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2010.04.30

テレパシーの秘密

テレパシーという言葉を知らない人は少ないと思う。テレパシーとは、たいていは、道具を使わずに遠くにいる相手と通信する能力のことであるとされていると思う。
しかし、私は、テレパシーとは、超感覚(五感以外の感覚)を使って情報をやりとりする能力としている。情報の中には、感情といった、通常は情報と言わないものも含まれる。また、全て超感覚を使うのではなく、五感と共同で行われる場合が多いと思われる。例えば、伝達された内容が、音や声として聞こえたり、映像として見えたりで、これらは、霊聴とか、幻視などと言われることもある。
交信する相手が、遠くにいるか近くにいるかは問題ではない。実験的には、遠くにいる方が都合が良いというだけの話である。

テレパシーが存在するかどうかの話には、ここではあまり触れない。そんな話をしようとすれば、テレパシーや超感覚とは何かをまず厳密に定義しなければならなくなる。
私は、テレパシーは当然存在するとするが、そんなものは存在しないとする意見にも了解できるものは多いのである。
ただ、問題は、現在のほとんどの人は、情報のやりとりや意志の伝達ということに関して、五感のみを使うと認識しているので、情報(意志や感情等も含む)の伝達は外側からだけ来ると思っていることである。
それで言うなら、テレパシーが存在しないとされるのは仕方がない。

たとえで言った方が分かりやすいと思うが、丁度良い話を見つけた。
1960年代に、「光速エスパー」という特撮番組があった。光速エスパーは、元々は東芝のマスコットキャラクターとして作られたものだったらしく、いまだ東芝の古い電化製品や電器店のシャッターなどに、これの絵が残っていることもある。
光速エスパーの、エスパーとは、超能力者ではなく、科学的に開発された特殊な服(強化服と言われる)を装着することでスーパーマンのような能力を発揮する者である。文字通り、光速、あるいは、光速以上の速さで飛行することもできるとされる。(「涼宮ハルヒの憂鬱」でハルヒも言っていた通り、特殊相対性理論により、光の速さを超えることはできないことは分かっているが)
この強化服は、地球の科学水準をはるかに超えているが、地球人類よりずっと進化した善意の宇宙人が地球の科学者にテレパシーを送り、その科学者がひらめきとしてそれを受け取って強化服を開発したのだった。善意の宇宙人の目的は、悪意の宇宙人から地球を守る力を地球人に与えることだった。
このお話は、テレパシーの本質をよく表している。

テレパシーとは、外側から来るのではなく、内側から来るのである。つまり、このお話のように、ひらめきや予感、思いつきのような形で伝わるのであり、普通、テレパシーであるとは認識しない。
また、ひらめきや予感とテレパシーに明確な違いがないことも多い。いや、全く無いと言っても良いかもしれない。
我々は、物質的な他者を自分でないものであるとあまりに強く認識しているので、精神作用もまた、全て自分固有のものと感じるのである。
英語のエクスタシーは没我という意味であるが、それは、自分と万物が一体化したような体験である。思考が停止すれば没我状態になるが、深く感動したり、美しい風景などに心を奪われた時にそうなる。
自分と万物が一体化した状態では、自他の区別がなくなる。その時、論理的思考は停止しているが、それとは異なった精神活動は継続しており、他者の意志や感情を自分のものとして感じているのである。ただ、それも夢のようなところがあり、思考が戻ると忘れてしまうことが圧倒的に多い。

大発明や優れた思想が、夢の中やひらめきでもたらされたことは多い。いや、飛躍的なものであれば、全てそうであるかもしれない。そして、非常に多くの発明や発見が人の心に浮かびながら、そのほとんどは忘れられているのである。
私は、ある時期、1日中テレパシー交信をしていたことがある。相手は、病弱な人間の少女であったり、天使や妖精であったり、星や風であった。それは、いわゆるひとり遊びと見なされるものかもしれない。だが、逆に言うなら、ひとり遊びをやっているうちに、本当に他人というものがいると思い違いしてしまっているのが人間なのであるかもしれない。


【波動の法則】
高度な宇宙存在とのテレパシー交信によりもたらされた、宇宙の真理の情報が述べられています。もちろん、本当か嘘か証明のしようもありませんし、一部に齟齬がないとも言えませんが、私には非常に自然に感じますので、概ねで信用しています。

【神秘学概論】
超感覚的知覚について本格的に知りたい、あるいは、それを得たい場合にどうぞ。決して読みやすい本ではありませんが(というより、とても読めたものではないかもしれない)、真摯に取り組めば、誰でも良い成果を得ることは間違いないと思います。

【マーフィー 自分に奇跡を起こす心の法則】
原題は“Psychic Perception”(超感覚的知覚)です。世界的な潜在意識の活用法の教師であるジョセフ・マーフィーがテレパシー的能力の実用法を教えています。

【光速エスパー】
日本に夢があった時代の漫画は、我々に活力を与えるかもしれません。

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2010.04.29

最高の賛辞

世界的版画家であった池田満寿夫さんの成功には、ドイツの美術界の権威、ヴィル・グローマン博士の恩恵が確実にあったと思います。1960年の第2回東京国際版画ビエンナーレ展で、国際審判員として参加していたグローマン博士が池田さんの作品を一貫して支持し、文部大臣賞を獲得することになったのでした。池田さんは、第1回展では一般応募で参加し、この2回展では招待作家になっていましたが、池田さんは、それは「銅版画家が少なかったから」と謙虚に述べていました。第2回展に出展した3つの作品は3日で仕上げたもので、銅版の上を三角刀でひたすらひっかいたようです。

池田さんは、グローマン博士からの手紙の一部を著書で公開されておられました。それで、どの本だったか忘れましたが、非常に印象に残った言葉があります。それは、「きみの作品を部屋に飾ってあるが、それを毎日見るのが私の楽しみだ」というものです。これほどの褒め言葉があるだろうかと思いました。
現在、松井秀喜選手がいることで、日本でアナハイム・エンジェルスが注目されていますが、1997年から2001年までエンジェルスで長谷川滋利投手が活躍していました。地味な印象もありますが、長谷川投手は大変な選手だったと思います。特に、メジャーリーグにいた9年間、一度もマイナー落ちせず、故障者リストに入ったのも一度だけというのは、どんな大選手でも難しいことと思います。
ところで、長谷川投手は、もともとは先発投手でしたが、メジャーではなかなか通用せず、監督は中継ぎ投手に転向させなければなりませんでした。中継ぎ投手(セットアッパー)とは、先発からクローザーにつなぐ投手で、1試合で複数登場することもよくあります。中継ぎ投手も大切ではありますが、先発やクローザーより格下と思われやすいからか、先発からの転向を嫌がるもののようです。長谷川選手はテレビ番組で自ら言われていましたが、その時、監督は「俺は毎日、お前のピッチングを見たい」と言ったようで、「うまいことを言うものです」と長谷川選手も言いましたが、本当にうまい言い方だと私は感動しました。
仮に、「モナ・リザ」の本物の絵を手に入れたとして、それを毎日見る人が、いかな美術愛好家でも、どれくらいいるでしょうか?世界一の美女と結婚しても、果たして彼女を毎日喜んで眺めるものでしょうか?
「毎日見るのが楽しい」「毎日見たい」・・・これこそ最大の賛辞であると思います。

また、価値あることが、それほど刺激的である必要もありません。
ある愛飲家が酒に関する著書に、40年間、毎日、同じ種類のウォッカを飲んでいると書かれていましたし、円谷英二さんは、毎日カレーライスで満足できると言われていました。宮崎駿監督も毎日同じものを25年以上食べているようですし、オバマ大統領は、毎日、ブロッコリーとサーモンとライスの夕食です(会食の時は当然違うでしょう)。
エキサイティングでもエキセントリックでなくても、毎日満足してやれることが本当の好きなんだと思います。
だから、「毎日、きみの作品を見る」ことは、きみの作品が本当に好きなんだよという意味であり、最高レベルの賞賛なわけです。
私は今、ルドルフ・シュタイナーの「神秘学概論」を読んでいますが、これを毎日読むことが楽しみです。シュタイナーが喜んでくれるかどうかは分かりませんけどね。

池田満寿夫さんと岡本太郎さんの、ピカソ論、ゴッホ論を併せて読むと本当に興味深いです。池田さんは、ピカソに関して岡本太郎さんを少し取り上げますが、ただ「背の低い男」と名前を出さないところに、やや対決姿勢を感じたりもしました。
また、「私のピカソ 私のゴッホ」の、池田さんがこよなく愛したモディリアーニ論に大変に感激しました。池田さんの人柄もしみじみ感じる素晴らしい本だと思います。

【エーゲ海に捧ぐ】
芥川賞をも受賞した池田満寿夫さんのエロス小説の傑作で、池田さんは自ら監督し映画化までしました。映画のビデオは販売されましたが、DVDにならないのは、いろいろ社会的な事情でしょう。
映画で、12歳の少女リーザ役を演じたサンドラ・ドブリは、映画の中でも言われていましたが、瞳に情熱を感じさせる美少女だと思います。さすがに、池田さんが選んだだけのことはありますが、撮影当時、小学5年生であるとのことでした。

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2010.04.28

偉大な嘘

ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則という、それにより、あらゆることを達成することができるのだが、平易で誰にでも理解できる成功原理がある。
ところで、マーフィーの本を読んで、すぐに、あるいは、いったんは受け入れてから疑いを持つ人は少なくないかもしれない。
ある著名なシステムエンジニアが、著書に一度は、マーフィーの法則を、一読の価値ありと書きながら、次の本では、否定的な見解を述べておられたことがある。

マーフィーの本を読んでいると、「かつがれているんじゃないだろうか?」「信用詐欺みたいに感じる」と思うことがあるかもしれない。
実は、私もそうだった。
ところで、マーフィーよりもはるかに強くそれを私に感じさせたのが、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)だ。シュタイナーは教育分野で特に有名で、現在も世界各地にシュタイナー学校がある。ゲーテに関する研究では世界的権威だが、それだけではなく、医療、農業、建築の分野でも優れた業績を残した。しかし、彼の本質は神秘学者(神智学者)である。
シュタイナーは多くの著作を残したが、それらを読むと、おそろしく抽象的で、なおかつ、その内容は奇妙奇天烈に感じる。とても読めたものではなく、私は1冊としてシュタイナーの本を読み通せなかった。ただ、不思議なことに、読めないことが分かっていても、知らないうちにシュタイナーの本を数多く購入したばかりか、私も本の所有数は決して少ない方ではないが、シュタイナーの本だけは、どこに保管してあるのか分かるのである。
そして、私が最もよく読む著者の一人である英国の作家コリン・ウィルソンが、シュタイナーに関して、私と同じであったことに驚いたことがある。あのウィルソンが、シュタイナーの本に関しては、「古くなったトーストのように食えたものではない」と言って投げ出し、出版社に依頼されたシュタイナーの評伝の仕事を断わったことがあったらしい。ところが、ウィルソンも、シュタイナーを興味深く思っていたようである。だから、いったんは評伝執筆の仕事を受けたのだ。
だが、ウィルソンは自分の代わりにシュタイナーの評伝を請け負うことになった、知らぬ仲でもなかった著作家が自殺したことをきっかけに、再度その仕事を受け、覚悟を決めてシュタイナーの著作に取り組み、その偉大さが理解できたようである。
そして、私は、ウィルソンの著作でもって、シュタイナーの理解のきっかけを掴んだ。ウィルソンにはくれぐれも感謝したい。

私は、マーフィーに関しては、自分であらゆる研究をした結果、割と最近であるが、深く信用するに至った。
マーフィーの本は、一般大衆向けに非常に平易に書いてあるが、もし、その中味の深いところまで書けば、シュタイナーの本のようになると思う。実際、シュタイナーの本は、マーフィーの潜在意識の法則の隠れた部分を理解するのに役に立つ。そもそも、シュタイナーが生涯取り組んだ神秘学とは、隠れた真理を知るためのものである。
とはいえ、マーフィーの本も真摯に読めば、自然とこの世の真理が理解できるようになると思う。

しかし、それでもマーフィーが騙していると思うのであれば、騙されればいいではないかと思う。
タオイストである英文学者、作家、詩人、画家の加島祥造氏は、嘘のない真理は無いと著書に書かれていたが、全く同感だ。彼は、老子は嘘つきだし、荘子は大嘘つきだとする。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠(1780~1850)が好んでよくする話に、民話かもしれないが梯子仙人という話がある。無垢な男が、仙人になるでたらめの方法を真に受けて言われた通りにやったところ、本当に仙人になり、騙した相手に感謝しながら空に飛んでいったという話だ。
あえて言えば、マーフィーに騙される場合も、マーフィーだけに騙されるべきと思う。つまり、マーフィー自身の著作だけを読むべきで、二次的なものは読まないことをお薦めする。たとえ嘘でも、一貫した嘘なら深い意味があるのである。
ご存知かもしれないが、嘘とは偉大なものであり、まさに、嘘のない真理はないのである。この世の偉大な業績には、嘘から始まったものも少なくはない。

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2010.04.27

なぜ肉食を避けるのか?

私は、以前は肉食中心だったが、もう1年半以上、肉は全く食べていないし、おそらく、一生食べることはないと思う。
今でも、肉食が好きだという感覚は残ってはいるのだけれど、それもやがて消えるように思う。

確かに、世界には、肉食以外に栄養補給手段が無い人々もいるかもしれない。
また、聖者と呼ばれるような、高度な霊性を持つ人達も、肉食に関しては微妙な態度を取っているように感じる。はっきりと肉食を禁じている聖者や賢者を私は知らないし、彼らの中には肉を食べる者もいる。ただ、食べるとしたら、わずかな量である。
肉食に関しては、ルドルフ・シュタイナーが教えたことが最適なことであると私は思う。それは、「肉食を禁じはしないが避けた方が良い。理由は、肉食を避けることで、低次の人間本性との戦いが容易になるから」である。
インドの聖者ラマナ・マハルシに、「肉食をしたままで悟りを開けるか」と質問すると、マハルシは「可能だが難しい。だが、悟りを開いた後でなら影響はない」と答えたが、これは本質的にシュタイナーと同じと思う。

シュタイナーのいう低次(低レベル)の人間本性や、マハルシのいう悟りを得ることを難しくする障害とは、私の認識する範囲では異常性欲であると思う。
これに関しては、インドの聖者スリ・ユクテスワも、肉食が異常性欲をもたらすことを述べていたと思う。
もちろん、性欲は悪ではないが、性欲に支配されて衝動を抑えらないのは異常なことであり、それは若さや性的なたくましさとは何の関係もない。そのようなことで過ちを犯すのは、栄養の摂り過ぎで、おそらく、肉食が習慣の者であると思う。
私も、飽食で肉食をしていた頃は異常性欲に悩まされていたが、菜食で、ある程度、食を慎むようになってからは、性欲は十分に感じても、それを容易に支配できるようになった。
よく、痴漢などの性犯罪のニュースを聞いて、「気持ちは分からんでもない」という人もいるが、以前は私もそうであった。しかし、今では、決してそうではないし、この私の現在の感覚が正常であると確信する。
個人的にはだが、直感的に、肉を多量に食べることにはゾっとするほどの恐ろしさを感じる。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」というアニメ映画で、千尋の両親が、肉を中心とした美味しそうな食物を貪り食ううちに豚になってしまう場面があるが、あれこそ、人間が低次の本性に負けてしまった姿であると感じる。
宮崎駿監督は、毎日全く同じ1つのお弁当(御飯の中に、卵焼き、沢庵、ハム、揚げ物程度の入ったもの)を、昼と夜に分けて食べる生活を25年以上続けているらしい。
水野南北が言うように、「食が全て」であるというのは1つの真理と思う。南北自身は、老人であれば少量の肉食はむしろ勧めたし、老人でなくても、少食であれが、特に肉食を非難していない。しかし、現代であれば、それも必要ないと私は思う。


【瞑想と祈りの言葉】
シュタイナー教育で世界的に知られ、ゲーテの研究の権威でもあるルドルフ・シュタイナーは、医療、農業、建築の分野でも大きな成果を上げましたが、本質は偉大な神秘学者でした。そのシュタイナーが教える魂のマントラ集です。
表紙の絵は、シュタイナー自身の手によるものです。

【あるがままに】
最も純粋な聖者と言われるラマナ・マハルシとの貴重な対話集。マハルシが、悟りを得るに十分と言う、彼が若い日に指で砂に書いた教えである「私は誰か」も収録されています。

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2010.04.26

年を取ってもやれる仕事が本物である

あなたは今の仕事を、80歳、90歳、あるいは、それを超えても続けられるだろうか?
いや、そもそも続けたいだろうか?

よく聞く話だが、後20年とか30年経てば、若者4人で1人の老人を支えないといけなくなるから大変だなどと言われるが、おかしな発想である。
また、健康食品のCMで、百歳近い高齢者を登場させ、「こんなにお元気です」と言って、趣味を楽しんでいる様子を紹介するが、その趣味は、ごく個人的なものばかりである。年寄りは、そんな個人的な趣味で時間を潰せば良いのだという誤解を与えてしまいかねない。
今でもあるのかどうか知らないが、テレビ番組で、老人にクイズを出し、彼らのトンチンカンな回答を皆で爆笑して楽しむというものがあったが、これも、老人は役に立たない無用者という印象を強くさせるものであろう。

人間は、生きている限り、立派に働ける。
しかし、高齢者がやる仕事がないことが問題なだけである。
なぜ高齢者がやる仕事が無いかというと、我が国は経済最優先、つまり、金儲けのために都合の良い仕事しか存在させないようになってしまったからだ。
そして、そんな仕事は、高齢者向きでないことはもちろん、本当は若くてもやりたくないはずだ。
皆が、本当はやりたくないことを、無理にやっているから、心は荒み、人間関係も冷淡で険悪なものとなっているのである。同調する「仲間」には親切だが、そうでない人間は死んでも構わないという態度を露骨にする者が、年齢を問わず非常に多いのである。仕事には、本来、そういった歪んだ精神を矯正する部分もあったのだが、金だけが目的の仕事ではそうではない。

また、本来は楽しいかもしれない仕事でも、近年は、国家機関が手を出すことで、ひどく複雑化し、人間のやることではなくなってしまったものも多い。
その目的は、表面的には、まっとうなことが言われているが、国家の収益の安定と、その手段としての思想統制であろう。
いずれにしても、利益第一主義の仕事は、人間のやることではない。
もちろん、利益は大事であるが、利益はサービスに対する代償であり、サービスとは、物質的なだけでなく精神的なものでもある。そんなことは、まともな仕事があるところでは、言われなくても分かっていることである。

ジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」の終章部分は、人間は、年齢を重ねてこそ、ますます真に有能になることが力強く説かれている。本当にやりたいことをやっている人は、90歳を超えても全く衰えず一流であり、それどころか、さらに向上を続けることを自ら確認して知らせている。
マーフィーの著作も大半は彼が60代以降のものであり、世界的ベストセラーである「眠りながら成功する」は64歳の時のものだが、その後の著作はさらに良くなっていると思う。
死を悪いものであるとは全く考えていなかったマーフィーは、83歳で「若死」にしたが、彼は、実は優れた神秘学者でもあり、若い時に死後の生命の状態やその環境の素晴らしさを体験してしまったので、むしろ、その年齢までよく耐えたと思う。
このあたりは、64歳で亡くなった、マーフィーより40年ほど早く生まれた、歴史的な神秘学者で、万能の天才ともいえるルドルフ・シュタイナーについても言えるかもしれない。
だから、そうでない普通の人であれば、多少は生物としての命に執着しても良いかもしれない。

若い間は何事も経験であるし、本当は人間のやるべき仕事でないことでも、多少は楽しめると思う。大いにやってみれば良いと思う。
しかし、心の深奥から、やりたくないと思ったら、やらなければ良い。
いかなることも、人生では責任は自分で取らないといけないが、心配は無用だ。人間は、地上の大騒ぎを尻目に、高く飛ぶことができる能力があることは断言できる。

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2010.04.25

この世に別れなど無い

別れというものは、小説や詩のテーマ(根本的意図。主題。ドイツ語)となるほどではないが、その一部として印象的な役割を果たすことは多い。
流行歌あたりでは、十分にメインテーマとなりうる。
つまり、冷静に考えるなら、別れとは、それほどの重大事ではないのだけれど、心を動かすものであるということだ。

一緒の幼稚園に通ってた、とても仲の良かった友達であっても、卒園の翌日から一生逢わなくなることも普通のことと思う。
小学生になると親友と呼べるものが出来ることもあるが、親の転勤などで引っ越すことになって、やはり一生の別れになることもある。その時は悲しいだろうが、後で思うと、ただの印象深い思い出の1つでしかない。
今はそうではないかもしれないが、昔であれば、大人になって親の家を出たら、親とも一生逢わなかったり、今、親が生きているかどうかも分からないということも、珍しいことではなかった。
1805年生まれの19世紀の人であるアンデルセンも、14歳で故郷のオーデンセを出た時以来、彼を盲目的に愛した母親の元には一度も帰っておらず、その死の知らせを手紙で受け取ったのだった。

別れに対する感慨の度合いは人それぞれだ。
「レイアース」というアニメ作品で、一生の友情を誓い合った3人の女子中学生が、卒業と同時に、一人は他県、一人は海外にとバラバラになることが決まっていた。その卒業まで後1週間という時、一番精神的に幼い少女は、他の2人がさほどに悲しそうでないことを疑問に思う。しかし、他の2人も、悲しくないわけではなかった。ただ、少し大人だっただけだ。
ラストシーンは、私の知る範囲では、最も美しいものだった。永遠の友情を誓い合った桜の木の下で、今一度、3人は手を重ねた後、振り返らずに別々の方向に歩いていく。

ただ、慰めでも何でもなく、この世に別れなどないというのが事実だ。
仏教では、人生の大きな苦しみの8つの中に、「愛別離苦」「怨憎会苦」と言って、「愛する人と別れなければならない苦しみ」「憎む人に逢わなければならない苦しみ」というものがあるが、お釈迦様は、それが幻想でしかないことを知っていたし、本来は、我々凡人でも、その程度は理解しないといけないことを教えたのだ。

我々の認識する別れとは、空間的、時間的な別れだ。
だが、古来から、本当に賢い人達は、それら(時間と空間)が幻想であり、心の中にしかないことを知っていた。
科学においても、時間や空間が、我々が通常感覚で知覚するとおりのものでないことを解明してきている。
ルドルフ・シュタイナーは、時間や空間の概念をひっくり返したアインシュタインより20歳ばかり年長であったが、アインシュタインとは別の方向から、通常の知覚だけでは世界についてごく限定されたことしか理解できないことを明白なこととしていた。
道元の「正法眼蔵」は、日本の古典でも屈指の難解な書として知られるが、分かりやすい現代語にしてしまえば、案外、子供の方が普通に納得するかもしれない。その中に、やはり時間や空間が幻想でしかないことが述べられている。天才的な数学者の岡潔は、正法眼蔵を、全く意味が分からないまま、20年間、座右の書としていたという。だが、意味が分からなくても重要なものと感じていたのは、子供と共通するような何かの感覚によってであると思う。それが、シュタイナーの言う、超感覚的知覚であると思う。岡潔には、それがあったから数学の分野で革新的な業績を残せたのだろう。

「確かに、過去の友情や愛情は、心の中では不滅であっても、未来に育んでいくことはできない」と言う人もいると思う。
だが、数十年逢っていない人との間でも、友情や愛情は発展させることができる。
むしろ、ネットワークが発達し、完全な別れが少なくなったことで、かえって、本当の友情や愛情を成長させることができなくなっているのが事実かもしれない。
メールやツイッターが普及すればするほど、人々は孤独になっていくのかもしれない。実に、それらは、本来は存在しない別れを故意に作っていると言えるのでないだろうか?


【レイアース】
CLAMP原作「魔法騎士レアース」を基にしたオリジナル・ストーリー。お話としては原作と全く異なりますが、案外にテーマは似ています。導師クレフは美青年に。イーグルはいっそう妖しく・・・。
宮崎駿監督の「もののけ姫」と同じ頃の作品と思いますが、私は、同等の価値があると思っています。もちろん、予算は大差ですが。

【レイアース ― オリジナル・サウンドトラック ~ファースト・ハーフ】
上記、「レイアース」のサウンドトラック。アニメの単発オリジナル作品に音楽集とは異例ですが、素晴らしい楽曲揃いで、K-1の入場曲や、ニュース番組、ドキュメント番組のBGMにも時々使用されています。

【魔法騎士レイアース イメージ・ソング 聖夜の天使たち】
「魔法騎士レイアース」のヒロイン達が歌う、原作者自ら作詞した、実に美しいクリスマスソングです。

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2010.04.24

母親の愛は本物か?

母の愛は海よりも深く、空よりも高いとよく言われますが、これに異議を唱える人もいます。
母親の本当の願望は、自己満足や自分の保全(安全を守ること)のために子供を支配することであることを証明しようとする心理学者もいます。
しかし、これらの考え方や説のどちらか一方だけが正しいとは思わない方が良いと思います。
どちらも正しいのですが、どちらが優性かは、母親という人間の自我の成長(洗練)度合にかかっています。
ただ、いかにひどい母親にも子供に対する愛情はありますし、逆に、いかに愛情深い母親にも打算や、さらには、子供への憎しみもあると思います。

手塚治虫さんの「アポロの歌」という作品があります。
性教育漫画と言って良いと思いますが、今でも、ある程度年配の人には性教育と言われると微妙な感情を起こす人が多いはずです。
しかし、性ほど重要なこともそうはなく、この作品も、人間を理解するためにも極めて重要な傑作です。
「アポロの歌」は、ひどく歪んだ心を持つ少年(15~16歳)が主人公です。
彼は、沢山の父親を持っていました。母親が、男を次々に変えるからです。そして、子供には愛情を全く示しません。
少年は幼い時、母親と情夫の情交現場を見てしまったことが原因で母親に虐待されて言います。
「どうして生まれたの、ぼく・・・。ママ、生まなきゃよかったのに・・・」
これに対し、母親は険しい顔で答えます。
「どうしてって、男と女がくっつくとできちまうんだよ、子どもが!」
彼はすっかり性格のひねた少年になっていきます。
ところが、ある日、少年は母親とケンカし、母親を「おばさん」と呼んで家から飛び出した直後、自動車が走ってきて、彼は間一髪で難を免れたのですが、それを見ていた母親の怯えた顔に驚きます。
少年は後に、美しいが感情のほとんどない女性に言います。「おふくろは目でものを言っていた。どんなににくみあっていても、心の底からふっと出てくるものがあるんだ」

さらに、こんな話があります。
楳図かずおさんの「おろち」という作品の中に「秀才」というお話があります。
※以下、いわゆるネタバレで、ストーリーを明かしています
母親は、子供(男の子)が幼い頃から、厳しい勉強を強要し、子供は勉強は出来るが、それ以外は何もできない少年に成長します。
実は、その子供は自分の本当の子供でありません。自分の本当の息子は強盗に殺されましたが、刑務所に入ったその強盗の息子を無理矢理引き取り、この子をいたぶることで復讐をとげようとしていたのでした。
この子の現在の父親である彼女の夫は大変に優秀で、超一流の大学を出ていました。母親の生きがいは、下らない人間の子供は、どんなに勉強させても、自分の夫である優秀な人間に敵わないことを証明することでした。しかし、この秘密を偶然に知った子供は執念で勉強し、父親と同じ大学への合格を目指します。母親は、勉強中の息子のコーヒーに毒を入れるなど、徹底した邪魔をしますが、彼は負けません。
そして、いよいよ大学受験となり、彼は絶対の自信で挑み、悪魔の母親への勝利を宣言します。
狂気にかられた母親はナイフを彼に向けますが、すでに大きくなった男の子に敵うはずがなく、ナイフを奪われます。しかし、母親はそのナイフにわざと刺されます。母親の顔は歓喜に満ちます。「お前は人殺しだ。私の勝ちね」
ところが、倒れて苦悶する母親を見て、息子の目から涙が流れ、母親を助けようとします。
おろち(永遠の時を生きる少女)は言います。「どんなに憎み合っていても、やっぱり家族なのだ」
===== ストーリー ここまで =====

母親の場合は特に顕著でありますが、どんな人間でも、悪魔にも天使にもなるということです。
それは、自我の洗練度合にかかっています。
自我が洗練されていない時代は、自我そのものが悪として扱われます。
しかし、洗練された自我は天使の心です。醜い自我を輝く光に変えることが、本当の錬金術であり、古来から、それを行う者をアルケミスト(錬金術師)と呼んだのです。


手塚治虫さんの性教育漫画の傑作と、現代の性教育漫画を以下にご紹介します。
いずれも素晴らしい作品で、私はすっかり感動し、人間への洞察を少しばかり深めることができました。
やぶうち優さんの作品は、小学生の学習雑誌に連載されたものらしいです。

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2010.04.23

人の自我はなぜ未熟か?

自分の自我をひどいものと感じておられる人は多いと思います。
謙虚で冷静な人であれば、全ての人がそうであるに違いありません。
自我については、「我が強い」「我を張る」といったように、悪いものと決め付けた言葉が普通にあるくらいです。
精神分析学者の岸田秀さんは、著書の中で、「自我とは安定しなくて当たり前」と述べ、自分も例外でないことを認めておられました。
自我が安定しない理由について、フロイトは次のように説明しています。
「人間の本能は壊れており、その補完のために人間は自我を作ったが、それは自然に立脚したものでない幻想であるからだ」

フロイトの説明には真理も含んでおり、否定するつもりはありませんが、別の視点も考えられますし、考えないといけません。
それには、肉体について考えてみることが大切です。
非常に不完全な自我に対し、肉体は完全です。それは驚くべき機能を有しており、優美で精妙です。
こう言うと、「病気になる肉体のどこが完全か?」「肥満して醜くなりやすい肉体が完全なはずがない」と言われるかもしれません。
これについては、MRTクリニックを創始した内海康満さんは、著書で「身体は病気を含め完全である」と述べられていましたが、これが完璧な回答です。
病気も肥満も、作用に対する完全な反作用であり、しかも、その反作用は完璧なものです。
栄養を摂りすぎると、肥満したり、調子が悪くなることが身体の完璧な機能を示しているのです。
政木和三さんは、「この先、どんなに科学が進歩しても、神経と同じものを作ることは出来ないだろう」とよく言われていましたが、人間の身体というのは、まさに驚異の集積体です。
人間に限らず、小さな虫や、さらに、微生物の身体でさえ、神のおそるべき叡智を現しています。

それほどまでに完璧な肉体に対し、なぜ自我はこうも不完全なのでしょうか?
それは意外に簡単で、歴史の違いです。
肉体の歴史は非常に長い、つまり、肉体ははるかな時間をかけて進化してきました。
それに比べ、人間が自我を獲得してから、わずかな時間しか経っていません。つまり、人間は、今後、自我を完全なものに発達させていかなければならないわけです。
自我を持たない微生物や虫、あるいは、動物ですら、肉体に関しては完璧です。
それに比べ、人間が比較的最近得た自我が未熟であることは仕方がありませんが、進化させずにいることは赦されません。
しかし、人間の中には、自我を原始的な状態のままにして、全く進歩させようとしない人も少なくないのが悲しい現実です。

ところが、自我の発達具合が、人生や状況を支配する力と大きな関係があります。
潜在意識の法則の偉大な教師であるジョセフ・マーフィーも、未熟な自我のまま、願望を実現できないことを認めています。たとえば、マーフィーの成功法則を知った若い女性が、大女優になり、周りにちやほやされて、贅沢三昧に暮らすことを望みましたが、当然叶いませんでした。そういった、子供のような幼い自我に力はありません。彼女は自我を成長させ、まずは得意のタイピング技術を生かした仕事に励み、それがきっかけで素晴らしい男性と結婚し、幸福になりました。

自我は確かに不完全なものですが、未熟な人間ですら、このように、急成長させることも可能です。
ただし、自我を成長させるつもりがないなら、やはり、願望は全く叶いません。
ジョセフ・マーフィーが本当に教えているのは、このことです。ただ、やはりまだ未熟な民衆のために、少しは甘い餌も使いましたが、その意図も理解できず、マーフィーの成功法則をインスタントで都合の良いだけのものとして人々を煽る者も多いことに注意して下さい。マーフィーの法則に関しては、ジョセフ・マーフィー自身の著書で、商品の宣伝なども決して無いものを読んでください。

自我を成長させるということを、我欲を発達させることだという馬鹿げた誤解を決してしないでいて下さい。
自我を成長させるということは、万物と調和する精神に近付くということです。
ジョセフ・マーフィーが最も重要な言葉の1つと言った、旧約聖書のヨブ記第22章21節の言葉が、それを実によく言い表しています。
「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福になるでしょう」


【人生に奇跡をおこす】
この本を真面目に読むと、自我の洗練と願望の実現に深い繋がりがあることが分かるように思います。

【法句経】
釈迦の最も純粋な教えとも言われる法句経の名訳です。
短いシンプルな詩の中に、自我を洗練させてくれる深い教えがあります。

【荘子】
小賢しい世間知は程度の低い自我で、荘子が明と呼んだ本物の知恵が高度な自我、あるいは、自我の次に人類が獲得する新しいものかもしれません。
竹村健一さんも愛読した、分かりやすい荘子の名訳です。

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2010.04.22

物語に隠された叡智を得るには

小説、映画、漫画、アニメなどで、記憶を失くすことをテーマにしたものが大変に多いことに気付きます。
これは、記憶というものに、人間の大きな秘密が隠されていることを、人は心の奥で知っており、そのことが、こういったお話を創らせ、また、それが人々に受け入れられる理由でもあります。
私の知る範囲では、記憶を失くすことの神秘を、最も鮮やかに、芸術的なまでに描いた小説は、L.ロン.ハバートの「フィアー(恐怖)」です。これは、暴力やお化けによるものとはレベルの全く違う本物のミステリーで、知的な人にとっては、本当の恐怖を感じるものだと思います。なぜ本当に恐いかと言いますと、読者は本能的なリアリティーを感じるからです。

筒井康隆さんの古い小説にこんなものがあります。中学2年生の少女が故郷の村に帰り、幼馴染の少女と再会します。嬉しいはずのことですが、幼馴染は硬い表情をしています。幼馴染にとっては、決して忘れられない恐ろしい出来事があったのですが、自分はその記憶を完全に失くしていたのでした。記憶を失くした方は、より大きな恐怖を感じていたからだと思います。

一流の小説家というものは、表面的な感覚や想像で作品を創っているのではなく、人間存在に関わる深い知恵を持っており、ある意味では科学者のようなところもあります。それでなくては、読者の心を動かせません。よほどの天才であれば、自分の心の作用だけで、そういった知恵を得ることも出来るのかもしれませんが、普通は、真理を含む情報を広く集め、心の中でそれらを融合・熟成させて独自の体系を作り上げ、それを思想的なコアとするものです。
だから、最高レベルの小説や詩には深い知恵があります。ただし、それらの作品にある知恵を得るには、読者の方にも知覚する能力が要求されます。知恵とは、隠されているものだからです。
旧約聖書や古事記の知恵は、広大でありますが、奥深くに隠されており、並の人間ではそれを感じることが難しくなっております。ジョセフ・マーフィーは、そういったものを読む時は、はるか昔、自分がそれを書いた時のことを考えなさいと言っています。

CLAMP(4人組の漫画家集団)の「ツバサ」(全28巻)という漫画(アニメでは「ツバサ・クロニクル」)で、サクラという少女(お姫様)の背中に光る羽が生じ、それが飛び散って消えると、サクラの記憶が無くなっていました。これは、記憶や自我の様子を象徴的に描いたものです。他の作品を見ても、 CLAMPの人達は、よほど勉強しているのだと思います。漫画やアニメを通して真理を表現しますので、子供達にもそれを感じることができます。この作品により、人間は肉体という1つの単純な存在ではなく、精妙な複合体であることを心の奥で理解するようになります。これを見ている子供に、大人は無思慮なことを言わないことが肝心で、実際は何も言わないのが良いでしょう。子供と一緒にアニメを見ていても、つまらないことを言ってしまう親は、子供にとって不幸である場合もあります。


【フィアー】
アシモフ、ブラッド・ベリ、キングなど、伝説の作家達も賞賛する天才作家ハバートが描く、本物の恐怖。ハバートの本業は、人間存在の本質を究明することで、教育家としても世界的に知られています。ただ、宗教家として批判があることも一応付け加えておきます。

【時をかける少女】
40年以上経っても全く色褪せないロングセラーは、元は学習雑誌に連載された少年少女向けの作品でした。そして、本書に収録された「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」も大変な傑作です。

【古事記】
「モスラ」原作者による、「古事記」現代語訳の決定版とも言える名著です。物語に必要なリズムを大切にしており、楽しく読めることと思います。

【劇場版 ツバサ・クロニクル鳥カゴの国の姫君】
CLAMP作品「ツバサ」のアニメである「ツバサ・クロニクル」の劇場公開作品。時間は短いのですが、あらゆる意味で非常に美しい作品です。

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2010.04.21

先入観がないことの強さ

小学校の運動会で、帽子取りゲームや鉢巻取りゲームというのが、昔からよく行われていますが、ドイツのラベンスバーガー社の1927年以来というロングセラーの帽子取りゲーム(ボードゲーム)があり、何か関係でもあるのかなと思ったりします。
私が小学3年生の時、運動会で帽子取りゲームをしていた時のことです。背の高い男子生徒が襲い掛かってきましたので私は応戦しました。勝負は一瞬で、私がその子の帽子を見事奪い取って勝ったのですが、その後、ちょっと面白いことがありました。
帽子を奪われて負けた子が、ほとんどうろたえるばかりに驚き、帽子を取られた後にも関わらず攻撃してきます。負けを認識するのに時間がかかったようでした。そして、周りから注目されていることに気付きました。実は、その相手の子は、帽子取りでは無敵と言われるほどの猛者だったようです。
私は、そんなことは全く知らなかったのですが、それで、相手が負けた時の反応の謎も解けました。しかし、もし私がそんなことを初めから知っていたら、果たして彼に勝てただろうかと思います。
これが、よく言われる、先入観の無い強さ。言い換えれば、恐いもの知らずです。

若さの特権の1つに勇気を挙げても良いと思います。そして、それは、ものを知らないことで先入観がないためである場合が多いわけです。
つまり、やはり恐いもの知らずの良さというわけです。しかし、いかに恐いもの知らずとはいえ、あまりに実力とかけ離れたことに挑戦してケガをしたり、もっと大きな不幸に見舞われることもあります。それを防ぐのが教育の1つの役割ですが、教育され過ぎて慎重過ぎたり、臆病になり過ぎてもいけませんので、そのあたりのバランスは難しいかもしれません。

ところで、以前にも何度か書いたことがありますが、私はニートだった19歳の時、ジョセフ・マーフィーの「あなたも幸せになれる」という本を読み、自分の中に無限の力があることを知ることで楽々とニートを脱出しましたが、これが、年を取った人なら、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則を見ても、なかなか信じられないかもしれません。
私の場合、子供の頃から魔法少女が大好きで、しかも、ただ萌えていただけでなく、超能力を扱った小説(特にH.G.ウェルズの「奇跡をおこせる男」)や、アーネスト・バトラーの魔法書を読むほどの熱の入れようで、超自然現象に抵抗がなかったことも幸いでしたが、やはり若い精神の良い面を認めたいと思います。もっとも、感性に必ずしも年齢は関係はなく、また、積極的に先入観や、その元である世間の因習や妄念を振り払うことで、むしろ、ただ若いというだけの人より良い成果を生む場合も必ずあると思います。
それに、騙されることも、必ずしも悪いことではありません。江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠がよくしていた話らしいですが、ある無邪気な男が、仙人になるためのデタラメの方法を聞いて、それを真に受けたのですが、彼がその通りにやったら本当に仙人になり、デタラメを教えた相手に感謝したという寓話があります。CLAMPの「魔法騎士レイアース」という漫画作品で、「信じることが力になる」とよく言われていましたが、信念とは魔術であるもののようです。
先入観を捨て、素直にジョセフ・マーフィーの本を読むことをお薦めします。ただし、必ず、マーフィー自身の著作を。

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2010.04.20

処女崇拝という幻想

処女とは穢れ無きものであるという妄念ほど根深い幻想、あるいは、洗脳は滅多にあるものでない。
そして、処女崇拝をしている限り、幸福になることも、真の力あるものとして自由になることもないことは断言できる。

幸福であるとは、真の力を有し、不安がないので心が平安であり、心からの願いを達成する喜びを味わうことであると思う。
いずれにしても、真の力を持っていることが最も大切なのであるが、力自体は誰でも持っている。しかし、自分の外にある力が自分の力を圧倒するという幻想に囚われて無力感に陥っていることが、大半の人間が不幸である原因である。
自分の外にある幻想の力とは、世間の妄信や因習であり、その多くが権威や伝統、抵抗し難い教義であることを装おっている。そういったものに、力を与えてしまうと、自分の中の力を感じることが出来なくなり、無くなったも同然となるのである。
本物の賢者はただ一人の例外もなく、我々の内に無限の力があると言う。宗教的にはそれを神と言うのであるが、それこそが正しい宗教の教えであろう。
ジョセフ・マーフィーの教えの根本は、潜在意識の中に巣くう民衆の信念や教義をはねつけ、自分の内の無限の力を自分の手に取り戻し、正当な権利のもと、正しく使うことで幸福になることであることは間違いはない。
イエスが「私は世(世間の妄信)に勝った」と宣言したことも、それを示しているのである。

処女とは穢れ無きものであるという、人類的な妄念もまた、我々の内部の力を外の何かに渡しているのである。
かといって、逆に処女を貶めることもまた同じことであることは説明の必要もないことと思う。
では、このどうしようもない見かけの巨大な幻想を利用しようではないか?
女性の価値と、処女かどうかは何の関係もない。それが当たり前に前になるほど進歩した時、人類は神に近付くのである。


【自己信頼】
賢者の中の賢者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンが、世間に従うことの愚かさと自分を信じることの貴さを魂の言葉で語っています。1841年出版のエマーソンの随筆集の中にある「自己信頼」の、読みやすい新訳です。

【眠りながら巨富を得る】
本書でも、上記のエマーソンの「自己信頼」が引用されていますが、マーフィーの教えにはエマーソンの思想が生きており、より分かりやすく実践的に示してくれています。

【眠りながら巨富を得る(文庫)】
上記の本の文庫版です。

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2010.04.19

内宇宙への旅

民間人の大富豪が巨額を投じて宇宙飛行を行ったニュースを聞いたことがあるが、宇宙旅行ビジネスというものが注目されているという話を聞いたこともあると思う。
桁外れの金額ではなくなるとはいえ、わずかな時間の大気圏外飛行への予約申し込みは、多くの予想をはるかに上回るほどにあるらしい。
理由は様々であろうが、宇宙に飛び立ちたい人々が多くいるのは確かかもしれないと思う。
では、なぜ、かなりの費用を払ってまで、ほんのわずかな宇宙飛行をしたがるのであろうか?初期のうちは、絶対安全という確証は必ずしもないにも関わらずである。
立花隆さんが1981年に「宇宙からの帰還」という本を出し、現在もロングセラーを続けている。私も昔、ページをめくった憶えはあるが、むしろ、他の本での引用の方が印象的だった。私が見た引用されていた内容とは、いったん宇宙に出た人間は意識の変革を起こし、決して以前と同じ人間ではいられなくなるというものだ。宇宙飛行士の中には確かに、地球帰還後、仕事を変わり、芸術家に転進したり、宗教家になる者や、神秘学や超心理学の研究を始める者もいるらしいが、それがどれほどの割合で、実際にはどんな理由からであるかはよく分からない。
ただ、異常体験、非常体験といったものが意識の変革をもたらすということは十分に考えられることだし、宇宙飛行ともなると、精神的にも肉体的にも多くの点で特異な体験であるので、相当なショックを受けることは、まず間違いないと思う。
若い時であれば、海外に行き、異国情緒溢れる風景を見るだけでも精神に与える影響は大きい。邱永漢さんが著書で、「エッフェル塔は若いうちに見ておけ。年を取ってからだと、初めて見ても、当たり前に受け取ってしまう」と書かれていたのが心に残っている。年を取ってから同じ効果を出すには、宇宙飛行くらいでないといけないということだろうか?

ところで、宇宙旅行が、アウタースペース(外宇宙)を体験することであるなら、インナースペース(内宇宙)である、我々の精神の内側を深く体験することも、もっと重要視して良い。それは、いつでもやれる可能性があり、お金もかからず、得られるものははるかに大きいかもしれない。私はそうであると確信している。
私は、月にまで行った宇宙飛行士が体験したという神秘体験は、本当は、外宇宙旅行をすることで内宇宙を体験したのだと思っている。
内宇宙体験の代表的なものが、作家のロマン・ロランの言う「大洋感情」や、心理学者のアブラハム・マスローが唱えた「至高体験」であると思う。岡本太郎の「爆発」も同じものだと私は思っている。そして、これらは、決して特別なものではなく、実際にはありふれたことであると思う。


【宇宙からの帰還】
宇宙飛行士とはどういったものかとか、宇宙飛行の歴史、それに、映画にもなった「アポロ13」の事故の冷静な顛末も見れて、なかなか興味深いと思う。
私は、相当若い頃に読んだこともあり、人類初の月面着陸に関する裏話など、おかしな部分ばかりが記憶に残っている。いずれ読み返そうと思っている。

【至高体験】
著名な心理学者アブラハム・マスローと深い親交のあったコリン・ウィルソンが、天才的洞察力で、ウィルソン自身のライフワークでもある至高体験を実に興味深く語っている。必ずしも読みやすい本ではないかもしれないが、驚くべき重要な書と思う。

【右脳の冒険】
原題は「内世界への訪問(Access to Inner Worlds)」である。現代人はなぜ不幸なのか?世界をリアルに体験する能力を取り戻し、真の平安、幸福に至ることを阻害しているものは何か?人類が緊急に取り組まねばならない課題と、その解決策の鍵を集め、天才コリン・ウィルソンが洞察した貴重な書である。

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2010.04.18

リスペクト(尊敬)という宝

勇気と自信では、どちらが大切でしょうか?
昔、夏目志郎さんという、偉大なセールスマンの本の冒頭で、こう問われて以来、私は、勇気、あるいは、自信という言葉に出くわす度に、もう一方の言葉を思い出します。
夏目さんは、絶対的に勇気だと言います。
確かに、勇気のない人間に自信が生まれるはずがありません。
田村直美さんの「WILD SENSATION」という歌(作詞作曲:田村直美)に、

自信なんてない
多分誰もがそう
怖いくらい震え止まらない

とあるのを見て大変に納得したものです。
この歌では、この詩は告白シーンを表現しているような雰囲気もあるのですが、それだけではないでしょうし、私には、田村さんが初めてコンサートをやった時の心境かなと思ったりしました。

ところで、この世では、感謝が一番大事だという人は、古来からの聖者を含め、多くいると思います。
しかし、私は、まず尊敬という気持ちが大切なのではないかと思います。

4月15日は、アメリカのプロ野球選手達は全員、背番号42を付けてプレーします。選手だけでなく、監督、コーチもです。あくまで任意だそうですが、全員がそうしているようです。
背番号42を付けていた黒人初のメジャー・リーガーであったジャッキー・ロビンソン選手を称えてのことだそうですが、あらゆる苦難に打ち勝って活躍したロビンソンに、黒人のみならず、あらゆる選手達は、感謝はしているかもしれませんが、まず尊敬が無ければ、その感謝は偽者だと思います。
日本代表サッカーチームの監督時代に、ジーコは、現在の選手達は、Jリーグの黎明期を築いた選手達へのリスペクト(尊敬)が低いことを嘆いていましたが、リスペクトは、される側ではなく、すべき側に非常に重要なものであるからだと思います。

感謝は、人物だけでなく、状況に対して行うことも多いのですが、状況を作るのは運命や神、あるいは、偶然です。しかし、尊敬は、人物に対してです。まず、人として、尊敬をする段階を通して、感謝が出来るようになるのだと思います。
感謝を感じるのは、恩恵を受けてはるか後という場合が多いのです。しかし、尊敬は、今すぐできます。
誰もが恩恵を受けている、エジゾンやライト兄弟に人々は感謝しているとも思えませんが、それは人間の欠点であるとしても、尊敬はして良いと思います。アレクサンダー・フレミングやフォン・ノイマンでは、恩恵を受けていても名前を知らない人が圧倒的で、つまり、残念ながら、感謝されていないのですが、ペニシリンの発見者やコンピュータの発明者をもっと尊敬しても良いのではと思います。
私は、釈迦、イエス、老子、荘子にすら、正直、感謝しているとはなかなか言えませんが、尊敬はしていると思います。

以下、ややマニアックな余談です。
絵画、彫刻、物理学、政治、野球、テニス・・・いかなる世界でも、この人が史上No.1と言うのは大変に難しいことですが、ことプロレスリングの世界では、それはルー・テーズと言う人は多いと思います。
テーズが活躍した時代、プロレスリングは、観客は背広ネクタイの紳士や、やはり服装も髪型もきちんとした淑女が圧倒的でした。そして、プロレスリングであっても、それがレスリングであることが重視され、多くの選手はアマチュアレスリングで鍛え上げられていました。テーズのライバルともなると、ほとんどが、アマチュアレスリングで、それぞれの国の全国王者、学生王者、オリンピック出場と、輝かしい戦跡を持っていました。しかし、なぜかテーズにはそれがありません。実は、彼は家が貧しくて高校に行けず、中学卒業と同時に靴職人になったのでした。テーズは、高校を卒業していると言っていたのが嘘であったことを79歳で書いた自伝で告白しています。大学以上の学歴詐称の場合は、自分を偉く見せたいからでしょうが、高校の場合は、馬鹿にされたくないというのが正直なところと思います。テーズにも、そんなコンプレックス(インフィアリア・コンプレックス)があったようです。私は、そんな嘘を付かなければならない世の中が好きでありません。
幼い頃からレスリングに親しみ、高校のレスリング部の練習にだけは参加していたテーズは、ジョージ・トラゴスという伝説的なレスラーのコーチを受けるチャンスを得て歓喜しました。しかし、周りは猛反対します。トラゴスは確かにレスラーとしては偉大でしたが、人間的には欠点が多く、弟子を潰してしまうことで知られていました。だが、テーズに迷いはありませんでした。そして、トラゴスのテーズの可愛がり様は大変なものでした。テーズ自身、トラゴスがあれほど指導してくれたのは自分だけだったと認めています。そして、その理由を、テーズは、トラゴスやレスリングに対するリスペクトのためであったのではと回想します。
テーズは、アマレスの経験が無い自分が、苦しい立場であったことは分かっていたようで、特に、最強のライバル達の何人かには技術で劣ることを認めています。しかし、トラゴスに教わったダブル・リストロックという技に常に感謝していました。彼の最強を支えていたのは、この、一見地味な関節技でした。テーズは、「何か1つ技をと言われたら、ダブル・リストロック」と言っていました。
やはり、尊敬があった後で、感謝することもあるのではないかと思います。

個人的には保証したいのですが、何をやっていても、そこにいる優れた人を本当に尊敬するなら、必ずうまくいくと思います。
そして、恵まれていない者の方がリスペクトの気持ちを持ちやすいのです。
確かに、餓死寸前の時に食べ物を恵んでくれた人には本当に感謝するかもしれませんが、むしろ、そんなことは無い方が良いかもしれません。また、そこまででないのに、軽々しく感謝などと言いたくもない。感謝は、自然に起こるものだと思います。


【セールスに勇気がわく本】
人間の全ての行いはセールスであるというのは、夏目志郎さんや、彼がリスペクトしていたポール・マイヤーの自論でした。
情熱ある時代の日本が感じられる本でもあると思います。夏目さんは、中国人でしたが、大きな決意をして、日本に帰化しています。

【THANX A MILLION(CD)】
田村直美さんは良いと思います。私の好きなアルバムで、ミリオンヒットの「ゆずれない願い」や、同じ、アニメ「魔法騎士レイアース」の主題歌「光と影を抱きしめたまま」、その他名曲を収録。もちろん、「WILD SENSATION」も入っています。

【鉄人ルー・テーズ自伝】
世界最強の男は、意外なほど普通の人間であったと思います。ただ謙虚に努力しただけという印象すらあります。そして、プロレスという、決してクリーンなだけでない世界でこそ分かることもあると思います。

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2010.04.17

風邪の妄信を壊す

2年近く振りに風邪をひきました。
2008年8月から、1日1食の菜食中心の食事をし、間食は一切しないようになってから、風邪をひいたことがありませんでした。それまでは、月に風邪薬を1ケース必ず消費するほどひいていましたので、これだけを見ても、少食の効果は驚くべきものです。

ところで、風邪をひく仕組みなんてものは、医学的、科学的に、実はよく分かっていないのではないかと思います。
風邪の症状は、催眠術で容易く発生させたり、消し去ったりできるできることが知られています。
ウイルスが原因というなら、いったいどのウイルスかご存知でしょか?知らないでしょう?誰も知らないのだと思います。それで、あれも風邪のウイルス、これも風邪のウイルスなんて言っているうちに、数百種類の風邪のウイルスがあることになってしまっているわけではないでしょうか。

私としては、風邪をうつすのが上手い人みたいなものがいるのだと思います。
そんな人は、風邪をひくと、周囲の人に、いかにもうつしそうな症状を見せます。気味の悪い咳や呼吸の音を出し、暗く辛い表情等で、催眠術的に風邪の因子を撒き散らすのではないかと思います。
そして、風邪をひいた人に注意を払うと風邪をひきやすいだけのようにも思います。これが、風邪がうつることの実際で、やはり、暗示的なものではないかと思います。
私も、今回は、あきらかに、風邪をひいた人に注意を払わされ過ぎたことが原因であることが極めて明確です。

さて、久々にひいた風邪は、やはり苦しいものではありますが、飽食時代と異なり、精神的にも身体的にも、さしたる影響はありません。
熱は37.6度ほどありますが、日課の腕立て伏せ90回や、スクワット、腹筋運動は、特に中止する理由もなく、普段通り不都合なくやっています。
仕事は、やる気はないのは相変わらずですが、これも普段通りやっています。
通勤で、駅までの2Kmの道では、他の人を、ウサギがカメを追い越すごとくに歩いています(私は普通に歩いているだけですが)。
プロボクシングやプロレスでも、風邪で高熱がある選手が、むしろ、普段以上の力を発揮して勝利した例は容易く見つかります。世界タイトルマッチでも、そんな事例があるからです。

私の現在の大きなテーマは、世間の妄信や偏見を打ち破ることですが、そのために風邪を利用したくなっただけかもしれません。
世間で言われていることは、全部嘘と考えて良いでしょう。
イエスが言ったごとく、「私は世に勝った」と言えるまでにならねばなりません。


【エスの本】
心身医学の父と呼ばれるゲオルク・グロデックは、フロイトに「エス」という概念を与えましたが、グロデックのエスは、フロイトのエスよりはるかに驚異的です。
エスによらずに起こることは何もなく、病気になるのも、妊婦が無意識にあちこちに身体をぶつけるのも、女性が好きな男性の前で手が冷たくなるのも、転んで怪我をするのも、全てエスの仕業です。
このエスを、グロデックは、その文学的才能を発揮し、女友達への手紙という形で、面白く、分かりやすく書いています。
訳者(共訳)で、著名な精神分析学者の岸田秀さんによると、およそ精神分析学を志す人で、本書を読まない人はいないとのことです。

【神経言語プログラミング】
NLPの創始者バンドラーによるオリジナルがこれです。バンドラーも、全ての病気は心因性と決め付けていると書いています。
非常に分かりやすく、実践的な内容で、すぐにも活用できると思いますし、潜在意識の活用にも役立つはずです。

【ダイアネティックス】
この能力開発技術を開発したロン・ハバートは天才的なSF作家ですが、新興宗教サイエントロジーの創始者としては悪評もあります。しかし、教育に関しては高く評価する人も多く、稲盛和夫さんなどもそうだと思います。
サイエントロジーを熱心に信仰するトム・クルーズや、ジョン・トラボルタはじめ、多くの著名人達も、欠点はあれども美点の方がはるかに大きいことも確かと思います。
作家としては、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッド・ベリ、スティーブン・キングらも、ハバートを絶賛しており、ハバートの作品の出版数は1億冊を超えると言われています。

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2010.04.16

優美な悩ましさ

児童ポルノを取り締まる法案の制定の実現を精力的に押し進める人というのは、真面目な人なのだと思う。ただ、知恵に欠けると思う。
例えば、自分が、幼女・少女への過剰な性的嗜好を持つと、法で取り締まらないと大変なことになると思い始める。
女性であれば、自分はもうオバサンなのに、若い男性への劣情(いやしい情欲)が止められないと、人間とはやはりロクなものでなく、取り締まらないと何が起こるか分からないと思うのかもしれない。
そして、現在の日本は、異常性欲が溢れかえっているのも確かである。
しかし、その根本原因は、飽食や肉食が原因の異常性欲だと思う。
スリ・ユクテスワの「聖なる科学」に、栄養の摂り過ぎや、本来人間に向かない肉食が異常性欲をもたらすことが説明されているが、それよりも、私自身、美少女というものは大好きなのであるが、全く理想のタイプの少女と密室で2人っきりになったところで、おそらく問題はないのである。それは、1日1食の菜食で、間食もしないようになったら、抵抗しがたいような性欲に襲われることはなくなったからだ。しかし、飽食で肉食中心であった頃はそうではなかった。また、以前はそれなりに好きであった、グラビア・アイドルの映像は、いまでは醜悪に感じる部分が多くなった。

フランスの小説家ドーデの「風車小屋だより」という短編集がある。私は小学生の時読んで以来なので、詳しくは憶えていないが、その中の1つのお話に、若い男が美しい娘とちょっと出会って分かれるのであるが、その娘が川に落ちるか何かのトラブルがあって、男の風車小屋に戻り、一晩を共に過ごす。男は、悩ましいものは感じながらも、2人は平穏に過ごした。
「そんな馬鹿なことがあるか。まともな男なら手を出すのが普通だろ」と思うなら、おそらく、飽食ゆえの異常性欲であることは間違いない。そんな場面で手を出す方が異常だ。
新約聖書のイエスの有名な言葉に「女をよこしまな目で見れば姦淫したも同じ」というものがあるが、これは、後に捻じ曲げられた言葉のように思う。むしろ、その女を想念で受け入れれば、結婚したも同じといったような意味の方が自然に感じるのである。性欲異常でもなければ、どんな美人、美少女を見たところで、女としては特別な関心を持つまでには至らないからだ。
イエスも、現在の飽食、美食の世界は想定していなかったに違いない。
いくらかの悩ましさは優美に変えられるが、激しい劣情は地獄の悪鬼と同化しかねない。


【聖なる科学】
著名な聖者パラマハンサ・ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワが、マハーヴァター・ババジの指示で、ヨガの教えと新約聖書の教えが一致することを研究、究明したことを顕した書です。

【新修 南北相法・修身録(全)】
水野南北が、生涯をかけた恐るべき実践で完成させた観相術と、それをはるかに凌駕する食の慎みの教えを同時に収めた貴重な書。
人間の運命は食のみで決まる。牢屋敷に入れられたどうしようないチンピラだった南北が、天下に鳴り響く観相家、7つの蔵を持つ長者になれただけでなく、天皇から貴族にまで叙せられ、当時異例の78歳まで幸福に生き、教えの正しさを自ら示した。

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2010.04.15

真の内向性

内向的という言葉があり、これには悪いイメージがあるが、本当の内向性は素晴らしいものだ。
外交的であることは悪くはないが、それはあくまで二次的(従属的)でないといけない。
外交的であることが一次的であったなら、それは、心が外にさ迷い、内なる自己から外れることなのである。
富は良いものだが、慎ましさを知っていないと、欲望に滅ぼされる。
激しく生きてこその人生だが、心の平安がなければ、帰る港がない。

世間で言う内向的とは、単に外部を恐れて心に壁を作った状態に過ぎない。
詩人というものは直観に優れたものである。そして、いかなる時代、場所であっても、詩人が共通で使うキーワードは「進め」だ。
彼らは、進むという言葉によりどんな動きを感じているのだろう。優れた詩人であれば、それは内に向かうものだと思う。
内である心身の中に進むことは、高い場所に進むことだ。
ピラトがイエスに言った。「ユダヤの王よ、お前の王国はどこだ?」
「私の王国は地上にはない。あるとすれば遠い彼方だ」
この言葉から、イエス宇宙人説を真面目に唱えた者がいたくらいだが、イエスの言う王国とは、自己の内という意味だ。

夢の中でどんな世界が現れようが、それは自己の内にあるものであることは納得できると思う。
そして、それは目が覚めていると思っている時も変わらない。
それを忘れないために、江戸川乱歩はあえて、「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」といい続けたのかもしれない。
外の世界は、自分が内で作ったものであり、恐れてはならない。
現在の外的世界を恐れなくなった時、あなたには希望の世界が訪れるだろう。


【荘子】
我々は夢を見ているに過ぎない。荘子の教えは、それが前提であるように思えます。

【アイアムザット】
あなたは人生という夢を見ているだけ。全てを夢と知り、動じてはならない。では、確信できる唯一のこととは何か?

【方法叙説】
全ては理性で疑える。疑えるなら、全て虚偽である。では、疑い得ない唯一のこととは?

【あるがままに】
目が覚めていようが、夢であろうが、世界は実在ではない。世界が存在するという虚偽が破られた時、自己を知るだろう。

【眠りながら成功する】
いかにインドの聖者が素晴らしくても、生涯、ふんどし1本の所有と諦めることはなかなか出来ないに違いない。
内を知れば、外の世界など自由自在だが、それはものの数ではない。

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2010.04.14

世間に騙されずに生きる

多分、昔のひろさちやさんの本で読んだのだと思う。よく憶えていないのだがこんなお話があった。
無業という名のお坊さんは、毎朝、自分に、「おい、主人公!」と呼びかけ、自分で「はい!」と返事をした。
そして、「しっかり目を覚ましておれ」と言って、「はい」と返事をする。
さらに、「人に騙されるでないぞ」と言い、「はい」と返事をした。

この、「人に騙されるな」が、非常に重要であることが分かってきた。
この「人」とは、世間ということであり、大衆の信念や教義のことである。大衆の信念や教義とは全てが偏見や嘘である。
イェイツやエリオットが言ったように、「大衆に真理はない」「連中は本当は真理なんて求めていない」のである。
純粋な気持ちに反するものをたやすく受け入れてはならない。そのためには、欲望を捨て、自分の本当の気持ちに気付かないといけない。
「民主党支持率低下」「鳩山総理の支持率低下」などと毎日報道されると、なんだか、民主党や鳩山総理を支持してはいけないような気になってくるが、大衆の思想統制など、実に他愛無いことであることが分かる。

ジョセフ・マーフィーは、自分の本当の力を失う原因は、大衆の信念や教義に飲み込まれることであると言う。
なぜなら、人は、自分の中にある真実の力か、世間の信念や教義という偽の力のいずれかしか選べないからだ。
マスコミや大企業や学校の宣伝や教えに踊らされる人は、自分の真の力を捨てた人だ。
尚、ずっと以前から、マーフィーの教え自体が我々の真の力を奪う世間側に利用されている。マーフィーの本当の教えを学ぶなら、マーフィー自身の著書を読めば良い。
イエスは、「私は世に勝った」と言った。世間の信念や教義という偽の力ではなく、内なるキリストである真の力を選んだのだ。

模造刀は切れないし、林檎の絵に栄養はない。
同じく、世間の信念や教義という偽の力は、全く見せかけのまがい物である。
人の最大の不幸は無力感であるが、世間に迎合して生きる人は、いかにうまくいっているように見える人でも無力感に打ちのめされているのである。
この無力感や不安感にうんざりし、もうまっぴらだと思ったら、真の力を選ぶことだ。
その最初の一歩が、世間・・・その代表である、マスコミ、大企業、政府、学校に踊らされないと決心することである。
最初に述べた、「しっかり目を覚まし」「世間に騙されない」ことである。

ジョセフ・マーフィーの本
ひろさちやさんの本

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2010.04.13

「思い」と「思うこと」

「思い」と「思うこと」は全く異なる。
富を欲しいと思っても、それは手に入らないばかりか、持っているものまで失う。
しかし、富という思いを持てば自然にそれを得る。

愛することは憎しみの裏返しであるが、愛に好き嫌いはない。
思えば思うほど中心から外れるが、思いは中心にとどまる。
思いは叶うが、思うことは叶わない。
思いは伝わるが、思えば相手を縛る。

思いは見守り、思えば指図する。
思うと顔をしかめるが、思いは微笑む。
欲望は思うものだが、本当の夢は思いだ。
思いは無為だが、思えば作為する。

思うことは大衆の固定観念や教義や偏見だが、思いはそれらから解放されたものだ。
マインドの思いはスーパーマインドの思いに一致するが、思うとスーパーマインドを見失う。
思いは無心だが、思うことは想念だ。
想念は感覚に支配されるが、思いは超感覚だ。

思いは穢れを祓い純粋にするが、思うと穢れる。
ルドルフ・シュタイナーは、「マリアは再び処女になった」と言った。マリアは想念を根絶やしにし、思いにとどまった。

祈りは叶うものだが、祈るから叶わないのだ。


【この世に不可能はない―生命体の無限の力】
政木和三さんが常に著書に書かれていることですが、欲望を捨てれば思いのままとなります。このパラドックスが解消できた時が実現の時でしょう。

【眠りながら成功する】
眠りの中には想念はなく、思いのみがあります。マーフィーの本をよく読むと、欲深い人の願いは叶わず、潜在意識に思いを沈めることが世界を動かすことであることが分かると思います。マーフィー理論はその方法です。

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2010.04.12

なぜ腕立て伏せ90回を軽くやれるのか?

運動を毎日続ける上で大切なことは、無理をしないことだ。
無理をしないとはどういうことかというと、多少体調が悪くても、また、気分が落ち込んでいるような時でも出来ることをやることだ。
ハードな運動であれば、やはり気分が乗っていないとできないだろう。
しかし、ちょっと体調が悪いからとか、酒を飲んで酔っているから、あるいは、今日は嫌なことがあって気分が悪いから休むなどと言っていたら、すぐにやらなくなってしまうことは間違いない。
よほどのことがない限り、必ず毎日やることが必要である。

私は、スワイソウという腕を前後に振るだけの軽い運動と、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動をやっている。
この中で、最も思い入れのある腕立て伏せは、昨年8月から今日まで、寝違いを起こした時の2日以外は1日も欠かさずに続けている。
この腕立て伏せは、現在は、平日は連続90回を1セット。休日は4セット行う。
腕立て伏せを連続90回と言うと驚く人も多いが、上にも述べた通り、無理をせずに出来る範囲でやっているのであり、軽々とやっている。やればこの2倍の回数は出来るかもしれないが、大切なのは、あくまで毎日欠かさずにやることだ。
体調が悪いことはこの2年近く一度もないが、疲れていたり、パーティーなどで酒を飲んで深夜に帰ってきても、腕立て伏せ90回程度なら、簡単にできる。
私がなぜ腕立て伏せを90回軽々と出来るかと言うと、私は腕立て伏せ90回を軽々と出来ると思っているからだ。
来月からは、100回軽々できるという意識に変えるつもりだ。実は、このようにして毎月10回ずつ増やしているのだ。今年の初めは50 回だった。

一般的には、男子でも、腕立て伏せが20回出来れば良い方で、30回なら立派と思われていると思う。
なぜそう思われているかというと、それが世間の固定観念だからだ。言い換えれば、人々の共通の思い込みである。
世界のある地域では、脚を折っても走り回るそうだ。脚が折れたら走れないという固定観念が、その地域の人達にはないからだ。

私は、小学4年生の時、大学でレスリングをやっていた従兄が、腕立て伏せを軽々と40回やるのを見て驚いたことがある。
私も、その頃は、腕立て伏せとは10回くらいをやるものだと思っていたからだ。しかも、その時彼は、今日は調子が悪いと言ったのである。
それを見た瞬間、私の意識が変わった。従兄は、レスリングの名門大学の主将で、見事な身体をしていたが、私も中学生になったら30回くらいは出来るだろうと思っていたので、その通りになった。
百聞は一見にしかず、そして、百見は一験にしかず(百回見るより、自分で一回やった方がよく分かる)となったのだった。

「武道の力」という本にあるが、著者は「透明な力」という本の中で、90歳の合気道家が腕立て伏せを150回、軽々とやる話を読んで驚き、50歳を過ぎてからは筋力鍛錬をやっていなかったのだが、2年かけて腕立て伏せを200回以上できるようになったらしい。

このように、運動というものも、精神のためになる部分が非常に大きい。
世間常識ではこうだからとか、年を取ったからこれはできないなどと考えてはならない。むしろ、それを打ち破り、イエスが言ったように「私は世(大衆の信念や教義)に勝った」と言う体験を簡単にやれるのが運動である。
そうやって意識を変える訓練をすると、信念が強まり、どんな夢も達成できるようになるのだと思う。


【武道の力】
海外で広く空手指導を行う著者が、武道を通し、特に、年齢や身体に関する人類の思い込みを打ち破った実践と研究の書だ。
かつて、命懸けで挑んでいた時代の剣道日本選手権では、60代での決勝進出などザラで、むしろ40歳以前の優勝者が稀だった。もう自分は年だなんて思っているような人は、この本を読んで意識を変えよう。

【あなたも金持ちになれる】(文庫)
1898年生まれのジョセフ・マーフィーも60歳を過ぎてからが人生の最盛期だったように思います。渡部昇一さんにも大きな影響を与えたという、マーフィー68歳の時の名著。
ニューヨークに滞在していた事業家による翻訳で、この会社経営者も、長年にわたりマーフィー理論で大きな成果を上げているといいます。

【あなたも金持ちになれる】
上記の本の新書版で、1969年初版のロングセラー。私は、この本の装丁が好きで、3冊目の購入となりました。1冊目はマーフィー理論に不審を感じた時期に破棄、2冊目は姉に譲渡しました。

【あなたも幸せになれる】
こちらは、マーフィー76歳の時の書。自己啓発分野の名翻訳者として知られる翻訳者の桑名一央さんは、百冊近い本を翻訳したが(当時)、マーフィーシリーズのように内容に大差がないと思えるのに、読み返す度に感銘をおぼえる不思議さを述べています。

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2010.04.11

超ナンセンスの効用

風邪をひいたら、薬を飲んだり、ひどい時は病院や医院に行って治療を受けるという人もいるだろう。
しかし、最も良いのは風邪をひかないことだとは誰でも分かっている。
風邪をひかないためには、栄養を取り、よく眠り、身体を冷やさないことや、身体を鍛えて風邪への抵抗力を付けることだというのが一般論と思う。

だが、本当の風邪への予防法とは、風邪に関する世間の観念を捨てることだ。
つまり、上に述べた風邪を予防するために有益とされる一般論は、逆に言えば、「栄養をとらない」「睡眠不足」「身体を冷やす」「運動不足、鍛錬不足」だと風邪をひきやすいとなるが、それらは全てただの思い込みである。
ついでに言えば、風邪薬や医者の治療で風邪が治るというのも、ただの観念で、言ってみれば嘘である。
だが、正確に捉えて欲しい。嘘というのは、風邪薬で風邪が治るということで、観念の作用は真理である。

先日も「不思議の国のアリス」を話題にしたが、あのお話がナンセンスだというのなら、社会や、人間の作った団体や、家族こそナンセンスなのだ。そして、問題なのは、それをナンセンスと認識しないことなのである。
アリスの作者のルイス・キャロルもそう思っていたからこそ、あんなものが創れたのだ。
つまり、子供に感情移入し、子供の視点で社会を笑い飛ばしたのである。
だから、大人にとっても価値のある作品なのである。

さて、子供に見せる必要がないなら、もっと鋭いナンセスがある。
佐伯俊男さんというイラストレーターがいる。作品を見ると、一見、下手なエロ漫画家だ。セーラー服の少女の過激な猥褻画が大半で、先送りにはなったが、東京都の2次元児童ポルノ規制案が通れば、彼の作品が公開されるはずがない。
佐伯さんは世界的に評価される芸術家だが、芸術だから猥褻でないと言うなら、この世に猥褻はない。何が芸術であるかなど定義のしようはないし、一人でも、それが芸術と言えば芸術だ。はっきり言って、佐伯さんの作品は、芸術であっても猥褻だ。
そして、彼の作品はトランセンデルタル(超越的)なナンセンスである。
私は、「不思議の国のアリス」なら、まだ、ルイス・キャロルに感情移入すれば普通に感じるのだが、佐伯さんの作品ではそうはいかない。
佐伯さんの画集は、先ほども述べた通り、一見、エロ漫画で、実際にコミック雑誌に掲載されたものが多いが、シリアル番号入りの限定品が多く、値段もやや高めだ。
邪道かもしれないが、このスーパーナンセンスで潜在意識にはびこる大衆の偏見や穢れた信念や教義を破壊させるきっかけとするのも手かもしれない。
もっとも、本当に心の深奥の穢れを祓うのは、自分の中にある無限の力への信頼である。
あえて余計なことを言うが、佐伯さんの画集は、男性にとって、いわゆる「おかず」になりやすい。だが、私は、1日1食の菜食にしてから、性欲は完全に制御下に収めており、だからこそ、彼の作品は魔法のツールにできるのかもしれない。ただ、おかずにするとしても、アイドルグラビアよりは有益かもしれない。


【佐伯俊男70】
限定2000冊。私はNo.552を所有。入手できるうちにどうぞ。

【佐伯俊男情念絵巻 (コミック)】
1000冊しか発行されていない。私はNo.793を所有。コミックというよりは絵本のようで、面白い。扉絵以外はモノクロ。少女が可愛くて私好みである。

【佐伯俊男音楽野私娯途】
私は持っていないが、安価で、現在、新品で入手できそうである。

【少女への手紙】
「不思議の国のアリス」作者の、少女達に宛てた本物の手紙。純粋なアリスの原型と言えるかもしれない。30年以上のロングセラー。

【眠りながら成功する】
潜在意識から大衆の偏見を一掃した後は、潜在意識の無限の力への信頼を確立すれば、あなたに不可能はなくなる。

【私の声はあなたとともに】
魔法を使って治していると言われたほどの天才精神科医ミルトン・エリクソンは、「無意識(潜在意識)をもっと信頼して良い」と言った。潜在意識を信頼するための、エリクソンの楽しい物語を多数収録した本書は、間違いなく、百万ドル以上の価値があると私は思う。

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2010.04.10

1952年のアメリカと現在の日本

昨日、ジョセフ・マーフィーの“Riches Are Your Right”が届きました。Xlibrisという出版社から出ている洋書です。
日本語訳は出ていませんが、おそらくは、マーフィーの最も初期の本で、初版は1952年に出版されています。
1898 年生まれのマーフィーは54歳くらいだったことになりますが、「マーフィーの若い頃の本」という言い方が似合うような気がします。

ところで、1952年のアメリカで歴史的な本が出ています。
ニューヨークのマーブル共同教会の牧師であった、ノーマン・ヴィンセント・ピールの“The Power of Positive Thinking”(邦訳「積極的考え方の力」)です。
この本は、アメリカで3年連続ベストセラーの最上位を記録しました。
マーブル共同教会といえば、2002年に、マイケル・ジャクソンとエリザベス・ティラーが立会い、ライザ・ミネリとデヴィッド・ゲストの結婚式が行われました。
この本は、強力な成功哲学の本でありますが、同時に、癒しの本であることを強く感じます。
1952年というのは、アメリカにとって微妙な時期でした。
1929年に始まった世界大恐慌(世界的経済不況)ですが、1940年代にアメリカは第二次世界大戦でそれを脱しました。軍事需要で巨大な収益を上げ、経済が急成長しながら、アメリカ本土はほとんど無傷でした。戦争中でもスポーツ興業が行われ、レジャー産業は発展し、アメリカ国民は、敵からの本土への攻撃は想像もせず、アメリカ本土内でたとえ兵士でも犠牲者が数名でも出れば大ニュースとなり、政府は非難されました。戦争を知らずに過ごした人すらアメリカにはいたという話を聞いたこともあります。

繁栄を謳歌するアメリカで、1952年に出版されたのがそのピールの本です。
経済発展の中、実はアメリカ人の心は傷付き、疲れ果てていたに違いありません。政府による思想統制はすさまじいもので、とても自由の国と言えるものではなく、国を見限る若者はヒッピーになったりしました。
ピールの本は、未来への希望はもちろんあるのですが、先ほども述べました通り、まずは、疲れた心を癒すことが先決で、そのための素晴らしい教えが書かれてあります。本質的にキリスト教の聖書の教えではあるのですが、社会にもよく通じたピールは聖書の知恵を現代的に適用しており、特に宗教書という感じはなく、クリスチャンでなくても抵抗無く読めるはずです。
経済至上主義で疲れ果てた現代のアメリカ人のみならず、同じく、長い物質崇拝と思想統制で心を歪められた現在の日本人も、当時のアメリカと同じ状況のはずです。
先日、核軍縮に関し、オバマ大統領は「これから長い旅が始まる」という演説をしましたが、我々は自分の本当の心を取り戻す旅を今すぐ始めるべきです。

長い旅が待っているから 誓い合って
うねる大空の果てで眠る時へと逆らい進もう

長い旅のこの一瞬を重ね合って
運命の重力も跳ねて飛べる力と答えて行くよ

長い旅のその終末に また出逢って
雲海も涙も晴れて巡る時へと輝き進もう

KOTOKOさんの「BLAZE」より、章末の「旅」に関する部分を抜粋しました。
「BLAZE」は、アニメ「灼眼のシャナII」主題歌で、カップリング曲の「Sociometry」も名曲です。


【BLAZE(DVD付初回限定盤)】
今のアニメソングは素晴らしい曲が多いですが、特にKOTOKOさんは詩が凄い。私は、カップリング曲の「Sociometry」が特に好きですが、その詩の発想には本当に驚きます。
アニメ「灼眼のシャナII」のオープニング曲です(「Sociometry」はエンディング曲)。KOTOKOさんは、この原作である高橋弥七郎さんの大ベストセラー小説をよく把握して作っているように思います。

【積極的考え方の力】
邦訳は1964年(昭和39年)初版で、いまだ版を重ねるロングセラー。
ノーマン・ヴィンセント・ピールは、ジョセフ・マーフィーと同じ1898年5月生まれでした。本書を翻訳した桑名一央さん(初版の頃は相沢勉と名乗ってました)は、ジョセフ・マーフィーの本も翻訳しています。

【眠りながら成功する】
ジョセフ・マーフィーが世界的ベストセラーである、この「眠りながら成功する」を出したのは、ピールの「積極的考え方の力」の約10年後の1963年。この本の原題は「潜在意識の力」です。
マーフィーは65歳くらいになっていましたが、この本には若々しさすら感じます。実際、マーフィーはこの後にも多くの潜在意識の力を説くベストセラーを連発しています。

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2010.04.09

イザナミは潜在意識の象徴である

世界中の聖典や神話には、隠された深い意味があるという。
その中でも、日本の古事記は、表面上はあまりに単純で、どこか突飛な感じのする神話である。

地上に最初に降りたのが、男神のイザナギと、女神のイザナミである。
2人は、国造りの儀式として、柱を反対から回り、出逢ったところで声をかける。
イザナミが先にイザナギに、「まあ、いい男!」と言い、続いてイザナギが「おお、いい女だ!」と言って褒め合った後でセックスをする。
国造りとは言っても、子作りと混同されているところが不思議な雰囲気となっている。
最初に造った子は、非常に出来が悪く、舟に載せて流して捨ててしまう。
その後もうまくいかないので、天に昇って年長の神に相談したら、イザナミが先に声をかけたのがいけないとされ、儀式をやり直し、今後はイザナギが先に声をかける。
今流に言うなら、逆ナンは良くないということになる。
そして、今度は立派な子供が産まれる。

どんな偉い先生も言わなかったかもしれないが、このお話はこんな意味である。
女神であるイザナミは感情で、男神であるイザナギは理性を表す。
理性で考えたものを感情で温めると、立派な成果を生むが、逆に、感情が先で、それを理性で具体化しようとすると悪い結果になる。

漠然と感情的に、金持ちになりたい、立派な家が欲しい、素敵な恋人や配偶者が欲しいという感情を起こしても、不完全なものしか得られず、逆の結果となることも多い。
まずは理性的に、なぜそれが必要なのか、具体的に何が欲しいのかを考えないといけない。その後で、感情で包み育てていけば、素晴らしい成果が得られる。
ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則はそれを教えているし、老子などは長い間に改ざんされでもしたのか、非常に解り難いが、やはりそんなことが書かれている。
男神であるイザナギは顕在意識で、女神であるイザナミは潜在意識である。女神の方がはるかに大きく強力なのであるが、スターターはあくまで顕在意識である。

ビル・ゲイツは15歳の時、25歳までに百万ドルの資産を得る強い目標を持った。結果、目標をはるかに超える成果を得た。
ある大学の卒業生に、20年後の資産の目標を尋ねたところ、具体的な額を答えたのは2%だったが、20年後に調査すると、その2%が卒業生全部の90%以上の資産を得ていた。
ある調査で、老人達にアンケートしたところ、豊かな生活をしている人達は、目標を紙に書いていた。

潜在意識はとてつもなく強大であるが、顕在意識は重要でないばかりか、目標を考えるのは、あくまで顕在意識なのであり、顕在意識が考えないと、潜在意識は何もできない。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、最も難しい仕事は考えることだと言ったが、ビル・ゲイツに偉大な知恵を与えたと噂されるチャールズ・ハアネルも、ロンダ・バーンに閃きを与えたとされるウォレス・ワトルズもまた、考
えることほどハードな仕事はないと言っている。

【方法叙説】
理性を正しく導くための、ルネ・デカルトの歴史的なテキスト。デカルトは12歳の子供にも理解できるように書いたというが、従来の翻訳は学者先生の堅苦しい文章のものが多かった。しかし、本書は実に読みやすく訳されている。
デカルトはひどく誤解されているように思う。決してガチガチの唯物論者などではなく、精神の神秘について深く考え、その天才的洞察力で、全人類に有益なこのような本を書いている。驚くほど多くの賢者達が、実はこの本から学び、恩恵を受けていることが明らかになっているのである。

【現代語訳 古事記】
モスラの原作者でもある、素晴らしい小説家の福永武彦さんのこの古事記の現代語訳は高く評価される名作だ。分かりやすさ、読みやすさも比類がない。日本の知恵が封じられた古事記を、この素晴らしい現代語訳で是非読んで欲しい。

【マーフィー 努力嫌いの成功法】
「あなたも幸せになれる」のタイトルで1975年に出ている翻訳の文庫版。原題は“THE CONSMIC ENERGIZER”で、「宇宙の活力」とでもいった意味と思う。1974年のマーフィーの円熟の書で、潜在意識の法則をより論理的に、また、分かりやすく説いている。翻訳は、ブリストルやピールの本も翻訳している、精神法則関係の翻訳の第一人者である桑名一央さんで、名訳である。

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2010.04.08

人生の奥の手を持つ

私が思うに、達人というのは、「奥の手」というものを持っている人だと思う。
必殺技と言っても良いが、あくまでさりげなく出せないといけない。つまり、いつでも使えて失敗のないものでないと役に立たないと思う。しかも、効果の方は抜群というものだ。

プロレスで史上最強と言われたルー・テーズにも奥の手があった。それは、ダブル・リストロックという、見た目は地味なただの関節技だ。しかし、テーズは、この技で、いつでも相手の肩を破壊することが出来た。本当に対戦相手の肩を破壊したことは一度もなかったようだが、その寸前であれば数百回とあるという。テーズの最強を支え続けたのは、この技であったと思う。
横尾忠則さんは、絵の背景に迷ったら赤に塗ると何かの本に書かれていたが、これも1つの奥の手と思う。そして、横尾さんには、赤に対する何か特別な思いがあるのだろう。岡本太郎さんも赤に対する強い思いがあったようだし、マグリットは青であるようだ。

そして、人生の達人といえば、私は丹波哲郎さんとアントニオ猪木さんを思いつく。
丹波さんの奥の手は、ものごとにこだわらないことと思う。猪木さんは、著書で開き直りの精神を書いていたことがあるが、これも丹波さんのこだわりの無さと通じるものを感じる。
お2人とも、その人間性の雄大さは並の人間を超越しているが、こだわらないことや開き直りを磨きぬいたからのように思える。
名前を知らない人も多いかもしれないが、岡潔さんという偉大な数学者がいた。海外では、岡潔というのは一人の人間の名前ではなく、数学者のユニット名だと思われていたくらいの傑出した実績のある数学者だったらしい。ところで、岡潔さんは奇妙なジンクス好きで、例えば、切り株に石を投げ、当たったか当たらないかで運勢を見たりしていたらしい。これも、心を定める1つの手だったと思う。岡潔さんは、道元の「正法眼蔵」を読み込んだ人だが、意味がさっぱり分からないのに20年間、それを座右の書としていたようだ。そして、ある日、一瞬にして理解できたという話がある。私が思うに、岡潔さんの顕在意識では正法眼蔵が理解できなくても、潜在意識の方では理解しており、彼を助けていたのだと思う。これも奥の手である。座右の書や座右の銘を定めるのも、人生の奥の手を持つことであろう。

何か1つのことでも、あるいは、人生全般でも、奥の手を持つことで自信が生まれ、余裕を持ち、楽しく目標を達成していけるはずだと思う。
逆に、奥の手がないと、自信がなく、結果、みじめで辛い人生になりかねない。
ただ、奥の手は、磨かないと役に立たない。しかし、磨くのは難しいことではない。こだわらないことも、開き直ることも、日々の心がけ次第で磨いていけそうだ。


【因果応報の法則】
丹波哲郎さんの名著として誉れ高い著書で、科学者が自書で紹介しているのも何度か見たことがあります。
丹波さんの本は、その雄大な人間性により、読めば心が晴れるものが多いと感じます。

【鉄人ルー・テーズ自伝】
本日の記事で書いた、テーズの「奥の手」ダブル・リストロックは、彼がそれを習得した過程が、なんとも凄絶で感動的と感じました。秘話といえるものと思いますが、テーズ自ら詳述しています。

【あなたも金持ちになれる】
ジョセフ・マーフィーの本には、人生の奥の手のヒントが満載です。マーフィーの、この後の本で、著名な科学者が本書を絶賛したことが明かされています。ただのお金儲けの本ではなく、深い叡智が込められた本で、渡部昇一さんも留学生時代にこの本に巡りあって人生を変えた、つまり、人生の奥の手を得たのではないかと思います。

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2010.04.07

世間に迎合するか立ち向かうか

アドルフ・ヒットラーの美大受験生時代のスケッチが見つかったというニュースがあった。
美大の偉い先生の話では、「それほどひどくはないが、大きな才能は感じられない」とのことだった。
まあ、私は、こと芸術に関しては、アカデミックな専門家の意見は全く信用しないが、ヒットラーは確かに美術アカデミーを2回不合格になっているようだ。
私は、ヒットラーの自伝を読んだこともないのだが、彼は学校の成績に関しても、自分で「優秀というわけではなかった」と言っていたらしい。
しかし、彼は、世間や社会に迎合しようとしていたのだろうとは思う。
ヒットラーより10歳早く生まれているアインシュタインは学校に真正面から反発し、当然成績は悪かった。制度を利用して無試験でチューリッヒ工科大学に入るも、講義には出席せず、試験にも悩まされたようだ。
8歳で学校をやめているエジソンは大学は全く無価値と断言する。

高名な芸術家では、池田満寿夫さんは、東京芸大を3回落ち、岡本太郎さんは、東京芸大(当時は東京美術学校)に入学するも、すぐにやめているようだ。
池田満寿夫さんは、生涯、上手い絵を描くことはなかったし、岡本太郎さんともなると、芸術は上手くあってはならないとまで言う。池田満寿夫さんは、まだ、生活のために絵を描くことはあったが、元々がお金持ちであったこともあるが、岡本太郎さんは、金のために描いてはならないと言ってたようだ。2人とも、ピカソを絶賛することは同じだが、岡本太郎さんはピカソを超えたことを宣言し、池田満寿夫さんは、ピカソの最晩年の頃の、子供のなぐりがきのような版画に特に執心した。
これらから感じることは、過激に思える岡本太郎も、それに比べればマイルドに感じる池田満寿夫も、世間というものを全く問題とせず、好んで戦ったわけではないかもしれないが、襲いかかってきた時は立ち向かったのだと思う。
岡本太郎は、芸術家なら世間に言いたいことがあるはずと、かなり世間への積極的な反発も見せた。彼がデザインした太陽の塔は、1970年の大阪万国博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」のシンボルとされたが、調和の方はともかく、太郎自身は、あれは人類の進歩に対し「ノー」と、両手で制止している姿だと言ったのだ。

最近は、日本独自の慣習である企業の入社式が行われ、大手企業の入社式の様子がテレビで見れたりもするが、新入社員が会社という世間に迎合し、また、迎合させられる様子に私は心底ゾっとする。
アインシュタインが学校や軍隊を見て感じたこと、岡本太郎が、やはり学校や美術界、そして、世間を見て思っていたことは何だったのか?
ジョセフ・マーフィーは、潜在意識の法則から、世間の思想に飲み込まれる恐ろしさを語り、それに勇敢に立ち向かう必要があることを強調している。彼は啓蒙の道を選んだが、正統なキリスト教会の教えへの反発は、元々は持っていたのだと思う。ただ、心に葛藤を引き起こす攻撃というものに無関心であったのだろう。


【今日の芸術】
決して、偉い先生の芸術論ではない。むしろそれと正反対の、本物の芸術論であり、芸術のみならず、人間存在の根本にまで迫る思想であると思う。

【私のピカソ 私のゴッホ】
池田満寿夫さんの人間性がよく現れた素晴らしい本だ。ピカソ、ゴッホ、そして、池田満寿夫さんがこよなく愛したモディリアーニの斬新な捉え方が、非常に情熱を感じるもので楽しかった。

【人生に奇跡をおこす】
マーフィーの本には実例による潜在意識の法則の適用の話は多いのであるが、この本は、特に我々に身近な問題を取り上げており、非常に興味深いと思う。しかし、潜在意識の法則は奥深く語られており、謙虚に読めば得られることは大きいと思う。

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2010.04.06

自分なりの信念を持つ

いかに金があり、名前が売れていても、安っぽい人間はいるものだ。
一方、世間的には見下げられる人間であっても、敬われている者もいる。

泥棒には泥棒なりの仁義があり、盗賊には盗賊の道がある。
仁義や道、あるいは、掟を定め守らせるのは、志であると思う。
志といえば堅苦しい感じもするが、まあ、自分なりの信念である。それは他人から押し付けられたものでも、世間の評判を得るためのものでも、ましてや、得だから守るものでもない。

アニメ「ノワール」にこんな話があった。
中国では、巨大な黒社会と、ヨーロッパから来たソルダという、やはり闇の組織が覇権を争っていた。
「冷眼殺手」の名で知られる凄腕の殺し屋は、自分の雇い主であった黒社会の大物を殺害する。ソルダに与(くみ)するのが得策と考えたのだった。
冷眼殺手は、ソルダのエージェントに接触し、自分のやったこと(黒社会の大物を暗殺したこと)を告げる。しかし、ソルダのエージェントはそっけなく「それで?」と言う。冷眼殺手は逆上する。丁重にソルダに迎えられると思っていた思惑が外れたのと、超一流の殺し屋のプライドが傷付いたのだろう。
私は、殺し屋にも、当然にして殺し屋の仁義というものがあるのだなと思ったものだ。
「荘子」には、孔子が有名な盗賊を教化しに行き、逆にやり込められるお話がある(実話ではなく、創作である)。孔子には当然、仁義があったが、盗賊の仁義はそれを上回っていたのだった。
同じ「荘子」に、王様がある賢者の評判を聞き、臣下に迎えようと使者を送ったが、賢者が断わるという話があった。賢者の妻が文句を言うと、その賢者は「人の評判で俺を雇おうなんてやつは、人の評判で俺を捨てるのさ」と言う。
ソルダは、冷眼殺手がいかに凄腕であっても、軽く扱うのは当然だろう。損得で動く者には志がないし、得だからといって味方になったものは、損だと思えばすぐに裏切るのは明白である。

潜在意識による成功法則だろうが、今流行りの引き寄せの法則であろうが、志がなければ何の意味もないと思う。
ジョセフ・マーフィーは、おそらく、少々志が低くても、真理を知ることの方が大切で、それにより、やがては志も向上すると思ったのか、あまり堅苦しいことは言わなかったような気はする。
だが、ほとんどの者は低いままに留まり、何の成果も得ていないのではないかと思う。
何をするにも、志、つまり、自分なりの信念が必要なのだろう。


【人生に奇跡をおこす】
ジョセフ・マーフィーの1968年の本で、マーフィーはこれ以前にも、「眠りながら成功する」「人生に勝利する」「あなたも金持ちになれる」といった世界的ベストセラーを出している。この本では、それらの本で奇跡的な成果をあげた人達の手記を、時に、本人の許可を得て、実名と住所入りで紹介しながら、潜在意識の法則を解説している。著名人も多く含まれているらしい。今の時代ならこういったことは難しいと思うが、40年以上も前のものなので、そのまま出版できるのかもしれない。そして、やはり非常に興味深く読めた。
実例を見て、潜在意識の法則への信頼を深めると共に、大きな成果を得た人達は、やはり、大きな志・・・自分なりであっても、信念があることを強く感じた。非常に素晴らしい本で、マーフィーの本が初めての人も、マーフィーの他の本で成果があがらなかった人にもお薦めできると思う。

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2010.04.05

なぜ神秘を信じないのか?

超能力者や魔法使いを名乗る人物が目の前に現れたらどうするだろう?
全く取り合わない場合が最も多いかもしれないが、そうでないなら、証拠を見せろということになると思う。

「超能力者とか言ったな。だったら、何か力を使って見せてくれよ。そうしたら、お前の言ったことを信用してやる。例えば、このコーヒーを元の熱さに戻すとか」
~谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」より~

もっとも、ユリ・ゲラーやミスターマリックのような一流の奇術師に超能力の真似をされたら、我々にはそれが本物の超能力としか思えない。また、アマチュアでも、九州のある喫茶店のマスターのように、学生時代に磨いた腕で、客に素晴らしいパフォーマンスを見せている人もいる。しかし、これらは全て、おそらくはトリックであり、本物の超能力や魔法ではないだろう。
つまり、超能力や魔法の証拠というのは、なかなか難しいということだ。

実を言うと、超能力や魔法を見せることには、もっと致命的な問題点があるのだが、そのことを、ほとんどの人は知らない。
コロンブスがアメリカ大陸に到達した時、原住民にとって、コロンブスの巨大な船は魔法そのものだった。それは、彼らの考える船の範疇を大きく逸脱していた。
そして、原住民にはその船が見えなかったのだ。

新約聖書では、イエスが数個のパンと数匹の魚を神的な力で増やして、数千人を満腹させ、さらに、大きなかごにいくつも余ったと書かれている。
そういった奇跡を、イエスは2度行い、いつもイエスと共にいる12人の使徒(イエスの高弟)達は、それを見ていた。ところが、ある時、イエスと使徒達が船に乗っていた時、パンが1つしかないと困っているのを見てイエスは嘆いた。
人は、観念の外にあるものは認識できないのだ。
インドの詩聖タゴールはアインシュタインに言った。「人が認識しないなら、月だって存在しない」

武内直子さんの漫画「美少女戦士セーラームーン」に、こんな話がある。
セーラームーンである月野うさぎの目の前で、恋人の地場護の肉体が崩れ落ち、消滅する。それは、新たな敵、セーラーギャラクシアによって行われた。
ところが、その後、うさぎは、護はアメリカの大学に留学中で、手紙が来ないことを(当時は、まだ電子メールが普及していなかった)寂しいと言うのだ。
つまり、うさぎには、護の死は認識されていないのである。

あなたも子供の頃、よく魔法を使っていたのではないだろうか?
しかし、憶えていないだけかもしれないのである。
あるいは、それは単なる偶然であるとか言ったり、明らかな奇跡であるに関わらず、目をそむけてよく考えようとしないのである。
開かれた心を持っていれば、この世は奇跡に満ちている。そして、自分が自在に奇跡を起こせることが分かるかもしれない。


【神秘の薔薇】
20世紀最大の詩人と呼ばれるノーベル賞作家W.B.イェイツの神秘的な書で、装丁も素晴らしい本だ。
イェイツの偉大な想像力に刺激され、この世の黄昏に潜む何かを感じるようになるかもしれない。

【ケルトの薄明】
上記、「神秘の薔薇」にも収録されているものだ。オカルティストでもあったイェイツの、恐ろしく、そして哀しい体験的神秘が語られている。

【まだらの鳥】
未完ではあるが、イエイツの実に美しい自伝的小説だ。
精霊の少女が登場する場面では、私はぞくっとするリアリティを感じた。宗教的芸術を説くマイケル(イェイツ自身を投影した主人公)の精神の輝きや、絶世の美少女マーガレットとの不思議な関係はあまりに神秘であった。

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2010.04.04

ルイス・キャロルの少女への手紙

「アリス・イン・ワンダーランド」という、「不思議の国のアリス」の続編とも言われる映画が、日本でももうすぐ(4月17日)公開されるようだ。

「不思議の国のアリス」は、ナンセンス文学とよく言われる。「ナンセス」とは、「意味がない」とか「ばかばかしい」といった意味だ。
意味がないからこそ、読者は自分で意味付けをすることができるので、時代を超えて愛されると言う者もいる。

しかし、定まった意味などなく、全て自分で意味付けをしないといけないというのは、いかなる本であろうと同じではないだろうか?
サルトルは「本を読むというのは、本を自分で書くことだ」と言ったが、その通りだろう。
本に限らない。絵画を見ることは自分で絵画を創作することで、音楽を聴くのは、やはり自分で音楽を作り出すことだ。熱心にシューベルトを聴いていたら、突如、自分がシューベルトになったという体験をした者の話が、コリン・ウィルソンの本にあったが、おそらく、よくあることだと思う。
この世の全てが同じことなのだろう。自分が見たいと期待するものを我々は見ることになる。
私が常々話題にする、潜在意識の法則も、原点はここにある。

ルイス・キャロルというのは、作家としてのペンネームで、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンという、優れた数学者だ。
しかし、ルイス・キャロルという名で呼ぶ限り、童話作家とするが、同じ童話作家でも、アンデルセンの作品はよく意味付けをされてしまう。それも本当は良いことではない。
キャロルはアンデルセンより30年ほど後に生まれており、まあ、同じ時代の人と言って良いかもしれない。
共に内気な性格で、生涯独身であった。違いといえば、アンデルセンがかなりの長身であったのに対し、キャロルは中くらいの身長であったということが、キャロルのおそらく最晩年の頃の少女友達であったアイザ・ボウマンの本に書かれてある。キャロルは、白髪であることを除けば、生涯、若々しい容姿を保ったという。論理学の優秀な研究者で、言語障害があったことが、キャロルの想像性を発達させたのかもしれないと私は思う。
尚、アイザは、「不思議の国のアリス」のミュージカルでアリスを演じた、かなりの美少女だった。
ルイス・キャロルの少女好きはよく知られているが、アンデルセンも、スペインで見た11歳くらいの盲目の少女を美の化身とまで賛美し、彼女を「即興詩人」の中でララという名で登場させたくらいで、やはりどこか似たものを感じさせる。

ルイス・キャロルが亡くなったのは1898年。
私が敬愛するジョセフ・マーフィーが生まれたのがこの年だ。
マーフィーはアイルランド生まれで、キャロルは英国生まれであるが、キャロルもアイルランド系であり、生涯に何万通と書いた少女達への手紙の中にもアイルランド流のジョークが見られるようだ。
先ほども書いたが、あらゆるものの中でも、文学というものは自己を投影するのに適したものであり、特に、キャロルのナンセンス文学は、ある意味で、その目的のためにあるようなものだ。
そして、マーフィーの潜在意識の法則では、世界の意味は全て自分で決定すべきものであり、キャロルの文学は個性的な想像力を磨くための宝でもある。

ところで、「不思議の国」のアリス」も良いのであるが、本当に素晴らしいのは、先にも書いた、キャロルの少女達への個人的な手紙であるかもしれない。
キャロルの、少女への手紙の一部を収録し、1978年に出版されたものが、いまだ版を重ねているようだ。
それは、内気なキャロルにとって有り難くないことなのかもしれないが、極めて価値の高いものであることは確かだ。
マーフィーの本と合わせて読めば、世界はあなたにとって意味のあるものになるだろうと思う。

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2010.04.03

いつか知る悲劇と希望

誰でも、人生のある時期に、人は結局は利己的な生き物であることに気付く。
人格者と言われる人間でも、それはあまり変わらない。
このことから、人間不信や人間嫌いになったり、精神に歪みを持つことになる場合もあるかもしれない。

ごく稀に、力を得てから、他人のために生きる決意を持つ者もいる。
アルベルト・シュヴァイツァーはアフリカの未開地の住民のために無償の医療奉仕を行い、アーマンド・ハマーも本当は同じ道を志したが、ビジネスをやった方が世界のためになるとレーニンに言われ、元々が得意であったその道で世界を股にかけて活躍して名を残した。
現代世界最高の資産家であるビル・ゲイツは、まだ50代前半だが、残りの生涯を慈善事業に奉げることを決意しているようだ。

しかし、我々は、自分や、せいぜいが自分の家族のことで精一杯である。
だが、アルベルト・アインシュタインは「人は自分以外の者のために生きる決意をした時に、本当に生きることをはじめる」と言ったようだ。
しかし・・・とさらに反語を重ねるが、W.B.イェイツは「人生が悲劇であることを知った時に、人は本当の生に目覚める」と言った。
面白いことに、武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」という漫画で、イェイツの詩を熱心に読み続けていた土萠ほたるという名の幼い少女が、アインシュタインのこの言葉を口にし、自分の幸福だった子供時代の終りを宣言するのである。アーマンド・ハマーも23歳の時、「青春は終わったのだ」と力強く宣言した。

だが、どんな人間の中にも、無限の知恵と力が存在することは絶対に変わらない。
しかし、それを知らないから利己的になるしかないのだろう。
魔法の杖を授けられてまで自分の利益しか考えないということはない。
「マスターの教え」の中で、偉大な力を持つマスターは、「あなたは(私が授けた知恵で)限りなく豊かになるが、やがては、人類を悲惨から救うことに生涯を奉げるようになるだろう」と言っている。
アーマンド・ハマーが生まれた日(1898年5月21日)のわずか1日前に生まれたのが、私が毎日のように話題にするジョセフ・マーフィーだが、彼が世界中に教えた潜在意識による成功法則は、決して利己主義の教えではない。また、本質的には同じ教えであるが、ビル・ゲイツに偉大な知恵を授け、ハーバードを去らせたと噂されるチャールズ・ハアネルの「ザ・マスター・キー」も、そして、真実の成功のための教えは皆、「多くを与える者のみが多くを得る」と教えている。
考えてみれば、偉大な人物も、我々も、全く同じ原理で生きていることが分かると思う。


【マスターの教え】
1929年に出版されたとされる著者不明の叡智の書。偉大なマスターの、繁栄のための易しくて確実な教えがそのまま収まっている。少しの時間があれば読める短いシンプルなものであるが、霊感に満ちた言葉は生涯研究するに値すると言われる。

【眠りながら成功する】
マーフィーの教えを、軽薄な欲望達成のテクニックのように言われることがあるのを残念に思うことがあります。もちろん、大衆向きに易しく、時に希望を与えるために誤解を恐れない表現はしていますが、本当は深い、叡智に満ちた教えであると思います。

【ドクター・ハマー】
7歳で感動的な人生の目的を持ち、歴代の米ソ首脳と親交を結び、90歳を過ぎても自家用ジェット機で世界を飛び回って巨大なビジネスをしたハマーの生涯ほどエキサイティングなものは類を見ない。
ジミー・カーターは、この本を読んだ時のことを「至福の3日間」と言った。

【ザ・マスター・キー】
ハアネルの完璧な成功の教えを、分かりやすく修得しやすい通信講座にしたものを完全収録した驚くべき価値を持つ本だ。ビル・ゲイツに偉大な知恵を授けたという噂もデマではないと思う。
「ザ・シークレット」でも、この教えに最大の賞賛を表している。

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2010.04.02

エネルギー供給の秘訣

誰にも同じような思い出があるかもしれない。
英国の世界的作家コリン・ウィルソンが幼い頃、弟と遠くまでハイキングに行ったところ、帰り道が分からなくなってしまった。
散々、歩き回って疲れてきた上、間が悪いことに雨が降ってきて、身体も冷え、悲しく不安な気分はますます増大し、弟は泣き出す。
コリン・ウィルソンもそうしたかったのだろうが、兄がそうであってはならないという意識が起こり、やせ我慢をして「しゃんと」し、弟を叱責した。
すると、コリン・ウィルソンは、心の奥深くからエネルギーが供給されるのを感じたという。

コリン・ウィルソンの生涯のテーマは人々の意識の革命である。それは、人間の幸福のための活力を得るものでなくてはならない。
ウィルソンは、エネルギーは右脳から供給されると言うが、右脳が司る精神は潜在意識と言っても良いと思う。
しかし、右脳にエネルギー供給を指示するのは、あくまで左脳で、上の例で言えば、自主的に気力を奮い起こすことである。左脳が司るのは顕在意識である。
ジョセフ・マーフィーも、潜在意識の力は強大であるが、それを動かすのはあくまで顕在意識であると言うが、同じことであると思う。
我々の中には、無限の力と知恵があり、それを自由に活用する権利があり、かつ、使わなくてはならないのであるが、そのためには、我々は自分で正しく考える必要があることが分かる。
潜在意識による成功法則で重要なことは、正しく考える能力を磨くことであると思う。

尚、さらに高度なレベルで言うなら、足立育朗さんが「波動の法則」の中で述べているが、決心をすれば、精神の波動が上がり、現実を変えてしまうと言う。
あくまで、調和のとれた考え方に基く決心であることが必要のようだが、それが大きな秘訣であることは確かと思う。尚、この本には、顕在意識と潜在意識に関する、非常に興味深い記述もある。


【右脳の冒険】
1983年出版の、コリン・ウィルソンのロング・セラーで、確かに名著だと思う。右脳の神秘な力を自在に操る、一見ごく普通の人物を通し、その秘訣に迫っている。

【眠りながら成功する】
1963年出版の世界的ベストセラー。マーフィーの本は数多いが、最も分かりやすく、まるでマーフィーの直接の講演を聴いているような親しみやすさがあると思う。年齢の制限を拒否するマーフィーらしく、この本の時には65歳くらいのはずのマーフィーの文章を非常に若々しく、希望に満ちているように感じる。

【波動の法則】
1995年出版。2007年に新装版で復刻。
人類が知りえないことだが、著者が不思議な手段で得た情報は極めて貴重であり、実際的だ。

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2010.04.01

世間の幻想を打ち破る

世間で評判になっていることに引き付けられているなら、あなたの中にある無限の力とは切り離されているだろう。
不安や欲望のために、国家や学校や会社、あるいは、家庭の価値観を受け入れた場合も同じである。
それは、言ってみれば、鷲が自分の翼で飛ぶことをやめ、地上で下らない玩具やエサを与えられて満足しようとしているようなものだ。
あなたの翼は、あなたの期待をはるかに超えた力があり、より楽しいことや美味しい餌が得られるのである。
この翼とは、もちろんたとえであり、あなたの中にある無限の力の象徴である。

世間を受け入れれば、自分の中の真の力を捨てる。人は2つを同時には選べない。真の力とまやかしの力は共存できないのだ。
吉本隆明さんの「共同幻想論」によると、人は、個人の幻想、家族内での幻想、そして、より広い集団で共有する共同幻想の3つの幻想を持っているらしいが、私もほぼ同感だ。
そして、フロイトや、フロイト派精神分析学者の岸田秀さんの説によれば、人は幻想から逃れる術はないらしい。しかし、それは、人の中に無限の力があることを分かっていないからだろう。
フロイトは精神科医でありながら、実際には精神病や、精神が原因と考えられるような肉体の病気をほとんど全く治せなかったが、潜在意識の力に頼ることを教えた精神科医のミルトン・エリクソンは魔法のようにそれらを治した。エミール・クーエにいたっては、医者でもないのに、医者が見離した難病を自己暗示による潜在意識の力で数多く治した。それも無償で。そして、潜在意識の法則で知られるジョセフ・マーフィーは、精神、肉体を超え、人生のあらゆる問題を潜在意識の力で解決させた。
ジョセフ・マーフィーは、民族や家族の偏見を打ち破ることを、そして、マーフィーが尊敬した世界最高の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、世間ではなく、自己を信頼することを説いた。

では、我々のやるべきことは、国家、マスコミ、世間、会社や学校などの団体、地域や家族から押し付けられる価値観を黙って受け入れず、時によってrは激しく拒絶し、自分の中にある真の知恵、真の力に頼るべきであることは、なんら不自然なことでもなく、全く正しいことなのではないだろうか?
言い換えれば、自我ではなく、身体や心の奥深くに存在する何かである真の自己を信頼すべきである。
どうすれば良いかを詳しく説いた、賢者達の書籍を下に紹介する。私がいつもお薦めしていものである。

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