人間の悩みなんて、頭が悪いか、性格が悪いかの2通りで、その他の悩みに見えるものは全て、この2つが原因だ。
お金が儲からないのは主に頭が悪いからだし、モテないのは、頭が悪いか性格が悪い、あるいは、その両方である。
だが、実際は、問題は頭が悪いことだけで、性格が悪いのは頭が悪いからである。
では、頭が悪いとはどういうことかというと、余計なことを考えることである。
L.ロン.ハバードというカルト教団の教祖のように言われる作家が『科学の進化』という本に、人間の頭の中を部屋にたとえていたのが良かった。
駄目な人間、すなわち、頭が悪い人間というのは、ガラクタが転がりまくった部屋のようなもので、そのガラクタが余計な考えのことだ(ハバードの場合、正確には、余計な考えの原因をガラクタと言ったが、結果は同じだ)。
子供にロクでもない考えを注入すれば、その子供はあっけなく馬鹿になる。
たとえば、君主とか将軍様は偉大な人間であるとか、偉大なスポーツ選手を崇拝しなければならないとか、あの芸人は偉大な芸人である・・・などで、日本人の大半が馬鹿である理由がこれである。
部屋の中のガラクタのような考えの中には、「酒がやめられない俺は駄目なやつ」とか「いい大学を出ていない自分は低級だ」、あるいは、とても人に言えないようなことで持っている悩み、劣等感、引け目などがある。
こう言うと、そこそこ以上に頭が良ければ確実にそうだろう。
その点、本当の馬鹿は平和と言えば平和かもしれない。
ラマナ・マハルシは「自分が罪人であるからと嘆くべきでない」と言ったが、余程の馬鹿でない限り、それは難しい・・・いや、無理だ。
それで、法然や親鸞は、「どれだけ自分が駄目なやつでも、念仏を唱えれば、阿弥陀仏の無限のパワーで全部帳消しの上、加護も得られる」と教えた。
これは、法然、親鸞独特のものだ。
彼ら以前の、中国の、曇鸞、道綽、善導、さらには、彼らの教えの基と言える『無量寿経』や『観無量寿経』は、ある程度厳しい教えが含まれ、法然や親鸞のような甘々ではない。
親鸞の弟子の中には、教典を読んで立派な僧であろうと必死になった者もいたが、親鸞の教えからすれば、それは本末転倒である。
法然もそうだと思うが、親鸞の教えというのは、駄目なやつほど良いというものだ。
そして、科学的とか論理学的にというか、それらすら超えた知恵というものからすれば、案外に法然、親鸞の方が、教典や中国の念仏より正しいような気がする。
法然の方はまだ、念仏をしっかり唱え「なければならない」という厳しさはあったが、親鸞には一切の厳しさがない。それでいて、教えを成り立たせているのだから、親鸞は本物の天才だと思う。釈迦やイエスだって、そこまでは出来なかったと思う。まあ、時代背景の違いもあったが。
私が言う念仏とは、親鸞の念仏であり、普通に言う念仏とは全く異なるし、ましてや、葬式の念仏とは全く関係がない。私は葬式で念仏なんか決して唱えない。
言ってみれば、『エイリアン・インタビュー』の宇宙人のマインドコントロール装置を無効化するシステムが念仏である。
そのシステムは『歎異抄』を読めば手に入ると思う(30回程度読めば)。唯円(歎異抄著者)は良い仕事をした。
借金?復縁?
それも解決されると思う。ちゃんとやればだが。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)三帖和讃(現代語版) ※『現世利益和讃』収録
(3)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(4)科学の進化(L.ロン.ハバード)
(5)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)

AIアート1648
「渾然一体」
Kay
お金が儲からないのは主に頭が悪いからだし、モテないのは、頭が悪いか性格が悪い、あるいは、その両方である。
だが、実際は、問題は頭が悪いことだけで、性格が悪いのは頭が悪いからである。
では、頭が悪いとはどういうことかというと、余計なことを考えることである。
L.ロン.ハバードというカルト教団の教祖のように言われる作家が『科学の進化』という本に、人間の頭の中を部屋にたとえていたのが良かった。
駄目な人間、すなわち、頭が悪い人間というのは、ガラクタが転がりまくった部屋のようなもので、そのガラクタが余計な考えのことだ(ハバードの場合、正確には、余計な考えの原因をガラクタと言ったが、結果は同じだ)。
子供にロクでもない考えを注入すれば、その子供はあっけなく馬鹿になる。
たとえば、君主とか将軍様は偉大な人間であるとか、偉大なスポーツ選手を崇拝しなければならないとか、あの芸人は偉大な芸人である・・・などで、日本人の大半が馬鹿である理由がこれである。
部屋の中のガラクタのような考えの中には、「酒がやめられない俺は駄目なやつ」とか「いい大学を出ていない自分は低級だ」、あるいは、とても人に言えないようなことで持っている悩み、劣等感、引け目などがある。
こう言うと、そこそこ以上に頭が良ければ確実にそうだろう。
その点、本当の馬鹿は平和と言えば平和かもしれない。
ラマナ・マハルシは「自分が罪人であるからと嘆くべきでない」と言ったが、余程の馬鹿でない限り、それは難しい・・・いや、無理だ。
それで、法然や親鸞は、「どれだけ自分が駄目なやつでも、念仏を唱えれば、阿弥陀仏の無限のパワーで全部帳消しの上、加護も得られる」と教えた。
これは、法然、親鸞独特のものだ。
彼ら以前の、中国の、曇鸞、道綽、善導、さらには、彼らの教えの基と言える『無量寿経』や『観無量寿経』は、ある程度厳しい教えが含まれ、法然や親鸞のような甘々ではない。
親鸞の弟子の中には、教典を読んで立派な僧であろうと必死になった者もいたが、親鸞の教えからすれば、それは本末転倒である。
法然もそうだと思うが、親鸞の教えというのは、駄目なやつほど良いというものだ。
そして、科学的とか論理学的にというか、それらすら超えた知恵というものからすれば、案外に法然、親鸞の方が、教典や中国の念仏より正しいような気がする。
法然の方はまだ、念仏をしっかり唱え「なければならない」という厳しさはあったが、親鸞には一切の厳しさがない。それでいて、教えを成り立たせているのだから、親鸞は本物の天才だと思う。釈迦やイエスだって、そこまでは出来なかったと思う。まあ、時代背景の違いもあったが。
私が言う念仏とは、親鸞の念仏であり、普通に言う念仏とは全く異なるし、ましてや、葬式の念仏とは全く関係がない。私は葬式で念仏なんか決して唱えない。
言ってみれば、『エイリアン・インタビュー』の宇宙人のマインドコントロール装置を無効化するシステムが念仏である。
そのシステムは『歎異抄』を読めば手に入ると思う(30回程度読めば)。唯円(歎異抄著者)は良い仕事をした。
借金?復縁?
それも解決されると思う。ちゃんとやればだが。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)三帖和讃(現代語版) ※『現世利益和讃』収録
(3)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(4)科学の進化(L.ロン.ハバード)
(5)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)

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