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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

趣旨感情の面持

http://dogma.at.webry.info/201509/article_4.html

人間には五感がある。人であることの証明ですが、己だけにあるのではなく、相手側にも存在して、交互に意識し合う所に社会構造を作らしめている。

広くは国家構造に位置する国会であります。私としての概念を破棄して、公としての概念を優先して執り行う所であります。

あたかも国の行く末を占う大事な仕事であります。

相手否定構図を暴力において取り繕う事は許されていません。観念性における識別はわきまえておかねばならない。

議論を戦わす場において力づくの暴力行為は許されておらず、国会の持っている気質観念性を剥奪する行為であり、路上においての立ち居振る舞いとは違うものであります。

議会識別の観念性を破棄するものであり、国情の権威を蔑ろにするものである。日本議会否定であります。

やはりせっぱ詰れば人の持っている本性が現れるとは言うものの時と場所を心得ねば単なる感情屋になってしまう。

路上観念性と勘違いしているのでありましょうか?一辺倒思想であります。物事思慮の観念像に一辺倒思想は存在しません。あるとすれば別枠でありましょう。社会道義上に通用するものではありません。

日本議会に敬意のまなざしも感じないのであろう。
日本議会の権威を汚すように仕向けているのなら分からんでもないが、、、。
何のかんの言うな我々を送り出した国民を恨めとでも言うように、、、。

国会まで鮮人気風に染められたんではたまったものではない。
  1. 2015/09/20(日) 16:20:25|
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