Plankton Staff Diary

プランクトンのスタッフ日記

動く個室

2012å¹´03月23æ—¥ | Pagy

最近、電車の中で化粧する若い女性をよく見かけるが、今朝出勤中に見たのはなかなかびっくりした。

車両の一番端(もちろんシルバーシート)に足を組んですわり、耳にはiPodのイヤホンを付け音楽を聴きながら一心に化粧をしている。

まぁそれだけならよくある光景だ。

ご承知のように車両の一番端の席には、ちょうど肘くらいの高さのところに30cm幅ほどの棚状のスペースがある。

その若い女性は、なんと席の棚状のスペースに4~5個の化粧品群と、ヘアブラシ、20cm四方ほどのスタンド式手鏡、それからコンビニで買ってきたらしい飲むヨーグルトとマフィンを所狭しと並べて置いている。

もはやその場所は完全に彼女の部屋と化しているのだった。

つまり自分の部屋で音楽を聴きながら朝食を食べ化粧をしているのだなこの子は。

周りに人がいることなどまったく気にしていない、というかまるで関係ないようだ。

乗っている間中ずっとそこは彼女の部屋でありつづけた。

着替えさえしそうな勢いである。

渋谷駅に着く手前でつけまつげを装着し、念入りに鏡でチェックし、彼女の化粧はめでたく完了したのだった。

最初とはだいぶ違う顔になっていた。

駅に到着するやいなや、ばばばっと化粧品をバッグにしまい、食べ終わった食料品をコンビニのビニール袋に入れ、そのままゴミとして置いて行くのかと思いきや一応手に持ち、何事もなかったかのように降りて行った。

二十代前半くらいだろうか。 住む家がないのか。

もしかして浜田ブリトニーか?

ちょっと目が点になったが、あそこまで周りに関係なく自分の世界を構築していると、なんだかいっそあっぱれな気さえしてきたのだった。

おそるべし最近の女子!である。

 

 


謹賀新年

2012å¹´01月05æ—¥ | Pagy
新年あけましておめでとうございます。

プランクトンは本日から始動いたします。

実り多い年となるようスタッフ全員で頑張ってまいります!

今年の標語:いつも笑顔でご機嫌さん

本年もどうぞよろしくお願いします!!

一人旅

2011å¹´09月02æ—¥ | Pagy
8月末に夏休みをもらって旅に出た。
一人旅である。
なんと二十数年ぶりだ。
所帯を持ってからというもの、旅行と言えば家族旅行以外ありえなかった。
それが年月も経って、子供達も成長し親と旅行なんて行かないし、仕事のスケジュールを見ながらギリギリで決めたので妻も都合が合わず、一人旅と相成ったわけである。
どこへ行こうか色々迷ったが、尾道へ行くことにした。
一度行ってみたかった所である。


尾道は、山肌を迷路のように縫う坂道と石段の街だった。
石段を登りながら振り返ると、眼下には大橋がかかる尾道水道が一望できる。
端が少し崩れかかった長い石段や細い石畳の坂道は、どこを切り取っても絵になる。
どこか懐かしく切ない情景である。
戦争で焦土と化してしまった広島のとなりで、戦禍を免れたこの地域は古くからの街並みを残しているようだ。
石段を、手摺りにすがりつつ、一歩一歩ゆっくりと登ってくるお年寄りとすれ違った。
短い滞在の観光客にとっては美しい光景だが、この場所で暮らすお年寄りには厳しい環境なのだろう。
カメラを手に一日中歩き回った私も、夕方には足が棒のようになってしまった。

夕食は地元の居酒屋のカウンターで、その日揚がったという蛸を刺身と唐揚げにしてもらい、生ビールとともに頂いた。
店内は地元の客ばかりで、「~~じゃけんのう」の連発だった。
とてつもなく幸福な時間を過ごした。

思いがけず行けた一人旅だったが、どうやら癖になりそうである。



Pianist

2011å¹´07月01æ—¥ | Pagy

脂気のないパサパサの長髪で、いかにも昔の芸術家風五十がらみの男が電車に乗っていた。

座席に座って左手に持った楽譜をにらみ、右手は指を素早く小刻みに動かしながらシート座面を左右にせわしなく移動させている。

どうやらピアノを弾く仕草のようである。

そして「う~、う~~」とメロディーらしきものを小声でつぶやいている。

 

電車内はそれほど混んではいなかったが、若い女性がその男と少し間を開けて座って雑誌を読んでいた。

女性は、男の手が小刻みに動きながら近づいてくるのに気がつき、ギョッとしてその男をにらみつけた。きっと痴漢ではないかと思ったのに違いない。

男は少しも動じず、ずっと楽譜をにらみながら右手を動かし続けていた。

女性は、とりあえず男が痴漢ではないと確認したのか少し安心した様子であった。

それにしても気味が悪いと思ったのだろう、隣の車両へ移動して行ってしまった。

その後も、駅に止まるごとに何人もの人が車内に入って来ては男の隣に座ろうとして、ギョッとして男の側から離れて行った。

男はまるで意に介さず、同じ動作をずっと繰り返しているのだった。

 

なんという集中力だろう。

もしかしたら高名なピアニストなのだろうか。

彼がにらんでいた楽譜は、年季が入って角がすり切れていた。

よく見ると、右足まで小刻みにダンパーペダルを踏む仕草をしていた。

 

それにしても電車内でこうも集中している人を見たことがない。

最近は若い女性が電車内で一心不乱に化粧をしている姿をよく見かけるが、あれも集中していて周りが気にならないのだろうか。

いや違うな、あれは単にデリカシーが欠如しているだけだろう。

それに較べると、その男の集中度は尋常ではなかった。

もしかしたら演奏会が近いのだろうか、でもその集中力があればきっと大丈夫だろう。

演奏会の成功を陰ながら祈っておりまする。


サクラ

2011å¹´04月08æ—¥ | Pagy

サイタ

サイタ

サクラガサイタ。

キットコレカラ

ヒサイチニモ。



人間の耳

2011å¹´01月24æ—¥ | Pagy
人間の耳はすごい。
大勢の人が同時に話していても、聞きたい人の声だけを抽出して聞くことができる。
よく考えてみるとこれはすごいことだと思う。
物理的には同時に同レベルで多量の音が耳に入っているのに、聞こうと思った音だけを脳が選別して認識しているのだ。なんて高性能なんだろう。
これは最新の科学技術をもってしてもまだできないだろう。
そう言えばお年寄りも、普段は聞こえないくせに悪口だけは聞こえたりする。

例えば、レコーディングエンジニアはミックスする時に、たくさんの楽音の中からひとつの楽器の音だけを意識して聴いて、その音色やレベルを調整したりする。そして他の楽器と相対的なバランスをとったり、逆にデフォルメしたりするのだ。それを繰り返し繰り返し行い、楽曲の全体像を見渡してミックスを完成させていく。
訓練された耳とは言えすごいことをやっていると思う。


世界中で同時多発的に多くの事が起こっている。
北朝鮮と韓国の衝突のこと、中国GDP世界第2位のこと、アメリカの銃暴力のこと、イスラム勢力のこと、オーストラリアの大洪水のこと、地球温暖化のこと... etc, etc、本当に様々なことが同時進行している。
そしてそれぞれの事象はどこかで確実につながっているのだ。
世界の全体像はもちろん簡単には見えないけれど、もしかしたら音楽のミックスのように、ひとつの事柄を意識して注意深く見聞きすれば、そこから派生して世界がもう少し広く見えるようになるかもしれない。
そう考えると、今までつい表面だけ見がちだった世界の出来事も、もっと興味をもって見えるようになるのではと思うのである。



謹賀新年

2011å¹´01月05æ—¥ | Pagy
新年あけましておめでとうございます。


うまいもの
さらにたべすぎ
ぎょうむはじまる

年末年始は何かとご馳走を食べ過ぎることになり、重い体で出社し、より厚みを増して仕事にはげむことができます。
昨年より一回り大きくなって、皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。

プランクトンは本日より始動致しました。
本年もどうぞご贔屓のほどよろしくお願い致します。

ファミレス酒場

2010å¹´12月02æ—¥ | Pagy

 

前にも書いたが、ちょっとだけ飲んで帰りたい時に行く地元の居酒屋がいくつかある。

最近そのラインナップにまさかのジョナサンが加わった。

 

そうファミレスだ。ファミレスの居酒屋使いである。

24時間営業だし、懐具合がさびしい時たのもしい味方になってくれる。

行きつけの店も大好きなのだが、どうしてもマスターと話しをすることになる。

もちろんマスターとの会話もとても楽しいのだけれど、時には誰ともしゃべらないでいたい日もある。

そういうときファミレスは具合がいいと気がついた。

ファミレスの店員は「どうです?最近。」とか「こないだのアレ、なかなかでしたよ。」とか言わない。

ファミレスは生ビールもあるし、焼酎も日本酒もワインもウイスキーもある。

無論たかがファミレスのメニューなので、もぼろしの銘酒とか珠玉の酒肴とか気の利いたものは当然ない。

だけど別にそれでいいのだ。ちょっとだけビールを飲みたいだけなのである。

遅い時間だとすいているし、ファミレスなので酔っぱらいの騒がしい集団もいない。

店内が明るいので本を読みながら飲むのにもちょうどいい。

 

ジョナサンはサイドメニューというのがあって、小皿もの二品で500円なのだ。

たとえば、ヤリイカの唐揚げと、ほうれん草とベーコンのソテーと、生ビールをジョッキで2杯飲んでも千円台ですむ。

サイフが貧弱な時これは助かる。

時折行く地元の小料理屋は季節の工夫があり美味しくてすばらしいのだが、やや値が張る。

会社がある渋谷には立ち飲みで安くて旨い店もたくさんあるのだけれど、地元でしかも深夜だとなかなかむずかしいのだ。

ビンボくさいと笑わば笑え。

こちとら庶民だ、セレブではなくセルフで飲もう。

小料理屋もよし、ファミレスもまたよし。

自分の足で立つ寛容な大人として分け隔て無く飲みたいものである。(大げさだなあ)

 

でもお金がないんだったらまっすぐ家に帰ればいいのに、....まあね。


 


野音

2010å¹´10月12æ—¥ | Pagy
映写担当なので、ステージ袖のPAモニター卓の隣でPCからロゴマークや予告編や字幕を出していた。
野音は袖幕がないので、ミュージシャンごしに、ご来場下さった約2500人もの観客の方々が見えた。
全員総立ちで大歓声を上げている。
涙を拭きながら踊っている人もたくさんいた。
圧倒された。

2500人の人たち一人一人にそれぞれのかけがえのない人生があり、そして抱えているものもあることだろう。
でも熱演するビリリを見て、きっとたくさんの事を感じたと思う。
人間に再起不能はない、人生に遅すぎることは絶対ない、とビリリは歌っている。

僕もステージ袖で胸がいっぱいになり何度も涙ぐんでいた。