世界は心が創り出している
私は、小学1年生の時、クラスにとても仲の良い女の子がいた。
よほど仲が良かったらしく、5年生か6年生かは分からなかったが、上級生に冷やかされたこともある。
その上級生に、「お前、この子が好きなんだな?」みたいなことを聞かれたが、私は、面白い質問だと思っただけだった。当時は、そういった意味が理解できなかったようだ。
ところが、ある時期から後の、その子の記憶が全くないのである。クラス写真などを見ても、どれがその子だったのか分からない。
「美少女戦士セーラームーンR」という映画で、セーラームーンこと月野うさぎの恋人である地場衛(ちばまもる)と、宇宙人フィオレがこんな会話をしたのを思い出す。
「君は本当にいたんだな?幼い時に見た幻じゃなく」
「幻・・・か?僕にはほんの昨日のことのようだ」
護は、フィオレとの思い出を、現実ではない夢だったとずっと思っていたのだ。
私も、あの彼女のことは、リアルな記憶ではあるが、私が作り出した夢だったのだろうか?
筒井康隆さんの「時をかける少女」の最後で、和子が、ある西洋風の家から流れてくるラベンダーのにおいにうっとりする場面がある。
そのにおいを、和子はとてもなつかしく思うが、思い当たることが何もない。
ただ、そんな時、和子はいつも、いつか素晴らしい人が自分の前に現れるような気がするのだった。そして、その人は自分を知っていて、私もその人を知っているのだと確信する。
高橋弥七郎さんの「灼眼のシャナ」の番外編の「オーバチュアー」(「灼眼のシャナ0」に収録)の最後で、高校生の男の子が、ブレスレットを握りしめて、なぜか人目もはばからず泣き続ける。無理して買った、女性ものの高級品のブレスレット。なぜそんなものを買ったのか分からない。あげる相手がいるわけでもない。しかし、自分でも分からないが、涙が止まらないのである。
この2つの作品では、中学生の和子と、高校生の男の子は、誰かのことを忘れてしまったのである。
考えてみれば、記憶なんていい加減なものかもしれない。
夢の中で、宮殿に住む王様になったり、地球を守る戦士として戦闘用の宇宙船に乗ったりしていても、別に不思議に思わない。
子供の頃に見た映画やドラマの再放送を見ると、確信を持って憶えていると思ってた場面やセリフが、実際の記憶と異なっていることに驚くことがある。
友人や家族に、昔のことではあっても、忘れるはずのない劇的な思い出について語ると、相手は全く憶えていないと言う。
坂本真綾さんの歌で、彼女が自ら作詞した「風待ちジェット」という歌の出だしが、
気がついてない 君はまだ
昨日さえ変える力が ふたりにあるってこと
となっている。
過去が不変なら未来も不変だし、未来が変えられるなら過去も変えられるというのは、案外に科学的かもしれない。聖者と呼ばれる人の多くもそう語る。
不思議な思い出というものが、世界というのは、心が創り出しているに過ぎないことを暗示しているように感じるのである。
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