2010.03.31
インドに、ニサルガダッタ・マハラジと呼ばれた聖者がいた。
1897年の生まれというから、同じく私が敬愛するジョセフ・マーフィー(1898年生)とほぼ同じ年である。
マハラジは37歳で悟りを開いたというが、その経過が興味深い。彼は、特に努力も修行もしなかったという。
彼は妻子もある、ぱっとしない商売人として生涯を過ごした。外見上は、貧しい庶民である。
彼は、師に言われた一言を忘れなかったから、わずか4年で悟りを得た(真我を実現したと表現される場合が多い)という。
その言葉とは、「あなたは至高の実在である」だ。つまりには、「あなたは神なのだ」という意味だ。
だが、日本語に翻訳されたこの言葉や、この話そのものを注意して受け取る必要があるかもしれない。
マハラジの師が、正確には何を、どんな意味で言ったのかは分からないし、我々が思うのとは全然違う意味で言われた可能性もあると思う。
言葉や、その背景にある風習の違いというものは、我々が考えるよりも大きいのである。
マハラジは、不満は全く持っていなかったと思うが、物質的には恵まれていなかった。同時代のインドの聖者ラマナ・マハルシとなると、生涯、ふんどし1枚しか所有しなかった。
聖者の中にも、社会的に大きな実績を上げた者もいるが、この2人はそうではない。だからといって、低く評価されるわけではない。
この2人が社会的に活躍したといえないのは、おそらく、2人とも、大きな不幸に見舞われなかったからだろうと思う。マハルシにいたっては、農作業のようなことはしたと聞くが、社会的な経験は全くない。
そのようなことは、一般の人にも当てはまる。大きな富を得る者というのは、人生の初めにかなりの苦難があった場合が多い。ビル・ゲイツなどは、豊かな少年時代を送ってはいるが、仕事を始めた17歳の頃からは本人の言うとおり、休日なしにフルタイムで働いたし、精神的危機も多かった。富は誰にでも得られるが、何らかの代償は必要かもしれない。
ところで、マハラジが師に言われた「あなたは至高の実在である」であるが、あえて言えば誤解しやすい言葉と思う。
この「あなた」と言うのを、自我と勘違いする場合が多いからだ。
ジョセフ・マーフィーでは、「あなたの中に至高の実在がある」といったようなことを言うし、ほぼ全ての聖者も同じことを言う。マハラジの師も、おそらくはこのニュアンスで言ったと思う。
では、我々はやはり、「私の中に至高の実在がある」と思うのが良い。
ジョセフ・マーフィーの本の中では、「我々の中に無限の力、無限の知恵である宇宙の活力がある」といったように言われている。この無限の力が潜在意識である。
精神医学の分野でも、偉大な精神科医ミルトン・エリクソンは、「無意識(潜在意識)をもっと信頼しなさい」と常に言い、彼は超常現象は認めていなかったが、無意識の中の驚異の力に関しては自然に実証していたものだった。
ジョセフ・マーフィーやミルトン・エリクソン、そして、エミール・クーエの本を読み、潜在意識の力への信頼を持てば、強力な力を味方につけることになると思う。
昨日ご紹介したものと一部重複するが、やはり、自己の中(潜在意識)に存在する至高の存在について知るための優れた書籍をご紹介する。
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2010.03.30
どんな思想、哲学、宗教、神秘思想、あるいは、成功哲学や、引き寄せの法則、潜在意識の法則を研究しても、あるところでどうにもならなくなる。
それは、「誰かを憎んだまま、幸福になったり、真に成功することはない」という厳然とした、避けようのないない事実に突き当たる時だ。
このことを考えると、巷で言われる成功のテクニックの何と安っぽいものかと感じずにはいられない。
それら、安直な赦しの方法を用い、表面的には赦した気になっても、まさか本音では、憎い相手を赦してはいまい。
「忠臣蔵」では、赤穂浪士の討ち入りや彼らの切腹にばかりスポットライトが当てられるが、真に重要なことは、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)はどうすれば良かったのかということだ。
あの物語も、どこまで事実なのかは全く分からないが、仮に吉良上野介(きらこうずけのすけ)があの通りの人物であったとしても、浅野はうまく人間関係を結ぶことが上に立つ人間の責任だったはずだ。しかし、早い話が、浅野にはその能力がなかった。リーダー失格であるのだが、凡人である我々は浅野以下であり、よって、浅野への強い同情を感じるのだろう。
だが、規模は違っても、浅野のような試練は我々にも必ず訪れる。そこが、人生を左右する大きな機会となる。
そんな時に役立つ思想や哲学こそが本物なのかもしれない。
「嫌いな人は?」と聞かれたら、誰しも何人か思い浮かぶだろうと思う。
「好きな人は?」と聞かれても同様と思う。
実は、この質問はトリックであり、誘導尋問だ。
「嫌いな人は?」と聞かれ、聖人ぶって「そんなのいないよ」と答えた後で、好きな人はいっぱいいるなんて言ったりする。
それは大嘘だろう。
嫌いな人がいないなら、好きな人もいないはずだ。
逆に、好きな人がいないなら、嫌いな人もいないだろう。
人は、全てを愛するか、全てに無関心であるかを選ばねばならない。尚、その2つは同じことだ。
自分の子供が好きなら、嫌いな上司がいてもおかしくはない。
だから、いますぐ何ができるというわけでもないだろうが、心に留めて置くと良いことであると思う。
いずれ、本当に誰かを憎むことが起こるかもしれない。
強烈な憎しみほど破壊しやすい。固く乾いた木ほど燃えやすいようなものだ。
もし、全てに無関心になることや、強烈な憎しみを持つことが嫌なら、真の自己を愛することだ。真の自己は全てである。
真の自己を愛するには、全ての欲望を捨てねばならない。真の自己とは、人の内にある無限の力のことである。
下に紹介する本は、どれも、自己の内にある無限の力について語っているという点で、本質的に全て同じ本であると思う。
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2010.03.29
我々の運命は、最初から決まっているのだろうか?
あるいは、未来は変えられるのだろうか?
「アバター」でまたまた大成功したジェームズ・キャメロン監督の「ターミネーターII」では「未来は我々次第で変えられる」と熱く訴えていたが本当だろうか?
船井幸雄さんの本で読んだが、超心理学やヨガの分野で著名だが、本格的な学者でもある本山博さんは、未来は決まっているのではないかと言ったらしい。船井さんは、それでは面白くないと思ったそうだが、自我的には誰しもそうだろう。
そして、おそらく、世界的に言っても、大半の人が、運命、あるいは、未来は変えていけると考えていると思う。
しかし、内海康満さんは「霊止乃道」で、運命なんて、髪の毛一筋の動きまで決まっていると書いておられる。
結論から言って、本山博さんや内海康満さんが全く正しい。
運命は全て決まっている。木の葉1枚だって偶然に落ちたりしない。松尾芭蕉に句を読ませたカエルも、芭蕉の目の前に現れるタイミングは厳密に決まっていたし、芭蕉が読む句も決まっていた。
だが、内海さんはこうも書いている。
思いだけは別だと。人が何を思うかは決まっていない。
ところで、世界は人の思いが作るのであるから、思いが変えられるなら、世界は変えられるはずだ。
それはその通りなのであるが、人の思いもまた、実際には変わらないものだ。
内海さんは、人生を思い通りに出来るなんていう者は、みんな大嘘付きだと述べている。
私も同感だ。
しかし、内海さんはこうも書いていた。
「運命は99パーセントは決まっているが、1パーセントは変えられる」
この1パーセントとは、1パーセントの人という意味である、当然ながら、統計ではなく、「非常に少ない」という意味だ。
私の感覚では、1パーセントでは多過ぎるような感じもする。
言うまでもなく、あなたがその1パーセントに入る可能性は少ないし、引き寄せの法則や潜在意識の法則の本を読んでも可能性が上がることはない。むしろ、その可能性を下げるのではないかと思うくらいだ。
しかし、わずかな人達は、運命を変えているし、人類全体で見るなら、そうした人は大勢いるのも確かだ。
そして、1パーセントというのが面白いのだ。
なぜって、思いを変えられる人が1パーセントくらいに思えるからだ。
運命を変えたいなら、極めてわずかである、思いを変える1パーセントの人にならないといけない。
1パーセントといえば、宝くじでそこそこに当たったり、超一流と言われる大学を卒業する人に比べて多いか少ないかは知らないが、宝くじに当たったり、超一流大学を出る人が運命を変えることは、まずないものだ。
オリンピックで金メダルを取る可能性は1パーセントどころではないが、金メダルを取ったら、後でよほどの悲劇にでも遭わない限り、運命は変わらない。金メダルを取り逃す方がよほど良いと言えるだろう。
(実は、金メダルを取った後で悲劇に見舞われる可能性は極めて高いのだが)
再度述べるが、運命を変える条件である、思いを変えられるのは1パーセントの人達だ。
いかに少ないとはいえ、1パーセントも可能性があるのだ。
私に言わせれば、神様の大バーゲンとも思える。1パーセントも可能性を与えてくれるのだから。
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【霊止乃道(ひとのみち)】
現代随一の賢者、内海康満さんの神示の書。
運命や、運命が変わる仕組みも詳しく述べられている。
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【人間の本質】
本山博さんと稲盛和夫さんの共著。
人によっては、思いを変える大きなきかっけになるかもしれない。
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【人生に勝利する】
人生は思い通りにできると説くマーフィーの潜在意識の法則で、実際にそれを実現する人は滅多にいない。
だが、だからこそ、私は、マーフィーの法則は真理だと思う。思いを変えられる人は滅多にいないからだ。マーフィーも、思いを変えることを要求しているのだ。
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【人生に勝利する】
上記「人生に勝利する」の文庫版。新書版と文庫版でタイトルが同じというマーフィーの本は珍しい。
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2010.03.28
モーリス・メーテルリンクの「青い鳥」を知らない人は滅多にいないと思う。
しかし、このお話は、「本当の幸せは家庭の中にある」とか、「青い鳥症候群」といって、いつまでも夢を追いかけて現実を見ようとしない人のことを指すなどのすり替えが行われてしまっている。
そのせいか、これは知らない人が多いのであるが、メーテルリンクは偉大な思想家である。彼が、そんなつまらないことを言いたいはずがない。
「青い鳥」は旧約聖書の「ヨブ記」のように、真実の自分に目覚める過程を描いた物語である。
幸福を象徴する青い鳥が存在する身近なところとは、心の深奥のことである。
幸福を外側の世界に捜し求めて悲惨な目に遭った後、我々は、真の平安が我々の内側にあることを発見することでようやく安らぐのである。
我々の内側にあるものこそ、宇宙そのものであり、無限の力である。
ジョセフ・マーフィーの著書のタイトル“The Cosmic Power Within You”(邦訳「人生に奇跡を起こす」)、“Within You Is the Power”などが、そのことを見事に表現している。
Withinは、あまり見慣れない英単語であるが、Inside(内部、内側)と同じ意味だ。
自分の内部に大いなる力があることを知ることが、真の目覚めであり、悟りである。そして、大いなる力と協調する術を知った時、我々に不可能はなくなる。「ヨブ記」は、それを教えるための物語である。
ジョセフ・マーフィーは、1959年の著作“Living without Strain”(邦訳「あなたは不安なしに生きられる」)で、「ヨブ記」を見事に解説したのだが、絶版であるようだ。非常に残念である。
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【Living Without Strain】
邦訳「あなたは不安なしに生きられる」の洋書。きれいな古書があるように思われる。
マーフィーの英文はシンプルで、案外に原文の方が分かりやすいかもしれないと思う。
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【青い鳥 [DVD]】
冷戦時のアメリカと旧ソ連が、最高のスタッフを集結させて制作した歴史的映画作品。
俳優、ダンサー、音楽家、美術家など、皆、当時の世界の第一級揃いで凄いが、ミチル役のパッツィ・ケンジットは、後の英国のバンド、エイス・ワンダーのボーカル。「青い鳥」当時、8歳のパッツィが愛らしい。
この人類史上重要な作品で主役を務めたエリザベス・ティラーは貫禄十分で、ジェーン・ホンダも美しかった。
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【貧者の宝】
内側にある無限の力について語る、偉大な神秘思想家メーテルリンクの珠玉のエッセイ。
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【人生に奇跡をおこす】
原題“The Cosmic Power Within You”。我々の内側には無限の力があり、それと協調し、その偉大な力を引き出せれば不可能はないことを一貫して説き続けたマーフィーの1968年の書。実用性と聖なる教えのバランスが見事と思う。
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【思い込みをすてなさい!―人生に奇跡を起こす法則】
上記「人生に奇跡をおこす」の文庫版。
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2010.03.27
日々の糧をどう稼ぐか。
イエスは、「人はパンのみで生きるのではない」と言ったが、とりあえずは、糧とは食料のこととしよう。
本来、人間は、住居や衣料に関しては、自分で用意しなくてもなんとかなったものであるが、少なくとも、現代の日本では、これらにすらかなりのお金が必要である。そして、そのお金がなく、住居を持てない者すら普通に現れている。つまり、食料だけのためでなく、我々は生きるために常に相当な収入を必要とする。
また、餓えた人間がいる一方で、毎日、大量の食物が捨てられている。日本では食料の半分は捨てられているらしい。
日本では、日々の糧を得るために、世間で言うまっとうな仕事を、面白くも無く毎日やり、やがて心が腐って病気になったり、死んでいく者も増えているし、さらに増えるだろう。
世界には、泥棒も、そうおかしな仕事とは思われておらず、警察も泥棒を捕まえないという国もある。
もしかしたら、自動車を無理矢理に大量に売るこの国の方がよほどおかしいのかもしれない。
アニメ「NOIR(ノワール)」の第2話のタイトルが「日々の糧」だった。実に意味深いタイトルである。
2人の少女、ミレイユと霧香の夕食の場面。場所はパリのミレイユのアパルトマン(アパート)である。
美貌のパリジェンヌであるミレイユは、自分が作った料理(簡素ながら、ちゃんとしたものだった)を、あまりに無表情に食べる、おとなしい雰囲気の日本人の少女である霧香を見て言う。
「日々の糧は神の恵みよ。もっと美味しそうに食べたら?」
霧香は顔を上げ、
「美味しいわ」
と答える。しかし、
「ちっともそう見えない」
とミレイユは不満顔だ。
2人の仕事は殺し屋だった。
仕事の後、霧香は言う。
「あたし、人を殺して生きている。なのに・・・どうして悲しくないの?」
しかし、霧香の目からは涙がとめどなくこぼれていた。
その精神の歪みに驚愕するミレイユ。
だが、我々は霧香のことを異常と言えるだろうか?
不必要に大量の自動車を生産し、消費者の欲望を掻き立てて売りまくる自動車産業。
果たしてそれが子供のためになるかどうかを全く考慮せずに、子供を一流と言われる学校に入学させる受験産業。
過剰な栄養摂取で身体に悪いことが明らかであるにかかわらず、大量に食べさせる飲食産業。
その他、多くの仕事が、人々の幸福のためではなく、ただ金のために血道をあげているのではないのか?
そして、そういったことを奨励するばかりか、さらなる発展を押し進める政府。
それでいて、我々は、霧香のように涙を流さず、むしろ歓喜の顔をしているかもしれないのだ。
「私は、破滅的な数の自動車を売って生きている。なのに・・・なぜ悲しくないのか?」
「私は、子供達を不幸にする可能性に配慮せず、一流の学校に押しやって生きている。なのに・・・なぜ悲しくないのか?」
そして意味もなく涙が流れたなら・・・いずれ霧香のように苦しむだろうが、救いはあるかもしれない。
霧香という名は、彼女の本当の名ではない。彼女は過去の記憶を失くし、自分の本当の名を知らない。
しかし、彼女は最後にこう言うのだ。
「人を殺して・・・私は悲しい」
「私は、夕叢霧香(ゆうむらきりか)として、罪を受け入れる」
私も、罪の深い仕事からはなるべく早急に手を引こう。
そして、人々を幸福にするための仕事で日々の糧を得たいと思う。
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【ノワール Vol.1 [DVD]】
良かったら、いっぺん見てやって下さい。セーラー服の美少女のガン・アクションはなかなかのものです。
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【ものぐさ精神分析】
この精神分析学の本は、嘘もあるかもしれませんが、その分、確かに真理もあり、まっとうな心理学や精神分析学の専門家をペテン師扱いするだけのことはあると思いました。
著者のサイトで、私が「百年ばれない嘘は世界を進歩させる」と述べたら、岸田さんは「唯幻論(岸田さんの精神分析理論)が百年ばれない嘘であることを私自身が願っている」と答えてくれたものです。
映画監督の伊丹十三さんは、この本で、幼い頃からの精神の枷を外し、能力を解放できたと言い、すっかり岸田さんのファンになりました。ガイナックス創業者で、少し前からはダイエットで有名になってしまった岡田斗司夫さんも、洗脳関係の優れた著作がありますが、岸田さんのファンであることを表明しています。一読の価値はあると思います。
著者の岸田秀さんは、フロイト派の精神分析学者で、膨大な著書があります。
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2010.03.26
およそ、真に卓越した人物で、反骨精神の無い者などおりません。
反骨とは、「不当な権力や世俗的風習に反抗する気概」という意味で、まさに、「権威を鵜呑みにしない」「世間に迎合しない」ということであります。
潜在意識の法則で世界的に知られるジョセフ・マーフィーも、凄まじい反骨精神の持ち主であったことは間違いありません。彼の著作は、表面的にはあまり激しい社会批判は感じませんが、反骨精神こそがマーフィー理論の真髄です。
マーフィーは、イエスの「私は世の中に勝った」という言葉が好きなように思われます。私も、新約聖書は少し読んだだけですが、イエスのこの言葉には強烈な印象があります。
世の中に勝たないと、潜在意識はあなたのために力をふるえません。言い換えると、世の中にどっぷり浸かっているなら、潜在意識の力に頼っていないことになります。
マーフィーはアイルランド生まれらしいですが、私はなんだか合点がいきました。
彼に、自分がケルト人だという自覚があるのかどうかは分かりませんが、私には彼にケルト人らしさを感じます。ユダヤ人とはまた異なるかもしれませんが、どこに住もうと独自性を強く保つケルト文化は反骨そのものです。ケルト・カトリックはローマ・カトリックとはかなり違った信仰です。マーフィーも伝統的なカトリック教会の教えに反発し、聖書の新しい教えを説く、サイエンス・ディヴァイン教会の牧師を長く務めました。
「20世紀最大の詩人」とも言われ、ケルト文化をこよなく愛するアイルランドのW.B.イェイツは、「大衆の中に真理はない」と言います。イェイツの人生は、彼の個人的聖書とも言える「ヴィジョン」は文壇どころか世界を困惑させ、死の直前まで安らぎを拒否した強烈な反骨の生涯であったと思います。
ユダヤ人の自覚は強くもっていたでありましょうアインシュタインも、少年時代から反骨精神に溢れ、学校では教師に真正面から反発しました。良い教師がいたことも認めてはいますが、基本的にドイツの学校教育を強く批判しています。ちなみに、日本の学校教育は昔のドイツのそれのコピーです。
マーフィーが崇敬していたに違いないエマーソンは、イエスの「私は世間に勝った」をそのまま実践していたような人だったと思います。
マーフィーは、世界最高の知恵の書の1つである、旧約聖書の「ヨブ記」について、ヨブはあなたの物語であると言います。エンマーソンは、「歴史」というエッセイで、やはり、歴史上の偉人について読むとき、自分の物語として読めと言います。
大衆救済の目的もあるでしょうし、何かから何まで反発する必要もありませんので、マーフィーは社会への理解も示します。荘子も、そのようなあり方を好ましいと言っているように思います。
現実社会の中で悠然と楽しく生きながら(「荘子」ではそれを逍遙遊と言います)、心は高貴な独自性を保つことがマーフィー法則の秘訣であり、それがないと、潜在意識の法則をうまく使えないと思います。
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【精神について】
およそ、あらゆる卓越した人物達がことごとに崇敬するエマーソンの珠玉のエッセイ集。「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
偉大な知恵や力を説くだけではなく、あなたがその所有者であることも熱く語る。
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【まだらの鳥】
20世紀最大の詩人と言われ、オカルティストでもあったイェイツの自伝的小説。名訳でもあり、その美しい描写に幻想の世界に引き込まれるようだった。激しい旅愁のようなものを感じさせるこの作品は、確かに精神の中の何かを目覚めさせるに違いない。
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【あなたも幸せになれる】
豊かに、思い通りに生きることができるマーフィーの潜在意識の法則を通し、あなたが本当は何者で、どんな力を持っているのかを知り、驚き、喜んで欲しい。
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2010.03.25
潜在意識は、英語で、サブコンシャス(subconscious)と言います。
コンシャスは、「意識のある」という意味で、コンシャスネスで「意識」になります。
潜在意識のことを、サブコンシャスネスと言っても良いらしいですが、サブコンシャスという場合が多いようです(私は、ずっとサブコンシャスネスと言ってました)。
ところで、サブ(sub)という言葉は、単独で使うと、補欠や副官といった、主役の控えや代理のような意味になりますが、サブというのは確かに、「下位、次、副」といった意味のようです。
潜在意識や無意識に対して、通常の意識は単に「意識」と言いますが、時には「顕在意識」といった言い方をします。しかし、普通は、やはり「意識」と言います。
ところで、コンピュータプログラミングでは、大筋の流れの記述を「メインルーチン」と言います。
メインルーチンは、良いプログラムでは、あまり細かな機能が記述されません。細かで複雑な機能は「サブルーチン」に書かれます。
(現代的なプログラミングでは、複雑な機能を記述したものをモジュールとかオブジェクトと呼ぶこともありますが、大雑把に言えば、これらもサブルーチンと言って良いと思います)
人間の脳や精神をコンピュータに喩えることは昔からよくありますが、これらは全く異なるとういう主張もなされてきました。しかし、複雑さの違いはあるものの、やはり両者はよく似ていると思います。
そして、メインルーチンには、大まかなシナリオのみを置き、細かで複雑な機能がサブルーチンに置くというのが、人間のコンシャスネス(意識)とサブコンシャンスネス(潜在意識)の関係と実によく似ていると思います。
コンピュータプログラミングで、メインルーチンは、サブルーチンの表立った働きさえ適用できていれば良く、その中味にまで関知しません。
精神的には意識である我々も、潜在意識の複雑な働きをいちいち関知する必要はなく、その大まかな働きさえ知っていれば良いのだと思います。そもそも、潜在意識の働きを完全に理解できるものではありません。
さらに、潜在意識は、宇宙意識との仲介役であるという説もあります。チャールズ・ハアネルの「ザ・マスターキー」にもそう書かれています。その「ザ・マスターキー」を読んで影響を受けたとも言われるビル・ゲイツが、高度なサブルーチンの集合体であるBASIC言語を友人のポール・アレンと共同開発したことから始めて大成功をしたというのも面白い話だと思います。
逆に言えば、我々は、潜在意識の大雑把な働きを知らないといけません。
それは、どんな人生を送るかということに大きな影響を与えます。
特に、潜在意識という言葉を使わなくても、昔から、賢い人は、人間を理解する上で、潜在意識というものをよく理解しています。
それならば、潜在意識の研究成果をありがたく利用することで、我々も賢くなり、人生を高度で素晴らしいものにできるのではないかと思います。
ただ、精神分析学で言うところの潜在意識は、上記に書いた、潜在意識の複雑で細かい機能の説明であり、我々にはあまり必要でありません。
潜在意識を実践的に活用するための、優れた書籍を下にご紹介します。とは言いましても、これまでにも何度もご紹介したものですが、どれもあまりに価値のあるものだと思います。
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2010.03.24
昔は、きちんとしたセーラー服を着こなした真面目な女の子が不良男子に惹かれるというのが、別にドラマの世界ではなくても普通のことでした。
今は、本物の不良がいなくなったので、あまり見られないことではありますけどね。
ただ、同じ理屈で、涼宮ハルヒのような「稀代の変人」の女子が、「真面目な男の子」にとって魅力的に見えるのかもしれません。
日本のヤクザもの映画というのは、善いヤクザが主役であることが多いのですが、ヤクザが反体制者であることは間違いありません。
アメリカやイタリアの西部劇では、多くの主人公達は本物のアウトロー(無法者)です。
現在、ジョニー・デップみたいな、必ずしも紋切り型の色男でない俳優が人気があるのは、彼にアウトローのイメージが定着しているからです。
映画「007 カジノロワイヤル」で、ジェームズ・ボンドが悪党の美人妻を陥落させる場面でも、こんな会話があります。
「夫といい、あんたといい、私ってどうして悪い男に惹かれるのかしら?あんたみたいで、いい人いないの?」
「俺みたいなら、いい人じゃない」
「そうね」
素敵な悪い人というのは、残忍とか強欲というのではなく、「反体制」であるということです。
そして、あなたも、「本物の悪い人」でないといけません。
「潜在意識による成功法則」でも「引き寄せの法則」でも同じですが、悪い人でないと絶対に成功しません。
アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンの「自己信頼」では、エマーソンが少年時代に教会の牧師の教えに疑問を感じ、牧師に相談に行くと、牧師は「君の考えは悪魔のものだ」といった意味の注意を受けます。すると、少年のエマーソンは「僕の本性が悪魔と言うなら、悪魔になりきる」と言います。エマーソンが本物の賢者である所以はここです。
エマーソンをこよなく尊敬する、ジョセフ・マーフィーも意志の力を振り絞って世間に逆らえと言っているのです。それが書かれた名著「あなたは不安なしに生きられる(Living without strain-1959-)」は残念ながら絶版ですが、その意図するところが解れば良いのです。
「涼宮ハルヒの憂鬱」でも読めば、少しは解るかもしれません。
日本最高の思想家である吉本隆明氏の「共同幻想論」では、人間は、個人の幻想、対幻想(家族や恋人など、親しい間柄で共有する幻想)、そして共同幻想(地域や国家の中での幻想)の3つを持つとされます。意識的に体制に逆らわないと、我々は、国家や家族の幻想に絡め取られ、自分が自分でなくなります。それは、あなたにも良く解るのではないでしょうか?
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【自己信頼】
世間の価値などに振り回されるな。価値は自分で決めろ。偉い人の機嫌を取るな。むしろ取ってもらえ。自分を信じろ。
驚くほど多くの賢者達が引用する人類の叡智エマーソンが、自己信頼の重要性と、その驚くべき力を説く、地球上で最も価値ある本だ。
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【涼宮ハルヒの憂鬱】
我々は本当はハルヒになりたいのだと思う。著者が言ったわけではないが、ハルヒとは、「張る霊(ヒ)」だと私は思っている。
無謀なまでに自分を信じる姿は空(ソラ)のようだ。シリーズ650万部は伊達ではない。
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【あなたも幸せになれる】
では、自分の何を信じるのか?それは、自分の中にある無限の力である。それを力強く教えてくれるマーフィー円熟の晩年の書だ。
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2010.03.23
ジョセフ・マーフィーの著書で、日本でも世界でも、最も読まれているのは、1963年に出版された「眠りながら成功する」ですが、それ以前にも、マーフィーは4冊の本を出していますし、マーフィー自身の著書は全部で25冊以上はあるはずです。
■Riches are your right(1952)
未翻訳
■How to attract money (1955)
「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う 」(ダイヤモンド社。2009年)
■Peace within yourself (1956)
「人類史上最大の発見―潜在意識の偉大なる力」(きこ書房。2007年)
■Living without strain(1959)
「あなたは不安なしに生きられる」(産業能率大学出版部。1978年)
■The power of your subconscious mind(1963)
「眠りながら成功する」(産業能率大学出版部。1968年)
■Your infinite power to be rich(1966)
「あなたも金持ちになれる」(産業能率大学出版部。1969年)
■Miracle power for infinite riches(1972)
「眠りながら巨富を得る」(産業能率大学出版部。1973年)
■The cosmic energizer(1974)
「あなたも幸せになれる」(産業能率大学出版部。1975年)
上記を見ても分かる通り、ごく近年にも、最も初期の頃の著作の翻訳が出ています。
ところで、「あなたは不安なしに生きられる」は、既に日本では絶版ですが、実は、この本こそ、マーフィーの偉大な知恵を純粋に現したものでした。しかし、一般向けとは言えない内容だったせいか、あまり売れずに絶版になったのかもしれません。なんとも勿体無いことと思います。この本は、旧約聖書の「ヨブ記」を題材にしていますが、「ヨブ記」は、極めて深遠な知恵の書であり、また暗号的な象徴も使われており、その解釈は極めて難しいものです。
しかし、その意味するものは、中国の叡智の書「老子」と通じるもので、これが理解できれば、恐るべき知恵を得るに違いありません。
そして、マーフィーは、潜在意識の法則を使い、見事にそれを解明すると共に、「理解するには、かつてあなたがこれを書いた時のことを思い出せば良い」という、驚くべきアドヴァイスをしています。
もしかしたら、「あなたは不安なしに生きられる」は、強力過ぎるがゆえに、堕落した世の中から消えてしまったのではないかと私は思います。
「眠りながら成功する」は、世界的ベストセラーであり、現在も読み継がれるロングセラーです。
その内容は、潜在意識に関する、極めて親切丁寧な入門書と言って良いと思います。潜在意識による成功法則についての理解が浅い場合には、まずこれをじっくり読むのが良いでしょう。
「あなたは不安なしに生きられる」が、あまりに高度で大衆向きでなかったので、マーフィーは、この「眠りながら成功する」のような良い入門書を書こうと思ったのではないかという気がします。
「眠りながら巨富を得る」までの間にも、マーフィーは実に多くの本を書いています。それらの本同士に個性の違いがないわけではありませんが、同じような読者層、つまり、不安を抱え、日々の生活に疲れているありふれた人々を対象にしていたと思います。
しかし、その後の、「あなたも幸せになれる」は、やや異なるもののように私には思えます。
私は19歳の時、数多くのマーフィーの本の中からこれを選びました。この本は、ただ欲望を満たすだけではなく、宇宙の深遠な真理について読者に理解させようという熱意を特に感じました。
この本に込められた思想は、「ヒマラヤ聖者の生活探求」(霞ヶ関書房)や、浄土宗の法然、神道黒住教の黒住宗忠、ラマナ・マハルシ、そして、荘子と全く一致すると確信しました。
また、精神科医のミルトン・エリクソンや、自己暗示による心身療法のエミール・クーエといった、潜在意識の活用を個人の範囲に限っているとはいえ、これらの驚異的な技術とも大変に適合することが分かります。
「あなたは不安なしに生きられる」とはややスタイルを変え、より取り付きやすくしながら、真理を理解することでの人間の解放を目指しているように思われました。
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【あなたは不安なしに生きられる】
仮に古書があっても、高価になり勝ちなのは、本の価値と共に発行部数が多くないせいもあると思います。再販を是非希望したいと思います。
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【あなたも幸せになれる】
「眠りながら成功する」の気安さと「あなたは不安なしに生きられる」の深遠さを併せ持ち、しかも、簡潔にした良書です。
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【マーフィー 努力嫌いの成功法】
「あなたも幸せになれる」の文庫版です。
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【眠りながら成功する】
マーフィーの潜在意識による成功法則の最良の入門書として書かれており、世界的ベストセラーでもあります。精神法則に詳しい人にはややくどく感じるかもしれませんが、初心者には非常にありがたいものであると思います。
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【私の声はあなたとともに】
魔法を使って精神の病を治していたと言われるほどの天才的な精神科医ミルトン・エリクソンは潜在意識(本書では無意識と表現)について熟知していたからこそ、それが可能であったと思います。潜在意識をクリアにする、エリクソンが語った珠玉の物語と、エリクソンが強く信頼する、日本でも治療し、講道館で柔道を学んだ精神科医シドニー・ローゼンの適切な解説が絶妙に組み合わされた最高の書です。
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【自己暗示〈新装版〉】
1966年に出版された、自己暗示の最高の名著が今年(2010年)、ついに新装版で復刻しました。
医者が見離した難病を、ほとんどの場合は軽々と、そして全て無償で治療したクーエの手法は実は極めてシンプルで、本書で語られること以上ではありません。
また、クーエの自己暗示は、病気治療のみでなく、子供の教育には特に効果的です。また、人生に成功するための能力、精神力の発揮にも大きな威力を持つはずです。多くの成功法則のコーチ達もクーエの技術を流用しています。それならば、自分でその純粋な源流を知るのが一番と思います。
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2010.03.22
「ハチドリのひとしずく」という、世界的ブームを起こしたお話がある。南米アンデス地方の古い民話が元になっているらしい。全文でも10行程度のお話であるが、書籍にもなっている。
私は、これと酷似したお話を「仏教聖典」という本で読んだことがあった。「仏教聖典」は、多くのホテルで、聖書と共に全部屋に常備されている。
私も、ホテルに泊まった際に、そこに置いてあったものを読んだ。
「仏教聖典」は、仏教の数多くの経典の中から選んだお話を1冊の本にまとめたもので、問題のお話は、仏教の「雑宝蔵教」という経典にあるもののようだ。
その中では、ハチドリでなくオウムのお話である。
やはり非常に短いが、こんなお話である。
竹やぶが大火事になった時、オウムは池に飛び込んで身体を濡らし、炎の上で羽ばたいて水を撒き、火を消そうとする。
神はオウムに「お前の心はけなげであるが、この猛火をどうして羽の滴で消せようか」と言うが、オウムは、「長年、棲家を与えてくれた竹やぶへの恩を思う心と、他の生き物達への慈悲の心からしていることが成らぬはずがない。私は何度生まれ変わってでもやりぬく」と答えた。
オウムの偉大な志に打たれた神は、オウムに協力して火を消すというものだ。
「ハチドリのひとしずく」では、やはり森が大火事になり、ハチドリはクチバシで水を運んで火にかける。
それを動物達に笑われた時、ハチドリは「私にできることをやっているだけ」と答える。
両者は、似て全く非なるお話である。
なんでも、「ハチドリのひとしずく」のお話は、エコロジー問題にすりかえられてしまっているらしい。
どこかの経済大国の支配者の差し金(影の策謀)だろうか?
オウムの方のお話は、その百万倍も重要なお話である。
「ハチドリのひとしずく」では、重要なところがすっかり消されているが、元になった南米アンデス地方の寓話ではどうなのだろう?
オウムは顕在意識、神は潜在意識である。
顕在意識にとっては、いかに無謀と思えることも、潜在意識と協調して行うなら不可能はない。
そして、潜在意識を動かすのは、感謝と愛の気持ちである。
潜在意識は、全ての人の中にある無限の力である。
およそ世界中の聖なる教えや、人間に関する真に重要な教えの要諦もこれである。
例えば、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則を端的に表現すれば、やはりそうなるだろう。
「ハチドリのひとしずく」よりも、このオウムのお話を記憶に刻み込んでおくと良い。
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【仏教聖典】
仏教の膨大な経典の中から1冊分を選択するのは困難なことであるが、もちろん、現代の世の中にも適応した、また、分かりやすいものを選んでいるのだろうと思う。他にも重要な仏教の教えは沢山あると思うが、悪くない選択と思う。とても興味深く読めるし、仏教の重要な教えは十分に伝わるのではないかと思う。
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【和文仏教聖典(文庫)】
上記の本の文庫版である。
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【和英対照仏教聖典】
私がホテルで読んだのは、この、左のページに英語、右のページが日本語(横書き)になったものだった。
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【眠りながら成功する】
原題は“THE POWER OF YOUR SUBCONSCIOUS MIND”(あなたの潜在意識の力)だ。マーフィーの本は、日本語版ではかなり題名が変えられていることが多い。この本も、日本での初版が1968年(原本は1963年)だが、当時の日本人に馴染み難そうな題名は、一般的なものにしたのかもしれない。だが、そろそろ、原題のままを採用しても良い時期のように思う。
数十冊あるジョセフ・マーフィーの成功法則の本の中でも、最も基本的なものだ。
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2010.03.21
人生成功の、卓越の、幸福の秘訣というのは、「1つのことへのこだわり」であると思うことがあります。
それは、潜在意識にまで深く浸透した、その人の人生の指針とまで言えるものです。
ただ、それは、自我意識による執着ではなく、自然にそこにある大きな存在です。
イチロー選手は「何か数字を1つと言うなら200本安打」と言うように、彼は打率や盗塁数にはさほどのこだわりはなく、常にシーズン200本安打を意識の奥深くから目指しています。
そのようなこだわりが重要と思います。
プロレスリングで史上最強と言われるルー・テーズは「技を何か1つと言うなら、ダブル・リストロック」と言います。彼の有名な必殺技は、バックドロップやテーズ・プレスとも言われたフライング・ボディーシザーズでしたが、意外にも、彼が最も頼っていた技は、ダブル・リストロックという、少年時代にジョージ・トラゴスという偉大なレスラーに教わった地味な関節技でした。地味ではありますが、恐ろしく危険な技で、テーズが史上最強であったのは、この技のおかげでした。
逆に、「この技」というこだわりのない格闘家は強くないと思います。
人間いろいろ、人生いろいろでありますので、色々なこだわりがあります。
内海康満さんという人は、19歳の時に竹内満朋という偉大な霊能者にぼろぼろになるまで読めと言われた「ローム大霊講話集」という本を、10年以上かけて、本当に閉じ糸がとれてバラバラになるまで読み、神のごとき賢者になりました。
史上最高と言っても良いと思う偉大な精神科医ミルトン・エリクソンは、家には聖書と辞書しかなかったそうですが、その辞書を繰り返し読みました。彼は、それがいかに良かったかを強調します。
また、名前は忘れましたが、ある偉大な人物は、家に1冊だけあった本である聖書をひたすら繰り返し読んで賢くなったと言います。
ジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」を千回読んで大金持ちになったという人も実際にいるようです。
車が本当に好きなら、こだわりの1台があるでしょうし、それでこそ本当の車好きだと思います。
箱スカと呼ばれる、1970年前後に生産された日産スカイラインGTシリーズをいまだ大切にして乗っている人がいますが、それは1つの悟りの境地のように思えます。
音楽家なら誰を一番と確信しているとか、あるいは、究極の1曲を持っているのは素晴らしいことです。
やはり、画家なら誰とか、最高の1つの作品を即答できるなら、その人は世界を支配できるか、それに極めて近い位置にいると思います。
ただ、1つのこだわりとは、決して熱狂的な執着ではありません。むしろ、さりげなさや気楽さを感じさせるものです。
たとえば、「モナリザ」を本当の究極の絵画だと思っている人は、その絵を貶されても、さして感情を乱さないものです。
ある歌手のファンは、その歌手を賛美しない人を見る度に憤慨しますが、それは執着であって、心からのこだわりではないわけです。
そして、大切なのは「1つ」であることで、「2つ」では駄目だということです。
いったんは1つに決めても、すぐに別のものに変わり、さらに別のものというのが圧倒的で、それは、まだまだ学びが必要な段階であるということです。
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【霊止乃道(ひとのみち)】
内海康満さんは、「瞬間無痛」で病気を消すMRTという技術を全国のクリニックで実施していますが、私が会った医学者達は、内海さんそのものには抵抗を持っていると感じましたが、MRT自体の優秀さは認めているようでした。結果が出るからでしょう。
内海さんの本にはいつも驚かされます。中学しか出ていない内海さんですが、あの発想は、学校で教育されたら出てこないかもしれないと思います。大変なお金持ちでもあります。
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【私の声はあなたとともに】
精神科というものには成果を求めないといった暗黙の了解があるように思えてなりません。あのジクムント・フロイトすら、現実には、治療に成功したことは皆無だったようです。しかし、エリクソンは、魔法を使って治していると噂されるほど、簡単に精神の病を治してしまいました。この本に収められた、エリクソンが話した、沢山の面白い物語は、あなたの心を癒し、無意識(潜在意識)と協調させてくれるはずだと思います。
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【眠りながら成功する】
ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則の最も代表的な本です。
ある意味、エリクソンは、無意識(潜在意識)を、その個人の範囲に限定して扱っていたと思います。ただ、それでも十分以上に驚異的で神秘的ですらありますが。マーフィー理論では、潜在意識を宇宙規模で考え、一切の制限がありません。ただ、やはり両者に本質的な違いは無く、もし、マーフィー理論をうまく使えない場合は、上にあげた「私の声はあなたとともに」で、無意識への信頼を学ぶべきと私は思います。
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2010.03.20
世間常識に馴染んでいると神秘的に感じるかもしれない、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則は、分かってくると、不思議でも何でもなく、ごく当たり前のことになっていく。
そうなってこそ、マーフィーの本に書かれていることを楽々と達成できるようになるのだと思う。
潜在意識による成功法則を使う時、特別なこと、驚異的なことをやるのだという思いであれば、うまくいかない可能性があると思う。
引き寄せの法則やザ・シークレットなども同じであると思う。
人は、普通のこと、つまり、自然法則に則ったことしかやれない。
本来、自然で当たり前のことを、不自然で特別なことと思うような考え方を持つようになったことが人類の不幸なのだろう。
超自然現象と異常現象とは違う。異常現象とは、法則に反することであるが、超自然現象とは単に馴染みがないというだけのことで、いつかは自然現象と認識されるべきものである。
ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則とは、簡単に言えば、人間が誰でも内に持つ無限ともいえる力を活用するというだけのことだ。
ただ、その力の行使のために障害となることが多く、それを取り除かなければ、うまく力を発動させることができないのだろう。
そして、人々を観察する中で強く感じるのは、その大きな障害は、恨み、憎しみといった感情だ。マーフィーの本でも度々強調されるのが「赦す」ということだ。新約聖書にも書かれているイエスの教えの要諦もそれであると思う。
ネットが発達する中で、それ以前よりは人々の心の中を直接的な表現で知る機会が増えたと思うのだが、よくネット上で、誰かを「絶対に赦さない」といった表現をよく見たし、よく見る。その当人にしてみれば、確かに、ひどい目にあったり、極めて嫌な思いをさせられたのだろうが、それでも、誰かを赦すことができないと思っている人は不幸から逃れることはないのも確かだ。
私が愛読する至高の宇宙解説書である、足立育朗さんの「波動の法則」には、決心することで別人に生まれ変わるとあるが、私は、憎んでいた人を赦すと決心した時、至高の力への通路がぱっと開かれたように感じた。まさに、無限のエネルギーが流れ込んでくるようであった。この感じを味わって欲しいものである。
また、私の愛読する谷川流さんの小説「涼宮ハルヒの憂鬱」では、朝比奈みくるという超美少女が、清純可憐な乙女としては極めて辛い目に遭い落ち込んでいたが、誰を恨むこともなく、「これも、この時間平面上での必然なのでしょう」と言って健気に笑顔を見せる。未来では、それも常識なのかもしれない。やはり、ただの人気小説ではないと思った。
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【波動の法則】
成功哲学の本ではありませんが、成功哲学以上の成功哲学でもあると思います。
現在の人類の科学では知りえない自然法則が書かれています。他にも、宇宙からのメッセーを使える良書はありますが、本書は別格と思います。
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【涼宮ハルヒの憂鬱】
本文でご紹介したエピソードは、涼宮ハルヒシリーズの第1巻である本書にあります。
私は、涼宮ハルヒシリーズは、本文の面白さはもちろんですが、「あとがき」がことごとに、なんとも味があり、素晴らしいと思います。
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【あなたも幸せになれる】
私は19歳の時、書店で、数多くのマーフィーの成功法則のうち、決して最も売れているとは言えないこれを選びましたが、何とも良い選択であったと自分で感心しています。
後で読んだ「ヒマラヤ聖者の生活探求」の教えと全く一致していたことには驚きました。最初に買った本は友人にあげ、今持っているのは3冊目と思います。
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【マーフィー 努力嫌いの成功法】
上記、「あなたも幸せになれる」の文庫版です。翻訳者の桑名一央さんは、以前は相沢勉の名で、半世紀も前から世界の優れた精神法則の本を翻訳されている名翻訳者です。
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2010.03.19
およそ日本人で、「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」を唱えたことがないという人はいないと思いますが、これは、法然(1133-1212)の浄土宗や、親鸞(1173-1263)の浄土真宗、一遍(1239-1289)の時宗という、仏教の中でも浄土宗系と言われる宗派で行われていることです。それぞれにやや思想は異なるようですが、いずれにしても、この「南無阿弥陀仏」という、誰にでも出来る念仏を唱えることに大きな価値を置くばかりか、実際には、他に何もする必要がないとしていると言って良いかと思います。
さて、この念仏を唱えるとどうなるかと言いますと、死後、極楽浄土に生まれることが出来るというものです。極楽浄土とは、キリスト教で言うところの天国と考えて良いと思います。
念仏を唱えれば、生きているうちは幸福でなくても、死んだ後では、極楽浄土という素晴らしい世界で仏となり、自由自在に楽しく生きることができ、仏であるのだから、現世の人々を救うことも出来るとされます。
しかし、言い換えれば、死後はそのように素晴らしくても、生きている間は不幸を耐えねばならないという風に考えざるを得ないかもしれません。
ところで私は、宗教的な考え方ではないと思いますが、浄土宗の教えは現実に生きる上で素晴らしく、現世での幸福のために重要なものであると考えております。また、浄土宗系の仏教信仰者にも、そう考える人はいると思います。
私は、死とは、自我の死を意味し、自我の死とは、自我の束縛を免れたことだと考えています。
自我が死ねば、この世がそのまま極楽浄土となると考えているわけです。
浄土宗系の経典には、浄土三部教と言われる「観無量寿教」「無量寿教」「阿弥陀教」がありますが、それらにも、必ずしも、死後にだけ良いことがあるのではなく、念仏を唱えれば、仏はただちに菩薩達を派遣し、菩薩達は親身に世話を焼いてくれるとも書かれてあります。これは、象徴的な意味であるのでしょうが、現実的な素晴らしいことは約束されていると思います。
自我が滅亡すれば、新しい世界が開け、無上の幸福が得られるというのは、宗教のみならず、あらゆる聖者達の教えの結論もつまりはそれであると思います。
一見、世俗の幸福のみを説いているように思われるジョセフ・マーフィー(新興のキリスト教宗派の牧師です)の教えにしろ、神の力、あるいは、神そのものである潜在意識に全て任せれば不可能はないと説きますが、潜在意識に全て任せるという意味は、顕在意識(自我と言って良いと思います)の死を意味すると言えると思います。
最も純粋な賢者と言われる、南インドの聖者ラマナ・マハルシは、キリスト教の要諦をこう表現します。「十字架は肉体で、イエスは自我である。自我が肉体に磔にされて滅んだ時、キリストという真の自己が顕れる」
マハルシもまた、自我が滅んで、真の自己(真我と言います)が顕れることで、永遠の幸福が得られると説きました。
真の自己となることで得られるのは、精神的な平和だけでなく、物質的にも万能になるのですが、真我に達した人は物質的なものにこだわりませんので、無欲、無執着に見えます。逆に言えば、無欲、無執着であっても、実際は無限の力を有しているわけです。
「南無阿弥陀仏」を唱えれば、無限の力を得るというのも本当のことと思います。
明治、大正の偉人、岡田虎二郎は、法然を大変に崇敬していたと思いますが、念仏をするなら、生活しながら念仏するようではいけない、念仏しながら生活しないといけないと言っていたようです。これは、ひたすら念仏せよという意味にもとれますが、やはり自我意識を消せという意味と思います。虎二郎の教えた静坐も、念仏同様、「絶対他力」と言いまして、自己の力ではなく、無限の力に全て任せるというものだと思います。
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2010.03.18
「まほろまてぃっく」という、あの「新世紀エヴァンゲリオン」と同じガイナックス社制作のアニメ作品がある。
現代を舞台に、外宇宙からの侵略者と戦う中で、人類自体の未解決の問題が醜く浮き上がるのであるが、未来において、人類は侵略者達と和解し、共存する。
最終回は、その未来の、地球から離れたある惑星にある薄暗いバーの中から始まる。かつての(21世紀初頭の)地球で、ナチス並の残忍さで人類の支配を目論んでいた組織の大物だった男が「運び屋」と交渉する場面である。「運び屋」とは、現代と同じ感覚で、密輸品など、公然と運べないものを高額で運ぶ仕事をする者である。元悪の組織の大物が依頼する運送物とは、自分自身であった。既に身体を機械化した男であったが、自分をふるさとの地球に運べという注文であった。富と欲望のために、どんなことでもやっただろう男は、つい運び屋に、故郷の思い出を語る。それは、子供の頃に過ごした村での、木々のざわめきや野に茂った草が風に揺れる様子だった。そして、どうしてもそこに返りたいと熱望する。
手塚治虫さんの作品には、ロックという名の、若いイケメンで頭脳は優秀だが、冷酷非情な男がよく登場する。名前は同じロックでも、作品ごとに別人物であるが、酷似して描かれている。
「バンパイヤ」という1966年連載開始の作品では、ロックは「ヘビのように残忍、ネコのように執念深く、宇宙人のように頭が良い」という天才的犯罪者で、金のためならどんな大きな悪行も平然と行い、ことごとにうまくいき、世界を支配するかのようだった。
ところが、ある時、ロックを訪ねてきた若い男を見て、ロックは、これまで見せたことのない少年のような笑顔と共に、完全に無防備となる。そこに、男の強烈なパンチが炸裂し、ロックは吹っ飛ぶ。その男は、どう見ても田舎のにいちゃんでしかなかった。そして、実にその通りであった。ロックは、子供の時、いつもいじめられていたのだが、いつからか、その男がかばってくれるようになったのだった。その男は、頭も良くなかったが、ロックといつも一緒にいて、子供らしい遊びも教えてくれたのだった。
結局、人間は、どんな風になったとしても、主に故郷によって思い出す子供の頃のことが最も大切な宝のようだ。
もちろん、悲惨でみじめな子供時代を過ごした場合は必ずしもそうは言えないかもしれないが、それでも、不幸な子供時代の、ほんの一瞬の輝く瞬間を懐かしく思い出すものではないかと思う。
それを極端に押し進めたものが、池田満寿夫さんのような芸術家が時々言う、母親の胎内に戻りたいという子宮回帰願望であると思う。
だが、人間の心の深奥にある、本当の回帰願望とは、もっとはるかに壮大な望みである。本来は言葉で表現できるものではないが、あえて言えば、宇宙とか神、カオス、原初の状態・・・そういった、初めの初めに帰りたいという、どうしようもない憧れである。
そして、それは可能である。それは、我々の内にあるのであり、世界の全てでもある。そこは世界中の神話で「約束の地」と表現されてきたが、時空という幻想の中でも、我々はそこに帰る時に近付いているのかもしれないと感じる。
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【現代語訳 古事記】
世界の最初の時のことは、我が国では「古事記」で神話的に表現されている。「古事記」は日本人の心の故郷であると思う。
本書は、数ある古事記の現代語訳の中でも、非常に分かりやすいもので、名訳の評価も高い。
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【古事記物語】
児童文学者の鈴木三重吉さんが1920年に出した、子供にも読める古事記で、端正な文章は名作の誉れも高い。私も愛読している。
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2010.03.17
成功法則の最高の使い手は誰かというなら、それはイエス・キリストであると言えるだろう。
ご存知の方も多いと思うが、イエスの言動を、彼の身近にいた弟子達が記述した、新約聖書の福音書には、イエスの起こした奇跡が数多く現れている。
肉体的、精神的を含めた難病奇病を瞬間に治し、海の上を歩き、また、他の者にも歩かせ、嵐を静めた。物質的なものとしても、パンと魚の食事を数千人分、上等のワインも豊富に出したことがある。果ては、死人を生き返らせ、また、自らも死から甦った。
イエスは、これらの奇跡を、自分にしかできないことではなく、人間は誰でもできること、やらなければならないことを教え、また、願いを叶える方法もちゃんと教えているのである。まして、日常において平安に暮らす程度は実に易しいはずであると言っている。
もっと詳しく、噛み砕いて知りたい場合は、「ヒマラヤ聖者の生活探求」(霞ヶ関書房)の中で、イエスと等しい能力を持つヒマラヤの大師により、実に丁寧な教えが説かれているのみならず、イエス自身によって完全な教えが説かれているのである。
尚、イエス並の奇跡を起こすほどの気概(進取の気性)はまだ無いとしても、一般的な状況支配、例えば、収入を数倍にするとか、自分や家族を健康にする、望みの能力や成果を得る、素晴らしい恋人や伴侶を得る程度であれば、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則で教えられているが、マーフィーの教え自体、イエスの教えやヒマラヤの大師達の教えと全く同じであることが本を読めばはっきりと分かるのである。マーフィーの教えも高いレベルで実践すれば、イエスの奇跡並になるはずである。
マーフィーの教えは、ニューソートと呼ばれ、日本語では光明思想と訳される場合もあると思うが、これは、聖書の新しい解釈であると言われている。しかし、その言い方は正しくないと思える。キリスト教会の伝統的な聖書解釈こそ、ある1つの立場による聖書の新しい解釈であり、一時は異端とされた、スウェーデンの天才科学者、政治家、思想家であるエマニュエル・スウェーデンボルグは聖書を正しい解釈に戻そうとしたのである。スウェーデンボルグの思想は、ゲーテ、カント、鈴木大拙、ヘレン・ケラーらに強い影響を与え、アメリカ最大の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンはスウェーデンボルグを人類最高の賢者と称えている。スウェーデン・ボルグ、エマーソンの思想を一般的な教えとしたものがニューソートとも言え、ジョセフ・マーフィーはニューソートを大衆に普及させた功労者と思う。
ところで、現在は引き寄せの法則と言われるものが人気があるが、私は、どう考えても「引き出す」が正しいと思う。「引き寄せ」では、何か外部に重要なものがあるような意味になってしまうが、イエスもヒマラヤの大師も、さらに、マーフィーも、全ての力、知恵、原質は全て我々の内にあるのであり、それを引き出しさえすれば良いと教える。そして、終局的には、我々の実体には大きさといったものはなく、我々は全宇宙と等しいのであるが、その意味でも、やはり全ては内側にあるのである。
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【新約聖書 福音書】
キリスト教会の立場からではなく、あくまで学問的に正確に分かりやすく新約聖書の福音書を訳すことに半生を奉げた著者による画期的な本で、その分かりやすさは比類ない。
1963年に出版されてから現在に至るも、その価値は輝きを増すばかりと思う。
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【ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻】
我々一般人と同じ常識を持つアメリカの調査隊が極東地域を調査する中で出逢ったヒマラヤの大師達の生活や教えを正確に調査、記述した記録である。驚くべき内容であるが、著者はどう受け取るかは読者次第であるとしているし、むしろ、何も考えずに鵜呑みにすることを戒めてもいる。
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【ヒマラヤ聖者の生活探究 第2巻】
この2巻では、イエスも登場し、貴重な教えを説くが、私は不自然さや違和感を感じなかったばかりか、その教えの中に、非常なノスタルジ(望郷心)すら感じた。
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【あなたも幸せになれる】
上にあげた「ヒマラヤ聖者の生活探求」のヒマラヤの大師の教えと非常に共通するものがあることに気付き、驚いた。決して世俗の欲望を満たすだけの軽いテクニックではなく、深遠な教えであると思う。
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【マーフィー 努力嫌いの成功法】
上記「あなたも幸せになれる」の文庫版である。
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2010.03.16
子供の性行為を描く漫画などを法的に規制する「2次元児童ポルノ」規制の改定案が提出されているが、そのようなものが広まれば、日本は間違いなく滅ぶと思う。
この改定案に対し、ちばてつやさん、藤子不二雄Aさん、里中満智子さん、永井豪さん、萩尾望都さんといった、日本の漫画界を作り上げたのみならず、日本人の精神を導いてきた巨匠達はこぞって反対の立場を表明している。
私は、個人的にはポルノは嫌いだし(女性の人格を踏みにじった描写が多く、耐え難い)、現実の犯罪行為を罰することは当然と思うが、闇雲な表現の規制が恐ろしい結果になることは、わずかな知恵があれば分かることと思う。
規制すべきでないことを規制した結果としては、アメリカで禁酒法により、アルコールの製造、販売が禁止されると密造酒や闇バーが激増して犯罪が増え、日本では、明治政府が庶民の性風俗を取り締まると、性風俗店が闇の世界の収益源として暗躍し、不幸な少女や女性が数え切れないほどとなった。
また、ナイフの所持を学校で禁止したり、過度の銃刀法により、ナイフによる凶悪犯罪が蔓延したのだと確信する。
上記にお名前をあげさせていただいた漫画家の永井豪さんの出世作である「ハレンチ学園」すら、この規制の下では出せなくなるらしい。恐ろしいものである。
「ハレンチ学園」は、小学生達が主体の、いわゆる「エッチな漫画」であるが、現在なら、さしたる猥褻度ではない。しかし、当時(1968年)は、学校やPTAから散々叩かれ、NHKあたりは永井さんを犯罪者扱いであった。ところが、永井さんの同様な内容の「あばしり一家」など、他作品は全く叩かれなかったらしい。それを見て、永井さんは、「ハレンチ学園」では、教師を馬鹿にしたことが叩かれた原因であることが分かったと言う。
なるほど、教師を馬鹿にするということは、学校や教育委員会を否定することであり、それは、ひいては国家批判につながるのである。
国家による漫画弾圧に対しては、あの手塚治虫さんも大変に苦労し、手塚さんは、「漫画は3時のおやつ」として、さしたる影響力のないものとへりくだることでうまくやり過ごしたが、言うまでも無く、漫画は人々の幸福に貢献したところが大きい。渡部昇一さんは、日本が繁栄し、ベルリンの壁が壊れた根本原因は、手塚治虫さんの「鉄腕アトム」であったという。ただ、「鉄腕アトム」の精神が失われて、日本のみならず世界は物質的なものに偏ったと言えるかもしれない。
永井豪さんの「デビルマン」は海外でも人気が高く、永井さんは世界の作家達に大変に尊敬されている。
「デビルマン」は、画期的な作品でもあり、それまで常識であったはずの「神が正しく、悪魔が悪い」を疑わせるものともなっている。
日航の会長に就任した稲盛和夫さんが教育家として尊敬する、世界的作家のL.ロン.ハバート(新興宗教「サイエントロジー」の教祖として批判もある)の「幻の四十八時間」という作品でも、神の側である天使が必ずしも正しいものではないことが描かれているが、もちろん、永井さんにしろハバートにしろ、作品の中で言う神や悪魔は人間の慣習的な偶像としてのものと思う。それは悪いものである場合が多い。
永井さんが直接描いたものではないが、アニメ版の「デビルマン」の最終回「妖獣ゴッド 神の奇跡」で印象深い場面がある。
デビルマンは悪魔の戦士で、人類を征服するために送り込まれてきたのだが、人間の少女、牧村美樹に逢って彼女を愛するようになり、悪魔族と戦うことになったのだった(デビルマンは人類を守るのではなく、美樹を守りたいだけらしい)。
次々とやってくる悪魔族の刺客を倒す中、ついに、悪魔族の中でデビルマンのかつての上役であった、デビルマン以上の力をもつ「神」妖獣ゴッドがやってくる。ゴッドにより、美樹の前で正体を暴かれたデビルマンであるが、美樹は明(デビルマンが人間の姿をする時の名)が悪魔であることも、ゴッドが神であることも認めない。ゴッドに向かい、「あなたは神じゃない。神様はあたし達のここにいるわ」と恐れずに言い、胸を押さえる。
もちろん、神に形や大きさはないのであるが、人の心を通して顕れるものであると思う。美樹の言葉は、実に私の人生の指針ともなったと思う。
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【フィアー】
発行総数1億冊以上。アイザック・アシモフ、スティーブン・キング、レイ・ブラッド・ベリらが賞賛するL.ロン.ハバートの小説の面白さは半端ではないと思う。
「フィアー」を読み、私は激しく混乱し、数日、夢の世界をさ迷ったが、その後、精神が少し高まったと思う。
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【死の代理人】
本文でご紹介した「幻の四十八時間」も収録する、L.ロン.ハバートの最高に知的で深遠なミステリー。何の成果もない人生で、最後に神の力を得たら、あなたはどうする?
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【魔王ダンテ(全巻セット)】
「デビルマン」の原型とも思える、永井豪さんの傑作漫画。人間と神と悪魔の真実の姿。ラストで私は呆然自失となった思い出がある。
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2010.03.15
問題の起こらない人生などありません。
それどころか、「なぜこんなに問題ばかり起こるのだろう?」と感じるのがむしろ普通と思います。
なぜ問題が起こるかについて、中国出身のアメリカの偉大な作家で、事業家のチン・ニンチュウは、神様が我々を楽しませるためだと断言します。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」の中で、ヒマラヤの超人は、それは、霊的に目覚め、進歩するためと言います。
いずれにしても、平穏なだけでは、人間は全く進歩しないばかりか、精神が緩み過ぎ、堕落する危険が大いにあります。
例えば、教育熱心な家庭で、子供は良い中学、高校、そして、大学と進み、スポーツや情操教育もぬかりなく、やがて、一流企業に就職するとします。
この場合、どこかの時点で間違いなく、大問題が起こります。これは、そういったやり方が必ずしも悪いという訳ではなく、本当の意味で向上するための神様、あるいは、無意識の善意であると言えます。
私の場合は、引きこもりで対人恐怖症で、長くニートをしていましたが、当然にして、働いてお金を稼がなくてはなりませんでした。父親は病気でしたし、母親は非常に気の小さい人なので、あまり猶予はありませんでした。
そこで、私の中にいる神様と言える無意識はジョセフ・マーフィーの潜在意識の成功法則の本にめぐり合わせました。そういう状況でしたから、非常に興味深く熱心に読みましたし、本に書かれていることを試す機会が最初から与えられていたことは幸運でした。
心配しなくても、我々の内には無限の力がありますので、問題などなんでもありません。
無限の力を使う、あるいは、無限の力と協調する楽しさを味わうという意味で、まさに、チン・ニンチュウの言う通り、問題は神様が我々を楽しませるために起すものだと言えるのではないでしょうか。
ジョセフ・マーフィーの「あなたも金持ちになれる」に、近年では、人々の神様に対する認識は変わってきており、昔の、天に住む恐い存在ではなく、年長の頼れるパートナーと考える人が増えていると書かれてあります。
イエスも、神を父と親しく呼んでいたと思います。
頼りがいあるパートナーも、強大な父も、何の問題も起こらなければ、協調して何かをなす楽しみがありません。力ある者と一緒に困難に立ち向かうことは非常に面白いものであるはずです。
人生を楽しむとは、そのようなことではないでしょうか?
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【あなたも金持ちになれる】
自らもマーフィーの著書を翻訳している渡部昇一さんがドイツ留学時代に初めて巡り合った思い出深いマーフィーの著作だそうです。渡部さんは、その後、学者、評論家、思想家として大活躍し、数百にもおよぶ著書、翻訳書を出しています。
私は、必ずしも渡部さんの考え方に同意するわけではありませんが、刺激を与えてくれることは確かですね。
我々も、望むなら渡部さんのように成功すれば良いのだと思います。
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【誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる】
C.G.ユングが好んで話した、レイン・メーカー(雨乞い師)の話を通し、実にすっと入ってくる成功の原理を説くユニークな成功法則の本です。
著者のチン・ニンチュウも、苦難に満ちた少女時代を通して偉大な宇宙の法則を修得し、その教えは驚くようなものも多いに関わらず、非常に自然に感じるものでした。バート・レイノルズを成功させた、クリント・イーストウッドの一言のアドバイスや、たった3千万円の年収(!)しかなかった男がそれを十倍にした画期的な方法など、実にエキサイティングでもありました。
チン・ニンチュウもまた、最高の作家、世界的事業家として成功しています。
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2010.03.14
ニュースなどでよく、「働きたいけど仕事が無い」という話を聞きますが、みんな、本当に働きたいのだろうかと思います。ただ、お金を必要としているだけではないのでしょうか?
また、基本的には働きたいという意欲があるとしても、経済至上主義社会では、ほとんどの仕事は、利益優先、効率優先の奴隷の仕事です。そこで働く人達の心は荒れやすく、人間関係も、表向きはともかく、冷え切った、ギスギスした(ゆとりがなく堅苦しい。親しさが無い)ものになり勝ちです。
まして、引きこもり気質の人は、働きにくい職場が多いでしょうし、引きこもりとまでの自覚がなくても、おとなしい人や不器用な人は辛い目に遭い勝ちかもしれません。
それでも、働いて鍛えられていけば、少しは要領を身に付けたり、心がタフになったりもするかもしれませんが、最初の一歩を踏み出せないことも多いようです。
少しでも楽に働くためには、基本的に2つのことがあれば良いと思います。
私の経験からお話しましょう。
私の最初の職場がそうだったのですが、そこにいるのは親切な人達ばかりでした。
私は、学校をやめて数年引きこもっておりましたが、ある時、働く気になりました。なぜそんな気になったかは後で書きましょう。
しかし、働く気になっても、やめた学校が何かしてくれるはずもなく、親も1つの会社だけに勤めていた人なので、そういった世間のことは実質的に全く分からず、適当な友人や知人もおらず、全て自分でやるしかありません。私には、希望する条件も何もなく、入れてもらえればどこでも入るつもりでした。だから、入れてもらえそうなところから当たりましたので、すぐに仕事は見つかりました。今でも思いますが、仕事というのは、選ばなければいくらでもあると思います。
そして入った職場ですが、当然ながらエリートなんてのは一人もおらず、世間でいうところの落ちこぼれや落伍者、社会的不適合者ばかりでした。大卒なんてまさかおらず、中卒も普通でした。しかし、そんな人達が実に親切で温かい人間性を持っていました。私のほんの少しの先輩に、見かけはまさにお堅いサラリーマンという雰囲気のおじさんがいました。それが、私以上の引きこもりで、全く話ができないのですが、周りの人達が一生懸命、話しかけようとするのでした。私はその後、世間的にはまともな会社に移り、やがて、上場企業に入り、さらに、全員、有名大学、大学院卒の会社に入りることになりましたが、そういった会社では絶対にありえないことでした。おそらく、後で最も懐かしく思い出す職場は、最初の職場であると思います。
特に引きこもり気質の人が就職する時には、条件など度外視して、親切な人達がいる職場を願うべきと思います。贅沢しなければ、給料なんて安くてもやっていけます。その最初に入った職場には、かなりの借金を抱えている人すらいました。世間的には見下されるような職場で、いわゆる暴利を狙うことのない仕事では、そんな職場はあると私は思います。
さて、初めの方で書きましたが、引きこもっていた私が働く気になって理由は、これまで、このブログで何度も書いた通り、ジョセフ・マーフィーの本を読んだからでした。マーフィーの本は、彼自身の著作だけでも(解説本も多い)10冊以上翻訳が出版されていると思いますが、私が最初に慎重に選んだのは、「あなたも幸せになれる」(文庫化した際には「努力嫌いの成功法」に改題。原題は「宇宙の活力」)でした。これは、現在も愛読しており、この本のおかげで、私はほとんど苦労せず、やってこれました。
数多くあるマーフィーの本で共通して説かれるのは、人間が誰でも持っている潜在意識の中には無限の力が秘められており、それに任せれば不可能はないということです。
すぐに潜在意識に任せることができれば、ただちに何事もうまくいくはずですが、長く生きている人ほど心が固くなっていますので、場合によっては大変です。私は、最初にこの本を読んだ時は19歳でしたが、もう十分に偏見を持っていました。それでも、わずかの効果があっただけだとしても、ある程度はうまくいったわけです。
私の場合、何はさておいても、ジョセフ・マーフィーであったと思います。
尚、私はある時期、マーフィーなどの成功法則の批判者になりました。少しばかり世間でうまくいくようになり、世間知というものが大きくなっていたのだと思われます。しかし、慈悲深き神がその反動を逆境という形で与えたのかもしれません。以前より、冷静な自信を持ってにマーフィーの法則を捉えるようになりました。
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【あなたも幸せになれる】
私が最初に読んだマーフィーの本で、私のバイブルです。自分の中に無限の力があることを自覚するのに、最も有効なものだと思います。
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【マーフィー 努力嫌いの成功法】
上記、「あなたも幸せになれる」の文庫版です。原題は“THE COSMIC ENERGIZER:Miracle Power of the Universe”(宇宙のエネルギー供給者:この世の奇跡の力)という壮大なものです。宇宙の活力とか、宇宙電源といったような意味でしょうか?
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【眠りながら成功する】
マーフィーの成功法則の、最も代表的な本です。翻訳は、大島淳一さんこと、あの渡部昇一さんです。渡部さんも、若い時からのマーフィー心棒者です。マーフィー法則の論理的理解に最適です。
文庫版もありますが、文庫版は2冊に分かれますので、こちらが便利かもしれません。
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【マーフィー 眠りながら巨富を得る】
「眠りながら成功する」の実践編と言われることもありますが、分かりやすさや実用性が高く、非常に親切に書かれている雰囲気を感じました。
おそらくは、マーフィーも(私もです)尊敬していると思われる、アメリカ最大の思想家エマーソンの引用も適切になされており、好感が持てました。
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2010.03.13
「引き寄せの法則」や「ザ・シークレット」、「潜在意識の法則」などの成功法則が信じられない人も多いのではないかと思います。
「これらを教える本の著者や、DVD等の製作者達は、馬鹿な人達をその気にさせて儲け、ほくそえんでいるのだ」と思っている人も少なくは無いと思います。
数多くある成功法則は、本物でしょうか?
珠玉混合で、良いものも悪いものもあるのでしょうか?
私は、そんなことはどうでも良いと思います。
我が国でさえ、あまり知られていませんが、江戸末期に黒住宗忠という、偉大な神道家がいました。
この宗忠が好んで話していたお話があります。仙人になりたがっている者に、誰かが仙人になるためのデタラメな方法を教えます。しかし、教えられた通りにやってみたら本当に仙人になったというものです。
実は、こういったお話は、お伽噺にもよくあると思います。
また、浄土真宗の開祖である、親鸞聖人のこんな話が、「歎異抄」にあります。
浄土宗の教えは、「ナムアミダブツ」の念仏を唱えさえすれば極楽浄土に行けるというもので、修行をする必要も、善行、徳行を積む必要も一切ないばかりか、悪人であっても、ただ念仏をしさえすれば良いのです。
唯円という修行者が、親鸞聖人に、自分の信心が足りないのではないか、つまり、この教えを心の底から信じていないかもしれないことを悩み相談します。
すると、親鸞は、だいたいこんなことを言います。
「私も、圧倒的な確信があるわけではないのだよ。だけど、私は、法然上人から教わったこの念仏の教えを信じるしかないのだ。だって、難しい修行を達成するような能力はないからね。だから、たとえ法然上人に騙されているとしても、それで良いのだよ」
確かに、世の中には怪しい教えも少なくはなく、実際に、そういった教えを説く教祖等が逮捕されるという話もあります。
しかし、教祖等の指導者が逮捕されたような団体の教えを信じて立派なことを達成した人も、本当は少なくはないのです。
あるインドの聖者は、悪意のあるような教えの中にも真理はあるものだと言います。
タオイストで知られる英文学者で詩人、画家の加島祥造さんは、嘘のない真理はないとまで言います。
誰がなんと言おうと、信じたいものを信じれば良いと思います。
ただし、最低限、自分を守る知恵だけは持っているべきです。
あまりにお金のかかるものや、やりたくもないことを強要される教えは、それが悪いとは言いませんが、他をあたった方が良いかもしれません。
お金のかからない、素晴らしい成功法則が沢山ありますから。
ただ、いかにお金をかける必要がないと言いましても、書籍やDVDを買うお金程度をとやかく言うのは、成功法則以前の問題ではないかと思います。
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マスターの教え
税込でわずか1050円で、すぐに読めるので、時間やエネルギーを使い果たすこともありません。
そして、闇雲に信じることをむしろ戒めています。
一般的な意味でも、学ぶべきことは多く、まずは、この本から始めるのも良いと思いますが、これが究極の1冊になることも珍しくはないと思います。
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信念の魔術
1948年に出版され、現在も世界中でロングセラーを続ける本です。
著者ブリステルは、疑うことが専門ともいえるジャーナリスト上がりで、本書でも、その鍛え上げられた慎重さを強く感じました。
その著者が、長い年月をかけ、自ら体験し、多くの人々に実践させて確信したことを文章にしたもので、非常に好感の持てるものであると思います。
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2010.03.12
人生が順風でない者の方が幸運であるかもしれない。
なぜなら、人間には弱い部分もあり、そこそこにうまくいっているだけでも、現状維持に固執するものであるからだ。ましてや、他人がうらやむような状況であればなおさらである。
しかし、そのような状態は、実にもろいかもしれない。それは、ひどく頼りないものに依存しているのではないだろうか?
人間は、順風である間はものを考えないものであるし、進歩しないものだ。
逆境になってはじめて目覚めるのだろう。
だが、順風であった者が逆境になった当初は、以前の良い状態にもどろうとあがくものだ。もし神が慈悲深ければ、より大きな逆境を与えて、その者を目覚めさせようとするかもしれない。
神と書いたが、それは、本当の自分のことであると考えれば納得しやすいかもしれない。本当の自分は、自分で思うよりずっと賢いのだ。
それなら、こういう結論に至る。自らに逆境を与えたものに頼ることだ。そうすれば、真の幸福が得られる。
逆境で駄目になるのは、逆境を与えたものが味方であることをいつまでも理解しないからであり、それに頼ることをしないからではないかと思う。
自分に頼るとは言っても、自我に頼るのではない。真の自己に頼るのである。偉大な精神科医のミルトン・エリクソンは「無意識を信頼しろ」と言ったが、無意識(潜在意識)は意識(顕在意識)よりはるかに大きいのであるから、それは合理的なことだ。エリクソンは、あまりに見事に心を治療したので、魔法を使って治していると言われたほどだった。
逆境になり、自分で考えるようになると、以前は全く見えなかったものが見えるようになる。
決して、以前と同じ思想、信条、慣習のままで、以前思い描いていたような幸福を得るのではない。それではまた、以前に逆戻りで、やがてまた逆境になるだろう。
本当の自分に頼ることを早くに始めれば、苦しみはそれだけ少ないはずだ。
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私の声はあなたとともに
17歳という、最も活動的で楽しいはずの時にポリオにかかり、目玉しか動かせなくなったという逆境が、ミルトン・エリクソンを神のごとき偉大な精神療法家にしたのかもしれません。
まず、この本で、無意識に頼ることの意味を掴めば、非常に有利になるのではと思えてなりません。
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眠りながら成功する
潜在意識の法則で世界的に有名なジョセフ・マーフィーの代表的な本です。
マーフィーは世俗的な成功を大いに説いていることから、場合によっては誤解を受けることもあるかもしれませんが、本人は極めて簡素な生活を愛した叡智ある思想家で、その数多くの著書は慈悲心に満ちていると思います。
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2010.03.11
私は、間違いなく社会的不適合者なのでしょう。
ニートや引きこもりはもちろんですが、通学、就労していても、学校や会社に行くのが苦痛で楽しくない人というのもまた、社会的不適合者なのだと思います。
おそらくは、社会不適合者の方が正常で、問題があるのは社会の方なのでしょうが、社会を批判するのが今回の趣旨ではありません。
極端に言えば、ナチスが支配するような社会で、社会に適合していれば、果たして人間として適格者と言えるかは疑問です。日本も、明治時代あたりからは、表向きは良い社会を取り繕っていましたが、社会そのものは暗黒時代に向かっていたのかもしれません。
一般に、社会的不適合者というのは、人間関係に難があると言われますが、学校や会社等、所属する社会に意義を感じることができれば、多少問題のある性格を持っていても、人間関係なんか、そう悪くはならないものだと思います。つまり、人間関係がうまくいかないのは、その者と社会のどちらが良いか悪いかということはさておき、社会に価値があると思っていないからなのだと思います。
イエス・キリストなんてのも、間違いなく、社会的不適合者だったはずです。そして、彼が「幸せな人だ」と言った、貧しい者や虐げられる者というのも、社会不適合者であることは明らかです。一方、社会的適合者である「富める者」が、天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと言います。
社会的不適合者を社会に適合させようという意見や活動はよく聞きます。
しかし、仮に表向きは適合しても、その者が楽しいはずがありません。その見本のようなのが私だと思います。
社会的不適合のまま生きる道が説かれることはほとんどありません。
しかし、いまや、社会的適合者の不幸が目立ってきています。高学歴者や社会的成功者、高収入者らは、表向きはどう見えていても、実は、かなり悲惨なのかもしれません。
大切なのは、社会的不適合者であっても、自分を責めないことです。同時に、社会も責めない方が良いでしょう。批判する相手には力を与えてしまうものです。それを理解することは知恵の一つです。
むしろ、社会に対し個人的には無関心になり、社会の中で評価されないことや、果ては、狂っていると思われることを恐れないことが大切と思います。
このあたりは、仏教学者のひろさちやさんが、「閑吟集(かんぎんしゅう)」という室町後期の歌謡集からヒントを得た「ただ狂え」の哲学として、見事に生きる道を説いています。
まあ、ひろさちやさんは、東大を出て、著書も400冊以上出したりと、なかなかの社会適合者に見えますが、彼は学生時代から学校や社会に違和感を感じていたようですから、まあ、まけておいてやろうではありませんか?(笑)。
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「狂い」のすすめ
現代も、そして、これまの社会でも、狂ってこそ豊かに楽しく生きられる。人生に意味なんてない。「生きがい」なんて、支配者が庶民をたびらかすペテンに過ぎない。
本書で、「ただ狂え」の哲学を身に付け、人間らしく生きるのも良いかと思います。
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無責任のすすめ
社会が狂っていることを、なぜ我々が責任を取らないといけないのか?騙されてはいけません。我々に責任はありません。
正しい無責任にならないと、人生が非常に厳しいものになります。
単なる逃避・・・でも別に良いのですが、仏教の知恵を借りて、無責任力を磨きましょう。
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マーフィー 努力嫌いの成功法
私は、引きこもり、ニートでも、この本のおかげで苦労なくやってこれたと思います。
社会的不適合は恥ではありませんが、不幸であることまでも勧めるわけではありません。文庫化する前は「あなたも幸せになれる」のタイトルでした(現在も、同タイトルの新書版は継続販売されています)。
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あなたも幸せになれる
上記の本の新書版。私をニートから脱出させた有り難い本です。決して、欲望肯定のみの本ではなく、深遠な教えに貫かれています。
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2010.03.10
将棋は駒の向きで敵味方を区別するが、チェスでは駒の色が白と黒に塗り分けられている。
刀や槍を使った実際の戦では、兵士の向きは当然変わるが、敵味方の区別のためには、何かのマークを付けておくよりは、チェスのように色分けした方が区別しやすいに違いない。
サッカーやラグビーなどでも、概ね、ユニフォームの色がチームごとに異なるが、模様も違うのが普通で、色盲であったとしても区別が付くだろう。
サッカーやラグビー、あるいは、本当の戦では、明確に敵と味方がいる。サッカーなんてのは、代理戦争と言われることもあり、本当の戦争よりははるかにマシであるが、ほとんど戦争と同一視する者もあり、それで国際試合が異常な熱狂を呼ぶという話もある。
ところで、友達がいないからか、あるいは、単なる趣味かもしれないが、一人将棋、一人チェスをやったことのある方も多いはずだ。私もよくやった。もちろん、友達がいないからであるが(笑)。
ところが、一人将棋や一人チェスを、あまりに熱心にやっていると、本当に敵味方が存在するように感じてくることがあるかもしれない。
これが、数千年前からの人類の状態ではあるまいか?
アラン・ワッツは「タブーの書」の中で、小さい子供が一人で、お父さん役、お母さん役、子供役などをこなして遊んでいるうちに、自分ひとりであることを忘れてしまったのが、やはり今の人間の姿であると言う。
「アミ 小さな宇宙人」で知られるエンリケ・バリオスは「魔法の学校」という、文字通り、魔法を修得するための本で、「あなたはあなたの世界の神だ」と繰り返し主張しているが、やはり、ほとんどの人間がそれを自覚しないからだ。
ジョセフ・マーフィーも「あなたは、あなたの世界で唯一の考える主体だ」と言う。
さて、では、「私の世界」以外の世界なんてあるのだろうか?
「ザ・シークレット」の中で、それを美しく表現してあった。「太陽はあなたのために昇り、星はあなたのために輝く」と。
自分は無力であるばかりか、世界の支配者であり、世界に対して大いなる責任を持っている。それを明晰に悟ることが、簡単に言えば悟りであり、覚醒なのだろう。
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エンリケ・バリオスの魔法の学校
「アミ 小さな宇宙人」で知られるエンリケ・バリケスが、冗談が飛び交う楽しい魔法学校を開校し、段階的に魔法使いに育ててくれるというもの。ただし、真剣に就学することは強要される。
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タブーの書
普通の人に明かしてはならないことが書かれているという意味で「タブー」なのだと思う。もちろん、真理はタブーを破った場合にのみ知ることができる。
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マーフィー 努力嫌いの成功法
ジョセフ・マーフィーの成功法則は、決して欲望を叶える安直なテクニックではなく、深遠な真理が秘められている。ただ、それをあまり前面に出さないような配慮はあるのかもしれない。そこにも、マーフィーの意図があるのだと思う。
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2010.03.09
私は、楽天主義という言葉が、なぜ楽観主義と同じ意味なのか疑問であった。
一応の答は、楽天株式会社の社名の由来が、「自分の境遇を天の与えたものとして受け入れ、くよくよしないで人生を楽観することを意味する楽天」であることが、社名由来データバンクに掲載されているが、いまひとつ納得できない。
ネット上でいろいろ調べても分からない。
白楽天という名で知られる中国の大詩人、白居易(772年~846年)は、字(中国で、男子が成人後、実名のほかにつけた名)を楽天と言った。
この白楽天の詩風が、初期のものは別として、のびのびとした楽観的なものであったらしいので、案外、このあたりから、楽観主義を楽天主義と言うようになったのではないかと推測する。
白楽天について、面白い話がある。
史実ではないと思うが、「史記」に、孔子が老子を尋ね、教えを請う風を装いながら議論を吹っかけ、自分の賢さを示そうとしたが、逆に老子にやり込められてしまうという話があるらしい。
孔子をけなすのは「荘子」にもよく見られる。ただ、「荘子」では、孔子は老子のような神人ではないまでも、人としては最高の賢者として描いていると言って良いと思う。
その老子について、白楽天は「老子を読む」という詩を書いている。
まず、老子の有名な、「言う者は知らず、知る者は黙す」を引用する。これは、自己顕示欲を戒めるものと言われており、老子は他にも、「優れた旅人は、車のわだちや足跡を残さない」として、善い行いをしても、それをひけらかしてはならないと言う。
しかし、白楽天は言う。「じゃ、なんで老子は『老子(道徳経)』なんか書いて残したの?」
そういえば、ソクラテスは自分では著作をしなかったし、そのソクラテスを崇拝した明治、大正の偉人、岡田虎二郎も、ほとんど死の直前に、自分が書いたものを全部燃やしたという。
言うまでもなく、イエスも自分では何も書いて残さず、彼の言葉は、12人の使徒と呼ばれる高弟のうち、4人が書き残したもので知られている(別の使徒が書いたものも発見されているらしい)。
ニュートンだって実はそうで、彼の科学の研究は、本業である神秘学の合間にやったようなものだったらしいが、それら聖書やオカルトの研究に関してはほとんど燃やしてしまったようだ。
ではなぜ老子は・・・というのも、言われてみればうなづける。
とはいえ、「老子」が老子自身の著作であるかどうかは分からないし、そもそも、老子の存在を疑問視する向きもある。
私も、老子は人としては存在しなかったのではないかと思う(定説では存在が肯定されている)。
誰かが、自分では意味が分からないながら、霊感を受けて書いたのが「老子」かもしれないと思う。
そのようなことは、例がない訳ではない。例えば、名曲の誉れ高いフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、ある日曜音楽家が一夜の霊感を受けて制作したものだ。そういったことは、歴史の中にはありふれているかもしれないのである。
世の中で鍛えられた大人の楽天主義(楽観主義)は良いものだ。
しかし、若い楽天主義にも楽しいものがある。
アメリカの偉大な精神科医ミルトン・エリクソンの父は、16歳で家出をし、出来るだけ遠くへ行くためのバス代で全財産を使い切った。着いた村で偶然出逢った男に、「聡明な若者を一人雇わないか?」と言って仕事と住居を得た。その上、その家の娘まで嫁にもらった。
ヘレン・ケラーは言う。「人生は無謀な冒険か無かのどちらかだ」
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戦国策
有事の時にその知恵で役立つためだけに雇われている食客達の物語です。世俗での最高の知恵は、所詮、戦争の時に発揮されるようで、事業家、政治家には戦記の愛読者は多くいます。
「戦国策」は、世俗の知恵の宝庫と言われています。
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人生の扉をひらく「万能の鍵」
1897年にアメリカで出版されてから百年以上、世界で読み継がれる成功哲学の古典である本書は、徹底した楽観主義を唱え、楽観主義の力を示しています。
フォード自動車の創業者ヘンリー・フォードは、自分の成功の要因はこの本にあるとし、親しい人に無償で配ったといわれています。
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私の声はあなたとともに
アメリカの偉大な精神科医ミルトン・エリクソンがセミナーで語った物語を分かりやすく文章にした貴重なものです。
意志の力で楽観主義になることは、場合によっては難しいか不可能と思います。本書のユニークな数多くの物語は、読者の無意識に働きかけ、心を癒します。
17歳の時、ポリオという病気で目玉しか動かせない状態になっても積極さを失わなかったエリクソンは、かなりの楽天家であると思います。
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2010.03.08
「わくわく」する感覚を嫌いな人は少ないと思う。
アメリカのダリル・アンカを通し、チャネリング(精神交流)によりメッセージを伝えていると言われている、エササニという星の宇宙人であるバシャールは、ワクワクする感覚が最も重要で、ワクワクすることをやれば全てうまくいくといった意味のことを教えていることを、バシャールの本でよく見た。
ところで、バシャールのメッセージの和訳では、「わくわく」という意味をどんな意味で使っているのだろうと思うことがある。
「わくわく」の語源は、「沸く沸く」か「湧く湧く」だろう。
「沸く」は沸騰するという意味で、興奮する様子と思う。
「湧く」は生じるという意味で、「わくわく」で生じるものは、おそらく「想い」だろう。
英語で「わくわく」を表現すると、“be excited”(興奮する)と共に、“be nervous”、つまり、ナーバスになると言い、これは神経質とか落ち着きがないといった意味だ。
こうしてみると、「わくわく」というのは、落ち着きのない、心が揺れ動いている状態で、決して好ましいとは思えない。
「わくわく」と共に、楽しい雰囲気を表す言葉に「うきうき」がある。
こちらは、「浮き浮き」で、浮くのは心である。
ただし、いわゆる、緊張してあがるということではなく、心が軽い状態と思う。
昔から、非常に良い気分を、「天にも昇る気持ち」と言ったり、素晴らしい愛や夢を、飛ぶとか、舞い上がるといった表現をすることが多い。
また、「高い」という言葉自体、「高貴」や「高尚」といった良い意味で使われ、良いもの、素晴らしいものを「高い」「高度」と言い、非常に優れた人物を「雲の上の人」と言う。
それに、天使は飛ぶものだ。
逆に、地獄は地の底にあると言われる。
考えてみると、「うきうき」という言葉の方が「わくわく」よりはるかに優れているのであるが、おそらく、「浮き浮き」の意味で「わくわく」を使う人もいるのではないかと思う。
英国の作家、チェスタートンは、
Angels can fly because they take themselves lightly.
天使は、自分が軽いと思っているから飛べるのだ
と言うが、軽いのは体重ではなく、心と捉えるべきだろう。
面白いことに、英語で「うきうき」は、“with a light heart”で、心の軽さを表すのだ。
人間にとって、最大の幸福とは、心が軽いことではないだろうか?
いかなる富や地位があろうと、心が重ければ不幸だし、何もなくても、心が軽ければ幸福だ。
そして、心が軽ければ、それが力になる。心が軽い人間は無敵だし不可能はない。これこそが、人間の本当の神秘である。
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波動の法則
優れた精神が、実際に軽く、空間的にも高い位置にあり、逆に、低い精神性は地に潜るほど重いことを波動理論で説明しています。どうすれば、周波数の高い、軽い心に出来るかも分かると思います。また、この本には、心の周波数を高めるような仕組みがされているようです。
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マジック・ストーリー
読むか聞くかするだけで、幸運に恵まれ不可能がなくなるという、著者不明の短い古い物語です。
1900年に「サクセス・マガジン誌」に掲載されたものが密かに読み継がれ、百年を経て書籍化された不思議な本です。
心が軽くなることと関係が深いと思われるので、ご紹介します。
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2010.03.07
学校や会社に行くのが憂鬱で気が重いという人は多いと思う。
大半の人が実際はそうであると思う。
解決策はあるかと言うなら、簡単に言うが、ある。
よくよく気をつけなければならないことがある。
ほとんどの人が、状況が気分を作ると考えているはずだ。それで、状況を変えようとする。
ここが不幸な勘違いなのである。
気分さえ良ければ、状況なんてどうでも良いのである。
日本の演歌の定番に、愛する人に妻や夫、あるいは、恋人がいることを嘆くというものがある。
なぜそんなことで嘆かないのいけないのか?
気分さえ良ければ、望まなくても良いことばかりが起こる。
ただし、気分を良くしようとしてつまらないことをするから、どんどん気分を悪くすることが起こるのである。
ただ、ほとんどの人が気分をコントロールする方法を全く知らない。
食べたり、飲んだり、遊んだりして気分が良いのは、ごく一時だけである。
ストレス解消のための行為は、そのすぐ後に惨めな気分をもたらすだけである。違うだろうか?
天使というものは、気分をコントロールする術の象徴である。
中国では仙人である。日本では隠されてしまったが、おそらく仙人の姿の影響を受けたと思われる天狗に顕れている。
憂鬱で気が重い天使や仙人や天狗などいない。(「嘆きの天使」なんて映画があったが、嘆きの天使とは単に人間である。)
彼らは皆飛ぶが、まさに、その言葉に表れている通り、気が重いと飛べない。
ところで、「気が重い」という言葉は誤解を招くので使ってはならない。「心が重い」と言うべきである。土台、「気が合う」だの「気が変わる」「気合い」「気紛れ」といった「気」を使う言葉が全て、実際は「心」の作用を表しているではないか?
「気」などという曖昧な言葉は使ってはならない。
結論として、心が軽ければ万能であり、愉快であり、空も飛べ、安らかに一生を送れる。
幸福の秘訣なんて、どうすれば心を軽くできるかである。
当然だろう?人の本当の望みは、心を軽くすることであるのは明白ではないか?
百億円あったって、心が重ければ幸福でないし、1円もなくても、心が軽ければ幸福である。
そして、心が軽ければ金なんていらないし、心が軽ければ、金なんていくらでも出来る。
で、その心を軽くする方法であるが、中国の古典には、空を飛ぶ方法、あるいは、風に乗る方法といった言い方で教えている。
なんでこんな言い方をしたかと言うと、やはり支配者は、庶民にそんな秘法を知られることを恐れたからである。
支配者は、それを隠すために「ザ・シークレット」みたいなものを定期的に庶民に流行らせるようでもあるのだ。
え?空を飛ぶ方法がどこに載ってるかって?
「荘子」や「列子」に載っている。「荘子」は「列子」を引用しているが、より深い。よって、より難しい。
初版の「グリム童話」には頻繁に語られている。
後は、直接、天使に聞けば良い。
この「天使に聞く」というのも比喩である。
心をコントロールできるのは無意識だけである。天使とは人の無意識である。
理屈で「荘子」「列子」「グリム童話」を読んでも、何も分からない。ただ穏やかに面白く読めば良い。解釈本など、決して見ないように。
本物の「秘密」を封じた3冊を以下にご紹介する。
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2010.03.06
現在(2010年3月)、映画「涼宮ハルヒの消失」も上映されている、谷川流さんの小説「涼宮ハルヒシリーズ」は、2007年の「涼宮ハルヒの分裂」以来、中断されているにも関わらず、アニメDVD、漫画、画集、ゲーム、音楽CD、その他玩具が次々発売され、人気は衰えないようだ。
作品は、一見、中高校生向けの娯楽作品なのであるが、実は極めて深遠なもので(それを前面に押し出すことはないが)、主な読者層である若い人を中心に、意識を覚醒させているのは間違いないと思う。
「涼宮ハルヒシリーズ」は俗にライトノベル(若者向け小説)と呼ばれるものであるが、1965年に「中学三年コース(学習研究社)」で連載開始され、何度もテレビドラマ化、映画化され、今年(2010年)は、ついに、その主人公である和子の娘を主人公にした映画まで制作された、筒井康隆さんの「時をかける少女」がライトノベルの元祖と言えるかもしれない。
面白いことに、「涼宮ハルヒシリーズ」には、朝比奈みくるという未来から来たらしい美少女が登場するが、主人公のキョン(高校1年生男子)は、小説中でこの朝比奈みくるを「時をかける少女」と呼んだことがあった。これは、明らかに筒井康隆さんのその作品を意識してのことだろうし、ある程度の年齢の読者なら、大半がそれで何のことか分かるくらい、「時をかける少女」は国民的作品であると思う。
また、「涼宮ハルヒシリーズ」といえば、いとうのいぢさんという女性イラストレーターによる人物デザインと挿絵が有名で人気があるが、なんと「時をかける少女」の、カバーイラストおよび巻頭イラストをいとうのいぢさんが描いたものが出版されている。尚、いとうのいぢさんは、2008年に「ファウスト」誌で連載が開始された筒井康隆さんの小説「ビアンカ・オーバースタディ」の挿絵も描いている。
ただ、いとうのいぢイラスト版「時をかける少女」には、私の好きな「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」が収録されていないのが残念である(別の短編が収録されている)。
「涼宮ハルヒシリーズ」の主人公、涼宮ハルヒはひどく風変わりな女子高生である。
高校入学時の、クラスでの自己紹介「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい。以上!」と言った挨拶は歴史的なものになると思う。
ところで、ひどく風変わりといえば、昔から芸術家と天才科学者と相場が決まっている。
もし、涼宮ハルヒが、岡本太郎さん、池田満寿夫さん、横尾忠則さんに逢ったら、どう反応するか考えてみると楽しい。
岡本太郎さんが、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者かどうかは知らないが、おそらく、ハルヒは彼を大いに気に入り、ことによっては最強のコンビになると思う。岡本太郎が、ハルヒが作り出した神人を見て「爆発だ!」と叫ぶのを見たいものである。
横尾忠則さんは、普通に宇宙人、超能力者、霊能力者を信じていると思う。電車を画材にでっかい目を描くといったことはハルヒ好みと思うが、横尾さんの独自性をハルヒがどう捉えるかが問題と思う。
池田満寿夫さんとなると、案外にハルヒは「まともなヤツ」と思うかもしれない。池田さん自身も著書に「私に狂気はない」と書いていた。彼に狂気が無いとはとても思えないが、確かにまともな部分が多いと感じる。著書で彼は、「想像でなら何でもありだが、現実にしてはならないことがある」と言い、この世の汚点にデリケートな反応をする人で、本質的に非常に優しい人であると思う。彼の著書を読んだ女子高生から「あなたの芸術は理解できないが、あなた自身を好きになったので工房を訪ねたい」という手紙をもらうと、恥ずかしいという理由で返事を出さない人だった。実際、彼の著書を読むと、好きにならずにいられない人だと思う。
ハルヒのファンの方も、岡本太郎さん、池田満寿夫さん、横尾忠則さんの芸術や著書に挑んでもらいたいものだ。
もちろん、ハルヒファンに限らず、これら世間を超越した大芸術家に親しみ、その中で苦しんでいる狭く硬い殻を壊し、自由に愉しく生きたいものである。
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2010.03.05
激怒したり、屈辱を感じたり、ひどく恥ずかしい思いをしたり、極度に緊張した時、「頭に血が昇る」という状態になることがよくあります。
そんな時、実際に、顔が真っ赤になることが多く、本当に頭部に血が昇っていると思われます。
ところで、普通に考えると、頭に血が昇るというのは、脳が血液を必要とするからで、それにより思考力の上昇がありそうなものですが、実際には、頭に血が昇った状態では、思考力は著しく低下しており、ほとんどの場合、思考力はほとんど無くなっていると言えるほどです。
つまり、本来は、過激な感情を感じた時に、頭に血を昇らせる必要はないことが分かります。
そして、頭に血が昇るとロクな結果にならず、そんなことがない方が絶対に良いはずです。
確かに、恥らって真っ赤な顔で動揺している美少女は可愛いかもしれませんが、少女本人はあまり楽しくはないはずです。
強い感情というのは、元々は緊急事態に起こるものだったはずです。つまり、猛獣が現れて危険が迫っていたり、高い所から落下しそうになるといった状況です。
そんな時は、逃げたり、戦ったり、しがみついたりするための体力を瞬間的に増強するため、多量の空気を吸い、肺は血液に酸素を取り込み、心臓は血液を活発に循環させます。
知性が発達するにつれて、様々な緊急事態が出来てきました。身体の進化は脳の進化に追いつかず、身体は緊急事態は全て危険と認識して血行を急激に促進します。
おそらく、頭に血が昇る理由はこうです。
緊急事態となり、血行が盛んになっても、腕や脚等が運動しないと、別のところに血を送らないといけません。その場合、どんな時でもある程度のエネルギーを消費する脳に血を送ることになります。
ところで、緊張し過ぎると、いわゆる手足が凍り付いて動かなくなることがよくあります。つまり、手足に血が巡っていないのです。これは、手足に血を送る必要が無いというよりは、むしろ、何らかの事情で、積極的に頭部に血が送られていると考えた方が良いでしょう。
そして、緊張すると、歯をかみ締めたり、顔をこわばらせたりして、首から上の筋肉を激しく使うことが分かります。アゴや顔の筋肉は、アクションが少ないので、さらに力を込めようとし、そのための血液が送られてきて、結果、脳に血がさらに送られるのだと思います。アリほどではないとしても、人間もアゴの力は凄まじいもので、その強力な筋肉を働かせるには多量の血液を必要とします。
年配者が卒中を起こすのは、運動中よりはトイレの中が多いと思います。トイレで力む時も、歯を食いしばったり、表情を強張らせるものです。そうすると、頭に血が昇り、多量の血液に頭の血管が耐えられなくなるわけです。
さて、こう考えると、頭に血が昇った状態から冷静になるには、首から上のリラックスが大切であることが分かります。
ではどうするか?
笑えば良いのです。身体の中で最も強力な筋力を持つアゴを弛緩させることがまず大切です。歯をかみ締め、恐い顔をして笑うことはできません。つまり、笑えばアゴの筋肉は緩んでいます。
出来るだけ、静かに穏やかに微笑んで下さい。普段から微笑むことを習慣にすべきです。
微笑を忘れなければ、何事もうまくいきます。
アゴだけでなく、表情を作る筋肉は意外にエネルギーを必要とします。険しい顔ばかりしていると、失敗が多く、あげく、卒中になりかねません。
首から上はリラックスし、穏やかにすることです。額というのは、自覚するよりはるかに大きく緊張しているものです。時々、指でマッサージし、緊張をほぐすのも良いでしょう。
また、肉体的な危険でもない時に気分を荒げないことです。そうすれば、心臓は無理な血行を促進しません。そのためには、過剰な酸素を取り込むのを避けます。つまり、穏やかな呼吸をすることです。
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静坐のすすめ―岡田式
静坐というのは、正に不必要に頭に血を昇らせない秘法で、人間のアンバランスな進化を調整する働きをするものであると思います。
明治、大正の偉人、岡田虎二郎は、人間を「頭の人」「胸の人」「腹の人」に分け、腹の人こそ真の大物であると言いました。あくまで余談ながら、「金?腹に力が付けば、金はいくらでもできます」と請け負っています。
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HARA 腹意識への目覚め
英文学者、詩人、画家であり、タオイスト(老荘思想家)として知られる加島祥造さんが、病をきっかけに腹の神秘に目覚め、その膨大なバックグラウンドを駆使して鋭く考察した類稀な書です。
腹とは、かくも神秘的で重要なものであることに気付かされ、驚愕せざるをえませんでした。
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無意識の幻想
「チャタレイ夫人の恋人」で世界的に知られる作家D.H.ロレンスが、自らがひれ伏すほどの腹の偉大なる神秘を語ります。そこには、人間や宇宙の真理にまで至るとてつもない秘密があるように感じます。
しかし、初っ端のところで、「これを読まないことをお勧めする」「すぐ、この本をくずかごに捨てなさい」「それでも読むなら止めはしないが、責任も持たない」と著者は警告します。それは伊達ではありません。宇宙を解き明かす気がないなら、わざわざ社会を捨てることになるリスクを冒す必要もありません。
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2010.03.04
昨日、話題にしました、1975年に連載が開始された「悪魔の花嫁」という漫画作品の主人公は、伊布美奈子という名の女子中学生でした。
美奈子は、美の女神ヴィーナスの生まれ変わりであるという大変な美少女ですが、その他の点では、ごく普通の女子中学生です。ただし、この「ごく普通」は、1975年当時においてはと言えると思います。現在、この漫画を読むと、美奈子が中学生であることには大変な違和感があります。つまり、大人っぽ過ぎるのです。ただし、それはあくまで、精神面、人格面においてです。
現在なら、美奈子を中学生に設定することはないと思います。そして、たとえ高校生にするとしても、非常に大人っぽい女子高生ということになると思います。
1967年に、筒井康隆さんが書いた「時をかける少女」の主人公、芳山和子は中学3年生でした。
1983年に映画化した際には、芳山和子は高校1年生に設定されました。それでも、原作の芳山和子より幼い感じでした。
2006年のアニメ映画では、表面的なストーリーは変わりましたが、根本的な内容はさして変わっていなかったと思います。しかし、主人公の紺野真琴は高校2年生でした。
2010年の映画では、主人公の芳山あかりは、原作の主人公の芳山和子の娘という設定ですが、大学入学直前となっています。
根本的に、若年者向けのSFラブ・ストーリーであることから、多少ストーリーが変わっても、主人公の女の子の雰囲気は同じようなものになりやすいですし、実際、そうなっていると思いますが、時代と共に、主人公の年齢が高くなっています。
これは、女性の幼児化を確実に反映しているのだと思います。
日本で、男性が精神的に幼児化していることは、かなり昔から分かっていたと思います。その分、女性のリーダーシップの強さが目立ちました。しかし、現在は女性の弱さが目立ってきました。最近耳にする、肉食系女子という、積極的に男性にアプローチする女性は強いわけではありません。全く逆で、男にすがりたい弱い女がなりふり構わなくなっただけです。強い女、いい女は自分からは動きません。
ところで、男性の場合は、かなり鍛えられてきたような男でも、どこか幼い面があるものですが、男にはある程度の子供っぽさは必要なものです。しかし、昔から、女性は現実的だと言われるように、そのような役割を担うように出来ているのだし、そうでなければ問題があると思います。女は現実面で、強く、大人っぽくなければいけません。
男性が荒唐無稽と思える夢に邁進し、女性が現実面を支えるというのは古いと思われるかもしれませんが、女性には子供を育てるという重要な仕事があり、こればかりは、現実的でないと務まりません。男性も子育てをすべきという意見もありますが、肉体的、精神的に、子供を育てるのは、女性の適性がはるかに高いことは間違いがないと思います。
子供時代に原因のある、おかしな人間が増えているのも、女性の幼児化と関係がないこととは思われません。
「悪魔の花嫁」や「時をかける少女」を読むと、主人公の女子中学生達はとても魅力的ですが、それは、単に可愛い少女としての魅力ではありません。また、この2作品では、彼女たちの性的魅力に関しては、ほとんど描かれていません。
大人になる少し前の少女の本当の美しさを見ることができるように思います。
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時をかける少女
1967年(昭和42年)の作品ですが、中学校の様子などは、根本的には現在と全く変わらないと思います。
「時をかける少女」の和子はもちろんですが、収録されている素晴らしい短編、「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」の主人公の女子中学生、女子高校生も、とても素敵な少女達で、年配の人はもちろんですが、若い人でも懐かしい感じを抱くかもしれません。
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悪魔の花嫁(1)
ギリシャ・ローマ神話を題材とし、人間世界の慣習や常識を簡単にひっくり返すストーリーは文芸作品としても優れたものであると思います。
主人公の美奈子は、美少女な上、明らかにお嬢様っぽい雰囲気はあるのですが、強い意志と慎みのある、理想的な女性であると感じます。
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NHK少年ドラマ・アンソロジー
NHKで制作・放送された、「時をかける少女」を原作とするテレビドラマ「タイムトラベラー」の最終回が収録されています。現在では信じられないことですが、当時のNHKは、ビデオ撮影したドラマは、ビデオテープが高価であったため、次のドラマで上書き使用されたので、原版は残っておりません。これは、当時、極めて珍しかった家庭用ビデオで録画されていたものが発見され、別の音源と組み合わせてDVD化したもののようです。
主人公、芳山和子は原作通り、中学3年生になっています。
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2010.03.03
「悪魔の花嫁」という、1975年に連載が開始された古い作品であるに関わらず、いまだ出版され続け、さらに、中断はあるものの、現在でも継続中である漫画作品がある。
そのお話の1つで、あるサーカス団で、同僚の空中ブランコ乗りを殺した男がいた。その事実を知っていた男がいたが、彼は黙っていた。彼は、「人を殺すにはよくよくの事情があったのだろう」と言う。
同僚を殺した男も、最後には殺されることになる。男は言う。「人を殺すには、よくよくの事情があるのさ」と。男は、自分が殺される事情が、自分には罪のない誤解であることは分かっていたが、それ以上、何も言わなかった。
1934年のアメリカ、インディアナポリスのプロレスリングの試合で、ジョージ・トラゴスという名の老レスラーが、バスター・エドワードという、全米アマレス王座を獲得してプロ転向し、1年弱でスターダムに躍り出てきた若い選手と戦った。トラゴスは、試合開始わずか2分ほどで、鍛え上げた関節技でエドワードの左肩を破壊した。エドワードは左腕を切断しなければならなかった。
「悪魔の花嫁」で、男が同僚を殺した「よくよくの事情」や、自分が殺されることになる事情も、客観的に見れば、他愛ないものと思われるかもしれないものだった。
トラゴスがエドワードの肩を破壊した事情は、バスターズや、その試合を組んだプロモーターに、プロレスリングに対するリスペクト(尊敬)がなかったからだった。
いずれの事情も、私は肯定はせぬまでも、納得してしまった。
悪意はなくても、人の心は残酷なことを本気でやってしまうものだ。
「灼眼のシャナII(セカンド)」というアニメの主題歌「BLAZE」に、「守りたいものに、今、羽を付けて、尊厳を取り返しに行く」という詩がある(作詞はKOTOKOさん)。
現代のアニメソングの詩はなんとも凄い。
トラゴスが守ろうとしたものこそ、プロレスリングの尊厳だったと思う。
人が守ろうとしているものをリスペクトし、いかなる場合も決して蹂躙してはならないことを忘れるべきではない。
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悪魔の花嫁(8)
主人公の美奈子は女子中学生で、確かに女子中学生らしいのだが、この表紙の絵に違和感が無いほどの「女」でもあったと思う。
本文のお話は、この第8巻に収録。
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2010.03.02
八百長というのは、簡単に言うと、筋書きがある勝負という意味と思う。
八百長という日本語は、八百屋の長兵衛さんが、碁で手加減したところから来ており、本来は、八百長とは「手加減」ということになる。
英語では、八百長に相当する言葉はa fixed game(決定された試合)と言い、やはり、「あらかじめ筋書きの決められた試合」といった意味と思う。
よく、大相撲で八百長があったとか、フィギュアスケートや体操競技等の審判員が買収されているとか、プロレスは八百長だよなんて話を聞く。
オリンピック等、八百長があったとしても規模が大き過ぎたりで露呈(あからさまになること)する可能性がほとんどない場合は、「買収」とか「圧力がかけられている」といった表現になるようだ。
しかし、八百長のないスポーツなんて存在すると考える方がおかしいのではないだろうか?
どんな試合でも、絶対に筋書きや手加減のないスポーツなどあり得るはずがない。
この世に、完全にクリーンな営みがあるはずがなく、ましてや利益が絡む人気スポーツ競技ではなおさらである。
子供の競技ですら、そこに関わる人間の心が影響する。それで不利な判定を受けて学ぶことも含めてスポーツなのだ。
さらに言えば、いかなる選手や審判員でも、自分が完全に公明正大であるなどと言えるだろうか?
自分では私心がないつもりでも、誰にでも偏見はあるし、実際には、色々なものに意識的、無意識的に影響されているのである。
そして、筋書きに従うことが、必ずしも不正を意味するとは限らない。
八百長を無くそうなんていうのは、全ての人間の思想および利益を統制でもしないと不可能だ。
そもそも、八百長があったとして、何がそんなに問題なのだろうか?
誰が勝ち、誰が金メダルを取ろうが、我々に何の関係があるだろうか?
なぜ、たかがスポーツ、たかが金メダルと思わないのだろうか?
スポーツの勝敗に我々が過剰反応することをやめれば、スポーツは誰にとっても欲望を満たす手段でなくなり、八百長をする理由もなくなり、自然、よりクリーンなものになるのではないだろうか?
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やわらかなボール
幼い時から、テニスのネット審判の道一筋に精進した偉大なネットアンパイヤーは、遺書で、生涯たった一度の不正を告白した。
その不正行為が間違いであることは認めるが、果たして彼を非難することが出来るだろうか?イエスは「罪のない者から石を投げろ」と言ったが、現代人は自分を省みず石を投げるかもしれない。
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世界のプロレス レトロ編#3 鉄人ルー・テーズ 完結編
プロレスには筋書きがあるのではという厳しい質問に、史上最強のプロレスラーと言われるルー・テーズが堂々と答えるインタビューが収録されています。
そのテーズの全盛期の歴史的な名勝負3試合も収録。テーズの、相手選手に致命傷を与えないための深い配慮を流智美氏が解説しています。
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2010.03.01
美人を口説く時、どうするでしょうか?
礼儀正しい態度を取り、彼女の言うことに逆らわず、彼女の意向を優先し、気遣いを忘れず、彼女が喜びそうなプレゼントを用意し、可能であれば高級車で送り迎え・・・
もし、そんなことで口説ける女なら、ロクな女じゃないですから、やめておいた方が良いですね。
しかし、彼女が美人な上、苦労して口説くに足る女なら、まあ、そんなやり方ではうまくいかないでしょう。
なぜなら、それは、モテない女の口説き方ですから。
合気道の最高の達人と言われる藤平光一さんの「氣の威力」という本に、藤平さんが算数嫌いの小学生の男の子を算数で一番にした話があります。
藤平さんは、その男の子に、「算数の勉強はしなくていい。だけど、1日1回、算数の教科書を開いて、『算数が好きだ』と言え」と指示しただけです。
藤平さんは、「好きだ」と言えば氣が出るから、氣の力で算数が出来るようになったと説明していますが、ちょっと無理を感じます。以前は私も無理矢理納得していましたけどね。
方法自体は正しいのですが、氣に関しては、そういった考え方も有り・・・程度で良いのではないでしょうか?
藤平さんのやったことは、単に心理作戦として正しかっただけです。
勉強嫌いな子に勉強しろ勉強しろなんて言ったら、ますます勉強しなくなるのは当たり前じゃないですか?
しかし、世の中の親や教師の大半はそんなことをしているのではないでしょうか?
さて、美女の効果的な口説き方が分かりましたでしょうか?
え?分からない?
困ったものです。
しかし、大丈夫です。すでにあなたの無意識はノウハウを蓄積しましたので、無意識を信頼して美女に臨めば、きっとうまくいくでしょう。
駄目押しにもう1つ教えておきましょう。
アメリカで、19歳の青年が自動車を買おうとしましたが、その州の法律で、未成年者が車を買う時には、大人の許可書が必要でした。彼には、身近に適当な知り合いがいませんでした。
青年は、警察に行き、警察署長を捕まえて、許可書にサインするよう頼みました。
「君は正気か?」
「正気でないように見えますか?」
「いや」
警察署長はサインしました。
青年はその後、度々警官に車を止められ、同乗者を不安がらせたようです。ただ警官達は、自分達のボスにサインさせた青年を見たかっただけでした。
最後の話は、私が最近お薦めの、「私の声はあなたと共に」の「12.操作と未来志向性」にあります。
その青年は、この本に収録されたセミナーの講演者である偉大な精神科医ミルトン・エリクソンの息子です。
よりよく理解したいなら、面白いですから、その章を一読すると良いでしょう。
美女の口説き方はなかったと思いますが、エリクソンの娘が、狙いをつけた男の子に、向こうからデートに「誘わせた」話が面白いです。また、彼女が使った手法は、上にあげた美女の口説き方とは異なったものですが、実に効果的な方法で、多くのことに適用可能です。
尚、上に述べた美女の口説き方と同じ趣旨のことが、幼い女の子達にも人気があった漫画「カードキャプターさくら」(CLAMP著)にありました。
「この世で一番楽しいことは何だか知ってるかね?スピネル」
「なんですか?エリオル」
「予期しないことが起こることだよ」
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私の声はあなたと共に
何度もご紹介し恐縮ですが、これほどの本があまり読まれていないことが、私には信じられなくなってきました。
1982年出版。エリクソンがセミナーで話した数多くの珠玉の物語は、読者の無意識に影響を与え、読者は無意識を信頼すると共に、無意識は信頼に応えると思います。これこそ、本物の自己変革であると思います。
尚、そういった無意識への働きかけと洗脳との違いも説明されていますのでご安心を。
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