古事記に秘められたもの
自己を向上させるための最高の書を読みたいと願った時、特に宗教心のある者でなくても、宗教の聖典に思いが向くのは不思議なことではないと思う。
世界史上最大のベストセラーである聖書や仏典の人気は高いが、バラモン教の聖典ヴェーダや、ヒンズー教の聖典バガバッドギーターも評判が高い。
また、特にビジネスマンの間では、ユダヤ教の聖典タルムードに関心を持つ人も多いと思う。
また、「論語」「老子」「荘子」といった、儒教、道教の聖典とも言われる古代中国思想書も大変に人気がある。
もちろん、アリストテレスやソクラテスといった古代の哲学者や、ニーチェ、シュタイナー、エマーソンといった思想家を第一とする人も少なくはないと思うが、ここでは、宗教聖典を取上げる。
すると、我々日本人は何を読んできたか、あるいは、読むべきであるかである。
聖書もバガバッドギーターも法華経も論語も、ほとんどの人が翻訳で読むことになる。この翻訳というのが厄介なもので、原典の内容が翻訳で完全に伝わることはまずないと言って良い。
これら海外の聖典は長い年月の間に数多くの翻訳が作られたが、現在も作られ、そして、これからも間違いなく作られるのである。このことから言っても、完全な翻訳はあり得ないことが分る。
また、文化の違いもある。もちろん、時代が違うのだから、現地の人たちにとっても、これらの聖典が書かれた頃との文化や習慣の違いは小さくはないが、外国人であれば、さらに比較にならないくらいの違いがあると考えるべきと思う。
しかし、日本に、古代から伝わる宗教的聖典はない。
では、日本固有の宗教である神道はどうか?
ここで神道を宗教と言ったのは、明治政府の定めた国家神道としてではなく、民族宗教としての神道である。
神道には、教団も教義も教祖もない。聖典もないとされる。
それでいて、日本人の生活習慣の中に神道の神事や行事は自然に根付いている。神道は日本人にとって空気のようなもので、もしかしたら、世界に類を見ない純粋な宗教なのかもしれない。
さて、神道に聖典もないとされると、やや曖昧な書き方をしたが、私は「古事記」は、海外の宗教聖典に優るとも劣らない価値があると考えている。
古事記を漫画にした(上巻のみ)石ノ森章太郎さんは、古事記は正に漫画と言っているが、確かに表面的に読むなら、漫画以下と言って差し支えない。
しかし、古事記に、表面的な内容しか無いとしたら、これほど力強く伝わり続け、多くの現代語訳が出版され続け、多くの知恵者が熱心に語るはずがない。
古事記は神話であるが、神話や民話に、深い意味が隠されていることがあるのはよく知られているが、古事記に秘められたものの壮大さは、もしかしたら聖書や仏典をはるかに上回るものであるかもしれないのである。私はそう思っている。
表面的に馬鹿話であるほどに、その内容の隠され方は強く、その必要があるほどに恐るべきものが隠されているのである。そして、古事記に隠されたものは、日本人でないと滅多なことでは読み解けないのである。
古事記を読み解きたい場合、まずは神道の祝詞である大祓詞(おおはらえのことば)を毎日唱えて感覚を研ぎ澄ます必要がある。そして、現代的な飽食をやめ、出来るだけ少食とし、古来から日本人が食べてきたような食事に近付ける。それは菜食中心であるが、魚は日本人も多く食べてきたので良いと思う。大祓詞は、漢字の文から意味を考えてはならない。ただ、大和言葉である音のみを無心に毎日唱えるのである。その上で古事記に挑めば、我々の中に隠れた霊性が自ずと発現し、その意味が明らかにされる。
その上、我欲を捨て、足るを知る生活をすれば、我々に不可能はなくなる。
今後の日本人は、こうして(あくまで内面的に)神的人類となるか、貪りと我欲で滅びる人間になるかにはっきり別れるかもしれない。
尚、神道の思想は、中国の道(タオ)と通じる点も多い。よって、良い訳であれば読むことが有益であると思う。
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Comments
島根県安来市というところが古事記でいう根之堅洲国であるという説があります。機械工学を大学で勉強し、今は某自動車メーカーに務めている私にとってこの地は意味深い土地です。私はこの地(日立金属)で生産される硬質の金属である工具鋼の金型を使っていますが、まずここで硬質の硬いと堅洲国の堅いがダブってしまいます。さらに嘉羅久利(からくり)神社という機械の語源ともみられる神社があるということから考えても、ここが日本神話でいうスサノオが治めた根の国だったのではないかという気がします。考古学的にも弥生時代終末期、四隅突出墳丘墓が集中的につくられた、場所でなんとか大刀などが発掘されています。ものすごい神秘を感じます。
Posted by: つべしろ | 2011.05.01 07:08 AM