親への恨みは根深い障害になる
多くの宗教で、人間を「神の子」と表現することがある。
そのような場合、当然、神は人間の親であり、実際に神を、「親神様」「親様」「父」「大親」などと呼ぶようである。
しかし、平然とそのような言い方をし、教える宗教は、無配慮な点が無いかと疑問を感じることがある。
人によっては、「親」という言葉に対するイメージがひどく悪く、その言葉が、恐怖や陰鬱の感情を呼び起こすこともある。そんな人は決して少なくは無く、特に、近年の日本では多くなっているのではないだろうか?
親の愛、特に、母親の愛は無条件に素晴らしいと思うのは、あまりにおめでたいことであろう。母親には実は愛はなく、子供を支配するためにそう見せかけているだけであると、それなりの根拠をもって断定する精神分析学者もいるほどである。
それはともかく、親に対する感情の影響は、我々が考える以上に大きい。
「心身医学の父」と呼ばれる、ドイツ人医師ゲオルク・グロデックは、「エスの本」で、母親を憎む女性は子供を産まないと書いているが、全てそうでないとしても、やはり、親の影響は根深いことを思わせるのである。
宗教で言う、人が神の子であるという概念は良いものであると思う。しかし、やはり、それに適応できない者は絶対にいると思う。
ところで、仏教では、人の姿をとって現れた仏を「化身」と呼んでいる。また、キリスト教でも、イエスを神の化身とするのが一般的である。
仏教やキリスト教そのものでは、仏、あるいは、神の化身とされるのは、釈迦やイエスといった、まさに、生き仏、生き神であるが、全ての人間が本質的に仏や神の化身であると言って良い。
神の子という表現に抵抗があるなら、神の化身、仏の化身という表現を使うのも手と思う。
特に宗教的な考え方ではなくとも、宇宙全体が、物質というよりは、精神のようなものと言って良いと思う。いくらかでも科学的に表現したいなら、この精神を情報と呼んでも良いと思うが、精神と言った方がまだ適切と思う。
魂と呼ばれる、我々の精神の本質は宇宙を構成する精神と同質のものであり、この宇宙の精神は、人の表面の精神である心(自我、顕在意識)と潜在意識(無意識)によってつながっている。潜在意識がクリアできれいであれば、人は宇宙全体と一体である。そうなれば、宇宙全体の力、エネルギー、活力、知恵と一体であり、それを自在に駆使できるというのが、ジョセフ・マーフィーやチャールズ・ハアネルの考え方と言って良いと思う。そして、これこそ、人が完全な神の子、仏の子、あるいは、神の化身、仏の化身であることを証明できる状態である。(証明できなくても、本来人は、神や仏の子、あるいは、化身である)
潜在意識をクリアにするというのは、そこに、汚れたものを溜めないことだ。汚れたものとは、偏見や世間の教義といった幻想である。本来、世間のしきたりとかルールといったものは、必要最低限で良く、後はそれぞれの自由意志で思考、行動すれば良いはずなのであるが、一部の人間達が大衆を支配するために勝手なルールを作って人々に押し付けた。それが大衆の持つ根深い幻想であり、人が神である宇宙の精神とつながることを妨げている。今の世界は、これがあまりに進行し、人々の潜在意識はガラクタ置き場、ゴミタメ場よりもひどい状態だ。
潜在意識をクリアにする方法としては、闇に光を当てれば闇が消えるごとく、真理を知ることであり、最も手早いのが、真理が書かれた本を読んだり、真理の教えを聞くことであるが、ご存知の通り、真理の書と称して幻想の本を与え、真理の教えと吹聴して幻想の教えを広める者が極めて多い。ある意味、何も信じないというのは正しい態度である。ラマナ・マハリシは、心自体を根絶する方法を教えた。それが、「私は誰か?」と問う自己探求である。自己が自己を問えば、表面の自己である自我は自ら滅びるのである。潜在意識の中のガラクタは、自我に依存してしか存在できず、それで潜在意識をクリアにできる。日本でも、ある遊女が、仏僧に、ただ「私は誰か?」という想いだけを持てと言われ、それを信じて行ったことで悟りを開いた。そんな話もある。
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