマスターのパフォーマンスがマジックであることを指摘する人は多いようです。しかし、全てをマジックで説明することはできないと思います。
例えば、初対面の客の家族等の様々な情報を言い当てるなどに関しては、やはりトリックだと言い、種はこのようなものであろうと言う人はいても、それは推測でしかありません。
こういった情報取得に関しては、もっと大掛かりなものがありました。
「アガスティアの葉」をご存知でしょうか?
紀元前3千年頃、インドにいたと言われる聖者アガスティアが、未来に生まれる人間の運命を葉に書き記したもので、ある場所に行って、いくらかの質問に答えれば、その人について書かれたアガスティアの葉を探してくれるようです(料金は必要です)。葉を探すには少なくとも数日はかかるようで、また、必ずしも見つかるとは限りませんが、もし見つかれば、その人の一生に関して書かれているのだそうです。確かに、伝えなかったはずの情報をピタリと当てられて、非常に驚かされた人もいるようです。

超常現象の強硬な否定論者である物理学者の大槻義彦氏も、テレビ番組企画でそこを訪れて彼のアガスティアの葉を探してもらい、彼や家族の様々な情報や、「あなたは現在、お金で苦労していますね」と言われ、大槻氏が認めたという場面もありました。

アガスティアの葉に関する様々な否定論はあり、大槻氏も著書でイカサマと決め付けていますが、やはり推測での否定でしかありませんし、その否定論も、冷静に考えれば無理のあるものが多いと感じます。例えば、インドでも情報ネットワークは十分に発達しているから、手がかりさえあれば情報は得られるとか、特に、海外旅行では、ある程度の情報が旅行業者などに流れており、うまくそれを入手することも可能とかの意見がありますが、誰かが実際に検証したわけではありません。

よって、情報取得の超能力やアガスティアの葉については、私には結論は出せませんが、参考になることをいくつか述べましょう。
まず、そういったことをやれる自称超能力者や占い師は割といます。その気になれば、見つけるのは難しくはないと思います。
また、私の父親の名前を仮にタロウとし、私が独身として、そういった超能力者や占い師に、私の父の名前がヒロシで、妻の名はヨウコで年齢は23歳と答えさせることは可能です。
ただし、私には、これらの占い師等と同じことはやれません。彼らはプロであり、素質と訓練で技を身に付けたのですから。
しかし、最近、私がこのブログでよく取り上げる精神科医のミルトン・エリクソンならそれが出来ます。これまでもご紹介した本(再度、下にご紹介します)に、このあたりの種明かしを含め、エリクソンがこういったことについて説明したセミナーの話が収録されています。単にトリックの種明かしという意味でなく、人間を理解する上で大変に勉強になると思います。
また、世界的な成功法則の提唱者であるナポレオン・ヒルやクラウド・ブリステルらが超能力実在の証拠として取り上げるものに、アメリカのデューク大学でのライン博士の有名な超能力実験がありますが、エリクソンはライン博士に、自分が超能力者であることをすっかり信じさせたことがあると言います。もちろん、エリクソンは超能力など使っていません。

さて、ちょっと超能力否定に偏り過ぎた感がありますので、ちょっと肯定的な話もしましょう。
エリクソンを研究してNLP(神経言語プログラミング)を開発したリチャード・バンドラーの元弟子で、いまや世界最高の能力開発トレーナーとして知られるアンソニー・ロビンズという人がいます。このロビンズが行った自己啓発セミナーで、高熱の炭火の上を人々に歩かせる、いわゆる「火渡り」が有名です。
これについて、「元師匠」のバンドラーは、著書の中で、ちょっとしたコツさえ掴めば論理的に可能として、バンドラーを非難しています。
ところが、「ザ・シークレット」にも登場する世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウォルフ(ウルフ)は、自らロビンズの火渡りセミナーに参加したのですが、物理学者として言うなら、炭火の状況と足の裏のわずかな火ぶくれの状態は理論的には説明しにくいとしています。


私の声はあなたとともに
この本の中でも、超能力、占い、読心術について、エリクソンが推測ではなく、彼が自ら行えることとして分かりやすく説明しています。もちろん、これらの種明かしが目的ではなく、精神療法における観察力の重要性を説明するために取り上げたものです。

聖なる量子力学9つの旅
「ザ・シークレット」にも登場した世界的量子物理学者フレッド・アラン・ウルフが、覚醒剤の体験をはじめ、様々な神秘現象に挑み、考察します。ウルフは、科学者らしく、あくまで冷静に公平な立場を守りますが、それが超常現象であるかどうかはともかく、我々の認識が非常に限られたものであるということは確かであると思われます。

大きく考えるための小さな本
著者のF.A.ウルフが量子物理学の道を選んだきっかけは、子供の時のある不思議な体験でした。
量子物理学の理解には量子論的な思想が絶対に重要と言うウルフによって書かれたこの本で、あなたも意識改革を起こせるかもしれません。

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2010.02.24

易占いの神秘

無意識に秘められた叡智やパワーについて、ほとんどの人が関心すら持っていないように思えるのは驚くべきことです。
偉大な精神科医であったミルトン・エリクソンは「無意識を信頼しなさい」とよく言っていたようです。
エリクソンの治療は、患者やその家族にも、彼が患者に何をしているのか分からなかったり、何もしていないようにすら見えるにかかわらず、驚くべき治療成果がありますので、エリクソンは魔法を使って治しているのではないかと言われることもよくありました。
彼は、患者の無意識の力を少し解放したのだと思います。無意識は時に、神秘的とすら思えることをやってみせます。そして、エリクソン自身も無意識の力の助けを借り、難しい問題を楽々と解決することがありました。

最も無意識を信頼する者とは、おそらく、全てを捨てる覚悟のある、恐れを知らない冒険者であると思います。
しかし、ここでは、無意識を信頼するための易しい方法について述べたいと思います。

易占いというのを、言葉としてはご存知だと思います。
易占いは、古代中国に起源を持つ、無限の叡智の導きを得る方法で、日本でも、稀に見るほどの人物がこれに傾倒していることは珍しくありません。
易占いは、本来、非常に奥深く、難しいところもあるのですが、現在は、3枚のコインを使った簡単な方法が知られています。
コインを使った易占いは、1900年頃から中国に長く滞在したドイツ人宣教師リヒアルト・ヴィルヘルムにより伝えられたものだと思います。ヴィルヘルムは著名なスイスの精神科医であるカール・グスタフ・ユングを占ってみせ、ユングはその威力に驚きます。ユングも易占いを熱心にやっていたことはよく知られています。

潜在意識による成功法則で世界的に知られるジョセフ・マーフィーも易占いに惹き付けられ、易占いの本も書きました。潜在意識と無意識はほぼ同じものと考えて良いと思います。
私が易占いに使ったのは、このジョセフ・マーフィーの本です。
ユングの研究者としては、秋山さと子さんも、コインを使った易占いの本を書いています。
また、日系のユング派精神科医ジーン・シノダ・ボーレンは、患者が希望した場合に限りますが、易占いをし、良い成果を得ていることを著書「タオ心理学」(1987年出版。2001年に「タオ」のタイトルで再販されている)で書いています。
尚、コインを使った易占いに関しては、黄小娥さんが1961年に「易入門」を出してベストセラーになり、2004年に「黄小娥の易入門」として再販されています。また、他にも、コインを使った易占いの本はいくつかあります。

私は、マーフィーの易占いの本を使い、数多くのことを占ってみました。
易占いは、当たる、当たらないといったレベルのことで楽しむだけではもったいないものです。
まあ、確かに恐ろしく当たり、占う相手を度々仰天させましたが、あくまで、無限の叡智からのメッセージを得るためのものです。
私の場合がそうですが、自分に良い出来事をもたらすよりは、他人に幸運を授けることの威力が大きいように思います。自分のこととなると、どうしても欲が出るからなんでしょう。無欲で占うことが肝心と思います。


マーフィー博士の易占い
ジョセフ・マーフィーがここまで易占いに熱心だとは驚きました。とても使いやすく、分かりやすい易占いの本であると共に、潜在意識の法則による解釈を1つ1つの卦ごとに記してありますので、潜在意識の法則を強力に活用する助けにもなると思います。

占いとユング心理学
波乱の人生を送り、35歳から大学、大学院で仏教を学び、さらにヨーロッパ留学し、ユング心理学を研究した心理学者、秋山さと子さんの本です。易占いとユングの思想との関連を詳しく解説し、コインを使った易占いのやり方も分かり易く説明しています。もちろん、この本1冊で十分に占えるよう、卦の意味も丁寧に説明してあります。絶版であるのが惜しまれますが、古書なら入手可能と思います。

タオ―こころの道しるべ
日系の精神科医ジーン・シノダ・ボーレンによるユング思想に関するとても興味深いエッセイです。シンクロニシティ(共時性)についての深い考察は、読者の無意識に驚くべき働きかけをすると思います。思い起こせば、この本を読んでから、私も共時性をよく自覚するようになりました。私はかなり昔に読んだのですが、杖1本しか持たない老人の患者が、著者にその杖をくれた話が特に印象的で、よく憶えています。

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2010.02.23

愛と憎しみは共にある

シェイクスピアの「リア王」を知らないなどという人も最近はいるかもしれない。

昔話だが、年老いた王様が、娘達に自分への愛を問い、姉達は最大級の愛を語って王を喜ばせ厚遇を得るが、末娘は「普通に愛している」と言ったので王は激怒し、末娘を追放する。
しかし、その後、父は姉達にひどい扱いをされ、80歳を超えた老体で一人、城を出、荒野をさ迷う。そして、そんな父を最後にいたわるのは、その父に不遇を与えられた末娘だった。
簡単に言うと、こんな話だ。

たとえ、このお話を知っている人でも、ほとんどが、ごく表面的な教訓話と思っていると思う。
深い意味を知っている者は極めて少ない。
いや、これを書いたシェイクスピアでさえ、意識ではお話の真意を知っていたのかどうか分からない。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、シェイクスピアは下手な作家だったが、人間を知っていたと言う。
私は、シェイクスピアは無意識と良い関係を結んでいたのだと思う。

「リア王」のお話の真意はこうだ。
一般に、姉娘達のリア王への愛は偽者だと言われる。
そうではない。姉娘達は本当にリア王を愛していたのだ。
一方、末娘は、口では、ただ父としてリア王を愛していて、それ以上でも以下でもないと言ったが、彼女こそ、リア王を真に愛していたとみなされている。
そうではない。彼女は、本当にそこそこに父を愛していたのだ。

愛と憎悪は同じものなのだ。
最大に父を愛していた姉娘達は、最大に父を憎んでいた。
そこそこに父を愛していた末娘は、そこそこに父を憎んでいた。
それだけのことだ。

子供を溺愛する親は、子供を深く憎んでいるのだ。一生の中でそれが現れなければ幸いであるが、そうでない場合が多い。
いや、その憎悪は、本人が無自覚なまま現れているものなのだ。
全く同じように、妻を深く愛する夫は、妻を深く憎んでいる。
母親は自分の子供を憎んでいるのが当たり前なのだ。その度合いは、彼女の子供への愛と同じだ。
愛情薄い母親を持った子供は幸いだ。

こういったことを見事に描いて見せたのは、萩尾望都さんのたった15ページの漫画「半神」(1984)だ。
ひょっとしたら、萩尾望都さんこそ、日本最大の文豪かもしれない。
この作品は、野田秀樹氏により舞台化され、十万人以上を動員。海外でも評価された。
その原作は、表紙を入れてすら、わずか16ページであった。

左2つに「半神」を収録している。真ん中の「半神」は文庫版。萩尾さんの絵は繊細で美しいので大きい方が良いかもしれない(私は文庫版を所有)。右は戯曲である。

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2010.02.22

なぜ弾が当たらないのか?

先週の金曜日に、テレビ放送された「風の谷のナウシカ」(1984)を録画して、初めてちゃんと見ました。私はどうも、子供の頃から、この作品が苦手でした。
少し後の宮崎駿監督作品である「天空の城ラピュタ」(1986)にも、やはり少し抵抗がありましたが、「風の谷のナウシカ」ほどではありませんでした。
どうもこれは、ヒロイン達の真っ直ぐ過ぎる気性と共に、特に「風の谷のナウシカ」では、十代後半と思われるナウシカの自信に満ちた態度やリーダーシップといったものが、引きこもり気質の私には、劣等感や違和感を感じさせるのかもしれません。ナウシカに比べると、「天空の城ラピュタ」のシータは、ナウシカよりやや年少に見えると共に、時には大胆であっても、基本的には控え目に感じさせるところが、私には楽に見れたようです。

ところで、有名な、ナウシカが両腕を広げて機関砲や機関銃に向かってくる場面(アスベルに対するものは、アスベルの幻視だったようですが)がありますが、他にもナウシカはかなりの狙撃を受け、最後は怪我を負いますが、その他は奇跡的なほどに弾は外れます。
風説かもしれませんが、織田信長は弾丸の飛び交う戦場で悠々と闊歩し、家来に身を隠すよう言われると、「私には弾は当たらない」と気にも留めない様子を見せたと言われます。自分が天下を取る運命であることを堅く信じているので、こんなところで死ぬはずがないという信念を示していたのだと思います。
ジョセフ・マーフィーの著書にも、戦争中、自分や部下が神に守られていることを確信していた隊長の部隊が常に無傷であったり、やはり同じ信念を持っていた警官が、至近距離で狙撃された時すら、その銃が不発となって助かった話が載っています。
こういった話は、そう簡単には信じない人も多いかもしれませんが、逆にこんな話もあります。
「エスとの対話」(新曜社)で読み、詳細は憶えていないのですが、戦場で、ある兵士が、「ここに弾が当たれば、帰還できるのだがな」と言って、自分の脚の一部を指差した直後に、まさにその場所に流れ弾が当たったというものです。
この話は、ドイツ人医師で「心身医学の父」と言われたゲオルク・グロデックの論文の中にあったのだと思いますが、グロデックは、この出来事は偶然ではなく、エスが起こしたと言うのでしょう。エスとは、フロイト精神分析学で知られていますが、フロイトはこのグロデックのエスの概念を借りたのです。エスとは、無意識の中にある不可思議な存在です。グロデックによれば、あらゆる病気も、人が転んで腕を折るようなことも、全てエスが起こしており、エスによらずに起こることは何もないと言います。

グロデックの言うとおりなら、ナウシカのエスは、弾丸が飛んでくるコースを楽々と見切り、それをかわすべく、無意識にナウシカを動かしていたのかもしれませんね。
最後に、ナウシカが怪我を負ったのも、それが必要とエスが判断したのでしょう。確かにその通りと思いました。
魔法を使って治療しているのではと言われるほどの天才精神科医であたミルトン・エリクソンは、無意識を信頼するように言いました。そして、治療だけでなく、無意識の力で驚くべきことが出来た話もセミナー等で話しています。


エスとの対話
精神分析医の野間俊一氏によるグロデックの論文の翻訳と解説です。エスに関しては、先日の記事でご紹介した「エスの本」もありますが、グロデックが文学的才能を見せた「エスの本」が面白さでは優りますが、こちらは、より具体的な内容になります。

私の声はあなたとともに
先日もご紹介した本です。フロイトやグロデックは、無意識をやや否定的に語る傾向があるように思いますが、エリクソンは、無意識を信頼するよう薦めています。
それが、治療は全く下手だったフロイトや失敗も多かったグロデックと、魔法のような実績で賞賛されるエリクソンとの違いかもしれないと思います。

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2010.02.21

宇宙からの侵略者に立ち向かう

宇宙からの侵略者と戦うSFには、どこか異様な興奮を感じる。
その理由は、単なる表面的な面白さだけではない。
1953年と2005年に映画化された、H.G.ウェルズの歴史的小説「宇宙戦争」(1898年)を典型とするように、敵があまりに強大で、我々に勝ち目は無いのだが、それでも戦わねばならない宿命に、何かを感じるのだ。
しかし、「宇宙戦争」は、今でも、ウェルズらしい思想の深さで、後の作品をも圧倒するが、人類の勝利は偶然だった。

あきらかに「宇宙戦争」を元にしたと思われる映画「インデペンデンス・デイ」(1996年)は、「宇宙戦争」とは似て非なるものだ。そのタイトルから予想されるように、人類の勇気と英知で勝利したと言っているようだが、あまりにアメリカ的な大雑把なお話だった。
新興宗教であるサイエントロジーの教祖として知られる天才作家L.ロン.ハバートの小説で、アメリカでは、ある調査で、20世紀文学のSF部門1位、全ジャンルでもヘミングウェイやスタインベックの作品を抑え3位とされる長編SF大作「バトル・フィールド・アース」も宇宙人の侵略ものだ。この小説は、熱心なサイエントロジーの信者であるジョン・トラボルタにより、2000年に映画化されている。なんと、30世紀の人類の軍隊が9分も持たずに敗れ去った宇宙人を相手に、既に旧石器時代並に退化した人類が地球奪還を試みるという壮大なものであり、それなりに面白かったが、これも、「人類は劣るが、勇気や心意気で勝利した」という感がぬぐえない。

力の差のある相手との戦いということでは、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」で、2222年の未来からタイムトラベルしてきた未来人と戦うものがあった。簡単に拉致された009に、敵の指揮官は「力の差と思って諦めてくれ」と言うが、009も読者も納得せざるを得なかった。
また、「サイボーグ009」の映画で、サイボーグ戦士達が、はるか銀河を離れ、強大な宇宙人と戦うものもあり、非常にわくわくしたものだ。
しかし、「サイボーグ009」は、元々が、自分達より優る相手に挑むところが見所だった。009達は試作品サイボーグである。そして、彼らが戦う相手は、彼らの後で作られた完成品や、さらに発展した強力なサイボーグ達だった。
その中で、009の歴史的なセリフ「後は、勇気だけだ」が生まれ、心の力が主張されたことは良いことであったと思う。

しかし、全てに物足りない。
心の本当の力は勇気だけだろうか?
数千年、数万年長い歴史を持つ相手には絶対的に劣るのであろうか?
それこそ、我々の、枠をはめられた思い込みであるかもしれない。

SFという、一見娯楽であるものを利用し、我々は超人になることもできるのである。
宇宙からの侵略者を相手に実力で対抗できるなら、日常の敵など、もはや取るに足りないのだ。

そんなことを長い間考えていたが、最近、衝撃的なものを見つけた。
それは、1970年頃にイギリスで制作されたSFテレビドラマ「謎の円盤UFO」(原題は“UFO”)の1つのお話だ。
この作品は、「サンダーバード」「キャプテン・スカーレット」などで知られるジェリー・アンダーソンが初めて人間の俳優を使って制作したものだ。
優れた思想家とも言えるアンダーソンの制作だけあり、宇宙人の侵略の意図も画期的で、彼らに悪意はないとされる。彼らにとって、我々人類は家畜みたいなもので、単に彼らの生存の必要から地球を入手しようとしていたのだ。ここらは、2005年のスピルバーグによる映画「宇宙戦争」も同じであった。
そこまで力の差のある相手に挑む人類の指揮官は、ストレイカーという若き最高司令官(40代)だが、いかに彼が優秀でも、宇宙人から見ればサル以下のはずだ。しかし、ストレイカーは常に勝利する。
ストレイカーの勝利は、それはドラマだからと言えばそれまでである。しかし、どれだけの人が気付いたか分からないが、その第21話に驚くべき秘密が描かれている。
21話は日本でのタイトルは「ムーンベース応答なし!」で、原題は“THE DALOTEK AFTER”(ダロテック事件のその後)である。
宇宙人の高度なテクノロジを駆使した作戦に、手も足も出ない地球防衛軍シャドーであったが、ストレイカーは実に不思議な方法で宇宙人の作戦を打ち破る解決策を得る。
ストレイカーは、約10年前(1969年)に撮影されたビデオが、なぜだか分からないがどうしても気になり、それを再生したが、その中のたった一言に、宇宙人の作戦を見破る鍵があったのだ。

精神分析学的に言うと、ストレイカーの無意識は、既に宇宙人の作品を見破っていたのだ。しかし、焦りや緊張もあったのだろう。ストレイカーの意識にはなかなか上ってこない。
しかし、沈着冷静が売り物のストレイカーは、一瞬でも心を静めることができたのだろう。その時、無意識からのメッセージを受け取ったのだ。
ただし、このお話では、ストレイカーの作戦は伝えらないまま、フォスターという若き指揮官が同じ作戦を偶然に発見し、それを遂行するという展開となっている。
それもまた意味深い。

さて、私は、このようなことを、最近の精神医学の研究の中で見出し、超人への完全な道を知ることとなった。
重要な参考文献をご紹介しておく。


エスの本
「心身医学の父」と呼ばれるドイツ人医師ゲオルク・グロデックが、若い女友達への手紙という形で、エスという、我々の無意識の中の驚異的な存在について実に興味深く語った極めて貴重な書だ。
我々はエスによって生かされており、エスによらずには何も起こらない。
フロイトのエスは、グロデックの概念を借りたものであるが、グロデックのエスはそれとは全く異なる。はるかにすごい。
本書はセクハラまがいの内容と取れる向きもあるかと思うが、そうではなく、グロデックに意図があったのだと思う。そして、本書は大変な手間と情熱をかけて翻訳されている。

私の声はあなたとともに
精神科医としてはフロイトが最も有名であるが、フロイトは現実には治療に成功したことはほぼなかった。しかし、フロイトが残した膨大な症例文書にある患者も、エリクソンならかなりを治療できたのではないかと私は考えている。実際、エリクソンは魔法を使って治しているのではないかと言われるほどの天才治療家だった。
難しい本ではない。エリクソンがセミナーで語った、短く面白いお話を収録してあるが、これらのお話には、受講者の無意識に優れた影響を及ぼす力がある。それを、エリクソンの信頼厚い精神科医のシドニー・ローゼンが、その効果を減じないよう大変な工夫をして文章にしたのが本書だ。日本語を習い、日本で働き、講道館で柔道を学んだローゼンは、この日本語版への序文を寄せている。

ウは宇宙船のウ
世界的に有名な、レイ・ブラッド・ベリのSF短編小説集を、萩尾望都さんが素晴らしい漫画にしたものだ。ここには、奇想天外な侵略を進行する宇宙人のお話も収録されている。
とてもロマンチックなお話もある。私は、12歳の少女タリーと、彼女を愛する男の顛末を描いた「みずうみ」が子供の頃から好きだった。
小説ももちろん良いが、萩尾さんの鮮やかな感性が息づく本書も実に素晴らしく、30年を超えて読み継がれており、今でも新品で入手できる。

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2010.02.20

どうすれば信じることができるか

「クリスマスキャロル」というディケンズの小説をご存知だろうか?
心の貧しい強欲な男が、そのままの生き方を続ければ訪れることになる、自分の悲惨な未来を精霊に見せられ、改心するというお話だ。
しかし、このお話には続きがあるに違いない。
やがて、その男は、「あれは下らない幻だった」と言って、元の守銭奴に戻るのだ。
おそらく、その可能性が圧倒的に高いと思う。

我々は、どんな生き方をすれば真に幸福になれるのだろうか?

荘子は、「なりゆきにまかせて作為するな」と言う。
イエスは、「思い煩うな。全て天の父が面倒をみてくれるから」と言う。
ラマナ・マハルシは、「全てを神に明け渡せ」と言う。
黒住宗忠は、「まるごと神様にまかせて面白く生きろ」と言う。
法然や親鸞は、絶対他力(ただ仏様の力に頼る)を説く。
岡田虎二郎は、絶対他力である静坐を教えた。
ジョセフ・マーフィーは、全て潜在意識の力に任せろと言う。
葉室頼昭は、「取り越し苦労や持ち越し苦労は神への侮辱」と言う。

いずれか1つでも、心から納得するなら、あなたの人生は確実に幸福と思う。
しかし、それは、絶望的なまでに難しい。

風説かもしれないが、あの空海ですら、神仏の存在を完全に信じることが出来ずに悩んだ挙句、崖の上から身を躍らせた。もし助かれば、神仏の存在を信じられると思ったからだ。
しかし、イエスは「神を試すな」と言う。そして、「人は証拠を見たがるが、見ずに信じられる者は幸せだ」と言う。
だが、人は、自分の考え方(多くは偏見である)と異なっていれば、証拠を見ても信じない。「偶然そうなった」と言うのだ。

信じやすい人というものがあると言われる。
そんな人が、盲目的、狂信的に何かを信じているように見えるかもしれない。
しかし、その人は本当は信じていない。恐れや不安を隠すために、自分すら騙して信じているふりをしているだけだ。それは不自然なことなので、抑圧となり、長く続ければ精神を病むのである。

実は私は、空海のような切実な想いがあってのことではないが、交通量の多い車道へ、物陰から飛び込んでみたのだ。少なくとも数回は。姉が何度も見たと言っていたので、かなりの回数だったかもしれないが、幼なかったので憶えていない。
あの五井昌久さんですら、目を閉じて道路を渡ろうとしたら、神様に「馬鹿野郎!目を閉じて道路を渡るやつがあるか」と言われたそうである。
私は、奇跡的にかすり傷1つ負わなかったが、果たして何かを信じたであろうか。

つまり、こういうことだ。
言い方が無いのでこう言うが、信じるものと周波数が合ってないと、本当に信じることはできないのだ。
聖人は聖人を信じるし、泥棒は泥棒を信じるのだ。
神様を信じるには、高い周波数を持つ存在である神様と周波数が合ってないといけないのだ。
岡田虎二郎が静坐を薦めたのは、「絶対他力」として頼るべき何者かと周波数を合わせてやろうとしたからだし、法然や親鸞が念仏を教えたのも、仏様と周波数が合うようにしてあげたかったからだ。
彼らの方法は易しい道、つまり、誰でも出来る簡単なことで周波数を上げる易行である。
そういった易しい方法を知らなければ、何かで名人、達人になるまで修行する必要があるだろう。

しかし、周波数を上げる最も強力な方法は、食を慎むことである。
水野南北はそれに気付いたから、「食が全て」と言ったのだ。
南北は、十代で牢屋敷に入れられたチンピラで、文字も読めず、背の低い醜男であったが、食を慎むようになってからは運命が開け、蔵7つを持つ大長者となり、天皇から貴族にまで叙せられ、当時は異例の78歳まで健康で幸福に生きた。女好きが玉に瑕で、8人の妻にはやや苦労させられたが、それでも、8人全部正妻とし、贅沢三昧させた彼の男としての力量は認めるべきかもしれない。
そして、南北は自分だけではなく、彼の教えに従った者は皆、健康で幸福になった。彼は天下に鳴り響く運命鑑定家(観相家)であった。しかし、その磨き抜いた観相術でも百発百中でないことを白状するが、食生活で鑑定すれば万に一つの間違いもなかったという。

食を慎めば十分であるかもしれない。
しかし、現在は、南北の時代と違い、人々の欲望は果てしなく巨大化し、修復困難なほど人間性は歪んでいる。
江戸時代というのは、意外かもしれないが、日本はかなり良い国であったのだ。
現在の特に日本やアメリカでは、舌を喜ばせる食品がとどまることなく作られ、人々を国家ぐるみで飽食・美食に駆り立てている。
かなり食を慎んでいる者にも、周波数の低い者が増えてきた。食を慎んでいるなら、一時は周波数が高かったかもしれない。しかし、自我の欲望に捕えられ、周波数を落としている者もいる。見ていて悲しいものである。敢えて言えば、自分では正しいことを言っているつもりでも、他者を口汚く批判するなら、食を慎んでいてもそうだと思って間違いない。
現在は、高次の力を借りた特別なことも必要かもしれない。しかし、大金をかける必要は絶対にない。下記にご紹介する「波動の法則」を読んでいただけたらと思う。


波動の法則
とりあえずは、足立育朗さんのこの本を一読すれば、大きく周波数が上がることは間違いないと思う。
この本の中に嘘が無いとは言わない。だが、嘘のない真理は、我々の役に立たない。
そして、周波数が上がっても、そのままでいれば、また下がってくる。そのあたりの注意も、この本に適切に述べられている。

新修 南北相法・修身録(全)
前半の「南北相法」は、稀代の観相家、水野南北が生涯を賭けて完成させた運命鑑定術を惜しげもなく公開している。
そして、後半(といっても、ページ数は少ないが)の「相法修身録」は、はるかに重要で、食の慎みの大切さ、意義を、慈悲のこもった迫力で、「これでもか」とばかりに訴えて来る。
この、我が国の誇りとも言える貴重な書が、新たに出版されたことは無上の喜びである。
真に良い本は売れない。この本も出版数は多くないと思う。入荷まで辛抱強く待って欲しいと願う。

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2010.02.19

奇跡はこうして起こされた

「ヒマラヤ聖者の生活探求」(全5巻。霞ヶ関書房)という、アメリカ人ベアード.T.スポールディングが調査団の一員として19世紀末に東アジアを訪れた時のことを記述した本がある。
著者スポールディングは、インドで奇跡的な力を持つ超人(本書では「大師」と呼称する)達と出逢い、長く行動を共にして、彼や調査団の人達が見た出来事を詳細に記している。
そこには、あらゆる奇跡が溢れている。
まず、大師は、意図があってのことであるが、コップに入った水をスポールディング達の目の前で氷に変えて見せる。
その他の、数多くの不思議な出来事のほんのいくつかをあげてみよう。戸籍上は800歳の美少女がいた。見かけは50代に見える男性の大師も実際は数百歳であるといい、その母親は愛らしい少女の姿をしているが、彼女は、瀕死の重症を負った少年を即座に回復させ、晩餐の場では、空中から食べ物を取り出して調査団にふるまった。
大師達は、激しく流れる川の上を歩いて渡り、遠方へ瞬間移動し、確かにそれを行った証拠も残す。
スポールディングは、自分達は科学的な訓練を受けた調査団であり、これらの見聞が催眠効果であることも当然疑うが、そうではないことを論理と証拠で示すことに留意している。
しかし、最終的な判断は、読者に一任するしかないとした。

この中にある、我々が現実的な意味で興味深いと思える奇跡を、我々自身が行うことについて述べよう。

スポールディングらがインドに来て、長く大師達と過ごすうちに、調査団の人達にも、大師達のような力の発現が見られるようになる。その原因は、主には意識の変革によるものだ。
こんなことがあった。仕事で書類を作成しようとすると、何もしないのに、白紙だった紙が、目の前で自動的に完全な書類になっていくのだった。
苦笑する人もいるかもしれないが、彼らとは全く関わりのない著名な精神科医が実際にそれを体験している。いや、彼は自在にそれを行えるし、おそらく、他の人にもやり方を気軽に教えたはずだ。
その精神科医は、ある時、何かの書類を作成しようとしていたが、それに困難を感じていた。
そこで彼はある手を使ったが、そうすると、彼が気付かないうちに書類は完成していた。彼は、そこに何が書かれてあるか知らなかったが、その出来は彼を満足させる素晴らしいものだった。

その精神科医は、ミルトン・エリクソンという、世界的な賞賛を浴びる偉大な精神科医だ。その素晴らしい治療は、魔法を使って治しているのではないかと言われるほどであった。
彼は20世紀になったばかりの年(1901年)に生まれ、1980年に亡くなったが、彼の治療技術は今でも全く色褪せず、広く研究が続けられている。

さて、彼は、いったいどのような方法で書類を作ったのだろう。
彼はただ、無意識に任せたのだ。
そのためには、要求を確定し、無意識を信頼してトランス(変性意識状態。意識を後退させ、無意識を表に出すこと)に入ったのだ。

「波動の法則」の著者である足立育朗さんは、そういった要求を確定することを「プログラムする」と言っているようだ。彼の妹で、画家の足立幸子さんもそうだ。
例えば、科学上の問題について、その答えを得ることをプログラムして待つのである。
そうすると、やがて解答が意識に伝えられてきて、問題が解決するのである。
このような現象の説明として、チャールズ・ハアネルは「ザ・マスター・キー」で、「潜在意識(無意識と言って良いと思う)は、意識と宇宙意識を媒介する」と述べ、そのノウハウも示している。
足立さんは、以前はそのような時、瞑想し、意識を停止させていたというが、後にはその必要はなくなり、日常の意識でも可能になったという。つまり、エリクソンのようなトランスに入る必要はないということと思う。
ただ、トランスというものは、必ずしも特別なことではなく、日常の中でトランスに入ることがあるのである。
トランスの強烈なものを、マズローやウイィルソンの言う「至高体験」と言うのかもしれないが、ウィルソンは至高体験ですら、ありふれたものであると言っている。

我々もまた、無意識を信頼すれば、想像もできなかったようなことが可能になるのである。
私は、経験上、それが確かであることを知っている。
いくつかの例をあげると、10歳の時、天文の知識を全く持たずに、手に入れたばかりの天体望遠鏡で、月でも見つけるように簡単に土星を見つけて観測し、交通量の多い車道に物陰から飛び込出して安全にそこを渡り、以前に見た時代劇のお気に入りのシーンを録画すると「プログラム」した以外の一切のことをせずに、ビデオのリモコンを握るだけで、望みのものを何度も録画した。
※特に、車道に飛び込むということは決して真似をしないよう。私は7つか8つだったが、馬鹿だったと思っている。

この無意識を信頼するということは極めて重要であり、今後、分かり易く実際的に説明していきたい。


波動の法則
私は個人的には、この本に説明されていることで、精神分析学、心理学、医学、超心理学、閃きやアイディア、成功哲学の全てが説明が付くと思っています。

ザ・マスター・キー
百年近くも前に、量子物理学や精神分析学の考え方とヨガ哲学を融合させ、しかも、自然で納得のいく成功哲学を、分かりやすい通信講座の形で提供した教えを1冊の書籍にしたものです。
その教えは、ビル・ゲイツに大きな影響を与えたと言われ、「ザ・シークレット」にも、数多くの引用があります。
ヒマラヤ聖者の生活探求(全5巻)

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2010.02.18

コロシアムの夢

こんな夢を見た。
真夜中のコロシアム(闘技場)だった。
私は石壁を登り、中に入った。松明が1つの場所を照らしていたが、その他の場所は闇だった。
試合相手が現れた。
他には誰もいない。
ただ地面を均しただけの試合場で我々は戦い始めた。
時が経つと、恐怖感も去り、心が澄み切り、身体が自在に動くようになった。
自分がなぜそのように動くのかも分からない。身体の中のなにかが私を動かしているようだった。
幸い、どちらも致命傷を受けることもなく、決着がついた。
どちらが勝ったのか分からない。
それはどうでも良かった。
しかし、得られたものの貴さ、大きさにしばらく恍惚とし、やがて喜びに満ちてきた。
空からの祝福を感じた。星のしじまは、深い慈愛に溢れていた。

祭りの目的は、意識を振り払い、我々の中にある何かと協調してエネルギーの供給を受けることだ。
芸術の目的は、意識を滅し、内側の自己と調和することだ。
スポーツの目的は、内側の自己を信頼することを学ぶことだ。

純粋にそれだけを求めるなら、計り知れない宝を得る。
だが、輝きの一端だけに囚われると欲に染まり、快楽という苦痛にもがくこととなる。

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2010.02.17

辞書で頭を良くし、幸運な共時性を起こす

私は昔、頭を良くすることに興味があって、そのために役立ちそうな本を沢山読んだことがあります。
そのうちの1つに、こんなことが書かれていたのを憶えています。

頭の良さというのは、語彙力と大きな関係があるそうです。
「語彙」って言葉を辞書で調べると、何やら難しい定義が載っていますが、早い話が、「その人が使える言葉の総量」ですね。
豊富な言葉を使いこなせる人ほど頭が良い可能性が高いということです。
アメリカでは昔から語彙力テストが普通に行われているようで、職業の適正もそれである程度分かるもののようです。
ある男子学生は医者になりたかったのですが、語彙力テストの結果、医者を目指す学生の標準をかなり下回っていたようです。
そこで、彼は辞書を使って語彙力を増やしました。すると、頭も良くなり、見事医者になったのだそうです。
ところで、その彼が言った、非常に興味深いことも書かれていました。
それは、憶えた言葉に関連することが不思議なほど日常に現れるということです。
これは、単に、それまでなら意味が分からないので、見ても聞いても意識に入ってこなかったことを認知するようになったという意味もあるのかもしれません。それはそれで素晴らしいことですが、私はそれだけではないと思っていました。

この話を思い出したのは一昨日でした。
そして昨日、「私の声はあなたとともに」という、ミルトン・エリクソンについて書かれた本を読んでいました。
ミルトン・エリクソンは伝説的なアメリカの精神科医です。あまりに高度な治療能力は魔法と言われるほどでしたが、彼を知る人は、その人間性の素晴らしさも賞賛しました。NLP(神経言語プログラミング)を創始したリチャード・バンドラーは、彼を崇拝していますし、NLP自体がエリクソンの手法を研究したものです。
その「私の声はあなたとともに」の中に、エリクソンは子供の時に、辞書を繰り返し読んだ話がありました。彼は、それで語彙力が豊富になったと言います。ある時、夕食に招待してくれた医者が、あるものをエリクソンに見せ、「これが何か分かるかね?」と尋ねました。エリクソンが「イッカクの牙です」と答えると、その医者は驚き、「分かったのは君が初めてだ。なぜ知ってるのか?」と尋ねました。エリクソンは子供の時に繰り返し読んだ辞書のイラストで見たことを憶えていたのでした。彼の生まれた家は農家で、農場には聖書と辞書くらいしかなかったようです。

私の声はあなたとともに
最高の本に出逢いました。
エリクソンがセミナーで話した、受講者の無意識に優れた効果を与える「物語」を、エリクソンの信頼を得た優れた精神科医であるシドニー・ローゼンが、その効果を損なわないよう、見事な工夫をして紹介したものです。
小さな数々の「物語」は、愉快だったり、懐かしい感じがしたり、物悲しかったり、滑稽だったり、時に神秘的に感じるものですが、驚くべき秘密が封じられています。
それを、実に16人の医学者達によって翻訳されたこの本は、精神医学の枠を越え、あらゆる人の役に立つことを確信します。
シドニー・ローゼンは戦後、日本の隅田川で精神科医として働き、その時、講道館で少年時代からの念願であった柔道を学びました。日本語は事前に学んでいて、日本を楽しんだようです。

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2010.02.16

成功哲学は水面での遊び

ウォルター・アーネスト・バトラーによると、魔法とは、精神に自在に変革を起こすことである。
そんなことができれば全ては可能であるので、それは確かに魔法である。
魔法は純粋だが、成功哲学は、それを普通の人向けに味を付けたものだ。それは、人により、薬にもなれば毒にもなる。
いや、成功哲学の制作者達は善意であるのだが、今ではほとんどの場合、毒になる。

魔法そのものは普通の人が見てもまるで解らない。
そこで、それに近い、成功哲学の源流ともいえるものを見ておくと良いと思う。
そういったものには、金が儲かるとも、素敵な恋人が出来るとも、病気が治るとも書かれていない。だから、普通の人は不満になる。
だが、魔法の近くでは、その程度はあまりに些細であることから無関心になってしまうだけなのである。
言ってみれば、深い水の中で遊べる者にとって、水面での遊びは簡単過ぎて、特に留意しないのと同じだ。
とりあえず、そんな教えが書かれたものをご紹介しておく。
きっと、読んでも、あまり意味が解らないと思う。
ただ、「科学者のように自分の心を観察する態度」が身に付けば、おそらく無敵と思う。
一読して20年ほど放りっぱなしにした後で、なぜか捨てずにいたこの本に返ってくるというパターンが多い(実際20年を軽く超えるロングセラーだ)。
最初から、そこに留まる者は幸いと思う。

なぜあなたは我慢
するのか
スーパーマインド

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2010.02.15

天国

すごく嬉しいことがあった時に浮かぶ言葉というものがあるだろうか?
アラン・パーカーの小説「小さな恋のメロディ」では、主人公のダニーの場合、「天国」のようだ。

ぼくは「天国」という言葉が好きだ。どういうわけか、自分でもよくわかんないけれども。心からほんとうにうれしくなると、すぐ、「天国」という言葉が浮かんでくる。
~アラン・パーカー著、桐山洋一訳「小さな恋のメロディ」より~
※「小さな恋のメロディ」の原題は“Melody”。アラン・パーカーが同名の映画(1971年公開)の原作として書いた小説で、彼は映画の脚本も担当している。

そういえば、このブログでもだが、私は、1日1回の食事をよく「天国の食事」と言う。本当に空腹な時の食事は、粗食であってもそう呼ぶだけの値打ちがある。
ラマナ・マハルシは、「心からの願いが叶った時、心は真我の中に溶けている」と言った。これは、心が澄み切っていて静かであることと思うが、悟りの状態にも近いものと思う。それを天国にいるような状態と言っても良いと思う。

ただ、いかに嬉しくても、天国と正反対なこともある。
梶原一騎が原作を書いた漫画の中に「人間の最大の快楽は復讐が達成されることだ」という言葉があった。何かの文学の引用かもしれないが、梶原一騎らしい言葉だ。しかし、快楽と苦痛は実は同じものだ。もしそれが最大の快楽というなら、実現してしまえば、最大の苦痛を味わうことになるはずだ。それを地獄というのだろう。

天国と言うべき想いと快楽との最大の違いは、心が静かであるかどうかだ。
真の喜びの中では心は静まる。偽りの喜びは心を激しく揺さぶる。

心を静かにすることができれば、それがすなわち天国と言って良いと思う。
心が静まった瞬間には、誰でも天国にいるのだ。
人は誰でも、ぐっすりと眠ることを望む。
心のない静かな眠りの中に天国があるからだろう。
ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の“I Have Confidence”という歌に、
“Strength lies in nights of peaceful slumbers”
という歌詞がある。直訳すれば、「強さは平和な眠りの夜の中にある」とでもなろうか。
(NHKの放送の字幕では、「ぐっすり眠って元気いっぱい」と訳されていたが・・・)

心を静かにすることに留意することには意味がある。
それは、人生を限りなく豊かにする。無限の力とつながることができ、我々はどこまでも強くなれる。
しかし、心を静かにすることは、決して思考や行動を放棄することではない。
そんなことをすれば、心はさらに勢いを増して揺れ動き、その持ち主を苦しめるだろう。
聖書にこう書かれている。
「心を静め、自分が神であると知りなさい」
事実、心が静まっていれば無敵であり、不可能はない。


小さな恋のメロディ
11 歳の主人公ダニーの視点で書かれたこの小説は、著者アラン・パーカーの瑞々しい感性を感じさせる。大人のアイロニー(皮肉。ドイツ語のイロニーが使われることが多い)は陰鬱なものだが、子供目線で書かれたそれは、あっけらかんとしていて楽しく、まるでエピグラム(警句)のようだ。
ダニーの、美少女メロディへの想いに懐かしいものを思い出すかもしれない。

小さな恋のメロディ(DVD)
制作国のイギリスやアメリカより日本でヒットしたと言われる映画。出演者の大半が子供。
現在の日本人にノスタルジすら感じさせるかもしれない。
音楽はビージーズで、名曲揃いだ。「メロディ・フェア」が流れる中、金魚と戯れるメロディ(トレーシー・ハイド)が美しい。

「サウンド・オブ・ミュージック」オリジナル・サウンドトラック
個人的には、映画の「サウンド・オブ・ミュージック」は好きではないが、音楽は文句無く一級品と思う。

サウンド・オブ・ミュージック
マリア自身が書いた、「サウンド・オブ・ミュージック」のオリジナルストーリー。映画とはかなり異なる。

サウンド・オブ・ミュージック アメリカ編
その後のトラップ・ファミリーのお話。
47歳のゲオルク・フォン・トラップ(海軍少佐。日本の映画で大佐と訳されているのは誤訳)と結婚した時、マリアは21歳になったばかりだった。
マリアは1987年に亡くなったが、子供達の多くは今でも健在。

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2010.02.14

なぜ日本のマスコミが小沢氏とトヨタを叩くのか?

人間が思い通りの人生を創造する能力を得るには、このような考え方も必要という意味で参考になると思います。
よろしければご一読下さい。決して、正しい意見であるとして押し付ける気は毛頭ありません。

世論調査では、民主党小沢幹事長は幹事長を辞任すべきだとの意見が7割を超えているようです。
そりゃ、あれだけマスコミが小沢氏に対するネガティブ・キャンペーンを展開した後なら、一般庶民は「辞めるべきですねえ」となりますよ。
小沢氏の不起訴が決まったのに、「本当は犯罪者なんだよ」と我々に思い込ませようとするマスコミの圧力は本当に恐ろしいものだと思います。
しかし、ではマスコミの狙いは何なのだろうと疑問でした。自民党に、ここまでマスコミを支配する力があるとは思えません。

ところが、トヨタ自動車のブレーキの問題で、面白いことがありました。
アメリカのマスコミは当然ながら、日本のマスコミも、トヨタに対するネガティブ・キャンペーンを強烈に展開しています。
予想通り、日本人のトヨタに対する意見は非常に否定的になったのですが、アメリカ人にはトヨタのイメージはさほど下がってはいないのです。
これは、痩せても枯れても、アメリカは民主主義の国だということです。
アメリカ国民は、日本人ほどマスコミに踊らされないという点もあるのでしょうが、それよりも、アメリカのマスコミには、トヨタを叩くものもあれば、トヨタを擁護するものもあるのです。それは、日本には決してありません。日本のマスコミは、軍隊の行進の足並みのごとく、全部一律な意見となります。多少、表現の仕方を変えるだけです。
アメリカのマスコミにはジャナーナリズム(報道精神)がありますが、日本のマスコミにはありません。

日本のマスコミは昔から国家の下僕です。本当の意味で日本に報道はありません。
しかし、ではなぜ、国家の最大級の税収元であるトヨタを、国家の手先であるマスコミがこれほど叩くのでしょう?
小沢氏をマスコミが一斉攻撃するのと併せ、なんとも合点がいきませんでした。
しかし、やはり私は素人でした。
アメリカ政府が日本政府に圧力をかけてそうさせていると考えれば、そんなに難しい問題ではありません。
アメリカにとって、トヨタ、民主党、特に小沢幹事長が非常に不利益な存在であることは誰でも分かると思います。

本格的な話は、これも頭から信じて良いかどうかはともかく、以下に非常に頭の良い超専門家の面白い意見をご紹介しておきます。
判断はあくまで個人で行うべきですが、恐ろしく偏ったマスコミに騙されないためにも、また、マスコミが決して報道しないことがあることを理解するためにも、知っておいても良いと思えるものだと思います。

植草一秀の『知られざる真実』 メディア一刀両断の小沢幹事長正論と法改正案

ドクター苫米地ブログ ゆうちょ銀の預金、米国債購入へ、時限爆弾に火がついた。

ドクター苫米地ブログ ゆうちょ預金で米国債を買うことがなぜ時限爆弾着火か

これらのブログのオーナーであり、以下に著書をご紹介する御二人は、私は個人的にはさほど好きな訳ではないですが(人間、誰しも欠点はあります)、度を超えた優秀さは認めざるをえません。


テレビは見てはいけない
1日中、テレビをつけっぱなしにする恐ろしさを分かっていただければと思います。

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
アメリカの日本支配の構造はこの本に具体的に書かれています。

知られざる真実―勾留地にて―
私は、ごく普通に考えて植草一秀さんの逮捕、起訴、有罪判決は奇妙だったと思います。

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2010.02.13

信用できる人

007シリーズで知られる小説家イアン・フレミングは、その作品の中でジェームズ・ボンドに「私は背の低い男を信用しない。背が低いことで彼は世間に恨みを持っているからだ」と言わせているようです(私は007シリーズは1冊も読んでいませんが、無能唱元氏の古い本で知りました)。
差別発言もいいところですが、フレミングの経験がそう言わせるのだろうと思います。
男にとって、背が低いことの不利が無いとは言いませんが、私なら、むしろそれに耐えてきた男の方が信用できます。いえ、身長に限らず、あらゆることにおいて、恵まれた条件でスタートできないことでしか学べないことが沢山あります。その輝きを拾い集めた人間こそ信用できます。ただし、それはリスクのある学びであることも確かで、やはり世間を恨むこと等により本当に信用できないような人間になってしまう危険があります。

しかし、本来、信用できる人とは、約束を守る人です。
嘘をつかないということも大切ですが、もっと進歩した世界にならないと、この世では嘘も必要な場合があるかもしれません。
この暗いところもある世界では、嘘も時に、優しさや親切になり得ます。しかし、それは、やはり人類の意識がまだ低いからです。
高い意識を有する人々の中では(彼らは文明化されていないことも少なくありませんが)、嘘は存在しません。

「クリス、死ぬ前に教えてくれ、お前の本当の狙いは何だったんだ?」
「金(きん)だ」
「やっぱりそうか。分け前は?」
「1人1万7千」
映画「荒野の七人」より。クリス達が善意から、1人わずか20ドルで村を盗賊団から守って戦っていることを信用せず、クリスには別の狙いがあると思い込んでいたハリーが、銃弾を受け、絶命する刹那にクリスを問い詰めた時の2人の会話。2人は古い友人だった。尚、クリスの答えは嘘であり、満足して死んだハリーに「金の夢を見ろ」と言う。


荒野の七人(特別編) (DVD)
日本語吹替え付。黒澤明監督の「七人の侍」を西部劇化したと言われる1960年の作品です。
30代だったユル・ブリンナー、チャールズ・ブロンソンらが格好良い。たまにはこんな映画で、「本物の男」を見たいものです。
村の子供達が、盗賊団に手向かい出来ない父親達のことを「お父さん達は勇気がない」と言うと、ブロンソン演じるベルナルドは怒って、「俺には収穫を待ったり、子供を育てる勇気なんかない」と言う場面が私には忘れられません。

夢(DVD)
なんと、こんな名作がこの値段でと驚きです。
黒澤明監督が見た夢を映像化した珠玉の傑作短編集です。
桃畑での桃の木の精霊達の舞は、異世界を映像化したような幽玄の美と思います。
「トンネル」での幽霊の兵隊達へのやり場のない感情と寺尾聰演じる元隊長の誠意。
あの、マーティン・スコセッシがゴッホ役で登場します。

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2010.02.12

「ロリータ」の悲劇を引き寄せたもの

ナボコフの小説「ロリータ」が、これほど世界でロングセラーを続けることは私には驚きだった。
この小説の最初の映画化の際、主役である性欲倒錯者(※)ハンバート役を打診されたケーリー・グラントが即座にそれを断わったのは、彼がハンバートのような人間を真から毛嫌いしていたり、自分のイメージの失墜を恐れたということもあるかもしれないが、私同様、「ロリータ」という作品に価値を感じていないのではと思っていた。
しかし、あのスタンリー・キューブリックが映画化した作品であるというのもまた事実である。

※性欲倒錯者
「倒錯」とは、「社会的規範から外れた行動や嗜好を示すこと」という意味で、何をもって倒錯と言うのかは、特に現代では難しいということが分かる。
「ロリータ」のハンバートの場合、俗に「ロリータ・コンプレックス」と言われるもので、医学的には性嗜好障害の小児性欲である。

私は、どこをどう叩いても、「ロリータ」をラブロマンスだとは思わない。「ロリータ」は悲劇である。
悲劇であるなら、その原因を探るものである。

私は、高校生の時に初めて「ロリータ」を読んだが、その時は、ただ不快に感じた。しかし、癪なことに知的なものは感じていた。
大人になってから読むと、ただハンバートの愚かさを感じた。ただし、「性欲倒錯者だから」では決してない。
私は、性欲倒錯者というだけでは何とも思わない。そもそも、性欲に倒錯というものなどない。ある意味、性欲倒錯でない人間などいない。「俺は正常だがあいつは異常だ」という人間がいたら、それは単なる傲慢だと思っている。ハンバートは性的嗜好とは関係ないところで愚かなのだ。
時が経つと、私は、ロリータこと、ドローレスという少女の精神構造に憤りを感じた。ただ、それはドローレスへの怒りではなく、歪んだ教育をされた少女への哀れみへの反動である。
そして、ヘイズ夫人(ロリータの母親)の救いようのない精神の無明に思い至った。あまりの不快さに、私は目をそむけていたのだ。
しかし、これらの、私に反発を感じさせたものは、全て私の中にあるものと知った。人は、自分にない欠点を見ることはない。
ついに、私は「ロリータ」が傑作であることを認識した。「ロリータ」は自己を知るためのものだった。

悲劇はヘイズ夫人の思考習慣から起こっている。
それは、建設的、創造的と正反対のものである。
(小説でも映画でも指摘されることはなかったが、ヘイズ夫人が飽食者であることは映画でも滑稽に描かれており、それが彼女の精神を歪めている部分が大きいと思う。)
そして、ロリータと共に、そのヘイズ夫人を人生に引き寄せたハンバートの習慣的な思考とは何だったのか?
どこまで正確な事実かは分からないが、「ロリータ」にはハンバートの自伝的部分も含まていれる。
2つの映画で、それぞれの監督であるキューブリックは省き、ラインは描いた、ハンバートの少年時代の恋人アナベルの幻影がロリータを引き寄せたのだろうか?
いや、おそらく、ハンバートも誤解していると思うが、アナベルも単にハンバートの習慣的思考に引き寄せられたのだろう。
全ての悲劇の真の原因は、実にハンバートが育んだ歪んだ思考であったと思う。


ロリータ
2005年出版の新訳。本書は2006年の文庫化版です。
いずれ読むかもしれませんが、私は正直言って、この若島正さんの翻訳は読んでいません。若島さんは、日本ナボコフ協会運営委員ということで、ナボコフに関してはいわば専門家ということと思います。

ロリータ
大久保康雄訳。1959年初版で、1984年の改訂版です。
大久保康雄さんは、数多くの英米文学の名作の翻訳で知られる翻訳家です。
間違いなく名訳と思いますが、現在では新品での入手は難しいかもしれません。

ロリータ(DVD)
スタンリー・キューブリック監督版。1962年作品。モノクロ。
ロリータ役は14歳のスー・リオン。現代の14歳と比べても、スーはかなり大人っぽく、小説では12歳のロリータ役には無理があると思います。当時のアメリカではこれが限度だったからと言うより、映画として、大人が見ても魅力を感じる女優を選んだということかもしれません。実際、スーは魅力たっぷりです。
とはいえ、見ていると、スーにロリータらしい雰囲気が十分にあるのは、さすがキューブリックと思わせます。
映画を面白くするため、小説でのラストから始めるのは、下のライン監督も真似たようです。

ロリータ(DVD)
エイドリアン・ライン監督版。1997年作品。こちらはカラー。
ロリータ役は16歳のドミニク・スウェイン。大変な数でのオーディションで選ばれたドミニクは、ライン監督の目に留まったのでしょう。
ロリータ役には、小説でいうニンフェットとしての特別な魅力というよりは、精神的貧困さの表現が重要と思いますが、ドミニクはこの点ではよく演じていると思います。
ただ、正直、私はあまりしっかりと見ていません。いずれ、しっかり見直そうと思います。

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2010.02.11

最後の鍵は自らの思考である

身体が調和が取れた状態になるよう指揮をしている何かがあるのだろうか?
1つの音叉を鳴らすと、同じ固有周波数を持つ音叉を同調させるように、身体の場合も、何かの波動が、全身の細胞を指揮するのかもしれない。

身体を指揮しているのは心臓であるのかもしれないと思う。
実際、心臓の脈動波は全身に伝わり、反響して心臓に返るのである。
ところが、呼吸を止めると、動脈を伝わる脈動波がゆったり安定したものになる。
だが、いつまでも息を止めているわけにはいかない。
しかし、呼吸をしているのかどうか分からないほど、微かな呼吸であれば、やはり脈動波は滑らかで安定している。
その状態が長く続けば、身体全体の調和が高まるはずだ。

精神の状態と呼吸との関係は、すでに十分に知られている。
精神が安定していると呼吸も静かだし、精神が不安定だと呼吸も乱れている。
逆に、呼吸を安定させると精神が安定する。
しかし、強い不安感や恐怖感を持っている時に呼吸を安定させることは難しい。

呼吸制御により精神を安定させる訓練もあるが、それは効果が限定的であると言わざるを得ない。
呼吸自体を無理に制御するのではなく、自然に呼吸が静かで微かになるように導くものでないといけない。
1つの方法として、マントラ(呪文)の復唱がある。マントラを一定のリズムで繰り返し唱えれば、自然に呼吸は安定するし、心がマントラに集中するために、余計な思考や感情が起こりにくい。
そのマントラの音が、それを唱える者に合っていれば特に良いのである。
マントラとして、信仰する神の名を用いる場合もあり、その神の名が、その者にとって敬虔な宗教的感情を起こさせるものであれば、高い効果を期待できると思う。
また、TM(超越瞑想)では、口でマントラを唱えるわけではなく、心の中でマントラを想うのであるが、瞑想中、呼吸が非常に微かになることが知られている。また、医学的にも、身体が大変に調和のとれた状態になることが確認されているようだ。おそらく、心臓の脈動波もとても安定しているのだと思われる。

しかし、私は、結局のところ、呼吸やそれに伴う脈動の安定、そして精神の安定を終局的にもたらすのは、テクニックではなく、思考の問題であると思い至った。調和の取れた、建設的で創造的な思考をしているかどうかが根本的に大切なのである。
ただ、最初のうちは、呼吸の制御をしたり、マントラを唱えたり、座禅や静坐をすることが進歩への助けになることは間違いがない。
ラマナ・マハルシは、「これらの中では、清らかな食べ物を適度に食べることが最上である」と言っていたが、まずは正しい食習慣ということと思う。決まった時間に、満腹しないよう慎みを持って食べることが最も重要である。

そして、自己実現や本当の幸福をもたらすのは、やはり人間を人間たらしめる「考える」ことである。
調和の取れた、建設的で創造的な思考のためには、外面的には何をする必要もない。しかし、それは、形式的に何かをしているといった自己満足での誤魔化しの通用しない厳しいことであることを意味するのである。
つまり、「座禅をやっています」「静坐をやっています」「食を慎んでいます」「瞑想しています」「呪文を唱えています」「聖典を読んでいます」といったことに対し、「だから何?」ということである。
普通の人は自分の頭を使うことを嫌がり、自分で考えない。
アインシュタインは子供の時、人々が歓声を上げる、行進する兵隊を見てぞっとし、「あいつらの頭は、神様が間違えてくっつけたんだ」と言ったのである。

自分で考えるために必要なことは、子供の間は好奇心と想像力。
大人になってからは利他的な思考と決心が必要なのだと思う。
それは、心臓の脈動波が身体を調和させるように、個人を宇宙と調和させるものである。


ザ・マスター・キー
建設的で創造的な思考の大切さを、これほど見事に説いた本を見たことがない。しかも、本書は、元々が通信講座であったもので、賢く忍耐強い師が、この上ない慈しみを持って生徒に教えるように、丁寧に噛み砕いて教えてくれる有り難いものである。
本書のオリジナルである英語版の本は10種類以上は軽く存在するが、最近では私は、アメリカの真に偉大なリーダーの考え方の根底には、必ずこの本の教えがあるようにすら感じるのである。

波動の法則
この世の真の姿を知れば、調和のとれた思考の重要性もはっきり分かるのではないだろうか。
著者は、この本の内容は、自分の主義・主張でも仮説でもなく、「報告書」であるというところが面白い。高次の存在から知らされたことをただ伝えているだけである。それをどう受け取るかは読者次第なのかもしれないが、信じてもなんら不都合なことはない。ナチュラルに感じることだけであり、結果もすぐに(瞬間と思う)見れると思う。
上記、「ザ・マスター・キー」は、成功哲学としては最も優れているが、その原理をさらに明らかにするようなこの本の価値は計り知れないと思う。

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2010.02.10

引きこもりのニート脱出法

ニートと引きこもりは本来は無関係だが、引きこもり気質の人間がニートになる可能性は、まあ、高いだろうと思う。かくいう私がそうであった。
なぜ引きこもりになるかだが、我国を代表する思想家で、自らも引きこもりと言う吉本隆明(よしもとたかあき、よしもとみゅうめい、いずれも正しい)さんは、著書「ひきこもれ」で、原因は母親の胎内にいた時の母親の精神状態の影響であり、先天的なものではないかと言う。
それほど深い原因によるものであれば、なまじっかな方法で治そうとして治るものではなく、一生、引きこもり気質のまま生きなければならないということである。
引きこもりの原因に関して、それが正しいかどうかは分からないが、引きこもり気質が一生治らないというのは本当と私も思う。
たとえば、私は、非常に社交的で大胆な、恐いもの知らずの人間と言われることがよくある。しかし、社会的な意味で必要のない会話は一切しないし、よって友人と呼べるものもいない。
つまり、いかに外面的な行動形態が変わったように見えても、私は現在も引きこもり気質であることに何の変化もない。
引きこもりにも程度というものがあると思うが、客観的に言って、私はかなりの重度であり、本当なら、生涯ニートであるはずだった。

ところで、人間である限り、引きこもりの性質を持たない者もまたいない。引きこもりの性質は、普通は「心の壁」として了解されているが、それを全く持たない人間はいない。
よって、今回の記事は、対象外の人間はいないと私は思っている。

次に、引きこもりがニートになる原因を考えてみよう。
それは、一言で言えば、自分を無力だと思っているからだ。実をいうと、全ての人間が大なり小なりそうなのであるが、引きこもりの場合は、無力感を非常に強く持っていて、戦う前に敗北を認めているのだ。
分かりやすくするためにごく単純なたとえ話をするが、適当に人が集まって野球をしようという時、引きこもりには、周りのみんながイチローや松井に見えてしまうようなものだ。
ただ、これにはカラクリがある。
普通の人は、自分がイチローや松井であることを、人々に(嘘だと分かりながらも)容認させることができるのである。そんな奇妙な習性が普通の人間にはある。その心理的な仕組みを解説すれば、あまりに長くなるので省略するが、引きこもりには、その習性が欠けているのである。
だから、社会的に何かをしようと思えば、本当にイチローや松井達の中で野球をやるような緊張感や場違い感を感じる。そして、他の人々は、あなたがそんな状態であることを感じるのだが、大多数の人間は、そんなあなたを貶め、いじめることで快感を感じ、満足しようと待ち構えている。大衆という、大多数の未熟な人間は、負けるはずのない戦いに偽りの安心感を得ようとするのである。
ただ、極めて稀に、そんなあなたを慰めたり、力付けてくれる天使のような人間もいるかもしれないが、まあ、稀な存在であり、実際、それを天使というのだろう。

さて、理屈はそこそこにして、解決策を提示する。
まず、ジョセフ・マーフィーの著書を入手し、5~6回、あるいは、それ以上読むことである。
もちろん翻訳書で良いのだが、必ずジョセフ・マーフィー自身の著書を読むことだ。別の者がジョセフ・マーフィーの思想や手法を書いたものにも良いものがあるかもしれないが、多くの場合、その別の著者の思想が混ざって変質していたり、善からぬ意図が含まれているかもしれないからだ。私が見る限りは、大半がそうであるとも感じた。
私の場合は、ニートであった19歳の時、「あなたも幸せになれる」(文庫版では「努力嫌いの成功法則」と改題されている)を読んだ。
原題は“The COSMIC ENERGIZER/Miracle power of the Universe”と、なかなか雄大なものである。文句を言う気はないが、翻訳書も、もっと良いタイトルを付けて欲しかった。
ENERGIZERは、ENERGIZE(活気付ける、電気を通じる)する者という意味だろうが、アメリカの大手電池メーカーの社名であり、その会社の商品である電池の名称でもある。感じとしては、COSMIC ENERGIZERで、無限のエネルギーの供給者といったものだと思う。

実際に、我々の内には、無限のエネルギー、至高の力がある。
ジョセフ・マーフィーの本で、その事実を知り、さらに、その力を自在に使う権利が自分にあることを確信すれば良い。そうすれば、最早、自分が無力であるなどと思わずに済むのである。
マーフィーもよく引用する、アメリカ史上最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンも言った通り、「我々の内にあるものに比べれば、外にあるものなど、取るに足りない」のである。
ジョセフ・マーフィーは、キリスト教の牧師であり、著書にも聖書の引用が多いのであるが、彼は伝統的なキリスト教会に属する牧師ではなく、あくまで聖書に書かれた古代の叡智やイエスの恐るべき知恵を重んじているのである。よって、マーフィーの著書を読むのに、クリスチャンになる必要はない。

尚、本当に望むのなら大金を得ても良いと思うが、必要もないものを望まない方がうまくいくと私は思う。
自己啓発書の著者達が、なぜあれほど、我々を大金持ちになるよう煽るのか不可解だが、彼らもまた、経済至上主義の国家に洗脳されているのかもしれない。
お金なら、上等な衣食住が得られ、自分に合った自動車を買い、1つか2つの趣味を楽しみ、時々海外旅行に行き、親にそれなりの贅沢をさせてあげられるだけあれば十分と思う。ガールフレンドも5人を超えると、よほど器用な人でないと煩わしい。多くても3人程度で十分ではないかと思う。
他の人々や世界のために貢献する度合いに応じて器が広がってくるとお金の使い方も分かってくる。大金なら、その時に得れば良いし、そんな人間でなければ、大きな金を持つと悲惨なことになりかねない。
付き合いのある金持ちはみんな言う。「金を稼ぐなんて簡単なことだ。だけど使うのが難しい」。


マーフィー 努力嫌いの成功法
私が楽々とニートを脱出する機会となった思い出深い本「あなたも幸せになれる」の文庫版です。
我々の内にあり、自由に使える無限の力を、この本では、一応、「宇宙の活力」と呼んでいます。我々に限りない親しみを持つ、この全知万能の力について知ることが全ての始まりであると思います。

あなたも幸せになれる
上記の「努力嫌いの成功法」の新書版です。大きな本の方が良い方はこちらを。私が持っているのはこっちです。

マーフィー 眠りながら巨富を得る
ジョセフ・マーフィーの最も有名な本は「眠りながら成功する」ですが、私は、後で書かれたこちらの方が洗練されていると感じました。
マーフィーの本のお薦めの1冊です。

マーフィー あなたも金持ちになれる
話題をお金に絞っているので分かりやすいという点もあるのですが、決して欲望に満ちた本ではなく、深遠な知識をシンプルに分りやすく教えることが本旨です。むしろ、自己中心的な欲望を否定しており、富と平安を共に得ることに配慮した善意の書と思います。

自己信頼[新訳]
マーフィーに限りませんが、特にアメリカで、幸福のための深遠な叡智を説く者で、この本の著者のラルフ・ウォルドー・エマーソンに学ばなかった者はいないはずです。マーフィーの著書にも、エマーソンは多数引用されています。
そのエマーソンの書いたものの中で、我々が良い人生を送る上で最も重要な心構えや知恵を説いたのが、この「自己信頼」であると思います。
マーフィーも「眠りながら巨富を得る」の中で、特にこの「自己信頼」は書名を上げて引用しています。
本書は、2009年に出版された、非常に分かりやすい新訳です。

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2010.02.09

本当のシークレット

人間にとって、訓練の力とはすごいものだと思います。
私も、10回が苦しかった腕立て伏せが楽々と80回できるようになり、数行でもうまく書けなかったコンピュータプログラムを数万行書けるようになりました。
絵も、少し描くと、他人との比較ではなく、少し前の自分に対して驚くほど腕前と感性が向上しました。

ところで、実に沢山の訓練すべきことが世の中にあるのですが、最も大切な訓練がかえりみられていないように思われます。
それは、自分をコントロールする訓練です。自分の心を制御、支配する訓練と言っても良いでしょう。
ところが、そんなことが訓練できるとは考えたこともない人が多いかもしれません。
あるいは、スポーツなど、何かの訓練に励むことで、自分を支配できるようになると考えられているのかもしれませんが、超一流のスポーツ選手でも感情や欲望に支配されて愚行を犯すことがこれほどありふれていては、そんなことはとても言えないように思います。
そして、実際にそうです。人間は、外面的なことをいかに訓練をしても、心を治める能力は発達しません。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉を大誤解している人が大変に多いのですが、この言葉は、古代ギリシアの詩人ユリアヌス(ユウェナリス)が、身体ばかり立派で精神が幼稚なスポーツ選手を見て、思わず、「そう祈りたい」と言ったというのが本当のことなのです。
尚、スポーツなどの訓練で心を律する力が得られると思い込んでいる人が多いのは、おそらく、それが国家規模の思想統制のためと思われます。それは、国家や大企業にとって、実に都合の良い幻想です。また、自分の心を支配できないと、他人に簡単に心を支配されます。スポーツ選手の大愚考を何度見ても、やはりスポーツ選手に良いイメージがある理由はそういった理由です。

自分を支配できるようになると、世界をも支配できるようになります。
自分の世界を創り出すのは自分の心だからです。この心には、顕在意識と共に潜在意識も含みます。
ハンガリー出身のイギリスの哲学者、科学ジャーナリストのアーサー・ケストラーは、人間の脳の構造はあまりに出来損ないで、人は動物的本能を支配できないと言いました。だから原爆が使われたのだと言います。そうでもなければ、あれほどの大愚考を本当にやれるはずがないからです。
フロイトは、人間の本能は壊れていて、それを補うために自我を作ったが、自我は自然に立脚しない幻想だと言いました。
仮にそうだとしても、人間は訓練をすることで、本能を含めた心を支配する能力を確実に高めることができます。ただ、心を支配する能力を訓練する方法を知らないだけのことです。それは、原爆投下を指示できる権限を持つ人間でさえ知らなかったということです。
ただ、人間の脳がこんな構造であり、自我は元々は不完全で、正しく訓練しないと危険なものであることも、必然であったのでしょう。


ザ・マスター・キー
この本を読めば、人生の状況を支配し、願望を成就するには、心の訓練が大切であることが納得できるのではないかと思います。また、当然ながら、心を支配する実際的な方法も詳しく平易に説明してくれています。
この本は、「ザ・シークレット」の原典になったとも言われますが、本当のシークレットは自分の心を支配する方法です。支配者が本当に秘密にしたかったのはそれです。
東洋の精神主義と西洋の物質主義のバランスを取り、いずれにも偏らない、実際的な深い叡智は、まさに今の時代にこそ求められるものであると思います。これを20世紀の初頭に世に出した著者は、途方もない賢者であったことは間違いありません。

ホロン革命
最高に知的でエキサイティングな本だと思います。
著者アーサー・ケストラーは希有な天才であると共に、ナチ収容所への収監をはじめ、何度も捕虜になったり投獄されたりの波乱の体験を持つ恐るべき活動家です。
そして、彼は、西暦は時代遅れであり、広島に原爆が投下された日をPH(ポストヒロシマ)元年とするなど、強烈なヒューマニズムを感じさせる哲学者でもあります。
その彼が語る、歴史的な社会システム論です。これが書かれた1978年では、やや早過ぎた思想でしたが、今では、文句なく面白く、世界的ロングセラーとなっております。

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2010.02.08

トヨタ自動車のトラブル問題に思う

トヨタ自動車のブレーキの不具合に関する報道を連日、目にします。
ブレーキペダルが戻らないだの、ブレーキが効かないだのといったトラブルなど、数十年前でもありえないことでした。
それが、今の時代にどうしてと思うのですが、やはり、コンピュータ化、エレクトロニクス化による影響と思います。
私も最近、安価な部類に属するコンパクトな車を買ったのですが、ほとんど余計と思えるような、コンピュータ制御の電子機器が満載されています。

私もソフトウェア技術者として言うなら、コンピュータソフトウェアなんてのは、いくらテストをしても、予想外のトラブルが起こる可能性はなくなりません。ソフトウェアに限らないでしょうが、システム上間違いと認識されないことでも、複合する状況がトラブルを呼ぶことも少なくありません。
医療機器の場合は、万に一つのトラブルも赦されませんから、大変な規模でテストを行いますので、製品コストもそれを反映した高価なものになります。そして、そこまでやっても、間違いが無いなどとは決して言えません。
銀行や証券取引所のコンピュータソフトウェアもまた、開発はもちろんですが、テストにも大変な費用と時間をかけているにも関わらず、とんでもないトラブルを引き起こしてニュースになっています。
また、正直言いまして、昨今は、ソフトウェア技術者の質も低下しているかもしれませんし、開発費用を値切られて十分な品質を保てないという事情も無いとは言えません。

私は、現在の自動車は過剰装備と思います。そのためか、愛着もあまり持てません。
いまや、窓がモーターで開閉しない車など、いかな安価な車でもないかもしれません。しかし、そこそこの高級車で、このパワーウインドウの故障があり、窓が開かなかったり、逆に閉まらなかったりという経験もありますし、そのようなことは時々はあることのようです。私は、窓の開閉など、手動で十分と思います。
照度によって自動でライトがつくといった機能は、私はオフにしています。雨を感知してワイパーの速度調製をする機能もです。

こういった電子機器は、トラブルの際、その自動車のメーカーでしか手が出せないと思います。
そして、耐用年数(6年)が過ぎれば、「出来る限り対応はしますが、保証はできないですよ」などと言われるわけです。
いまや、車を10年、20年と大切に使うことは悪徳とされてしまっています。
しかし、現在の経済指向社会では、それでないと成り立ちません。
そんな世界に人間の幸福は決してありません。

昔、ニッカウヰスキーのテレビCMで、「何もたさない、何もひかない」という名コピーがありました。
しかし、イタリアの自動車メーカーであるフィアット社の小型車「パンダ」のかつての開発ポリシーは「何を足すかでなく、何を引くかを考える」であったらしく、徹底して無駄を省いたシンプルな名車でした。
現在のパンダも良い車だとは思いますが、やはり流行の装備を取り入れ、いまや普通の車になっているように思います。

昔の車には、「三角窓」と言って、前列横の窓の前方に、縦軸を中心に回転して空ける小さな窓がよくありました。走行中、外気を取り入れる快適装備です。
1950年代にはほとんどの車にあったようですが、1960年代以降は少なくなったようです。
しかし、少し前には、「あれが良かった」という人が結構いたものです。
アニメ映画の「アキハバラ電脳組~2011年の夏休み~」(2000年)で、主人公の中学2年生の少女ひばりの父親の車にはエアコンがなく、この三角窓が付いていました。ひばりの両親は、世間の常識からはみ出すところもありませんでしたが、真に愛情深く、人の気持ちに敏感で、縁もゆかりもない、つばめというひばりと同い年の少女を引き取って、わけ隔てなく扱っていました。1990年代に制作された、この映画のテレビ放送版のアニメでは、かつての人類に絶望した天才科学者クレイン・バーンシュタイクが、約百年振りに地上に戻ってきたところ、人類が精神的に進歩していないことに落胆し、2010年に人類の中に現れた5人の進化した意識の持ち主と共に、再び宇宙に戻ろうとするものでした。
そういえば、もう2010年なんですね。


アキハバラ電脳組 2011年の夏休み【劇場版】
「矢沢永吉さんが60歳までなら、私は80歳まで」で知られる、ママさんシンガー奥井雅美さんの歌も素晴らしいアニメ映画の傑作です。
日常と非日常、現実と幻想が微妙に交錯する、温かく、そしてスピリチュアルな作品であると思います。
繰り返された「散歩?」「散歩」の台詞を思い出すだけで、私はいつでも至高体験(大洋感情)を呼び起こすことができるこの作品は、至高の存在がこの世に登場させたものに違いないと私は考えています。

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2010.02.07

我々はなぜ食べるのか?

我々の身体の活動を考えると、いかに大食したところで、食べ物のエネルギーでこれだけの働きをまかなえるはずはないと思う。
もちろん、食物を完全に非物質化しエネルギー化できるなら、1日で米粒1つで十分かもしれないが、いうまでもなく、そんなことをするには核融合を起こさないといけない。
やはり、生き物は、食物とは別のエネルギーが注がれているのであり、全くの不食で生きる者の存在も不思議なことではないと思える。
インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの自伝「あるヨギの自叙伝」に、テレーゼ・ノイマンという全く食べずに生きる女性が登場するが、ヨガナンダは彼女に、あなたは食べ物とは違うエネルギーを吸収して生きていると言い、彼女も同意する。
尚、テレーゼ・ノイマンに関しては、カトリック司祭であるフィナテリ神父による「聖母マリアはなぜ出現したか」に、より詳しい記述がある。

では、なぜ我々は食べないといけないのだろう?
そもそも、本当に食べる必要などあるのだろうか?
植物を食べると、消化吸収され、植物の細胞から、もっと複雑なたんぱく質の分子が構成される。
動物を食べると、直接たんぱく質を取り込める。
そして、高分子(巨大分子)生体物質であるDNAの設計図通りに身体が構築されるのである。
つまり、食べる理由の大半は身体の維持や成長、発展、あるいは、修復のためであると思う。

一方、本を読んだり、聞いて教わったり、経験をすると情報が収集される。普通には、それらの情報は脳に記録されると考えられている。しかし、脳は単なる受信、発信装置のように思える。
エネルギーは見えないところから送られてきて、情報は脳を経由して見えない世界に送られたり、逆に見えない世界から送られてくるのであると思う。
こうしてみると、食べるということは、身体での存在を維持しながら、見えない世界とのエネルギーや情報を交換するための、やむなき行為ではないかと思えてくる。

優れた閃きや直観、アイディア、そして、活力や状況支配のためのエネルギーは、見えない世界からもたらされる。
しかし、必要以上に食べると、様々な理由から、見えない世界とのエネルギーや情報の交換がやりにくくなる。だから、直観が鈍り、アイディアは出ず、だるくて元気がないし、状況の支配が出来なくなる。

「ぼくたちは誰でも、ほとんど食事をしなければ天国が見えると君は思うの?」
「まちがいないです、ほんとうですよ。ほとんど食事をせず、体と魂を一緒にしておくために、ちょっとだけパンを食べていれば、誰でも見えるでしょうし、もっと幸せにもなれるでしょう」

W.B.イェイツ(20世紀最大の詩人と言われるアイルランドの詩人、劇作家。1923年ノーベル賞受賞)の未完の自伝小説「まだらの鳥」より。
イェイツ自身を投影した主人公の少年マイケルと鋳掛屋(いかけや。鍋や釜といった鋳物の修理をする職人)の老人との会話。


あるヨギの自叙伝
世界に、ヨガの秘法クリア・ヨガを伝えたインドのヨギ(ヨガ行者)パラマハンサ・ヨガナンダの自伝。クリア・ヨガは、数世紀に渡って肉体のまま存在すると言われるババジによって創始されたもので、ババジの弟子がマハサヤ、マハサヤの弟子がユクテスワ、ユクテスワの弟子がこのヨガナンダです。
分厚い本ですが、私は一気に読めてしまいました。それほどの驚きと感動のある本だと思います。

聖母マリアはなぜ「出現」したのか―いま、キリスト教に起きている超奇跡
本文で紹介した通り、インドの不食の聖女テレーゼ・ノイマンに関する詳しい記述があります。
それだけでなく、世界中で起こっていると言われる聖母マリアの出現に、カトリックの司祭である著者が本格的に取り組んだ本書は実に意義深いもので、こんな素晴らしい本が絶版になるとは、なんとも残念と思われてなりません。

ザ・マスター・キー
「ザ・シークレット」の原典となったと言われる本書は、まさに至高の知恵の宝庫と思います。しかも、もともとが通信講座であったものを書籍にしただけあり、簡潔に書かれた読みやすさ、学びやすさは抜群です。
面白いことに、翻訳者は、あとがきで、上記のババジやヨガナンダを取り上げ、本書の教えの基盤にインドの叡智があることを指摘しますが、まさにその通りと思われます。それだけでなく、1917年に書かれた本書には、現在、ようやく本格的に理解されはじめてきた波動性科学が取り入れられており、この点も驚きべきことと思います。

まだらの鳥
本文で取り上げました、W.B.イェイツの神秘的な未完の小説です。イェイツが書き残した原稿を収集し、大変な困難を経てまとめられたもので、結果、大変な価値のあるものとなったと思います。
20世紀最大の詩聖の描く物語はノスタルジックで美しく、また、小説として顕した自己の物語は幻想的です。まるで自分の物語だと感じる読者も多いと思います。
こんな本を絶版にする出版社のセンスに疑問がありますが、感性の衰えた現代人がこんな良い本を読まないということかも知れません。貴重なこともあり、古書は高値になる傾向があります。

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2010.02.06

リアルスポーツマン

「スポーツマン」という言葉をなつかしく感じるようになった。
この言葉に清涼さを感じることができた時代というのはいつの昔のことだろう?

昔は、アマチュアスポーツ選手は、選手活動による報酬を一切得られなかったということをご存知だろうか?
そもそも、アマチュアスポーツという言葉自体が曖昧なもので、事実上、アマチュアスポーツとは、「アマチュアスポーツとされる競技会」のことで、それに出場するのがアマチュアスポーツマンといった程度の意味である。
そして、アマチュアスポーツ競技会に出場する選手は、一切の報酬を受け取ってはならなかった。
オリンピックで金メダルを取る選手でも、出場の報酬として数万円でも受け取れば、出場停止どころか、競技会から永久追放となることもあった。
規則により、アマチュアスポーツ選手の報酬の受取りを禁止し、それを破ったという理由で、そのような出場停止や選手資格の剥奪といった処分がされたのである。

本当は、そこらのことは、選手の自主性にまかせるべきなのである。
そんなことをしたら無秩序になると言うなら、それは、真のアマチュアスポーツは存在しないという現実を示しているのである。現実を見ず、きれいごとを取り繕えば、いかなることでも歪んで腐ってしまうのは、当たり前のことではないだろうか?
規則という形ではなく、精神という本質を重視すべきである。それで成り立たないものであれば、やめてしまえば良い。簡単なことである。
その意味をくどくど述べるのはやめておく。単なる常識論であるからだが、その常識が存在しないことが問題ではある。

ついでに言えば、アマチュアスポーツは特にそうであるが、スポーツ全般、あるいは、武道の真の成果は精神を磨くことであると言えば、今の時代では笑われかねない。
ただ、精神を目的とするのも間違いと思う。あくまで結果として精神が磨かれるのである。そのため、精神を損なうことをしないよう努力するのである。
だが、特にプロの世界や武道では、きれいごとだけで通用しない部分もあり、時には汚れながらもがくこともある。しかし、仏教では、美しい蓮の花は泥の中で咲くことを指摘する。
実際は、プロスポーツや武道でこそ、精神は真に磨かれるはずであるが、リスクも大きい。そのリスクを少なくして、ある程度の精神の向上を願うのが本来のアマチュアスポーツかもしれない。

幻想の可能性もあるが、私が真のスポーツマンと思うのは、昔のキックボクサーの沢村忠さん(本名は白羽秀樹さん)という人だ。
チームのリーグ9連覇と個人の三冠王を達成した巨人軍の王貞治さんを差し置いて、その年の日本プロスポーツ大賞を受賞するほどの大スターだったが、引退後、全く姿を見せず、死亡説が世間の常識になるほどだった。
実は、車好きの彼は、引退後、一から修行して車の整備士になった。
彼をやっと探し当てた雑誌記者が、彼の高級外車に同乗して食事に行く時、大学生の運転する車と接触事故があった。過失は全面的に相手にあった。しかし、沢村さんは「まあ、学生さんのしたことだから」と事を荒立てなかったという。
現役時代、スーパースターだった彼には連日のように、テレビ出演、取材、イベントの仕事が入り、練習ができないどころか、休むこともできなかった。しかし沢村さんは「せっかくマネージャーさんが取ってきてくれた仕事だから」と文句も言わず、淡々と全てこなした。
時間とお金がいくらかかっても、色紙へのサインは必ず自分で書き、年賀状全てに返事を出した。新幹線での移動中、疲れて眠っていても、修学旅行中の学生ファン達の相手をした。
キックボクサーとして、沢村さんは、一流とか強豪という言葉を超えて、あまりに強く、まるで超人であり、様々な疑惑もあった。
これも、本当のことかどうか確認できるわけでもないが、彼のその原動力を私はこう思っている。彼は、どんなに忙しくても、老人ホームのイベントに参加し、お菓子を大きな袋に詰めて孤児院を訪問することを欠かさなかった。彼は、不幸な人、虐げられた人を勇気付けるためにキックボクシングをやっていたのだ。
沢村さんは、引退してもトレーニングを続けているという。彼の本質は武道家であることは間違いないと思う。


真空飛び膝蹴りの真実―“キックの鬼”沢村忠伝説
伝説の超人キックボクサー沢村忠の真のストーリーが初めて明かされた傑作。
スポーツとは?武道とは?そして人間とは?この本を読んで、深く考えさせられました。
そして、何より、伝説の漫画「キックの鬼」より真実ははるかに凄く、面白い。

やわらかなボール
大正時代、忙しい商社マンをしながら、鎌を使った草刈りで鍛えた不恰好なフォームで世界ランキングトップ10に入ったテニスプレーヤーが日本にいた。
ウインブルドン準決勝、なぜか、彼は、ラリー中、転倒した相手に、やわらかいボールを返した。
スポーツとは何かを考える1冊であると思います。

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2010.02.05

子供の願望は叶うのか?

子供の願望が叶うものだろうかということを、成功法則、成功哲学に深い関心のある人なら、一度は考えたことがあるかもしれません。
潜在意識の法則から言いますと、子供は、大人に比べれば、邪念が少なく、純粋で一途な願望が多いですので、叶いやすいようにも思われます。
しかし、子供の願望などというものが簡単に叶ってしまうと、世の中は大混乱になりかねませんし、その子供のためにもならないことが多いはずです。
実は、子供(10歳くらいの少年)が望みを何でも叶える魔法の力を持ってしまうというお話が、映画版の「トワイライトゾーン」にありますが、非常に悲惨な状況でした。

ジョセフ・マーフィーの「眠りながら巨富を得る」と、ロンダ・バーンの「ザ・シークレット」のDVDでは、それぞれ、少女と少年が自転車を手に入れる話が描かれています。また、ジョセフ・マーフィーの「あなたも金持ちになれる」には、この本が12歳の子供にも有効とあります。
ちょっと違いますが、大島淳一(渡辺昇一)さんの「あなたはこうして成功する」では、大島淳一さんは、ジョセフ・マーフィーの口を借り、「この本が悪人に渡らないよう祈っている」と書いていますし、無能昌元さんの「強くなる瞑想法」では、推薦者の糸川英夫さんが「くれぐれも悪の力として使わないように」と書いている。

しかし、私は、昔から、直観で、「そういったことはない」と感じていました。
子供の願望が叶うはずがないし、悪人が成功法則で、魔法的な悪いことをするなどという心配は無用と確信していました。

また、例えば、格闘技において、対戦する2人が共に潜在意識の法則を使ったら結果はどうなるでしょうか?
想念の強かった方が勝つのでしょうか?引き分けになるでしょうか?不思議な展開で無効試合になるというのでしょうか?
これも、そんなものではなく、勝つべき方が勝ちます。
ただ、命を賭けるほどの戦いであれば、勝利に導く方法が無いわけではないですが、それはまたの機会に述べたいと思います。

子供の願望が叶うかという話に戻ります。
子供の願望は、原則的には叶いません。もちろん、現実的な手段(例えば親に頼んで叶えてもらう等)でのことではなく、潜在意識や宇宙の力を発動させて叶えるという意味です。
そして、子供のような人の願いも叶いません。

それがなぜか理解することは、大人であるあなたが願望を叶える意味でも重要であると思います。
子供の願いや、子供のような人の願いが叶わないことを悲劇的、あるいは、教訓的に扱った文芸作品や映画作品は多く、それらを見た時の自分の感情を分析しても、それが正しいことは実は誰でも分かっていることだと思います。
では、なぜ、上に述べたように、ジョセフ・マーフィーやロンダ・バーンが、子供が願いを叶える話を持ち出したかというと、イエスが言った、「天国に入るには子供のようでなければならない」というのと同じで、大人の知恵を持ちながら子供の純心さを忘れない大切さを訴えたものと私は推測します。大人の知恵と子供の純真さを持つことは、願望成就の秘訣とすら言えると思います。

では、なぜ、子供や悪人の願いは叶わないのでしょうか?
子供と悪人を一緒にするのは抵抗があるかもしれませんが、願いが叶わない理由としては同じです。

願いを叶えるのに必要なものは、エネルギーと情報であることは、なんとはなく分かるのではないでしょうか?
実際にそうです。
潜在意識、宇宙、高次の存在等、いろいろな言い方がされると思いますが、そういった普遍的で広大な存在から、閃きやアイディアの形で情報を得たり、そこにある無限のエネルギーの力を借りて現象を支配することで、望む結果は得られます。
歴史上、直接的な形でそれをやれたことで広く知られているのがイエス・キリストです。釈迦はイエス以上に出来ましたが、あまり見せることはなかったと思います。
イエスは、「私のやったことは誰でも出来る」と言い、それは確かに可能性としてはそうですが、実際は大変に難しいことです。特に、現在の地球の人間には絶望的に難しいに違いありません。癌どころか風邪ひとつ自分で治せないのですから。そして、現在、イエスがいても、エイズや、新種のウイルスによる病気を治すのは、可能ではありますが、ちょっと大掛かりにやらないといけないかもしれません。

純心な子供は、宇宙から情報を得ることはかなり出来るかしれません。しかし、それを活かす知恵がありません。
子供相手にトランプゲームをやると妙に手強く、特に神経衰弱ゲームで大人にほとんど勝ち目が無いのには、そういった理由もあるように思います。
悪人の場合は、良い閃きやアイディアがありません。つまり、高次からの情報が来ません。
ただし、高次からの情報を得られる悪人というのも例外的に存在し、大物の悪人は大抵そうです。そんな大物悪人の特徴は、大胆、捨て身、陽性、そして、子分の面倒見が良いことです。
「荒野の七人」という有名な映画で、村を略奪して回る山賊のボスが、ある村の長老にこう言う場面があります。「俺の立場も考えろ!大勢の子分を食わさなきゃならねえんだ」。そして、彼は非常に明るく、また、戦いでは子分任せにするどころか、いつも先頭に立って戦います。映画だけの話ではなく、悪者集団の強いボスはそんなものです。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、大悪人というのは、何かのきっかけで聖人になることがあると言ったのは、こういった理由からだと思います。
また、悪は悪で、この世における重要な役割もあるかもしれません。

次にエネルギーのことを述べます。
あくまで高次のエネルギーのことで、腕力や体力、あるいは、単なる根性のことではありません。
これは、子供も悪人も共に制御する能力を持ちません。大人であっても大多数の人間がそうです。
人間というものは、複数のエネルギー層を持っています。
幽体、霊体、神体という言葉を聞いたことのある人もいるでしょう。実際はもっと沢山あります。
あるいは、オーラという言葉をご存知かもしれません。オーラはAURAというラテン語で、空気、光を指しますが、本質的には膜という意味です。
人体からオーラという神秘な光が出ていると言われますが、実際は、オーラの中に身体があります。そして、このオーラは何層にもなっています。

高次のエネルギーは、幽体や霊体、神体、あるいは、オーラと言われるエネルギーの層に取り入れ、それを制御することで状況を支配する力を発動させることができます。
ただし、それを、3次元の物質や肉体に作用させないと何も起こりません。
普通の人では、エネルギー層の間につながりがなく、いくら念じたところで何も起こりません。
エネルギー層の連結の構造は複雑なのでここで述べませんが、これを連結するのに、必ずしもその仕組みを知る必要はないと思います。
ルドルフ・シュタイナーの本では、そういった話が唐突に出てくるので、意味が分からないと思います。彼の本は、かなりの知識を前提としているように思います。

エネルギー層の繋ぎ方は、それが繋がっていたイエスの言葉や釈迦の教えを新約聖書や仏典で学べるかもしれませんが、これらは、必然ではあったのですが、かなり改ざんされていますので、心を澄ませ、直観と洞察力を高めて読む必要があります。
イエスや釈迦ほどではないかもしれませんが、荘子(荘周)もかなりエネルギー層間が繋がっていましたし、荘子の著作である「荘子」は面白く読みやすいものです(もちろん、奥は深い)。
よって、コツを掴みたければ、「荘子」を読むのが良いのではと思います。

尚、上記に述べたことは、足立育朗さんの「波動の法則」を読むと分かってくるのではないかと思います。


波動の法則
1995年に出版されたこの本の重要性はますます高まり、2007年に復刊したことは大きな意味があると思います。
最初に出版された頃は所謂波動ブームで、波動の話も玉石混合でした(今はさらにそうかもしれませんが)。本書にも、後に批判された波動測定装置が出てきますし、私自身、その装置を調べたので、批判が真っ当なことも分かりますが、そういったことも全部ひっくるめ、価値のある本と思います。

荘子
とても素直な読みやすい訳で、しかも、黴臭くない清涼な古典的雰囲気のある荘子と思います。
荘子自身の手によると思われる内編と、外編、雑編に関しては、特に重要なものだけを集めて収録してあります。

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2010.02.04

VSOPに撤する

VSOPといえば、ブランデーの熟成度合いを示す名称で、これが高い程、高級とされる。VSOPは熟成度は高い方で、VSOの上、最高クラスのナポレオンの下である。
ところで、VSOPを、ベリー・スペシャル・ワン・パターンという言い方をする場合があるのをご存知だろうか?
「ワン・パターン」とは、芸や行動などのバリエーションが極めて少ない者をからかう言葉として使われるが、それをさらに強調した言い方をブランデーの等級にかけた言葉がVSOPというわけだ。
このVSOPという言い方は、60年代から80年代にかけて活躍した優れた競馬騎手である吉永正人さんに由来する。彼はある1つの戦法でよく勝利したので、そう呼ばれるようになったのだ。実は名誉ある言葉なのである。

1976年に連載が開始され、いまだ継続する、青池保子さんのウルトラ長編漫画「エロイカより愛をこめて」の中で、SIS(イギリス情報局秘密情報部)のエージェントであるロレンス(ギャグキャラである)がお決まりのカッコ付けをして、「いい男はいつもワン・パターンです」と言う場面がある。笑いを取るところではあったのだが、私は、この言葉が非常に印象に残っている。

※SISは、ジェームズ・ボンドで有名なMI6と同じで、現在はSISが正式名称であるが、なぜか今でも旧称であるMI6が使われることが多い。

いい男、あるいは、スペシャルでスーパーな男はワン・パターンである。
これは絶対である。出来る男は馬鹿の1つ覚えにこだわるのである。
素晴らしい男になりたいなら、VSOPに撤することだ。
(男は馬鹿だからそれが必要という理由も否定できないが、その説明は省く。女性もVSOPの威力は確かだが、多少緩くても良いとは思う)

格闘技でも、強い選手には、その選手を特徴付ける技が必ずある。相手選手は、分かっていても、その技でやられる。
同じことの繰り返しは、神秘的な威力を生む。

食に関しても、特別な人間はVSOPであり、バラエティ(多様性)に富んだ食を楽しむ者に大物は多くない。
宮崎駿監督は、アルミのお弁当箱に入った、ご飯、卵焼き、ハム、沢庵程度のお弁当1つを、昼と夜に分けて食べるということを25年以上毎日続けている。
オバマ大統領は、会食でもあれば別だろうが、毎日、サーモン、ライス、ブロッコリーの夕食だ。
あるいは、食全体としてはなりゆきで多少は多様化していても、一流人は「酒はこれ」「デザートはこれ」と固定したものがあるものだ。

私がセールスマン時代、こよなく敬愛していた、スーパーセールスマンの夏目志郎さんは、一時、19歳の美人の助手を伴って、アメリカの高級車に乗ってセールスをしていた。
ある時、車に戻ると、その女性が泣き出した。訳を聞くと、夏目さんが可哀相だと言う。なぜかと聞くと、いつも同じことばかりお客さんの前で喋るからだと言う。
夏目さんは、いつも同じセールストークをすることの大切さを力説する。セールストークは繰り返すことで威力を増す。
このことを本で読んだ私は、早速、ワン・パターン・トークで挑み、見事、セールス・コンテストで優勝した。

私は大物ではないが、建設的にVSOPを心掛けることの威力を実感している。
朝は4時40分に起き、決まった時刻にお茶を飲み、決まった運動をする。
そして、6時半にブログを更新する。私のブログ記事投稿時刻は、常に6時半頃になっている。
会社では、必ず午後3時半に休憩室で、毎日同じ缶コーヒーを飲む。ただ、その時見る顔ぶれは毎日違う。
予定外のことが起こらない限り、同じ時刻に同じような夕食をとり、同じ時刻にトレーニングし、同じ時刻に読書し、同じ時刻に寝る。

水野南北は、食事の時刻と量が常に一定であることが開運の秘訣と常に強調した。
量も食事時間も一定しない者は問題外なのだそうだ。
天才ならいざ知らず、私のような凡人はゆめゆめ忘れてはならないことである。
「ローム太霊講和集」で、ローム太霊は何度も言う。
「人は奔放に振舞いたいものであるが、自己に課した制約に応じて神は力を授けるのである」
これこそ、本物の人生の秘訣と思う。


新修 南北相法・修身録(全)
当ブログで度々紹介する、忘れられた感はありますが、日本の秘宝ともいえる名著の読みやすい現代語訳です。
水野南北の食もまたVSOPでした。
第2部の「相法修身録」が特に重要で、ここだけを馬鹿の1つ覚えのように読んでも良いと思います(南北は、少なくとも3度読んで欲しいと書いています)。

退屈力
あらゆることで多様な刺激を求め、また、それが与えられてしまうことで、すっかり堕落し、惨めになった日本人。
同じ漫画を何百回と読むしかなかった少年時代を持つ昔の漫画家の作品はいつまでも残り、武道では、同じ動作を徹底して繰り返すことで不思議な力が身に付きます。
いまこそ、退屈力を甦らせ、日本がかつて持っていた貴いものを取り戻したいと思います。

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2010.02.03

例外のない規則

「例外のない規則はない」などと言います。
いかに細かな規則を定めても、適用外の事態は発生し得るし、「法の抜け穴を突く」などというように、自分の利益のために規則の例外を利用する者もいます。
様々な規定書や契約書などを見ても、一般的規定をまずあげて、それから例外事項が書かれている場合が多いと思います。規定書や契約書がやたらややこしい原因もそこにあります。

例えば、ある製品の販売において、「3年保証」という契約だったとします。
この場合、例外として、「規定通りの使用をしていること」と書かれていたりする場合が多いと思います。
そして、ユーザーは改造をしてはいけない等の規定を細々と示した後、さらに、保証が適用されない事例を色々取り上げ、「これは例外」としたりします。

しかし、よく考えれば、何が例外かを示すというのは、本来は合理的ではないことです。
例外なんてものは無制限に考えられるからです。
だから、現実には多くの保証書には、「その他、当社の責任でない場合」は、保証外という風になっていると思います。
製品保証書ではなく、規則のようなものの場合、「その他、やむなき事情が発生した場合」は例外であるとか書かれていたりします。
ある意味、逃げを打つわけです。

しかし、そのように、「当社の責任と言えないもの」「やむなき事情」などと書くと、曖昧でわけが分からなくなることになりかねません。
つまり、本当は、最初から規定や規則なんて作らないのが良いのですが、リスクを避けるには必要だと考えられているわけです。

では、「例外のない規則」を取り上げてみましょう。
外資系百貨店等であったと思いますが、「無条件返品保証」というものです。
無条件ですので、客が購入してからいくら時間が経過していても、どんな使い方をしていても、客が返品を申し出れば、商品を引き取り、代金を返すというものです。
かつて、ヤオハンでは、話題作りのため、無条件で応じた返品商品を集めた博物館を作り、使い込んでボロボロになってから返品された商品や、あきらかに客の不注意で壊れた商品といったものを展示し、会社の誠実さをアピールしたものです。
こういったリスクを背負ったためかどうかは知りませんが、ヤオハンは1997年に倒産しています。
尚、「無条件返品」を謳ってはいても、「15日以内」とか、色々な「例外」を設ける場合もあるようです。

結婚条件で考えても面白いですね。
今はあまり言われなくなりましたが、本音では「3高」、つまり、「高学歴、高身長、高収入」の願望の強い女性は多いかもしれません。
この場合も、「身長175cm以上が条件だが、年収が5千万円以上の場合は170cm以上で可」といった例外を受け入れるかもしれません。
現実には、「イケメン」「性格良し」「親との同居なし」・・・など、細かな条件も多いかもしれず、それに伴って様々な例外があるかもしれません。

谷川流さんの人気小説「涼宮ハルヒの憂鬱」では、涼宮ハルヒは、友達(恋人?)の条件は、「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者」でした。
望み通り、そういった存在を集めましたが、なんと本人はそれに気が付いていませんでした。また、キョンという凡人中の凡人を最も身近に置いたのでした。これは、例外が主体になったという面白い話です。

さて、私はなぜ、長々とこんな話をしたのかと言いますと、私のことですから、宇宙の真理を伝えるためです(笑)。
実は重要なことです。
はっきり言いますが、進化した世界には「例外」はありません。
実を言いますと、私のようなソフトウェア技術者は、「例外」の恐ろしさは身にしみているわけです。
ただ、ソフトウェアでいう「例外」は、正確には「一般で言う例外」ではありません。
例えば、自動販売機に海外のコインを入れると、そのまま返ってきますが、これは、海外のコインを例外であると判断したのではなく、単に「使用可能なコイン以外はそのまま返す」という、「正式」な処理があるだけです。
このように、ソフトウェアでは、どうしても必要なことを全て厳密に定めます。

同じように、進化した世界では、曖昧な例外なんてものを決して残しません。
ただし、進化した世界では、それでも、ものごとはシンプルになります。
商品は全て返品可能です。例外条件なんてありません。客は本当に必要がなければ返品しませんから。
昔、無条件返品可能なお店のテレビCMで、客があきらかに使い古した商品を返品に訪れ、店はそれをすんなり受け入れるという場面を面白く印象的に演出したものがあったと思います。しかし、進化した星では、こんな光景は考えられないのです。

こんな話を聞いたことがないでしょうか?
「この壁に貼り紙をするべからず」という張り紙をしましたら、その貼り紙自体を貼ってはならないのではないかと言う者がいたというものです。
屁理屈のようですが、一見、理に適っています。
この、「この壁に貼り紙をするべからず」の貼り紙は、はがさなくてはならないのでしょうか?
答えは、その必要はないとなります。これに関して、反論無用です。
論理学において、主体は規則を免れることは証明されており、この張り紙は規則に反しませんので、貼っておけます。
難をいえば、この論理学とやらが非常に難しく、なまじっかなオツムでは理解できないことです。
主体は規則を免れるというのは、論理学上の階型理論で導かれるもので、階型理論は英国の数学者、哲学者、論理学者であった天才バートラント・ラッセルが発見したものです。
分かりやすいたとえ話で言えば、「お父さんの話を黙って聞きなさい」と言っても、お父さんは黙る必要はないですし、「回れ右」を命じた隊長自らは回れ右をしなくて良いようなものです。これなら分かりやすいと思います。ただし、これはあくまで、「分かりやすいたとえ話」であり、正確な階型理論でなく、これらの「たとえ話」からの反論に意味はありません。

進化した世界では、階型理論といった難しいことを考える必要はなくなります。
涼宮ハルヒは、誰とでも仲良くなれます。
涼宮ハルヒは、中学時代、付き合う男をとっかえひっかえしまくりましたが、みんな「アホらしいほどまともなヤツばかりだった」というのがその理由のようです。進化した世界には、「アホらしいほどまともなヤツ」なんておりません。それはそれは素敵な世界です。
これは絶対に確実なことです。


ビジネス未来論―マインド・フロンティア5人の提言
1987年の古い本です。
第1章に、今回、日本航空の会長に就任した稲盛和夫氏の「意識と経営―企業の見えざる部分」という名文が記載されていますが、稲盛氏の人となりを知るには良いものかもしれません。
5人の1人に取り上げられている船井幸雄氏も、この頃は良かった・・・(?)。

涼宮ハルヒの憂鬱
シリーズ650万部とも言われる人気小説の第1巻です。
この時代に、この作品が生まれたのは、「この時間平面上の必然」(本書での朝比奈みくるのセリフ)かもしれません。
このシリーズの全巻で、著者によるあとがきが、また味があります。美少女みくるのことを「羽を付けたら天国に飛んでいってしまいそうな」「ポケットに入れて持って帰りたい」などという言葉のセンスも素晴らしい。
そして、個人的独断ですが、著者は宇宙からのメッセージを受けてこの作品を書いたことは間違いないと思います。

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2010.02.02

苦しい人へ

学校、職場、家庭などで苦しい状況にある人も多いと思います。
私自身、非常に苦しい思いもしましたので、そのあたりはよく分かると思っております。
学校においては、教師のいじめというのは、多くの場合、表面的には教育を装いますので、発覚しないですし、より理不尽でダメージも大きいことも実感しております。

さて、苦しい状況になる原因は様々でしょうが、本質的には、自分の心の傷や歪みのために、力が発揮できなかったり、周りと摩擦を生んで人間関係に難があるのだと思います。
さらに、心の傷や歪みの原因は何かと言いますと、心の抑圧です。心の抑圧には、突発的で衝撃的なものと、長期間に渡る断続的なもの、あるいは、その混合があります。
具体的には、何か不幸な出来事によるか、あるいは、母親の傲慢や利己心による言動といった場合が多いと思います。

ただ、それは別に珍しいことではなく、健全な家庭で平穏に成長できるということは、およそ地球上では期待しにくいことかもしれません。
したがって、自分の性格の責任を他に押し付けるわけにはいきません。
問題は、たまたま自分が多数派につけない場合、社会的不適合となり、生き難いというのが本当のところです。
では、そのような場合、どうすれば良いでしょう。

正体不明の存在となること。変人と思われれば勝ちです。
危ないやつだと思われれば、友達はできないかもしれませんが、おかしなちょっかいを出されることもなく、自由にやれます。
そのためには、自分で自分を謎と思えるほどになることです。「敵を欺くにはまず味方から」と言いますが、最大の味方である自分を欺きます。
自分を最大に欺くとは、自分に正直であることですが、それはまあ、最初は置いておいて良いでしょう。

イタリアのジュリアーノ・ジェンマと、アメリカのリー・ヴァン・クリーフという2人の名優が共演したマカロニウエスタン「怒りの荒野」で、ジェンマ演ずる私生児スコットは、街で虐げられて育ちました。
しかし、彼は毎日、壊れた銃で早撃ちの練習をし、リー・ヴァン・クリーフ演じる流れ者の凄腕ガンマン、タルビーと出会い、銃を持ってからはたちまち街の支配者になります。富と権力を手に入れ、かつて自分を虐げた者達を震え上がらせ、わが世の春を謳歌します。
ただし、彼は最後に銃を投げ捨てます。

今は、武器でのし上がる時代ではもちろんなく、さりとて、「手に職を」では、日本一にでもならない限り、アウトサイダー的人間は一生浮かばれません。
普通の銃ではなく、精神の銃を手に入れ、その腕前を磨くことです。いずれの場合も、世間的には狂っているように見えるかもしれません。まあ、こっそりやればいいのですが(笑)。
霊的な真理の本を1冊入手し、それに賭けることを決心して繰り返し読み、閃いた直感を実行すれば良いのです。
私の場合、ジョセフ・マーフィーの「あなたも幸せになれる」という、自分でもとても怪しいと感じる本を買い、しばらく熱心に読みました。
私は最初やらなかったですが、効果を高めたければ、決して満腹するまで食べず、食事の時以外は出来る限り何も口にしないようにすれば良いことが分かりました。
さらに特別な力を得たければ、1食抜くことです。ただ、2食抜くのは、自分の意志で出来ることではありませんので、無理しないこと。無理すると、失敗したら元の木阿弥(全部台無し)となりかねません。
すぐに、人々を見返すことにはなります。その時、さらに決心するかどうかが人生の分かれ目となります。


精神の銃一覧です。お気に入りのものをお選び下さい。
上記、「怒りの荒野」で、スコットは銃を買うために18ドル貯めることを目指していましたが、貨幣価値が全く異なるとはいえ、ほぼ同じ値段なのが何か面白い。


マーフィー 努力嫌いの成功法
私が19歳の引きこもり真っ最中に買った本「あなたも幸せになれる」の文庫版です。
私は、マーフィーの本の中から慎重にこれを選びました。効果は抜群でした。

マーフィーあなたも金持ちになれる
世の中、金ではないですが、ある程度の金があれば心に余裕もできるというものです。
初出勤の日の帰りに買って帰った思い出深い本です。

信念の魔術
疑う能力が必要な仕事で鍛え上げた著者が誠実に書いた信頼すべき成功法則の本です。

ザ・シークレット
成功哲学では最新と言えます。世界中に既に数多くの成功法則の本がある中で成功したのは、やはり突出したものがあるからでしょう。
分りやすさ、親しみやすさは抜群で、ロンダ・バーン女史の善意をよく感じました。

富を「引き寄せる」科学的法則
もし、「ザ・シークレット」のキラキラし過ぎた雰囲気に馴染めないなら、その原典ともいえるこちらをどうぞ。

ザ・マスター・キー
こちらも、「ザ・シークレット」の原典と言えます。
純粋な叡智の基盤の上に説かれる教えは、他を凌駕すると思います。文章としては難しくありません。
一生もののバイブルとするなら、私ならこれをお薦めします。

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2010.02.01

善と悪の意味

真理に目覚めた人、つまり、悟った人は、例外なく、善とか悪といったものは本来、存在しないと言います。
善、悪にこだわっているなら、その人は悟っていません。

最近、このブログで、精神性の高い漫画やアニメのことを話題にしますが、CLAMP(4人組の漫画家ユニット)の初めてアニメ化された作品である「魔法騎士レイアース」のテーマは、漫画やアニメの中で直接語られることはなかったですが、「この世に絶対的な悪や、絶対的な正義は存在しない」というものだったようです。
この作品は、世間の常識的な価値観を持って見れば、何度も裏切られてしまいます。

今、善と悪に区別は無いと書いたのですが、役割としての善悪なら語れます。
無垢な子供時代を過ぎ、少し成長すれば、ほとんど誰でも最初は悪になります。それは、世間でいう悪とか、漫画や小説、映画、アニメの悪とも一致します。
迷いがあることを悪、迷いがないことを善と言います。
そして、決心をした時に善になります。
この世のあらゆる悪は、決心が出来ていないので迷っている状態です。
CLAMP 作品もですが、いかなる漫画、アニメ、小説、映画等の作品でも、悪役はいかに揺るぎない信念を持っているように見えて、必ず迷いが見られます。そして、ある時期までは、善の立場の方もです。実を言いますと、善の側のわずかな迷いが悪を同調させて呼び寄せるというのが、この宇宙の真理です。迷いが無ければ、悪を見ることはありません。
不正をする大物政治家や大企業の経営者らは、どっしりしているようで、迷いに迷っています。ただ虚勢を張って堂々としているだけです。心の中は惨めなものです。
ただ、ほとんどの人が、やはり悪です。もし、この世の悪が見えるなら、自分の中に悪があるのかもしれません。
先日も書きました通り、武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」では、作品中、セーラームーンが言った通り、セーラームーン自体が悪を招いていました。それは恋人を引き寄せるようなものです。
セーラームーンは、悪を倒したのではなく、自分が心を調和させること(これが決心なのでしょう)で悪を浄化していたのだと思います。
決心は、まあ、誰でもできるのですが、大多数の人はそれをしませんので、やはり迷ってばかりで、心の中はいつまでも惨めです。

何でも良いですから、良いと感じたことを決心して下さい。
例えば、昼食をやめるとか、毎日必ず腕立て伏せをするとか、親の批判をやめるとか、出来ることで、「それが良い」と直観したことを自分と約束します。
そして、決心したら必ず実行します。
欲望や虚栄心から起こったものでは決心は出来ません。そんなものを持ち続けると、状況や精神に不調和やトラブルを起こすことになります。
子供がエリート校に通う家庭がおかしくなるのはそのためです。簡単な原理です。
純粋な心から起こった決心なら継続できるでしょう。そうすれば、およそ何でもうまくいくようになります。

「魔法騎士レイアース」は、2部から成り、それぞれ3巻です。
上の段が1部、下の段が2部です。
表紙からも分かりますが、絵も非常に美しいです。
大人の場合、感性が無いと、読み通すのがちょっと難しいかもしれません。
1993年から連載が開始され1996年に完結の作品で、2003年に新装版が出版されています。

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