2009.06.08

護身具の真剣な話

秋葉原通り魔事件から1年が経過した。
私は、もともと、街中や電車で、隣の人がナイフ等で襲ってくることもあると、いつも思っていた。
だから、電車の中で、音楽を聴きながら、股をだらんとおっぴろげてぼーっとしている若者の、あまりのマヌケさに呆然とせざるをえない。
もともと日本の若者は魅力が無いと言われているが、その最大の理由は、この緊張感の無さである。
しかし、日本人の精神はますます病んできているのであるから、あのような事件が起こることはちっとも不思議ではなく、物騒なことを言うなと怒られるかもしれないが、今後もさらに増える可能性が高い。
だが、凶悪な人間に対して防御しようにも、我が国では、刃物はもちろん、あらゆる武器の携帯は事実上、違法とされてしまう。
もっとも、アメリカの多くの地域では銃の所持、あるいは、携行が許可されるらしいが、いざという時に冷静に銃を操作できる者などまずおらず、銃を持っていても、実際は何の役にも立たないようだ。

私は、世界中の警察などで使われているという特殊警棒(アンテナ式に伸ばして使う、金属性の警棒)や、ファイティング向きナイフなどを色々購入してみたが、結論として、私は、これらを護身具に使うことはお薦めしない。
特殊警棒は重く、グリップも細くて余程慣れないと使い難い。特に女性であれば、あまり役に立たないと思う。軽く小さいモデルも無いではないが、銃同様、非常事態で冷静に操作するのは難しい。おそらく、振って伸ばすという準備段階すら、上手くできないだろう。また、使えたとして、男性が使えば、逆に威力があり過ぎる。
そもそも、護身具で、完全に身を守れるわけではないし、むしろ、派手な武器を持っていたら相手を余計にエキサイトさせてしまう。
その意味でも、ナイフは絶対に駄目だ。ナイフを武器として使いこなすこと自体が難しい上、ナイフを見せるということは、命のやり取りに合意したという意味になることを忘れてはならない。
私は、ナイフを武器として使う方法もかなり研究し、練習したが、そうでないなら、あらゆる意味で、下手にこれで攻撃することは、普通に想像するよりはるかに危険であることを強調しておく。

私なら、武器としては木刀、それも、短刀を選ぶ。30センチほどの短い木刀だ。
もちろん、使うのは最後の手段としてであり、まずは逃げることを考えるべきなのは言うまでも無い。
特殊警棒のように、まずは振って伸ばす必要もなく、軽いので、最大のスピードで正確に振り回せる。とはいえ、実際の効果は普段の研究や練習と心構えに大きく左右されるだろう。
攻撃の時は、相手に木刀を見せずに、鋭く突き上げることができるように練習しておくと良いと思う。つまり、不意打ちを心掛けるべきである。スポーツではないのだから、まさか正々堂々なんてことを考えてはいけない。
実際、刃物で切る、刺すなんてことは、技術的にも心理的にも、普通の人には無理だ。しかし、叩く、突くなら比較的容易い。
あの宮本武蔵すら、肌身離さず持っていた武器は木刀であったと聞くし、言うまでもなく、佐々木小次郎との決闘で使った武器は木刀だ。
木刀は、練習用だけでなく、武器としても極めて合理的で強力なのである。
とはいえ、木刀のいわゆる大刀(約1メートル)は、女性では使いこなせないし、外で使うにも、あんなもの持ち歩けない。50数センチの小刀タイプでも、片手で使うものであるので、意外に腕力が必要で、女性には向かない。また、小刀タイプでも、隠して携行することは難しく、しかも凶器と見なされるだろう。
短刀タイプなら、凶器とみなされることもないと思うが、そうでないとしても、こっそりバッグに入れておくこともできるだろう。

以下に、私の保有する木刀を紹介する。

Rbokuto
短刀タイプの木刀。長さ29センチ。赤樫(アカガシ)製。

Wbokuto
こちらは、54センチの小刀タイプで、白樫(シラカシ)製。
樫の木は、硬くて木刀に向いている。赤樫の方が僅かだが重くて硬い。白樫は、僅かに折れにくい。

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2009.05.25

感染したらどうするか?

この数ヶ月、私は毎日同じものを食べている。
同じものを食べていて飽きるとしたら、食べる量が多過ぎるのだ。
私なら、毎日、実に美味しく食べている。
健康も申し分ない。多品種を食べないといけないなんてのは全く嘘だ。野生動物は私以上に超偏食だ。

新型インフルエンザにでも罹ったのか、発熱と、ややけだるさがあった。気分は良かったが(笑)。
放っておいたら、3日でおさまった。
神戸は毎日通過しているのだが、まあ、感染の確率はほとんどあるまい。とはいえ、実際の感染者は、発表よりもずっと多いだろうと思う。
もし本当に新型インフルエンザに感染していても、何の問題もない。1日1食の菜食主義で、間食なしの身体は免疫力が高い。放置して回復した時には、このウイルスに対する免疫も出来ているし、何もしない方が免疫力も高まるのである。
ただ、この数年、会社の命令でインフルエンザワクチンを強制接種させられて、やや身体が弱っているかもしれない。病院では、連続して何度も接種するよう熱心に薦めてくるが、とんでもない話だ。
マスクはしている。単にマスクが好きだからだ。空気が汚れているので喉がいつも少し痛いし、マスクをしていると、顔が温かくて気持ちいいからね。

神戸の遊覧船がガラガラらしい。行けばよかった(笑)。他のお店もすいてるはずだ。来週は是非・・・

久々のナイフである。
中学生のおこづかいでも買える、TMCウォーリア2AP-22。ナチュラム楽天市場で1,580円(5/25現在)。
Tmc
私は、数万円以上のシースナイフも沢山持っているが、このナイフは実に気に入っている。何より、これほど手にピタっとくるハンドルのナイフは他にない。本当に素晴らしい。
ヒルトの形状もこれが最高ではないかと思う。
ハンドルの底は金属なので、固いものを遠慮なくガンガン叩ける。
刃は420スチールという安価なステンレス鋼だが、通常の用途では不満はなく、堅過ぎないのでむしろ磨ぎ易い。
135mmという刃の長さは、最も使いやすい。キャンプで、細い枝や草を刈ったり、料理にと、大活躍する。
目立たないが、ハンドルに紐を付けられ、その紐を手首に巻いておけば、落とす心配がない。これは大事なことで、あの宮本武蔵も、護身用の木刀のハンドルに穴を空け、紐で手首とつなぎ、落とさないようにしたのだ。
道具として理想的なナイフだ。ナイフは見てくれや値段ではない。使い捨てのつもりが、1本を長く愛用している。

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2009.03.01

愚かな人間をどう扱うか

愚かな人間をどう扱えば良いのか?
愚かなままで、できるだけ幸福に過ごさせてやることだ。
愚かさを治すには時間がかかる。
人の一生よりも時間がかかるかもしれない。
だとすれば、それは人の行う義務ではない。
我々より大きな何かに任せておけばよい。
そうすれば、我々も、一生かかっても治せない愚かさを大目に見てもらえるかもしれない。
そして、愚かなままで幸福に一生を過ごせるに違いないのだ。

Ww
本日は文章が短いので、愛刀の1本、伝統工芸師、佐治武士さん作の狩猟刀「白狼」を披露。最近は、和式ナイフも革シースのものが多くなったが、これはピッタリとした朴(ほお)の木の鞘に収まる。樫の木のハンドルも風格がある。
撮影の照明には、政木和三さん発明の、太陽光と同じ光を出すとされるバイオライトを使用した。

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2009.01.11

長く使える美徳から学ぶ

私は、数年前から、家の中での着衣として作務衣(さむえ)を愛用している。
作務衣とは、僧侶の作業着として始まったが、現在では、普段着として愛用する人も多い。

今月(2009年1月)1日に30歳になったKinkiKidsの堂本光一さんも自宅で作務衣を着ているという話を聞いたことがある(彼は、休みはほとんど外出しないらしい)。
私は同じものを2着買ったが、1着だけで3年着ても、全く問題なかった。今年、やっと2着目を出した。もちろん、1着目もまだまだいくらでも着れる。
色は紺だ。自分では、とても似合うと思う。

和式の服というのは、サイズはかなり大雑把で良いという便利さ、気楽さがある。
作務衣も同様で、全体的にゆったりとしており、痩せている人と太っている人が同じものが着れる。
作務衣は、上下2対の和式の衣で、下側はズボンに似ているが、腰は、衣に通した紐で締めるので、ウエストサイズはほとんど関係がない。また、足首も紐で締めるので、脚の長さも関係なく着れる。
もともと、和服というのは長く着れるものであり、親から子、子から孫と受け継ぐものであった。良い和服となると、使えば使うほど、深みが出てくるものである。よって、流行を超え、時代を超えて着れるのが和服だ。
このあたりは、現代的な大量生産、大量消費と全く異なる。

長く使える。これは日本人にとって大切なことであると思う。
刃物でも、良いものは長く使える。
祖父から伝わる小刀を使っているというマタギ(日本式の狩猟者)の話を聞いたこともある。

資本主義的経済から言えば、同じものを大切に長く使うと、物が売れず、経済は発展しない。
しかし、大量消費が生み出す物的な豊かさが行き着く果ては見えたように思う。
もちろん、日々消費するものも多いし、それらの生産やリサイクルは効率的であった方が良い場合もあるだろう。
例えば、鉛筆である。ただ、筆記具でも、筆や万年筆であれば、やはり良いものは長く使えるのである。
ひょっとしたら、効率的に大量な生産が必要なものは、食料と燃料、あるいは染料(インク)といった、料の付くものくらいかもしれない。それと紙であるが、昔から、日本では紙の無駄遣いは戒められてきた。

自動車だって、日米の自動車メーカーはできるだけ早いサイクルで新車に乗り換えてもらえる戦略で儲けてきており、もともとが、10年、20年と乗れる車作りをしていない。それが間違いであることが、日米の自動車産業の衰退ではっきりしてくると思う。
ヨーロッパ、特にドイツ車は、長く乗れる車作りをしている。ポルシェなどは、モデルチェンジ前の車種が値上がりすることも珍しくはないが、これは日本では考えられない。そして、不況は不況かもしれないが、ポルシェやフォルクスワーゲンは案外に販売好調であるらしい。ただ、日本車的な車作りになってきていたベンツは打撃が大きいとも聞く。

経済の回復とは言っても、以前と同じに戻しては絶対にいけない。
金融が市場を支配するなんて馬鹿なことをさせてはいけない。
幸福に生きるために金融など必要ない。金融で利益を上げようと思うことが間違いであることをいい加減学ばなければならない。
真面目に物を作り、販売し、サービスすることに価値を認める世界にしなければ人類は終わりである。
正しい仕事でのビジネスチャンスはまだまだ沢山あるはずだ。本当に頭の良い人は、そのためのアイディアを出せるだろう。そこでは、個人が膨大な利益を得る可能性はあまりない。しかし、多くの人を安楽にすることで、真の満足が得られるに違いない。

Wakogatana
良い和式ナイフは、刃も鞘も、使えば使うほど深みが出るし、手に馴染む。錆びる材質の刃は研ぎ直しで復活する。

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2008.12.16

少食で風邪をひくとどうなるか

不覚にも、風邪をひいてしまいました。
以前はひどく風邪をひきやすかったのですが、少食をはじめてから全くひかなくなったので、すっかり安心してしまっていました。
寒い部屋で薄着で通し、夜がひどく寒くなっても、薄い布団1枚で寝てましたら、最後についにやられました。
急激に痩せたこともあり、体脂肪が無いせいか、寒さがとてもこたえることは気付いていたのですけどね^^;
風邪薬は飲まず、とりあえず、ワインとか梅酒のお湯割りとか飲んでいました。喉の痛みをまぎらすのに黒糖とか舐めてみました。アルコールや甘いものは4ヶ月振りなので、ひょっとしたら少しは太ったかと思って体重とウエストサイズを測ると、なんとガクンと減ってました。風邪の微熱、恐るべしです。
そういえば、鏡で見ると、かなり痩せていました。痩せすぎないようチェックするつもりで、体重計や巻尺を用意したつもりが意図せぬことです。
ウエストなんて、男性芸能人のサバ読み公称値を本当に実現してしまっています(笑)。

以前に風邪をひいた時と違い、さして苦しくないのですが、やはり悪寒がありますね。
1日1食なので、食べ物は相変わらず無茶苦茶美味しいですが、食べる量を増やす気はありません。
まあ、たかが風邪、そのうち治るでしょう。あまり痩せたくないですが。

吉行淳之介さんの「童謡」という小説にあったように、熱が出るということは、身体の肉を燃焼させているわけです。まずは脂肪で、次が筋肉となるのだと思います。
経験がありますが、真冬に行水などをすると、その時は寒くても、後で身体がポカポカしてくるのですが、これは、身体が急激に冷えることで生命の危機を感じ、肉を燃焼させて身体を温めるのだと思います。
すると、ダイエットの良い方法とは、風邪をひくか、寒い日の行水ということになると思います。まあ、いずれも、身体に良いとは思いませんので、やるとしても自己責任でお願いいたします。

まあ、風邪の間だけ、特例として、多少のアルコール、黒糖、それに玄米粉やはったい粉(大麦)をお湯で溶かして摂取することとしようと思います。

Sol
本筋とは関係ありませんが、私のナイフコレクションの紹介です。スイス、ビクトリノックス社のソルジャーです。1891年にスイス陸軍公式ナイフとなり、以来、120年近く、基本的に形を変えていません。
ナイフ、栓抜き、缶切、ワイヤーストリッパー、2種類のマイナスドライバー、穴空けの機能を持ち、イノックス鋼のミラー仕上げのナイフはよく切れ、しかも頑丈です。

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2008.11.28

いじめをやらせているのは学校である

いじめは学校制度のために必要なものなのである。
よって、現行の学校制度が続く限り絶対になくなることはない。
そのことを説明したいと思う。

いじめはなぜ起こるのであろうか?
別に学校の中だけでなく、人間社会全般に言えることであるが、集団と異なる価値観を持つ者を排除するために起こるのである。
簡単に言うと、同じ価値観を共有する集団が、異なる価値観を持つ異分子を寄ってたかって攻撃することがいじめである。

人間の価値観というものは、論理で決まるのではない。たとえそう思っているとしても、それは違う。宗教的とも言える嗜好で決まっているに過ぎない。最も適切な言い方をするなら幻想である。集団で共通して持つ幻想のことを、吉本隆明氏は「共同幻想」と定義しているが、この呼び名を借りる。

この共同幻想は、自然に人々の間で構築されるもので、特に有害でなく、人間が生きていく上で効率的なものもあるかもしれない。しかし、それが時代遅れになっても、容易に新しい状況に適応できないという特徴もある。時代遅れな共同幻想を頑なに守ろうという支配者が強く、共同幻想に変化が起こらない集団はやがて滅亡する。
また、支配者層が、自分達の都合の良い考え方を庶民に叩き込み続け、それが様々なものと複雑に絡み合いながら、場合によっては一見美しい強固な共同幻想となることも多い。
日本国民に関しても、国民が持つ価値観の大部分は支配者によって植え付けられた幻想と考えてほぼ間違いない。
健康問題とかを理由にさっさと辞任したどこかの首相がアピールした「美しい国」のキャッチフレーズも、自分に都合の良い幻想の国民共同化を意図していたが、主があそこまで無能では仕方がないと思う。

学校の中は特に強く、支配者によって作られた幻想に支配されている。
学校とは、もともと、兵隊や集団労働者を作るため、ものを考えない従順な人間を作ることを目的にその制度を作ってあるのだから当然のことである。
学校の共同幻想に深く染まっていない者が教師になることは出来ない仕組みであり、生徒は教育の名の下にその幻想を叩き込まれる。生徒の親も、既に同じ幻想を持っている場合も多いが、そうでない場合は、子供を人質に、その幻想を受け入れることを強要される。

だが稀に、学校の中で絶対的であり、教師、生徒、保護者に共通する幻想を持たない子供が紛れ込んでくることがある。そんな子供は例外なくいじめられる。共同幻想にあくまで取り込まれない場合は殺されることになろう。
そして、教師は絶対的に見て見ぬふりをする。当然である。いじめは、共同幻想に取り込むために必要なものであり、事実上、学校公認である。学校はこれを止めないなかりではなく、いじめを効果的に行えるよう最大の援助をしていると言える。その援助とは、学校における単独行動の禁止である。
学校では、1人が自律的に行動することは絶対に許可されない。皆が同じことをしないといけないのだ。どういうことかと言うと、集団と異なる価値観を持つ子供は、いじめから逃れる方法が全くないということだ。他の子供達に依存しないと学校生活は成り立たないのである。授業やその他の教育の名の下に行われる活動で、すぐに「グループを作れ」「2人組みになれ」という指示が頻繁に繰り返されるのはそのためだ。それに従わないと、教師から徹底した迫害と辱めを受ける。
共同幻想を持つ子供達は、タダでは特異な価値観を持つ子供をグループに入れたりしない。そこで力関係が発生する。特別な価値観を持つ子供は、極めて弱い立場に置かれるのだ。そうなるともう、いじめ放題と言って過言ではない。
あくまで共同幻想に抗うなら、殺されるか自殺するかしか残されていないのである。それが学校なのである。

死ぬくらいならひきこもれ。
「自殺するなら、引きこもれ 問題だらけの学校から身を守る法 (光文社新書) 」を参考に読むと良いが、いずれにせよ、肝心なことは学校から離れることだ。
「お金は宇宙から降ってくる(中経出版)」を読んでも分る通り、大昔であってすら、学校に行かなくても勉強はいくらでもできた。ましてや今の情報社会で、学校で教わる必要性は全くない。あると思わされているだけである。
私も学校の授業を聞いたことは1度もない。
さて、私がいじめられなかった理由であるが、いつもナイフをちらつかせていたのだ(笑)。ただ、今の共同幻想は過激で、異分子は殺しても良いとする傾向が強いので、下手すると簡単に殺されるのでお薦めはしない。

まずは命を守って欲しい。いじめで自殺したという話はもう聞きたくはない。
親も、子供が学校に行きたくないなら行かせてはならない。何か不都合が起こるとしても、死ぬよりマシである。いじめで子供に自殺された親はそう思っているはずだ。

私は時々思うのだ。
毎日、学校や会社に行かないといけない人生のどこに楽しさや意味があるのだろうと。
それなら、ますます食を減らし、やせ衰えて死ぬのも悪くないと。
仏教学者のひろさちやさんは、会社とは監獄であると言った、それは学校も同じだ。ただし、脱獄可能な監獄だ。
さっさと逃げ出すのも手かもしれない。

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2008.11.25

狩猟と肉食について

Houyoutou

私のナイフコレクションの中でも、トップクラスのお気に入りである「放鷹刀(ほうようとう)」だ。
鷹狩に帯同し、獲物の皮を剥ぐ目的の小刀である。
私はさすがに鷹狩はしないが、独特の形状のこのナイフは案外に万能である。
ハンドルも実に握りやすい。
これは、ジーサカイ(G.SAKAI)の製品である。昭和22年創業の老舗のナイフメーカーだ。ちなみに、Gは米国の有名なナイフメーカーであるガーバー社を指し、技術提携の関係にあるらしい。

さて、鷹狩は武士のスポーツとして有名で、徳川家康もこれを好んで行ったことが知られているが、本来はやはり食料調達のための狩猟である。現在はほぼ行われていない。
そもそも、現在、特に国内では狩猟全般がなくなってきており、食肉用の動物のほとんどは飼育されたものである。
これら飼育された動物が、食肉とするために屠殺(とさつ)されるのを見てベジタリアンになったという人がよくいる。ポール・マッカートニーもそうだったと思う。
ただ、聖書にも書かれている通り、イエス・キリストが、動物を屠って(殺して)食べるよう薦めており、全ての食べ物は清いと宣言された。釈迦もまた、肉食を禁じてはいないらしい。
これら食肉となった動物に感謝しながら食べれば良いと言う人もいる。
水野南北も、鳥や魚は、人に食べられることがその本分であるという思想を否定してはおらず、特に老人の場合は消化の良い肉食は少量であれば薦めてもいる。
そもそもが、時代や地域によっては、肉以外に食べるものがないという状況も少なくなかったと思う。

私は、自分は肉や魚は食べないし、出来れば肉食を避けることをお薦めするが、他人の肉食に口を挟む気はない。
だが、上にあげた「食肉となった動物に感謝しながら食べれば良い」ということに関しては、他に食べるものがなく、少食である場合のみ認める。飽食で、その肉を美食として楽しむというなら、私は良いこととは思わない。

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2008.11.24

エアガンを買って考えたこと

好奇心でエアガンというものを買ってみた。
私はナイフ好きであるから、銃も好きだというのは不思議ではないが、ナイフは本物だが、銃は本物が入手できるわけではないので、さして興味がなかった。
しかし、買ってみると、少し考えが変わった。

M1911a_2

これは、米国のコルトガバメントを精巧に模したエアガンで、東京マルイの製品である。
コルトガバメントは、子供の頃から好きな銃だった。実に1898年に開発。1911年に米軍に全面採用された。その時の名称がM1911。1926年に改良版のM1911A1となる。
1985年に、米軍での役割はベレッタM92Fに譲ったが、現在でも使用され続けているらしい。

さて、製品であるが、写真でご覧の通り、実によく出来ているが、実物もなかなかリアルだ。プラスチック製であるが、安っぽさはない。
これは、エアソフトガンという安価なモデルであるが、さらにリアルな製品もあるらしい。
公式競技用のエアピストルではないが、非公式な競技団体も存在するらしい。
では、このいわゆる「玩具」のエアピストルが、どの程度のものかというと、予想以上だった。
弾丸は、BB弾と呼ばれる、直系6mmの天然石膏と樹脂で出来た丸い玉で、重さは0.2gと0.25gがある。4mほど離れた位置に置いた段ボール箱を撃ってみたら軽く貫通したのには驚いた。凄い威力だ。プロ野球の投手が投げたってこうはいくまい。
エアピストルには、10歳以上用と18歳以上用があり、これは18歳以上用で、威力も大きいのだが、各操作感も重々しい。カバーのスライドはかなり重く、子供や女性では操作困難と思う。
セフティ(安全装置)も当然あり、これを外さないとカバーのスライド操作やトリガーを引くことはできない。また、セフティを外しても、きちんと握らないとトリガーが引けないという2重ロックになっている。

このようなエアガンが販売されることには何の異論もないが、やはりこれは大人の遊び道具だ。
所有者は、使わない時はちゃんとした場所にしまい、子供に触らせないよう注意すべきである。

「Xファイル」というアメリカのテレビドラマで、エアガンに関する印象深い場面があった。
ヒロインのスカリーが少女時代(小学校も前半と思う)、男の子達にまじってエアガンでヘビを撃っていた。スカリー達は歓声を上げながら、逃げ惑うヘビを容赦なく撃つ。やがてヘビは動かなくなった。それを見てスカリーは泣き出し、嗚咽はいつまでも止まらなかった。
スカリーはその後、医者になり、FBIに入るのだが、自らも臨死体験をし、更に広い死生観を持ったように思う。
私は、その後、ポール・グレアムの「ハッカーと画家」という本で、子供というものは、笑顔でクモの脚を引きちぎるものなんだと書かれていた部分を読み、全くその通りだと思った。知性のない無邪気さほど恐いものはない。だが、その知性を与える段階で、国家を操る支配者の洗脳が入り込む。人間とはなんとも厄介なものだ。
ポール・グレアムは、ソフトウェア開発者で、そのためのベンチャー企業を起業し、後にその企業を売却して膨大な利益を得た。ハーバードで計算機科学の博士号も取ったが、美術学校で絵も習ったという変わった男だ。よって、視野も広い。
彼がLisp言語の高度な専門家であることが面白い。最近、能力開発の分野で恐ろしい勢いで本を出している苫米地英人さんという脳機能科学者も計算機言語学の博士で、Lisp言語の超専門家だ。私はLisp言語はお遊び程度に触るが、今後は本格的にやってみようと思う。グレアムも、Lisp言語に関する素晴らしい本を2冊ほど書いてくれている。
ジョン・マッカーシーの発明した、Fortranに続く古い高級言語であるLisp言語には、人間の知性を開く鍵でもあるのかもしれない。

「Xファイル」の中で、ヘビは、スカリーの目を開かせるために命を奉げたが、それはドラマの中だけにしておきたい。
とはいえ、ハエやゴキブリを、僅かな哀れみの感情もなく、殺虫剤で殺すのが当たり前の風景で育った子供がどんな生命観を持つものか不明だ。
アルベルト・シュヴァイツァーは、部屋の中のハエを決して殺さずに捕獲して部屋の外に出し、医学実験のために蚊一匹殺す際にも苦渋の表情を浮かべたという。
私が政木和三さんの研究所を訪ねた時、研究所の中にゴキブリがいたが、政木さんはゴキブリを箱で器用に捕獲して部屋から出した。
私も、可能な限り、ハエやゴキブリを殺さないようにしているが、完全ではない。

私が買ったエアガンも、人や動物を撃てばケガをさせることは十分にあり、目にでも当たれば失明することもあるだろう。鳥やハムスターなどの小さな動物では、生命を奪ったり、深刻な障害を与える恐れもある。
だからといって、販売禁止にするのはあまりに浅はかであろう。有益さや楽しさがあるものを無理に規制すれば、それはさらに歪んだ形で現れることは明白だ。我が国の司法にはそのようなことを理解する知性がないのは残念ではあるが、とにかく規制には反対すべきであろう。

さて、これらの問題に対する根本的な解決策であるが、枝葉の部分ではいくらでも思いつくだろう。
しかし、結局は人間の根本的な理性や知性の問題であることが分かると思う。それには、人間の理性や知性をよく理解しないといけない。
その問題につまづき、アーサー・ケストラーのような大天才ですら、悲観して自殺した。
いや、アインシュタインとフロイトも、書簡でこういった問題について議論したかもしれないが、彼らですら枝葉の考察しかできなかった。
問題は、人間の欲望の扱いである。
その解決には、少食しかない。
銃社会の代表である米国の次の大統領は少食だ。期待できるかもしれない。

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2008.11.16

真の芸術家は陽気に狂う

午後4時頃に帰宅した母親が、つき立ての餅で作った実に美味しそうな安倍川餅(きな粉とこしあんの2種類)を持って来た。それは私の大好物である上、昨夜の夕食(少量の粗食)から何も食べていない空腹の身には激しい食欲をそそらされる。ここらは、全く平凡な野獣だ。
しかし、1日1食と間食一切禁止の誓いを立てた私は、当然、全く手を付けない。
私は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の呪われた海賊のようなものだ。彼らは、舌も胃もないので、食べたくても食べられずに苦しんでいる。だが、私は完璧で健康な若い身体を持っているが、自らの意志で食べない。
これは、世間的には気狂いと見られるかもしれない。
今回は、それがテーマだ。
まずは、私が愛するナイフの写真からだ。
Buck_110fh
私がなぜナイフが好きかというと、1つには、子供の頃に持つことを禁止されたからだ。
特に、このBUCK社のフォールディングハンター110のように、刃渡り95mmもある立派なナイフを持ったりしたら、気違いだと言われたと思う。
だから良いのである。ナイフは自由の象徴だ。
(別の理由としては、人類の最も古くからの長い知恵が込められているからだ。何といっても、ナイフは火に次ぐ古い道具であり、美しさと機能の両立を教えてくれる人類最古の友なのだ。)

イタリア映画「愛のほほえみ」で、オルガという名の愛らしい10歳くらいの少女が、タバコを手に、ルーカ少年に「火を持ってない?」と言う。
驚くルーカに、オルガは「あたし、やっちゃいけないってことは何でもやりたいの」と言う。
オルガは自由を求めていたのだ。
オルガも、世間から見ると、気がヘンと思われるかもしれない。
だが、自由とは、世間で狂うことなのだ。だって、世間の別名は「狂った場所」なのだ。狂った場所で狂わずして自由はない。

世間に迎合しながら芸術家を名乗る輩はペテン師だろう。
芸術家の仕事とは、世間の中で狂ってみせることに他ならない。
当たり前である。芸術家の使命は、人々に自由を教えることなのだから。
岡本太郎を見ればよく分かるだろう。「世間に言いたいことがないやつが芸術家であるはずがない」と彼は言った。
池田満寿夫は、「私には狂気はない」と言ったが、世間的にはあきらかに狂気を持っていた。彼には、世間的な狂気の世界が普通だったのだろう。
ひきこもりの作家ベケットこそ、本物の芸術家だ。彼は、のこのこノーベル賞の授賞式に出かけていきはしなかった。そこまでやりはしなくても、本物の芸術家はノーベル賞なんてものにさしたる価値は認めないだろう。

イエスは「私は世間に勝ったのだ」と言った。彼には、世間の賞賛も豊かさも興味のないものだったのだ。
ニサルダガッタ・マハラジは、常に「私は世間的には死んでいる」と言った。
よって、彼らは最高の教師と言われるのだ。

世間に反逆することが自由であり、芸術の真髄だ。
だが、反逆すると言っても、普段は別に露骨に攻撃する必要はない。ガンジーが示したように、無抵抗こそ最大の攻撃だ。迎合せず、無関心であれば良い。笑って見ていれば良いのである。あるいは、呆れて、または、哀れんで見ることもあるかもしれないがね。
無差別殺人なんてものをやらかす輩は、狂えなかった者達だ。彼らは世間に関心を持ち過ぎたのだ。それで世間に恨みを持ち、世間の中で劣等感に悩み、心を抑圧し続けた。その結果があのザマだ。
世界を破壊するのはGay(陽気)な者であるとイェイツは言った。
芸術家は、そして自由人は陽気に狂うのだ。

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2008.11.12

人気スポーツ選手の引退について

高橋尚子さんの引退を聞いた時は、ひとごとながらほっとした。
彼女の身体はもうボロボロのはずである。おそらく、将来は後遺症に苦しめられることになるだろう。それは、競技生活を続ければ続けるほど深刻になるはずだ。本当は、アテネオリンピックで落選した時にやめれば良かったと思うし、シドニーの、あの一番輝いていた時にやめても良かったと思う。
最近、人気バドミントン選手や、女子レスリングのオリンピックメダリスト達が、一度表明した引退を撤回したニュースをよく見るが、何とも残念だ。気持ちよくやめさせてあげればいいのに、彼女達を使って利益を上げようとする者達がそれを赦さないのだろう。
昨夜も、テレビで人気バドミントンペアの2人の会見を見たが、明らかに彼女達は自分の意思で道を選んでいない。彼女達の発言も報道も、おそらくほとんど嘘だろう。「コンビを解消するのは寂しい」と言いながらの引きつった笑い。それを聞くもう一方はいずれも恐い顔。早く離れたいという雰囲気しか感じられない。相手の発言に対し、一度も頷かない2人。もう憎みあっているとしか感じられない。
引退したい方には、「お疲れ様。よくやったね」で良いではないか?この世には、他にやりがいのあることがゴマンとある。若いうちにそちらに行かせてやればいいのにと思う。

フィギュアスケートの村主章枝さんも、バンクーバー五輪を目指すなど夢のようなことを言わず、競技を引退した方が良い。
現行ルールでは、彼女が今後勝ち残る可能性なんてない。不可能に挑むことも素晴らしいことではあるのだろうが、もっと他に持つべき目標だってあるはずだ。浅田真央さんやキム・ヨナのスケートより村主さんのスケートが好きな人も多いと思う。その雰囲気はプロで十分に見せられると思う。
だが、フィギュアスケートのプロでは、オリンピックの成績でギャラがはっきり違うという。馬鹿げた話である。ロシアのスルツカヤも、ソルトレイクでまさかの逆転負けで銀となり、どうしても必要な金メダルを目指して執念でトリノオリンピックを目指す姿は決して感動的ではなく、ひたすら心が痛かったと思うが如何であろう?

水泳の北島康介や、ハンマー投げの室伏広治も、もう十分以上にやった。早く次の道に進んで欲しい。彼らの引退を利益のために引きとめようとする勢力はあるだろうが、我々がそんな連中にそそのかされずに、彼らの自由を認めれば良い。
スポーツでの栄光など、人生の初期のちょっとしたことに過ぎないのだ。それを多くの人が、物凄く尊いもののように思っているのは、それで金儲けをしようという勢力に価値観を押し付けれているに過ぎないのだ。
アメリカでは、アマチュアスポーツ(と言えるかどうかは疑問だが)のスターが若くしてあっさり引退することがよくある。彼らは別の道に転進し、成功するかどうかはともかく、充実した人生を送っていると思う。彼らだって、引退の時には、いろいろ妨害や摩擦があったと思うが、自分の意思を貫いたのだろう。しかし、それでこそ人間らしい生き方をしていると言えるはずである。

G_sknight
本日もナイフコレクションの紹介です。ガーバー・シルバーナイトです。
デザインはグリーン・ベレー(米国特殊部隊)出身のアル・マーとされています。非常に美しく、また、長い歴史を誇るポケットナイフの名品です。ブレードをオープンする時のスムーズさと、ロックされる時の小気味良い「カチッ」という音に品質の高さを感じます。現在は残念ながら生産されていないと思われます。

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